花盛りの鎮守府へようこそ   作:ココアライオン

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月光の下 中篇

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、とんだ事になったものでありますな」

 

 あきつ丸は携帯端末を耳に当てながら夜風を切り、埠頭を目指して駆けていた。夜空を視線だけで見上げると、オーロラのように靡く蒼い光の帯が、鎮守府の上空でゆっくりと編み込まれていくのが見える。光の帯は術陣として収束しながら、複雑な紋様を黒い空に描き出そうとしている。大規模な術式結界だ。

 

『こんなん続いたら止めたくなりますよ~、提督ぅ~(辟易)』

 

 端末の向こうで、野獣が面倒そうな声で答えた。「そうは言っても、野獣殿は提督であり続けてくれるのでありましょう?」と、あきつ丸は喉の奥で笑う。駆ける速度を上げていく。野獣は、『どうすっかな~、俺もな~(アンニュイ先輩)』などと言いながらも、その語調には冗談めかした柔らかさが在り、今の状況に緊張している様子は感じられなかった。自分が行おうとしている事に迷いや恐れを持っていないからだろう。ただそれは、あきつ丸も同じだった。あきつ丸は先程、少年提督のAIから通信を受けた。その内容は、コントロールを奪われた“少年提督の肉体”の破壊であり、つまりは、少年提督を殺すという事だった。

 

 AIは言っていた。

 少年提督の肉体は死なず、必ず蘇生すると。

 そのように、少年提督が自身の肉体を調律してきたのだと。

 まったくと、あきつ丸はもう一度喉の奥で笑う。

 

 AIの言葉を完全に信じるのは難しかったが、信じるより他に無い状況でもある。襲撃者達に対処せねばならないと思っていたら、いつの間にか、少年提督の内側に入りこんだ“何者”かと、少年提督の肉体と精神を巡る戦いになっている。

 

 過激派の人間達の傲慢さや企みが今の状況を呼んだのだと考えるのならば、少年提督と野獣は、いずれこういった事件が起こることを予測していた筈だ。それでも尚、彼らは“人々”という言葉の中に含まれる善性や寛容さを信じて来た。世間に対して艦娘の人間性をアピールする活動が、この事態を呼び寄せることは分かっていても、彼らはその姿勢を崩さなかった。多分だが、彼らはこれから先も変わらないだろう。

 

 だが、艦娘達はどうだろう。自分達の行いが、今日の様な凶行を招くことになる可能性を恐れるようになるかもしれない。人間と言うものの容赦の無さを憎む者も出始めるだろう。人類とは果たして、己の命を賭して守るべきものなのかと、自らの使命を疑う者だって出始めるかもしれない。艦娘の人間性を認めるという事は、とりもなおさず、こうした艦娘達が抱くであろう負の感情を尊重する事だ。果たしてそれが、今の人間という種に、社会や世間に出来るのだろうか。

 

『あっ、そうだ!(現状確認) ついさっきだけど、不知火とも連絡が着いたゾ!』

 

「では、現状で動ける艦娘としては自分と、北上殿、瑞鶴殿、不知火殿、それと、野分殿でありますな」

 

『其処に深海棲艦の奴らと俺を加えれば、もう敵無しだってハッキリわかんだね(無双先輩)』

 

 野獣の言葉に、「ふふ、そうでありますな」などと軽く笑みを零し、あきつ丸は全く自然に頷いていた。野獣や少女提督から状況を聞いた限り、深海棲艦達こそが、今の鎮守府の命綱であることは間違いない。襲撃者達を撃退しつつ、彼女達は皆、其々に役割を果たしてくれていた。

 

 

 艦娘を無力化する術式結界の影響で、殆ど身動きが出来ないままの艦娘達を、安全な場所へ移す為に動いてくれているのは戦艦棲姫・水鬼と、北方棲姫だ。さっきから巨大な生き物が動き回る音が遠くから聞こえているが、あれは戦艦棲姫・水鬼たちの艤装獣が、艦娘達を担ぎ、或いは、抱えて動く音なのは間違いない。猫艦戦を使役する北方棲姫は、同じく、深海棲艦としての能力を発揮している瑞鶴と協力し、多くの艦娘を一度に輸送している。つい先程までは、あきつ丸も霞を抱えて移動していたのだが、途中で瑞鶴と合流することが出来たので、霞を預けて来た。

 

「コっちは任せテ。……私モ直ぐニ行くかラ」

 

 自分の知っている瑞鶴が、深海鶴棲姫と瓜二つの姿をしていた事について、多少は驚いた。だが、その艦娘装束は瑞鶴のものに間違いなかったし、あきつ丸から霞を抱き受けた時の、あの優しくも慎重な手つきは普段の瑞鶴のものだった。少なくとも、あきつ丸にはそう見えた。だから、あきつ丸も安心して、霞を預ける事が出来た。

 

 仕掛けられた爆発物と、逃げ遅れた艦娘達や襲撃者が居ないかを捜索してくれているのは北上とレ級だ。既に爆発物の幾つかは北上が発見し、その爆発範囲に誰も居ない事の確認も済んでおり、レ級も不知火を見つけて合流したとの事だった。

 

 あきつ丸は駆けながら、視線だけで再び空を見る。鎮守府の上空に編み上げられていく術陣は、艦娘を無力化する術式結界を乗っ取り、解呪する為のものだ。あの術陣を構築しているのは集積地棲姫であり、それをフォローしているのが少女提督と野分であるという事も、もう野獣から聞いている。港湾棲姫や重巡棲姫、ヲ級も、広い範囲にわたって配置されていた結界の発生装置を発見する為、大いに活躍してくれた事も聞いた。

 

 本当に、深海棲艦の彼女達には感謝しなければならない。あとは、少年提督の内側に入りこんだ“何者”かをどうにか出来れば、危機的な状況は脱する事が出来る筈だ。

 

「しかし、油断は禁物でありますよ」

 

 あきつ丸は、自分にも言い聞かせるように言う。端末の向こうで『おっ、そうだな(やや低い声)』と答えた野獣は、数秒の沈黙を挟んでから、「まぁ、大丈夫でしょ?(ケセラセラ)」と、軽い調子で笑った。あきつ丸が野獣に何かを言おうとした時だった。突然、『“えぇ。大丈夫の筈です”』と、少年提督の声が聞こえた。あまりにも唐突で驚いた。駆けていたあきつ丸は、危うくつんのめって転び掛ける。あきつ丸と野獣の通信の間に、少年提督のAIが入りこんできたのだ。

 

 端末の向こうでは野獣が『ファッ!?』も驚きの声をあげていたし、何かにぶつかる派手な音がして、それから、重たいものが地面を転がるような音と一緒に、『ハァァ゛ァ゛……、アーイキソ……(悶絶)』という、くぐもった呻き声が聞こえきた。多分、盛大に転んだのだろう。

 

『“あの、だ、大丈夫ですか!?”』

 

 AIの声が明らかに焦っていて、あきつ丸は忍び笑いを漏らす。

 

『あのさぁ……。いきなり会話に割り込まれたりすると、びっくりしちゃうんだよね?(恨めし気な声)』

 

『“す、すみません……”』

 

「まぁまぁ、良いではありませんか、野獣殿。AI殿にも用が在ったのでありましょう」

 

 危機感の無い彼らの遣り取りが心強い。あきつ丸は駆ける速度を更に上げる。

 

『とりあえず聞いてやるか! しょうがねぇな~(悟空)』

 

 野獣が暢気に言うと、AIがまた『“すみません”』と謝った。

 

『“艦娘の皆さん全員に、安全な場所に移って貰うことが出来ました。深海棲艦の研究所から少し離れた山裾にある、あの廃旅館の駐車場です。一時的に使わせて貰っています。逃げた襲撃者達が再び帰ってくる可能性は低いと思いますが、ル級さん、タ級さん、ヲ級さん、それと港湾棲姫さんが、艦娘の皆さんを守ってくれていますから、もう大丈夫の筈です”』

 

 それはつまり、結界術式で弱った艦娘達を、完全に深海棲艦達に預けていると言うことだ。世間的に見れば非常識な判断だろうが、今の状況では深海棲艦達が頼りなのも事実である。艦娘達の中にも文句を言う者も居ない筈だ。彼女達を無事に救い出してくれた深海棲艦達に、誰が何を言えるのだろう。

 

『前に肝試しで使った場所ですねぇ! あそこは結構広いし、うん、いいみたい!(想起)』

 

「それでは、鎮守府の庁舎が崩壊するような派手な戦闘をしても、誰も巻き込む心配も無いという事でありますな」

 

 あきつ丸の問いに、AIが『“はい”』と応えた。

 

『“北上さんからも連絡がありましたが、逃げ遅れていたり、隠れ潜んでいる襲撃者も居ないとの事ですから。施設に大きな損壊が在ったとしても、誰かを巻き込むことは在りません。ただ……』

 

 声を曇らせたAIの代わりに、今度は、『ただ、あんまりド派手にやり過ぎるのはNG』と、少女提督が通信に割り込んで来て、忌々しそうに言葉を引き継いだ。

 

『端末のカメラで撮った写真を北上から送って貰ったんだけどね。工廠やドックに仕掛けられている爆発物なんだけど、時限式の上に、特殊な儀礼が施されてるみたいなのよ。コレがさぁ、マジで最悪なんだけど、土地そのものを術式汚染するヤツっぽいのよね』

 

 言い終わった少女提督が、技術者としての苛立ちを含んだ溜息を吐き出すのが聞こえた。『ヤバそう(小波)』と、野獣が思わずと言った風に声を漏らしていた。

 

『私は技術開発とかの畑に居た人間だから知ってるんだけど……、アレ、もとは深海棲艦が潜む海域制圧を目的としたものなのよ。でも、途中で頓挫したの。開発段階で大事故が在ってね。その現場だった基地自体の損壊は大した事は無かったんだけど……、なんであんなものが……、開発途中だったヤツが横流しされてたのかもしれないし……でも……』

 

 相当焦っているのか。少女提督は余計な説明を始めようとしている。今は要点だけ聞きたい。あきつ丸は、「爆発すると、どのように不味い代物なのでありますか?」と、少女提督の言葉の切れ目に割り込む。『あぁ、ゴメン。私もテンパってるわ』と、少女提督は自分を落ち着かせるように、一つ息を吐く。

 

『要するに、深海棲艦の仕業に見せ掛ける為に建物を壊すだけじゃなくて、土地まで汚染して殺すのよ。それで、鎮守府に宿ってる妖精達を排除しちゃうわけ。ついでに言うと、起爆装置に術式結界が張られてて、弄ろうものなら即起爆するように細工されてるわ。もうタイムカウントも始まってるんだけど、移動させる事も無理』

 

 その言葉に、「……また、手の込んだ事でありますなぁ」なんて、あきつ丸も思わず呻くような声が出た。妖精の排除。これはつまり、事実上の基地破壊だ。

 

 この襲撃の黒幕達からしてみても、この鎮守府に所属している艦娘達は、一人一人の練度も非常に高く、人類を深海棲艦から守る為の重要な戦力である。それはそのまま、黒幕達自身の生活をも守ってくれる存在でもある。ただ、その艦娘達の人間性を世間に訴え続ける目障りな提督と鎮守府だけを闇に葬ろうとする意図は、あきつ丸にも理解する事が出来た。艦娘達と無害な少女提督だけが生き残ればいいと、この事件の黒幕達は判断したのだろうという事も想像できる。

 

 ただ、その手段が此処まで手が込んだものであるという事に、胸騒ぎを覚えた。黒幕達は、本気で少年提督と野獣を抹殺しようとしている。もしかしたら、襲撃事件は今夜だけでは済まないかもしれない。少年提督と野獣が生きている限り、或いは、この二人が今までと同じように艦娘達の人間性を世間に訴え続ける姿勢を崩さない限り、こういった襲撃が幾度も続くかもしれない。そんな不安が頭の隅を掠めていくが、敢えて意識しないように努める。今はとにかく、目の前の状況に集中すべきだ。悩むのは後で良い。端末の向こうで、野獣が面倒そうに舌打ちをするのが聞こえた。

 

『俺やアイツを殺すだけじゃなくて、鎮守府の機能そのものをぶっ壊すつもりだったんすねぇ~……(反吐)』

 

「タイムカウントの方は、どんな具合でありますかな?」

 

『あと半時間よ。それを目処に、貴女達も其処を離脱して。……まぁ、儀礼済み爆発物の解除・解体については、こっちで何とか出来るかどうか、やってみるけどね』

 

「此方に直接出向かれるのは、危険ではありませんか?」

 

『分かってる。無茶はしないから。あと、レ級、重巡棲姫、南方棲鬼がそっちに向かってるから、……協力して、“アイツ”の対処をお願い』

 

 少女提督の切実な声に、『“僕の体に、気遣いは無用です。どうか、お願いします”』と、少年提督のAIも言葉を繋いだ。少年提督のAIの語調には、やはり野獣と同じように迷いが無い。そして、必要以上の焦りも無かった。かと言って、冷徹で無機質な声音でも無い。その沈着さには、降り来る月明りのような透明な真剣さだけが在った。『あっ、良いっすよ(快諾)』と、野獣が答えるのを聞いて、あきつ丸も短く息を吸ってから、「了解であります」と答えた。

 

『あきつ丸も、気を付けてね』

 

 少女提督の強張った声が、通信が途切れる間際に聞こえた。

 

「えぇ、任せるでありますよ」

 

 あきつ丸は普段の声の調子で答えてから、端末を懐に仕舞い、駆ける速度をまた上げる。状況は悪い。だが、自分のやるべき事はハッキリしている。人質になっていた艦娘達は無事だったのだし、鎮守府に仕掛けられた儀礼済みの爆発物を処理する術もまだ残されているようだった。とにかく、余計な事は考えなくても良い。自分の仕事に集中すべきだ。少し遠くで音が聞こえている。埠頭の方角。ズシン……。ズシン……。ズシン……。不規則だが、腹の底に響いて来る。少年提督の足が、地面を踏み砕く音だ。あきつ丸は駆けながら、腰に佩いた軍刀の柄にそっと触れた。慣れ親しんだ感触を指先に灯しながら、庁舎の合間を疾駆し、その足音へと近づいていく。

 

 

 

 

 

 

 大型トレーラーの荷台に積まれた精密機械類の山の前で、“抜錨状態”の集積地棲姫が呆れたように息を吐き出した。彼女の肘から先は巨大なガントレットのような艤装によって覆われていて、その金属の指先からは蒼い光の帯がコードのように無数に伸び、術式結界の発生装置へと繋がっていた。その接続は物理的なものではなく、金属儀礼的なものだ。集積地棲姫が発生させる蒼い光が機器類に注がれ、それらが全て、彼女の支配下に置かれている。

 

「……お前、本気なのか?」

 

 集積地棲姫は眼鏡の奥にある瞳を窄めて、少女提督へと視線を寄越して来た。集積地棲姫は別に凄んでいる訳でも無いのだが、抜錨状態にある彼女の迫力に身体を硬直させてしまう。だが、すぐにその眼を見詰め返して、「本気よ。他に方法なんて無いし」と答え、深く頷いた。

 

「違う手を考えるべきなんだろうけど、そんな時間も無いでしょ」

 

「確かに、そうかもしれんが……」

 

 集積地棲姫が、傍に居た野分へと視線を移した。お前は良いのかと、問いかける様な眼つきだった。集積地棲姫に向き直った野分は軽く息を吐いてから、「こうなると、司令には何を言っても聞きませんから」と、口許を緩めて見せる。諦観と覚悟の両方を滲ませた、頼もしい笑みだった。

 

「流石は私の初期艦ね。良く分かってるじゃない」

 

 集積地棲姫は、そんな野分と少女提督を何度か見比べてから、「そのようだな」と、やはり呆れたように言いながら、機器類の中に備えられているモニターへと視線を移す。

 

 モニターの中に幾つかのウィンドウが開いており、其々が鎮守府内の様子を俯瞰で表示していた。これは、ヲ級やレ級が放った索敵用の艦載機の視界を、このモニターに同期させているものである。深海棲艦の感覚を、人間が作り出した機器類へと接続するというこの特殊な金属儀礼術は、今日、この場で新たに構築されたものだ。集積地棲姫と少女提督の二人が、互いに持っている既存の術式に関わる知識を融合させて研ぎ出した、全く新しい系統の術式である。金属儀礼術を技術分野に応用する事を、特質的に得意としていた少女提督と、後方支援型の個体であることから、深海棲艦達が扱う術式をより高いレベルと規模で運用する集積地棲姫との相性が生み出した、表に出すことの出来ない技術革新だった。

 

 少女提督にしか担えない役割が、此処には確かに在る。

 

「アンタも聞いてた?」

 

 少女提督は、頭に装着したVR機器を操作し、搭載されているAIに呼びかける。

 

『“はい。……無理をさせてしまって、申し訳ありません”』

 

「アンタが謝ることは無いわ。術式汚染を目的とした儀礼兵器なんて厄介なモノ、わざわざ持ち出してくるなんて普通思わないでしょ」

 

 AIの音声はVR機器のスピーカーから発せられている。集積地棲姫と野分には音声しか聞こえないだろうが、VR機器を装着している少女提督の視界には、虚像としての彼の姿が、すぐ傍に見えている。虚像は、申し訳なさそうな表情を浮かべていた。少女提督は鼻を鳴らす。

 

「それに、これは私がやるって決めた事よ」

 

 そうだ。これは、私が決めた事だ。今更の緊張を解す為に息を吐き出す。トレーラーの荷台の空気は冷え込んでいる。重巡棲姫と南方棲鬼の二人には、野獣達と合流して動いて貰うべく、先に鎮守府に向って貰っている。港湾棲姫とヲ級には、艦娘達を護るように頼んだ。だから此処に居るのは、少女提督と野分、それと集積地棲姫の3人だ。正確には、少年提督のAIを入れて、4人。少女提督は拳を軽く握って、開いた。自分を落ち着ける。

 

「それじゃ野分、トレーラーの運転、任せるわよ」

 

「わかりました。出来るだけ飛ばします」

 

 野分が頷く。集積地棲姫が、「ん……?」と、一抹の不安を感じたような表情で野分を見詰める。

 

「お前、運転とか出来るのか?」

 

「一応ですが、訓練は受けています」

 

「野分ってこう見えて、割とスピード狂なのよ」

 

「……大丈夫なのか?」と、訊いてきた集積地棲姫の表情は、えらく神妙だった。その仕種の人間臭さに、「大丈夫よ、ヘーキヘーキ」なんて言いながら、少女提督は何だか笑ってしまった。その間にも野分はトレーラーの荷台を降りて、運転席の方へと移動する。そもそも、まだ“人間”として社会の中に存在しない彼女達は、免許というものに関わる諸々の法律の外に居る。軍属の中でも特殊な立ち位置に居る彼女達は、人間として自動車などを扱う法の“許可”を正式には得ていないが、その“技術”は習得しており、それを咎める法も存在していない。

 

 すぐにトレーラーがゆっくりと動き始めた。そして、グングンと加速し始める。荷台が揺れる。エンジンが唸りを上げている。集積地棲姫が表情と身体を強張らせながら、視線を泳がせはじめる。なるほど。車に乗るという経験は、彼女にとって初めてだからか。こういう親しみ易そうな彼女の仕種には、人間味に溢れた魅力を感じざるを得なかった。

 

「貴女が居てくれて、本当に助かったわ」

 

 トレーラーの振動を感じながら深呼吸をして、少女提督は集積地棲姫に笑った。集積地棲姫が何かを言おうとして、止めるのが分かった。

 

『“感謝しています”』

 

 少女提督の視界の中で、少年提督のAIの虚像も頭を下げていた。虚像の姿は集積地棲姫には見えていない筈だが、彼女は確かに、虚像の居る場所あたりをチラリと見た。彼女はやはり何かを言いたそうに唇を動かしたが、すぐには何も言わず、ワザとらしい不味そうな表情を作ってから、モニターに顎をしゃくった。トレーラーが速度を上げて行こうとしている。

 

「……今から、鎮守府を括っていた術式結界を反転させるぞ」

 

 集積地棲姫の指先から伸びる微光の線が、少女提督の両手にも繋がる。少女提督の足元にも、蒼く輝く術陣が浮かんだ。少女提督が装着しているVR機器にも、碧い光が淡く灯る。それは、精神や思考を研ぎ澄ます光であり、狡知を司る光だ。光は無数の文言を象った帯となってうねり、集積地棲姫と少女提督、それに少年提督のAIの3つの精神を繋げている。集積地棲姫が編み上げるこの光の帯は、術式結界の発生装置を通して、他の4台のトレーラーにも遠隔で干渉している。

 

「鎮守府を私達の領域に変え、支配して、“深海”にする」

 

 集積地棲姫が、少女提督と、少女提督が装着しているVR機器を順に見ながら言う。

 

「……もう後には退けんぞ」

 

 動き出したトレーラーに対する動揺は完全には抜けきってはいないものの、その声音と表情には、彼女らしい気怠げな冷静さが在った。VR機器を装着したままで、少女提督は頷く。「分かってる」そう答えてから息を吸って、吐いた。AIも『“はい”』とだけ、相変わらず落ち着いた声で短く答えていた。トレーラーが速度を上げていく。トレーラーは、“走行する”という己の機能を全うしている。其処に意思や感情は介在せずに、存在価値をその機能に託している。不意に、少年提督のAIとトレーラーの間に、奇妙な相似を感じた時だった。

 

 モニターに、少年提督が映った。虚像では無い。本物だ。その映り方からして、ある程度の距離を保つ形で、猫艦戦が上空から彼を見下ろしているのだろう。彼は、白く澱んだ微光と墨色の燐光を纏いながら、身体を引き摺るようにしてぎこちなく歩いている。ノロノロとした頼りない足取りで、速度も全くも出ていない。まるで、身体に全く合っていない着ぐるみを着た人間が、もがくように足を前に出しているような――、そんな印象を受ける。

 

『“中に居る“僕”が、肉体のコントロールを取り戻そうと足掻いているのでしょう。だから、あんな不自然な動きをしているのだと思います”』

 

 少年提督のAIが硬い声で言う。確かにそう言われてみれば、そんな風に見える。一人の人間の身体の中に二つの人格が存在し、其々が肉体の優先権を争うか、一方の動きを邪魔しようとするのならば、あんな不自然で不格好な歩き方になるのも理解できる。

 

 ただ、その苦し気な姿勢とは対照的に、少年提督の表情は不気味な程に穏やかだ。彼が足を前に進める度に、ズシン……! ズシン……! と、地面が踏み砕かれ、陥没している。彼の中に在るものが、重量を持ってこの世界に実在しているのを感じた。モニター越しに見ていても、凄まじい圧迫感だ。息が詰まる。「なんなんだ、アイツは……」と、集積地棲姫が低い声で零した時だった。少女提督は、モニターに映る彼と眼が合う。背筋に冷たいものが走って、思わず息を呑む。少年提督の中に居る“何者”かは、明らかに此方を見ていた。モニターに繋がっている猫艦戦を通して、このトレーラーの中に居る少女提督という存在に視線を向けている。

 

 恐怖を感じるよりも先に、ヤバイと思った。モニターの向こうに居る少年提督が、此方に右の掌を翳したからだ。次の瞬間には、少年提督が纏っている墨色と白濁の微光が、腕の形を象ってモニターから伸びて来た。怪物がテレビから出て来るホラー映画を思い出しかけて、そんな場合でも無いことを思ったところで、身体が硬直して動かなかった。AIの虚像が、必死な顔で何かを言っている。私に触れて、突っ立ったままで硬直している私を動かそうとしている。でも、虚像の腕は、私をすり抜けている。私は、動けない。『“面白い事を考える”』」。背筋が凍る程に穏やかな声が聞こえた。モニターの向こうの少年提督が、ぎこちなく歩きながら、此方に微笑んでいる。少女提督は、恐怖と畏怖に魅入られていた。光の靄が凝り固まった、腕が、掌が、顔に伸びて来る。目の前に在る。光の指が、前髪に触れる。眼を見開く。息ができない。

 

「伏せろ……ッ!!」と叫んだ集積地棲姫が少女提督を突き飛ばしてくれていなかったら、少女提督はどうなっていたか分からない。トレーラーの中で尻餅を付いて、背中を強打した。肺から息が出ていく。「司令! 荷台で何か!?」野分の声が聞こえて、慌てて顔を上げる。集積地棲姫は、少女提督へと伸びて来ていた腕を、そのガントレットのようにゴツイ手で握り潰すようにして掴んでいた。集積地棲姫が何かを唱えると、実体を持たない微光の腕は、靄のように霧散して消えていく。モニターの向こうに居る少年提督が、今度は集積地棲姫を見た。そして微笑みを深めながら、今度は両手をゆっくりと広げて見せた。まだ何かするつもりなのか。トレーラーの中に、彼の纏う圧倒的な存在感が流れ込んでくる。

 

 舌打ちをした集積地棲姫が、臨戦態勢を取った。

 だが、少年提督が何かをしようとするよりも早かった。

 

『行くぞオラぁ!(レ)』

 

 硬い者が砕ける、ド派手な音がした。モニターに映る少年提督に向って、凄い勢いで何かが突進していくのが見えた。レ級だ。艤装獣である尻尾ごと身体を駒みたいに回転させつつ飛び掛かり、少年提督が居る場所を目掛けて、斜めから上から尻尾を振り下ろしたのだ。

 

 

 

 


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