花盛りの鎮守府へようこそ   作:ココアライオン

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暖かなメッセージにも反応が遅れて申し訳ないです……。
お暇潰しにでもなれば幸いです……。



浮世の海

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 あっ、そうだ!

 ウチの鎮守府用に、Tw●tteのアカウント取っといたから。お前らの為に

 明日から色々呟いていくゾ

 

 

≪長門@nagato.1●●●●●≫

 また訳の分からん事を……

 

 

≪陸奥@nagato2.●●●●●≫

 仕事に専念してくれない?

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 情報を発信していくのも仕事の内だって、それ一番言われてるから

 

 

≪大淀@ooyodo.1●●●●●≫

 ホント勘弁して下さいよそうやって思い付きで行動するの

 

 

≪明石@akasi.1●●●●●≫

 そもそも、何の情報を発信するんですかね……

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 ん、そうですね。取り合えず最初は、

 “今日の霞ちゃんのパンツは、クマさんです”みたいな感じでぇ……

 

 

≪霞@asasio10. ●●●●●≫

 @Beast of Heartbeat

 アンタさぁ、ねぇ、もう死ぬ? 死んじゃう?

 

 

≪天龍@tenryu1. ●●●●●≫

 ゴミみてぇなアカウントだな

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 皆が知りたがるホットな情報ダルルォ!!? 

 やっぱり、まずはフォロワーを増やさなきゃ……。

 秒間114514ツイートの速射砲で勝負に、で、出ますよ

 

 

≪鈴谷@mogami3.●●●●●≫

 そんな事しなくていいから

 

 

≪吹雪@fubuki1.●●●●●≫

 サイバー攻撃か何かですか?

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 これくらいアグレッシブで良いんだ上等だろ?

 

 

≪飛龍@hiryu1.●●●●●≫

 速攻でアカウントロックされてそう

 

 

≪蒼龍@souryu1.●●●●●≫

 仮にフォロワーさんが増えたとしても、常に炎上してそう

 

 

≪鹿島@katori2. ●●●●●≫

 もっと普通というか、穏やかなツイートにしませんか? しましょうよ……

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 しょうがねぇな~、

 じゃあ当面は、ウチの日常の一コマ一コマを切り取って、写真と一緒に呟いていくゾ

 

 

≪香取@katori1. ●●●●●≫

 しかし、鎮守府内での艦娘達の様子を表に出すというのは……

 

 

≪大淀@ooyodo.1●●●●●≫

 @Butcher of Evermind

 本営からの許可は出ているのでしょうか?

 

 

≪少年提督@Butcher of Evermind≫

 はい。艦娘の皆さんの戦闘や入渠、改修施術などの軍事的な活動を除いた生活の範囲に限ってではありますが、世間に公開する事を許して貰っています

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 社会の目にお前らを映す方法としてはアリだろうって事で、多少はね?

 最近じゃ、お前ら艦娘の人権を尊重して、守られるべきものだっていう世論が主流になりつつあるからね。本営の上層部も、そういう社会に向けての外面をより頑丈に取り繕いたいんでしょ

 

 

≪天龍@tenryu1. ●●●●●≫

 要するに、本営お得意の『艦娘を大事にしてますよ』っていうアピールの一環って事だろ?

 いつものヤツじゃねぇか

 

 

≪少年提督@Butcher of Evermind≫

 確かに、今までと同じような印象操作の一部と言ってしまえばそれだけですが、いずれ大きな意味を持ってくると思います。

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 そうだよ。今の世論の流れを作ったのは、間違いなくお前らの存在があってこそだってハッキリわかんだね。だから今回も、いろいろと協力してくれよな~頼むよ~

 

 

≪天龍@tenryu1. ●●●●●≫

 まぁ、出来る範囲でならな

 

 

≪赤城@akagi1.●●●●●≫

 私に出来ることなら、喜んで

 

 

≪鈴谷@mogami3.●●●●●≫

 鈴谷も!

 

 

≪加賀@kaga1.●●●●●≫

 仕方ありませんね

 

 

≪陸奥@nagato2.●●●●●≫

 そう言えば、テレビ局が来るとかいう話はどうなったの?

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 頓挫ゾ。決戦準備も長引いたからね。

 

 

≪長門@nagato.1●●●●●≫

 仕方のない事だな

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 その代わりィ、ウチで映像を撮って用意すれば、それをテレビ局で流して貰うっていうのはOKらしいっすよ?

 

 

≪陽炎@kagerou1.●●●●●≫

 えっ、それは……

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 いつもの鎮守府の風景を撮りたいから、またレクリエーションしませんか? しましょうよ? 前みたいに “逃●中”とか、もう一回やってみよっか、じゃあ

 

 

≪曙@asasio10. ●●●●●≫

 フザケンナヤメロバカ!

 

 

≪皐月@mutuki5. ●●●●●≫

 無理ぃ~もぉヤダ~!!

 

 

≪吹雪@fubuki1.●●●●●≫

 それだけは、勘弁して下さい……

 

 

≪ガングート@Gangut1.●●●●●≫

 @Beast of Heartbeat

 逃●中とは何だ?

 

 

≪ヴェールヌイ@Verunui.●●●●●≫

 知らなくて良い事もあるよ、同志

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 簡単に言えば、鎮守府全体を使った鬼ごっこみたいなモンだゾ

 “艤装召還”不可だから艦娘としてのスペックじゃなくて、個の運動能力がモノを言う感じでぇ。賞品とかも用意して、みんなで盛りあった事があったんだよね

 

 

≪少年提督@Butcher of Evermind≫

 手の込んだ用意も仕掛けもあって、楽しかったですね

 

 

≪ガングート@.Gangut1.●●●●●≫

 ほう、なかなか興味深いな

 

 

≪Jervis@J1.●●●●●≫

 へぇ~、面白そう!

 やってみたい!

 

 

≪金剛@kongou1. ●●●●●≫

 絶対にNO

 

 

≪榛名@kongou3.●●●●●≫

榛名も許しません

 

 

≪天龍@tenryu1. ●●●●●≫

 楽しかったっつーか、参加者の殆どが必死だったのは間違いねぇな

 

 

≪不知火@kagerou2.●●●●●≫

 思い出すと、変な汗が出てきました

 

 

≪アークロイヤル@Ark Royal1.●●●●●≫

 なぁ、ビスマルク。お前は参加したんだろう? 

 どうだったんだ?

 

 

≪ビスマルク@Bismarck1.●●●●●≫

 ノーコメントで

 

 

≪プリンツ・オイゲン@Admiral Hipper3.●●●●●≫

 思い出したらアー吐キソ……

 

 

≪グラーフ・ツェッペリン@Graf Zepplin1.●●●●●≫

 ……一体、何があったんだ?

 

 

≪ガンビア・ベイ@Gambier Bay.●●●●●≫

 あ、あの、賞品が用意されていたと仰っていましたが

 具体的にはどんなものだったのでしょう?

 

 

≪少年提督@Butcher of Evermind≫

 確か、『僕が一日、何でも言う事をきく』というものだったと思います

 

 

≪ウォースパイト@Warspite1.●●●●●≫

 ん?

 

 

≪グラーフ・ツェッペリン@Graf Zepplin1.●●●●●≫

 ん?

 

 

≪リシュリュー@Richelieu1.●●●●●≫

 ん?

 

 

≪アイオワ@AIOW1.●●●●●≫

 n?

 

 

≪イントレピッド@Essex5.●●●●●≫

 今

 

 

≪サラトガ@Lexington2.●●●●●≫

 何でもするって

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 言ってないんだよなぁ……

 

 

≪鈴谷@mogami3.●●●●●≫

 とにかくさ、もう逃●中はやめた方が良いと思うな

 

 

≪熊野@mogami4.●●●●●≫

 泣いてる子もいましたものね……

 もう少しファミリー向けな内容で考えませんこと?

 

 

≪加賀@kaga1.●●●●●≫

 バラエティや料理、クイズ系になるのかしら

 

 

≪赤城@akagi1.●●●●●≫

 料理番組ということであれば、

 鎮守府には、鳳翔さんや間宮さん、それに伊良湖さんも居られますからね

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 おっ、そうだな! 料理系は鉄板ですねぇ!

 あと、クイズ系をやるなら、やっぱり王道を征く『アタッ●364364』ですか

 

 

≪長門@nagato.1●●●●●≫

 奪い合うパネルの数が膨大過ぎるだろうが!

 

 

≪龍驤@ryuzyo1. ●●●●●≫

 そんな大規模な番組装置、誰が用意すんねん……

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 明石に頼めば大丈夫でしょ? 

 毛穴まで丸見えの1919Kイキスギ・ハイビジョン対応で撮るから、

 その辺の準備も、はいヨロシクぅ!

 

 

≪明石@akasi.1●●●●●≫

 余計な仕事が増えすぎて、もう気が狂う!!!

 

 

≪陸奥@nagato2.●●●●●≫

 いや、時間的に見て番組として成り立たないでしょ、

 36万問のパネルなんて、埋まってくるのに何年掛かるのよ……

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 その辺はちゃんと解決できるゾ

『アタッ●チャ^~ンス』で、114514枚のパネルを取れるから、安心!

 

 

≪嵐@kagerou16.●●●●●≫

 とんでもなく大味っスね……

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 お前らの生活から軍事的なモンを取っ払うには、これくらいガバッてる方が良いゾ

 

 

≪朝風@kamikaze2. ●●●●●≫

 自分でガバッてるとか言ってたら世話無いわね

 

 

 

 

 

 

 

 

 艦娘囀線の昼頃のタイムラインを思い出しつつ、時雨は海を眺めている。彼方まで広がる晴れた空の青に、夕日の茜色がグラデーションを作っていた。風が心地よい。

 

 

 今日の秘書艦であった時雨は、早めに仕事を終えた野獣と共に埠頭での釣りに興じていた。野獣の隣には、少年提督も釣竿を持って立っている。そして少し離れた場所には、今日の彼の秘書艦である瑞鶴も、難しい顔で釣竿を構えていた。野獣は少年提督と釣りをする約束をしていたらしい。そこへ、「お前らも、やりますか~? Oh~?」と、時雨と瑞鶴も誘われた形だった。時雨はその誘いに快く応じて、瑞鶴も無言で頷いていた。

 

 釣り始めてそれなりに時間が経つのだが、さっぱり釣れない。時雨は手の中の竿を握り直しつつ、少し離れた場所に立っている野獣を横目で見た。時雨だけでなく、野獣も少年提督も、そして瑞鶴も、釣りを始めてから全く釣れて居なかった。野獣は釣り竿を揺らしながら、何処か遠い目をして夕焼けの海を見詰めている。少年提督は穏やかな表情で、揺れる海の表面を眺めている。瑞鶴だけは、何処か思い詰めた様子で足元を睨んでいた。

 

「場所、変えてみようか?」

 

 時雨が皆に訊くと、「えぇ、ちょっと移動してみましょうか」と、少年提督は微笑んで頷いた。「そうっすっかな~、俺もな~(検討)」と、野獣も苦笑を浮かべる。瑞鶴は時雨の方を見て、すぐに目を逸らした。それと同時だったろうか。

 

 野獣の携帯端末が電子音を鳴らした。Tシャツに海パンという、いつもの恰好の野獣は面倒そうに鼻を鳴らす。本営からの着信だったようだ。野獣は「悪い、ちょっと失礼するゾ~(アンニュイ先輩)」と、掌を縦にして見せた。少年提督が微笑んで頷いていた。同じように野獣へと頷いて見せた時雨は、海パンから携帯端末を取り出した野獣から、視線を海へと流す。遥か彼方の空は海に触れ、紫色に変わろうとしていた。

 

 少年提督と瑞鶴も、彼方の空を見ている。誰も、何も言わなかった。携帯端末を耳にあてた野獣が、誰かと話をしている。夕暮れの風は心地よいが、野獣の声までは攫ってはくれない。艦娘の深海棲艦化という言葉が聞こえた。地面を見ている瑞鶴が、震えた呼吸をしているのには気付かないフリをした。

 

 瑞鶴は、前の作戦から帰って来てから様子が変わった。明るく、溌剌だった筈の彼女は、自分では消化しきれない苦悩を抱えているような、酷く憔悴した面持ちで居ることが多くなった。今もそうだ。瑞鶴は余裕の無い強張った表情で、自分の爪先を睨んでいる。

 

「……気分でも優れませんか?」

 

 そんな瑞鶴へ、少年提督は心配そうに声を掛ける。

 

「うぅん、大丈夫」

 

 瑞鶴は少年提督を一瞥してから、俯き加減で首を振った。

 

 野獣は携帯端末の向こうの人物と話を続けている。その内容をあまり聞きたく無くて、意識を逸らす為に時雨も携帯端末を取り出した。

 

 ただ、携帯端末を取り出したところで、何をするのかまで考えていなかった。片手に釣竿を持ち、もう片手に携帯端末を持つという恰好になった時雨は、この後どうするかを一瞬だけ迷ってから艦娘囀線を開く。息苦しさを感じながら、昼間のタイムラインをもう一度読み返した。タイムラインに見る野獣の馬鹿馬鹿しい言動は、この鎮守府の“日常”というものを象徴しているように思える。

 

 今回の作戦は、過去に例を見ない規模の大きさだった。艦娘達が、艦船としての自身の過去を乗り越える戦いにもなった。決戦装束に身を包んだ瑞鶴の、凛とした後ろ姿は強く印象に残っている。この作戦を戦い抜いた艦娘達は皆、生きるという事に対する答えや哲学を、各々の心の内に得たに違いない。それを新たな価値観や自我として育んでいくのも、この“日常”を拠り所にしてこそだと思う。

 

 時雨は、視線だけで野獣を見た。携帯端末を耳に当てる野獣は、やはり遠い目をして海を睨んでいる。話をしているその声音も、普段のお茶らけているものとは少し違う。軽い調子の中にも、相容れない者と対峙する意思を滲ませている。通話を終えた野獣は、携帯端末を海パンに仕舞ってから、細く静かに息を吐き出した。時雨も自分の携帯端末をポケットに仕舞う。沈黙の間を、また風が通り過ぎていく。時雨は、自分の中にジワジワと広がる不安を、この静けさの中に溶かして有耶無耶にしてしまいたくて堪らなかった。気付くと、オレンジ色の海を見詰めていた。

 

「場所変えますか~?oh~?」

 

「えっ、ぁ、うん」

 

 野獣に声を掛けられ、慌てて顔を上げる。その途中で、得体の知れない後ろめたさを何とか飲み込んだ。自分がちゃんと笑えているのかどうか不安だった。釣りをする場所を変えても、やはり魚は釣れなかった。時雨と野獣、それに少年提督はポツポツと言葉を交わすものの、瑞鶴はずっと無言だった。特に盛り上がることも無く、ぎこちない雰囲気が続いた。いつもなら、野獣と過ごす時間はもっと楽しい筈なのに、今日は違う。いや、正確には、前の大きな作戦が終わってからだ。深海鶴棲姫を目撃して、時雨の中で何かが変わったのは間違いない。時雨は先ほどから黙り込んでいる瑞鶴も、自分と同じような想いを抱えているのを感じていた。だが、それは決して口にしてはいけない事だとも思っていた。また澄んだ風が吹いて、時雨の髪を揺らしていく。

 

 

「Foo~↑!! 涼しくて気持ちィ~!!(ご満悦)」

 

 暢気に笑う野獣は、ずっと変わらない。茫漠とした海も同じく、ただ漫然と波を作っている。少年提督も、本質的には変わっていない。この景色に焦燥を感じてしまうのは、時雨の意識が変わったのだろう。何処か遠い世界に置き去りにされたような気分になり、「ねぇ、提督さん」と、瑞鶴が少年提督を呼んでいなければ、時雨が野獣に声を掛けていたかもしれない。声が震えていた。

 

「はい、何でしょう?」

 

 優しい微笑みと共に、少年提督は瑞鶴に振り返る。余裕の無い瑞鶴の声音に、野獣は少しだけ眼を細めていた。夕日が、瑞鶴の影を伸ばしている。

 

「今、こうして野獣提督も居るし、聞きたい事があるんだ」

 

 瑞鶴は自分の影を見下ろしながら言う。

 

「今だけ……、多分、今しか出来ない話だし、もう、二度と口にしない。だから、聞いていいかな?」

 

 瑞鶴の震える声と言葉に切実さが滲んでいく。顔を上げた瑞鶴と、時雨の眼が合う。瑞鶴の瞳は、頼りなく揺れていた。こんな話の場に巻き込んで、本当にゴメン。そう言われた気がした。少なくとも、瑞鶴の眼差しや声音に積み重なっている感情の中には、時雨に対する申し訳なさのようなものを感じた。だから時雨は何も言わず、小さく頷いて見せた。それが伝わったのだろう。瑞鶴は目を伏せる様にして、時雨に頭を下げる。

 

「えぇ」 少年提督は微笑みを崩さない。

 

「おっ、いいゾ~(深い頷き)」

 

 野獣は少しだけ眼を細めてから、いつもの笑顔を浮かべた。二人の様子を確認した瑞鶴は再び、足元に伸びる自分の影へと視線を落とした。そして、「提督さん達がやろうとしている事って、本当に意味が在るの?」と、細い声で呟いた。時雨は、自分の心臓が冷たくなるのを感じた。それは前の作戦が終わってから、時雨もずっと考えていた事でもあったからだ。

 

 

 

「私達って、本当に人間社会の中に入っていけるの?」

 

 

 瑞鶴は言葉を続ける。野獣と少年提督が、微かに息を詰まらせるのが分かった。

 

 

「提督さんには報告しているから知ってるだろうけど、私ね、前の作戦で深海棲艦になったんだろう“自分”を見たわ。それが何を意味しているのかも、それなりに理解はしてるつもり。艦娘の深海棲艦化なんて、今更だって事も分かってる。それでも私達は、海を取り戻す為に戦わなきゃならないって事も分かってる。抱える事になる色んな感情を全部飲み込んで、自分たちの役目を果たさなきゃいけないって事も分かってる。ここの鎮守府の皆は、それを実践して、自分たちの未来を悲観せずに、誇り高く戦い抜いて来たことも分かってる。それに理解を示してくれる人達が居る事も、私達を『人』として社会に受け入れてくれようとする人達が居る事も分かってる。でも……、でも……」

 

 夕陽を背に受ける瑞鶴は、拳をぶるぶると震わせていた。そうして、足元に燻る自分の影を睨みつけながら、一言一言を噛みしめるように言葉を紡ぐ。

 

「私達から深海棲艦に通じる部分を……、軍事的な部分を……、その全部を引き剥がすことなんて絶対に無理だよ」

 

 その瑞鶴の言葉を聞いて、時雨の胸の中で引っ掛かっていた何かがストンと落ちた。野獣が俯いた。少年提督は、静かな面持ちで瑞鶴を見ている。

 

「野獣提督。今日、艦娘囀線で言ってたよね? 私達の日常を、社会の目に触れさせるって。それが世論と敵対したくないっていう本営の思惑だったとしても、世間の人たちは私達を見て、艦娘は人間と変わらないんだって、そう感じてくれると思う。私だって、人を信じたい。でも……、私達が深海棲艦になるかもしれないって分かったら、社会は絶対に受け容れてくれない」

 

 瑞鶴は顔を上げない。それは、時雨も考えたことはある。艦娘を社会の中に招きいれることになれば、艦娘の深海棲艦化現象を世間に対して隠し続けることは許されない。本営は必ず公表する。そうなれば、艦娘達の立場は大きく変わる。人類の守護者であっても、恐怖の対象になることは想像に難しくない。瑞鶴は、血を吐き出すようにして言う。

 

 

「人間の役に立つ私達の軍事的な部分こそが、私達と社会との本当の接点じゃないの?深海棲艦との戦いが終わって、そこを無価値にされたら……。私達は、人間たちにとって深海棲艦と同質の存在になって……、そうなったら、大好きな皆と過ごす私の大切な“日常”は、“世間”っていうものの中で許されない時間に変わってしまうんじゃないですか……?」

 

 

 冷たい覚悟を滲ませて言葉を紡いだ瑞鶴は、自分の影の上に涙を落とした。それは人格を持つ艦娘達が誰もが思い至る事であり、同時に、最も考えてはいけない事だった。だが、瑞鶴は敢えて問うているのだという事は分かる。じっと自分の影を睨み付ける瑞鶴は、自分の中に在る何かと戦おうとしているように見えた。時雨は、瑞鶴の言っていることが理解できる。

 

 深海棲艦との戦いが終わった後、本営は艦娘達を破棄するつもりである事は、何となく察していた。艦娘達の人格を積極的にアピールしようとしている野獣の姿を見ても、それは伺い知ることが出来た。本営の企みを阻止すべく、少年提督と少女提督が何らかの手を打とうとしている事も分かっていた。だが、深海棲艦との戦いが続く現状では、本営は艦娘達を捨てることが出来ない。今の本営は、艦娘をめぐる世論の顔色を何とか窺おうとしている。だが、そんな本営でも無視できないほどに、今回の作戦で遭遇した深海鶴棲姫の存在は、艦娘が深海棲艦化することを強烈に示唆した。

 

 

 艦娘は、人間を攻撃出来ない。

 艦娘は、人間に危害を加えることが出来ない。

 この2つのルールの下でのみ、艦娘達の人権は保障されている。

 

 深海棲艦化という現象は、このルールを覆す。

 

 

 鳥籠の中の鳥は、その籠から解き放たれて自由になっても、動物としての尊さを保ち続ける事が出来る。だが、艦娘は違う。艦娘達が人間の意思の及ばない存在になろうとする事は、人類に恐怖を与えるだろう。何をどうしようと、時雨達は世間が持つ常識や観念というものから逃れられない。もしも艦娘達がそういったものを徹底的に無視しようとするのならば、艦娘と深海棲艦の差はもっと曖昧になる。

 

 時雨達が“日常”と呼びうる安息の日々を支えているものは、道徳などでは無い。少年提督であり、野獣であり、或いは、少女提督であり、この鎮守府という鳥籠なのだ。そしてそういった要素の全てが、最終的には世間というものに帰属し、価値を得て、存在を許されているのが実情だ。瑞鶴も先ほど言っていたが、そんな事は、もう皆が知っている。だからこそ、少年提督が抱く高邁な理想が眩しいのだ。

 

 夕焼けで、時雨の影も伸びていた。それを踏みながら、少年提督が瑞鶴に歩み寄った。時雨は、少年提督の小さな背中を見詰めた。彼に、瑞鶴の言葉を否定して欲しかった。だが、世界はやはり無情だった。

 

「瑞鶴さんの言う通りです」

 

 やはり、そうなのだ。

 

 少年提督も野獣も、人間という組織生命を無視できない。それでも二人は、人間という種族の善性を信じ抜いて来た。艦娘達は受け入れられるのだと。時雨達が海上で深海棲艦と戦っている間、野獣達は社会の観念と戦ってくれていた。

 

 鎮守府祭など、艦娘達が世間というものに触れあう機会を積極的に作ってくれた。その中で、艦娘達に対し暖かい感情を向けてくれる人々が居る事も実感できた。だから時雨も、未来に対し悲観せずにすんだ。そうして時雨達は、社会や世間の枠組みの中に嵌ることが出来ていた。残酷な世界だが、時折見せる優しい表情は、途方も無く暖かかったのも確かだった。

 

 僕は自分に正直だったろうかと、時雨は思う。

 

 先程も瑞鶴が言っていたように、この鎮守府の艦娘達は、世間に対するあらゆる陰鬱な気分を飲み込んで、人間たちの為に戦ってきた。成すべき事の為に、その命を懸けて来た。戦場海域から帰って来た喜びを分かち合い、馬鹿騒ぎを繰り返し、人格と精神を持って生きて来た。全て理解していてなお、艦船の分霊としての誇りを胸に死線を潜って来た。

 

 決戦と言っていい前の大規模作戦では戦装束を纏い、勇猛果敢に戦い抜いて、自身の過去や因果をすら乗り越えた筈の五航戦は俯いたまま、自分の影に涙を吸わせている。瑞鶴の中で、前の作戦は終わっていないのだ。深海に住まう自分の魂の片割れに出会い、艦娘としての己自身の未来や過去と向き合っている。

 

「じゃあ、提督さんが願う理想は、……幻想じゃない」

 

 両手の拳を握り締めている瑞鶴の声から、温度が抜けていく。そして、波の音が重なるような深い響きを宿し始める。

 

「それでも、最善を尽くしているところです」

 

「私達だって最善を尽くしてきたよ。“平和の為”に戦ってきタ……!」

 

 瑞鶴の髪が白く染まり始め、ゆっくりと逆立っていく。時雨は震えた。瑞鶴は己の影を見据えながら、少年提督を通して“世間”と対峙しようとしているのだと、やっと分かった。野獣は険しい表情で二人を見守っている。夕日を背に、瑞鶴の魂が燃焼しているのを感じた。瑞鶴が顔を上げた。時雨は後ずさる。自分の靴底とコンクリが擦れる音が、耳の中で『万歳』の声に変わって響いた。

 

「まヤかしの理想ヲ私達に語ルより、……“次ハ、平和ノ為に死ネ”って命令シてくれル方ガ……」

 

 少年提督を正面から見据えた瑞鶴の瞳は、緋色に染まっていた。夕日に伸びる瑞鶴の影が、涙を吸いながら少年提督の足元に燻っている。少年提督は、申し訳なさそうに目を伏せた。目を逸らしたのではない。瑞鶴の影へと視線を注いだのだ。「えぇ。……もしかしたらその方が、艦娘の皆さんに対して誠実なのかもしれません」と、少年提督は、瑞鶴の影の中へと踏み入る。

 

 

「一人ハ寂しイ、って、言ったんデす」

 

 今、瑞鶴の姿を変えようとしているものは、瑞鶴自身の感情に違いなかった。

 

「深海棲艦の私ガ、沈んデ行く時ノ……。あの言葉ガ、頭カら離れナい」

 

 唇を震わせる瑞鶴は、正面に立つ少年提督を見下ろす。少年提督は眼帯を外しながら、瑞鶴の緋色の瞳を見詰め返した。同時に、二人の足元に術陣が浮かび上がり、淡い墨色の明滅を始める。記憶と感情の同期を司るものなのだろう。少年提督と瑞鶴は、お互いの眼を見ているようで、その焦点が微妙に合っていない。二人の眼は、瑞鶴の経験を見ているのだ。

 

「私だっテそう。一人は寂シい。此処の皆と過ごす時間ガ、好き。かけがいの無い、何よリも大事なモノだと思っテる。そレを否定しヨうとするものヲ、きっと私は許せナい。例エそれが、世間ヤ社会、世論の中デ正義と呼ばれるモノであっテも。私ハ、ソレを強く憎むよ」

 

 瑞鶴の声は、不穏な波音に混ざりながらも殷々と響いた。

 

「今の私なラきっと、人ヲ殺せル」

 

 瑞鶴は頬を濡らす涙を拭わず、目の前に居る少年提督の眼を覗き込んだ。

 

「ねェ、提督さン」

 

 そこに敵意や殺意はない。瑞鶴の緋色の瞳に浮かんでいるものは、余りに深い苦悩と途方も無い悔しさだった。野獣も時雨も、瑞鶴から眼を逸らせない。少年提督も、瑞鶴を見上げている。

 

「今ノ私って、深海棲艦と何ガ違ウのかナ?」

 

 夕日が暗さを増し、それに比して影が滲んでいく。

 

「瑞鶴さんは、瑞鶴さんですよ」

 

 少年提督は、緩く首を振ってから微笑んだ。時雨は少年提督の事が嫌いになりかけた。この期に及んで、綺麗言で誤魔化そうとしているかのように思えたからだ。だが、違う。野獣が、無念そうに低く呻いた。海の音がさらに遠くなった気がした。瑞鶴の貌が驚愕に歪んだ。時雨も立ち尽くす。

 

「瑞鶴さんは、自分の心の内に芽生えた人間に対する暗い感情を、なんとか否定しようとしてくれていたのですよね? 人間を信じたいのだと、言ってくれました。その葛藤を、瑞鶴さん自身の実直さと結びつけて大きな苦悩へと育ててしまったのは、僕の不実さに違いありません。本当に申し訳ないと思います……」

 

 眼帯を緩めた少年提督の額、その右側から白磁色のツノが生えていたのだ。

 

「同時に、感謝もしています。瑞鶴さんはその苦しみに向き合い続け、正直な心情を僕に打ち明けてくれました。これは、瑞鶴さんが自身の苦悩に対しても誠実であるという証明ではありませんか?」

 

 瑞鶴は顔を強張らせ、口を引き結んでいた。

 

「人間に対する悪感情を持ちながらも、それに抗おうとしてくれる瑞鶴さんの姿は、とても尊いものだと思います。誰にも奪えない美しさだと思います。瑞鶴さん。僕は、それこそが、いつか人間社会の中に新しい道徳や倫理的な観念を耕し、人々を振り向かせるのだと……、社会が艦娘の皆さんを排除しようとする時、その頑強な世論の破れ目になるものだと信じています」

 

 少年提督は細く息を吐きだしてから、ゆっくりと微笑んだ。

 

「だから、瑞鶴さんが抱いている僕への不信も猜疑も、社会への憎悪も、その誠実さと一緒に、どうか大事にして欲しいのです」

 

 それは、これからも瑞鶴が瑞鶴である為に、という事なのだろう。少年提督と瑞鶴を見比べて、時雨は思う。いつか少年提督が語っていた、深海棲艦との共存という理想を反芻していた。瑞鶴は再び視線を落とし、唇を強く噛みながら自分の影を見詰めている。「そうだよ(便乗)」、と。野獣が大きく息を吐き、肩の力を抜くようにして笑ったのも同時だった。

 

「少なくとも俺達は、瑞鶴を見捨てないゾ。例え深海棲艦になっても、お前が帰ってくる場所は此↑処↓だって、はっきり分かんだね(全霊の家族愛)」

 

 少年提督と瑞鶴を交互に見て、野獣は唇の端を歪める。普段と変わらない、不敵な笑みだった。それが野獣の強がりなのか、何らかの覚悟を秘めたものなのかは時雨には分からない。ただ、野獣は瑞鶴の味方でいてくれる。それだけは間違いない。

 

「お前の感情にまで潔癖を求めるなんて、人間の傲慢以外の何物でもないんだよね。それ一番言われてるから。さっきもソイツが言ったようにさぁ、艦娘とか深海棲艦とか以前に、瑞鶴は瑞鶴で良いんだ上等だろ?(畢竟)」

 

 野獣の声音に宿る温もりは何処までも透き通っていて、真実だということは分かった。理屈っぽさの無い曖昧な言葉の方が、心が籠るのかもしない。何も言えないままの自分が情けなかった。

 

「俺達だって、お前らを守る為なら世間と対立する覚悟は出来てるんだからさ!(革命児の風格)その為の拳? あと、その為の右手?」

 

 優し気に目許を緩めた野獣は、左で拳を握った。右手で釣竿を持っていたから間違えたのだろう。少年提督と瑞鶴が、穏やかな野獣の表情と、握られた左拳を見比べている。張りつめた空気が緩んだのを感じて、「野獣、それ左手……」と、時雨はようやく声を出すことが出来た。それから、窒息しそうになっている自分に気付いた。僕は、いつも野獣に助けられている。

 

 時雨にツッコまれ、「あっ、そっかぁ……(素)」と、間抜けな声を上げた野獣は、釣竿を左手に持ち替えた。そして、ワザとらしい真面目な表情を作り直して、少年提督と瑞鶴、そして時雨を順番に見てから、深く頷いて見せる。夕日を横顔に浴びた野獣の顔は、阿保みたいにキリッとしていた。

 

「その為の、右手?(TAKE2)」

 

「いや、別にやり直さなくて良いよ……」 

 

 時雨が控えめに言うと、少年提督は可笑しそうに小さく笑った。それに釣られて、瑞鶴も僅かに目許を緩めた。場を支配していた重苦しい緊張感が、すっとぼけた野獣の言動の御陰で霧散する。こういう意図的な馬鹿馬鹿しさには野獣の作為が透けて見えるのに、それを嫌らしく感じさせないのが不思議だった。澄んだ風が帰って来て、時雨達の間を通り過ぎていく。気付けば、少年提督の額に生えていたツノも消えていた。彼もまた時雨と同じように、野獣の持つ独特の空気に引き摺られて、この“日常”に帰ってくることが出来ている。そんな風に見えるのは、大袈裟なのだろうか。

 

「私は……」

 

 この景色に溶け込めていないのは、髪を逆立てながら俯く瑞鶴だけだ。その声は、明らかに動揺していた。項垂れた瑞鶴の姿は、白い彼岸花が頽れる瞬間のようにも見える。その瑞鶴に、少年提督は更に歩み寄った。

 

「僕は……、艦娘の皆さんが持つ人間性というものを、美化し過ぎでしょうか?」

 

 今度は、少年提督が瑞鶴に問う。瑞鶴は少しの間、見上げて来る少年提督を見詰めていた。そして、泣きそうな顔で小さく笑う。

 

「美化し過ぎって言うか、……提督さんは、お人好し過ぎるんだよ。私は、そんな大層なものなんて抱えてない」

 

「いえ、そんな事はありませんよ」

 

「だからさ、買い被り過ぎ。息苦しいよ」

 

 瑞鶴の声に、柔らかさが帰って来た。逆立っていた髪は澄んだ風に揺れながら流れ落ちて、緋色に濁っていた眼は、いつもの活発そうな色に戻っていた。野獣の言う通りだと思った。瑞鶴が帰ってくる場所は、やはり少年提督の元なのだ。夕暮れに伸びる影を一瞥し、瑞鶴は濡れていた頬をようやく拭った。

 

「私、提督さんの傍に居ても良いのかな?」

 

 少年提督は、申し訳なさそうな笑みを浮かべる。

 

「不実な僕を、また叱って下さい」

 

 時雨は唇を噛んだ。彼の懸命な優しさが、誰かを追い詰めて苦しめる事もあるのだということが、無性に悲しかった。

 

「うん。ありがと、ぅ……」

 

 瑞鶴は少年提督へ何かを言おうとしたようだが、その全ては言葉にならなかった。まるでスイッチが切れたかのように、瑞鶴が少年提督へと倒れ込んだからだ。

 

 

 

 

 

 

 倒れた瑞鶴を特別医務室まで運んだものの、その治療に関しては少年提督に任せるしかなかった。命に別状は無く心配は無いものの、深海棲艦化を体験した瑞鶴の消耗は相当なものだったようで、特殊な精神治癒術が必要らしい。野獣と時雨には手伝えることも無かったので、邪魔にならぬよう医務室をあとにした。廊下に出ると窓の外は暗くなっていて、黒々とした空には星が薄く瞬いている。時雨は俯きがちに、野獣の後ろを歩いた。廊下は少し肌寒い。周りに誰もいなくて静かだった。

 

「野獣」

 

 先程の光景にまだ動揺していて、時雨の声は酷く強張っていた。

 

「ん?」

 

 それに対し、歩きながら肩越しに振り返ってきた野獣は、やはり普段通りだった。

 

「……今日のことを、本営には報告するの?」

 

 時雨の声に、尋問するかのような響きが宿る。野獣は一瞬だけ時雨から視線を逸らした。そしてすぐに肩を竦めて見せる。

 

「深海鶴棲姫に関する報告なんざ山ほど本営に上がってるだろうし、別に必要なんてないじゃん、アゼルバイジャン?(ものぐさ)」

 

「それは、そうかもしれないけど」

 

 時雨は言葉に詰まる。釣りをしている最中にも、野獣は艦娘の深海棲艦化について、本営の誰かと連絡を取り合っていたのを思い出す。

 

「誰が何を言おうと、深海棲艦が居る限り、人類は艦娘に頼らざるを得ないんだよね。それ一番言われてるから(真実の針)」

 

 野獣は肩越しに振り返ったままで、目許を緩めた。自嘲するような、悲し気な笑みに見えた。

 

「……歪だよね。人も、僕達も」

 

 時雨は野獣を見ずに言う。正義では無いものを、理屈をこね回して正義に見せることが出来るのは、人間の卑劣な部分だと思う。しかし、それを頭ごなしに否定する事は、時雨には出来なかった。人間一人ひとりに、嘘で塗り固めた理論を振りかざしてまで守りたいものがある。家族が居て、愛する者が居る。その数だけ切実な生活がある。感情があって人生が在る。それが波折りのように重なって、社会や世間が象られている。それを知っているから、あれほどまでに瑞鶴は苦しんでいたのだ。

 

 人間は、艦娘以上に社会というものから逃げられない。艦娘を排除するのは、本当は人間などでは無く、“世間”なのではないだろうか。浮世の海。そんな、何処かで聞いたことのある言葉を噛みしめる。

 

「おっ、そうだな(厭世の先達)」

 

 余計な力を抜いたような声で言いながら、野獣は前を向いて笑う。

 

「それでも俺達は、『良い世、来いよ!』って言い続けてやるから、見とけよ見とけよ~!」

 

 野獣の背中を見詰める時雨は、唇を強く噛んだ。自分の人生をその言葉に託す事が出来る野獣の純粋な笑い声だって、瑞鶴の持つ誠実さに負けないくらい眩しかった。自分を召還してくれたのが野獣で良かったと思う。それが平凡な偶然であっても、時雨にとっては愛すべき奇跡だ。野獣の奔放な優しさに引き摺られ、時雨達は随分と遠くまで来たような気がする。それでも、まだ途中なのだと信じている。

 

「僕は、野獣にだって幸せになって貰いたいよ」

 

 声が震えた。それは、濁りけのない本音だった。

 

「もう俺は幸せだから、安心しろよ~、もぉ~☆」

 

「あのさ、野獣」

 

野獣は歩く足を止めずに振り向いた。

 

「お、どうしました?」

 

「僕が深海棲艦になっても、野獣のところに還って来ても良いかな?」

 

 野獣は、全く動揺した素振りを見せず、力強く頷いた。

 

「良いよ、来いよ! って言うか、そんなの当たり前だよなぁ?(即応)」

 

「うん。そっか……。そうだね」

 

「帰って来なかったら、もう許さねぇからな~?(穏やかな脅し)」

 

 我ながら、馬鹿な事を言い合っていると思うものの、時雨の日常が此処にしかないのものだと確信する。廊下を一緒に歩いている間、野獣は普段通りの笑顔を崩さなかった。その懸命な優しさが、今は悲しかった。

 









不定期過ぎる更新で申し訳ないです……。
次回があれば、ギャグ寄りの話になれば良いなと思います。

今回も最後まで読んで下さり、本当にありがとうございございます!

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