花盛りの鎮守府へようこそ   作:ココアライオン

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エピローグなので、初投稿です(朦朧)
更新が非常に遅れてしまって、本当に申し訳ありません……。



エピローグ 2

 

 

 

 

 

 

 

 執務室の窓から差し込む光に、夕暮れの気配が混じり始めるころだった。

 

「はぁぁ~~~……(クソデカ溜息)」

 

 秘書艦用の執務机でデスクワークをこなしていた鈴谷は、地面に落ちるかのような溜息を近くで聞いた。思わず苦笑が漏れそうになるのを堪える。重厚な溜息の主は、鈴谷と同じく、今日の野獣の秘書艦であるコロラドだ。彼女は秘書艦用の執務机に肘をついて頭を抱え、その姿勢を変えないまま、もうやるせないと言った感じの迫真過ぎる溜息を「はぁぁあぁぁあああああ~~…………」と、再び吐き出して見せた。

 

「ちょっと休憩しましょう。暖かいお茶でも淹れますね」

 

 執務用の椅子から腰を上げつつ、鈴谷はコロラドに言う。腕時計を見れば、そろそろ15時になろうとしていた。

 

「……えぇ。いつもありがとう」

 

 此方に顔を上げたコロラドは、眉尻を下げたままの笑みを浮かべて見せた。素直に礼を述べてくれる彼女は、いつも誠実で実直であり、戦場海域での勇猛さと強さは言うまでもないが、鎮守府の生活の中でも周囲への気遣いを忘れない。そんな彼女のことを、鈴谷だけでなく、皆が好ましく思っている。いえいえ、と鈴谷は答えつつ、軽く伸びをしてから茶の用意をしていく。

 

「それにしても、何時になったら帰ってくるのかしら」

 

 疲れたような声で言うコロラドが、野獣の執務机へと視線を向けるのが、背中で感じる気配で分かった。野獣がトイレに行くと言って執務室を離れたのが昼過ぎだったから、もう2時間以上が経っている。鈴谷は肩越しで、野獣の執務机へと振り返る。そこには大量の書類が山となっており、誰がどう見てもこれは徹夜必至だろうという積み上がり具合だ。

 

「もう戻ってくると思いますよ。ほら、そろそろオヤツの時間じゃないですか」

 

「仕事にしに戻ってくるんじゃないのね……」

 

 呆れた声を出すコロラドに、鈴谷も軽く笑ってしまう。

 

「まぁ、野獣はマイペースと言うか、ゴーイングマイウェイな奴ですから」

 

「それ、勤務態度に対するフォローに全くなってないけど」

 

「確かに」

 

 鈴谷は苦笑を浮かべながらも、湯飲みに淹れたお茶をコロラドに渡し、間宮の羊羹も用意する。それを見たコロラドの表情が、ぱぁっと明るくなった。次の瞬間だった。執務室の扉がバァン! と勢いよく開け放たれて、鈴谷とコロラドはビクッと肩を跳ねさせる。

 

「ぬわぁぁあぁぁん、オヤツの時間だもぉぉぉぉん!!」

 

 野獣だ。相変わらずのTシャツと海パン姿で、携帯端末に指を滑らせている。

 

「ビール! ビール! 冷えてるか~? (休日気分)」

 

 執務室に勝手に持ち込んだ冷蔵庫をゴソゴソとやり始める野獣の背中に、「あのさぁ……」と鈴谷は声を掛ける。

 

「仕事が山積みなんだから、ビール飲むのは後にしてくんない?」

 

 諫めるつもりで言うのだが、野獣の方は「まぁ、(気分転換の為の飲酒も)多少はね?」なとど全く悪びれた様子もなく、下手クソなウィンクを返してくる始末だ。

 

「職務中に飲酒して許されるワケないでしょ」

 

 眉間に皺を寄せたコロラドが、険のある声で野獣を刺すように言う。だが野獣の方はと言えば既に聞き流している様子で、冷蔵庫の中をガサガサと掻き混ぜながら、コロラドにも下手クソなウィンクをして見せた。

 

「まぁ、今は俺もシーズンオフだし、多少はね? (慢心)」

 

「そんなん無いよ……。鎮守府はずっとオンシーズンだよ……」

 

 とりあえずツッコミながら、鈴谷は野獣にも茶を淹れる。

 

「はい。ビールの代わりにコレ。間宮さんから羊羹も貰ったから、一緒に食べよ」

 

「おっ、ありがとナス! (気が利いてて)良いねぇ~! (ご満悦先輩)」

 

 茶托に乗せた湯飲みを自分の執務机の上に置いて貰った野獣は、暢気な声を出して冷蔵庫の中をゴソゴソとさせるのを止めた。携帯端末を操作しながら執務机まで歩いてくると、ドカッと執務用の椅子に腰かけ、湯気をくゆらせる湯飲みを引っ掴んでからグイっと一口煽った。「アツゥイ!! (素)」野獣が間抜けな悲鳴を上げる。

 

「端末ばっかり見てると火傷するよ。今淹れたばっかりなんだから」

 

 秘書艦用の執務机に戻りつつ鈴谷が呆れながら言うと、今までムスッとした様子で黙っていたコロラドが鼻を鳴らした。

 

「……随分と長いトイレだったわね」

 

 普段よりも低い声で言うコロラドの眼は、鋭く野獣を睨んでいる。

 

「もう2時間半ほど経ってるんだけど。お腹でも痛かったの?」

 

 その言葉は野獣に対する心配ではなく、明らかにサボりを責める口調であり皮肉に違いなかった。だが野獣はと言えば、「そうだよ(素直な肯定)」と、よくぞ聞いてくれたとでも言わんばかりの迫真の苦労顔を作り、「腹が下っちゃってさぁ~(アンニュイ先輩)」などと洩らし始めた。

 

「消防隊の放水さながらで、マジで参るゾ……(げっそり)」

 

「ねぇゴメン野獣、今さ、おやつ食べてるからさ、そういう話は後にしてくれない?」

 

 顔を顰めた鈴谷は即座にインタラプトに入る。せっかく間宮の羊羹を美味しく食べようと言う時に、野獣のトイレ状況の話が盛り上がってはかなわない。コロラドも死ぬほど不味そうに顔を歪めている。「昨日は全裸で寝たからかなぁ……(分析)」なんて零しつつ、野獣は茶を啜り、羊羹を切り分けて口の中に放り込む。

 

「うん、美味しい! (大声)」

 

 目の前にうず高く積まれた書類など、まるで見えていないかのような長閑な雰囲気を醸し出す野獣は、満足そうに羊羹にパクつき、茶を啜る。「……アナタ、のんびり構えていて大丈夫なの?」と、溜息を飲み込むついでのようにコロラドが言うが、野獣は「へーきへーき!」なんて笑いながら、ひらひらと手を振った。

 

「……そう。ならいいんだけど」

 

 コロラドはふいっと野獣から視線を逸らし、上品な仕種で羊羹を口に運ぶ。真面目なコロラドにとって野獣の仕事ぶりは、さぞ無茶苦茶なものに見えることだろう。鈴谷は羊羹を口の中で溶かしながら、コロラドの歓迎会を兼ねた花見の席の事を思い出す。

 

 柔らかな陽射しを受け、咲き誇る桜の花と、その花びらが緩やかに舞い落ちてくる広場の景色は、絵葉書にでもできそうなほどに風情に溢れたものだった。その風景のド真ん中で、野獣という男の素顔を見た彼女は終始茫然としていたし、その目からハイライトが完全に消えていたのも忘れられない。

 

 長門と陸奥は、生気が抜けたような顔のコロラドに謝り倒していたし、その横では昼間から酒を飲めることにテンションを爆上げした隼鷹や那智、それにポーラなどが乱痴気騒ぎを起こし、そこに酔った武蔵の天然ボケが炸裂しまくり、すかさず野獣が混ぜっ返すという酷い有様だった。花見自体をゆったりと楽しんでいる艦娘達も当然居た筈だが、あのバカ騒ぎの方が強烈に印象に残っている。

 

 あの日の景色を思い出し、そこに改めて目を凝らしてみると、新しい仲間を迎える場としては全く相応しくない光景ではあるものの、この鎮守府らしいなんていう感想が苦笑と一緒に漏れてくるから不思議だ。

 

「あっ、そうだ(カットイン)今度の演習編成、先方に送らなきゃ……(使命感)」

 

 執務机の上に積まれた書類の一つを手に取った野獣は、机の中からタブレット端末を取り出した。ディスプレイに素早く指を滑らせ、何らかの文章を作成している様子だ。

 

「ウチの鎮守府にぃ、明日から配属されてくるイタリア艦の姉妹は……、バリバリ☆バルカンパンチ姉妹だっけ? ()」

 

 文書を作成し終え、報告を送ったのだろう。タブレット端末を机の上に置いた野獣は、茶を啜りながら顔を上げた。

 

「ガリバルディさんだよ……。殆ど原型が無いじゃん……」

 

 鈴谷は疲れ気味に突っ込むが、野獣は一瞥を寄越して「あっ、そっかぁ(記憶の欠落)」などと適当な相槌を返してくる。

 

「覚える気ないでしょ、アナタ」

 

 低い声で言いながら、コロラドは野獣を半目で睨んだ。全く怯んだ様子を見せない野獣は、「重要なのは名前じゃなくて、信頼だってそれ一番言われてるから(迫真)」と穏やかな口振りで言いながら肩を竦めて見せる。腹立たしいほどの余裕を見せつける仕種だった。

 

「あんまり細かいこと気にしていると、コロ助も戦艦になれないゾ☆(優しいお兄ちゃん風)」

 

「私は戦艦よ!! あと、誰がコロ助ですって!?」

 

 コロラドが執務机をぶん殴る勢いで言うと、野獣は「えっ」と意表を突かれたような顔になった。「『えっ』て何よ!?」間髪入れずにコロラドが怒声を上げるが、野獣は全く怯んだ様子を見せず、先ほどのタブレットを手に持って眺めた。

 

「次回演習のお前の名前、コロ助で登録しちゃったなぁ……(凡ミス)」

 

「えぇ……(困惑)」鈴谷は顔を歪ませ、「は……? (威圧)」コロラドが真顔になる。

 

「ほらこれ(悠長)」

 

 まるで他人事のように言う野獣は、タブレット此方に向けてくる。そこには編成を入力する画面が映っており、この鎮守府から選ばれた艦娘の名前が以下のように並んでいる。

 

 コロ助

 余っちゃん

 火炙り

 ベイベベイ

 バリバリバルカンパンチ

 ソードフィッシュゥゥウ──! 

 

 

「もう、何がなんだか」

 

 怒る気すら失せたのか、掠れた声を出したコロラドが頭を抱える。

 

「怪文書みたいになってんじゃん……」

 

 デイスプレイを見詰めたままで、鈴谷も呆れながら言う。

 

「余っちゃんて、ネルソンさんのこと? 怒られるよ? それにバルカンパンチ直ってないし。『あっ、そっかぁ』って言ってたよね?」

 

 鈴谷に指摘された野獣は意外そうな顔になってディスプレイを一瞥すると、また肩を竦めた。

 

「人はミスをする生き物だから、まぁ多少はね? (寛大な心)」

 

「いや、自分のミスに甘過ぎるでしょ……。それにさぁ、こんな編成送ってこられても、他の鎮守府の提督さんは誰が誰だか分かんないよ」

 

「ギリギリ分かるでしょ? (希望的観測) ベイベベイはガンビアベイだし、ソードフィッシュは言わずもがな、アーちゃんだしな(学校のクラスLI●Eのノリ)」

 

 余裕のある喋り方をする野獣を一瞥したコロラドが、「……この火炙りって誰?」と眉間に皺を寄せて再びタブレットを見詰める。

 

「それは日振だゾ。練度を上げる為に編成に入れたんだけど(適当)、……そこもタイプミスしてるなぁ(遅過ぎる分析)」

 

「何もかもガバガバじゃない……」

 

 コロラドが顔を顰めたところで、軽い電子音が響いた。タブレットが新しいメールを受信したのだ。野獣はディスプレイに手早く指を滑らせてメールの内容を確認してから、面倒くさそうに息を洩らした。

 

「先方からウチの艦隊編成について、『なんすかこれ?』ってメールが来たゾ(アンニュイ先輩)」

 

「そりゃそうでしょ」鈴谷が強く頷く。

 

「世間でヒーロー扱いされてる男が、編成した艦娘の名前もまともに表記してこないなんて、誰も予想しないわよ。……早急に手直しして、送り返しなさい」

 

 気を取り直すように息を吐いたコロラドは、残りの羊羹を口に運び、茶を啜った。もう仕事に戻るつもりなのだろう。背筋を伸ばした彼女は手を合わせ、御馳さまと鈴谷に小さく頭を下げてくれた。礼儀正しい彼女に軽く恐縮しつつ、鈴谷も手を合わせてから湯飲みや小皿を片付けようとした時だった。

 

 軽やかな電子音が再び響く。タブレットが再びメールを受信したようだ。野獣は携帯端末の方で新しい文書を作りながら、タブレットに指を滑らせて新着のメールを確認している。束の間ではあったが、そのテキパキとした動きにコロラドが目を瞠っているのが分かった。メールを返信し終えた野獣が、再び携帯端末を手早く操作した。すると、執務室の壁に立てかけてある大型モニターに、壁紙の画面が立ち上がってくる。何をする気なの……? 、とでも言いたげな表情のコロラドは、野獣とモニターを見比べている。

 

「まずウチのさぁ……、動画チャンネルが復活するんだけど、(お前も)やってかない?」

 

 タブレットから顔を上げた野獣が、コロラドに視線を向けた。

 

「……えっ」

 

 訝し気な顔つきになったコロラドが低い声を出したが、すぐにハッとした顔になった。野獣、というか、この鎮守府の艦娘がテレビに出演したり、動画サイトで活動を続けていることを思い出したようだ。

 

「そういう活動も再開するんだ」

 

 湯飲みや小皿を片付け終え、自分の執務机に戻った鈴谷は、自分の気分が高揚するのが分かった。

 

「俺の先輩と後輩が、色々と手を回してくれたんだよなぁ……(遠い眼差し)。社会的なイベントとかへの艦娘の参加は難しくなるだろうけど、ネットの中での活動くらいは、まぁ、多少はね? (垣根を崩す)」

 

 少年提督の暴走事件以降、この鎮守府の艦娘達のメディアへの露出は殆ど無くなった。世間にしても見ても、人体実験や捨て艦法が横行した激戦期での艦娘達への冷酷な待遇が表沙汰になってからは、艦娘達への距離感が掴めないでいるようなところがあった。艦娘に対し、心からの感謝を表し、いつか深海棲艦化する存在として警戒し、罪悪感を抱えて謝罪の限りを尽くさねばならない立場に立たされた人間社会は、そのどれをも直ぐには選択できない状態だった。

 

 そんな中で深海棲艦の出現率が急上昇し、尚且つ、新たな艦娘を召還できないという事態は、

 社会的な存在において艦娘を人間よりも上位に押し上げた。

 

 ここ最近になって、ようやく深海棲艦の出現率も落ち着いてきた。社会の中にも、少年提督の暴走事件のすぐあとにあったような、恐慌や混乱の色濃い気配は薄まりつつある。人類が大きく優勢に出ていた時と同じとまではいかないまでも、ある程度の穏やかさが帰って来ている。それらは全て艦娘達が、シーレーンを含む社会の基盤を深海棲艦から守り抜いた結果として捉えられている。少年提督が招き入れた今の時代は、人間が艦娘の前に跪き、赦しと庇護を請う時代だ。

 

 だが野獣は、それを少しずつ崩して行こうとしているのだと鈴谷は思った。野獣はタブレット端末にキーボードを接続すると、カタカタとやり始める。ネットに接続しているだろう。

 

「動画配信の収益化も通ったし、その収益もチャリティに回して社会貢献しよう! って感じでぇ……(巡る善カルマ)本営上層部のお偉いさんからも許可が出たし、Foooo↑ 気持ちィィィ! (錦の旗)」

 

「みんなの活動自体は止まってたのに、そういう収益化とか通るものなの?」

 

 鈴谷が素朴なことを訊くと、「こういう時こそ、コネの使い所さん!? なワケだよなぁ(したり顔先輩)」と、野獣は似合わないニヒルな笑みを作って見せた。鈴谷は、あぁ、なるほどと思う。野獣の言う“先輩”や“後輩”が、軍部上層に属する人物であることは前に聞いている。その二人の持つ巨大な人脈を辿れば、動画サイトに影響力を持つ人物だっていることだろう。発生する利益をすべて社会に還元するのならば、そういった無茶でも大きく角が立たないのではないかと思えた。

 

「そういう活動を再開するにあたってぇ、新しいグループを作るってのはどうスか? (スカウト攻撃)」

 

「……この鎮守府には、人気の艦娘が揃ってるじゃない。ほら、陸奥とか扶桑とかのグループだってそうでしょ? 私は良いわよ」

 

 執務椅子に座ったままで身を引いたコロラドは、野獣から距離をとるような物言いをする。得体の知れない思い付きに付き合わされることを警戒しているに違いない。

 

「『不幸ォ……ズ』は確かに、活動再開を強く希望してくれる視聴者も多いし、人気も高いんだよね。でもウチの鎮守府は、アイツらに追いつけるポテンシャルを秘めた艦娘ばっかりだから、新しいチャレンジもしていくべきなんと違うか!? (漢気)」

 

「いや、そんな熱く語られても……」

 

 熱意を漲らせる野獣に、コロラドが更に身を引いた。

 

「そこまで野獣が言うなら、ある程度の人選も頭の中で決まってるんでしょ?」

 

 そんな二人の様子を眺めながら、鈴谷は執務用の椅子に凭れ掛かりつつ、軽く笑みを零しながら息を吐いた。「おっ、そうだな!」と意気揚々に答えた野獣は、手元に在る携帯端末を操作した。すると、壁に立てかけてある大型モニターの画面が立ち上がってくる。

 

「とりあえず、そのあたりの話をしながら仕事も片付けていくかなぁ~、俺もなぁ~(マルチタスク先輩)」

 

 執務椅子に座り直した野獣は、タブレットの時刻を確認しつつ、執務机に積まれた書類をバサバサと乱暴に崩し、重要度が高いものを選び取りって目の前に広げた。そのついでのようにタブレットのキーボードを叩き、携帯端末も操作している。それらの動作に全く澱みが無く、野獣の腕が3本も4本もあるかのように見える。

 

 突然の仕事モードに切り替わった野獣を見て、コロラドが目を丸くした。ただ彼女の表情には、野獣のデキる男オーラに驚いたと言うよりも、なぜ最初からそうやって仕事に取り組まないのかという非難の色を濃く浮かばせているので、鈴谷は苦笑を堪えた。鈴谷とコロラドも仕事に戻ろうとしたところで、立ち上がっていた大型のモニターに、ウィンドウが5つ開いた。

 

 そのうちの4つには、提督服をキッチリと着込んだ男性が3人と、女性が一人、映し出される。それが他の鎮守府の提督であり、この執務室がオンラインで繋がった会議室になったことにはすぐに気づいた。せめて一声かけてよと、小声で悪態をついた鈴谷とコロラドは席から立ち上がり、慌てて敬礼の姿勢を取るが、「俺しか見えてないから、そんな気を遣わなくてもいいゾ~これ」と野獣が暢気な声を出す。確かに、モニターに映る提督達には、野獣しか見えていないようだった。モニターからは、「あぁ、秘書艦の方が居られるのですね」などと音声が漏れてくる。

 

 ウィンドウに映しだされた提督達は、一時期世間でも話題になった野獣と話をすることに緊張しているのか、画面越しでも分かるぐらいに顔が強張っていた。一方で野獣と言えば海パンにTシャツというラフ過ぎる格好であり、野獣の背景が執務室でなければ、オンライン会議どころではない通信事故を疑う様相である。ただ、その場の空気を破壊している野獣本人がやけに寛いだ雰囲気であり、その緩んだ空気に引き摺られるようにして、他の提督達の表情から強張りが解けていく様子も見て取れた。

 

 他の提督達が挨拶もそこそこに会議を始めたるのを横目で見ながら、鈴谷はコロラドに目配らせする。コロラドは溜息を堪える顔つきで静かに息を吐きだしていて、鈴谷も苦笑を洩らす。こういう仕事ぶりを見ると、やっぱり野獣も提督なんだなぁ……、などと今更すぎるズレた感想を抱いていると、モニターに映して出されているもう一つのウィンドウに気付く。

 

 見覚えのある画面を見て、鈴谷もコロラドもギョッとする。

 立ち上がってるアレは艦娘囀線だ。新しい書き込みがある。

 

 

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 とりあえず新しい配信グループとして

 天龍とビスマルクに配信者デビューして貰うけど

 良いかな? 

 

 

 

 書類を片付けつつ会議に参加している野獣は、ワザとらしいクールな表情を作り、「おっ、そうだな(先輩直伝)」「あっ、そっかぁ……(先輩直伝)」「そうだよ(先輩直伝)」の3パターンだけの適当過ぎる相槌を連発して、さも会議に積極的に参加している雰囲気を醸しだしつつ、会議での他者の発言をまとめるかのような素振りでタブレット端末のキーボードを叩き、艦娘囀線に書き込みを行っている。あのスタイルを取っているのは、不自然に携帯端末を触らずに済むからだろうか。

 

 モニターに映し出されているウィンドウには、天龍とビスマルクの書き込みが続く。一見すると厳粛なオンライン会議が開かれているような風情もあるが、野獣の書き込みの不穏さは相当なものだった。鈴谷もコロラドも一応は仕事に戻ってはいるが、大型モニターに流れていく書き込みがどうしても気になる。

 

 

 

≪天龍@tenryu1. ●●●●●≫

 @Beast of Heartbeat

 いきなりだなオイ

 

 

≪ビスマルク@Bismarck1.●●●●●≫

 @Beast of Heartbeat

 そういう活動は停止状態だったはずだけど、もう再開になったのね

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 そうだよ。取り合えずお前らには、

 俺が作ったVRホラーゲームを実況して貰うから

 チャンネル名は

 

 天龍とビスマルクの突撃☆ホラゲチャレンジ!! 

 天龍「ふふふ、怖いか?」 ビスマル子「私は怖い」

 ~~音量注意!! ガチ絶叫マシマシ配信チャンネル!! ~~

 

 って感じでぇ……

 お前らが泣き叫ぶたびにスパチャが飛び交う、

 かなりゴキゲンな配信チャンネルになる予定だから

 

 

≪天龍@tenryu1. ●●●●●≫

 ふざけんなよテメェ

 

 

≪ビスマルク@Bismarck1.●●●●●≫

 絶対イヤよ!! 

 あと誰がビスマル子ですって!? 

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 二人ともやる気マンマンで、嬉しい……嬉しい……

 初回ゲストは長門とグラーフで決まりっ! 

 

 

≪長門@nagato1. ●●●●●≫

 @Beast of Heartbeat

 もう許せるぞオイ!! 

 

 

≪グラーフ・ツェッペリン@Graf Zepplin1.●●●●●≫

 @Beast of Heartbeat

 冗談はよしてくれ

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 じゃあ、霞とか曙も読んでやるか! 

 初回から豪華ゲストが目白押しって感じだな! 

 

 

≪霞@asasio10. ●●●●●≫

 @Beast of Heartbeat

 何が『じゃあ』なワケ? 

 

 

≪曙@ayanami10. ●●●●●≫

 @Beast of Heartbeat

 絶対行かない

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 でも、もうチャンネルは作っちゃったし、

 俺の自作ホラゲは第1919作まで出来上がってるゾ……

 

 

≪プリンツ・オイゲン@Admiral Hipper3.●●●●●≫

 @Beast of Heartbeat

 ちょっと勇み足が過ぎませんかね……? 

 

 

≪摩耶@takao3. ●●●●●≫

 仕事サボって自作のクソゲー作ってる提督なんて

 世界広しと言えどお前ぐらいだろ

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 @takao3. ●●●●●

 あっ、オイ、待てぃ!! 

 今回のホラゲは別にクソゲーじゃないゾ

 テストプレイに参加させたアトランタが死ぬほど泣き叫んでたから

 クオリティは十分だってハッキリ分かんだね

 

 

≪陸奥@nagato2.●●●●●≫

 アトランタちゃん可哀そう

 

 

≪陽炎@kagerou1.●●●●●≫

 そう言えば少し前ですけど

 消耗しきったような青い顔のアトランタさんが

 放心状態で食堂に座り込んでましたね……

 

 

≪嵐@kagerou16.●●●●●≫

 @Beast of Heartbeat

 そんな恐ろしいホラゲ実況なんて、配信して大丈夫なんスかね……

 年齢制限とか、グロテスクな表現とか

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 @kagerou16.●●●●●

 その辺はちゃんと考慮してあるから、へーきへーき! 

 配信中はその返の表現にはモザイクどころか

 キレイな花畑映像が流れるようにしてあるから、安心! 

 天龍と長門、ビスマルクの新鮮な悲鳴だけお届けするから

 

 

≪長門@nagato1. ●●●●●≫

 @Beast of Heartbeat

 私がホラゲー実況のレギュラー枠みたいな書き方は本当にやめろ

 

 

≪不知火@kagerou2.●●●●●≫

 牧歌的な花畑の映像から

 泣き叫びの狂乱音声が聞こえてくるというワケですね

 

 

≪吹雪@fubuki1.●●●●●≫

 絵面的にもっと洒落にならなそうなんですがそれは

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 楽しそうで和気藹藹とした雰囲気を出せれば問題ないゾ

 じゃあ、アトランタも飛び入り参加しよっか

 

 

≪アトランタ@Atlanta1. ●●●●●≫

 @Beast of Heartbeat

 ほんとにゆるして

 何でもするから

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 @Atlanta1. ●●●●● 

 ん? 今、何でもするって言ったよね? 

 

 

≪時雨@siratuyu2. ●●●●●≫

 @Beast of Heartbeat 

 やめなよ野獣

 もうパワハラ一歩手前だよ

 

 

 時雨の書き込みが在ったあたりで、オンライン会議ではパワハラの話題が上がっていた。各々の提督達が艦娘に対する接し方について話している間、モニターを見詰めている野獣は、「いや、やっぱり、艦娘に対するパワハラとかセクハラとか、赦せへんし(正義の男)」などと熱く語っている。

 

 いったい、どの口で言うのか。そう言わんばかりのコロラドは信じられないものを見る顔になって、モニターに流れていく艦娘囀線の書き込みと、真面目くさった野獣の横顔を高速で見比べている。野獣の方はと言えば、手元の書類の処理も進めていた。高精度なマルチタスクを発揮する野獣は他の提督達の発言への関心を装いつつ、タブレットのキーボードを叩き、艦娘囀線への書き込みを続けている。

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 まぁ、俺のパワハラは

 フレッシュでアットホームだから、安心! 

 

 

≪飛龍@hiryu1.●●●●●≫

 一体何が安心なんですかね……

 

 

≪蒼龍@hiryu2.●●●●●≫

 フレッシュとかアットホームって言葉が

 こんな邪悪な響きを持ってるの初めて見ましたよ

 

 

≪明石@akasi.1●●●●●≫

 要するに普通のパワハラですよね? 

 

 

≪大淀@ooyodo.1●●●●●≫

 そういう開き直りはやめて下さいよ本当に

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 オオン!? 俺がいつ開き直ったって!? 

 そりゃ何月何日何時何秒

 地球が何週回った時だオラララァァァン!! 

 

 

≪コロラド@Colorado1.●●●●●≫

 申し訳ないんだけど、軍事端末上の遣り取りで

 子供裁判の有能検事みたいな事を言い出すのはNG

 

 

 艦娘囀線の書き込みを見ていたコロラドも、野獣を横目に睨みながら書き込んだ。それを見た野獣が一瞬、「おっ(タゲ変更)」という顔になったところで、オンライン会議での話題が大きく動いた。画面に映し出されている提督の1人が、この鎮守府の動画配信活動について言及したのだ。『私共の鎮守府でも、野獣提督の配信活動を見習いたい』という、ことだった。

 

 鈴谷とコロラドは顔を見合わせ、2人して何だか擽ったいものを我慢するような表情になってしまった。野獣が評価されていることを実感して、何だかソワソワしてしまう。

 

「見習うってんなら俺じゃなくて、ウチの艦娘達だって、それ一番言われてるから(揺るがぬ信頼)」

 

 ただ野獣の方は、そういった評価をそのまま受け取るのではなく、賞賛の声が向かう先をそっと変えるように言う。

 

「人間との共存っていうことに関しては、アイツらも真剣だゾ。自分自身の存在と役目に誠実なアイツらを、俺も尊敬してるんだよね(大胆な告白)」

 

 野獣は真面目な顔と声で言いながら、カタカタとキーボードを叩いている。艦娘囀線に新しい書き込みがふえた。

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 じゃあ、コロラドと陸奥あたりに、野球拳でもして貰うってのはどうっすか? 

 

 

 コロラドが吹き出して、すぐに野獣を睨みつけた。

 

 

≪コロラド@Colorado1.●●●●●≫

 そんなクソ真面目な話をしながら、

 妖しいセクシーチャンネルに私を巻き込もうとするのは許せるわよ! 

 

 

 乱暴にキーボードを叩くコロラドの姿に、鈴谷は苦笑を堪える。その間にも、まだ艦娘囀線の書き込みは続いていく。

 

 

≪陸奥@nagato2.●●●●●≫

 @Beast of Heartbeat だからさぁ、

 何が『じゃあ』なのよ? 

 

 

≪大和@yamato1.●●●●●≫

 急に動画の内容が妖しくなりましたね……

 

 

≪武蔵@yamato2.●●●●●≫

 まぁ、いつものことだな

 こういう何気ない日常こそ、貴重なものだと

 最近はよく思う

 

 

≪赤城@akagi1.●●●●●≫

 えぇ。変わらない味、というものですね

 

 

≪翔鶴@syoukaku1.●●●●●≫

 @yamato2.●●●●●

 @akagi1.●●●●●

 お2人とも暢気すぎじゃありませんかね……

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 変わらない味と言えば、

 鳳翔! 間宮! 伊良湖! って感じでぇ……

 お料理チャンネルも、あぁ~^たまらねぇぜ! 

 

 

≪野獣@Beast of Heartbeat≫

 他にも歌系チャンネルなら、加賀にも活躍して貰うか! 

 デビュー曲の『加賀ダム』で、スタートダッシュを頼むゾ! 

 

 

≪加賀@kaga1.●●●●●≫

 加賀岬です

 

 

≪瑞鶴@syoukaku2.●●●●●≫

 加賀さんの怒ってる顔が見える見える……

 

 

 

 艦娘囀線に流れていく書き込みと、野獣が参加するオンライン会議の様子を交互に眺めながら、鈴谷は胸の中が少し熱くなってくるのを感じていた。鈴谷達が今まで生きてきた時間と、この鎮守府の外に流れている時間が、野獣を介して接続されているのを見ているからかもしれない。

 

 少年提督が居たころとは、多くのものが変わった。過ごしていた日常も、その表情を変えている。もう戻ることはないし、取り戻すこともできない。そして元通りになることも、少年提督も野獣も、望んではいないのだろう。

 

 いつか。この新しい日常にも終わりが来る。この鎮守府の日常は、少年提督が齎した時代に付随するものだ。深海棲艦達との睨み合いが終わり、海を巡るこの世界の状況が一変するとき、また別の時間と日常が流れ出すことだろう。

 

 鈴谷は、そっと息をつく。その遥かな未来において、この賑やかで馬鹿馬鹿しく、そして愛おしい時間を、思い出として温め直せる幸福を思う。過去が大きな意味を持ち、現在の鈴谷を形作っている。

 

 鈴谷は自分自身の居場所を確かめるように、その幸福の感触を味わい直すように、艦娘囀線へと何かを書き込もうとした。だが、もう少しだけ。この賑やかさを傍で眺めて居たいと思った。

 






 最後まで読んで下さり、本当にありがとうございます!
 最後の最後まで更新が非常に遅くなって、申し訳ありません……。
 暖かい感想とメッセージを寄せていただき、本当に感謝しております。
 
 次回作や新作といったものは、また書いてみたいと思っております……。
 また何か書かせていただいた時には、お暇つぶし程度にでも読んで貰えれば幸いです
 
 流行りのものもありますが、厳しい暑さも続いておりますので、
 皆様もどうか、御身体に御自愛なさって下さいませ。

 いつも支えて見守って下さるだけでなく、暖かく励まして下さり、本当にありがとうございました! 
 
 
 

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