――――皇暦2019年・冬。
太平洋上の戦いからすでに数ヶ月が経過し、世界は平穏を取り戻しかけていた。
そしてこの時、世界で最も平穏な場所はどこかと問われれば、誰もがこう答えただろう。
それは極東、神聖ブリタニア帝国領エリア11・トーキョーだと。
『エリア11代理総督、ユーフェミア様のお姿が見えました』
良く晴れた、雪も降らない温かな気候のその日、多くの人々がその地に集まっていた。
何万人と集まっているだろう人々は人種の差別無く並び、赤いロープの仕切りの中でブリタニア人も日本人も無く歓声を上げている。
その視線の先にあるのは、地面の上に敷かれた赤絨毯の上を歩く1人の女性に向けられている。
ヘリコプターのニュースキャスターが言った通り、エリア11代理総督ユーフェミアだ。
姓を呼ばないのは、彼女がもはやブリタニア皇族の地位を失っているためだ。
だが少女の顔には優しい笑顔があり、赤絨毯の両側から自分を呼ぶ人々にゆっくりと手を振っている。
ウエディングドレスを思わせる純白のドレスは、ユーフェミアが歩く度にスカートを揺らし、太陽の光を反射して煌いていた。
『我々ブリタニア人とイレヴ……失礼致しました。ブリタニア人と日本人の哀しい擦れ違いから起こったナリタ殲滅戦から2年以上が経ち、今日、ようやくナリタ戦没者記念碑の落成式を迎えることが出来ました』
そう、ユーフェミアを含む人々は今日、あのナリタの戦いで命を落とした人々の追悼のために集まっていたのだ。
その中にはナリタで父を失い、母と2人で式典会場に来たシャーリーと言う少女もいるのだが……これは、また別の物語である。
ナリタで死んだ多くの人間の遺族、その内の1つの側面だ。
ナリタ連山、かつてそう呼ばれていた場所の麓にそれは建立された。
さらに言えばブリタニア軍の本陣が置かれていた場所でもあり、周辺の山や森の中には未だに当時の爪痕が残されていた。
兵器の残骸や地面の下に埋まった遺骨、あるいは崩れた山の斜面などがそれである。
だが、あえてユーフェミアはその地を追悼の碑と式典の場所に選んだ。
『代理総督ユーフェミア様は65万のエリア統治軍の解体を宣言し、エリア11内の反体制派武装勢力との間に不動の信頼関係を構築されました。願わくば、ユーフェミア様の平和の祈りが過去の英霊達の魂を癒されんことを――――……』
やがて、ユーフェミアは設置された壇の上に自らの身を置いた。
その周囲には警備兵の姿は無い、せいぜい壇の傍らに純血派の護衛グループを置いていることぐらいだ。
先頭にいる金髪の青年は、かつてナリタで戦ったキューエルと言う名の騎士だ。
だが護衛としては乏しい、しかも他にも異常がある。
兵がいない。
ナイトメアはおろか軍用ヘリコプターや人々を規制する警備員すらいない、ユーフェミアが人々の威圧に繋がると言う理由で来させなかったのだ。
普通ならテロの格好の的だ、だがユーフェミアに限ってそれはあり得ない。
少女の両眼が、毒々しい赤い輝きを放っている限りは。
「……皆さん」
だから人々に声を向けるユーフェミアの笑顔は晴れやかだ、幸福に包まれた少女のそれだ。
争いの無い、差別の無い、人種も生まれも関係なく助け合う人々を前に、喜びを抑え切れていない、そんな様子だった。
そしてそんなユーフェミアの言葉を、人々は皆安らかな顔で聞いている。
「今日は私のために……いいえ、ナリタで不幸にも亡くなられた方々のために集まって頂き、ありがとうございます。皆さんが哀しい過去と向き合い、そして今、共に手を取り合っている姿を見れば、この地で眠る多くの人も笑顔を見せてくれると思います」
慰霊碑と呼ばずに記念碑と呼ぶのは、そう言う理由なのかもしれない。
過去の犠牲を悼むだけで無く、未来への希望を訪れる人々に与え、そして平和な優しい世界を願えるように。
記念碑全体のデザインも、そうした面を考慮したような造りになっていた。
御影石やコンクリートで造られた白い広場の両側は12メートル程のアーチに囲まれ、アーチの中にはエリア11の行政区47とトーキョー政庁を象徴する48の柱がある。
さらに2つのアーチの門にはそれぞれブリタニアと日本の名が刻まれていて、ユーフェミアの背後には戦没者の名前が刻まれた金色のオブジェがある。
当然、そこには日本人・ブリタニア人の区別は無い。
「さぁ、祈りましょう……皆の、そして平和のために」
そして、一分間の黙祷が始まる。
黙祷をせずに突っ立っている者は誰もいない、全員がその場に立ち、顔を俯け目を閉じた。
静かな時間、冬の風が式典会場を吹き抜けても誰も何も言わない。
ユーフェミアを筆頭とした数万の人間が、今、想いを一つにしていた。
これは、現代の奇跡だ。
例えギアスによる仮初の世界だったとしても、ユーフェミアが本心から望んだことで無ければ実現しなかった世界だ。
非戦、不平等、共助、友愛……この世の正の部分が詰まった、この奇跡の世界は生まれなかった。
それが、ユーフェミアと言う少女が起こした奇跡なのだ。
「え……」
声を上げたのは、誰だっただろう。
黙祷が終わり人々が顔を上げた時、一つの光景がそこにあった。
少女。
少女が1人、増えていたのである。
数万の人間の中にただ増えただけなら誰も気付かなかっただろう、だが少女は酷く目立つ場所にいた。
ユーフェミアが歩いた赤絨毯、その中央に両足をつけていたのである。
これに気付かない者はいないだろう、もちろん壇の上にいるユーフェミアも気付いた。
だが彼女は、どこからともなく姿を見せた少女に親しげな笑みを浮かべて見せた。
「何者……ッ」
「おやめなさい!」
だからユーフェミアは、慌てて自分の周囲を囲んだ純血派のメンバーを叱責した。
正面で少女と向き合ったキューエルは叱責に身を竦めると、ユーフェミアを振り仰いだ。
「その方は私の友人です」
肩のあたりで揺れる艶やかな黒髪、意思の強そうな黒い瞳、細身の身体を覆う濃紺の着物。
その手に持つのは一本の軍刀、胸に抱くは契約の刻印。
ユーフェミアは、その少女の名前を知っていた。
「青鸞……!」
太平洋の戦いで行方知れずとなっていた少女の登場に、ユーフェミアは顔を綻ばせた。
無事であったことも嬉しいが、彼女がナリタの追悼式典に来てくれたことも嬉しかったのだ。
そう、彼女以上にこの場に相応しい人間はいない。
だからユーフェミアは心の底から青鸞を歓迎した、その気持ちに一点の曇りも無かった。
一方で青鸞は、ユーフェミアの後ろに広がる記念碑をじっと見渡していた。
左から右に、ナリタの麓に築かれた美しい柱とアーチの集合体を見る。
そして、視線を再び微笑むユーフェミアへと向けた。
「……綺麗なモニュメントだね」
「ええ、エリア11の皆さんのアイデアでデザインされたんです。落成式まで2年もかかってしまいましたが、ブリタニアの皆さんの寄付と日本人の皆さんの頑張りで、何とかここまでやってくることが出来ました」
「そう」
青鸞は静かに頷いた、嘘偽りの無いユーフェミアの言葉に頷いた。
ブリタニア人と日本人が手を取り合って完成させた追悼記念碑、まさに奇跡としか言いようが無い。
殲滅戦を行ったブリタニアからの謝罪も無く、一方的に押し潰された日本人は賠償すら求めず、ただただ純粋な善意で築かれたモニュメント。
白々しい程に、美しく輝かしい平和の象徴だ。
「ユーフェミア」
「はい」
青鸞の呼びかけに、ユーフェミアは笑顔で頷く。
人々が固唾を呑んで見守る中、対極の思想と生き方を持つ2人の少女が見つめ合っていた。
ギアスの少女と、コードの少女。
「ユーフェミア、ボクは貴女を認めるよ。貴女の想いは本物で、貴女は心から優しい世界を望んで、そのために一心不乱に歩んで来たことを、ボクは認める」
「……はい」
青鸞は今こそ認めた、ユーフェミアの純粋な想いを認めた。
ユーフェミアには一点の不純も無い、私欲も無ければ嫌悪も憎悪も無い。
ただ、本当に平和な世界を求めていた。
心根の優しい、真っ白な皇女。
「ありがとうございます、青鸞。貴女にそう言って貰えると、本当に救われた心地です」
真っ白な皇女が、青鸞へと手を差し伸べる。
いつかのように、親しみを込めて。
「だから、これからは一緒に……手を取り合って、一緒に」
「……そうだね、だから」
目を伏せて、青鸞はこれまでを思った。
ユーフェミアと自分のこれまでを思い出して、そして想った。
今まで一度も、日本人を自覚的に傷つけなかった皇女のことを想った。
誰よりも優しく、愛を尊び、真っ直ぐで真っ白な皇女。
もし人類が皆、彼女のような考え方をしていたなら、世界はまるで異なるものになっていただろう。
しかし、世界はそうはならなかった。
誰も彼もが優しい世界を望める程に、世界は優しくも美しくも無かった。
……だから、青鸞は。
「だからこそ、ボクは……」
「……………………俺は」
「ッ!」
その時、ユーフェミアは誰かに肩を掴まれたと感じた。
振り向けば、そこには純血派の制服を着込んだ1人の少年がいた。
帽子を深く被っていて顔は見えないが、先程ユーフェミアを守るために散ったメンバーの1人だろう。
そして帽子の唾の下、2つの瞳が赤い輝きを放っていることにユーフェミアは気付いた。
少年が誰なのか、それと同時に。
「……ルルーシュ」
「キミに、『ギアスを忘れろ』と言う言葉を――――」
「どうして」
「――――プレゼントしよう」
むしろ優しくすらある声音で告げられた言葉は、力をもってユーフェミアに届いた。
赤の光が、ユーフェミアの瞳に飛び込む。
その瞬間、ユーフェミアの中の方程式が書き換えられた。
何かがカチリと嵌まる音と同時に、ユーフェミアは意識を失った。
伸ばした手は、目の前の少年に対して伸ばされたのか、それとも彼女の求めた世界へか。
それはわからない、確かなのは、もはや何もかもが失われたと言うことだ。
倒れるユーフェミアを抱き留めながら、ルルーシュはそう思った。
もうユーフェミアのギアスが発動することは無い、それが彼女にとってどれほどの絶望か、言うまでも無いだろう。
(それでも……)
それでもルルーシュは、そんな彼女を見ていられなかった。
彼女の本質を知っているが故に、ルルーシュは見ていられなかったのだ。
頬にかかった髪を指先で撫でて、ルルーシュは目を伏せた。
一方で、式典会場の人々の間には混乱が起こっていた。
ユーフェミアのギアスの効力が失われ、ブリタニア人と日本人の間に再び亀裂が走ったのだ。
罵り合いが殴り合いに変わり、さらなる騒乱へと拡大するのも時間の問題。
キューエルら純血派も、兵もナイトメアが無い状況ではどうすることも出来ない。
だがそこへ、秩序をもたらす声が響いた。
「うろたえるなッ!!」
突如、軍勢が会場に雪崩れ込んできた。
そこには旧統治軍で地位を得ていた者達がいる、ギルフォード、ダールトン、バトレー、ヴィレッタ、そして彼らの先頭には深紫の軍服を纏った女性がいた。
ボリュームのある紫の髪に攻撃的な眼光、彼女……エリア11総督コーネリアは、剣型の銃を手に叫んだ。
「総督命令である、静まれ! この場でのこれ以上の騒乱は、エリア11総督コーネリア・リ・ブリタニアの名において許さぬ! これはブリタニア人・日本人を問わない、どうか私を信じて……この場を預けて欲しい!!」
そんなコーネリアの声を背中に聞きながら、青鸞は歩を進めた。
途中、キューエルと擦れ違った。
互いに面識は無い、だからそのまま擦れ違うだけだ。
その擦れ違いにどれだけの意味があるのか、それを知るのは歴史だけだ。
青鸞は、壇上から降りたルルーシュの傍に行った。
そこには気を失ったユーフェミアがいる、ギアスの力を失った少女がいる。
青鸞はその場に膝をつくと、眠る少女の頬にそっと触れた。
思想も、生き方も、何もかもが違う相手だった。
けれど一つだけ、言わなければならないことがあった。
「ありがとう……おつかれさま」
誰にも頼らず、独りきりで、トーキョー租界とゲットーの日本人を救おうとしてくれた、守ってくれた。
それは、本当だった。
お礼を言いたかった、ありがとうと。
独りで頑張ってくれて、ありがとうと。
そして、お疲れ様、と。
それだけは、言っておかなければならなかった。
だって、そこには嘘は無かったから。
嘘では、無かったから。
――――そして、奇跡の時間は終わる。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
今話をもちまして、「コードギアス―抵抗のセイラン―」本編は終了となります。
2013年2月から2013年10月まで、およそ8ヶ月の連載でした。
最後まで完結させることが出来たのは、皆様の応援と声援のおかげです。
お気に入り登録してくれた方、感想を書いてくださった方、評価を頂けた方、アイデアを投稿して頂けた方、読んでくれた方……この作品は、そんな皆様のお力添えのおかげで完結させることが出来ました。
本当にありがとうございます、皆様のおかげで最後まで描ききることが出来ました。
この後、本編とはまるで関係の無いお遊び中編「R3編」がスタートします。
これは4、5話程度の話になりますが、本編からすると驚くくらいあり得ないはっちゃけた設定になる予定です。
痛みも哀しみも無い、楽しい笑顔の世界を描きたいです。
それでは、毎度(?)恒例……。
もうちょっとだけ、続くんじゃ。