コードギアス―抵抗のセイラン―   作:竜華零

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 今話が本編最終話となります、ようやくここまで来ました。
 これも皆様のご声援・ご指摘のおかげです、本当にありがとうございます。
 それでは、どうぞ。


TURN27:「皇帝 ナナリー」

 「それ」を感じた時、C.C.はついと顎先を上げた。

 場所は斑鳩の艦橋だ、彼女以外の人間は全てメインモニターに映る少女皇帝の姿に魅入っている。

 その中にあって、C.C.だけが違う方向を向いていた。

 彼女は音も立てずに皆に背を向けると、ゆっくりと艦橋から出て行った。

 

 

「……とうとう、来たか」

 

 

 誰もいない通路――第一種戦闘配備の状態であるため――で、C.C.は立ち止まった。

 戦闘の余波が未だ続く中で、彼女は己の肌の上を撫でられるような不快さを感じていた。

 彼女はその理由を明確に気付いている、おそらくは彼女だけが気付いているだろう。

 だから彼女は溜息を吐いた、そして遠き日を思い出すかのように顔を上げて。

 

 

「贖いの、時が」

 

 

 その額が、額に刻まれたコードが、強い輝きを放っていた。

 まるで何かの脈動に呼応するかのようなその明滅に、C.C.は小さく唇を震わせた。

 その後に何と呟いたのか、それは誰にもわからない。

 

 

 ただ、彼女の運命が……いや。

 世界の運命が動き出したことだけは、確かだった。

 それが誰にとっての運命かは、天上の神にもわからないことだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 この世は驚愕の連続だと、青鸞はつくづく思った。

 不死の身になろうともそれは変わらないようで、その映像を見た瞬間、青鸞は己の中の時間が止まってしまったのでは無いかと錯覚した。

 それ程の衝撃だったのだ、彼女がブリタニア皇帝になったと言う事実は。

 

 

「ナナ、リー……ちゃん?」

 

 

 饗団の……中央アジアの遺跡、黄昏の間で命を落としたはずの少女。

 幼馴染で、大切な友人で、罪悪感の向け先で、そして彼の最愛の妹。

 メインモニターの中、天上の花畑で微笑む少女は紛れも泣くあのナナリーだった。

 ただし、瞳が開いている。

 

 

 青に誓い紫の瞳(アメシスト)が、世界を射抜くように開かれていた。

 そう言えばと、青鸞は思う。

 幼少の頃に思った不思議を思い出す、ナナリーが瞼を開かない理由を知りたがった昔を。

 普通の盲目の人間は目が見えとしても開きはする、そうすることで光を受けるからだ。

 だがナナリーはそうしなかった、何故か瞼を開くと言う行為をしていなかった。

 

 

「……ッ」

 

 

 その時、青鸞は不快感を感じた。

 他に誰がいるわけでも無いのに、肌の上を何者かに嘗め回されるかのような感覚に陥ったのだ。

 遠慮呵責なく肌の上を駆け抜けて行ったその不快感に、青鸞は己の身を抱き締めるようにして眉を顰めた。

 理由はわからない、が、何かが起こっていることだけはわかった。

 

 

 その時、ふと気付く。

 己の右掌、そして左胸、そこに刻まれたコードが赤い輝きを放っていることに気付いた。

 自分の意思では無い、まるで何かに共鳴するかのように明滅している。

 何故そうなっているかはわからない、だが不快感は続いている。

 何だ、これは。

 

 

「どうして、ナナリーが皇帝に……?」

 

 

 青鸞が感じている不快感は、当然ながらスザクには感じられていない。

 だが彼もまた、シャルルの後継者を名乗るナナリーの存在に驚愕していた。

 彼はその事実を知らされていなかったし、実はシュナイゼルもその事実は知らない。

 知っている者がいるとするなら、それはペンドラゴンの皇族・大貴族達だろう。

 

 

 だが何故、このナナリーの宣言に対して何らの行動も起こさないのか?

 今初めて知ったならともかく、皇帝……いや、前帝シャルルの勅命・遺言であるなら事前に聞いていた可能性が高い、それでもブリタニアは分裂しなかった。

 八十七位などと言う下位の継承権しか持たず、しかも後ろ盾も無いナナリーの即位を認めるだろうか?

 あり得ない、必ず反発する、なのに何故。

 

 

『皆様の中には、私の皇位について不安を抱かれている方もいらっしゃることでしょう』

 

 

 そんなスザクの疑問に答えるように、ナナリーは微笑みながらそう言った。

 そう言った彼女の傍に、画面の脇から十数人の人間が姿を現した。

 豪奢な衣装を纏ったその人物達の姿に、スザクは目を見開いた。

 

 

『しかし、その心配はありません。私の即位は……』

 

 

 そこには第一継承権保持者だったオデュッセウスがいる、ギネヴィアがいる、カリーヌがいる、皇位を争っていた有力な皇族・大貴族達がいる。

 皇位を争い、そしてナナリーの即位をけして認めないはずの彼ら彼女らは、一様にナナリーの周囲を固めていた。

 まるで、新たな主君であるナナリーを守ろうとするかのように。

 

 

『……このように、全ての皇族・大貴族の方々に認められたものだからです』

 

 

 しかし、何故彼ら彼女らは無名の皇女の即位を認めたのだろうか?

 スザクだけでなく世界中の人間が首を傾げるだろう疑問に答えるためには、少しだけ時間を遡る必要がある。

 それは前帝シャルルが神根島に向けて進発するよりも前、全ての皇族・大貴族を謁見の間に集めたあの時に遡る――――。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 最初は何の冗談か、と思われた。

 だが皇帝シャルルが宣言したことが真実で、本気なのだと気付いた時、皇帝の前にも関わらず人々は騒然とざわめきだした。

 あろうことか皇帝シャルルの後継、次代の皇帝が……足の不自由な、年端も行かぬ少女だとは!

 

 

「こ……皇帝陛下?」

「何か、オデュセウス、余の息子よ」

 

 

 一同の困惑を代表したつもりは無いだろうが、先頭に立っていた第一皇子オデュッセウスが皇帝に問いかけた。

 これはいったい、何の冗談なのかと。

 

 

「冗談? 意なことを言うなオデュセウスよ。わしが嘘など吐かぬことはお前が一番良く知っておることだろう、そしてわしが前言を撤回するような男でも無いことを」

「で、では、本気で……?」

「先程からそう言うておる、それとも……」

 

 

 車椅子の少女、瞳を見開いて微笑むナナリーの傍で、皇帝は瞳にギラリとした輝きを宿しながら言った。

 

 

「それとも、ナナリーが皇帝では不服か」

「ふ、不服と言うか……いえ、ナナリーの生存と帰還は喜ばしいことですが」

 

 

 そこだけは本心だろう、オデュッセウスはナナリーに微笑みかけた。

 これを本心で言っているからこそ、彼は凡庸ながら善良な皇子として皆に信頼されているのだ。

 だがそうは言っても、受け入れられることと受け入れられないことがある。

 

 

 ナナリーが皇帝になる、やはり何度聞いても冗談としか思えない。

 別にナナリー個人がどうと言うわけでは無い、ただ、ナナリーに皇帝が勤まるとは思えないだけだ。

 能力云々では無く、周囲の皇族や大貴族がそれを認めないだろう。

 ギネヴィアやカリーヌなどはあからさまな不満と嫌悪を隠そうともしないし、他の皇族や大貴族にしても、皇帝シャルルの前だから表立って不満を口にしないだけだ。

 

 

「ほぉう……そうか、オデュッセウス。お前は皆が納得しないと言うのだな、皇帝の言葉を聞かぬか。なるほど、ならば……」

 

 

 そこで一旦、皇帝は言葉を切って眼を閉じた。

 オデュッセウスとしては頬に一筋の汗を流さなければならなかった、次に皇帝が眼を開いた時にどんな言葉が飛んでくるのかわからなかったからだ。

 それに今の口ぶりだと、皇帝は自身への不服従を咎めてオデュッセウス達を排除するとも取れる。

 温厚なオデュッセウスと言えども、恐れは抱くのだった。

 

 

 そして数十秒の後、皇帝は眼を開いた。

 赤い。

 皇帝は赤い両眼でもって、謁見の間を埋め尽くす人々を睥睨した。

 すなわちそれは。

 

 

「シャルル・ジ・ブリタニアが、刻ぁむぅ……」

 

 

 ギアスの、輝き。

 

 

「こ、皇帝陛下? 何を……」

「――――新たなる偽りの記憶を!!」

 

 

 オデュッセウスの声を無視して、皇帝は雷のような声量で言った。

 その声は謁見の間の隅々まで届き、かつ人々の目を皇帝へと向けられた。

 だから、その場にいた全員がそれを受けた。

 皇帝の両の瞳から飛び出したその輝きが、人々の眼に飛び込んだのだ。

 

 

 すなわち、刻まれる。

 偽りの記憶を、まるで最初から持っていたかのように埋め込まれる。

 そして、全てが噛み合った時。

 

 

「……イエス・ユア・マジェスティ」

 

 

 オデュッセウスの表情に穏やかさが戻る、だがその両眼の輪郭は赤く輝いていた。

 それは彼だけでは無い、周囲の、いや謁見の間にいる全ての人間がそうだった。

 皆瞳を赤く輝かせて、オデュッセウスと同じように胸に手を当てて背筋を正した。

 それは皇帝へ忠誠を示す姿勢としては正しい、だが彼ら彼女らの視線は皇帝には向いていない。

 

 

「「「オール・ハイル・ナナリー!!」」」

 

 

 次代の皇帝ナナリーを称え、忠誠を誓約するものだった。

 今までナナリーのことを知らなかった、あるいは知っていても毛嫌いしていた人間達が皆、一様にナナリーを次代の皇帝に相応しい人物だと認めた瞬間だった。

 ナナリーこそ、ブリタニアに率いるべき器だと。

 

 

「いや良かったよ、ナナリー。まさか陛下が存命中にキミを後継者に推すだなんて。でもこうなった以上、私も出来る限りキミの治世に貢献するからね」

 

 

 オデュッセウス「だった」誰かがそんなことを言う、温厚な笑顔で第一継承権保持者「だった」誰かは心の底からナナリーの将来の即位を喜んでいた。

 第一継承権保持者で誰かに恨まれることの少ない彼が支えれば、ナナリーの政治基盤はかなり安定するだろう。

 何しろ「幼い頃から自分以上の才覚を示していた妹」が即位するのだ、これをサポートするのは兄としての義務にも思えた。

 

 

「ナナリー、いやナナリー陛下、そなたは何も心配せずとも良い。我と我が家がそなたを支える限り、全ての貴族階級はそなたに忠節を尽くす故に」

「そうそう、うちの実家だって協力するんだから、またグズグズ言うんじゃないわよ! あっ……べ、別に貴女のためとか、そう言うわけじゃ無いんだからね!? ブリタニアのためよ! あくまで!」

 

 

 おそらくナナリーを、いやマリアンヌ后妃縁の者を最も嫌っていただろうギネヴィアとカリーヌも、それぞれの立場でナナリーへの協力を約した。

 ブリタニアの皇族・貴族に多大なネットワークを持つギネヴィアの協力は宮廷工作に不可欠なものだ、そしてギネヴィアは「幼少時から何かにつけ面倒を見てきた妹」の即位を本心から喜んでいた。

 

 

 年齢の近さから「実の姉妹のように仲良く育って来た」カリーヌも、「いつものように」素直では無いものの、ナナリーの治世を支えると明言した。

 他の者達も、オデュッセウス達と同じようにナナリーに忠誠を誓っていった。

 それを見て皇帝が笑う、だがその笑みはどう見ても嘲笑にしか見えなかった。

 

 

「うふふ……」

 

 

 そしてナナリーも笑った、だがその笑みはかつてのような優しいものでは無かった。

 その笑みは、どこか相手を見下し、哀れみ、馬鹿にするような笑みだった。

 ここに、ブリタニアの宮廷世界はナナリーの手に落ちたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ナナリーが生きていた、その事実に最も衝撃を受けた者は誰だろうか。

 言うまでもなく、実の兄であるルルーシュである。

 一時は妹を失った喪失感から塞ぎ込んだ彼は、しかし今目の前に無事な妹の姿を見て、大きく眼を見開いていた。

 

 

「な、ナナリー……何故」

 

 

 ナナリーが生きていたことは素直に嬉しかった、それは揺るぎの無い事実だった。

 可能ならばすぐにでもナナリーの下へ行き、その身を抱き締めて無事を確信したかった。

 だが彼の理性が、疑問を感じさせずにはいられなかった。

 どうしてナナリーが次のブリタニア皇帝などになっているのか、どうしてほとんどの皇族・大貴族がナナリーの玉座の担ぎ手になっているのか、まるでわからなかったからだ。

 

 

 そもそも、眼が。

 ナナリーの眼が開いている理由が、わからなかった。

 彼女は盲目で、しかも瞼を開くことすら出来なかったのに。

 

 

『……戦争』

 

 

 不意にナナリーの声が聞こえて、ルルーシュは顔を上げた。

 蜃気楼のメインモニターの中に映るナナリーは、どこか聖女を思わせる微笑を浮かべていた。

 ナナリーが両腕を開く、すると画面の中の花畑に異変が起こった。

 まるでパズルをバラバラにするように花壇や床、壁が動いていくのだ。

 

 

 そして現れた光景に、ルルーシュは息を呑んだ。

 何故なら花畑の後に姿を現したのは、古びた神殿のような場所だったからだ。

 どこかの地下なのだろう、薄暗く靄がかった場所だ。

 ナナリーの背後に短くも高い石階段があり、その向こうに不可思議な紋様の描かれた石の扉がある。

 ……遺跡だ。

 

 

『戦争と革命、飢餓と貧困、差別と腐敗……誰もが無くしたいと思いながらも、誰にも消すことの出来なかった哀しみ』

 

 

 訴えかけるような声音で、ナナリーが言う。

 饗団のアジトや神根島の地下にあったものと同じ石の扉の前で、ナナリーは言った。

 

 

『それをもし無くす方法があるとしたら、人々が本当の意味で一つになれるとしたら、どうしますか?』

 

 

 それは夢物語だ、とルルーシュは即座に思った。

 話し合いで何もかもが解決するのなら、軍隊も戦争も生まれていない。

 わかり合えないから、分け合えないから、軍隊と戦争が生まれたのだ。

 嘘が生まれ、差別や格差が生まれたのだ。

 自分で無い誰かとわかり合うことが出来ないから、人は自分を守ろうとするのだ。

 

 

 だがそれは、罪だろうか?

 当たり前のことだ、誰もが自分を守るために悪を胸に抱える。

 しかしそれは自分を守るためだけじゃなく、誰かを守るためでもある。

 それを憎んで否定することは、同時に人間と言う種そのものを否定することに繋がる。

 

 

『皆が一つになること、それはとても素晴らしいことです。私はそんな世界で、誰もが……誰もが』

 

 

 そこで、ナナリーは笑顔を浮かべた。

 だがそれにルルーシュは違和感を感じた、妹の笑顔に違和感を感じたのだ。

 見る者を魅了する可憐な、優しい笑顔の中に違うものを見た気がした。

 

 

 そしてその後ろで、石の扉が開いていく。

 向こう側の光をこちらへと届かせるそれは、メインモニターを白く染める程に輝いていた。

 誰もが目を庇うようにする中、しかし声は続いている。

 

 

『誰もが一つになることで、世界は――――』

『ルルーシュッ!!』

 

 

 その時、通信では無い声がルルーシュの頭に響いた。

 まさに頭の中で鐘が鳴ったかのような衝撃に、ルルーシュは顔を顰める。

 だが彼はその声の主を知っていた、だから彼は声を上げた。

 

 

「C.C.ッ!?」

『説明している時間は無い!』

 

 

 次いで、身体を強く引かれるような感覚に陥った。

 これはあの時と同じだ、セキガハラから神根島まで飛ばされた時のあの感覚に。

 どこかへ飛ばされるのかと思い、ルルーシュは言った。

 

 

「待てッ、C.C.――――」

 

 

 だがC.C.は待たなかったようだった、次の瞬間にはルルーシュの視界がブラックアウトしたからだ。

 瞼の裏に焼きついた妹のおかしな笑顔を見つめながら、ルルーシュの意識は飛んだ。

 遥か遠く、それでいてとても近い所にあるその場所へと。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞が気が付いた時、彼女は夕焼けの神殿にいた。

 周囲を雲に覆われた不思議な場所で、まるで空の上にいるかのようだった。

 赤い夕焼けに染まった神殿、神秘的と言えばこれほどに神秘的な場所も無いだろう。

 

 

「ここは……」

 

 

 青鸞はこの場所を知っていた、いやこの景色は知らないが、存在は知っていた。

 Cの世界と言うその場所のことを、青鸞は知っていた。

 どうやら彼女がいるのは石階段の一番下で、そこから先には……。

 

 

「……ルルーシュくん!?」

 

 

 石階段の途中にうつ伏せに倒れる少年を見つけて、青鸞は駆け出した。

 

 

「ルルーシュくん、大丈夫!?」

「う、うぅ……青鸞、か?」

 

 

 青鸞に抱き起こされて、ルルーシュは呻きながら目を開けた。

 特に外傷は無い様子だが、それでもCの世界に飛ばされたために意識が朦朧としている様子だった。

 意識をはっきりさせるために軽く頭を振ると、ルルーシュは立ち上がろうとした。

 しかしそれを果たせず、よろめくようにして青鸞に支えられるハメになった。

 

 

「何をしている、ルルーシュ」

 

 

 そこへC.C.が現れた、柱の陰から姿を見せた彼女をルルーシュは睨んだ。

 だがそんな視線などでたじろぐC.C.では無い、彼女はルルーシュの睨みを無視して階段の上へと視線を向けた。

 

 

「良いのか、ナナリーのことは」

「……ッ、ナナリーだと!?」

「上にいる」

 

 

 ナナリーの名前にそれまでの態度を全て捨てて、ルルーシュは立ち上がり、そして駆けた。

 C.C.の言葉を疑ってもいるだろうし怪訝に思ってもいるだろうが、それでもナナリーの名前は無視できなかったのだろう。

 自分から離れて駆け行くその背中を、青鸞は少しだけ寂しい気持ちで見つめていた。

 

 

「……良いのか、お前は」

「……仕方ないよ」

 

 

 そう、仕方ない。

 ルルーシュにとってナナリーは特別だ、あまりにも特別だ。

 だから青鸞は、それを仕方ないと思った。

 階段を駆け上がるルルーシュの背中を見つめる青鸞、そしてその横顔を見つめていたC.C.は、そんな青鸞の顔を見て溜息を吐いたのだった。

 

 

 一方、階段の上では少し状況が違っていた。

 本来ならギアスとは――直接的には――関係の無い少年が1人、いたからである。

 スザクだ、どうやら彼もC.C.によってCの世界に連れて来られたらしい。

 それでも彼が混乱せずに済んだのには2つの理由がある、まず彼がこの場所を知っていたことだ。

 Cの世界とは知らなかったものの、過去に一度だけ皇帝と共にこの神殿を訪れたことがあったのだ。

 

 

(ならここは、ブリタニアなのか……いや、それよりも!)

 

 

 がくん、と脇腹を押さえるようにしながら膝をつくスザク。

 僅かに苦悶の表情を浮かべるスザクの視線の先には、3つのものがある。

 まず一つは夕焼けの神殿、その祭壇エリアだ。

 石造りの床が夕焼けに染まるその世界に、スザクはいる。

 

 

 そして二つ目は、漆黒のフードとローブで全身を隠した4人の男だった。

 男と思うのはスザクがすでにこの4人と格闘したからであって、スザクが膝をついているのは脇腹に蹴りを受けたためだった。

 4人はそれぞれが強く、それでいて人間離れした力を持っているようだった。

 ……ローブの胸元には、鳥が羽ばたくような独特のマークが刻まれていた。

 

 

「けど……!」

 

 

 痛みを堪えて立ち上がる、そんな彼の前では2人の少女が拘束されていた。

 神殿の祭壇に鎖で戒められている2人の少女は、どちらもスザクの知る少女である。

 1人はアーニャ、ラウンズの同僚の少女で、両腕を頭の上で鎖に縛られている。

 そして、もう1人は……。

 

 

「ナナリーッ!?」

 

 

 そう、ナナリーだった。

 瞳を閉じ、眠るように俯く少女の身に痛々しく鎖が巻きつけられている。

 ちなみに今ナナリーを呼んだのはスザクでは無い、呼んだのはスザクの後ろの階段を駆け上がってきた黒髪の少年であった。

 

 

「スザク? それにこいつらはいったい、いや、それよりも何故ナナリーが拘束されている?」

「……ルルーシュ」

 

 

 さっきの今と言うことで、流石にやや表情が固い。

 だがスザクがより表情を強張らせたのは、その後にやってきた少女を見てからだ。

 C.C.と共に階段を駆け上がってきたその少女もまた、スザクを見ると表情を強張らせた。

 スザクはそんな少女、青鸞から目を逸らした。

 話すことは何も無いと、伝えようとするかのように。

 

 

 

「あら、ようやく全員揃ったのね」

 

 

 

 青鸞が兄の背中に声をかけるよりも早く、横から声をかけてきた者がいた。

 それは女だった、豊かで美しい黒髪が薄いオレンジのドレスに映えている。

 背は高く、ややタレ目ながら鋭さのある黒瞳は悪戯っぽく細められていた。

 その女性が誰なのか、それを正確に知っているのはおそらくこの場の半分。

 

 

「……母さん……!」

 

 

 マリアンヌ・ヴィ・ブリタニア。

 かつて「閃光」と称えられたブリタニア帝国の元第五后妃は、実の息子の声ににっこりと笑った。

 それは、先程までナナリーが浮かべていた笑顔と全く同じように見えた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 答え合わせをしよう。

 皇帝シャルルが、V.V.が、そしてマリアンヌが、それぞれに命を失ってまで遂行しようとした計画の全容について、答え合わせが必要だ。

 そもそも、彼らの「計画」とは何か?

 

 

 それは、神を殺すことだ。

 饗団が長い長い歴史の中で蓄え続けてきた知識と技術、それを用いて思考エレベーターと『アーカーシャの剣』をもって、この世の理を書き換えることだ。

 かくして人は仮面を失い、互いに嘘を吐けぬ「自分」となる。

 人々の意識が一つになる、生者はもちろん、死者すらも。

 

 

「……だから俺とナナリーを捨てたんですね、母さん。生きていようと死んでいようともはや意味が無い、なら守らなくても問題は無いと考えたんだ」

「あらルルーシュ、母さんにそんな口を聞くなんて……まったく、誰にどんなことを吹き込まれたのかしら」

 

 

 そう言ってマリアンヌが視線を向けるのはC.C.だ、かつての同志、理解者、友人。

 だがC.C.は肩を竦めるばかりだった、それ以上のことはしない。

 それはどこか、どちらか一方に加担することはしないと言う意思表示にも見えた。

 自分は何もしない、何もしないことをする魔女なのだと。

 

 

 だが、魔女と言う称号はマリアンヌにこそ相応しいのかもしれない。

 義兄たるV.V.に殺害された――V.V.の抱いた嫉妬によって――瞬間に発動した、人の心を渡るギアスによってアーニャの内面に潜み、そして今ナナリーの身体に宿っているのだから。

 それは一つの事実を証明している、ナナリーは光を失ってなどいなかったのだ。

 

 

「ナナリーはね、ルルーシュ。貴方とは別の意味で、飛び抜けたギアス特性を……いえ、コード特性を持っていたの」

 

 

 マリアンヌはかつて、幼いルルーシュとナナリーに対してギアスの実験を行っていた。

 もちろんルルーシュやナナリーは知らない、だがその実験のおかげで2人は才能を得た。

 兄ルルーシュには、ギアスに関する適正と才能が。

 妹ナナリーには、コードに関する適正と才能が。

 そう、ナナリーはコード保持者になれる可能性を持っていたのだ。

 

 

 だからマリアンヌは考えた、面白い可能性を考えた。

 極めて高い――V.V.や皇帝シャルルよりも遥かに高い――コード適正を持つナナリーの身体に、全てのコードを集めたらどうなるか?

 内面に宿ったマリアンヌがナナリーの身体を使い、根源……神と繋がったなら、何が起こるだろう?

 そう考え、そして実行に移したのだ、マリアンヌは。

 

 

「『アーカーシャの剣』で神は死ぬ、そして此方で私が、彼方であの人(シャルル)が。私達が新たな根源となって全ての人と繋がる。3つのコードを得たナナリーの身体はその楔になるの、素敵でしょう?」

「実の娘を……っ!」

「あら、実の娘が世界を救う聖女になれるのよ? 親として応援するのが当然じゃない?」

 

 

 誰もが言うだろう嫌悪の言葉を受けても、マリアンヌは笑う。

 だって、皆が一つになることは良いことなのだから。

 押し付けだろうと何だろうと、最終的に結果が良ければ良いのだ。

 わかっている者がわかっていない者を導く、わからない者がわかるようになるのを待つのは無駄だ。

 そう言い切るマリアンヌに、スザクは目を細めた。

 

 

 戦争は終わる、差別は終わる、犯罪は無くなる、腐敗は無くなる。

 良くなる、世界は確実に良くなる。

 何故なら心が一つになると言うことは、「貴方」が「私」になると言うことだからだ。

 自分を傷つける人間はいない、つまりはそう言うことだった。

 そして第3のコードの現出で、シャルルとマリアンヌは計画を修正したのだ。

 

 

「枢木青鸞、だったかしら? 呼びにくいから(ブルー)ちゃんって呼んでも良いかしら?」

「いや」

「そう、じゃあ(ブルー)ちゃんって呼ぶわね」

 

 

 何だ、この強烈な押しは。

 青鸞は不快感を感じたが、マリアンヌはそんなことを意にも介さなかった。

 鼻歌さえ歌い出しそうな程上機嫌に、マリアンヌは顎を上げた。

 見下ろすような視線が、青鸞を見る。

 

 

「貴女が目覚めてくれたおかげで、私とシャルルは新たな神になれる。人は救われるの、だからお礼を言ってあげる――――だから、頂戴?」

 

 

 にっこりと笑うマリアンヌ、何故かそれに青鸞は怯えにも似た感覚を覚えた。

 すでに自分の肉体を失い、ナナリーの才能を頼りにアーニャから実の娘の肉体に乗り移った女は、まるで子供が菓子をせがむように手を青鸞に向けていた。

 そして言うのだ、頂戴、と。

 

 

 直後、重厚感のある音がマリアンヌの背後、祭壇の後ろから聞こえてきた。

 エレベーターが動いているような重厚な機械音は、まさにエレベーターが上がる音だった。

 思考エレベーターの機動音、そして不可思議な形をした、捻れた柱のような何か。

 『アーカーシャの剣』が、天へと向けて伸び始めたのだ。

 次の瞬間、夕焼けの祭壇が砕け散った。

 

 

「何、これは……!」

「これこそが思考エレベーター、私とシャルルの、私達の夢の結晶」

 

 

 夕焼けの祭壇が失われ、代わりに現れたのは機械的なドームだ。

 隙間から薄緑の光がいくつも漏れている外壁は、機械でありながら神性を備えているように見えた。

 

 

「さぁ、頂戴、(ブルー)ちゃん、C.C.。貴女達の持つ3つのコードを得ることで、私達は完全になる。此方と彼方、雌雄同体の完全なる神に。私達が……」

 

 

 ……私達こそが、新しい理に相応しい。

 手を伸ばすマリアンヌ、だが実の所、青鸞はマリアンヌの言葉を聞いていなかった。

 と言うのも、彼女の視線は『アーカーシャの剣』に注がれていたからだ。

 そんな青鸞を、C.C.が後ろからじっと見ている。

 

 

 声が、するのだ。

 

 

 どこかから声が聞こえる、囁き声のようにも叫び声のようにも聞こえる。

 それが何かはわからない、だが怖い。

 あの装置、『アーカーシャの剣』が恐ろしい。

 アレは、良くないモノだ。

 

 

(何、何だろう、この気持ち……怖い……?)

 

 

 あの装置が直接、自分に何かをするわけでは無いだろう。

 だが何故か、まるであの剣に殺されるかのような恐怖を感じた。

 内面からでは無く、外から。

 ――コードを、通じて。

 

 

「……ッ」

 

 

 それに気付いた時、青鸞は顔を上げた。

 するとそこに、いた、薄いオレンジの球体のような物が天井とも呼べる場所で渦巻いている。

 青鸞の左胸と右掌でコードが輝きを放つ、流れ込んできた情報に青鸞は理解した。

 アレが、世界の人々の意思と繋がった集合無意識なのだと。

 すなわち、マリアンヌ達が「神」と呼ぶ何者かなのだと気付いた。

 

 

 声が、強くなった。

 何かを叫んでいる、何かはわからない、だが確かに聞こえる。

 集合無意識の、神の声がコードを通して聞こえる。

 

 

「……止めて!」

 

 

 思わず、青鸞は叫んだ。

 悲鳴のような声で叫んだ。

 

 

「あの剣を止めて! お願い!」

 

 

 唐突とも言える青鸞の言葉、それに最初に動いたのは意外なことにスザクだった。

 一足で地面を蹴り、マリアンヌへ向けて駆け出す。

 だがそれをローブの男達が妨害した、人間離れした動きでスザクに襲い掛かる。

 フードの間から漏れる一対の赤い輝き、それは。

 

 

「ギアス!?」

「饗団の戦士団、その中でも精鋭の4人よ。そう簡単に突破は出来ないわ……さぁ」

 

 

 恍惚とした表情で、マリアンヌは両腕を広げた。

 

 

「さぁ……『アーカーシャの剣』が、神を殺すわ」

「や……」

 

 

 天井で剣が神を貫くその瞬間、青鸞は叫んだ。

 それが彼女の意思によるものなのか、それとも神が彼女を通して言わせたことなのかはわからない。

 ただ確かなのは、青鸞は確かに何かを感じていたのだ。

 言葉に出来ない、形容しがたい何か。

 

 

 それを受けた青鸞は、叫ばずにはいられなかった。

 嬉々として神を殺し、新たな神の座へ昇ろうとする女を見て。

 見えざる「誰か」のために、声を上げた。

 

 

「やめてええええええええええええええええええええええええええええええええぇぇぇぇっっ!!」

 

 

 そして、神が死ぬ。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 『アーカーシャの剣』が神……集合無意識、あるいは根源と呼ばれる存在を貫いた瞬間、青鸞は情報の海へと叩き落された。

 大荒れの嵐の海に生身で放り出されたとイメージすればわかりやすいだろうか、情報と言う波が青鸞を打ち据え、押し流そうとしていると言うことだ。

 

 

『――――何!?』

 

 

 しかしその情報の波から必死に顔を出し、手を伸ばして、青鸞は意識として声を発した。

 溺れかけながら、波の下に幾度も顔を鎮めながら、それでも必死に聞こうとした。

 集合無意識、根源――――神の言葉を。

 

 

 それは情報の奔流、いや暴力だった。

 コード保持者が不死であるのは副産物だ、だが不死でなければ彼らは神の言葉を受け取ることが出来なかったろう。

 だから彼ら彼女らは、巫女として人々の信仰を集めることが出来たのだから。

 

 

『何を伝えたいの!? ボクに……何を!』

 

 

 気の遠くなる程の過去、幾人ものコード保持者が神の言葉を聞いた。

 Cの世界で根源と繋がる彼ら彼女らは、だがそれを正確には受け取ることが出来なかった。

 何故なら足りなかったからだ、コードをもってしても神の言葉を受け止め切れなかったのだ。

 だがここに、枢木青鸞と言う奇跡がいる。

 2つのコードを持つ彼女だからこそ、より深く根源と繋がることができる。

 

 

『ああ……ッ!』

 

 

 その時、一際大きな波が彼女を襲った。

 堪らずに巻き込まれ、青鸞の細い身体が海の底へと引き摺り込まれてしまった。

 気泡の音にも似た水音が響き、目を閉じて衝撃に耐える青鸞。

 ぐるぐると振り回される身体、堪えきれずに空気を吐き出す唇。

 

 

 意識が遠のいていく。

 それは拒絶されているようにも、あるいは引っ張られているようにも感じた。

 海の奥底に沈むような感覚が続く、底に近付くにつれて青鸞の身体から力が失われていった。

 海で溺れる遭難者のように、底へ。

 底へ――――……。

 

 

(……身体が、重い……)

 

 

 鉛のように重い身体は、もはや指一本すら動かせない。

 息も出来ていないような気がする、意識も上手く保てない。

 いや、もはや自分の身体のことさえわからない。

 今の「自分」と言う形すら、どうだったか思い出せない。

 

 

(……ボクは……)

 

 

 誰?

 自分が誰なのか、自分が何者なのか、自分と言う個はどこにいるのか。

 どこから来て、どこへ行くのか。

 自問の先には何も無い、ように思えた……。

 

 

『青鸞ッ!!』

 

 

 ……いや、そんなことは無い。

 自分は確かにここに在る、此方に在る。

 確認する、思い出す、自分が誰なのか。

 ゴポッ、と音を立てて、泥のように身を覆う情報の海の中で眼を開いた。

 右掌と左胸のコードが、自分を主張するかのように激しく輝く。

 

 

 セイラン・ブルーバード、A.A.、複数の名前を持つ少女。

 だが彼女は今、自分が何者なのかを声を大にして叫ぶことが出来る。

 出来るはずだった。

 だって、(ルルーシュ)が教えてくれたのだから。

 

 

『――――ボクは、枢木青鸞!』

 

 

 声を発せぬその場所で、青鸞は己の意識で叫んだ。

 そう、ここは意識の世界。

 ならば己の意識を意図的に感じれば、存在を確かなものに出来る。

 だから彼女は、真っ暗な世界で両手を伸ばした。

 底へ――――そこへ。

 

 

『貴女は何!? 教えて、貴女が何を望んでいるのか……!』

 

 

 自分達に。

 

 

『ボク達に、どうしてほしいのかを……!』

 

 

 そしてその意識に、その声に、「彼女」は応じた。

 これまでずっと呼びかけ続けていた、コード保持者を通じて世界に、人々に言葉をかけ続けていた「彼女」は、応じた。

 優しく、我侭に、楽しく、諦めかけながら。

 神は――――……。

 

 

 伸ばした手に、誰かの手が重ねられた。

 枢木神社の古い神事衣装に身を包んだ管理者の少女が、反対側から沈んで来たのだ。

 その胸には、漆黒の剣が刺さっていた。

 禍々しい黒い何かで出来たその剣を、青鸞は空いている方の手で掴んだ。

 そして、ぐっと力を込めて引き抜く……血は出なかった、ぽっかりと空いた傷口も綺麗に消えてしまう。

 

 

『――――○○○○』

 

 

 すると、今までずっと無表情だった彼女は青鸞の指に己の指を絡めて、嬉しそうに笑った。

 それは本当に綺麗な笑顔で、青鸞は思わず見惚れてしまった。

 そんな青鸞に管理者の少女はまた微笑して、手を握ったまま目を閉じた。

 

 

 目を閉じた管理者の少女は、青鸞に身を委ねるように顔を寄せた。

 驚く青鸞の唇に、管理者の少女の唇が重ねられる。

 そしてその瞬間、世界は祝福されたかのように光に包まれた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

「……これは……?」

 

 

 マリアンヌは怪訝な表情を浮かべた、その顔からは疑念が見て取れる。

 その疑念の正体は、『アーカーシャの剣』だ。

 剣は確かに神を、集合無意識を貫いた。

 だが期待した世界の変革は起きていない、塵たる人が被る仮面は剥がされていない。

 

 

 しかし、変化は起きている。

 ドームの外壁に沿うように赤いオーロラが揺れていて、それがカーテンのように揺れる度に全身の感覚が鋭敏になっていくように感じる。

 空気の動きや温度の変化、そうした細やかな情報が頭の中に自然と流れ込んでくる。

 まるで、世界と自分の垣根が急激に低くなったように。

 

 

『……俺は、母さんのことを愛していました』

「ルルーシュ?」

『俺とナナリーを包んでくれた愛を信じたかった、けれど……母さんにとっては、自分の計画が、自分こそが大切だった』

 

 

 頭に響いたルルーシュの声に、マリアンヌはルルーシュの方を向いた。

 だがルルーシュの口は動いていない、ただ静かな瞳でこちらを見るばかりだ。

 それなのに、息子の声が――――心が、届く。

 まるで、人と人とが直接繋がっているように。

 ……繋がる?

 

 

「これは、まさか……」

『母さんにとっては俺やナナリーの存在も、自分を飾る装飾品のようなものだったのですね』

「それは、違うわ」

 

 

 違う、と、マリアンヌは思う、違うはずだ。

 事実としてマリアンヌはルルーシュとナナリーのことを自分なりに愛していた、ただ、それが世間一般が抱く「母親像」とズレていただけだ。

 母親だからと自分より子供を優先する気持ちが、ほんの僅かに足りなかっただけだ。

 

 

 そしてその気持ちは、今はダイレクトにルルーシュへと通じる。

 この「世界」においては、思考や思いが相手にすぐに伝わってしまう。

 互いを遮っていた仮面が、失われているためだ。

 ……失われている?

 

 

「違うよ」

 

 

 ラグナレクの接続が完了する前兆かと考えた刹那、マリアンヌの耳に声が届いた。

 今度は肉声だ、顔を上げればそこに青鸞がいた。

 第3のコード、現代に蘇ったクルルギの血統、そして史上初の複数コード保持者。

 マリアンヌ達の計画に、いやマリアンヌの計画に必要不可欠の存在だ。

 

 

「これはラグナレクの接続じゃない……根源の意思だよ」

「根源の、意思?」

 

 

 何を馬鹿なことをと、マリアンヌは思った。

 集合無意識に確たる意思は無い、何故ならそれは人々の無意識の寄せ集めでしか無いのだ。

 ラグナレクの接続で初めて確たる何かになれるそれが意思を持つなど、あり得ない。

 

 

「違うよ」

 

 

 2度、青鸞は否定した。

 前に愛する者の背中を見、隣に兄を置き、背中を魔女の先輩に見守られる中、少女は言った。

 根源と集合無意識は、違う物だと。

 額に、3つ目の輝きを宿しながら。

 

 

「C.C.のコード!?」

『少し違うな、言ってみれば重なっているだけだ……この空間の中でだけ』

「C.C.、貴女……!」

 

 

 頭の中に響く声に視線を動かせば、C.C.の額には変わらずコードがある。

 重なると言う言葉の意味はわからない、が、枢木青鸞と言うコード保持者が次の段階へと進んだのは間違いが無さそうだった。

 人類として、次のステージへ。

 あくまで、人間として。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 ここで一つ、指摘をしておこう。

 マリアンヌ、あるいはV.V.と先帝シャルルは一つだけ解釈を間違っている。

 彼女らは人の意思の集合体を集合無意識と位置付け、そしてその集合無意識こそを神と呼んだ。

 だが、それは少しだけ間違っている。

 

 

 真に神と呼ぶべきなのは、集合無意識の向こう側にいる存在だ。

 数十億の意思と言う膨大な情報の海の向こう側にいる存在、すなわちコード保持者達が「根源」と呼ぶ存在だ。

 まぁ、マリアンヌ達もその存在を知覚し、それを『アーカーシャの剣』によって切り離すことで独立しようとはしていたのだが。

 

 

「……マリアンヌ・ヴィ・ブリタニア。貴女は言った、塵と分かれた人を再び一つにすることで世界から垣根を無くすと。生も死も意味を持たない、新たな世界を創ると」

「……そうよ。バラバラだった皆が一つになるのは、良いことでしょう?」

 

 

 そう、良いことなのだ。

 戦争も差別も無くなる、いや厳密には出来なくなる。

 誰も彼も、どんな差別主義者でも自分だけは大事にする。

 相手も自分になれば、傷つけようとも差別しようとも思わない。

 いや、思えない。

 

 

 それで完成するではないか、平和な世界が。

 死すらも克服した、完全なる世界が。

 どうしてそれを否定するのか、マリアンヌにはわからない。

 

 

『……母さん。母さんは……』

 

 

 ルルーシュは哀しそうな顔で首を横に振った、それは本当に哀しそうな顔だった。

 

 

『母さんはただ、自分が好きなだけだった』

 

 

 マリアンヌが何故シャルルとV.V.の計画に賛同したのか、それは至極単純な理由だった。

 彼女が、自分を愛していたからだ。

 誰よりも何よりも、自分の強さと美しさを愛していた。

 彼女は、究極の自己愛主義者(ナルシスト)だった。

 他人が自分では無い、自分以外の存在がいると言うことが我慢出来ない程に。

 

 

 この世界では、この空間では、それがダイレクトに伝わってしまう。

 3つのコードの共鳴によって形作られたここでは、そう言う場所だ。

 だからルルーシュは哀しかった、この母は、夫への愛に寄り添ったわけですら無かったのだから。

 捨てられた身としては、泣きたいとしか言えない。

 

 

「根源は……神様は、人が、皆が戻ることを望んでいない」

「そんなこと、私には関係ないわ」

「関係あるよ、人間以上に関係のある存在なんていない。だって、神様は……神様は……」

 

 

 そこで、青鸞は言葉を止めて目を閉じた。

 その時、彼女の雰囲気に気付いたのは誰だったろう。

 コードで繋がるC.C.だろうか、常にその姿を視界に入れているルルーシュだろうか、あるいは……。

 

 

「…………」

 

 

 スザクが僅かに目を細めたその時、青鸞は眼を開けた。

 その瞳は、彼女特有の黒瞳では無かった。

 ギアスの紋章、いやコードの紋章を輝かせた瞳だった。

 そしてもはや瞳だけでは無く、肌の上にも赤いラインが輝いている。

 それはまるで、化粧のようにも見えた。

 

 

 ……かつて、古代の昔。

 化粧とは一部の聖職者にのみ許された特権だった、聖職者達は身を彩ることで神に近付こうとしたのだ。

 それはやがて中世において魔女に渡り、今では現代に残る魔術として広く人々の手にあるが、そこには一つの共通点がある。

 化粧には、魔なる者を、神なる者を宿す力があると言うことだ。

 

 

「……貴様……!」

 

 

 本能的に悟ったのだろう、マリアンヌが一歩を下がった。

 その顔には僅かだが怯えが見える、畏怖が見える。

 神への、畏怖が。

 

 

<――――(ヒト)ヨ>

 

 

 神降ろし。

 古代の巫女は祈祷を行うことでその身に神を宿し、人々の神の言葉を伝えたとされる。

 長い時の中でその技術は失われてしまったが、3つのコードによってそれは成された。

 青鸞では無い誰かが、青鸞の身体を使って人に言葉を告げる。

 

 

<――――(ヒト)()テ>

 

 

 次の瞬間、マリアンヌの手に黒剣が出現した。

 影のように這い出たその剣を手に、マリアンヌが一足で跳ぶ。

 それはスザクに勝るとも劣らず、場合によっては超えていただろう。

 閃光、その二つ名に相応しい飛び込みだった。

 

 

 誰も反応できないような速度で行われたそれは、青鸞の眼前で繰り広げられた。

 マリアンヌが憤怒の形相で振り上げた黒剣が、完璧な姿勢で振り下ろされる。

 掣肘線上、身体を真ん中から裂くような軌道で剣が振り下ろされた。

 だがその身に神を宿した青鸞は、それを無感動に見上げているだけだった。

 

 

「青鸞っ!!」

 

 

 誰かが叫んだその瞬間、マリアンヌは目を見開いた。

 甲高い音を立てて、彼女の剣が受け止められてしまったからだ。

 振り下ろした一撃は青鸞の肉体に届いていない、だがマリアンヌが驚いたのはそこでは無い。

 彼女が驚いて動きを止めたのは、他に理由がある。

 

 

「お前……いや、お前達は」

 

 

 C.C.の呟き、珍しく驚きの感情を表情に出している。

 そしてその視線の先には、幽霊の群れがいた。

 けしてふざけているわけでは無い、いや、実体に影響できる幽霊を幽霊と呼ぶべきか。

 

 

(あえて呼ぶのであれば……意思、か)

 

 

 そこまで、とは思わない。

 ただ何となく、「そうか」、と思うだけだ。

 だって、そこにいたのは。

 

 

「……みんな」

 

 

 少しだけ幼い声音で、神降ろしを終えた青鸞が呟く。

 剣を受け止めていたのは、日本軍の軍刀だった。

 だが実体は無い、なのに黒剣を受け止めている。

 意思の力だけで。

 

 

 青鸞の周りには、無数の兵がいた。

 深緑に肩当てのある軍装、旧日本軍の軍服を身に纏った半透明の人の波がそこにあった。

 片瀬がいた、卜部がいた、朝比奈がいた……皆が、いた。

 ラグナレクの接続によって繋がった向こう側から、青鸞が造ったこの異相にやって来た。

 来てくれたのだ、皆が、青鸞に力を貸してくれるために。

 

 

「な、何よ……こいつらは」

「――――ナリタの、皆だ!」

 

 

 マリアンヌの狼狽に、青鸞は叫びで答えた。

 ナリタの皆、ナリタで一緒に戦って、そして戦いの中で死んでいった魂の同胞だ。

 旧……いや、いつだって(ふる)くなど無かった。

 

 

 ――――日本解放戦線――――

 

 

 青鸞にとっての、永遠の家族。

 卜部から軍刀を受け取って、半透明の、意思の力のみで現出する刀を手に青鸞は一歩を前に出た。

 代わりに、マリアンヌが一歩を下がる。

 その目には明らかに畏れがあった、理解できない何かに対する畏れが。

 

 

「マリアンヌ・ヴィ・ブリタニア、こう考えたことは無い?」

 

 

 巫女として根源と、神と、「彼女」と重なった青鸞は言う。

 

 

「神様のことを、「お母さん」だって」

 

 

 人は根源から分かたれた塵だ、そして根源は塵たる人が自らに戻るのを拒否する。

 拒否の結果がコード保持者だ、コード保持者は人と根源に戻さないよう人を導くことを求められる。

 新たな領域へ人を導いてほしいと、根源によって願われるからだ。

 母たる根源が、子たる人の自立を願っているからだ。

 

 

 母が子の独り立ちを願うのは、そんなにおかしいことだろうか?

 

 

 人が死後に根源へ還るのは、母へ甘える子の姿に重なる。

 母の下へ行き、今日何があったのかを必死に伝えようとする子の姿にだ。

 それを受け入れながらも、母は想うものだ。

 いつか独り立ちし、自分の手を離れた立派な姿を見たいと。

 それが、根源の……人類の母たる「彼女」の意思なのだ。

 

 

「……斬るよ」

『……ああ』

 

 

 だから、マリアンヌの計画は認められない。

 コード保持者として、「お母さん」の願いを受けた者として、認めるわけにはいかない。

 今までの人の歩みと成長を否定して、母の胎の中に逃げるような真似を認めることは出来ない。

 だから、斬る。

 

 

『斬ってくれ』

 

 

 そんな青鸞の意思に、ルルーシュは頷きを返した。

 そして駆け出す、青鸞は軍刀を振り上げた。

 日本解放戦線の皆の魂が宿った剣には、無数の兵の叫びと想いが乗っていた。

 それから逃げるように後退しながら、マリアンヌは叫んだ。

 

 

「守りなさい!」

 

 

 マリアンヌの言葉に、ギアスの戦士達が動く。

 

 

「ルルーシュ!」

「――――ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが命じる……!」

 

 

 しかし2人をスザクが蹴り飛ばして倒し、残りの2人はルルーシュがギアスで止めた。

 C.C.は、ただ見ていた。

 静かに傍観するC.C.の目の前で、結果だけが残る。

 

 

「ボクには、ナリタの皆がいる……!」

 

 

 青鸞が、軍刀を振り下ろす。

 

 

「貴女には、どうして誰もいないの……!」

 

 

 受け止めるマリアンヌ、だが彼女の傍には誰もいなかった。

 共に世界をと望んだ夫、シャルルでさえも彼女の傍には現れなかった。

 この世界においては、自分に近しい誰もが現れることを許されるのに。

 

 

 ほんの僅か、ほんの少しだけでもマリアンヌが自分以外を愛していれば、こうはならなかった。

 その少しの違いが、女と少女の間を分けた。

 マリアンヌの黒剣が、青鸞の軍刀によって砕かれる。

 

 

「こ、の……神の狗がああああああああああああああああああぁぁぁぁぁっっ!!??」

 

 

 断末魔の声は、思った以上に醜い物だった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 マリアンヌの消失、その事実に僅かの時間を止めたルルーシュは、しかし次の瞬間には再起動した。

 何故ならマリアンヌが消えると同時に、2人の少女が戒めから解放されたからだ。

 ナナリーとアーニャ、マリアンヌの憑依を受けていた者達。

 今にして思えば、あの鎖こそがマリアンヌのギアスの正体だったのかもしれない。

 

 

「ナナリー……!」

 

 

 駆け寄り、その小さな身体を抱き上げる。

 触れる熱は高くて、それが逆にルルーシュに涙を流させた。

 妹の身体が温かい、ただそれだけのこと。

 だがそれだけのことが、ルルーシュにとっては重要だった。

 

 

 それを視界に収めながら、青鸞はアーニャの下へと向かった。

 C.C.は動かない、マリアンヌの消えた虚空へと視線を向けているばかりだ。

 だからと言うわけでは無いが、青鸞はアーニャの傍に膝をついた。

 彼女自身、神降ろしの疲労がかなりあるのだが……これもコードの回復力だろうか。

 

 

「アーニャ……アーニャ?」

「……ん……」

 

 

 ぺちぺちと頬を叩けば、幾許もしない内にアーニャは目を覚ました。

 流石にどこかぼんやりとしている様子だったが、それでもすぐに青鸞の方へ視線を向けて。

 

 

「……セイラン?」

 

 

 手を伸ばし。

 

 

「……ッ! 違う……?」

「……ううん、同じだよ」

 

 

 触れ合った瞬間、繋がった。

 ラグナレクの接続が続いている今、人は仮面を突き破って他人と繋がることは出来る。

 そしてセイランも青鸞も今や同じ人物だ、コードの中に溶けてしまっている。

 記録の一つとして。

 

 

 そして繋がった以上、互いの全てが相手に曝け出される。

 例えばアーニャは、青鸞が人でありながら人の理から外れたことを知った。

 例えば青鸞は、アーニャの記憶の欠落の原因が皇帝にあると確信した。

 少女達は今、互いに互いを識ったのだ。

 

 

「あ……」

 

 

 そして青鸞がアーニャと言葉を交わす前に、アーニャの身体が宙に浮いた。

 スザクだ、彼がアーニャの身を抱き上げていた。

 そのまま青鸞に背中を向けて、祭壇を去ろうとする。

 

 

「あ、アーニャ! あの……」

 

 

 スザクの腕の中から顔を覗かせるアーニャに、青鸞は言葉を投げた。

 

 

「と……友達! 嘘じゃない、から」

 

 

 友であったこと、そこに嘘は無かった。

 ロロに対して抱いていた感情と一緒だ、本気で抱いた感情だ。

 だから青鸞は言葉を投げた、そして受けたアーニャは。

 

 

「…………」

 

 

 ふいっ、と視線から青鸞から外した。

 代わりに、スザクの背に当てていた片手をヒラヒラと振った。

 

 

「……不器用」

「…………かも、しれない」

 

 

 自分に向けられたか定かでは無い言葉に、しかじスザクは頷いた。

 何故なら今のアーニャには、スザクの内面の全てが見えているだろうから。

 そしてそれは、彼の妹にとっても同じことのはずだ。

 

 

「……お兄様……」

 

 

 そして妹と言えば、ナナリーも意識を取り戻した。

 身体の中にマリアンヌを入れるために父に攫われ、無理矢理に瞳を開かされた少女は、その視界に8年ぶりに兄の顔を映していた。

 8年前、いや生まれてから今まで、誰よりも愛しいと感じていた兄の顔だ。

 だがナナリーの瞳には、大粒の涙が溢れていた。

 

 

「……騙していたんですね……嘘を吐いていたんですね……私に、私にも……」

 

 

 ダイレクトに、繋がる。

 兄ルルーシュが今までしてきたことを、ナナリーは全て理解した。

 そしてその行動の大部分、全てとは言わないまでも大部分の理由に、自分がいる。

 その事実に、ナナリーは涙を流した。

 

 

 あまりにも救いが無さ過ぎる、そこまでして、そんな自分を傷つけるような真似をしてなお自分を愛してくれている兄。

 そして兄のもう一つの理由である母、加えて父、2人がしたこと……あまりにも救いが無い。

 ルルーシュにとっても、ナナリーにとっても。

 救いが無い、その事実にナナリーは涙を流した。

 

 

「……ナナリー、俺は」

「許さない」

 

 

 それは。

 それはかつて、どこかの妹がどこかの兄に告げた言葉でもあった。

 

 

「……許さない、ゆるさない……」

 

 

 けれどその妹は、ナナリーのように兄にしがみついたりはしなかった。

 けれどその兄は、ルルーシュのように妹を抱き締めたりはしなかった。

 だから。

 

 

「私は、貴方を、許さない……!」

 

 

 だから、光の中に崩壊を始める祭壇の中で。

 青鸞は、眩しそうにその兄妹を見つめていたのだった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 一方で、現実でも変化が生じていた。

 皇帝のナイトギガフォートレスの撃墜と新帝ナナリーの登場以降、戦闘は小康状態にあったが……今は完全に停止してしまっていた。

 今では、もはや砲弾の一発も放たれていない。

 

 

 一つには、帝国宰相シュナイゼルの停戦発議があるのだろう。

 一つには、反ブリタニア勢力の戦闘継続が困難に陥ったことがあるのだろう。

 しかし単純に、彼らは思い出したのだ。

 

 

「何だ、この光……」

「わからない、だけど……」

「ああ……だけど」

 

 

 戦場に広がる薄い赤の光の中で、思い出したのだ。

 

 

「何だか、懐かしい気がする……」

 

 

 ラグナレクの接続、その一端の効果が現実に及んだために。

 それは人々を完全な意味で「一つ」にすることは出来なかったが、しかし、それでも効果は及んだ。

 おかげで彼らは思い出せた、兵士達は思い出した。

 そもそも一部の例外――ルキアーノなど――を除いて、喜び勇んで敵を殺したがる人間などいない。

 まともな精神を持っているのなら、人殺しを生業とするなど狂気の沙汰だと思うはずなのだ。

 

 

 だから思い出した、自分達が敵と憎み殺し合う相手が自分と同じ人間だと言うことに。

 気付いてしまえば、本当に簡単なことなのだ。

 今、自分が撃とうとしている相手にも家族がいて、恋人がいて、友人がいて、そして正義があるということを思い出すのは。

 相手が自分と同じなのだと気付いてなお引き金を引く指を、人間と言う種は持っていない。

 ……それくらいの救いは、信じても良いだろう?

 

 

『大丈夫か? 俺達が母艦まで運んでやる』

『しっかりしろ、コックピットは無事だ』

 

 

 動けなくなったブリタニアのナイトメアを、ブリタニアの母艦まで運搬する日本機がいる。

 コックピットの上で波に揺られる中華連邦のパイロットに、ブリタニアの兵士が手を差し伸べる。

 戦前にはあり得なかった光景が、各所で起こっていた。

 人種に関係なく、負傷者を助けようと動いていた。

 

 

 先程まで戦争をして殺し合っていた関係で、どんな偽善だと思うかもしれない。

 それでも、これは奇跡だった。

 歴史上初めての、奇跡だった。

 ほんの一瞬だが、しかし彼らは同じだった。

 この瞬間、確かに彼らは、一つになっていたのだ。

 

 

「…………」

 

 

 そしてその様子を、ビスマルクはギャラハッドのコックピットから見下ろしていた。

 もはや戦闘の継続は不可能、それがわからない彼では無い。

 シャルルとマリアンヌがまだ存在していれば、彼1人でも戦おうとしていたかもしれない。

 しかしそれももはや無い、戦う理由を失った騎士は状況を見守るだけだ。

 

 

『……何なんでしょうかねぇ、このふざけた状況は……』

「む、ルキアーノか。お前……」

 

 

 無事だったか、と言う言葉をビスマルクは告げなかった。

 何故ならギャラハッドの近くに寄って来たのはパーシヴァルでは無く、副官機のモリガンだったからだ。

 片腕を失いボロボロのモリガンの腕に、パーシヴァルのコックピットが抱かれている。

 これを見て無事と言えるのは、よほどの馬鹿くらいなものだろう。

 

 

『まぁ、随分殺しましたし? また次の戦場に期待するとしますよ』

「次、か」

 

 

 はたして次などあるのだろうか、眼下の様子を見守るビスマルクはそんなことを思った。

 視線を向ければ、彼の母艦であるグレート・ブリタニアはすでに着水していた。

 しかしグレート・ブリタニアの艦体をモニターした彼は、ふと隻眼を歪めた。

 怪訝そうに歪められたそれには、グレート・ブリタニアの艦体が不自然に桜色に輝いているように見えていた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞達が現実へと戻ってきたのは、そう言うタイミングだった。

 戻ってみれば戦争は終息に向かっていて、することが無い。

 そんな、タイミングだった。

 

 

「えっと、皆は……」

 

 

 意識を完全に現実に戻すために頭を降りながら、友軍の識別信号を探す。

 その中にスザクに撃墜された護衛小隊の面々の信号も見つけて、とりあえずほっとする。

 ただ、その何百倍もの被害が出ていることもわかったわけだが。

 だが異常な近さに敵を得ている友軍もいて、それが救助のためだと理解した時、青鸞は自身の身から力を抜いた。

 

 

 ……これで、おしまい、か。

 そんな考えを得て、青鸞は吐息した。

 もちろんこれで何もかもが上手く行くとは思わない、そんなに世界は簡単では無い。

 誰かを悪者にして終われるようなら、そもそも戦争なんて起きないのだから。

 しかしとにかく、ここでの戦争は終わりに向けて……。

 

 

『ずぁ~んね~んでぇしたぁ~♪』

「ロイドさんっ!?」

 

 

 驚きの声は上げたのはスザクだ、緊急回線で声と映像を流した存在がいたからだ。

 ランスロット・アルビオンの開発者、ロイドである。

 おそらくはアヴァロンから回線を繋げているのだろうが、何も通信機を抱くようにして顔を大映しにする必要は無いだろうにと思う。

 

 

『あは☆ ここで皆様にずぁんねぇんなお知らせが……あ、あれ? セシル君? ちょ、何……あばっ!?』

 

 

 最後に何かが起きた際、スザクが画面から慎ましく目を逸らしたのは言うまでも無い。

 ちなみにアーニャはここにはいない、おそらくはナナリーと共にペンドラゴンの黄昏の間に出ているはずだ。

 ナナリー護衛の任務は忘れていないと言っていたし、それでなくともペンドラゴンの人々は皇帝のギアスでナナリーに従う、ナナリーのことは心配いらないだろう……とりあえず、今は。

 

 

『……失礼致しました。以後は代わって私、セシル・クルーミーが説明させて頂きます』

 

 

 取り繕ったような笑顔でそう言ったセシルは、しかし次の瞬間には表情を引き締めた。

 実際、彼女が語った事態は非常に危険かつ緊急性の高い物だった。

 すなわち、海上に墜ちたグレート・ブリタニアに積まれているサクラダイト燃料の暴走である。

 

 

「暴走だと……!?」

『グレート・ブリタニアは我がブリタニア軍が建造した最大の航空戦艦、その搭載燃料はサクラダイト……これまでの使用分を差し引いても、およそ300万ガロンはあります』

 

 

 それが不完全な形で破砕された艦体の中で暴走し、膨張している。

 300万ガロン……重さに換算すれば、1万トン以上だ。

 この量のサクラダイトが逃げ場無く熱を与え続けられればどうなるか、想像したくも無い。

 しかしそれは、現実に起こっていることなのだ。

 

 

 周囲十数キロが吹き飛ぶくらいならまだ良い、問題は二次被害だ。

 具体的に言えば、津波である。

 爆発の衝撃で海が揺れ、それによって引き起こされた波が陸地へと到達するのだ。

 この位置から行けば、エリア11……日本が危ない。

 

 

「止める方法は無いんですか?」

 

 

 スザクはセシルにそう聞いた、と言うより、彼には確信があった。

 ロイドの通信はシュナイゼルの許可を得て行われている物のはずだ、そしてあのシュナイゼルが無駄なことをするはずが無い。

 そして、再び……何故かズタボロのロイドが画面に顔を出した。

 

 

『そこで黒の騎士団に提案があるんだけどぉ。アレ、使えるかなぁ?』

「あれ……?」

『ゲフィオンディスターバーなら使えないよ』

『あはっ☆』

 

 

 ルルーシュが首を傾げた矢先、通信に割り込んできたラクシャータが答えた。

 どうもかなり不機嫌そうなのだが、その理由はわからない。

 ロイドが口調は変えず、しかし笑顔を消した理由と何か重なるのだろうか。

 

 

『ゲフィオンディスターバー。確かにアレをあの船に着ければ、サクラダイトの活動を抑えて爆発の規模を小さく出来るだろうね』

 

 

 ゲフィオンディスターバー、現在では黒の騎士団だけが持つ兵器だ。

 サクラダイトの活動を阻害し、それを活動源とする機器を停止状態に追い込むことが出来る。

 ただこれをグレート・ブリタニアに使うとなると、ややハードルが高い。

 

 

 まず艦に機材を積み込み、電源を確保し、人員を配置し、環境プログラムを入力し……と、複雑な作業工程を経る必要がある。

 正直1日2日は欲しい作業だ、1時間や2時間、ましてや10分や20分では終わらない。

 精密機械とは、「使いたい」と言われて「すぐに」と出せるものでは無いのだ。

 

 

『と言うわけで、無理だよ。大体今は、こっちだって何かと立て込んでるんだし……』

『そっかぁ……じゃあ、もうダメだねぇっ、あはは~』

『軽い!? ロイドさん、もうちょっと真剣に……!』

 

 

 画面の中で科学者達が騒がしい、が、打つ手が無いのは確かだった。

 すぐに使用できて、しかも小回りの効くゲフィオンディスターバーなどと言う都合の良い物が……。

 

 

「……あるよ」

 

 

 ……あった。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 青鸞の愛機である月姫(カグヤ)は、世界で唯一ゲフィオンディスターバーを標準装備したナイトメアである。

 無骨な追加装甲の下に隠されたそれは月姫の切り札であり、エナジー残量に依存する部分はあるが、強化された分広範囲に効果を及ぼすことが出来る。

 

 

『ブリタニア軍、反ら……じゃない、同盟軍! 双方共に現海域から離脱してください!!』

『早く逃げないと、2000万プロトンの爆発に巻き込まれるよ!』

 

 

 アヴァロンと斑鳩、2隻の航空戦艦からセシルとラクシャータの声が響いているのが聞こえる。

 青鸞の眼下ではその声に応じてか、メタンハイドレートの残滓が残る海上を同盟軍艦艇が懸命に進んでいる姿が見えた。

 回収できる負傷者を敵味方を問わずに回収しているのは、喜ぶべきことのようにも思う。

 

 

「さて、と……」

 

 

 操縦桿を握り、青鸞が息を吐く。

 これから彼女はブリタニア側から提供されたデータを基に海上に墜ちたグレート・ブリタニアの中に突入し、機関ルームへ直行、ゲフィオンディスターバーの発動によってサクラダイトの活動を停止させる。

 作戦は単純だ、いくつかの問題をクリアさえすれば何の問題も無い。

 

 

『ブレイズルミナスか……』

 

 

 グレート・ブリタニア上空、隣の蜃気楼からルルーシュの憎々しげな声が聞こえた。

 確かにグレート・ブリタニアの周囲は未だに薄緑の障壁に覆われている、どうやらシステムが中途半端に生きているらしい。

 そのおかげで艦内への浸水が阻まれて浮いていてくれるのだから、痛し痒しの面はある。

 

 

 しかし、今はとにかくブレイズルミナスの壁を超えて中に入らなければならない。

 今の蜃気楼と月姫ではあの壁は抜けない、さてどうしたものかと思案していた時だ。

 2機の横を、太いビームが抜けていった。

 そのビームの色は知っている、青鸞は後方を振り向いた。

 

 

『…………』

 

 

 そこに、ランスロットがいた。

 フルバーストモードのヴァリスを構えた白騎士が、こちらを見下ろしている。

 デュアルアイの向こう側に兄の瞳を見た気がして、青鸞は息を詰めた。

 

 

 あの時、あの世界で、青鸞はスザクとも繋がりを持っていた。

 だから今はもう、スザクがああした理由を知っている。

 知っているが、それでも許すつもりは無かった。

 許さないことが、救いになると知っているから。

 

 

『青鸞!』

 

 

 代わりに、ルルーシュの声に応えて、行った。

 蜃気楼が絶対守護領域を円形に張り巡らせて、ランスロットが開けた穴が塞がるのを防いでいた。

 そこへ、青鸞は飛び込む。

 

 

『今だ、飛び込め……!』

 

 

 飛び込んだ。

 濃紺のナイトメアがブレイズルミナスの壁を越え、グレート・ブリタニアの内部へ入るのを確認し、ルルーシュは息を吐いた。

 だがすぐに表情を引き締め、絶対守護領域の維持に神経を集中することにした。

 

 

 サクラダイトの活動が停止すればブレイズルミナスも止まるはずだが、予備電源でもあれば面倒だ。

 だからなるべき維持したいのだが、蜃気楼のエナジーも心もとない。

 はたしてどこまで月姫の出口を確保できるか、ルルーシュの頬に一筋の汗が流れた。

 しかしその心配は、杞憂に終わることになる。

 

 

『悪いが……』

 

 

 月姫の直後にもう1機、蜃気楼の脇を擦り抜けた機体がいた。

 濃紺のカラーリングに大剣、コックピットから響く声は凜として透き通っている。

 

 

『私は、そんな悠長に構えるのは苦手でな』

 

 

 ルルーシュは苦笑した、姉の……ブレイズルミナスの発生装置を片っ端から破壊するコーネリアの姿にだ。

 そして、蜃気楼の解析システムがグレート・ブリタニアが発する熱量が減少し始めたことを感知したことに気付いた。

 青鸞がやってくれたのか、ルルーシュは安堵して顔を上げた。

 

 

「青鸞、良くやった」

 

 

 だからルルーシュは通信でそう呼びかけたのだが、返答が無かった。

 理由がわからず、ルルーシュが片眉を上げる。

 その間にもサクラダイトの反応値は下がり続けているが、それに応じて嫌な予感が拡大していった。

 

 

『青鸞?』

 

 

 そして当然、彼の声はちゃんと青鸞に届いていた。

 通信機の不具合でも電波状況が悪いわけでも無い、青鸞の下にまでルルーシュの声は届いている。

 ただ、青鸞が返事を返していないだけだ。

 

 

 機関ルームまでの道のりは、それほど難しい物では無かった。

 皇帝が開けた穴から侵入し、海水を避けつつ飛翔して侵入、ナイトメアサイズの通路が無い場所は力尽くで開け……それでも極めて短時間で、サクラダイトに熱を送り続ける機関ルームに到達した。

 この際、脚部やら何やらを失って機体が小さくなっていたことは幸いだった。

 もちろん、追加装甲についても同じだ。

 

 

『どうした青鸞、何かトラブルか? 返事を』

「……ゴメンね」

 

 

 そっと通信を切って、青鸞はルルーシュに謝った。

 謝る理由は、彼女がある気付きをルルーシュに教えなかったことだ。

 ナナリーの件で一定の安堵を得たためかどうかはわからないが、今回、彼は一つだけ詰めを誤った。

 それは、ここに青鸞を1人で行かせたことだ。

 

 

 青鸞はここに来て気付いたのだ、サクラダイトの熱暴走を止めるだけでは問題が解決しないことを。

 問題はサクラダイトの活動を停止し続けることで、それには月姫のエナジー残量では無理なのだ。

 今は胸部装甲に仕込まれたゲフィオンディスターバーの輝きがそれを抑えているが、いつまでもは続かない。

 必要なのは破壊だ、機関ルームを完全に破壊する火力だ。

 

 

「……月姫にはもう、武装は無いよね……」

 

 

 これまでの戦いで、月姫の武装は尽きてしまっている。

 あるものは一つだけだ、その事実に青鸞は笑みを浮かべた。

 良かった、と安堵する。

 右手でコマンドを打ち込みながら、心の底から安堵の表情を浮かべた。

 

 

 ――――自分が死なない身体で、本当に良かった。

 

 

 そんなことを思って、青鸞はあるシステムを起動させた。

 メインモニターにカウントダウンを表示させたそれは、月姫に積まれた最後の武装だ。

 すなわち、自爆装置である。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 僅かに時間を遡る。

 

 

「ちょっ……草壁中佐、無茶ですよ!」

「ええい、五月蝿い! この程度の傷、何とも無いわっ!!」

 

 

 中華連邦艦隊旗艦、大竜胆。

 ブリタニア軍との戦闘はすでに止まっているため、今は負傷者を収容する巨大病院船と化している。

 だがその中にあって、医療班の下士官の言うことをまるで聞かない男が1人いた。

 言うまでも無く、草壁中佐その人である。

 

 

 彼は上半身裸だった、だが肌の6割近くは包帯で覆われている。

 義手の付け根に巻かれた包帯にも血が滲んでいる所を見ると、どうやらかなり無茶をしたらしい。

 そして彼がいるのは医務室では無く、ナイトメアの格納庫だった。

 最もすでに敵の攻撃を受けて天井や正面の壁が崩れ落ち、半分廃墟のようになっている。

 しかしだからこそ、草壁と医療班の下士官を除く兵はすでに避難しているのだが。

 

 

「その怪我でナイトメアを動かすのは無理ですって! いやそれどころか、輸送機で移動するだけでも傷口が開いて危険です!」

「構わん! わしの身体のことなぞどうでも良い! 今はコイツが必要なのだ!」

 

 

 草壁の視線の先には、1機のナイトメアがあった。

 それは固定翼機とヘリの機能を併せ持つ可変型の垂直離着陸機に連結されていて、見るからに輸送を待っているように見えた。

 操縦自体は自動で行われる無人機のため、離陸の指示をナイトメアのコックピットから出すだけで飛べる航空機だ。

 

 

「ええい、貴様では話にならん! さっさとコイツであの小娘を……む!?」

 

 

 下士官の肩を掴んでどかそうとした所で、草壁は目を見開いた。

 何故なら独特の空気音が響き始め、輸送機が離陸を始めたからだ。

 両翼の上向いたプロペラが崩れた天井などに当たらないよう注意しながら飛ぶそれは、もちろん草壁が飛ばしているわけでは無い。

 

 

「なっ……誰だ!? 勝手に、止まれ! 止まらんか! これは命令だ!!」

「草壁中佐! 危険です、下がってください!」

「止まらんか、貴様ぁ――――ッ!」

 

 

 だが草壁の言葉など意にも介さず、輸送機は離陸していった。

 その懐にナイトメアを抱えたまま、ゆっくりと、しかし確実に。

 

 

「……草壁、私はあまりお前のことは好きでは無かった。が、それでもお前はアイツの心の拠り所にはなっていた……お前は、優しいな」

 

 

 そして輸送機に離陸を命じた主は、ナイトメアのコックピットの中にいた。

 額に赤い紋章を輝かせるその少女は、緑の髪を汗で頬を貼り付かせていた。

 どこか、疲れ切っているようにも見えた。

 

 

「まったく、現出地点の変更(しゅんかんいどう)は今の私でも辛いと言うのに……」

 

 

 だが苦笑を口元に浮かべて、彼女は操縦桿を前に倒した。

 目指すその先、沈み行く海上の艦へと向けて。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 不可解なことが起きた。

 青鸞はそう思った、今、彼女の頬には熱を孕んだ風が触れていた。

 外気だ、つまり青鸞はコックピットの外に出ているのである。

 

 

「え……?」

 

 

 ぽかん、とした表情を浮かべるのも無理は無い。

 彼女は月姫の自爆装置を起動させた、メインモニターには爆発までのカウントダウンが映し出されている。

 だが周囲は外だ、自爆装置の起動と同時にコックピットが開いたためだ。

 

 

 月姫は自爆装置の起動をシステムとして確認した後、コックピットを開いた。

 そして自ら膝をつき、青鸞が降りやすいようにと身を傾けた。

 全て自動で行われたことで、中にいた青鸞としては驚くしか無い。

 月姫にこんなプログラムがされていたなんて、知らなかったから。

 

 

「……ボクに……」

 

 

 この時脳裏に浮かんだのは、1人の少女だった。

 艶やかな黒髪に和装、穏やかさと悪戯っぽさを同居させた幼馴染。

 キョウトの姫。

 

 

「ボクに……ボクに逃げろって言うの? 月姫(カグヤ)……」

 

 

 神楽耶(カグヤ)

 己の名を関した機体を自分に与えた少女は、どんな想いでこのナイトメアを造らせたのだろう。

 分厚い追加装甲で覆い、何本もの刀を積み、ゲフィオンディスターバーを隠し、そして自爆装置の起動に際しての逃亡補助機能。

 その全ては、パイロットである少女を守るための物だ。

 

 

 しかし、それも意味が無いと青鸞は沈んだ。

 何故なら彼女の周囲には1万トンのサクラダイト、熱暴走こそ抑制したが、月姫の自爆と同時に大爆発を起こすだろう。

 想定よりも極めて小規模とは言え、正直、徒歩で逃げるのは無理だ。

 だから青鸞は、その場から動かなかった。

 

 

「はは……まぁ、大丈夫だよね。ボクは不死身だし……」

 

 

 ぶるっ、と身が震えるのは武者震いだと思うことにする。

 痛くないし怖くない、青鸞はそう思って息を吐いた。

 実際、他にどうしようも無いのだ。

 だから青鸞は潔く諦めて、その瞬間を待つことにした。

 せめて、他に犠牲が出ないことを祈りながら……。

 

 

『――――違うな、間違っているぞ――――』

 

 

 え? と顔を上げた次の瞬間だ。

 月姫が開けた侵入口とはちょうど反対側、機関ルームの壁が吹き飛ばされた。

 爆発が始まったのかと思ったが、違った。

 爆風から顔を守るように上げた腕、それを下ろした時、青鸞は目を見開いた。

 

 

 そこに現れたのは、1機のナイトメアだ。

 カラーリングは濃緑ではなく黒に近い濃紺で、頭部にある飾り角は一本、左肩に小さな日章旗のペイント、されに両腕のナックルガードは肘部分まで覆い盾のようにも見える。

 その機体のことを、青鸞は良く知っていた。

 おそらくは誰よりも知っていた、だってその機体は……。

 

 

「――――来い! この大馬鹿が!」

 

 

 コックピットが開いて中から1人の少女が出てきた、緑の髪の魔女C.C.だ。

 彼女は月姫の隣まで機体を走らせると、青鸞へと手を伸ばした。

 飛翔滑走翼の無いそのナイトメアは明らかに世代遅れの機体だが、ここから逃げる分には十分なようにも見えた。

 いや、十分だ。

 

 

「……無頼(ぶらい)……!」

 

 

 泣きそうですらある声で、青鸞はその機体の名を呼んだ。

 無頼、青鸞専用機。

 かつて日本の抵抗の象徴としてナリタの戦場を駆けたナイトメアが今、再び戦場に姿を現した。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 コックピットの狭さ、小さなモニター、固い座席、乱雑な機器の配列、小さな操縦桿。

 その全てに懐かしさを感じながら、青鸞は無頼のコックピットの中に身を沈めた。

 ただし1人では無い、身を折るようにしたC.C.がいる、彼女は青鸞の膝の上に尻を乗せながら。

 

 

「急げ! 死ぬぞ!」

「わかってる!」

 

 

 まったく度し難い、青鸞は己に対して呆れにも似た感情を覚えていた。

 先程まで「さぁ死ぬか」と思っていたのに、助かるかもしれないと思った瞬間、それに縋って生き残ろうとする。

 本当に度し難い、が。

 

 

「私達は不死身かもしれんが、痛い物は痛いんだぞ……!」

「……だね!」

 

 

 痛いのは嫌だ、その感情に素直になるのは良いことだとも思う。

 そして青鸞は操縦桿を前に倒した、次の瞬間、無頼のランドスピナーが床を削りながら回転を始める。

 次いでやってくるGの感触は、妙な懐かしさを孕んでいた。

 それから、青鸞は後ろを見た。

 

 

 無頼には後方を見るためのモニターは無い、だから直接見ることは出来ない。

 だがそこには膝をついたままの月姫がいるはずで、青鸞はその姿を脳裏に描くことが出来た。

 お礼を言いたい心地になった、が、それを言葉にすることは出来なかった。

 C.C.が青鸞の胸を叩いて先を促したからで、そこからは一切振り向かなかった。

 ただ前へ、迷わず前へ。

 

 

「急げ!」

「うん!」

 

 

 月姫で開けた道を、無頼で駆け戻る。

 空を飛べないので不便はあるが、それでも慣れ親しんだ感触があった。

 通路にランドスピナーの痕をつけながら駆けるその姿は、自信に満ちているように見えた。

 その時、揺れと共に足場が傾いた。

 

 

「何!?」

「……沈み始めてるんだ!」

 

 

 青鸞の疑問にC.C.が応じる、C.C.は座席を片手で掴むようにしながら計器を操作した。

 狭いコックピットの中で互いに身動きが取れない中、側面モニターに艦の様子が映し出される。

 そこからは艦底で浸水が始まり、徐々に艦体が傾いている様子がわかった。

 沈没、そしてさらに危機が迫る。

 

 

 爆発だ。

 今度は青鸞にもわかった、機関ルームで月姫が自爆した衝撃だ。

 月姫が光の中に消える姿を幻視して、青鸞は操縦桿を前に……つまり、傾き始めた艦体を昇るような機動を取ったのだ。

 背後からオレンジの爆発が通路を押しのけるように走る、それから逃げるのだ。

 

 

「急げ急げ急げ、急げ!」

「わかってる!」

「急げ急げ急げ急げ急げ急げ急げ……急げ!」

「わかってる! 喋らないで集中できないでしょ!?」

「ああ悪かったよ! だから急げ!」

 

 

 言われなくとも、と青鸞は無頼を加速させた。

 オレンジの爆発が桜色の爆発に変わり始めたら危険信号だ、だからそうなる前に外に出なければ。

 

 

 直後、正面で桜色の爆煙の柱が走った。

 

 

 煙でなく炎だったらヤバかった、その煙を擦り抜けて前へ、上へと進む無頼。

 しかしコックピットの中では、2人の少女が真顔になっていた。

 次の瞬間、2人は表情を引き攣らせて。

 

 

「急げぇ――――っ!!」

「うわああああああああああああああああああああああぁぁぁっっ!?」

 

 

 もはや理性的な会話など出てこない、ひたすらに無頼を走らせるだけだ。

 落ちて来る天井や壁の破片を回避し、ランドスピナーで駆けられない所はスラッシュハーケンで登攀し、左右の回転数を微調整しながら幅の狭まった通路を駆け抜ける。

 どこか懐かしさすら覚えてしまうのは、何故だろうか。

 

 

 だがそもそもの距離は大したことが無い、それがせめてもの救いと思っていた。

 しかし、最後の最後まで神は試練を与える物らしい。

 側面、今度は通路だけでなく、通路ごと全ての壁が爆発と共に吹き飛んで来たのだ。

 オレンジと桜色が交じり合うその爆発色は、そしてほとんど垂直に近くなってきた艦体は、もはや時間が無いことを示している。

 

 

(やり過ごす時間は無い……!)

 

 

 止まれば死ぬ、後退なんてもっての他、ならば。

 

 

「行け!」

「……ッ、あああああああああああああぁぁぁっっ!!!!」

 

 

 行くしかない。

 降り注ぐ巨大な鉄の破片、機体を押し流そうとする爆発の奔流、警告音がやかましく耳朶を打つ。

 その中へ、青鸞は機体を突っ込ませた。

 

 

 床が崩れる、スラッシュハーケンを壁に刺して支えとし、爆風を利用して機体を半円に振るように前に進んだ。

 スラッシュハーケンを刺した壁が崩れて支えの機能を失えば、今度は壁に着地するように壁走りのような形で駆ける。

 だが遠心力は切れない、そのため一時的に天井を駆けるという意味のわからない状態になった。

 

 

「「――――――――ッ!!」」

 

 

 もはや何と叫んでいるのかわからない、だが最後に青鸞の無頼はある動きを見せた。

 右のランドスピナーが前に、左のランドスピナーが後ろへと進む。

 モニターに映る風景が横滑りになるその機動を、人は超信地旋回と呼ぶ。

 無頼には出来ないとされたこの機動、これが出来たことで青鸞は戦場へ出ることを許されたのだ。

 

 

 青鸞が覚えた、初めての高等技術(テクニック)

 機体を前に進ませながらターンさせ、降り注ぐ鉄塊と炎と煙を避けながら前へ出た。

 そしてその先に見える外の光、そこに誰かが待っているような気がして。

 だから、それを掴むように手を伸ばし――――。

 

 

 ――――グレート・ブリタニアが、桜色の爆発に飲み込まれた。

 

 

  ◆  ◆  ◆

 

 

 その日、戦場……戦場だった場所に、夕暮れと同時に桜色の光が生まれた。

 爆風は暴風となって海を駆け抜けた後、逆に収縮するように中心へと渦を巻いて引き込まれた。

 前後に同時に揺れる海水は混乱したように飛沫を上げ、光が消えた痕には一瞬だが、海面を繰り抜いたかのようなお椀型のへこみが姿を現した。

 

 

 そして、雨が降る。

 サクラダイトと巨大艦の爆発で巻き上げられた大量の海水が、雨となって降り注いだのだ。

 晴れた夕暮れに降る雨、それは戦場を洗い流す鎮魂歌(レクイエム)のようにも見えた。

 そしてそれを、多くの人間が目撃したのだ。

 

 

 航空戦艦アヴァロンの艦橋から穏やかにそれを見る皇子、傍で苦笑する側近やほっと胸を撫で下ろしている科学者達、自分のナイトメアの中にいるパイロット達、射出されたコックピットの上で波に揺られるラウンズや騎士の面々。

 

 

 海上戦艦の岸に立つ中華連邦の司令官、海に墜ちた航空戦艦からの脱出艇の反体制派のメンバー、ブリタニア軍のゴムボートに拾われ、海域から離れる護衛小隊の者達。

 彼らは皆、一つの方向を向いていた。

 その方向には爆心地がある、そこにいただろう者の姿を彼らは探していた。

 

 

 だが、誰も現れなかった。

 いくら待っても、そこから誰も現れはしなかった。

 誰も……誰も。

 ――――誰も。

 




採用兵器:
RYUZENさま(ハーメルン)提案:自爆スイッチ(装置)。
ありがとうございます。


 最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
 今話をもって「抵抗のセイラン」のR2編、つまり本編は終了となります。
 でも、まだ終わりではありません。
 すでにお気づきかと思いますが、少なくとも大きな問題が1つ残っています。
 ですので、もう少しだけお付き合いくださいませ。

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