――――枢木神社。
古来から続く古い神社であり、この地域の氏神を祭る氏社として周辺住民からも慕われている。
まぁ現代人にありがちなことだが、今では由来も何も気にされないどこにでもある神社と言う認識だ。
そんなどこにでもある神社の敷地内にある小さな屋敷、その部屋から、物語は始まりを告げる。
「青鸞、青鸞! 遅刻するよ!」
畳と障子、純和風のその部屋は年頃の少女の部屋のようだった。
桐箪笥や鏡台の上に置かれたぬいぐるみや化粧品、そして何よりハンガーで壁に吊るされた学校の制服がその証明だった。
実際、部屋の真ん中に敷かれた布団の中には少女が1人いる。
長い黒髪を大いに寝乱れさせた少女で、今はむずかるように「うーん」と唸っている。
そしてもう1人、傍らで少女を呼び、揺り動かしている少年がいた。
色素の薄い茶色の髪に琥珀の瞳、黒の詰襟の学生服の上に白の割烹着と言うおかしな格好の少年だ。
彼は困ったような顔で少女を揺り動かしており、そしてとうとう我慢の限界が来たのか、布団の端を掴んだ。
「もう、しょうがない……青鸞っ!」
「ん~……?」
ばさぁっ、と音を立てて布団が剥ぎ取られる。
そこから現れた少女の姿に、少年は溜息を吐いた。
何故なら布団の下から現れた少女は、その身に何も纏っていなかったからである。
はっきり言えば、頭から爪先まで、何もかもが丸見えであった。
一方で布団を剥がれた少女はと言えば、寒そうに身を丸めていた。
「ん~……寒い~……」
「そりゃぁそうだろうね、裸だからね」
「ん~、はだか……はだ……裸っ!?」
飛び起きた、少年が呆れたような視線を向ける前で少女が面白いように慌てていた。
まず両手を広げて自分の身体を確認し、顔を赤くして胸元を隠し、しかし下着すら無いことに気付いて足を折って下腹部を隠し、極めて危ない体勢で少年を……己の兄を睨んだ。
「スザク兄様!? 妹を剥くって……朝から妹を剥くって!?」
「良いから落ち着いて、青鸞。本当に遅刻するよ」
「遅刻!? ちょ、妹のは、裸見て遅刻って」
「妹の裸くらい、見たって何も思わないよ」
「はぁ!?」
スザクと青鸞、枢木神社の息子と娘である。
正月には神主見習いと巫女をするのだが、スザクの雅楽と青鸞の神楽はご近所では少しばかり有名だった。
まぁ、今は酷く仲違いをしている様子だったが。
「ほら早く制服を着なよ。朝ご飯はもう出来てるから、えーと……下着は校則だと白限定だから、箪笥の2段目の右側のから選ぶんだよ」
「こ、子ども扱いしなっ、いや何でボクの下着の場所っ……だから割烹着はやめてって言ってるでしょ、ダサいから!」
「ええ? でもエプロンだと制服の腕に油とか跳ねちゃうし……あ、それより遅刻」
「その前に言うことがあるでしょ!?」
「え……?」
プリプリ怒る妹を前にして、スザクは本気で首を傾げた。
スザクからすれば、本当に学校に遅刻するので早く服を着てほしいと言うのが本音だった。
裸については毎朝のことだし、子ども扱いについては高校生と中学生と言う関係上仕方ないし、下着の場所についてはスザクが洗濯して畳んでしまっているのだから知っていて当然だ。
……結論として。
「……制服、着たら?」
「あっ、兄様のバカァ――――ッ!!」
どうして枕を投げられるのかわからない、そう思うスザクだった。
◆ ◆ ◆
あれから一通りの言い争いをして、髪を梳いて顔を洗って歯を磨いて制服を着て、さらに朝食を食べて……としていたら、本当にギリギリの時間になってしまった。
枢木神社の朝は、大体がこんなドタバタ騒ぎである。
基本的には娘が騒いでいるだけなのだが、それも微笑ましく思えてしまうのが中学生と言う年齢だった。
「青鸞――ッ、本当にもう出ないと!」
「わかってる!」
中途半端に食べた朝食――食べずに出ることを兄が許してくれない――の食器を台所の水場に置いて、それから居間の棚の上に置いてある写真に顔を向けた。
そこには青鸞に良く似た女性が映っていて、隣には若い頃の父と幼い兄がいて、そして腕の中には生まれたばかりの自分がいる。
一枚しかない、枢木神社をバックに撮った家族全員が映った写真だ。
「行って来ます、母様!」
今はもういない母にそう告げて、青鸞は鞄を片手に駆け出した。
白い長袖のカッターシャツに桃色に近い薄紫のワンピーススカート、ワンピースと同じ色合いのソックスに濃い茶のパンプス、胸元に校章付きの赤いネクタイ……彼女が通う、アッシュフォード学園の制服だった。
「あっ、父様、行って来ます!」
「ん」
途中、鳥居近くの社務所にいる父に声をかけた。
神主の格好をしたその男はジロリと駆け抜けていく娘を目で追った後、手元の新聞へと視線を戻した。
枢木ゲンブ、どことなく陰険そうな顔をしているが、真面目で優しい父親である。
普段は神社の外に出ることは無く、こうして社務所の中にいたり敷地内を掃除していたりするのだ。
そして鳥居を超えて、長い石階段を駆け下りて行く。
山の上にある枢木神社の石階段はなかなか急だ、だが生まれた時から歩いている石階段、勝手知ったる何とやらで3段飛ばしで駆け下りて行く。
青鸞はこの石階段から見る景色が好きだった、両側の森の木々の間から見える街並みが、まるで切り取られた自然の絵画のように綺麗だからだ。
「せいら――んっ!」
「わかってるってば――!」
言って、青鸞は階段の下で待つ兄の下へ駆けた。
スザクは自転車に乗っていた、石階段の下に置いてあって、登下校の際に使うのだ。
ちなみに青鸞の分は無い、何故なら。
「ほら、早く乗って。今日はちょっと急がないと」
「兄様が朝ご飯食べろってしつこいからでしょ!」
「えぇ……」
何故なら青鸞は後ろの荷台に乗るからだ、学生鞄を兄の鞄と一緒に荷籠に放り込んで、古い座布団が巻かれた荷台へと横座りに飛び乗る。
がしゃん、と揺れるが、スザクはそれを何でも無いかのように受け止めて自転車を支えた。
妹の重さくらい、彼にとっては大したことが無い。
「よっし、良いよ、兄様!」
「うん、じゃあ行こうか。……あ、でも」
「え?」
ペダルに足を乗せて力を込め始めたスザクが、ふと何かに気付いたように後ろを振り向いた。
そして手を後ろに伸ばし、青鸞の手を自分のお腹へと……つまり、青鸞を自分に抱きつかせるようにした。
な、と青鸞が顔を赤らめさせるのをまるで気にもせずに。
「ちゃんと掴まっててくれないと、危ないから」
「あ、う……ぅん」
いつも言ってるだろ、と言う兄に、青鸞は素直に頷いた。
それから、頬を背中に押し付けるようにしながら、兄の身体に身をぴったりとくっつけた。
僅かに頬が赤いのは、恥ずかしいからだろう。
毎日これで登下校しているのだが、慣れる所か年を追うごとに恥ずかしく感じるようになってきたのだ。
人はそれを、思春期とでも呼ぶのだろうか。
年頃の少女なら誰もが感じる羞恥心だ、その意味では健全に育っていると言える。
しかしとにかく今は、青鸞はスザクの身体に手を回していた。
スザクは己のお腹の上で妹が手を重ねるのを確認すると、ふむと頷きペダルを踏み込んだ。
それはもう、凄まじい勢いで。
「へ? ちょ、兄……」
「しっかり掴まってるんだよ」
「いや、え……わっ、ひゃあああああああああああああああぁぁぁっっ!?」
最初の一漕ぎで「ギュゴォッ」と言うあり得ない音と共に前輪が持ち上がるのはどう言うわけだろう、青鸞は今度は羞恥も感じずに兄の身体にしがみ付きながらそう思った。
なお、このご近所ではスザクの自転車の爆走音と青鸞の悲鳴がセットで聞こえてくるのが日課となっていた。
「まぁ、枢木さんトコは今日も元気ねぇ」が、井戸端会議中のマダム達の口癖である。
しかしこれが、枢木家の日常である。
悲劇もドラマも何も無い、平和の中でつまらない悩みに悩むだけの日々。
枢木青鸞、中学生。
お母さんはいないけれど、父と兄と共に楽しい毎日を過ごしていた。
「あ、兄様あああああああああああああぁぁぁっっ!!」
「すぐ着くから」
「と、止まってお願いいいいいいいいいぃぃぃっっ!!」
「すぐ着くからー」
「もおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉっっ!!」
……楽しい毎日を、過ごしていた。
たぶん。
これは、そんな物語。
最後までお読み頂きありがとうございます、竜華零です。
R3編スタートしました、基本的にこんな緩いノリのお話です。
本編3話の中編と言うか、短編集みたいな形になるかなと思います。
本編を読んだ後だと、違う点がありすぎてツッコミ所満載です。
さて、本編キャラクター達はどんな形で出しましょうか。
……そもそも、出せるのでしょうか。
一緒に面白がって頂けると、私も嬉しいです。
それでは、また次回。