花盛りの鎮守府へようこそ   作:ココアライオン

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更新が遅くなり、申し訳ありません。
今回も若干のキャラ崩壊注意をお願い申し上げます……。

内容の薄さに反し、今回は字数が嵩んでしまったため、前編、後編に分けさせていただいております。
前編は日常編の色が強く、後編はシリアス色がかなり強くなりそうです。
次回更新がありましたら、この後編と、また違う話の2話同時更新に出来ればと考えております。
シリアスが苦手な方が、次回の後編は無視して頂いても大丈夫な内容にしたいと思います。
誤字も多く更新も遅れ、ご迷惑をお掛けしております。
本文につきましても、また修正させて頂きます。



教外別伝  前編

 サラトガは執務机の前で敬礼の姿勢をとって、微笑みを浮かべた。龍驤が今日の演習に付き合ってくれたので、共にその報告をしに執務室に訪れている。穏やかな貌で執務机に腰掛け、こちらの報告を受けていた少年提督の隣では、ウォースパイトが秘書艦用の執務机に優雅に腰かけていた。見たところ忙しそうにしている空気ではない。まぁ、仕事の早そうなこの二人の事だ。まだ昼過ぎだが、デスクワークの殆どを終わらせてしまったのだろう。其々の執務机には上品なカップが置かれており、薄く湯気をくゆらせていた。ウォースパイトが淹れた紅茶で、休憩のティータイム中だったに違いない。

 

「お二人とも、お疲れ様でした」

 

 報告を聞き終えた少年提督は、執務机の前に敬礼して立つサラトガと龍驤へと、温みのある柔らかな声で言う。蒼み掛かった仄暗い左眼を細めて、口元に笑みを浮かべている。相変わらず子供っぽくない、落ち着き払った微笑みだ。それでいて、不自然さを感じさせない。彼の右眼を覆う、拘束具にも似た仰々しい眼帯の不穏さや、色素が抜け落ちたような白髪の不吉さも、その微笑みに滲んだ優しげな雰囲気によって調和している。無垢と魔性が、危ういバランスを保っている。そんな彼の表情に、少々ドキリとしてしまう。秘書艦用の執務机に腰掛けて優雅に佇んでいるウォースパイトも、チラチラと少年提督の横顔へと、さりげなくも熱っぽい視線を送っていた。サラトガの隣に居る龍驤の方は、自然体なままで報告を行っている。ただ、彼へと向けられる龍驤の声音は、普段よりも少し弾んでいるように聞こえるのは気のせいだろうか。

 

 

「今日の演習はそんな感じで、意義深い時間やったわ」

 

 彼への報告を終えた龍驤は喉を低く鳴らすように笑いつつ、敬礼の姿勢を解いた。

 

「まぁ加賀に比べたら、ウチじゃちょっと物足りんかったかもしれんけどな」

 

 そして手を頭の後ろで組みながら、横目で見るようにしてサラトガへと視線を向けて来る。

 

「いいえ、そんな事は決してありません。とても勉強になりました」

 

 答えたサラトガは笑顔を浮かべつつも、真剣さを眼に灯して、龍驤へと視線を返した。

 

「なら、ええんやけどな」

 

 短く言って肩を竦めた龍驤は、嫌みの無い、親しみ安そうな笑顔を浮かべて見せた。少年提督とはまた違う、快活なのに落ち着きのある笑顔だ。初めて出会った時も、確かこんな笑顔を浮かべていたのを覚えている。本来、今日のサラトガの演習の相手は加賀だった。しかし、今日はウチが相手になるわ、と。龍驤が名乗り出たのだ。それが意味するものは、この鎮守府に召ばれて日が浅いサラトガにも理解出来た。

 

 かつての史実では、“龍驤”は“サラトガ”の攻撃隊によって沈んでいる。サラトガと龍驤の間には、浅くはない縁があった。この事に関して、この鎮守府でサラトガが負い目を感じたり、肩身の狭い思いをしないように、龍驤は進んでサラトガとの演習に参加した。大胆にも、敢えて演習という武を交えたコミュニケーションを通して、周りの艦娘たちに、自分たちに遺恨は残っていないという事をアピールしようとしたのだ。

 

 勿論だが、サラトガはこの鎮守府で孤立している訳では無い。仲の良いアイオワも居るし、赤城や加賀をはじめとした空母達とも、すぐに打ち解けることが出来た。ただ、艦娘である以上、どうしても前世と言うか、過去の記憶はついて回るものだ。龍驤とサラトガに対して、周りの艦娘達が気を遣うような時も確かにあったのも事実だった。龍驤は、そういうのを余り好まないらしい。今回の演習の件では、やはり龍驤とサラトガの間には、確執が在るのだと感じた艦娘達も居るだろう。

 

 だが、実際に演習が始まってみれば、すぐにそんな不安も払拭できた筈だ。演習の最中でも、憎しみや敵意、険悪さは無かった。無論。過去が頭を過る瞬間が無かったと言えば、嘘になる。だが、海の上でサラトガの前に立つ龍驤は、終始楽しそうだった。同時に、嬉しそうでもあった。波間を駆けながら、巻物型の甲板を流麗に扱う龍驤の姿と、意思の強そうな瞳がとても印象に残っている。この演習の最中に、龍驤が己の前世と向き合い、自身の内で消化する中で、何を見出したのかは分からない。ただ間違いないのは、龍驤はサラトガを仲間として受け容れている。疑いも嫌悪も無い。サラトガも同じだ。この縁を忌避するのでは無く、大事にしたい。共にありたいと思う。二人が同じ想いを持っていたからこそ、今日の演習は確かに意義深かった。互いを高めあい磨きあう為の清廉な時間だった。それを、少年提督やウォースパイトも感じてくれているからだろう。執務室の空気も穏やかで、暖かい。

 

 

 

「お二人にも、紅茶を淹れましょうか?」

 

 サラトガと龍驤の短い遣り取りを見ていたウォースパイトは席から立ち、サラトガと龍驤を交互に見てから、少年提督に向き直る。「えぇ、お願いします」と。少年提督も、ウォースパイトに頷いて見せた。サラトガも、隣に居る龍驤と顔を見合わせた。演習を終わらせて入渠も済ませてあるし、急ぎの仕事も互いに無かった。折角のウォースパイトの好意を断る理由も無い。少年提督に促されるままに、執務室のソファに腰掛けたサラトガと龍驤は、ウォースパイトからティーカップとソーサーを受け取った。

 

 サラトガと龍驤は礼を述べてから、その紅茶を一口啜って感動する。香りも格別だった。サラトガはゆったりと一つ息を吐いて、その余韻に浸る。龍驤も、「うま……、何やコレ……(畏怖)」と、真顔になってティーカップの中身を凝視していた。その様子に、ウォースパイトも少し可笑しそうに、そして擽ったそうに小さく笑う。そうこうしているうちに龍驤が、少年提督やウォースパイトも一緒に休憩しようと誘う。もともと、サラトガ達が訪れるまではティータイムの途中だった筈の少年提督とウォースパイトも、ソファへと腰掛けた。

 

 平和で、緩やかな時間の流れだった。四人で話に華を咲かせる。鳳翔の店で飲める、美味しい酒のこと。間宮の新メニュー。作戦の改善点。仲間のこと。周りの艦娘のこと。練度や装備、海域のこと。深海棲艦のこと。そして、自分たちの過去。これからの日常のこと。話のタネは尽きない。ゆったりとした時間が過ぎる。この後、少年提督達は野獣の執務室へと出向く予定があるらしいが、まだまだ時間には余裕があるとの事だった。何でも、艦娘達用に新たな訓練機器を用意したので、その試運転に立ち会うとのことだ。

 

 サラトガと龍驤も「ご一緒に如何ですか?」と彼に誘われたものの、野獣が用意したものとなると身構えてしまう。ただ、モニターになれば間宮の甘味無料券や、鳳翔の店でも熱燗が一杯無料という特典も用意されていると聞いて、まぁ、それなら……と、サラトガと龍驤も頷いた。少年提督は懐から携帯端末を取り出して、二人が参加することを伝える。

 

 その様子を見ていた龍驤が、「あっ、そうや。忘れるところやった」と。

 何かを思い出したように言って、懐から何かを取り出した。携帯端末だ。

 

「演習の最中に、海に落としてしもてな……。電源が入らんのや」

 

 気付かなかった。サラトガは龍驤に謝ろうとしたが、「いやいや、悪いんは不注意やったウチや」と、言葉を遮られた。その後、「申し訳ない」と、両手を合わせた龍驤は、少年提督に頭を下げた。

 

「スマンのやけど、新しいのって支給してもらえるんやろか。修理は明石にも頼んでみたんやけど、ちょっと無理っぽいっちゅう話でなぁ……」

 

 すまなさそうに言う龍驤は、手に持った携帯端末を、正面のソファに座る少年提督に手渡した。少年提督は携帯端末を受け取って、暗いままのディスプレイに触れる。反応は無い。物理ボタンも同じだ。携帯端末は沈黙している。それを確認した少年提督は、龍驤へと頷いた。

 

「まだ備品として予備があった筈ですので、すぐに用意出来ると思います」

 

「おっ、ホンマに? すまんねぇ、面倒掛けて」

 

「いえいえ、僕に出来ることであれば何でも仰って下さい」

 

 にこやかに言う少年提督の、“何でも”という部分にウォースパイトがピクッと反応したのをサラトガは見逃さなかった。優雅にティーカップを傾けていたウォースパイトは、ほんの一瞬だけだったが、眼を鋭く細め、少年提督を見遣る。何かを言いたげに唇を動かしたウォースパイトだったが、結局何も言わずに紅茶を上品に啜るに留まった。サラトガは見なかった事にして、自分も紅茶を啜る。

 

「ほ~ん……。キミ、今“何でも”って言うたな?」

 

 サラトガもウォースパイトも何も言わなかったタイミングで、悪戯っぽく笑ったのは龍驤だった。

 

「えぇ、僕に出来る範囲であれば、ですが」と。

 

 答えた少年提督は、龍驤の冗談に付き合うのを楽しむように、目許を緩めて見せた。落ち着いた微笑みだったが、そこには少年っぽいあどけなさが滲んでいる。無防備で健気で、何とも言えない魅力で溢れていた。その表情に、サラトガは激しく萌えた。そわそわしてしまう。一方、ウォースパイトの方は、苦しそうに片手で顔を抑えて俯き、「はぁぁぁああ^~~……、すき……」と、熱い吐息と共に小さく声を零していた。

 

 龍驤はウォースパイトとサラトガの反応に気付いて、苦笑を浮かべつつもソファに座り直した。持っていたティーカップをソファテーブルのソーサーにそっと置いて、「此処だけの話なんやけどな……?」と、ぐっと身を乗り出した。まるで秘密話でもするみたいに、意味も無く辺りへと視線を巡らせる。

 

「はい、なんでしょう?」

 

 少年提督も、カップをソーサーに置いてソファに座り直して、身を乗り出す。何故か、ウォースパイトもそれに倣う。気付いている筈だが、特に龍驤は何も言わない。だから、サラトガも耳を欹てるみたいにして、身を乗り出した。そして、そのタイミングで龍驤が唇の端を持ち上げつつ、声を潜めて言う。

 

「キミ、あの少女提督と付き合っとるらしいやん? 何処まで行ったん?」

 

 

 龍驤の言葉に、「んんんぅぅぅうううう……」と苦し気に呻いたウォースパイトがカップをテーブルに置いて立ち上がり、蒼い顔で執務室をウロウロし始めた。片手で額を抑えて何やらブツブツ言いながら、時折大きく深呼吸したりしている。龍驤の問いに少年提督が何をどう答えても、それを現実として受け止める準備というか覚悟をしているのだろうか。

 

 ただ正直言って、サラトガもかなり衝撃を受けている。何だろう。胸を締め付けるこの感じ。まだ短い付き合いの中でサラトガは、少年提督の事を、年の離れた可愛い弟のように思っていた。少年提督は上司であり恩人であるのだが、その外見や自身との身長差、纏う雰囲気などから、勝手にそんな風に感じていた。その弟に、彼女が出来た。これはもう大事件だ。すごいショック。いや。いやいや。少年提督はサラトガの弟などでは断じて無いし、サラトガが勝手にダメージを受けているだけだ。落ち着かないと。息を吐き出す。

 

「はぁぁあ~……ぁああああぁああ……」

 

 自分でも引くくらい、重たい溜息が漏れた。

 

 一方で、少年提督は、ウォースパイトとサラトガの様子を、困惑したように見比べる。

 

「その辺り、ちょっとウチも気になるしなぁ。な~? 教えたってや」

 

 ただ、二人とも不調そうだとか気分が悪そうとか、そういう感じではないことは明らかなので、其処には言及しない。茶目っ気たっぷりに龍驤が答えをせがむ。ソファに座ったままの少年提督は、頬を左手の人差し指でポリポリと掻いてから、困ったように少しだけ笑う。

 

「彼女は僕に良くしてくれますが、そういった事は全く無いですよ」

 

「あれ……? そうなん?」 身を起こした龍驤は、眼を丸くして意外そうに言う。

 

「えぇ。僕と彼女は、同僚という間柄です」

 

「なーんや……。ウチはてっきり、もうチッスまで行ったんかなーとか思ってたんやけどなー」

 

 龍驤は何だか残念そうに言いながら、伸びをしてソファに凭れ掛かった。だが、その声音は何処か安心しているようでもあった。サラトガもホッとする。少し離れたところで、ウォースパイトも天井を仰いで深呼吸していた。執務室の空気が緩んで、少年提督は龍驤に苦笑を浮かべる。

 

「友人として、仲良くして貰っています」

 

 少年提督はその苦笑のままで、少しだけ肩を竦める。自分を責めるような笑顔だ。

 

「最近は一緒に居る時間も多くなりましたが、それだけ、僕は彼女に手間を掛けさせている状況です」

 

「仕事やったらしゃーないやろー。キミの場合は、まぁ……、特にな」

 

 龍驤は言いながら、凭れていた体を起こしてソファへと座り直した。

 

「ほんじゃ、ついでに聞いてもええかな?」

 

 姿勢を正した龍驤は、さっきまでの緩い雰囲気の中に、微かな鋭さを含ませる。声音に硬さが在った。少年提督を見詰める琥珀色の眼が、少しだけ細められている。

 

「キミらは今、何をやろうとしとるん?」

 

 龍驤は真っ直ぐ彼を見て訊いた。最近の彼は少女提督と共に、この鎮守府の傍に設立された深海棲艦の研究施設によく足を運んでいることは、サラトガも知っている。ただ、“それが何の為なのか”、という点については知らない。はっとして龍驤へと視線を向けた。そうか。先ほどの質問は、あくまで“ついで”だ。これが、龍驤が聞きたかった事だ。ウォースパイトも其処に気付いたようで、ソファへと戻って来た。少年提督は龍驤の視線を受け止めつつも、微笑みを絶やさない。ほんの少しだけ、逡巡するようにゆっくりと息をついた。

 

「僕の精神や思考を学習、認識させた人工知能の構築です」

 

 彼は勿体ぶるでもなく、端的に答えた。龍驤は何も言わず、更に眼を細める。

 

「人工知能……」 

 ウォースパイトが、訝しむように言葉を漏らす。

 

「それは、また……、何故?」 

 サラトガが、龍驤から彼へと視線を移す。

 

 

「僕たち“提督”と呼ばれる者達は、個々の持つその資質に違いがあります」

 

 少年提督は微笑んだままで言いながら、さきほど龍驤から受け取った壊れた携帯端末を掌に乗せる。そして、短く文言を唱えた。墨色の微光が、彼の掌に渦を巻く。風ならならぬ風が、執務室に吹いた。

 

「種類とでも言えばいいのでしょうか?」

 

 穏やかに言う少年提督の掌の上で、携帯端末が姿を変えていく。粒子のように解けて揺らぎ、ゆっくりとその形を融かしながら、何らかの形を取ろうとしている。それは、卵だ。金属機器である携帯端末が、彼の掌の上で、黒い卵へと姿を変えた。サラトガは眼を見張った。ウォースパイトも眼を見開いている。龍驤だけは、眼を細めたままだ。

 

 少年提督は、その卵を手に乗せたままで、簡単な説明をしてくれた。

 

 “提督”達が扱う生命鍛冶と金属儀礼の術式については、艦娘を召んだり、近代化改修や治癒修繕などの他にも、その影響を及ばす範囲は多岐に渡っている。野獣は、こうした術式を用いて己の肉体に干渉する術に長けているし、少女提督は多くの分野と提携する工学に活かすことを得意としている。そして少年提督自身は、生命や精神と言った領域に大きく干渉する術式を扱うことに特化している。こうした各々が得意としている分野において、専門性を突き詰めた人工知能を構築することで、後に技術や理解を求める者達の助けとなることを目的としているらしい。特殊な資質を必要するのでは無く、その特性の理論化によって一般性を持たせることに意義があるのだと。

 

 少年提督が簡単な説明を終える頃には、彼の掌にある卵が孵った。中から出てきたのは、雛鳥ではなく、成長した小鳥だった。囀り、瞬きをしている。羽毛も、その動きも、本当に生きているかのようだ。小鳥は破った卵の殻を啄み、羽ばたいた。少年提督の隣に居たウォースパイトの肩に止まった。ぴぃぴぃ。驚いた様子だったウォースパイトだったが、その愛らしい囀りに口元を緩めて、自身の肩へとそっと指を近づけた。黒い小鳥は、ウォースパイトの指へと飛び移り、また囀る。そして、また羽ばたいて今度はサラトガの肩へと止まる。間違いなく、この小鳥には生命が宿っていた。

 

「僕は術式を用いて戦うことも、工学への応用も出来ません」

 

 少年提督が再び何かを唱えると、サラトガの肩に止まった小鳥は姿を変える。今度は、小柄なリスだ。口元をもぐもぐと動かす姿が愛らしい。ヌイグルミのように柔らかそうな体毛と、生物が持つ筋肉のしなやかさが在った。リスはサラトガの肩を駆け下りてから、ソファテーブルの下を潜って、再び少年提督の掌の上へと駆け上がる。

 

「さきほども話しましたが、僕が他の方よりも専門的に扱えるのは、物質に大きく干渉する術式です」

 

 そうだ。これが、少年提督の持つ資質だ。無機の器物に、有機の躍動を与える。生命と機能を象り、付与する。金属の中に、経験や主観といった領域を作り出す。艦娘を召ぶ力の更に延長線上にあり、神秘や奇跡といった範囲の技術だろう。他の鎮守府や、こういった提督達が持つ力を解析している者達から、造命の宗匠、彫命の職工などと彼が呼ばれているのはサラトガも知っている。“提督”ならば誰もが扱える術式を、神話や神業と言える域で行使するのが彼だ。

 

「人工知能の開発は、こうした僕の持つ資質から独自性や個性を排し、誰にでも扱えるようにする為だそうです」

 

 穏やかな声音で言う少年提督は、微笑みながら掌の上にいるリスを撫でた。険しい表情になった龍驤が、何かを言おうとした時だった。彼の懐から電子音がした。携帯端末の着信音だ。少年提督はサラトガ達に、「少しだけ、失礼しますね」と頭を下げて、端末を取り出す。どうやらメールか何かのようだ。少年提督はディスプレイを操作し、届いたファイルを一読してから端末を懐に仕舞う。その時にはもう、龍驤はいつもの表情に戻って、肩を竦めていた。

 

「噂をすれば、っちゅう奴かな?」

 

 先程までの鋭い視線では無く、冗談めかした笑みを浮かべて、龍驤は少年提督に言う。

 

「はい、彼女からでした。少し確認したいことが在るとの事です」

 

「キミらは忙しいなぁ~。……名残惜しいけど、お茶会も此処までやな」

 

 ソファに座ったままで姿勢を正してから、「ご馳走さん、ホンマに美味しかったわ」と、龍驤はウォースパイトに手を合わせた。サラトガもそれに倣い、礼を言う。ウォースパイトも微笑んで此方に頷いて見せてくれた。

 

 

 その後。深海棲艦の研究施設へと少年提督が向かうのを見送り、サラトガ達も執務室をあとにする。秘書艦であったウォースパイトは、彼と共に研究施設へと行こうとしていたが、急な仕事に付き合わせることに気を遣った彼が、「先輩にも連絡を入れましたし、僕も直ぐに向かいますので」と、それを丁寧に断ったのだ。凄く残念そうな貌をしていたウォースパイトだが、彼女も大人だ。此処は彼の意向に沿う形で、サラトガは龍驤達と共に、三人で連れだって野獣の執務室へと向かう。その途中。何かを思案している様子の龍驤が、やけに静かだったのが印象的だった。

 

 

 

 

 

 さて。野獣の執務室に到着し、ノックして入室すると、長門と陸奥、大和の三人がソファに座って項垂れていた。その近くの窓際には、武蔵がコーヒーカップを持って、外の景色を眺めていた。

 

「おお、サラトガ達も来たか」

 

 此方に気づいた武蔵は、窓際に凭れ掛かって唇の端を持ち上げて見せた。美しさと凛々しさを湛えた武蔵の笑みは、含みも無く楽しげだ。武人然とした武蔵らしい魅力に溢れた笑みだった。それに比べて、長門や陸奥、それから大和の三人は、入って来たサラトガ達の方を一瞥して小さく笑みを浮かべてみせたものの、すぐに俯いて溜息を漏らすような状態だった。ひどい空気だ。

 

 此処に来る途中でウォースパイトが言っていたが、野獣が何かを試すというか、試験的に何かを運用する時、或いは、艦娘をモニターに集める時などは、大抵ロクでもないものらしい。長門達の様子を見るに、恐らくは何らかの弱みでも握られ、強制的にモニターとして此処に呼ばれているのだろう。これから野獣の思い付きとも親切とも言えない取り組みに付き合わせられることに、途轍もない憂鬱さを感じている最中と言ったところか。演習や出撃の前には、凛然として力強く、優雅でありながらも圧倒的なオーラを纏っている長門や陸奥、大和たちだが、今はもう見る影もない。おまけに少年提督は参加に遅れるという事で、もう目もあてられないような状況だ。

 

 何だか気の毒になってきたサラトガが、苦笑を浮かべる龍驤と、不安そうな貌のウォースパイトと顔を見合わせた時だった。執務室の扉がノックも無しに開かれて、野獣が現れた。いつもの海パンにTシャツ姿で、大掛かりな金属ケースを二つ、ゴロゴロと転がしている。

 

「お ま た せ (王の帰還)」

 

 野獣は、似合わない爽やかな笑みを浮かべて、執務室のサラトガ達を順に見た。敬礼の姿勢を取ったのは、サラトガだけだ。ソファに座っている長門達は顔も上げない。武蔵と龍驤は、また何か拵えてきたのかと、苦笑を浮かべつつも興味深そうにケースに視線を向けている。ウォースパイトは若干、警戒したような様子で野獣を見ていた。

 

「なんだなんだお前ら^~、そんなウキウキしちゃってぇ^~?」

 

「いや、お通夜みたいな冷えっ冷えの空気やけど……」

 

 龍驤がツッコむ。だが野獣は聞こえないふりをして、ゴロゴロと引っ張って来た重厚な金属ケースを開いて、中から何かを取り出した。厳重に梱包されていた様子のそれは、ヘルメットとゴーグル、そして、ヘッドセットのマイクを組み合わせたような形をしている。デザインには機械っぽい無骨さは無く、洗練された流線的なフォルムをしていた。近未来的と言うか、ハイテクっぽさを感じさせる機器だった。野獣はその機器を合計で8個取り出して、ソファテーブルの上に並べて、再び、サラトガ達を順番に見遣った。

 

「まずこれさぁ、ちょっとしたVR機器なんだけど、着けてかない?(今更の疑問形)」

 

 野獣の言葉に、今まで俯いていた長門達もソファテーブルの上に視線を上げた。明らかに怪しんでいる目つきだ。ウォースパイトだって、眉をハの字にして野獣と並べられた機器を見比べている。サラトガだって似たような貌で、並べられた機器を観察してみる。VR機器。つまり、仮想空間を体感できる代物ということだろう。ソファの傍で腕を組み、唇をへの字にひん曲げて立っていた武蔵が、まず動いた。ずいっとテーブルに歩み寄って機器を一つ手に取る。

 

「これは、被って使うのか?」

 

 矯めつ眇めつしながら、武蔵は野獣に訊く。

 

「そうだよ(肯定)。こんな感じで、すっげー簡単だから!」 

 

 野獣は武蔵に頷いてから、ソファテーブルの上の機器をひょいと持ち上げる。そして、被るようにして装着しつつ、携帯端末を海パンから取り出して手早く操作した。すると、各々のVR機器が起動したようだ。低く静かな駆動音が宿りだす。

 

「ふむ」 武蔵は躊躇わなかった。

 

 大和が、武蔵に何か声を掛けようとしていたし、長門や陸奥も、「気を付けろよ」みたいな事を言うよりも早かった。武蔵はそのままガションと、野獣と同じようにVR機器を被るように装着した。サラトガはその大胆さに畏怖を覚える。武蔵はVR機器を装着したままで、執務室を見渡した。サイズ的にも合っていたようで、グラつきや不安定さを感じさせない。

 

「ほら、見ろよ見ろよ(幻想への招き)」

 

 VR機器を付けた野獣が、サラトガ達が居るソファセットから、少し離れた場所へと顎をしゃくって見せる。これから何が起こるのかとハラハラした様子で見守るサラトガ達を他所に、野獣が指した方へと顔を向けた武蔵は「ほう……、これは……」と、驚いたように声を漏らした。

 

「なるほど。立体映像とはまた違ったベクトルだが、此方の方が臨場感があるかもしれん」

 

 武蔵は真面目くさった声音でそういった後、すぐに「おぉぉぉ……」と、震えた声を漏らした。まるで、何かに感動したかのような声音だった。

 

「何かオモロそうやん、ウチも着けたろ」 

 

 皆が警戒する中で、次に動いたのは龍驤だった。龍驤も機器を手にとって素早く装着した。そして、武蔵が凝視している方へと顔を向けて、「ほわ……ッ!!?」っと声を詰まらせた。だがすぐに、「おほほぉぉ^~……」と、龍驤も赤面しつつ、同じ場所を食い入るように見つめて、硬直してしまった。武蔵と龍驤の反応は普通じゃない。

 

「ねぇ、武蔵……? 一体、何が見えているの?」

 

 恐る恐ると言った感じで、ソファに座ったままで大和が訊いた。「あ、あぁ……」と、VR機器を装着したままの武蔵は少々赤面しながら、同じ場所を機器越しに見続けている。武蔵はすぐには答えなかった。少しの間、不自然な沈黙が在った。長門と陸奥も、押し黙って答えを待つ。サラトガとウォースパイトは、武蔵が見ている場所を凝視した。勿論、何も見えない。やはり、あの機器越しにしか見えない何かが、其処にはあるのだろう。やはり気になる。サラトガも、VR機器を手に取ろうとした時だ。武蔵が口を開いた。

 

「すぐ其処で、提督が……、その、なんだ、……着替えているんだ」

 

 何だか恥ずかしそうにポショポショと紡がれた武蔵の言葉に、長門達は即応する。

 

「何ッ!!!!!! それは本当か!!?!!?!!!?」

 

 電光石火だった。長門は叫びながら立ち上がるついでに、ソファテーブルに置かれていたVR機器を引っ掴んで、流れるような動きで装着した。「あらあらぁ……!」と、眼を鋭く細めた陸奥も同じく、舌なめずりをしながら機器を装着する。大和とウォースパイトの二人も、VR機器を手に取りソファから勢いよく立ち上がったが、「はぅ……ッ!?」「あふぁ……!?」勢いがつき過ぎて二人してソファテーブルの足に指をぶつけて悶絶していた。サラトガは皆の血相に一瞬怯んでしまったが、出遅れはしなかった。戦闘時にも劣らない集中力で、VR機器を手に取り装着。そして、武蔵達が凝視する空間へと視線を向ける。心臓が止まるかと思った。

 

 確かに。其処に。少年提督の姿があった。着替えている。上半身は、裸。蠱惑的な少年の躰だ。此方に背を向けている。その右半身には複雑な幾何学文様が刻まれていた。瑞々しく白い肌と紋様のコントラストは、禍々しくも淫靡で、何処か神聖さを感じさせる。サラトガは息を呑む。魔性とも言うべき色気だった。彼の横顔が見えた。静謐な面差しには、愛らしい白い頬。睫毛。憂いを帯びた眼差し。胸の桜色の蕾も。この世のものとは思えない造形だ。そんな彼がすぐそこで、ベルトに手を掛けて、カチャカチャとやり始めた。余りにも衝撃的で、刺激的で、官能的な瞬間が訪れようとしている。

 

「をうをうをうおろおろろおろ……!!」 

 

 興奮と戸惑いの余り、長門が何かを言おうとしたが言葉になっていない。

 

「ぁららららららららはぅぁぁ^~~……」

 

 その隣で、呆然と立ち尽くした陸奥が、とろけるような恍惚とした声音で謎のメロディーを奏で始めた。まぁ、そんなことはどうでも良い。いや、どうでも良くはないが、目の前の景色の方が優先される。

 

 サラトガも気付けば、自分の胸のあたりを両手でぎゅうぎゅうと掴んでいた。胸が苦しい。顔が熱い。変な気分になりそうだ。サラトガは頭を振る。この機器越しの景色に、立体的な映像や演出を象って見せることが出来ることは理解した。そうだ。冷静になるべきだ。これは、映像。虚像だ。深呼吸をしようとする。しかし、彼の姿から目を離せない。其処に象られた彼が、ベルトを外した。そして、黒い提督服の下履きに手を掛けて、ゆっくりと腰から下ろしていく。その彼の動きに合わせ、彼を見詰める長門と陸奥も、二人してパンツを脱ぎ始めた。サラトガも危うく二人に倣うところだったが、すんでのところで踏みとどまった。体の筋肉をフルで使うような、凄い意思の力が必要だった。

 

「あっ、おい、何やってんだお前ら(素)」

 

 流石の野獣も驚いたのか。或いは、困惑したのか。携帯端末を操作して、少年提督の虚像を一旦消した。

 

「そぉおいおいおいおいおいおいおいおいおい!!!?」

「ちょっとちょっとちょっとちょっとちょっと!!!?」

 

 VR機器を装着したままで長門と陸奥は、野獣に向き直り激しく抗議の声を上げて詰め寄った。そりゃあもう、凄い剣幕だった。

 

「おいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおいおい!!!?」

「ちょっとちょっとちょっとちょっとちょっとちょっとちょっと!!!?」

 

「うるさいんじゃい!!! 先にパンツ履いて、どうぞ!!!!(憤怒)」

 

 二人に言う野獣が虚像を消したタイミングは、大和とウォースパイトがVR機器を装着したのとほぼ同時だった。故に、大和とウォースパイトは、彼の艶姿を見ることが叶わなかったようだ。その事実に打ちのめされた二人は、まるで夢遊病者のような足取りで、先ほどまで少年提督の姿が在った場所へとふらふらと歩いて行った。

 

「Admiralは、どこ……、ここ……?」

 ウォースパイトが、力の籠らない声で言いながら、何かを探している。

 

「えぇ、間違いありません……。ここに、提督の香りがします……」

 大和は切なげに虚空を抱きしめ、ありもしない残り香を感じつつ、ゔォおぉぉぉお……と、涙を流している。成人女性の泣き方じゃない。

 

 かなりヤバい絵面だが、武蔵と龍驤の方は少々赤い貌をしつつも、まだ落ち着いている様子だった。ただ、VR機器を装着したままで、ちょっと気まずそうに互いの方を見ようとしない。サラトガも同じだ。顔が。顔が、めちゃ熱い。自分でも赤いのが分かる。今度こそ深呼吸をして、頭を冷やそうと試みる。

 

 思考を取り戻そうとするサラトガの傍では、長門達の方はヒートアップしているものの、野獣の方は冷静だった。「あのさぁ……、いきなりパンツとか脱がれちゃうと、びっくりしちゃうんだよね?(はっちゃん)」と、詰め寄る長門と陸奥を相手にしている。

 

「しかし……、お前……。

 もうちょっとで……、お前……。

 彼が……、お前……。

 下着姿で……、お前……」

 

 長門は興奮冷めやらぬと言った様子で、上手く言葉を紡げていない。陸奥の方も、途中で映像を消されて大層ご不満の様子だ。腕を組んで眉間に皺を刻み、首を傾ける姿はかなり怖い。美人が起こると恐ろしいと言うのは本当だ。

 

「何か勘違いしてるみたいだけど、これはそういうアダルトな事を目的にしてる訳じゃないから」

 

 しかし野獣は、ビビるような素振りは全く見せず、自身が装着しているVR機器の横側を右手でトントンと叩いた。

 

「基本的に、社会適応の為の訓練に使うためのモンやし(上っ面の真面目さ)」

 

 あぁ、なるほどなぁ……と、サラトガの傍で小さく呟いた龍驤は、野獣に向き直って鼻を鳴らした。サラトガも、野獣の言葉の裏にあるものを察した。こういう機器の実用に向けた動きは、前のコンビニのレジ研修の延長線上にあるものなのだろう。未だ戦いの中にある軍属の艦娘達が、今からでも人間社会に馴染むために出来る取り組みである。そしてこの機器を使えば、少年提督の下に居る深海棲艦達でも仮想空間の中ではあるが、社会経験をすることが出来る。

 

 今この場に集まっているサラトガ達は、その動作テストのモニターという訳である。意義深い機会だ。だが、先ほどの光景が脳裏に焼き付いているので、何だか釈然としないのも事実だ。急に真面目なことを言い出した野獣に、長門や陸奥、大和や陸奥、ウォースパイトも何だか微妙な空気の中で、VR機器を装着したままの顔を見合わせている。サラトガもむにむにと唇を噛んでいると、龍驤が小さく笑った。

 

「まぁ、こういうヴァーチャルなモンで訓練を積んで、“経験”を熟せるんやったら便利やろな」

 

「ダルルォ?」 野獣も言いながら、龍驤に頷いた。

 

「しかし、さっきの映像は何やねん」

 

「さっきの着替えシーンの事なら、アイツ自身に許可も取ってるから別に問題ないゾ(免責事項)」

 

「どういう事ですか……?(興味津々)」

 

 思わず聞いてしまったサラトガの声音は、自分でも驚くほど深刻な声音だった。ちょっと恥ずかしかったが、「それな!!」みたいに頷いた長門達も、野獣に視線を向けた。全員がVR機器を付けたままの異様な光景だが、野獣にとっては好都合だったのだろう。携帯端末を手早く操作して、再び、サラトガ達から少し離れた場所に少年提督の虚像を映し出した。ドキッとしてしまう自分が恨めしい。ただ、少年提督の虚像は、もう着替え終わっていた。黒いジャージ姿だ。少年提督が微笑んで、唇を動かした。

 

『では、体操を始めます。ゆっくりで良いので、僕に続いて下さいね』

 

 このVR機器の音声再生機能のおかげか。彼の温みの在る落ち着いた声が、ゾクゾクとした寒気がするほどの臨場感で聞こえた。変な声が出そうになる。少年提督は微笑んだままで、体を動かし始める。「あぁ^~」とか言いながら、少年提督の動きに倣い、体操を始めようとしているのは長門と陸奥、大和だった。ウォースパイトは食い入るように彼の虚像を見詰めている。穏やかな眼差しの武蔵は、腕を組んで彼の虚像を見守っていた。

 

「さっきの着替えは、この体操プログラムに繋がっている訳ですね……」

 

「そうだよ(肯定)。録画範囲の関係で、ちょっと着替えシーンまで入っちゃったけど、多少はね?」

 

『僕の着替えなんて、誰も気に留めないでしょう』と、少年提督は再び録画する手間を省いたという事だった。実用段階になって映像に手を加えることになれば、着替えの部分だけをカットすることも出来るだろうということもあり、そのまま実装されているらしい。VR機器がプロトタイプの現状では、この体操プログラムの映像には、着替えシーンが付属しているという状況だ。

 

「な、なりゅほど……。しょ、初回特典という訳ですね?」

 

 サラトガは噛み噛みで意味不明な事を呟いてから、咳払いして冷静を装う。意識しないと、じっと彼の虚像を見詰めてしまう。無垢な彼の体操姿は、愛らしかった。何というか、普段は見れない彼だからだろう。余計にそう感じる。龍驤も何も言わずに、下を向いたり横を向いたりしているあたり、多分冷静じゃない。そんな其々の反応を見てから、野獣は携帯端末を操作して、少年提督の虚像の動きを止めた。丁度、少年提督が屈伸の最中だった。微笑んだままで、前傾姿勢になり手を膝の上に置いている。これから膝を曲げようとしている姿勢である。

 

 その無防備な姿に、時間停止シチュエーションというイケナイ言葉が脳裏に浮かんだのは、ゴクリと唾を飲み込んだサラトガだけでは無かった筈だ。熱い吐息が周りでも聞こえた。周囲の状況を見ていた野獣は、VR機器を付けたままで「だからさぁ……」と、クソデカ溜息を吐き出す。

 

「コレは『健康維持のための体操』用のプログラムだけど、こういう健全さしかない内容で勝手に盛り上がられる(意味深)と、駆動試験になんないよ~(困った貌)」

 

 呆れ交じりに言う野獣の言葉も尤もだと思う。サラトガは何も言い返せなかった。長門達も同じだ。VR機器を装着したままでぐっと言葉を飲み込み、唇を噛んでいる。龍驤と武蔵が「ウチらもか……?」、「いや、私達はそこまで盛り上がってはいないと思うんだがな……」と、冷静に言葉を交わしている。

 

「今日のところは、もう動作テストも終わりにすっかな~……(無慈悲な宣言)」

 

 携帯端末を操作する野獣が残念そうに言いながら、時間停止状態の彼の虚像を消そうとした。だが、その野獣に「ま、待って!!」と、切羽詰まった声を上げたのはウォースパイトだった。

 

「私達は凄く健全な気持ちで、このモニターに臨んでいるの。邪な気持ちなんてこれっぽっちも抱いていないわ」

 

 VR機器を一度外したウォースパイトは、凛と表情を引き締め、野獣に向き直る。野獣が眉をハの字に曲げた。

 

「また“ロイヤル☆嘘八百”かぁ、壊れるなぁ……(辟易)」

 

「う、嘘じゃないわ!!」 ウォースパイトは食い下がる。

 

「ほんとぉ?(拭えぬ猜疑)」

 

「そ、そうだぞ!!(便乗) 野獣!! ほら見ろ!!」

 

 ウォースパイトに続いて声を上げたのは長門だ。「こうだぞ!! ほら!! こんな事しちゃうぞ!!」と、真剣な貌の長門は、うぉおおお!!と凄い勢いで腕立て伏せを始めた。体操プログラムの稼働実験で、何故に筋トレを始めるのは謎だが、長門はアレで自分の健全さのアピールをしているつもりらしい。其処に、「なかなかやるな」とか言いながら、武蔵が長門に並んで、高速で腕立て伏せを始めた。武蔵の真面目ボケが炸裂する。大和と陸奥も、互いに貌を見合わせて頷きあう。この流れに乗るつもりのようだ。大和と陸奥は互いに足を組ませ、フンフンフンフン!!と、向かいあう形で腹筋をおっ始めた。もの凄い高速の腹筋だった。

 

「そうですよ!! 私達もホラ!! こうですよ!! こう!!」

 

「こんな健全さしかない私達に、やましい気持ちなんて在る訳ないでしょ!!」

 

 ウォースパイトの言葉に、“説得力”と“熱い気持ち”を乗せるべく、長門や大和達が一丸となって汗を光らせている。「み、みんな……」と、そんな仲間達の姿に、ウォースパイトは軽く感動しつつVR機器を再び装着していた。強烈な光景だ。

 

「……何コレ(素)?」 そんな執務室を見回した龍驤がサラトガを見た。

「いや、サラに聞かれても……」 サラトガも反応に困る。

 

 ただ、長門達のアツい思いは届いたようだ。「しょうがねぇな~(悟空)」と、野獣は唇の端を持ち上げて見せる。野獣の言葉に、筋トレをしていた長門達が立ち上がり、肩をきつく組んで円陣を組んだ。

 

「よーし!!! 絶対勝つぞ(?)!!!」 長門が叫ぶ。

「おおおおおおおお!!!!(意気軒高)」 他の面々が、足を踏み鳴らして声を合わせた。

 

 何かのスポーツの社会人チームみたいな、ガチンコなノリだった。その光景を見つつ、「えぇ……(困惑)」と、サラトガが反応に困っていると、隣に居た龍驤が此方に気遣わし気な笑顔を向けてくれた。

 

「キミも、えらいトコに召ばれたなぁ~……(切なげ)」

 

「は、はい……(素)」

 

 この熱い空気に、若干の置いてけぼりを喰らっているサラトガを他所に、野獣は携帯端末を操作する。すると、VR機器が低い駆動音を宿らせた。何らかのプログラムが作動しているのか。サラトガがそう思った時だ。

 

「それじゃあ、お前らの健全さを信じて、……試しにちょっと、この“リラックスモード”を起動するゾ(Explore)」

 

 ニヤリと笑った野獣が、携帯端末を操作したのと同時だ。円陣を解いた長門達も、周囲を見回しているタイミングだった。少年提督が、いつの間にかウォースパイトの目の前に居た。ウォースパイトがギクッとして身を引いている。彼の虚像は、その服装を変えていた。ジャージでは無い。いつもの黒い提督服だ。彼の虚像が、ウォースパイトに嫣然と微笑んで見せた。

 

『此方にどうぞ』と。まるで上客を扱う丁寧さで、少年提督の虚像は、秘書艦用の執務机の椅子へとウォースパイトを案内し、座らせた。次の瞬間には、この機器から覗く仮想空間が、大きく姿を変え始めた。視界が歪む。捻じれて揺れながら輪郭を暈し、新しい世界へと変わっていく。今までは、この機器越しでみる光景は執務室だった。今は違う。此処は。何処だ。見た事が無い場所だ。一見して。清潔感のある空間だった。個室である。ベッドに、タオル、キャビネットなど。エステサロンにも似ているが、違う。少々、イカガワシイ感じだ。

 

 サラトガは装着していたVR機器を外してみた。当たり前だが、此処は執務室だ。秘書艦の執務机に、VR機器を装着したウォースパイトが座っているという状況だ。サラトガが機器を装着すると、やはり景色が変わっている。息を呑むほどに精緻なヴァーチャル空間である。使用者の意識をこの世界に深く没入させるのは、この機器の本懐なのだろう。まるで、ちょっとエッチなお店に案内された様子のウォースパイトは、「えっ、えっ、あのっ、あのっ……!」みたいな、不安そうで、それでいて嬉し恥ずかしドキドキ状態だった。

 

 そのウォースパイトにトドメを指す存在が、新たな虚像として登場する。

 

『お疲れさまです、ウォースパイトさん』

 

 少し低く、優しげな柔らかな声。少年提督の隣に。青年姿の彼が、黒い提督服で立っていた。ビクッと肩を震わせたウォースパイトが、その声の方を見て、すぐに俯いた。様子がおかしい。唇をぎゅうぎゅうと噛んで、背中を丸めて、額のあたりを左手で覆っている。右手でスカートをきつく握っていた。青年の方を見ようとしない。顔が真っ赤だった。

 

 あぁ。そうか。ウォースパイトは、少年提督の青年姿に特別な想いがあるのだろう。初心な少女のように、耳や首元まで染まった朱の肌が雄弁に物語っている。ただ、少年提督と青年提督の虚像は容赦しない。二人の虚像は、椅子に腰かけたウォースパイトを挟む形で両脇に立つ。これから、何が始まるのか。

 

 長門達は野獣の眼光を湛えて、成り行きを見守っている。サラトガは生唾を飲み込んで、隣に居る龍驤もハラハラとした様子だ。武蔵は難しそうな貌で腕を組んでいる。静寂は、数秒だった。少年提督の虚像が、ウォースパイトのすぐ隣で微笑んだ。椅子に腰かけているウォースパイトと、立っている状態の少年提督の背は同じくらいである。少年提督の虚像は優しく耳打ちをするように、その唇をウォースパイトの耳に寄せた。

 

『ではこれから、耳舐めマッサージを始めさせて貰いますね』

 

 優しい声音で、とんでもないワードが飛び出した。

 

「んへぇえっ!!?(ロイヤル☆素っ頓狂)」

 

 声をひっくり返らせたウォースパイトが、両隣にいる少年提督と青年提督を交互に見る。二人は微笑んだままで、更にウォースパイトの頬の辺りに顔を近づける。

 

「は、はわわわわ……っ!!」

 

 え、えらいこっちゃ……!! みたいな貌になったウォースパイトは、顔を真っ赤にしたままで唾を飲み込んで背筋を伸ばす。ガチガチに体を硬直させて、視線は目の前の中空の一点を凝視している。両隣にいる虚像達の方は見ない。余裕の無いウォースパイトの近くに、長門達が列を作って並び始めた。順番待ちのつもりか。サラトガも列に加わろうか迷っていると、横から服の裾を引かれた。「やめとき……。どうせロクな事にならんで」と、これからの展開を見透かしたような、不味そうな貌の龍驤だ。虚像達は、長門達やサラトガ達の様子には何も言わない。

 

『まず、お耳を温めますね?』

 

『失礼します』

 

 施術対象のウォースパイトの緊張を解すべく、虚像達は蕩ける様な甘い声で言う。

 

 ウォースパイトが甘い悲鳴を上げた。淫靡で蠱惑的に言う虚像達は、ウォースパイトの耳に『はぁぁぁ……』と、吐息を寄せたのだ。なんともエロティックな吐息だった。勿論、彼らは虚像だ。実在しない。故に、吐息など吐けない。しかし、サラトガ達が装着しているこのVR機器が、えげつない臨場感と存在感を虚像達に与えている。声の遠近、響き、呼吸の音まで再現する精密な音声コントロールに加え、精緻な仮想空間と精密な人物造形、所作の構築など。非現実的な世界から、不自然さを徹底的に排除したこの光景は、その状況の理由や脈絡、結実を求める必要を排除する。同時に、強烈な没入感を生み出す。

 

『では続いて、お耳を“はむっ”としますね』

 

『体を楽にして下さい』

 

 少年提督と青年提督の姿をした虚像達は、ウォースパイトを労わるように優しく言葉を紡ぐ。下心も、いやらしさも全く感じさせない声音だ。確かに、本物に似ている。というか、区別がつかない。赤い貌のウォースパイトが切なそうに息を漏らし、泣きそうな貌になっている。だが、少しも嫌そうじゃない。そんな素振りも全然見せずに、くたっとした様子で椅子に体を委ねている。潤む瞳をきゅっと瞑ったウォースパイトは、その瞬間に備えて、期待と不安に体を強張らせている。

 

 虚像達は、そんなウォースパイトの赤い耳を、唇でそっと挟むように銜えようとした時だった。いきなりだった。虚像達が、ふっと消えた。ついでに、もとの野獣の執務室へと世界が切り替わっていた。椅子に座っていたウォースパイトが、呆然とした様子で置き去りにされている。長門達も、その場に立ち尽くしていた。気まずい沈黙が数秒あった。

 

「Foooooooo↑! 良い性能してますねよぇ……。構築されたヴァーチャル空間も、なかなかリアルで良いゾ~コレ(ご満悦)」

 

 機嫌が良さそうなのは、携帯端末で何やらデータを採取していた野獣だけだ。

 

「おい」

 

 そんな野獣へと、ウォースパイトが威厳すら感じさせる低い声を掛けた。もう一度、「おい」と言ったウォースパイトは椅子から立ち上がり、ゆっくりと首を傾けながら艤装を召んで纏う。その威圧感と殺気に、サラトガは思わず身構えそうになる。流石は、武勲艦と言ったところか。本当に怖い。でも、怒るのも分かる。確かに、あのタイミングで中断は流石に可哀そうだった。長門や大和達も、野獣を責めるような目つきで見ている。しかし、野獣は「なんだよウォースパイト^~」と、すっとぼけたように笑う。

 

「そんなに暖ったまんなってぇ、も^~。おこ? おこなの? “ロイヤル☆ぷんぷん”?」

 

 茶化すように言う野獣に、ウォースパイトが下目遣いになって舌打ちをした。ヤバい。あの眼は、殺る気だ。オーラのようなものが立ち上っている。

 

「おい野獣! これ以上ウォースパイトをホッカホカにするな!」

 

 流石に長門と陸奥が、野獣にストップを掛ける。野獣が肩を竦めた。

 

「プログラムを終了させるタイミングが悪かったのは謝るゾ。まぁ、不具合も無いみたいだし、あとでもう一回起動させるからさ(優しさ)」

 

「……そう(めっちゃ低い声)」

 

 野獣の言葉に、取り合えずといった感じでウォースパイトは視線を逸らしつつ、艤装の召還状態を解いた。

 

「ホラホラ、機嫌直してよ。今回は特別に『“少年提督はウォースパイトさんが大好き☆悶々として夜も眠れない”』Verも用意してるんだからさ……(天使にも似た悪魔の囁き)」

 

 野獣は携帯端末を操作しつつ、そんなご機嫌ナナメな様子のウォースパイトに歩み寄り、悪い笑みを浮かべて耳打ちした。その野獣の言葉に、どれほどの衝撃を受けたのか。劇画みたいな貌になったウォースパイトが、弾かれたように野獣に向き直った。

 

「……それマ? マ?」

 

 余りのことに、真剣な貌のウォースパイトの口からギャル語が飛び出した。

 

「マ(一言で十分)」と、穏やかな表情の野獣は、ウォースパイトに深く頷いて見せた。

 

「マ……(福音)」

 

 遠くを見る様な眼差しになったウォースパイトに、優し気で高貴な微笑みが戻って来た。何を思い描いたのか、満たされたような貌で、ほぅ……と一つ息を吐き出している。野獣が「ちょれぇなぁ……(ちょっと心配)」と呟いているのを、サラトガとその隣で渋い貌をしている龍驤は聞き逃さなかった。だが、せっかくウォースパイトの機嫌も直ったのだ。下手な事は言えないし、どうしたものか。サラトガと龍驤が、困ったように眼を見合わせた時だ。

 

「ねぇちょっと野獣! そういう拡張パック的なシステムは、私達には無いの!?」

 

 不服そうに言う陸奥が挙手していた。

 

「おっ、そうだな!(便乗7) 羨ましいぞ!(クソ素直)」

 

 険しい貌の長門も腕を組んで頷いている。それに続いて、「私にも愛のパワーを下さい!!(意味不明)」と、必死な様子の大和が深く深く頭を下げた。三人はVR機器を装着したまま、やけに力の籠った声音だった。ただ、あの面子の中にあって武蔵だけはVR機器を外して、「まぁまぁ、落ち着け」と、長門達を宥めようとしている。そんな皆を見ていた龍驤が、「ホンマ、ここの奴らはしゃあ無いなぁ」みたいに、何かを愛しむような苦笑と共に、優しそうな溜息を吐いていた。

 

「いやぁ、2回目になるけど……。えらいトコに召ばれてもたなぁ、キミも」

 

 サラトガへと視線を上げてきた龍驤は、やはり嫌味の無い笑みを浮かべていた。自然体で、手の掛かる弟や妹に呆れる様な、それでいて大人っぽい笑みだった。そこに包れている感情や心情が、マイナスでは無いことは確かだ。サラトガも釣られて、少しだけ可笑しそうに笑みを零した。

 

「ふふ、そうかもしれません。でも、此処に召ばれて皆さんに出会えた事は、とても幸運だと思います」

 

「前向きやなー」

 

 穏やかに言いながら眉尻を下げた龍驤は、騒がしい執務室を一瞥する。サラトガも、騒がしい執務室へと視線を戻す。そこでは、まだVR機器を装着したままの長門や大和達が騒いでいる。海の上では厳然と在り、毅然と往き、熾烈に戦う彼女達の、こんなバカ騒ぎに興じる姿もまた、“人間らしさ”という範囲にある心の動きだと思う。

 

「なら、まぁええんやけどな」

 

 龍驤は唇の端を歪めて見せた。歴戦の彼女にこそよく似合う、年季の入った渋い笑みだった。こうやって笑える龍驤も、とても魅力的なひとだ。先ほども聞いた、この龍驤の『ならええんや』という言葉に、今はより深い響きがあるように感じた。

 

 

 












今回も最後まで読んで下さり、本当にありがとうございました!

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