花盛りの鎮守府へようこそ   作:ココアライオン

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少年提督と野獣提督 終編

 

 

 

 

 

 

 鎮守府庁舎の損壊が激しいD、Eエリアでの要救助者の捜索、救出に加わろうと、時雨達が移動を始めたときには状況が変わった。さきほど、少女提督の執務室で艦娘囀線を確認した時には、『鎮守府の上空に陣取っている猫艦戦は、特に攻撃的な行動はとっておらず、ただ佇んでいるだけで気味が悪い』という内容の報告があった筈だ。だが、猫艦戦達は明らかに攻撃の意思を持ち、いや、攻撃の意思があるように見える程度には、時雨達に肉薄してくるようになった。

 

「おい、またかよ!」

 

 時雨の隣を走る天龍が鬱陶しそうに吠え、「艦娘囀線での話と違うぞクソが!」などと悪態をつきながら艤装装備を召ぶ。少し後ろからは、鈴谷も舌打ちをするのが聞こえた。時雨も迎撃態勢を取る。上空から猫艦戦の群れが急降下してくる。かなりの数だ。20、30程か。いや、もっと居る。ぱっと見では数えられない。

 

 猫艦戦の大群の襲撃は、これで5回目だ。艦戦たちの動きは鈍い。こちらへの距離を縮めてくるが、容易く迎撃できる速さだった。モグラ叩きを低スピードでやるかのような違和感がある。改二にもなって練度を上げた時雨にとっては、動きの遅い艦戦がゾンビのように群がってきても、撃墜するのは容易いことだった。だが、蹴散らすと言うには、余りにも数が多い。天龍も鈴谷も改二であり、装備と練度のどちらにも申し分はないが、どうしても足を止められてしまう。

 

 猫艦戦の群れを全て処理した頃には、雲の密度が薄れるようにして曇天の明るさが増していた。地面に転がる猫艦戦の残骸からは、薄い煙が立ち上っている。自分たちの周りに出来上がった鉄屑と死骸の山を眺めてから、息を一つ吐いた天龍が鼻を鳴らし、「行くぞ」と先頭を走り出す。時雨もそれに続き、並ぶ。鈴谷がその後に続いた。召び出していた艤装装備を解き、再び走り出しながら時雨は思う。こちらへと群がって来た大量の猫艦戦達は、時雨達の足を止めて、何かの時間を稼ぐためのものなのだろうか? 

 

 暫くしてからだった。

 

「今の状況、どう思う?」

 

 時雨、鈴谷と並走している天龍が重い声で、まるで独り言を零すかのように言う。ぬるい風が吹いている中を、かなりの速度で時雨達は走っている。その速度を落とさず、周囲への警戒や緊張も緩めず、時雨は横目で天龍を見た。天龍は顏を前に向けていた。時雨達には一瞥もくれない。その問いかけが時雨に向けられたものなのか、鈴谷に向けられたものなのかは判然としなかったが、恐らく、時雨と鈴谷の両方に向けられたものだった。

 

「なんか、凄く嫌な感じだよね……。鈴谷たちから見れば不自然なんだけど、外から見たら辻褄が合ってるんだろうなって感じ? 鈴谷達が深海棲艦とか艦戦とかと戦ってたって、誰も違和感を覚えないじゃん。それ自体が隠れ蓑になってるような……」

 

 眉間に皺を寄せた鈴谷が、「上手く言えないだけどさ」と、自分の頭の中にあるイメージを何とか言葉にしようとしているのか、視線を忙しなく動かしている。

 

「この短時間で色んな事が起こってるけどさ、その出来事の一つ一つが噛み合い過ぎてる気がしない?」

 

 鈴谷は走る速度を全く落とさないまま、時雨と天龍の顔を交互に見る。『これって鈴谷の気の所為じゃないよね?』と同意を求める声の調子だった。「やっぱりそうだよな。……いくら何でも、出来過ぎてんだよな」と低い声でボヤいた天龍が、ガシガシと頭を掻いた。鈴谷の言う通りだと時雨も思う。今の鎮守府を取り巻く状況は、入念に準備された厳粛な儀式が進むかのようでもある。

 

「僕たちの身体を無力化する術式が展開されたり、川内達が暗躍したりとかね」

 

 時雨は視線を落としながら言う。食堂に集められていた艦娘たちにしても、少女提督が編制した艦隊に分かれて各エリアで迅速な捜索、救助活動を行い、マスコミ関係者や憲兵を退避させている状況が分かっている。この鎮守府に居る誰も彼もが、途方もなく巨大な舞台装置の中に組み込まれ、否応も無く定められた役割をこなしているかのような違和感は、時雨も心の隅の方で覚えていた。

 

 他にも、マスコミ関係者が鎮守府に入り込んでくるタイミングや、彼らが撮影した映像が中継され、すぐにニュースとして放送されるのも都合が良すぎる気がした。普通なら、本営上層部なり“黒幕”なりの圧力が掛かるのではないかと思う。以前の襲撃事件と同じように、この鎮守府の事件は世間から切り離され、権力によって覆い隠されても全くおかしくない筈だ。

 

 それが、今では全国ニュースの特別番組で取り上げられ、この鎮守府の艦娘達の行動が人々の眼にリアルタイムで触れている。今の時雨達の選択と行動には、“世間”というものの視線が、飛沫を上げて降り注いでいるのだと思うと、口の中が急速に乾いていくのを感じた。先程、少女提督の執務室で見たニュース番組の内容を思い出す。テレビ番組があれだけ大騒ぎしているのなら、ネットの中はもっと熱の籠った意見が飛び交っていることだろう。

 

 この状況は、以前の襲撃事件の時とは真逆だ。あの夜の事を思い出し、胸がざわつく。目の前で野獣を殺されそうな時、時雨は、この世界からの完全な隔絶を感じていた。大事な人の命が奪われる悲しみや激しい怒り、そういった人間らしい時雨の感情の全てが、この世界とは接していなかった。時雨が流した涙は、時雨の頬の体温を受け取っていながらも、何の意味も持たずに零れ落ちて、ただ廊下に吸われただけだった。世間の人々と艦娘の距離が縮まったことなど、一切関係が無かった。時雨という“個人”は、この世界から徹底的に疎外されていて無力であり、それが、この世界の本質だった。

 

 だが、今は違う。

 

 現在進行形で時雨は、いや、時雨達は世界と繋がっている。世間というものと時雨達を隔てるものはない。時雨の一挙手一投足が、この世界と噛み合いながら熱を与えている。時雨の感情は、時雨という“個人”を余すところなく証明している。遥か彼方の、遠く離れた戦場海域に跋扈する深海棲艦にではなく、人々のすぐ近くに現れた恐ろしい不実に、艦娘達が真っ向から立ち向かう。その疑う余地のない、艦娘達の完全な正義を、社会が目撃している。果てしない重量を持つ何かが、時雨の両肩に乗りかかってくるかのように思えた。身体が強張り、僅かに息が詰まりかけた時だった。

 

 

 

「三人は、どういう集まりなんだっけ? (合流先輩)」

 

 横合いから音もなく、携帯端末を耳にあてた野獣が並走してきた。片手に長刀を担いでいる野獣の少し後ろには、抜き身の軍刀を握った木曽が続いている。二人とも気配の消し方が上手いのか、ここまで近づかれるまで全く気付かなかった。

 

 そんな突然の野獣の登場に、鈴谷は「うぇっ!?」と驚いて蹴躓きかけて、それからすぐに「びっくりさせないでよ、もー!」と走る姿勢を立て直しながら、明らかに涙ぐんだ声を出した。時雨も思わず泣きそうになり、呼吸の震えを誤魔化すように洟を啜る。不味いなと思う。野獣の声を聞くと、感情がぐちゃぐちゃになる。ついさっきまでは時雨も鈴谷も、次に野獣と顔を合わせる時は解体破棄されるのだ、という状況で禁固房に居たからに違いない。

 

 ただ、体の強張りが解けた。プレッシャーは変わらずに在ったが、余計な力が抜けて、自分の動きにしなやかさが戻ってくるのを時雨は感じた。これも野獣の御蔭なのかもしれないと思うのは、それだけ時雨にとって野獣の存在が大きいからだろう。

 

「……どういう集まりだと思う?」

 

 天龍が鼻を鳴らすのが聞こえた。

 

「D、Eエリアに向かってるように見える見える(天地明察)」

 

 野獣は言いながら、誰かを探すかのように周囲へと視線を流している。恐らくだが、天龍達と同じように禁固房に押し込まれていた筈の不知火が、今のタイミングで姿が見えないことを不自然に思っているのかもしれない。それに、野獣が艦娘囀線を確認しているか、他の艦娘達と既に連絡を取り合っているのなら、少女提督が天龍達と合流したことも知っていることだろう。

 

 野獣が、不知火と少女提督が今どこに居るのかを気に掛けている様子を見た天龍は、「心配はいらねぇよ」と、また鼻を鳴らした。それから、不知火は少女提督の護衛についており、この付近には居ないということを、野獣と並走しながら簡単に説明した。「さっき執務室で別れたから、もう安全な場所まで移動してると思うよ」と、鈴谷が続く。

 

「不知火と一緒だから、きっと大丈夫」

 

 時雨も頷いてから、野獣に言う。

 

 この鎮守府で、不知火のことを侮る艦娘は居ない。時雨の知る“不知火”は、激戦期を戦い抜いた猛者だ。数多く召還された不知火の中でも、間違いなく最強格だった。時雨が頷いて見せると、「おっ、そうだな! (信頼できる仲間を想う)」野獣の表情が、僅かに和らいだ。「そういう話なら、俺も心置きなく戦えるな」と、普段から少女提督に対する強い忠誠心を窺わせる木曽も、引き結んでいた口許を緩めていた。

 

 野獣が、鈴谷や時雨、それに天龍に、何かを言おうとする気配を感じたのは、その時だった。時雨が野獣に視線を向けると、野獣は視線を逸らした。ついでに、喉まで出掛かった言葉を飲み込むように、不味そうな顔で口を閉じた。普段、馬鹿馬鹿しくて阿保らしいことでも平気で言い放つ野獣が、言葉を選ぶというよりも、発言することそのものに躊躇や迷いを見せるのは珍しいことだった。

 

「おい、野獣」

 

 天龍が、下らない冗談にダメ出しをするような声を出した。

 

「お前、俺らのことを諦めたの、謝ろうとしてるだろ?」

 

 野獣が、唇をひん曲げて天龍を見た。鈴谷がハッとした顔になって、野獣を見た。思わず時雨も野獣の横顔を凝視してしまう。野獣は、時雨や鈴谷を解体・破棄することを受け入れたのは間違いない。だがそれは、他の艦娘や、今までのイベント関係者達の生活や人生を守るためには仕方のないことだということは、時雨は理解している。だから、野獣を憎むようなことは無いし、見捨てられたとも思っていない。むしろ、野獣に余計な苦痛を背負わせてしまうことを申し訳なく思っていたぐらいだった。

 

 だが、時雨や鈴谷を解体・破棄することを認めたということ自体が、仕方が無かったとは言え、それは野獣自身にとって許しがたい選択だったのだろう。ただ時雨にとっては、今の鎮守府の騒動の中で、時雨や鈴谷は解体されることなく再会できたことは、素直に嬉しい。微笑みを浮かべている鈴谷にしても同じだろう。

 

「ねぇ、野獣」

 

 時雨が、野獣の横顔に声を掛ける。

 野獣が、視線だけで時雨を見た。時雨は頷いて見せる。

 

「僕は、野獣を恨んでなんかないからさ」

 

 そう言った時雨に続いて、鈴谷も軽く鼻を鳴らす。

 

「前にも言ったけど、鈴谷もね。誰も悪くないよ」

 

「こいつらの言う通りだ。変な気を遣うなよな。らしくねぇ」

 

 天龍が鬱陶しそうに鼻を鳴らして、野獣を小突いた。野獣が「ん、おかのした(バツの悪い顔)」と答えるのがおかしかったのか、木曽が小さく笑うのが聞こえた。それからすぐだった。

 

『天龍さん達と合流したのですね』

 

 野獣が耳に当てている携帯端末から、鳥肌が立つ程に落ち着いた声が聞こえた。赤城の声だ。空母艦娘である赤城であれば、艦載機を用いた広範囲の状況をリアルタイムで把握し、野獣に伝えることも出来る。まだ赤城との通信が繋がっているということは、赤城との情報の遣り取りをしているタイミングの野獣が、運よく時雨達と合流できたということだろう。

 

『深海棲艦達に動きが在りました。……彼女達はD、Eエリアを横切る形で、埠頭を抜けて海に出るつもりのようです』

 

 温度の無い赤城の声は、戦闘マシーンなどと呼ばれていた頃と同じく、淡々としていながらも穏やかだった。それと同時に、一切の感情を窺わせず、無機質で冷徹でもある。殺意や敵意ではなく、己の正義に粛々と従う者の声だ。「あっ、そっかぁ……(状況把握)」と、平たい声で答えた野獣は、時雨や天龍達を順に見ながら手早く端末を操作し、通信をスピーカーに切り替える。時雨達とも情報を共有する為だろう。

 

「D、Eエリアで捜索、救助にあたってる艦娘の数はどれくらいだ? (希望の明度)」

 

 野獣が低い声で言う。続く赤城の応答を聞き逃すまいと、この場に居る全員が耳を澄ますような静寂が在った。一瞬の間があって、『かなり多いですよ』と、赤城が珍しく曖昧な言い方をした。ただ、その声音に焦燥や動揺はなかった。

 

『駆逐艦娘の子を中心に、潜水艦の子たちも、既に崩れた庁舎の瓦礫を掘り起こしてくれています。瑞鳳さん、ガンビアベイさん、アークロイヤルさんといった空母艦娘達も既にエリアに到着していますから、上空の猫艦戦たちを牽制しつつ、制空権を奪うのも時間の問題でしょう』

 

 赤城の言葉を聞いて、時雨は安堵する。天龍と鈴谷も、薄く息を吐きだす気配があった。赤城の曖昧な返答も、十分な数の艦娘がD、Eエリアに到着していることの裏返しだったのだろう。

 

「俺達はどうする?」

 

 木曽が静かに言うと、野獣が時雨達を見回した。

 

「こっちには、時雨、天龍、鈴谷、木曽が居るけど、D、Eエリアの捜索よりも、深海棲艦どもの進行を止める方が良い……、良くない……? (戦力の分配)」

 

『はい。現状では、マスコミ関係者の捜索と救出にあたる艦娘の数は十分だと判断できます。ですが、……対処が必要な深海棲艦たちは、D、Eエリアに隣接しているFエリアに接近しています』

 

 落ち着き払った赤城の声に、動揺や恐れはない。

 

『長門さんや陸奥さん、それに、武蔵さんや大和さんを始めとした戦艦種の艦娘に連絡を取り、Fエリアへと向かって貰っています。……私も加賀さんと共に向かい、そこで食い止めます』

 

 野獣は頷いてからもう一度、時雨たちを見回した。その野獣の表情は硬く、逡巡するかのように視線を微かに揺らしてから、何かを時雨達に言いかけて、やめた。言葉を飲み込んだ野獣は、だが、すぐに口を開いた。

 

「俺達もFエリアに行きませんか……、行きましょうよ? (決戦)」

 

 心の重心を落とすかのような低い声で言う野獣に、鈴谷が、強い眼差しを見せて頷いた。「それしかねぇよ」と言った天龍が、乱暴に息を吐きだす。「決まりだな」と零した木曽は、表情を動かさずに前を見詰めていた。時雨は何も言わずに息を吸う。もう戦うしかないのだ。覚悟はできている。

 

 ただ、野獣が飲み込んだ言葉が気になった。野獣は、時雨達に何を言おうとしたのだろう。野獣は、今の鎮守府の状況について、真実らしきものを予想できているのではないかと思う。そしてその内容については、時雨が朧気ながら考えている内容と、そこまで変わらないのではないか。脳裏に少年提督の姿が脳裏に浮かぶ。

 

 艦娘達の未来について野獣は、意識の距離を遥か遠くに置いていた。だが、少年提督が視ている未来は更に遠く、より解像度の高いものであるとすれば、人類への反逆と言う大それた彼の行為にも、確実に意味があるはずだと思った時だった。

 

「ヌ……ッ!? (意表を突かれた顔)」

 

 野獣が驚いた声を上げた。見れば、野獣が手にしていた携帯端末が、蒼く濁った微光に包まれていた。画面もブラックアウトしているし、明らかに赤城との通信も途切れている様子だった。あの蒼色は、海の上で深海棲艦たちが纏っている光と同じ色だ。

 

 まさかと思い、時雨も自分の端末を取り出すと、やはり野獣の持つ端末と同じく、蒼い微光によってぼんやりと包まれ、その機能をロックされていた。天龍や鈴谷、それに木曽も自分の端末を取り出して確認しているが、やはりどれも同じ状態だった。微光の色に見覚えがある。海の上で出会う深海棲艦たちが纏っている光の色だ。この現象が、深海棲艦からの干渉であることは簡単に予想できた。Fエリアへと駆けながらも、全員で顔を見合わせる。

 

「はぁ~~……(クソデカ溜息)」

 

 大袈裟に肩を上下させた野獣は、携帯端末を提督服の懐に仕舞いながら、ゆっくりと瞬きをした。艦娘と並走する野獣の速度もかなりのものだが、呼吸に乱れは全くなかった。決心と覚悟を改める静かな面持ちになった野獣が、駆ける速度をさらに上げた。

 

「端末が使えなくなったって、へーきへーき! (熟機を前に)」

 

 時雨達の先頭に立った野獣は、腰に吊っていた太刀を手に握り込み、二刀流になった。

 

「どの道行くしかないって、はっきりわかんだね(不退転)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

≪加賀@kaga1.●●●●●≫

 H、I、Fエリアを通るルートで

 D、Eエリアに深海棲艦達が向かっています

 

 D、Eエリアでの捜索、救助活動は既に始まっています

 現在、D、Eエリアの外に居て、尚且つ、戦える艦娘は

 Fエリアに向かってください

 そこで深海棲艦達の足を止めます

 

 

≪翔鶴@syoukaku1.●●●●●≫

 戦艦水鬼、戦艦棲姫、

 港湾棲姫、北方棲姫、

 集積地棲姫、ヲ級、タ級、ル級、

 それに加え、

 レ級、重巡棲姫、南方棲鬼の3体も合流した模様です

 全員で、彼を護衛するかのような隊列を組んで

 D、Eエリアへ移動しています

 

 

 先程、艦娘囀線に加賀と翔鶴の書き込みが在った。それに続いて、飛龍や蒼龍、それにアークロイヤル、グラーフなどの空母艦娘の書き込みが続く。猫艦戦達の多くを撃墜した彼女達たちの索敵により、Fエリアに侵入しようとする少年提督や深海棲艦達の位置は、既に割り出しているとのことだった。あとは、合流した艦隊と連携を取ることで、深海棲艦達を挟撃、先制攻撃を加えることができる状況にあることも、彼女達の書き込みから分かった。

 

 携帯端末のGPS機能を利用し、すぐ近くにいる空母艦娘と合流すべく、D、Eエリアに向かっていた霞はFエリアへと足を向ける。最も霞と近い場所を移動しているのはグラーフだった。無事に合流し、他にも、ビスマルクやプリンツ、リシュリュー、長門や武蔵たちとも合流できた。陽炎やガングート、大鳳などの姿もある。

 

 静かに殺気立った彼女達が、さきほどの加賀の書き込みを見て行動しているのは間違いなく、霞と合流した後も、彼女達が互いに言葉を交わすようなことも特になかった。とにかく、自分たちの役割がハッキリしていて、敗北も失敗も許されない状況であることが明白だった。猫艦戦達を排除しながら、じわじわと制空権を奪いつつある空母艦娘たちは健在であり、長門や武蔵などの戦艦種の艦娘も万全のままで戦闘を迎える準備が出来ている。

 

 ただ、合流してすぐに、霞たち全員の携帯端末が淡い光を発しだして、完全に沈黙してしまう不穏な出来事があったが、深い詮索もせずに捨て置いた。他の艦娘達と合流し、少年提督や深海棲艦たちとのコンタクトを直前に控えている以上、もう携帯端末を使うような状況ではなかったからだ。重要なのは、空母艦娘を軸にした挟撃を成功させることだった。総合的な戦力で見て、霞たちの方が有利であることは疑っていなかった。

 

 だから、霞たちがFエリアに到着してすぐに、横合いから砲撃を受ける奇襲に遭ったのは、流石に動揺した。挟撃による先制攻撃を仕掛けるどころか、呆気なく戦闘に巻き込まれた。そんな馬鹿なと思ったのは霞だけではない筈だ。艦娘囀線でも、深海棲艦たちは全員で少年提督の護りを固めているのだと翔鶴が報告していた。練度の高い翔鶴の艦載機が、南方棲鬼を見逃したとも考えにくい。なら、少年提督が霞たちの裏をかいてきたという事だろう。ただ、そういったことを暢気に考えている間は無かった。

 

 砲撃音が立て続けに響くのを聞いた。その一秒あとには、幾重にも重なった爆風を体の右側に受けた。霞の右半身が黒焦げになって、紙くずのように吹き飛ばされて地面を転がる。他の駆逐艦娘達もだ。回転する視界の端で、頭を下に足が上になって空中を移動する陽炎が映る。陽炎の左腕と左脚が爆ぜるのが見えた。右半身が無くなった曙も、空中でくるくる回って地面に墜落しようとしている。

 

 それがどうしたと思った時には、霞は顔面を地面で強打してバウンドし、次には曇り空が見えて、また地面が見えた。それでも、一瞬も途切れることなく意識は在る。痛みは鈍い。だが、それ以外の感覚が研ぎ澄まされている。霞はすぐに左手をついて起き上がる。自分の身体から霊気が放散されて、艦娘装束と一緒に、右半身の再生が始まっているのは見なくても分かる。数日前、少年提督が、殆ど無理矢理に装備してくれた“儀礼ダメコン”が発動している。おかげで、動ける。問題ない。

 

 身体を前に傾ける霞の前方には、既に起き上がり、駆け出している陽炎と曙が居た。彼女達の体も、ダメコン発動による霊気に包まれて再生を始めている。その陽炎や曙たちより更に前には、今しがたの砲撃、或いは、その爆風をモロに浴びた筈の戦艦種の艦娘達が、ビクともせずに戦闘態勢を取っている。流石と言うべきだろうか。武蔵とビスマルク、プリンツが大鳳を、長門とガングート、リシュリューが、グラーフを庇うようにして、艤装を盾にして立っていた。

 

 大鳳とグラーフは無傷だ。長門と武蔵にも傷がないように見えるし、リシュリューやガングート、ビスマルクやプリンツにしても大きな損傷を負っていないように見えた。だが、そんな筈がない。深海棲艦の上位種の砲撃は、十分な破壊力を持っている。やはり彼女達もダメコンに救われているはずだった。霞が地面を転がっているうちに、彼女たちの肉体の修復が終わったのだろう。少年提督が特別に調律したダメコンは、長門と武蔵たちの艤装も修復している。おかげで、奇襲を受けても実質はノーダメージで済んだ彼女達は、即座に反撃に出ていた。

 

 砲撃戦の間合いに居た南方棲鬼へと、容赦なく砲撃を叩きこんだのだ。6人による一斉砲撃だ。炸裂音が重なって響く。南方棲鬼の艤装も肉体も、膨れ上がる爆炎に飲まれるようにして、粉々に砕け散るのが見えた。見えただけで、違った。信じられなかった。

 

 木端微塵に飛び散るかに見えた南方棲鬼の肉片が、象牙と琥珀の陰影に覆われながら繋がっていき、瞬く間に元通りになったのだ。まるで、深海棲艦式の強力な“ダメコン”が発動しているかのようだった。長門が呻き、武蔵が不機嫌そうに鼻を鳴らすのが分かった。大鳳とグラーフは、長門と武蔵に守られつつ、艤装を展開しながら素早く下がる。艦載機の攻撃部隊を発艦させるつもりなのだ。霞と陽炎、それに曙を含む駆逐艦娘の数人が、下がって来た大鳳とグラーフの護衛につく。霞たちも艤装を構える。

 

 空母艦娘を含む全員で反撃に移ろうとしたところで、南方棲鬼は、再生した体の感触を確かめるように首を回しながら、鋭く大きなバックステップを数回踏んで、この場所から離れていく。疾い。めちゃくちゃ疾い。このままでは逃げられてしまう。そう思った霞たちが追撃を仕掛けるよりも先に、南方棲鬼の横合いから砲撃が届いた。それも、一度や二度ではない。一斉砲撃のような密度だった。再び、炸裂音が幾重にも重なる。

 

 見れば、高雄と愛宕、それに、扶桑と山城、金剛、榛名が艤装を展開していた。D、Eエリアから此方に向かってきてくれたのだろう。彼女達の砲弾の雨を浴びた南方棲鬼の体が、再び砕けてから、また再生する。だが、肉体が再生する一瞬の間だけは、彼女の動きが止まっていた。その隙に、物凄い速度で踏み込んでいく艦娘が居た。龍田だ。

 

「逃がさないからぁ」

 

 甘く蕩けるような低い声で言いながら、彼女は槍型の艤装を突き出す。ただ突き出すだけじゃない。突いて、引いて、また突いた。それを、残像が見えるほどの速度で繰り返す。神速の連続突きだった。一瞬の硬直時間を突かれた南方棲鬼は、だが、無抵抗ではなかった。体をひねり、龍田の連続突きを、両腕を覆うガントレットのような艤装装甲で弾いて弾いて弾きまくり、或いは、避けて避けて避けまくった。2秒ほどの拮抗。龍田が槍を引き込み、今度は槍で突くのではなく、真横に払い、更に踏み込んで、斜め上から薙いだ。龍田の一連の動作は、まさに電光石火だった。南方棲鬼は回避できなかった。払われた龍田の槍が、南方棲鬼の右腕を装甲ごと切り飛ばし、左腕を薙ぎ払った。

 

「これで終わり」

 

 龍田は再び槍を手元に引き込んでから、先ほどまでよりも更に鋭く、疾く、突きを繰り出した。無音のままで繰り出された龍田の槍は、両腕の再生を始めていた南方棲鬼の胸を容易く貫いた。

 

「ぐっ……!」

 

 腕の無い南方棲鬼が、表情を歪めて低い声を漏らす。龍田は止まらない。そのまま南方棲鬼を強引に地面に引き倒した。彼女の胸を貫いたままの槍を地面に埋め込み、縫い付けるかのようだった。無論、南方棲鬼も、再生した両腕と艤装によって抵抗しようとした。だが、そこで龍田のフォローに入ったのが、既に南方棲鬼へと肉薄していた榛名だった。

 

「勝手は、榛名が許しません」

 

 普段からは想像もできないほどに低い声の榛名は、地面に縫い付けられた南方棲鬼を見下ろしながら、彼女の左肩めがけて左足を振り下ろし、バキバキと無造作に踏み潰した。そのついでに、右膝で南方棲鬼の腹を押さえ込み、右手で彼女の喉首をガッシリと掴む。

 

「が、ハッ……!」

 

 南方棲鬼は残った右腕を動かそうとしたが、その右肩と右腕を丹念に踏み砕いたのは、槍に手を掛けたままの龍田だった。大鳳やグラーフが艦載機の攻撃部隊を発艦させるよりも早く、物理的に南方棲鬼を拘束してしまうあたり、この鎮守府の艦娘達の連携は流石だと思う。奇襲を受けた動揺を鎮めつつ、霞は息を吐く。

 

 大鳳とグラーフが、壁役になってくれた長門と武蔵に感謝と礼を述べている。「なに、これぐらい痒いものだ。なぁ、長門」「あぁ。長門型の装甲は伊達ではない。あの程度の攻撃、まるで効かんぞ」などと二人は胸を張っている。「ダメコン積んどいてマジで良かったわ……」「一回死んだわよね、私もアンタも」などと、陽炎と曙も何かを言い合っている。他の艦娘達も短く言葉を交わしながら、拘束された南方棲鬼へと近づく。それに霞も小走りで続こうとして、「霞。顔色悪いけど、大丈夫?」と、此方を振り返った陽炎に声を掛けられた。陽炎型の長女である彼女は、駆逐艦娘の誰に対してもお姉ちゃんの振舞いを崩さない。

 

「えぇ。平気よ。へーきへーき」

 

 軽口に見せかけた深刻な心配の言葉を、霞は鼻を鳴らして受け取る。

 

 地面に仰向けになった南方棲鬼は、槍で磔にされたままで両肩を潰されていた。再生はしているが、すでに榛名と龍田がその動きを封じ込んでいる。武蔵、長門、ビスマルクやプリンツ、高雄、愛宕、それに、山城と扶桑にも囲まれており、身動きは出来ても抵抗は不可能な状態だった。

 

「貴女に訊きたい事がありマス」

 

 引き締めた声で言う金剛が、拘束されている南方棲鬼の傍にしゃがみこみ、その顔を覗き込んだ。榛名に喉首を掴まれている南方棲鬼は、僅かに苦しげな表情を浮かべているものの、金剛と目が合うと、唇の端を歪めて見せた。

 

「何がおかしいのです」

 

 温度の無い、冷酷な声を出した榛名が、南方棲鬼の喉首を掴む手に力を込めるのが分かった。榛名の指が南方棲鬼の首に食い込み、メキメキと音を立てる。瞳孔の開いた榛名の眼は、冷えた重機ライトのように無機質で、普段の優しい雰囲気は一切なかった。「Stopヨ、榛名」と、金剛が手で制さなければ、表情を消し去っている今の榛名は、あのまま南方棲鬼の首をへし折っていただろうと思えた。

 

「鬼は外、福は内。……瑞鶴に言ったあれは、どういう意味デス?」

 

 金剛の問いに、「そのままの意味だ」と、南方棲鬼は榛名に掴まれたままの喉を震わせた。

 

「勿体ぶるなよ。榛名は怒ると怖いんだ。痛い目を見るぞ」

 

 武蔵が茶化すように言うが、その眼差しは酷く剣呑だった。武蔵の張り詰めた表情を見て、秘書官見習いとしての南方棲鬼の面倒をよく見ていたのが武蔵であったことを思い出す。隠し事はするなという忠告は、南方棲鬼のことを想ってのことなのだろう。榛名が姿勢を変えず、目だけを動かして武蔵を見てから、すぐに南方棲鬼へと視線を戻した。唇の隙間から細い息を漏らす南方棲鬼は、喉を鳴らすように笑う。

 

「勿体ぶってなどいない。私達も、お前たちも、今は在るべき場所に在ればいい」

 

「……では、テートクも鬼だと?」 

 

 金剛が顔色を変え、片方の目を物騒に窄めるのが分かった。南方棲鬼は、「提督が、そう望んでいるからな」と、また喉を鳴らすように笑った。そして声を潜め、取り巻く艦娘達を視線だけでゆっくりと見回した。

 

「まるで、我々の顔ぶれを確認しているかのような目つきだな」

 

 眉を寄せた長門が探るように言うと、南方棲鬼は唇を歪めたままで長門に視線を返した。

 

「あぁ。提督から聞いていた通りの面子が揃っていて、安心しているんだよ」

 

 南方棲鬼は穏やかな声で言う。

 

「提督から、お前たちに言伝を預かっている」

 

 武蔵が、「なに……?」と眉間に皺を寄せて、長門が目を細める。近くに陽炎が息を飲み、曙が体を強張らせるのが分かった。険しい表情を作った高雄と愛宕が視線を合わせて、扶桑と山城も顔を見合わせていた。他の艦娘達もザワついている。霞も体に力が入った。

 

「伝えるタイミングも、これが最後だ。ドローンも音声を拾っているからな。大きい声ではお前達に言葉を掛けられない。だが、小さい声では聞こえない。携帯端末もロックされているだろう? こうやってお前たちに囲まれなければ、出来ない話もある」

 

 南方棲鬼の落ち着いた声に被せるように、少し離れた場所で砲撃音が響いた。戦闘の音だ。大和や陸奥の居る艦隊が、他の深海棲艦と交戦しているのだということは直ぐに分かった。「あぁ、アレは重巡棲姫だ」と、貧乏くじを引いた同僚の奮闘を称えるかのように、南方棲鬼が薄く笑った。霞は状況を飲み込めないままで、砲撃音のする方と南方棲鬼を交互に見た。

 

 

 まるで舞台のプログラムが無慈悲に進行していくかのような寒々しさが胸を掠める。霞の目の前で胸を槍で貫かれ、両腕を踏み砕かれている南方棲鬼の口振りからするに、彼女は奇襲を仕掛けてきたのではなく、少年提督からの言葉を届ける為に、意図的に拘束されたのだ。つまり、高雄や扶桑たちからの砲撃も、龍田や榛名による接近戦も、全て知っていて行動していたということになる。

 

「アイツも私と同じように、提督からの言伝を頼まれているんだよ」

 

 霞だけでなく、他の艦娘たちにも動揺が広がるよりも先に、「言ってみなさい」と、ビスマルクが南方棲鬼の言葉を促した。この場に居る艦娘達が、心の準備をするかのように深く息を吸いこむ気配があった。少しずつ雲が晴れつつある空を見ながら、南方棲鬼が穏やかな息を吐いてから、言う。

 

「“どうか、人々の味方であって下さい”」

 

 静寂が在り、湿った風が吹いた。

 

「……提督から預かっている言葉は、それだけだ」

 

 自分の仕事を最後まで無事にこなせた安堵を味わうかのように、南方棲鬼は満足そうに目を細めている。

 

「いい加減、お前たちも気づいているだろう。提督が何をしようとしているのか。この急拵えの“劇場”で、お前たちが何をすべきなのか」

 

 少し遠い眼になり、友人に語りかけるように寛いだ口調になった南方棲鬼は、今まで秘書官見習いとして、この鎮守府で霞たちと共に過ごした時間を思い出しているのかもしれない。

 

 一方で、無表情を崩さない榛名は南方棲鬼の喉首を掴んだままで、呼吸だけを僅かに震わせていた。険しい表情の金剛も目の動きを止めて俯き、少年提督からの言葉を咀嚼しているかのようだった。武蔵が眉間に皺を寄せて瞑目している。長門が拳を握り締めて地面を見詰め、頬を強張らせていた。ビスマルクが、自分の美しい金髪をぐしゃぐしゃと右手で掴みながら下を向き、ギリギリと歯を鳴らしている。

 

 軽い眩暈と共に、霞は目の前が暗くなるのを感じた。南方棲鬼が預かってきたという少年提督の言葉は、彼と深海棲艦達が、この鎮守府の艦娘と敵対していないことを明らかにしている。それに、高雄や愛宕、扶桑も山城も、グラーフもプリンツも、それに、陽炎や曙も、他の艦娘達も、少年提督の言葉に打ちのめされていた。

 

「さて、そろそろ次の幕が上がる。……遅れるなよ」

 

 仰向けに倒れたままの南方棲鬼が、舞台袖から役者を眺めるかのように視線を動かし、霞たちの顔を順に見た。離れた所で鳴っていた砲撃音が止んでいる。大和や陸奥たちに撃破された重巡棲姫が、今の南方棲鬼と同じように、少年提督からの言葉を手渡すような状況になっているのだろうと思えた。ただ、推理や憶測をいくら積み上げても、進む時間は止まらない。

 

「これは“悲劇”かもしれんが、私は、お前たちに出会えてよかったと、そう思っている」

 

 押し黙る艦娘達の間を、南方棲鬼の落ち着いた声音が流れていく。

 

「奇遇だな。私もだ」

 

 諦観と決心を混ぜたような苦笑を浮かべた武蔵が、眼をゆっくりと細めた時だった。仰向けに倒れていた南方棲鬼の体から、象牙と琥珀の霊気が吹き上がった。霞を含め、周囲に居た艦娘たちはその眩さに驚き、顔を腕で覆いながら、2歩ほど後ずさってしまう。腕で顔を覆いながらも霞は、澄んだ光の粒子が、南方棲鬼の体に沁み込み、瞬く間に破壊された両腕を構築していくのを見た。「ダメコン……!?」という、陽炎の焦った声が聞こえてきた時には、一瞬の間に吹き荒れた活力の嵐の中で、南方棲鬼の体は元通りになっていた。

 

 咄嗟に立ち上がった榛名は、再生した南方棲鬼の四肢を改めて破壊しようとしたに違いなかった。榛名の傍にいた龍田や金剛にしても同じだろう。だが、南方棲鬼の行動は、誰よりも疾かった。

 

 まず、南方棲鬼は、自分の胸を貫いていた槍を地面から引き抜きながら立ち上がると同時に、すぐ近くに居る榛名の腕を掴んで、流れるように脚を払った。榛名の体が浮く。「なっ……!?」榛名の驚いた声が響いた時には、南方棲鬼は手に持っていた槍を投げ捨て、榛名をお姫様だっこしていた。今にも踏み込もうという戦闘態勢になっていた金剛も龍田も、武蔵も長門も、それに霞も他の艦娘達も、次の行動を取れずに固まる。榛名の方も現状を理解できないのか、「えっ、えっ!?」と、たじろぐような声を漏らし、南方棲鬼の腕の中で、手や脚を彷徨わせるように揺らしている。

 

 この場の艦娘達の判断を鈍らせるという意味では、南方棲鬼の行動は効果的だった。冷静になった霞は艤装を構えようとしても出来ない。肉の盾よろしく、南方棲鬼が榛名を抱えているからだ。金剛も龍田も攻撃を躊躇い、武蔵も長門も、次の南方棲鬼の挙動を見逃すまいと、重心を落としている。「見せつけてくれるじゃない」と軽口を叩いたビスマルクと、「あぁ。お似合いだ」と続いたガングートは、一歩距離を詰めた。もう一度、榛名ごと南方棲鬼を押さえ込んでしまおうという肚なのか。

 

 ただ、抱えられている榛名の決心と行動も早かった。榛名は南方棲鬼の腕の中で抜錨状態になり、体を丸めるようにして、南方棲鬼の横っ面に膝蹴りをぶち込もうとした。だが、それも空振った。南方棲鬼が、もっとも近くに居た金剛へと、榛名を緩く放り投げた。パスしたのだ。意外そうな表情になった榛名が空中に居る間、金剛は南方棲鬼と榛名を見比べて、榛名を受け止めるべく腕を広げる。

 

 その時にはもう、南方棲鬼は踵を返し、霞たちに背を向けて駆け出していた。今度は追撃が間に合わない。グラーフや大鳳が艦載機を放つが、まるでタイミングを見計らったかのように猫艦戦が空に湧きだし、艦載機たちの行く手を阻んだ。霞たちも南方棲鬼を追う。その先で、巨大な生き物の咆哮が響いてきた。轟音と地鳴りが続く。戦艦水鬼、棲姫の艤装獣のものだろうとすぐに分かった。挟撃をするために別に行動していた大和と陸奥たちの方に、深海棲艦を率いた少年提督が進んだのだ。

 

 南方棲鬼は、最後の幕が上がると言っていた。大和や陸奥に敗北したのだろう重巡棲姫にしても、先ほどの南方棲鬼と同じように復活していることも想像がついた。深海棲艦の数は減っていない。Fエリアの先には、要救助者の捜索が行われているD、Eエリアがある。霞たちは、少年提督と対峙せねばならない。逃げることは“世間”が許さないし、少年提督を赦すことも認められない。自分の役割は頭では分かっている。ただ、今の霞には、人々の味方であり続ける自信はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不知火と雷はD、Eエリアに向かう途中で、何発もの砲撃音が体にぶつかってくるのを感じた。付近のFエリアで大規模な戦闘が始まったのは、すぐに分かった。不知火と雷は顔を見合わせて頷きあい、D、Eエリアではなく、Fエリアへと体を向ける。今の鎮守府に、救助が必要な一般人はおらず、負傷している憲兵も居ない。不知火と雷は、他の艦娘達とは違い、それを知っている。少女提督からも、『少年提督を斃すために戦え』という命令を受けている。不知火と雷は、迷わずFエリアへと駆けた。

 

 不知火は走る脚に力を籠め、右拳を強く握った。

 顔を少し上げて、Fエリアの上空を見る。

 

 猫艦戦が逆巻くようにして飛び交い、それを空母艦娘の艦載機が次々と撃墜していた。空の激戦に応えるように、また砲撃音が響く。周囲に存在するものを薙ぎ倒すかのように、轟音が重なりあっていた。そこに、巨大な生物が暴れる振動と咆哮が混じっている。火と鉄、血と埃の匂いを感じながら地面を蹴る。灼熱に燻された風が吹いてきて、不知火達に重く纏わりついた。

 

「司令官を止めることなんて、出来るのかな?」

 

 並走する雷が、不知火の方を見ないままで訊いてくる。

 

「止めなくてはなりません。たとえ、司令官を殺すことになっても」

 

 不知火もまた自分に言い聞かせるように、雷の方を見ずに答える。少年提督を殺すことなど不可能だろうが、感傷に流されてはならないという思いもあり、そう答えるしかなかった。「うん。わかってる」と雷が頷く気配があり、同時に、まだ何かを言いたそうにしているのが分かった。不知火は雷を横目で見ると、雷も不知火を横目で見ていた。目が合う。

 

「……でも、無理かもしれない」

 

 ぼそりと零した雷は、一瞬だけ泣きそうな表情になってから不知火から視線を逸らし、俯いたが、すぐに真顔に戻って前を見た。不知火も前へと視線を戻し、戦闘が行われているFエリアの上空を再び見据える。

 

「いえ、我々なら勝てます」

 

 雷の言う「無理」が、戦力的なものを指すのか、それとも、心情的なものを指しているのかは判然としなかった。だが、その両方において、不知火達は艦娘としての存在意義を懸けて戦わねばならないのも確かだった。

 

「……うん。やっぱり強いなぁ、不知火さんは」

 

 雷が言いながら、目元を右手の袖で拭う。

 

「強くなど……」

 

 不知火が言いかけた時だった。空からだ。猫艦戦の群れが、此方へと近づいてきた。数は20ほど。不知火と雷は即座に応戦する。やはり猫艦戦達は爆撃などをしてこない。あくまで噛みつくか、体当たりを仕掛けてくる。

 

 理由は単純だ。この艦戦達は、今の鎮守府での大きな戦闘を演出する為の小道具に過ぎない。本当に艦娘を破壊する為に動いている訳ではないからだ。それを知っている不知火にとっても、あの数は脅威でしかない。無視することはできないし、見逃すこともできない。

 

 艤装を召んだ不知火と雷が、次々と猫艦戦を撃ち落としていく途中で、また別の猫艦戦の群れが近づいてくる。約40機。いや、50機は居るだろうか。空にずらっと並んだ艦戦たちは、不知火と雷を取り囲むように位置を取り、距離を詰めてくる。不知火は舌打ちをする。Fエリアに急いでいるというのに。

 

 雷も焦った表情になって、周囲を飛び回る猫艦戦を視線で追っていた。このままで猫艦戦達とじゃれている暇はない。此処は自分が猫艦戦達を引き付けて、雷には先に行って貰おうという思考が、不知火の頭の中に流れた。だが、不知火がそれを実行に移すよりもさきに、獣の咆哮を思わせる大音声と共に、地鳴りのような巨大な足音が接近してきた。それを追うようにして砲撃音と炸裂音が響き、熱風が吹き付けてくる。

 

 無論だが、Fエリアの方からだ。

 

 不知火と雷は、周囲の上空に陣取った猫艦戦を撃墜しつつ、音が近づいてくる方へと視線を向けた。また舌打ちが出る。戦艦棲姫の艤装獣が、此方へと向かってきているのが分かったからだ。猫艦戦に囲まれている不知火と雷を仕留めるつもりなのか。戦闘になる。とてもではないが、戦艦棲姫は移動しながら戦える相手ではない。不知火と雷は駆ける脚を止めるついでに、近くに居た猫艦戦を次々と撃墜しながら、吠え猛る艤装獣へと向き直る。

 

 だが、そこで気づく。艤装獣の掌の上に優雅に腰掛けている戦艦棲姫は、不知火達を見ていない。戦艦棲姫の艤装獣の右肩のあたりで爆発が起きる。砲撃を受けたのだ。彼女達が意識を向けているのは、彼女達自身の背後だ。戦艦棲姫は追撃されている。巨体を誇る艤装獣に追撃を仕掛けているのは、日本刀を携えた赤城改二と、艤装の刀剣を手にした天龍を先頭にして、その後に続き、巡洋艦娘や駆逐艦娘が追従している。後衛には、加賀と翔鶴が艦載機を展開していた。険しい表情で弓を構える、飛龍と蒼龍の姿もある。更にその後方、少し離れた位置で野獣と木曽がレ級の相手をしているのが見える。

 

 視線を上にあげると、空母艦娘達の艦載機が、大量の猫艦戦を駆逐していく様子が見える。だが、それでも猫艦戦の数は多い。まだまだ居る。減っているように見えない。どこからか湧き出しているとしか思えない。押し寄せてくるのを猫艦戦の群れから空母艦娘たちを守る位置を取っているのは、吹雪や夕立、睦月を含む駆逐艦娘と、対空能力の高い巡洋艦娘達だった。練度の高い彼女達は、空から次々と迫ってくる猫艦戦を、一体も見逃さずに撃墜して見せている。だが、それでも猫艦戦の数は多い。

 

「あ、あれ!」

 

 港湾棲姫の存在に先に気付いたのは、遠くを指差した雷だった。不知火も目を凝らす。この乱戦の場から少し離れた場所で、港湾棲姫が大型の艤装を展開し、大量の猫艦戦を召び出しているのが見えた。乱戦の中に居た艦娘達の何人かが港湾棲姫に気付き、彼女を撃破すべく攻撃を加えている。その中には、鈴谷や時雨の姿も見える。

 

 あの二人も相当な練度の高さを誇っている筈だが、港湾棲姫が召びだす猫艦戦の層が厚すぎて砲撃が届いていない。砲弾が猫艦戦の群れに吸われてしまう。それに港湾棲姫に近寄ろうにも、彼女のすぐ傍には南方棲姫が艤装を展開して艦娘達を牽制しており、そう簡単には距離を縮めることも出来ずにいる。

 

 

 其処彼処で激しい戦闘が行われている。乱戦だ。その範囲は、既に不知火と雷を容易く飲み込み、この状況の中に取り込んでいく。不知火は大量の猫艦戦を撃ち落としながら、此方へと近づいてくる戦艦棲姫たちを横目で見た。

 

 

 戦艦棲姫の艤装獣は、果敢に接近戦を挑んでくる赤城と天龍を巨大な腕で払うようにいなしながら、回避行動を取りつつ移動している。赤城と龍田が近接攻撃を仕掛けないタイミングでは、他の艦娘が砲撃を行っていた。それは非常に息の合った連携攻撃だった。艦娘の砲弾が艤装獣に直撃する。だが、ダメージは無さそうだ。艤装獣の巨体の表面で爆発が起こるが、ビクともしていない。艦載機たちも空中から猛攻撃を仕掛けているが、有効打には全くなっていない。不知火は舌を巻く。なんて堅牢さだ。海で出会う同種の艤装獣とは比べ物にならない。

 

 琥珀と象牙色のオーラを纏った艤装獣は体を傘のようにして、砲撃の雨から戦艦棲姫を守りつつ移動する。赤城達から距離を取ろうとしている。戦艦棲姫は明らかに守勢だが、追い詰められているようには全く見えない。それは多分、艤装獣を操る戦艦棲姫の表情が落ち着き払っているからだ。彼女もまた、“艦娘と深海棲艦との激戦”を演出するために、計算しながら動いているのだろうと思える。戦艦棲姫も、艦娘達を破壊するために戦闘を行っているのではないのだ。

 

 不知火と雷は位置的に見て、戦艦棲姫を赤城達と挟み撃ちできる位置にある。好機だと思うと同時に、深海棲艦達と過ごしてきた日常の風景が頭に浮かびかけて、それを振り払うように、接近してきた猫艦戦5体を一気に撃墜した。猫艦戦の破片が降り注ぐなか、傍に居た雷も4機を撃墜し、不知火の眼を見て頷いた。

 

 互いに頷く。駆け出す。まだ撃墜していない大量の猫艦戦達が不知火たちを追ってくる。

 赤城と加賀が不知火達に気付いた。艤装獣と相対しながらも、赤城は日本刀を鞘に納めると同時に、本来の空母艦娘としての弓を構えて艦載機を放った。それに続き、後衛の加賀も艦載機を放つのが見えた。2秒後には、赤城と加賀の艦載機の編隊が、不知火達に追いすがる猫艦戦達を一掃してくれた。その時にはもう、赤城は弓から日本刀に持ち替え、艤装獣へと踏み込んでいた。続いて、天龍も艤装獣へと距離を詰める。

 

 夕日が近づく淡い茜色の光が、薄くなった雲の隙間から差し込んできた。

 視界が濁った赤橙に薄く染まり、周りが明るくなる。

 不知火と雷も、駆ける速度を上げる。

 

 赤城と天龍は戦艦棲姫、その本体を狙う。戦艦棲姫を片手で抱える艤装獣が、もう片方の腕で、肉薄してくる赤城を払い飛ばそうとした。大人ひとりを易々と掴み上げるほどの巨大な腕と掌が、姿勢を落とした赤城に迫る。

 

 赤城は冷静なままの表情を変えず、全く怯まなかった。それどころか更に前に出て、手にした刀を逆袈裟に振るう。音がしなかった。無音だった。振るわれた刀の潤色に、空の茜が滲み、閃くのが分かった。野獣から鍛錬を受けたからだろう。赤城の太刀筋が、野獣によく似ているように思った時には、艤装獣の巨大な腕が、中ほどから切断されて飛んでいた。艤装獣が吠えた。だが、威嚇するように吠えるだけだ。赤城への反撃には出ない。艤装獣の体には艦砲が生えているが、それを使う素振りもなかった。

 

 艤装獣の動きが止まる。そこへ、落ちた影が滑るような捉えどころの無さで、天龍が踏み込む。片腕になった艤装獣の懐に容易く潜り込んで見せた。艤装獣の腕に腰掛ける戦艦棲姫と、天龍の距離が詰まる。天龍は既に艤装の刀剣を突き出す構えを取っていた。殆ど無防備な戦艦棲姫が、間合いを潰してきた天龍を見て表情を強張らせるのが分かった。不知火は、終わったと思った。天龍が戦艦棲姫を討つ。隣に居た雷も、そう思ったに違いなかった。

 

 だから、さっきまで木曽と野獣と戦っていた筈のレ級が、ミサイルよろしくビューンと飛んできて、とんでもない勢いで天龍の脇腹に頭突きをぶち込んで吹き飛ばしたのを見て、雷は「ぇっ」と声を漏らしていた。不知火も「なっ」と変な声が漏れた。天龍が「クソがぁァァアア!!」と叫びながらゴロゴロと転が来る。いや、転がってくる。こっちに来る。やばい勢いだ。不知火と雷は並んで腰を落とし、転がってくる天龍を受け止めた。だが、大車輪と化した天龍のスピードと重力にまけて、仲良く後ろにひっくり返る。

 

 ひっくり返りながらも、不知火と雷の意識は、“艦娘”としての戦闘の中に在った。迫ってきていた猫艦戦を撃ち落とすことも忘れなかった。火花と鉄屑が降ってくる。煤けた匂いを感じながら、背中に地面を感じる。茜色の滲む空が見えた時には、「野郎、ふざけやがって……!」と、脇腹を摩りながらすぐに起き上がった天龍が、不知火と雷の腕を順に掴み、引っ張り起こしてくれた。

 

「すまねぇな、助かったぜ」 

 

 唇の端を歪めた天龍が不知火と雷を順番に見た。「怪我は……!」と、雷は天龍の体を頭から爪先までを心配そうに何度も見た。一方で天龍は鼻を鳴らして、「屁でもねぇよ、こんぐらい」と言いながら、ぐしぐしと雷の頭を撫でた。その時点で既に、天龍は体の重心を落として、すぐにでも飛び出せる姿勢だった。

 

「遅くなりました」

 

 不知火も姿勢を落として天龍に並ぶ。

 

「おう。状況を説明してる暇は無ぇぞ」

 

 そう言うが早いか、戦艦棲姫とレ級との戦闘に戻るべく、天龍が走り出す。不知火と雷も続く。視線を動かす。乱戦の激しさが増している。このFエリア付近に居た艦娘達も集まってきている様子だ。視線を戦場に戻すと、レ級と戦闘を行っていた筈の野獣が、港湾棲姫と近接戦闘を繰り広げていた。

 

 大型艤装の展開を解いた港湾棲姫は、レ級と入れ替わる形で野獣に肉薄したのだろう。彼女は自らの巨大な掌と頑強な爪を使って、野獣が振るう二振りの刀を弾いている。港湾棲姫の動作は疾くない。どちらかというと緩やかにすら見える。だが、無駄が無い。卓越した戦闘技術を持つ野獣を相手に、正面から渡り合っている。彼女もまた、象牙と琥珀色のオーラを纏っている。あの陰影が、深海棲艦たちの肉体を強化しているのは間違いない。少年提督の扱う深海棲艦への強化術式であろうことは、容易に想像できた。

 

 困った顔をしたままの港湾棲姫は、防御中心に立ち回りながらも野獣を逃がさない。そのすぐ近くで、木曽と激突しているには南方棲鬼だ。レ級との戦闘を邪魔されたのが気に入らないのだろう。鬱陶しそうに眉間に皺を寄せる木曽は、容赦なく斬撃や砲撃を南方棲鬼に加えている。南方棲鬼の方はこれらを巧みに躱し、腕を覆う艤装の装甲で防御しつつ、木曽が相手をせざるを得ない距離を保ち続けている。

 

 港湾棲姫と南方棲鬼の二人は、明確に野獣と木曽の足止めをしながらも、他の艦娘達に対しても自身の存在感を示している。彼女達の巨大な戦力は、周囲の艦娘達の意識も集めながら乱戦に巻き込んでいく。

 

 

 不知火もまた、この乱戦の真っただ中に突入していく。視線を前に戻す。天龍の背中が見える。隣には雷が居る。爆風に間を縫うようにして、熱い風が吹いてくる。肺に熱さを感じている内に、不知火達と戦艦棲姫との距離が詰まってくる。

 

 赤城に斬り飛ばされた筈の艤装獣の腕は、もう再生を終えていた。元通りになっている。艤装獣は砲撃や艦載機の攻撃を全身に浴びながらも、戦艦棲姫を完璧に守護していた。それでいて、あれだけの数の艦娘を相手に単体で立ち回っている。艤装獣の巨体は、打ち崩しがたい巨大な城塞が戦場に聳えているかのようにも見えた。

 

 艤装獣の傍では、レ級が飛んだり跳ねたり地べたに這い蹲るような姿勢になって、赤城の斬撃を巧みに回避している。レ級と対峙する赤城の背後から、肉食獣の俊敏さを見せる艤装獣が、巨大な拳を振り下ろす。赤城は気づいている。横に鋭くステップを踏んで避ける。赤城が居た場所を、艤装獣の拳が大きく陥没させる。地面が揺れる。赤城がまだ下がる。大きく下がる。飛び退る。「シシシシ!」と肩を揺らして笑うレ級が、赤城を追おうとした。

 

「やらせるかよ!」

 

 今度は、天龍がレ級の横合いから斬りかかる。不知火と雷も、艤装獣に抱えられた戦艦棲姫に向けて砲撃を加えた。牽制する。艤装獣は戦艦棲姫を庇うようにして動きを止めた。天龍が袈裟懸けに刀剣を振り抜く。レ級がギリギリのところで身を逸らして、躱すのと同じタイミングで、レ級の尻尾の艤装獣の鎌首を擡げて伸ばし、天龍に食らいつこうとして、それを牽制すべく、不知火と雷が砲撃を連続で叩きこんだ。横っ面に砲撃を受けるレ級の艤装獣が、『Gyohoooo──!!』っと、間抜けで苦しげな、しかし、迫力満点の鳴き声を上げた。

 

「あぁん! ひどぅい! (レ)」

 

 レ級が素っ頓狂な声を上げながら、自分の尻尾の被害を確かめるように振り返った。面白いくらいに隙だらけだった。暢気なレ級に、不知火と雷は二人そろって手の中に錨を召んで肉薄する。レ級の反応が遅れていた。いや、それもワザとだろうと思った。だが、手を抜くわけにはいかない。こんな時でも能天気な強者でいられるレ級に比べて、不知火は、自分がひどく滑稽に思えた。

 

 その思いを振り払うように、不知火は手の中に召んだ錨を握り締める。歯を食い縛って、怒りを振り抜く。不知火はレ級の顔面を、雷はレ級の胴体を殴りつけた。殴られる瞬間、レ級はやはり楽しそうに「シシシ!」と笑って、すぐに錨の殴打を喰らい、「Bu!!」と奇妙な声を上げてよろけた。「お返しだ!!」と、そこへ天龍が飛び込んで、右の回し蹴りをレ級の脇腹に叩きこんで、蹴り飛ばす。

 

「ちゃああああ!? (レ)」

 

 レ級がアホっぽい悲鳴を上げながら、さっきの天龍と同じようにゴロゴロと転がっていく。天龍の蹴りをまともに喰らったレ級は、かなりの勢いで吹っ飛び、戦艦棲姫の艤装獣の脚にゴッツーン! と後頭部から激突し、「にょわぁぁ……(レ)」と頭を押さえて悶絶していた。多数の艦娘を相手取りながらも、そんなレ級を見下ろした艤装獣は巨体を器用に使い「だ、大丈夫?」とでも言いたそうな姿勢で微かな狼狽を見せ、戦艦棲姫の方は、馬鹿な同僚の失態を眺める顔つきになっていた。

 

 だが、すぐに戦艦棲姫は表情を引き締めた。不知火達は今、戦艦棲姫とレ級から一定の距離を取りつつも、艤装による砲撃射程に捉え、更には取り囲むような位置に陣取ることに成功していた。上空の猫艦戦達も、空母艦娘の艦載機に圧されている。不知火達が優勢であり、間違いなく勝機だった。

 

 不知火達の包囲網を突破すべく、艤装獣が周囲を見回すように首を動かした。戦艦棲姫も視線を巡らせている。頭を摩っていたレ級は自分がピンチであることに気付き、愉快そうに肩を揺らして笑った。次の瞬間だった。動きを止めていた戦艦棲姫たちに、十数発の砲弾が降り注いだ。途轍もない大爆発が起こる。炸裂音が重なり、衝撃と爆音で空間が飽和する。

 

 視界が消し飛び、何も聞こえなくなった。肉体の感覚は在る。足の裏に地面があることは分かる。不知火は数歩下がりつつ、腕で顔を庇う。周囲の空気が熱く、細かく振動しているような感覚が在った。分厚い熱風の壁が押し寄せてくる。肌がチリチリと焼けて痛んだ。軽い火傷だ。だが、そんなものは艦娘にとって負傷には入らない。すぐに回復する。

 

 焼けた視界や耳鳴りに切り裂かれていた聴覚も、すぐに戻ってきた。顔の前から腕をどける。着弾点であろう戦艦棲姫やレ級が居た場所には派手にクレーターが出来上がっているのが分かるが、濛々と煙る粉塵と白煙でその中心部は見えない。

 

 

 周りを見ると、天龍や雷も不知火と同じように重心を落とし、腕で顔を庇う姿勢を取っていた。他の艦娘達も、殆どが似たような態勢だった。戦艦棲姫とレ級を容易く飲み込んでしまう程の威力の砲撃だったが、不知火達には被害を出さない途方もない精密な砲撃でもあった。後衛の空母艦娘達の存在を思い、着弾観測という言葉が不知火の頭を過った時には、大和と陸奥が此方に駆け寄って来るのが分かった。彼女達の艤装の砲口からは薄い白煙が上っている。恐らく、いや、間違いなく、今の砲撃は彼女達のものだ。不知火達がレ級と戦艦棲姫の動きを止めたところに、ドンピシャのタイミングで止めを刺したのだ。

 

「まぁ流石っつーか、やっぱり大和型と長門型だな」

 

 不知火の傍に居た天龍が、畏怖と感嘆を込めた息を漏らすのが分かった。雷は大和と陸奥の方を一瞥してから、粉塵と白煙が濛々と昇るクレーターの中心部へと視線を戻していた。不知火から見える雷は唇をぎゅっと噛んだ俯き加減で、その横顔は、泣き出す寸前のように見えた。

 

 雷とレ級が、艦娘や深海棲艦に関する術式理論の研究を独学で行ったりする仲だったのは知っている。不知火自身も、レ級とはそれなりの時間を共に過ごし、友情らしきものを共有していた自覚があった。だから、そのレ級が目の前で破壊される様を見た雷の心境は、やはり複雑なものなのだろうと不知火にも分かった。

 

「援護が遅れてごめんなさい」

 

 不知火達を見回しながら言う大和は、右手に重巡棲姫の喉首を乱暴に引っ掴み、その体を引き摺っていた。重巡棲姫はかなりの傷を負っている。ひゅー、ひゅー……と、浅い息を漏らしている。体中に穴が開き、裂傷が見られる。本来なら彼女の腹から伸びている筈の大蛇のような二体の艤装獣も、今は根元から破壊されて千切れ飛んでいた。あの様子を見るに、少年提督から強化儀礼を受けている筈の重巡棲姫との戦闘を、大和が難なく制した、ということだろうか。ボロ雑巾のようになった重巡棲姫を、まるで邪魔くさい荷物のように引き摺っている大和の眼には、危険な光が炯々として宿っていた。殺戮者の眼をしている。

 

 あの大和の眼は、不知火も久しぶりに見た。普段は優しいお姉さん風の大和だが、艦娘としてのスイッチが完全に入ると、見る者の背筋を凍らせるような無慈悲さと冷徹さを見せ、武蔵でも手に負えない程の清冽な狂暴さを発揮する。あの強烈な二面性の所為で、大和への改二施術の許可が来るのが遅くなっているなどという噂も聞いたことがあるほどだ。激戦期の頃からの付き合いである不知火や天龍、雷にとっては慣れたものだが、今の大和を初めて見る艦娘達は、大和の表情と雰囲気に飲まれ、萎縮し、明らかに体を強張らせていた。

 

「皆、大丈夫そうね。流石だわ」

 

 一方、陽だまりのように柔らかい声で言う陸奥は、不知火達を一人ひとり順番に見て、大きな負傷を負っていないことを確認していた。張り詰めた表情の大和に比べて、陸奥には冷静な余裕がある。それでいて、一切の油断が無い。陸奥は不知火達の無事を確認しつつも、陸奥の艤装の砲口は、戦艦棲姫とレ級が居たクレーターの方を睨んだままで、すぐにでも追撃を加えられる状態だった。

 

 ただ、戦況としては、大和と陸奥の攻撃によって戦艦棲姫とレ級は沈黙・破壊されたと見て間違いないと思えた。彼女達の砲撃で出来上がったクレーターを囲む位置に、刀を携えた赤城も立っている。空母艦娘達が艦載機を更に放ち、上空の猫艦戦たちを蹴散らしている。意識を上に向けると、艦載機と猫艦戦達との空戦の狭間から、ドローンが此方を見下ろしていることに気付く。大和や陸奥、それに天龍や他の艦娘達も、ドローンの存在に気付いたようだが、それと、ほぼ同時だった。

 

 

「『“こうやって敵対してみると、艦娘というのは厄介なものですね”』」

 

 クレーターから濛々と昇る煙の中から、十重二十重に響きが折り重なった声が聞こえた。聞き覚えの在り過ぎる、恐ろしいほどに冷えた声だった。鳥肌が立つ。息が詰まる。戦闘態勢を取る不知火達の目の前で、クレーターから上る煙が不自然に渦を巻きながら薄れていく。

 

「『“忌々しいことです”』」

 

 薄れていく煙の中に、黒い提督服を着こんだ少年提督が居た。いつの間に、とは思わなかった。彼なら、何をやっても不思議じゃない。今の少年提督には、相対する者にそう思わせる神秘さと禍々しさが在る。

 

 象牙と琥珀の陰影を纏っている彼は、だらんと下げた右の掌の中に術陣を展開しており、その術陣と呼応するように、レ級や戦艦棲姫を守るように象牙色の結界が張られていた。大和と陸奥の砲撃を防ぎ、レ級達を護ったのだ。紫水晶のような眼を鬱陶しそうに細めた彼は、大和や陸奥、不知火や天龍、赤城、それに、他の艦娘達を睥睨している。今まで共に過ごしてきた時間の全てを否定するかのような、澄んだ敵意に満ちた表情だった。

 

 この場に居る誰もが怯むのが分かった。事情を知っている不知火ですら、自分の心を打ち砕かれるような思いだった。少年提督の額の右側には、白磁色のツノが生えている。それは、彼の傍に居る戦艦棲姫のものと似通っていて、少年提督が深海棲艦側の存在になったことを雄弁に物語っている。

 

「提督……。貴方は、何を……」

 

 怯みながらも、大和が少年提督を睨み返した。大和の声は低く落ち着いていながらも、確かな戸惑いが在った。何を目的として、今の状況があるのか。この戦闘の背後に、どのような真意があるのか。暗闇の中に目を凝らし、答えを探るような声だった。赤城と天龍が、手にした得物の切っ先を下げて、静かに姿勢を落とすのが分かった。すぐにでも飛び出せる態勢になっている。周囲の乱戦の音が響いてくる。

 

 大和に喉首を掴まれたままの重巡棲姫も、静かに視線を動かして少年提督を見た。不知火は言葉が出ない。余計なことを言うなと圧力をかけてくるかのように、ドローンが此方を見下ろしてきている。俯いた雷がぎゅうぎゅうと下唇を噛んで、血が出るほどに拳を握り込んでいる。

 

「『“見て分かりませんか? ”』」

 

 少年提督は、そんな不知火と雷を一瞥してから、すぐに大和に視線を戻した。

 

「『“これまで僕を散々に利用した挙句、お払い箱にしようとした“ヤツら”に……、いや、この社会や世界に、深海棲艦たちを操って復讐するんですよ”』」

 

 大和の戸惑いを足で退かすかのような、冷え切った残酷な声だった。彼は自身を取り囲んでいる艦娘達をもう一度見回しながら、吐き捨てるように言う。

 

「『“幼稚な表現かもしれませんが、比喩でも何でもなく、僕はこれから世界を破壊しようと思っています”』」

 

 嘘だ。彼は嘘を言っている。不知火は叫び出しそうになるのを堪える。天龍がブチブチと唇の端を噛み千切る音が聞こえた。雷が震える息を吐きだすのが分かった。上空では、艦載機と猫艦戦が縺れ合うようにして戦闘を繰り広げている。少し離れた位置にいる空母艦娘たちも、少年提督の存在に気付いている筈だ。彼女達は新たに艦載機を放ち、不知火達の援護をしてくれるだろう。制空権は奪われない筈だ。総力戦では引けを取っていない。だが、今の少年提督を前にすると、状況が好転するようには全く思えなかった。

 

「『“手始めに、鎮守府に残った人間も、……この鎮守府の周囲にある町村や、街の人々も、残らず皆殺しにしましょうか”』」

 

 他の艦娘達も息を飲む中で、「止めて見せます」と、艤装を展開する大和が、ぐっと姿勢を落とす。少年提督が張った結界ごと、彼とレ級達を吹き飛ばす気だ。場の緊張感が最高潮に達しようとする中、少年提督が一歩、大和に向かって足を出した。彼が歩きだした。彼の足元の地面が、ズシン……ッ! と沈む。

 

 彼が二歩目の足を出した時には、大和の隣に居る陸奥も、すぐにでも攻撃を行う気配に満ちていた。だが、大和と陸奥が砲撃を行うことは出来なかった。彼が三歩目で、大和と陸奥の少し背後に出現したからだ。いや、違う。大和と陸奥の間を、風のように通り過ぎて行ったのだ。何が起こったのか、不知火には理解できなかった。瞬間移動のように少年提督の姿がブレて消え、気が付けば彼の移動が終わっていたという感じだった。

 

「ぐぁ……つ!!?」

 

「う……ぐっ……!?」

 

 大和と陸奥が苦しげに呻き、膝をついた。

 

 見れば、大和の右腕が、肩と右胸の中心あたりから無い。引き千切られたかのように血が噴き出している。陸奥の左腕も同じような有様だった。少年提督だ。彼の右手には、大和の右腕が握られている。彼の左手には、陸奥の左腕があった。彼はすれ違いざまに、大和と陸奥の腕を千切ったのだ。大和の右腕に掴まれたままの重巡棲姫はそのまま少年提督の足元に転がり落ち、喉を摩りながら咳き込んでいる。少年提督が重巡棲姫を助けたのだと理解できた時には、少年提督は新たな術陣を展開していた。

 

「『“皆さんのことは鉄屑にしてから、深海棲艦に造り替えた上で徴兵してあげますよ”』」

 

 彼の纏う象牙と琥珀の霊気は、彼の足元に蹲る重巡棲姫の肉体を高速で再生させていく。体の傷や穴が塞がり立ち上がった彼女の腹部からは、艤装である二匹の大蛇がうねりながら生えてくる。レ級と戦艦棲姫も、再び戦闘態勢を取っていた。

 

「いざぁ! (レ)」

 

 首をボキボキと鳴らし、拳をゴキゴキと鳴らすレ級が笑う。

 

『Gurrrrr……!!』

 

 戦艦棲姫の艤装獣も立ち上がる。

 

 一方で、本来ならすぐに自己修復が始まる筈の大和や陸奥の肉体は、一向に再生していく気配がない。少年提督が何かを囁くように文言を唱えていることに気付く。彼が何らかの術式効果をこの場に齎していると見て間違いなさそうだった。恐らく、深海棲艦には活力を、艦娘には衰微を与えるような、世界中でも彼しか扱えない類の厄介な術式が。

 

 先程までの優勢があっさりと崩され、天龍が舌打ちをする。不知火が手にした連装砲を少年提督に向ける。片膝立ちの大和が、左腕で右肩を抑えながら、艤装の砲身を動かして少年提督に狙いを定める。大和の目は、まだまだ死んでいない。戦う意思を漲らせている。険しい表情の陸奥も同じく、艤装の砲口を少年提督に向けている。怯んでいた艦娘達も、自分の心を奮い立たせるように戦う意思を見せて、艤装を構えた。

 

「『“役に立たないガラクタ共め”』」

 

 そんな艦娘達を眺めて、少年提督は不愉快そうに鼻を鳴らした時には、不知火達の離れたところで轟音が響き、巨大な生き物の咆哮も重なって聞こえてきた。空母艦娘達の近くからだった。何が起こったのかはすぐに分かった。戦艦水鬼を含む他の深海棲艦達が、空母艦娘たちに迫ったのだ。滅茶苦茶な数の猫艦戦を空中に引き連れてきたヲ級と北方棲姫、それに、集積地棲姫と、彼女を守る位置に陣取るタ級とル級の姿もある。

 

 艦娘と深海棲艦が入り乱れる大乱戦だった。

 

 不知火の頭の芯が、焼けるように熱くなっていく。様々な感情が心の中に渦を巻き始める。だが、精神内部から突き上げてくるような激しい憎悪も悲哀も憤怒も、そのどれか一つを選び取る余裕は、今の不知火には無かった。目の前に少年提督が居る。不知火は、約束を果たさねばならない。

 

 まず動いたのは、大和と陸奥だ。

 少年提督に向けて砲撃する。大爆発が起きる。

 

 だが、少年提督は再び瞬間移動にも似た奇妙な移動方法でこれを避けつつ、大和の目の前に迫った。反応の遅れた大和の目の前に、少年提督の右の掌が在る。大和が目を見開いている。陸奥の方は少年提督に反応し、彼の動きを目で追っていた。大和のすぐ隣にいた陸奥は、片腕のままで少年提督に掴み掛かる。だが、肉体の再生を終えた重巡棲姫も、既に動いていた。陸奥に突進した重巡棲姫の動きは俊敏で、とにかく厄介だった。彼女は腹から伸びる艤装獣二匹を拳のように使い、大和を守ろうとした陸奥を跳ね飛ばす。

 

「くっ……!」

 

 陸奥は片腕で防御姿勢を取ってはいたが、かなりの距離を吹っ飛ばされて地面を転がる。重巡棲姫は、陸奥に追撃を仕掛けるべく、飛び掛かろうとしていた。だが、その重巡棲姫の動きを牽制したのは周囲に居た艦娘たちだ。陸奥を巻き込まない角度で重巡棲姫に砲撃を加える者と、陸奥の壁となって庇うように動く者が、連携した動きを見せる。彼女達の瞬間的な判断は流石で、復活したレ級と戦艦棲姫にも後れを取らずに応戦していた。

 

 この鎮守府の艦娘達が、其々に非常に高い練度を持ち、今までの経験を活かして成長する自我と意識を持っていたからこそ出来る、柔軟な対応だった。自分たちの攻撃の隙を埋め合い、相手の攻撃動作やタイミングを潰すように連携を取り、深海棲艦の上位種を相手に互角以上に立ち回っている。

 

 その中には陸奥だけでなく、大和を守るべく動く者も、当然居た。天龍と赤城だ。二人は陸奥を攻撃した重巡棲姫を無視し、少年提督を挟み込むように距離を詰める。不知火と雷も、手の中に錨を握り直しながら飛び出す。

 

 陸奥が重巡棲姫に吹っ飛ばされるのとほぼ同時のタイミングで、大和を解体しようとする少年提督の頸を狙っていたのは赤城だった。天龍も少年提督の心臓を目掛けて、刀剣型の艤装を突き出していた。二人の攻撃は、絶対に回避できないタイミングだった筈だ。だが、少年提督は再び煙のように消えて、この二人の攻撃を空振りさせた。次の瞬間には、少年提督は赤城に背後に出現し、その刹那、彼は日本刀を振りぬいた姿勢の赤城の背に左の掌を差し向けて何かを唱えていた。

 

「がっ、は……!?」

 

 血反吐を吐いて、赤城が吹き飛ぶ。少年提督の掌の中に術陣が閃き、赤城の艦娘装束の背中部分が渦上に破れていた。何らかの力の奔流が渦を巻き、眼に見えない巨大な弾丸となって赤城を撃ち抜いたのだ。赤城が前のめりに倒れるよりも先に、少年提督は再び瞬間移動していた。

 

「なっ!? 赤城っ!」

 

 崩れ落ちる赤城に気を取られた天龍の、すぐ横合いだった。彼は天龍の脇腹に掌を添え、また短く何かを唱えて、天龍を吹き飛ばした。それらは一瞬の出来事だった。瞬く間に赤城と天龍を処理した少年提督の懐へ、今度は不知火と雷が飛び込む。

 

「司令……ッ!!」

 

 艦娘という種族の中に、“不知火”という個人を刻む込む思いで、少年提督に向けた錨を振り抜こうとしたが、出来なかった。少年提督の姿が消えたのだ。次の瞬間には、傍に居た雷が「ぐぅっ!?」と、くぐもった呻き声をあげて地面に崩れ落ち、間髪入れずに、不知火の左の脇腹に衝撃が在った。身体が浮く。空中を移動する浮遊感と共に、肋骨と内臓が大きく軋むのが分かった。血を吐き出しながら地面に墜落し、転がる。

 

 回転する視界の中で、赤城や天龍が受けた攻撃を、不知火と雷も受けたのだと理解する。身体がバラバラになりそうな痛みはあるが、この程度では艦娘は死なない。破壊されない。生きている。少年提督が手加減をしてくれているのは間違いない。彼が本当にその気なら、今の攻撃だけで不知火はもう金屑と鉄屑に還っていたことだろう。だが、ダメージは大きかった。身体が上手く動かない。

 

「ゴホッ……!」と、血の塊を口の端から吐き出しながら、不知火が手を付いて何とか顔を上げた時には、地面を踏み砕いた大和が、少年提督に肉薄しようとしていた。肉弾戦に切り替えたのは砲撃の間合いを潰されているからだろう。少年提督が、赤城や天龍、それに雷や不知火を相手にする間に、癒されない傷を負ったままの大和も体を起こし、攻撃の機会を窺っていたに違いない。そうでなければ、あんな鋭い踏み込みは出来ない。

 

 右腕を失った大和は、肩口から流れ出る大量の血を巻き散らす勢いで、少年提督の側面に踏み込んでいた。巨大な艤装の重さをまるで感じさせない、超人的な運動能力と怪力を発揮する大和は、その勢いのままで右の回し蹴りを少年提督の側頭部に叩きこんだ。周囲の空気や建築物が震えるような打撃音が響く。

 

 間違いなく、大和の蹴りは少年提督の頭部を捉えていた。ように見えただけで、違った。迫ってくるような乱戦の音が、やけに遠くに聞こえた。

 

 不知火たちの方に体を向けたままの少年提督は、大和の蹴りを顔のすぐ左横の位置で、右手で掴むようにして受け止めていた。彼はビクともしない。詰まらなさそうに眉間に皺を寄せる少年提督は、視線だけで大和を見ながら、右の掌に微光を灯した。大和の右脚に、象牙と琥珀の光が伝う。すると、大和の右脚が崩れ始めた。砂で作った城にバケツの水を浴びせたかのように、ボロボロボロっと砕けて、零れ落ちていく。

 

 右腕に続いて右脚を失った大和は、その光景に一瞬の驚愕を見せた。だが、すぐに無表情に戻り、残った左脚で地面を蹴って、跳んだ。左腕だけで少年提督に組み付こうとしたのだ。大和の艤装の砲身は回転し、至近距離の少年提督に向けられていた。殆ど自爆に近い攻撃を仕掛けようとしている。

 

 不知火は黙って見ているしかなかった。それは、不知火と同じように、ダメージを受けた体を何とか起こしている状態の天龍や赤城、雷にしても同じだった。ただ、少年提督は、大和の捨て身の攻撃方法を赦しはしなかった。

 

 猛然と飛び掛かってくる大和を前に、少年提督が囁くように何かを唱えるのが分かった。次の瞬間には、大和の艤装に象牙色の亀裂が無数に入り、琥珀色の炎を上げて砕けた。大和の背中で蒼い火花が盛大に散る。大和と少年提督の距離は潰れている。大和の腕の中に少年提督が居ると言っていい距離だ。

 

 血に染まった大和の瞳には、艦娘としての正義を遂行する為の──、殺戮という使命を果たす為の、無私の決意が在った。そこに、少年提督が映っている。少年提督は鬱陶しそうな表情を変えないままで、掴み掛かってくる大和の左腕に、右の掌で触れる。今度は大和の右腕が爆ぜる。血が飛び散る。どういうわけか、大和の血飛沫は少年提督には全く掛からない。大和は両腕を失うが、それならばと、少年提督の喉首に噛みつこうとした。

 

 少年提督は体の軸をずらし、躱す。大和の歯が宙を噛む。ガチンッ!! 、とも、バツンッ!! 、とも言えない、低く、鳥肌が立つような音が盛大に響いた時には、少年提督は新たに短く文言を唱え、大和の左脚を“解体”していた。大和の左脚が砕け、崩れ落ちる。両腕両脚を失った大和が、ゆっくりと地面に倒れていく。その大和の首を、少年提督が右手で乱暴に掴み上げた。

 

「『“良い眼をしていますね”』」

 

 猫艦戦と艦載機たちが縺れて燃え上がる空から、ドローンがこの場を見下ろしている。少年提督は、乱暴に首を掴み上げた大和の眼を覗き込み、唇の端を酷薄そうに持ち上げた。

 

「『“機械のように無機質で生気が無い。兵器である貴女に、よく似合っていますよ”』」

 

 ただ、彼の目には大和に対する侮蔑や嫌悪に類する暗い光が蹲っているだけで、全く笑ってはいない。一方の大和は腕と脚を破壊されている状態だが、少年提督を冷徹に睨み返している。額から派手に出血している大和は、目や鼻や口からも血を流し、その顔は真っ赤でドロドロだった。見るからに満身創痍だ。これ以上に無いほどにボロボロだ。それでも、大和の眼は死んでいない。少年提督は無機質で生気が無いと言っていたが、違う。大和の眼は潤むような光を湛えながら、心の内にある激しい感情の動きを物語っている。

 

「今の貴方を、艦娘として……、見逃すわけには、いきません」

 

 首を掴まれた大和は、苦しげな声を絞り出す。

 

「例え、……貴方が、私達の提督であったとしても」

 

 大和の声に躊躇は無い。容赦も後悔も無い。怯えも無い。掠れながらも鋭く響く大和の声には、艦娘として果たすべき使命に、己の生命の全てを投入する覚悟が滲み、死を実践しようとする凛冽な気高さが在った。「『“ご苦労なことです”』」と、少年提督は嘲るように言って鼻を鳴らす。ついでに、右手で大和の首を更に締め上げながら、だらんと下げた左手の中に術陣を灯した。

 

「『“ですが、貴方は僕を殺せない。役立たずですね”』」

 

 少年提督は、左手の中に編んだ術陣によって、大和を破壊しようとしている。それが演技だと分かっている不知火にも、少年提督の冷酷な殺意は本物にしか見えない程に生々しかった。

 

「『“貴女の役割は、ここで終わりです”』」

 

 ドローンが見下ろすこの光景は、それを観測する者にとっては真実になる。この場に居る誰もが、何らかの役割を背負っている。戦っている。不知火も雷も、天龍も赤城も、乱戦の中にある他の艦娘達も、少年提督から大和を救い出そうとしている。意識を向けている。

 

 だが、ここに来て猫艦戦達が本来の俊敏さと獰猛さを発揮し、少年提督へと攻撃を加えようとする艦娘の動きを察知し、殺到している。重巡棲姫や戦艦棲姫、レ級、ヲ級も、猫艦戦達と同じく、少年提督の邪魔をしようとする艦娘達の行動を徹底的に締め上げ、妨害するために立ちまわっている。無論だが、戦艦水鬼も、集積地棲姫も、港湾棲姫も、北方棲姫もだ。彼女達は深海棲艦の上位種の力を存分に振るいながら、巧みに戦況をコントロールしている。

 

「『“では、さようなら”』」

 

 少年提督が、大和を解体・破棄する寸前だった。少なくとも、不知火達には、そういう風に見えるタイミングだった。

 

「あっ、待ってくださいよぉ! (刹那)」

 

 この乱戦の最中を縫うようにして駆け抜けてくる者が居た。途方もない疾さと身のこなしだった。ソイツが野獣だと気づいた時には、大和の喉首を掴み上げていた少年提督の右腕が、中ほどで切断されていた。港湾棲姫との戦闘から離れて、大きく劣勢になった此方に駆けつけてくれたのだろう。

 

 野獣は手にした二振りの刀のうち、右手に握っていた長刀を振り抜き、続けざまに、左手に握った太刀を袈裟懸けに振ったのだ。少年提督を右肩から左脇腹にかけて切断する太刀筋だった。だが、これは外れた。少年提督が再び瞬間移動したからだ。少年提督が掴み上げていた大和が地面に落下する。刀を握ったままの野獣が、その大和の体を腕だけで掬うように器用に抱き留めた。

 

 少年提督は野獣に反撃せずに、距離を取った。大和を腕に抱えた野獣もまた、少年提督に追撃を仕掛けなかった。二人は数秒の間、互いを見据える。少年提督の腕が再生していく。切断された提督服までが再生されているのは、何の冗談かと目を疑う。少年提督と野獣が、互いにアイコンタクトを取っている風には見えなかった。野獣の瞳が揺れて、僅かにだが動揺した様子だったからかもしれない。対する少年提督は眉間に皺を寄せ、静かだが不機嫌そうに鼻から息を吐き出している。

 

 当然だが、この数秒の間にも、不知火達の周囲では乱戦が続いている。不知火は体を起こし、立ちあがる。傍に居る天龍や雷、赤城も、ふらつきながらも戦闘態勢を取ろうとしていた。その隙をついて、重巡棲姫やレ級、戦艦棲姫を含む他の深海棲艦達が襲ってくる気配は無い。

 

 不知火は視線を巡らせる。

 

 周囲には爆風と砲撃音が重なり合い響いていた。戦艦棲姫と戦艦水鬼の艤装獣が吠え猛る大音声が混ざる。レ級の楽しげな笑い声も。重巡棲姫の狂暴な笑い声も。聞こえる。身体を突き上げてくるような衝撃。地面の揺れ。空気の振動。艦娘達の怒声。艤装が砕ける音。艦娘たち腕や脚が破壊される鈍い音。その傷が再生する気配。血の匂い。埃、煙の匂い。

 

 それら一つ一つが、この場の戦闘領域を作り出す要素だった。更に、長門や武蔵、霞、曙、ビスマルク、龍田を含む艦隊が、この場に合流してくる。空母艦娘達に強襲を仕掛けてきた戦艦水姫や集積地棲姫たちに対処する為だろう。深海棲艦化した瑞鶴も居る。まるで、ジグソーパズルのピースが嵌っていくかのように、この場の戦闘は順調に激しさを増していく。奇妙な話だが、深海棲艦上位種の戦闘力によって、この場の乱戦が整えられていくようにすら見えた。

 

 レ級や戦艦棲姫、重巡棲姫たちは、多数の艦娘達を相手に滅茶苦茶に暴れまわるのではなく、まるで舞台に上がった名優達が、観客の注目を意図した場所へと集める演出として、戦闘してみせ、立ち回っているかのようだった。その効果が表れているのだろう。この大乱戦の場に在っても、少年提督の周囲には神秘的な空隙と停滞が存在している。

 

 空を覆っていた雲が千切れながら流れ、薄れて、夕日が強く降ってくる。目の前の戦場が、淡い飴色に染まる。黙したままでこの世界を見下ろすドローンの眼下で、深海棲艦を率いて暴走する少年提督と、艦娘達と共に命を懸けて戦う野獣が対峙していた。

 

 野獣の腕の中には、護国の化身と謳われた大和が血塗れで力なく横たわっている。四肢を奪われた大和の姿は、少年提督と野獣の進む道が、明確に分かたれた“しるし”だった。同時に、強力な自己修復能力や耐久力を持つ大和が、再生も回復も出来ない程に衰微している姿は、これから訪れる未来に於ける艦娘の姿を暗示しているかのようでもあった。

 

「『“……こうも抵抗が続くと、鬱陶しくて仕方ありませんね”』」

 

 生死を分ける殺伐した戦場の中で、少年提督の居る場所だけは大霊堂のような厳粛な気配に満ち、少年提督の声が殷々と響き渡る。大和を庇うように抱えた野獣は何も喋らない。油断なく構えを保ち、じりじりと距離を離そうとしている。傷ついた大和を、この場から離す為だろう。野獣が手にした邪剣“夜”が、茜色を吸って鈍く光っていた。

 

「『“此処の艦娘も職員も皆殺しにするつもりではありましたが、そろそろ時間が惜しくなってきました”』」

 

 詰まらなさそうに眉間に皺を寄せて少年提督が、不知火と雷に視線を寄越した。彼の眼差しは、心臓が冷たくなる冷淡さに満ちており、不知火達を生物として見做していないかのような無機質さだった。

 

「『“そろそろ死ね”』」

 

 少年提督が動き出す。野獣に向けて、一歩、踏み出す。彼の足元の地面が陥没する。少年提督の内部から溢れる力が、重量となって顕現している。一人一種族である今の少年提督は、人間や艦娘や深海棲艦と比較しても、もはや生物としての格が違う。あらゆる規を超越し、突破した、人類の新たな敵だった。その少年提督が、また一歩、踏み出す。大和を抱えた野獣が、二歩分、下がる。

 

 戦闘に戻るため、不知火は体に力を入れ直そうとした。だが、胃から血の塊がせり上がって来て、吐き出す。少年提督から攻撃を受けた体内内部は、やはりと言うべきか、上手く再生しない。修復が出来ていない。大和と同じようにダメージが残り続けている。赤城に天龍、雷も、少年提督と戦うべく動こうとして、すぐによろけて膝をついていた。

 

 そんな不知火達に襲い掛かって来たのは、急降下してきた猫艦戦だ。なんてタイミングだと思った。ダメージを負った不知火達が、少年提督との戦闘に参加しようとするのを防ごうとしているのは明白だった。ただ、迫ってくる猫艦戦は、やはり無防備だ。それでいて攻撃の意思も感じられなかった。

 

 少年提督と不知火達の間を隔てるように、猫艦戦は次々と降ってくる。凄い数だ。不知火たちだけでなく他の艦娘も、無抵抗な猫艦戦の相手をせざるを得ない状況になる。ふらつきながらも、不知火は艤装を操り、猫艦戦達を撃墜しまくる。今は、それしかない。己の存在を証明する為に出来ることが、それしかないのだ。

 

 

「おおおおおおおおお──っ!!」

 

 戦う意思が心の中で空回りしている不知火達の代わりに、少年提督に飛び掛かっていく者が居た。不知火は、猫艦戦たちを相手取りながらも、少年提督と野獣の状況を見逃すまいと、視線を向けていたから分かった。乱戦のド真ん中を割って来た、武蔵だ。

 

 野獣と大和を砲撃に巻き込まないために違いないが、武蔵は少年提督に体当たりをぶちかましに掛かった。抜錨し、艤装を召んだ状態の武蔵の本気の体当たりは、ビルどころか要塞にだって穴を開けて打ち崩す威力を持っている。力比べで武蔵の改二に敵う者など、冗談抜きでこの世界に存在しない。不知火は今まで、そういう認識だった。だが、その認識を改めざるを得なかった。

 

「『“あぁ。武蔵さんですか”』」

 

 表情を変えない少年提督は、すっと片手を持ち上げると、その掌で武蔵のタックルを掌で受け止めて見せた。インパクトの瞬間。周囲の空間を激震させ、戦闘が一時的に止まるような衝撃と、一瞬の静寂が生まれた。不知火もよろけて後ずさってしまう。天龍と赤城が膝をつくのが見えた。雷がしゃがみこむ。他の艦娘も似たような様子だったし、深海棲艦たちにしたって、その迫力に気圧されて動きを止めていた。だが、野獣だけは大和を庇うようにバックステップを踏んでいた。

 

「『“……なんだ、思ったより非力なんですね”』」

 

 武蔵の体当たりを受け止めた少年提督の足元は、更に陥没している。だが、少年提督自身はビクともしない。武蔵は怯むことなく、すぐに姿勢を変えて少年提督に躍りかかった。武蔵の両手が、少年提督の喉と左腕を、彼が着込んだ提督服の上からガッチリと掴む。

 

「黙れよ……!!」

 

 武蔵は、捕まえた少年提督をそのまま、地面に引き倒すつもりのようだ。だが、やはりと言うべきか、少年提督は微塵も揺るがない。静かな面持ちのままで、必死な形相の武蔵を醒めたような眼で見ている。

 

「『“手加減してくれているんですか? その場違いな優しさも、いつもの天然ボケですか? ”』」

 

 平板な声で言う少年提督は、掴み掛かってくる武蔵の腕に手をかけ、圧し返すような姿勢を取った。

 

「ぐっ、おおおおおっ!!」

 

 それだけで、武蔵の態勢がガクンと落ちる。今度は武蔵の足元の地面が派手に陥没し、武蔵の下半身が埋まるかのような勢いだった。単純な腕力だけで、少年提督は武蔵を圧倒している。武蔵の腕の筋肉が爆ぜ、血が噴き出す。少年提督の纏う象牙と琥珀のオーラが、武蔵の傷を広げる。武蔵の傷は、やはり再生しない。少年提督と組み合う武蔵が力負けし、先に膝をついた。巨大な岩石を両手で支えるような姿勢になった武蔵に、少年提督が鼻を鳴らす。

 

「『“このまま圧し潰してあげますね”』」

 

「させんぞ!!」

 

 凛とした声が響く。武蔵と同じく、乱戦の中を突っ切って来た長門だ。改二となった長門は、少年提督を背後から羽交い絞めにする。戦艦長門の裸締めなどを食らえば、普通の生物ならそれだけで容易く圧死する。しかし、今の少年提督は涼しい顔で視線だけを動かし、背後の様子を探ってから、「『“今度は長門さんですか……”』」などと、面倒そうに鼻を鳴らす余裕さえある。

 

 猫艦戦を撃墜しつつ、不知火は戦場を視線だけで見渡して、気付く。長門に続き、少年提督に接近しようとしている艦娘達が、乱戦の中を進んできている。ビスマルクや龍田、それに瑞鶴、金剛、榛名などだ。彼女達の後方では、扶桑や山城、リシュリュー、ガングートなどの戦艦艦娘が、空母艦娘を守りながら、戦艦水鬼達と戦っているのが見えた。

 

 他の艦娘達を相手にする戦艦棲姫、重巡棲姫は、少年提督に接近する長門達の妨害には出なかった。あくまで、艦娘との戦闘を演出することに徹している。彼女たちは揺るがない。今の不知火達が、艦娘としての使命を果たそうとするのと同じく、深海棲艦である彼女達もまた“深海棲艦としての役割”を果たすために、命を燃やしているのだろうと思った。

 

 深海棲艦と艦娘が入り乱れる戦場に、巨大な“流れ”が出来ているのを感じる。その“流れ”は、乱戦の様相を呈しているこの場で、艦娘と少年提督を結び付けるシナリオだ。ゲーム盤の上で、必要な駒が要所に置かれるかのように、艦娘達が動いている。その一部に、春風の朝風の姿もあった。彼女達は、少年提督から少し離れた位置まで下がった野獣から、大和を抱き受けている。

 

 ただ、レ級だけは違った。乱戦の中で艦娘達の動きを縛り上げるような立ち回りから、明らかに動きを変えた。慎重に抱えていた大和を、春風と朝風に抱き渡した野獣へと標的を変えたのだ。再び野獣を足止めするためだろう。「死死死死!」レ級が、周囲に居る艦娘を尻尾の艤装獣でバッタバッタと薙ぎ払い、払い飛ばしながら野獣に迫る。レ級が纏う、象牙色と琥珀のオーラは、レ級の戦闘能力を大きく底上げしていることは容易に想像できる。以前のように、野獣がレ級を圧倒するのは難しいだろうと思えた。

 

「いやぁ、(まだ戦えるのは)うれすぃ~……! (レ)」

 

 大和を庇う姿勢の春風と朝風の盾になるべく、野獣が前に出た。

 

「いやぁ~、(冗談)きついッス……!」

 

 心底楽しそうに笑うレ級と、普段の余裕など一切無い野獣とのタイマンが始まる。「死ぬんじゃないわよ……!」と、大和を抱えた朝風が撤退しながら、切羽詰まった声で怒鳴るのが聞こえた。

 

 

「『“邪魔ですよ”』」

 

 その間にも、少年提督は長門への反撃に出ていた。

 

 少年提督はまず、眼の前で膝をついている武蔵に前蹴りをぶち込んで吹っ飛ばしてから両手を開けると、その両の掌で、背後から締め上げてくる長門の両腕に触れる。次の瞬間には、少年提督の掌が明滅した。解体施術だ。長門の腕が中ほどから崩壊し、鉄屑から錆が零れるように、力なく千切れ落ちた。

 

「ぐぅ……!」

 

 一瞬で腕を破壊された長門が、大きく後ずさった。大和のように攻撃を続行するのではなく、間合いを離すことを選んだのだ。少年提督はそれを逃がすまいと振り返り、象牙と琥珀の陰影を纏った掌を長門に伸ばそうとする。彼はまた瞬間移動でもするつもりだったのかもしれないが、それを阻むべく動いていたのは、榛名と金剛だった。

 

 二人は少年提督の両脇から挟み撃ちをするように距離を詰める。金剛は艤装を盾のように展開して、少年提督と長門の間に割り込みつつ防御姿勢を取った。少年提督が行使する凶悪な解体施術から、長門を守ろうとしたのだろう。一方の榛名は、背負う艤装を巨大なアーム状に変形させ、その艤装アームで拳を作って組み、少年提督に振り下ろす。

 

 金剛の防御と、榛名の攻撃は、姉妹艦ならではの息の合った連携だった。だが、今の少年提督にとっては、細やかな抵抗にしかならなかった。少年提督は右手をかざし、盾として展開されている金剛の艤装を容易く解体して粉々に崩しながら、殴りかかってくる榛名の艤装アームを左手で軽々と掴み止めた。次の瞬間には、金剛と長門に目掛けて、引っ掴んだ艤装アームをごと榛名を振り抜いて、叩きつけるように投げ飛ばした。榛名と激突した金剛が吹っ飛び、その榛名と金剛が更に長門を巻き込んで、また派手に吹っ飛んだ。乱戦の中に、新しい轟音が響き渡る。

 

 歴戦の艦娘達が次々と少年提督に挑み掛かり、その度に容易く処理されていく様は、まるで時代劇の殺陣で切り伏せられる小悪党の雑魚のようで、子気味よく、非現実的で、絶望的な光景だった。同時に、少年提督が艦娘達に徹底したトドメを刺そうとしない違和感も、この乱戦の中に紛れて、その不自然さを有耶無耶にしている。

 

 

「調子に乗るんじゃないわよクソ提督!!」

 

「何してんのよ! このクズ……!!」

 

 戦艦種の艦娘3人を一斉に処理した少年提督に、今度は、曙と霞も続いた。少し離れた位置から、二人は艤装を構えている。今の少年提督に周りには艦娘が居ないから、このタイミングなら砲撃を行えると踏んだのだろう。だが、そうはいかなかった。

 

「駄目です!! 曙!! 霞!!」

 

 次から次へと迫ってくる猫艦戦を撃ち落とし、叩き落としながら、不知火は叫ぶ。少年提督は羽虫でも見るかのような無感動な眼で、霞と曙を順に見て、小さく何かを唱えるのが見えたからだ。すぐに、霞と曙の足元に術陣が浮かび上がる。

 

「ぅえっ!?」

「な……っ!?」

 

 曙と霞が驚愕の声を上げる。同時に、その場に崩れ落ちた。操り人形の糸が切れるかのようだった。彼女達が展開していた艤装も、光の粒子となって不穏に霧散していく。原因は明白だ。象牙と琥珀色の微光を放つ術陣は、彼女達の艤装を強制的に解除し、同時に、“抜錨”状態も解除したのだ。霞と曙から、艦娘としての能力を強制的に剥奪している。

 

 それだけじゃない。曙と霞の腕や脚、頬や首などが、パキパキと音を立てて罅割れはじめた。極寒の地で凍った肉体と皮膚が裂けていくかのようだった。二人の体から血が噴き出す。あっと言う間に霞と曙が血塗れになって、彼女達の足元の地面が紅に染まる。その様は、真っ赤な蓮を彷彿とさせた。少年提督は、朗々と文言を唱え続けている。他の艦娘達の足元にも術陣が展開されていく。乱戦の中で、艦娘達が次々に血塗れになっていった。乱戦の砲撃音と破砕音に、艦娘達の悲鳴と呻きが混ざり合うさまは、八寒地獄の紅蓮を連想させる。

 

 猫艦戦の相手をする不知火の足元にも、術陣が開いた。近くに居る天龍や雷の足元にもだ。逃げられない。不味いと思った時には、視界が赤く染まった。脚から力が抜ける。水槽に穴が開いて、何の抵抗もなく中身が漏れ出していくように、不知火の身体から活力が消え失せていく。“抜錨”状態の強制解除だ。同時に、不知火の体中に亀裂が入る。バキバキ、パキパキと音が鳴る。無数の裂傷が出来てくる。不知火の肌と筋肉が容易く裂けていく様子は、淡い薄氷が割れて砕けるのに似ていた。身体中の傷から血が噴き出す。

 

 激痛に膝をつく。這い蹲り、奥歯を噛む。声が出ない。視界が揺れる。気を失う訳にはいかない。立ち上がらないと。まだ、猫艦戦が来る。襲ってくる。対処を。対処しなければ。それに、少年提督との戦闘を、続行しなければ。血でぬめる掌に、連装砲を握る力を籠めなおす。脚に力を入れる。視界が狭まってくる。傍に居る天龍や雷たちの様子は分からない。だが、不知火と似た状況であるのは間違いなかった。不知火が立ち上がろうとしたところで、上から無数の気配が近寄ってくる。猫艦戦どもだ。撃墜しなければ。だが、間に合わない。

 

 

 間に合わないと思った時には、頭上で炸裂音がした。艦載機が飛翔する音も。不知火を守るように、誰かが傍に走り込んでくる気配が在った。ドイツ語が聞こえる。3人分の声。ビスマルク。グラーフ。プリンツの声だ。彼女達が、不知火と雷、天龍のカバーに入ってくれたのだ。

 

 不知火はすぐには立ち上がれなかったが、ビスマルクに礼を述べて視線を動かす。その時にはもう、ビスマルクが少年提督に砲撃を行っていた。険しい表情をしたプリンツもだ。グラーフの艦載機が、不知火達の上空を制圧してくれている。つい先ほど、不知火に迫っていた猫艦戦を撃墜してくれたのが、グラーフなのだと分かった。ビスマルクの砲撃による牽制に続き、少年提督に突撃して肉弾戦を仕掛けたのは瑞鶴だ。

 

 更に、不知火達のカバーに入ってくれたのは、ビスマルク達だけでは無かった。扶桑や山城、アイオワなどの戦艦、それに巡洋艦娘の多くが、少年提督を取り囲むように動きながら、少年提督の術式によって血塗れになった艦娘たちを守りつつ、深海棲艦達を牽制している。空母艦娘達が制空権を奪い、彼女達を護っていた戦艦艦娘や巡洋艦娘、駆逐艦娘が、この乱戦に加わった。

 

 少年提督の攻撃によって再生しない傷を負った長門、金剛、榛名の3人のカバーに入ったのは、陸奥と比叡、霧島の3人だ。陸奥は長門を庇う位置に立ち、比叡と霧島が、金剛と榛名を抱えながら、砲戦を行っている。武蔵に肩を貸しているのは清霜で、その清霜を守るように、野分や磯風が周囲を固めていた。蹲る曙と霞をカバーしているのは陽炎だ。改二となった彼女は、迫ってくる猫艦戦を次々に撃墜しながら、すぐにでも曙と霞を抱え、この場を離れるポジションを維持している。

 

 不知火は仲間の活躍を頼もしく思いながらも、ようやく立ち上がる。赤く染また視線を巡らせると、息が詰まった。誰もが戦っている。艦娘と深海棲艦として、この状況を引き剥がせず、在るべき姿であるために死力を尽くしている。主張も哲学も無い戦場だが、潮の流れが変わるかのように、この場の乱戦の状況が大きく変化しようとしている気配を感じた。

 

 傍若無人な力を振るう少年提督は、変わらず艦娘達を圧倒している。だが、深海棲艦達に対しては、艦娘達が優勢になりつつあるのだ。明確に、南方棲鬼や重巡棲姫を含む深海棲艦達の攻勢が緩んでいた。それは、最後まで戦うことを放棄しなかった艦娘達の力が、深海棲艦達を凌駕しようとしているようにしか見えない。その実相が、予め用意されていたシナリオ通りに、深海棲艦達が手を抜いていたのだとしても、そんなことは舞台裏の話だ。この戦場をリアルタイムで観察している“世間”から見れば、全く関係が無い。

 

 重要なのは、艦娘たちが人類の為に戦い、深海棲艦を圧し始めているということだ。空母艦娘たちが制空権を取った上空を、2機のドローンが長閑に飛行しながら、この凄惨な戦場を見下ろしている。豪奢なオペラ会場の上層階から、優雅に観劇を楽しむかのようだった。状況が変化するという事は、シナリオの進行に必要な役者が、舞台に出揃ったということなのだろう。

 

「『“……役に立たないガラクタどもめ”』」

 

 深海鶴棲姫としての力を十二分に発揮する瑞鶴を相手取りながら、少年提督が周囲を見回し、劣勢に回った深海棲艦たちを順に見てから、鋭い舌打ちをするのが分かった。残忍な少年提督の声をドローンが拾っている。もう片方のドローンが、二振りの刀を駆使し、レ級と渡り合う野獣の姿を、ドローンが見下ろしている。

 

 少年提督の声が合図だったのかのように、一瞬だけ名残惜しそうな表情を見せたレ級が、野獣から逃げるように距離を取ろうとした。戦闘の最中に恐れをなし、野獣に背を向けて逃げ出すような、隙だらけで芝居がかった動作まで見せた。そこを、摩耶を含む他の艦娘達に攻撃を受けて、レ級が倒れる。レ級の体の半分が消し飛ぶ。尻尾の艤装獣が吠える。

 

「(ノД`)あかんもう勘弁してぇ! (レ)」

 

 半べそをかきながら肉体を再生させるレ級は、追撃を仕掛けてくる野獣から逃れるべく、起き上がると同時に逃げ出す。一対一で戦っていた野獣の強さや、この戦場の艦娘達の優位を大袈裟に主張するかのようだった。間合いの外へとレ級に逃げられた野獣は、何かに思い至ったのかのように眉間に皺を寄せ、上空に悠々と浮かぶドローンを見上げようとして、やめた。代わりに、野獣が少年提督へと体を向けた時だった。

 

「『“本当に皆さんは、僕の邪魔ばかりしますよね”』」

 

 瑞鶴の殴る蹴るの攻撃を躱していた少年提督が瞬間移動し、瑞鶴から少し離れた位置へと姿を現した。間髪入れずに、瑞鶴は出現した少年提督へと再び飛び掛かろうとしたが、はっとした顔になって動きを止める。申し訳なさそうな表情を浮かべた少年提督が、ドローンには見えにくい角度に俯いてから、瑞鶴に片目を瞑ったのだ。アイコンタクトだ。一瞬の出来事だったが、少年提督の挙動を注視していた艦娘達は、彼のウィンクを見た筈だ。瑞鶴の隣に、野獣が並ぶように前に出る。野獣も奥歯を強く噛みしめているのか、その頬が強張っている。

 

 レ級が少年提督の傍へと駆け寄り、不知火達に向きなおった。位置的に、深海棲艦であるレ級を率いる少年提督と、艦娘達を率いる野獣の構図が、再び浮かび上がる。ドローンから表情を隠すようにフードを深く被り直したレ級は、雷を見ている。膝立ちになっている雷が息を呑むのが分かった。レ級が、仲の良い友人と別れる子供にも似た、寂しげな笑みを湛えていた。今にも此方に向かって手を振り出しそうな、健気な笑みだった。

 

 その隣で、少年提督は周囲の乱戦を見回す。深海棲艦達は自分たちの劣勢を演出しつつも、少年提督の周囲に空隙を作るよう、相変わらず巧みに立ち回っている。不知火も少年提督を見詰める。不自然な静止状態が続いた。誰も動かず、少年提督の動きを待つ時間があった。本当に演劇の最中にいるかのような錯覚を覚える。

 

「『“僕は、皆さんのことが大嫌いですよ”』」

 

 彼の声は、不知火達を突き放すような残酷さが在った。少年提督は、忌々しいものを見る目になって周囲を見渡し、艦娘たちを順番に見ていく。

 

「『“皆さんは、ただの道具であり、兵器ですよ。何を必死に人間ぶっているんですか? ”』」

 

 乱戦の中にある艦娘達の一人ひとりにも、彼は具に視線を向けていた。不自然なほどに、少年提督の言葉が届く範囲と、激しい乱戦が繰り広げられる領域は重ならない。深海棲艦達が、そうなるように立ち回り、戦場をコントロールしているからだ。

 

「『“ただの道具でしかない皆さんが、まるで人間と対等な存在のように振舞って僕に接してくることが、酷く自尊心に障るんですよね”』」

 

 自身の思想や信条にそぐわない者に対する憎悪を滲ませた彼の言葉は、社会の表でも噂されているブラック鎮守府や、その鎮守府を運用、支配する過激派の提督達の存在を強く匂わせる台詞だった。誰も、何も言えず、少年提督の言葉を聞いている。彼は、本営の持つ裏の顔を、ドローンを介して世間に垣間見せようとしているのだ。瑞鶴が下唇を強く、強く噛み、少年提督を睨んでいた。

 

 この乱戦は既に、艦娘と深海棲艦との戦いではなくなっている。

 

 人間社会の上流階級に巣くう闇が呼び起こした今回の騒動は、少年提督を深海棲艦化させ、更には深海棲艦をすら支配可能にする冒涜的な奇跡を作り出した悲劇として語られることになる。同じように、この悲劇を鎮めるために戦う艦娘達と、その艦娘達と肩を並べて命を張る野獣の姿もまた、歴史の中に残り続けるだろう。

 

 少年提督と野獣提督。

 この二人が居なければ、今の構図は成り立たない。

 

 少年提督の体から溢れる象牙と琥珀色のオーラは、彼の肩から後ろに、高貴な仏像のような光背を象り始める。同時に、この戦場に風ならぬ風が吹いた。オーロラのように揺らめく光の波が、不知火達を優しく撫でていく。確かな暖かさを含んだ光は、途方もなく強力な治癒と沈痛の力を帯びていた。血塗れの不知火の体から痛みを取り除きながら、活力を漲らせてくれる。

 

 それは、巨大な施術式の効果に違いなかった。少年提督の両の掌には、複雑な術陣が浮かび上がっている。彼の術式は、この戦場全てを包み込む規模で構築され、乱戦のなかにある全ての艦娘を対象に取っていた。艦娘の誰もが回復と活力を得ていた。彼が展開する術式は、先ほど負傷した大和、武蔵、長門、陸奥、それに金剛や榛名にも効果を齎している筈だった。

 

 だが、不知火の体には出血痕がそのまま残っているため、傍から見ただけでは、回復と修復の程度は分からない。この場に居る者だけが、癒されていく自身の肉体や、痛みが和らいでいくのを認識できる。ドローンからこの戦場を見ている者には、何が起こっているのかは理解できない。それもまた少年提督の狙い通りであり、この展開が彼の描いたシナリオなのだろう。

 

「『“皆さんの人間性を世間にアピールする仕事は、苦痛で仕方ありませんでしたよ”』」

 

 不知火の隣で、血塗れの顔をした雷が、涙と嗚咽を堪えているのが分かった。膝立ちになっている天龍が、震える息を肺から絞り出している。泣きそうな顔のビスマルクが、ぶるぶると肩を震わせて浅い呼吸をしている。頬を引き攣らせたグラーフの視線が揺れている。打ちのめされたような表情のプリンツが、首を緩く振っていた。どうしようもなく陰鬱で重苦しい空気が、この場に居る全員を圧し潰すようにして包んだ。

 

 少年提督は、艦娘の誰も殺していない。

 もしも彼が本気であれば、大和たちは既に破壊されている。

 この場に居る誰もが、もう気付いている筈だった。

 

「『“まぁその分、大勢の艦娘を用いた人体実験は、とても良いストレスの解消になりましたがね。艦娘の精神を隷属させて体を切り刻んでいる時は、随分と気が安らぎました。これこそが僕の天職だと思いましたよ。僕の居場所は此処に在ったんだと。この世界や社会が、僕の人生を肯定してくれるかのような幸福が在りました”』」

 

 少年提督は、本心とは反対のことを言っている。ドローンが彼の言葉を余すところなく拾い、世間に向けて発信している。誰も、何も言えない。艦娘たちを睨んだ少年提督だけが、黒々とした嫌悪と侮蔑を乗せて言葉を紡いでいく。

 

「『“それなのに皆さんと来たら、まるで家族のような距離感で僕に接してくるんですから。……気持ち悪いんですよ。殺戮の道具の癖に、僕の幸福感に水を差してくる皆さんの事が、鬱陶しくて、大嫌いで、もう顔も見たくもありませんでしたよ”』」

 

 この場に居る艦娘達の体から痛みを取り除き、出血を止めて傷を癒す為に編まれた術式と、その術式を展開している少年提督自身の言葉が全く結びつかない。

 

「『“僕は、いつもいつも、皆さんが出撃する時には、適当に沈んでしまえばいいと思っていたのに。毎回毎回、全員が無事に帰投してくるのも辟易しました。皆さんさえ居なければ、僕は提督という立場から離れて、各地の研究施設を回って、好きなだけ艦娘を使って人体実験を行えたというのに”』」

 

 野獣がじっと少年提督を見詰めている。

 瑞鶴が涙を零し、少年提督を睨んでいる。

 

「『“この鎮守府に居る限り、僕は皆さんのような能天気な艦娘に囲まれ、艦娘の人間性をアピールする行事を続けなければならないと思うと、もう本当に、不幸のどん底に突き落とされるような気分でした。この鎮守府が、『花盛りの鎮守府』なんて揶揄されるのも、自分自身で滑稽でしたね”』」

 

 少年提督はそこで一瞬の間を置いた。それから、周囲の艦娘たちを改めて見回しながら、クソデカ溜息を吐き出して見せる。

 

「『“えぇ、もう、僕が世界で最も不幸だと思うほど、最悪な日々でしたよ”』」

 

「言いたいこと言ってくれるじゃない……っ!!」

 

 辺りを包む重苦しい空気に穴を開けたのは、気の強そうな可憐な声だった。その声は、震えながらも灼熱の感情に溢れていた。少年提督が、声がした方を見る。誰もがその視線の先を追った。見れば、陽炎に肩を支えられて立つ曙が、ボロボロと涙と鼻水を流しながら、少年提督を睨みつけていた。

 

 曙は不知火と同じく、少年提督の展開した治癒術式の影響下に居る。だから曙は血塗れではあるものの、その体の傷は癒え、痛みも止まっている筈だ。だが、血に染まった真っ赤な顔の曙の瞳は、潤みながらも爛々と燃えている。

 

「私だって、アンタのことなんて世界で一番、だいっキライよ!! 私はね、全然、これっぽっちも、アンタのことを家族だなんて思ったことも無いし、感謝なんて微塵もしてない!!!」

 

 曙の声は、この戦場に良く通った。曙に肩を貸す陽炎も、涙を堪えるように下唇を噛みしめながら少年提督を見据えている。命を燃焼させる勢いで、曙は叫ぶ。

 

「皆、みんな、そうなんだから!! アンタのことを家族だなんて思ってる艦娘なんて、一人も居ないわよ!! いっつもヘラヘラして、なに考えてんのかわかんないアンタなんて、さっさとどっか行けば良いのにって、ずっと思ってたんだから!!」

 

 血塗れのままで震える大声を張り上げる曙は、自分の言葉に、全身全霊で祈りや願いを込めるかのようだった。周囲の艦娘たちが、涙を堪えきれなくなった。曙の声に引き摺られる。立ち上がろうとしていた霞が、泣きながら崩れ落ち、肘と膝をつき、嗚咽を漏らしている

 激しい乱戦の音の中にも、悲痛な嗚咽が混じり始める。ドローンが、静かに此方を見下ろしている。

 

「アンタと一緒に過ごした時間は、私にとっても、苦痛でしょうがなかったわよ!! 最低最悪の日常だった!! それも今日で最後だと思うと本当に清々するわ!! アンタこそ、もう、どこか遠いところで適当に死んじゃえばいいのよ!! このクソ提督!!!」

 

 自分を痛めつけるかのように、自分の喉を焼くように、曙は叫び続ける。

 

「死んじゃえ!! バカ!! チビ!! お喋りウンチ!! 死ねぇ!! 死ねぇーッ!!」

 

 最後は、「アンタなんて、どっかに行って、もぅ、死んじゃえぇ……」と、嗚咽に飲まれて言葉になっていなかった。自分の魂を吐き尽すかのような曙の言葉に、少年提督に向けられた懸命な想いが籠めれているのは不知火にも十分に分かった。不知火は、この“劇”の終わりが近づいているのを感じていた。視界が揺れる。目の中に溜まりそうになる涙を拭う。

 

「曙の言うとおりよ。私も、貴方を提督だと認めたことは一度も無いわ」

 

 不知火の傍で艤装を構えるビスマルクが、冷淡な声で言い放つのが聞こえた。不知火の位置からでは、ビスマルクの表情が見えない。ただ、頬が引き攣っているのが見えるだけだ。グラーフとプリンツは何も言わない。艤装と臨戦態勢を取ったままで、呼吸を震わせている。他の艦娘達も同じだった。不知火も、言葉が出なかった。言いたいことは、曙が殆ど言ってくれたからかもしれない。深海鶴棲姫の姿をした瑞鶴が涙を拭い、自らの影を踏みしめるように前傾姿勢を取っている。

 

 この乱戦が、終息に向かおうとしている。不知火は血で赤くなった視界に目を凝らす。少年提督を見据える。身体に力を籠めると、“抜錨”状態になることが出来た。艤装も召べる。血でぬめる掌に、連装砲の重みと感触を確かめる。自分が艦であることを心に刻み付ける。息を吸う。空が晴れていることに気付く。夕日が差している。

 

「『“……言いたいことは、それだけですか? ”』」

 

 うんざりした表情をした少年提督は、曙の言葉を一蹴するように鼻を鳴らした。

 

「いや、まだあるゾ(岐路に立つ友へ)」

 

 姿勢を落とした野獣が、二振り刀の切っ先をすっと下ろしながら、構えを取る。

 

 

「『“僕に勝てるとでも? ”』」

 

 少年提督は不機嫌そうに言う。

 

「馬鹿野郎お前、俺は……」

 

 野獣が表情を変えずに、一歩前に出た。不知火も、一歩前に出る。傍で泣いていた雷が立ち上がり、戦闘態勢を取り直した。殆ど同時に、天龍も刀剣型の艤装を杖のようにして立ち上がった。天龍が一番泣いている。不知火は洟を啜る。血の味がした。涙を堪える。これが最後だ。周りに居る艦娘達も立ち上がり、戦う意思を見せる。それを見計らったかのように、乱戦の範囲が、再び不知火達を飲み込もうとした。戦艦水鬼、戦艦棲姫を含む深海棲艦の上位種や猫艦戦たちが、不知火達の方に急接近してきたからだ。

 

「……いや、“俺達”は勝つぞお前(黎明への道)」

 

 力を籠めた声と共に、野獣が飛び出す。瑞鶴も、ビスマルクも、それに、他の艦娘たちも乱戦の中に入っていく。少年提督が展開していた治癒術式の御蔭で、不知火達の体は既に復活し、大きな活力を漲らせている。天龍も雷も、陽炎も曙も霞も、皆、自らの正義を示すかのように此処に居る。だが、死闘と言うには、この乱戦が終息に向かっていくのは呆気なかった。

 

 南方棲鬼や重巡棲姫が、まず扶桑や山潮、アイオワなどの砲撃によって大破し、この場を撤退していく。海へと逃げるつもりのようだ。それを追おうとする艦娘たちには、港湾棲姫や北方棲姫、ヲ級の艦載機がワラワラと群がり、追撃を妨害した。艦載機を操る彼女達も、徐々に埠頭へと後退しており、この場を離れるつもりのようだ。自分の仕事は此処までだと言わんばかりの集積地棲姫と、彼女を守るべく強固な盾として存在していたタ級、ル級も大破し、埠頭へと撤退し始めている。戦艦水鬼と戦艦棲姫も、従えた艤装獣に守られながら防戦に追い込まれており、もうこの場の勝敗はほぼ決していた。

 

 深海棲艦達が自ら撤退するために、やはり意図的に劣勢を演出しているだけだろうが、間違いなく、この騒動の終わりが近づいてきていた。少年提督も追い詰められている。野獣と瑞鶴が、少年提督を圧倒し始めている。いや、少年提督が手加減しているだけだ。不知火と雷、天龍は、もう反撃すらして来ないレ級に対して、砲撃を加えている。怯えるように頭を抱えて逃げ惑うレ級が、一瞬だけこっちに顔を向けた。レ級は楽しそうに、しかし、寂しそうに笑っている。

 

 レ級にダメージは無い。こちらの攻撃が碌に効いていない。でも、効いているフリをしている。ドローンが見ているからだ。深海棲艦が、艦娘に撃退される映像を提供する為だ。レ級が雷を見ながら、フードの奥で唇を動かすのが見えた。「好きなんでした(レ)」と言ったのが分かった。雷が呻きながら、砲撃をさらに加える。まだ、レ級はフードの奥で唇を動かす。

 

 天龍、ち●こちっちゃい(レ)

 

「生えてねぇっつってんだろ!!」

 

 天龍が泣きながら叫ぶ。砲撃を加え、刀剣型の艤装で斬り付けるが、レ級は怯えたフリをしながらも、これをひらりと躱す。ついでにレ級は、不知火の方を見て唇を動かした。

 

 元気でな、須藤さん(レ)

 

「いえ、不知火です」

 

 涙を堪える不知火が、レ級にそう言い返した瞬間だった。

 

 野獣と瑞鶴が視界に飛び込んできた。正確には、めちゃくちゃな勢いで吹っ飛んできた。もっと正確に言えば、少年提督によって吹き飛ばされて来た。レ級に体を向けていた雷が、なんとか瑞鶴を受け止める。瑞鶴には下半身が無かった。少年提督による特殊な攻撃だからか、その体が再生していない。苦しげに呻く瑞鶴は口の端から粘土の高い血を吐きながら、泣いている。その瑞鶴と雷を目掛けて、3体の猫艦戦が飛んでくる。不知火がそれを即座に撃墜した。戦いは終わっていない。

 

 天龍は反応が遅れ、野獣と激突して一緒に吹っ飛び、地面を転がっていた。天龍はすぐに手をついて起き上がる。それに続いて野獣も起き上がろうとしていたが、無理そうだった。野獣の右腕と左脚が無い。根元が千切れ飛んでいる。その時にはもう、レ級が乱戦の中に消えた。逃がしたと思っている暇は無かった。レ級と入れ替わる形で、時雨と鈴谷が飛び込んでくる。二人は天龍と野獣を守るように立ちながらも、野獣の傷を見て息を呑み、すぐに少年提督を睨んだ。あの二人が、あんなに憎悪を籠めた眼で、少年提督を見る日が来るなんて思わなかった。

 

 本当に、今日で最後なのだ。

 

 不意に、不知火の脳裏に、“何のために自分は戦っているのか? ”という問いが響いた。いつも胸の内にあった暗い残響が、答えを求めて意識の表面に上り、それに呼応するかのように、姿勢を落とした少年提督が、不知火に迫って来ていた。

 

 少年提督が何かを唱えている。詠唱している。だがそれが、不知火に攻撃を加えるものでも、不知火の行動を妨害する為のものでもないこともすぐに分かった。少年提督が紡ぐ文言は、少年提督自身の肉体に亀裂を入れている。彼は、不死となった自分の肉体を解体しようとしているのだと思った。思いながら、戦闘に入る。

 

 少年提督は、ここで死ぬつもりなのだろう。いや、死ぬというよりも、消滅するといった方が正しいのかもしれない。不知火に、彼を助ける術はない。少年提督を助けることなど、この世界の誰も願ってはいない。誰からも望まれない。誰からも赦されない。

 

 ドローンを介してこの戦場を目撃している世間の人々からの憎悪や恐怖、忌避、敵意といった感情は今、うねりと飛沫を上げて、少年提督の小さな両肩に轟轟と降り注いでいる。少年提督の優しさなど、誰も知らない。そんなものなど見向きもされない。少年提督は、この場で、不知火によって撃滅されることによって正しく、彼自身の役割を全うすることになるのだと分かった。

 

 感傷に浸る間もなく、少年提督が不知火に殴りかかってくる。だが、明らかに動きが遅い。鈍い。不知火は、少年提督の拳を軽々と避ける。躱し、反撃する。手にした連装砲で、少年提督の側頭部を殴りつけた。少年提督がよろける。彼の側頭部が裂けて、その横顔が血に染まった。だが、彼は倒れない。不知火に攻撃をさせるためだ。彼を殺すのが、不知火の使命だ。

 

 “何のために、戦っているのか”

 その答えを、不知火は、ようやく得た。

 

 この瞬間の為に、不知火は戦って来た。この場所に辿り着くために、不知火は戦ってきたのだ。ドローンが、不知火と少年提督を見詰めている。今の不知火と少年提督は間違いなく、世間といったものよりも、もっと巨大なものを相手にして戦っている。

 

 その相手は“未来”であり、いつか人々の常識や価値観を飲み込み、遥かな時間の流れに乗せて持ち去っていく“歴史”だ。

 

 人間至上主義の社会によって綿密に仕組まれた“結末”であり、人間が優位に立った深海棲艦との戦争において新たに訪れようとする残酷な“時代”だ。

 

 それら全てが、少年提督が抱き続けた理想に、道を譲る瞬間が来ようとしている。少年提督や不知火達の人生が、この景色に重なろうとしている。今日が終わっても、不知火たちの人生は終わらない。その続きを生きなければならない。不知火は、少年提督から貰った人生の為に、今の少年提督を否定しなければならない。

 

 

 深海棲艦たちが海へと撤退し、乱戦が止みつつある。

 レ級が暴れまわる轟音が、やけに遠くに聞こえる。

 

 不知火が少年提督の顔面を殴りつける。彼がよろけて、数歩下がり、膝をついた。彼はもう立ち上がらなかった。象牙と琥珀色のオーラを纏った彼は膝をついたままで、不知火を見詰めている。彼の傷は治らない。それどころか、彼の肉体が崩れ始めている。彼自身が、己の肉体を解体しつつあるからだ。だが、傍から見ればその姿は、不知火たち艦娘の力が、超常的な力を備えた少年提督の野望を凌駕したように見えるだろう。

 

 夕日が暗くなろうとしている。陽が沈んでいく。

 

 深海棲艦化した少年提督は、明確な害意と悪意を持ち、この社会に対して、容赦なく殺戮と破壊を齎そうとしている。少なくとも、世間の人々はそう思っている。彼がそう演じている以上、傍観者で居られる者など、この世界のどこにもいない。

 

 不知火は、連装砲を少年提督に向ける。

 

 今の彼は、深海棲艦よりも厄介な人類の宿敵だった。彼が世界に解き放たれるということは、彼が、この“舞台”から客席に飛び込んでくるということだ。客席に居る者達は、この鎮守府の艦娘達が彼を撃滅してくれることを祈っている。今この瞬間も、不知火によって遂行される完全な正義を願い、縋っている。不知火は世界を呪いそうになる。その視界を洗うように、涙が溢れてくる。もう自分の顔もボロボロだろう。

 

 少年提督は、まだ何かを唱えている。彼の纏うオーラが渦を巻きながら周囲に吹き荒れ始める。彼のオーラが空に伸びていく。海鳴りが聞こえ始める。彼が詠唱する文言に海が応え、海もまた無限に重なる波音で彼を呼び合う。誰かが、「空が……っ!?」と叫んだ。視線だけで空を見て、不知火は呼吸を忘れた。雲が走り去った後の夕空いっぱいに、この世界を覆いつくさんばかりの巨大な術陣が描き出されていたからだ。光の線が幾重にも複雑に重なり、それが精密機械の回路図のように張り巡らせている。術陣の光の帯は遥か彼方の空の果てまで続き、不知火達を見下ろしている。

 

 不知火には、空に描き出された術陣が何を意味しているのかまでは分からない。だが、この世のありとあらゆる常識や法則を粉砕しかねない規模であることは分かる。何かが起きようとしている。だが、焦りは無かった。この場で少年提督が行う事には何らかの理由があるのだろうし、もう、不知火に出来ることなど一つしかないのだ。不知火は、連装砲を持つ左手に力を籠める。左手の薬指にある結魂指輪を想う。色んな感情が溢れて、どれを選び取れば良いのか分からない。ただ、少年提督と共に過ごしてきた時間が心に過る。

 

 残忍な野望を追い、人間性を使い果たした少年提督が跪いている。その少年提督に裏切られても尚、己の正義を貫き、涙を流す不知火が連装砲を構えている。世間が求める完璧な景色は、不知火が少年提督を撃滅することで、ようやく完成する。多くの艦娘と深海棲艦と、それに、野獣、少女提督、少年提督……、全ての者達が命を燃やして作り上げた、この鎮守府のジオラマは、どのような祝福と警笛を鳴らしながら、今の時代を破壊するのだろう。

 

「司令……」

 

 不知火は、涙声で少年提督を呼ぶ。

 

「『“何でしょう? ”』」

 

 血塗れの彼は、不知火をねめつけるように顔を上げた。誰にも理解を得られない彼の存在が、悔しくて堪らない。不知火は、散り散りになってしまいそうな意思の力を、心のなかで搔き集める思いで、言葉を紡ぐ。

 

「恨みますよ」

 

 少年提督の、いや、曙の真似をして、言葉の裏にメッセージを籠める。ドローンが見下ろす中で、彼に伝えられる言葉など多寡が知れている。それでも、不知火はどうしても伝えなければならないと思った。

 

「不知火は、貴方を恨む」

 

 少年提督は一瞬だけ泣きそうな表情を浮かべたが、すぐに冷酷そうな悪人面を作って鼻を鳴らした。

 

「『“ざまぁみろ”』」

 

 少年提督が言う。空に描かれた術式が、燃え残る夕日の光を吸いながら燦然と輝きだす。吹き消えようとする灯が最後に強く揺らめくように、レ級が暴れている。陽が沈む中で、不知火達を見下ろしながら新たな“時代”が立ち上がろうとしている。決着の到来を告げるように、不知火の連装砲が吼えた。

 

 

 

 

 








いつも読んでくださり、ありがとうございます!
暖かな感想や高評価、誤字報告などで支えて頂き、本当に感謝しております。

駆け足な感じになってしまいましたが、何とか完走を目指して頑張ります……。
内容について不自然な点、また、描写不足が感じられる点などありましたら、御指導いただければ幸いです。修正させて頂きます。

皆様も体調を崩されぬよう、どうかお気をつけ下さいませ。
今回も最後まで読んで下さり、本当にありがとうございます!

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