新米提督苦労譚~艦娘たちに嫌われながらも元気に提督してます~   作:ぬえぬえ

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大切な人の『守り方』

 ―――――否定された。

 

 

 否定された、否定されてしまった。唯一の存在に、唯一だと思っていた存在に。

 

 

 『分かっていた』、とか。『知っていた』、とか。『もう最初から分かっていた』、だとか。

 

 

 そんな言葉がいくつも頭の中に浮かんでは頭を振って消し去り、口の手前まで競り上がっては空気とともに飲み込み、心蔵をむしばみ始めては握りつぶすように胸元を抑えつけた。

 

 

 いやだ、いやだ、いやだいやだいやだいやだいやだ。絶対いやだ、こんなのいやだ。こんな結末なんて認めない。こんな幕切れなんてありえない。

 

 まだゴールテープを切ってない、まだ最終コーナーに届いてない、まだ中腹すら超えてない、まだ第一コーナーさえも進んでない。

 

 いまだにスタートラインすら超えてない、走り出しておらず、ピストルすら鳴らず、スタートラインにさえ立ってない。

 

 

 そう、そうだ。まだ始まってもいない、スタートすら切っていない。なのに終わろうとしている、終わらせられようとしている。

 

 

 その証拠に、ついさきほど私は否定された。『提督』と呼び、その後ろをずっとついて歩いていた人。その人から否定を―――『私の提督』ではない、そう宣言された。そう言い放たれ、助けを求めた手を払いのけられてしまった。

 

 

 私は、彼の傍にいた。ずっとその後ろをついて、その背中に手を置いてきた。その筈だった。

 

 

 だけど、彼は拒否した。私がどれだけその後ろにいようとも、その背中に手を置こうとも、その手の届く範囲にいようとも。彼は決して、私に目を向けなかった。目を向けることも、手を差し出すことも、こちらの手を取ることもしなかった。

 

 

 その間も、彼はいろんな人に目を向け、手を差し伸べ、その手を取ってきた。いろんな人、いろんな娘、あの男もそうだ。何故か提督は周りを助けるくせに、私だけ(・・・)は助けてくれなかった。さっきだってそうだ、私がどれだけ傍にいても、手を置いても、声をかけても、手を伸ばしても、彼は見向きもしなかった。

 

 

 彼だけではない、新しい提督(・・・・・)だってそうだ。お互いの利害は一致しているのに、結局のところ私を利用するだけ。この計画から降りさせてくれないし、仮に成功したとしてもその先も保証してくれるのかも分からない。

 

 

 いや、都合のいいことを考えずに最悪(・・)を考えよう――――私はほぼ確実に消されるだろう。

 

 

 断言する。現時点で、私――――榛名の未来は詰んでいる(・・・・・)

 

 

 失敗すれば全責任を取って解体、成功しても不穏分子として排除される。もう、どっちに転んでも捨てられる(・・・・・)のだ。

 

 唯一の誤算は……いや、誤算だらけだ。誤算しかない。失策、失敗。それらすべての前に『致命的な』という形容詞が付くほど、私は詰んでいるのだ。

 

 

 もう、どうしようもない。どうしようもないのだ。さっきだって、もうなにもかもがダメだと気付いて、もう、ただ、どうにもならない今をどうにかしたくて、未来を変えたくて。自分がそうしてしまった未来(・・・・・・・・・・・・・)を、誰かに救ってほしくて。

 

 

 

 誰か(・・)に、見てほしくて。

 

 

 

「たしか」

 

 

 そんな言葉が私の口から洩れた。先ほどから今まで、今もなお荒い息を吐いたり吸ったりしながら、暴れ狂う心臓を抑えつけて、そろそろ悲鳴を上げ始めた足に鞭を打ち、引き摺ってでも、這いずっても、最高速度で進んでいく。

 

 ここで途切れさせない、絶対に繋げなければいけない。ここから挽回しなければならない、いや挽回でもない。とっととスタートを切らせないといけない。手に持ったピストルの引き金を引かせなければ、手に持った真っ赤な旗を上げさせなければいけない。

 

 

 景色がどんどん後ろへ飛んでいく。途中、誰かに声をかけられた気がした。が、今の私はそれを無視した。その声よりも、誰よりも、何よりも、その先に目指すべきものがあるから。その目指すべきものの元へ歩を、足を、身体を向かわせているのだ。

 

 

 まだ見えないゴールに向けて、そこにゴールがあるのかも分からない、ただあるはずだと信じるように――――すがるように。

 

 

 場所は知っている。一度、私は行ったことがあるからだ。

 

 ひどく遠い記憶の中にあるが、その時に感じた気持ちを―――『嫌悪感』をよく覚えているからだ。

 

 

 だけどずっと走り続けたせいか、今はそんな感情すら消え去っている。むしろ、どんな感情になっているのかすら分からなくなっている。

 

 頭はひどく冷静なくせに、これだけ走っているのに、心臓の苦しさも、熱も、音さえも感じない。ただ呼吸が少しずつ速くなっていく。心臓が今にもはじけ飛びそうな状態だ、という情報は理解している。

 

 

 『情報』のみを受け取るだけで、それ以外を拒否しているような感覚だ。いや、逆にそっちの方が都合がいいまである。今の私に、『情報』以外のことは必要ないから。それ以外を表に出してはいけないからだ。

 

 

 

 あの男に、感情(そんなもの)は必要ないからだ。

 

 

 目的の場所についた。そこは執務室から一番離れた、艦娘たちが暮らす居住エリアからも随分と離れた場所にある一室。以前、そこには大本営から派遣された整備兵や従軍医師など、初代とつるんでいた連中が寝泊まりしていた場所。

 

 

 そこには嫌な記憶がある。何度か、呼ばれたことがあるからだ。だが、今もここの役割は代わってない。大本営から派遣された人間が、今もここで寝泊まりをしているから。

 

 

 

 扉の前についた時、私は躊躇せずノックした。

 

 

「楓か?」

 

 

 すると、間髪入れずそう返ってきた。前に来たときは最初は無言で、何回か叩いた後にこちらから声をかけてようやく返事があったのに。今回はすぐに、そして同じようにどこか気の抜けた声が聞こえた。

 

 おそらく、現時点で彼の部屋に来るのは提督ぐらいだからだ。声はかけているが、どうせ提督だろうとタカをくくっているのだろう。

 

 

 そして、私は敢えてその問いに答えなかった。提督だと勘違いされていた方が都合がいいからだ。そして、少しの沈黙が過ぎ、扉の向こうからごそごそと音が聞こえ始めた。

 

 

「……どうした? 報告ならこの後上げに行くぞ?」

 

 

 次に聞こえてきた声。完全に提督だと勘違いしている。そして、扉の向こうで音が大きく、近づいてくる。

 

 

 聞こえてきた声色だが、返事がないことに不審に思っているよりも、何処か心配気味な声色だった。

 

 

 

 

 

 それが、何故か、どうしても気に入らなかった。

 

 

 

「おい、返事ぐらいしたら―――」

 

 

 扉が開くと同時に、声の主が出てきた。身長は提督よりも少し高めなので、ちょうど私の目線が彼の胸あたりになる。なので、私に見えるのは黒い軍服の胸元だ。その胸元、正確には襟に施された憲兵特別徽章がある。

 

 現れたそれは私の少し先でピタッと止まり、少しだけ下がる。見下ろされているような視線を受ける。しかし、それを前に私は視線を上げることなく、ただ彼の胸元で光る徽章を見つめる。

 

 

 そこからは沈黙だ。どれだけ長かったか、ほんの一瞬だったかも、あるいは程よい時間だったかもしれない。だが、それは私だけだ。

 

 今目の前にいる人は、()は、いったいどれだけの時間に思えただろうか。まぁ、今となっては、いや最初からどうでもいい(・・・・・・)ことなのだが。

 

 

 

「……どうした?」

 

 

 ようやく彼の時間が動き出したのだろう、どこかぶっきらぼうにそう問いかけてきた。先ほど提督だと勘違いしていた時とは違う、明らかに警戒する声色で。当然と言えば当然なのだが。

 

 

 

 

 何故か、私はそれがすごく嫌だった。

 

 

 

「……おい、はる―――」

 

 

 彼は、最後までその言葉を吐き出すことはできなかった。何故か、それは簡単だ。

 

 

 

 彼が吐き出しそうとした言葉ごとその口を、私の口が塞いだからだ。

 

 

 

 

 ふいにされた彼はうまく抵抗できず、勢いそのままに後ろへ下がっていく。その間、私は彼の口に全体重を彼に預け、その歩みを急かした。併せて、宙で遊んでいた彼の片手を手に取り、自身の胸に押し付けた。

 

 視界は黒い染まっている。ただ、口元の感覚と、寄り掛かった彼の胸から聞こえる心臓の音を感じるだけだ。彼の手を押し付けた瞬間その身体がビクッと跳ねて、こちらに抵抗する力が一瞬緩んだ。それに、とどめとばかりに勢いよく彼の身体を押し倒した。

 

 

 押し倒した先が運よく彼のベッド。そのまま、仰向けに倒れ込む彼に馬乗りの形になった。

 

 

 

 そこで初めて彼の顔を見た。

 

 

 そこに居たのは、目を見開きながら私を見つめる彼の姿。若干、頬が赤くなっている。その巨体に似つかわしくない初心な反応に、思わず笑みをこぼした。

 

 

林道(・・)さん」

 

 

 そう彼の名前を――――提督が役職名ではなくその名前を呼ぶことを思い出し、そこからその二文字(・・・)を引っ張り出して投げ掛けた。同時に、再び彼の手を取って自分の胸に押し付ける。

 

 すると、仏頂面だった彼の眉がはじかれたようにピンと跳ねた。その反応がおかしくておかしく、こみ上げてきた笑いを無理やり飲み込み、同時に片手で己のサラシを固く結んだ箇所へ伸ばす。だが、片手であるためどうもうまく外せない。

 

 

 

「榛名は……遥南(・・)はこの時をずっと待っていました……」

 

 

 

 外せない時間をごまかすように、私は努めて妖艶な笑みを浮かべながらそう言葉をかける。榛名(いつも名前)ではなく、遥南(真名)で。それを教えることがどれほど重い意味を持とうとも、言葉自体の意味のせいで吐いて捨てるほど軽い言葉になってしまう魔法の言葉――――まったくもって意味のない名前を。

 

 もう、彼の顔は見えない。いや、見る意味がないのだ。見えなくても関係ない、どうでもいい。意味がないから、その情報を排除したのだ。ただ、私が見えるのは、彼の襟元で光る徽章だけ。

 

 

「榛名」

 

 

 どこからか、()の声がした。いや、音かもしれない。幻聴かもしれない。なので、私はそれに反応することなくサラシを緩める作業を続ける。だが、どうも固く締め過ぎたのだろうか、全然外れる気配がない。

 

 

「金剛型戦艦三番艦、榛名」

 

 

 むしゃくしゃしながら、時間稼ぎのために己が冠する艦の名前を出す。さきほど出した真名(もの)よりも、ずっとずっと重い名前。私が私である理由と、意味と、存在意義と、ここを守る義務(・・・・・・・)を綴ったもの。

 

 

「榛名」

 

 

 また、音が聞こえた。音にしてどうもはっきりと、私の名前のように聞こえる。ただ、私が見えるのは、彼の襟元で光る徽章だけ。そこでゆらゆら揺れる光だけ。それしか確認できなかったのは、何故か私の視界がひどくぼやけていたからだ。

 

 

 

「憲兵あらため――――――林道さんとの『初夜』、参ります」

 

 

 その状況のまま、私はそう宣言した。

 

 かつてはここにいた人、先ほど私を否定した提督に向けた言葉を。そっくりそのまま、目の前の人―――ただの憲兵(・・・・)に。

 

 

 

 

 

 

 

 

「榛名」

 

 

 ふいに聞こえた()。それを聞いて、私の身体は止まった。

 

 

 それは何故か、何故だろうか。理由が分からないわけではない。これだろうという理由が複数個ある。

 

 

 一つはいつまでたっても緩まないサラシだ。頑なに緩むことなく、まるでその先に進んではいけないとでも言いたげに緩まってくれない。

 

 

 二つは視界だ。先ほどまでひどくぼやけていた視界がいきなりクリアになり、同時に彼の徽章に映り込んでいた光がいきなり下へ動き出し、その直後に自分の手の甲に水滴が落ちたからだ。

 

 

 三つは顔だ。うっすらと徽章に映り込むひどくひどく歪んだ私の顔ではない―――もう一人の顔。

 

 

 クリアになった視界に現れた。徽章に映り込む私よりもひどく歪んで、何故か苦痛に歪み、そして誰よりも泣きそうな顔を左右に振り続ける、林道さん(・・・・)

 

 

 

 

 

「ダメだ」

 

 

 そして、その口から出た『否定』の言葉だ。

 

 

 

 

 

「やだ」

 

「ダメだ」

 

 

 無意識なのか、意識的なのか分からない私の言葉を、彼は即座に『否定』した。同時に、また手の甲に水滴が落ちた。それも複数、今もない頬にそれが伝っている。

 

 

「やだ」

 

「ダメ」

 

 

 また漏れた私の声を、彼が『否定』する。サラシを解こうとしていた手はすでにそこになく、ただゆっくりと上下する彼の胸に置かれている。

 

 

「やだ、やだぁ……やだやだやだやだぁ」

 

「……ダメだ」

 

 

 ついぞ漏れ始めた私の音を、彼が『否定』する。自身の胸に押し付けていた彼の手は、いつの間にか離れていた。離れた私の手は、今度は自身の顔に押し付けた。そこからとめどなく溢れてくる水滴―――涙をぬぐうために。

 

 

 

「ダメ―――」

 

「だからなんでよォ!!!!」

 

 

 彼の『否定』をかき消すように、それを『拒否』するように大声を上げる。大声を上げ、涙をぬぐっていた手を思いっきり彼の胸に振り下ろす。鈍い音ともにじんわりと痛みが広がり、併せて彼の口から小さなうめき声が漏れた。

 

 

 だが、それだけだった。

 

 

 

「なんで、なんで何もしてくれないの!! 私は、わたしは……わだじはァ!!」

 

 

 もう、自分でも何を言ってるのか分からない。訳の分からない言葉を叫びながら、彼の胸に何度もこぶしを振り下ろす。うめき声すら聞こえなくなった、いや私の声がかき消しているのだ。

 

 

「分かってる……分かってるよ……私がやってきたこと全部間違えてる(・・・・・)って!! そんなの私が一番分かってるよ!! 勝手に間違ったことをやって、勝手にすり減って、自滅してるだけだって!! そんな自業自得な私なんか誰も助けないって!!」

 

 

 よく分からないことがとめどなく溢れてくる。(主語)はあれど目的(述語)方法(補語)もない。

 

 

 ただ『現状』という断崖絶壁を前に泣き叫んでいる、あるいはその上から飛び降りようとしている自分に、何故手を差し伸べない(・・・・・・・・・・)のだと喚き散らす。自分勝手で、我儘で、無責任な(存在)

 

 

 

「やれるだけやって、できることは何でもやった!! だけど、だけどなにもかも上手くいかなかった!! どうしようもなかった!!」

 

 

 嘘だ。本当はもっと方法があった。あるのを知っていたし、できたし、余裕もあった。それをしなかったのは私の、(お前)自身の怠慢だ。それを棚に上げて、お前()は責任を押し付けるだけだ。

 

 

「だから、だからこうして、こうして自分を犠牲にして(・・・・・)やるしかなった!! 一番つらい目に遭っているのが私だから、誰も何も言わないだろうって!! なのに……なのに誰も何も言わなかった(・・・・・・・・・・)!! これだけしんどい思いをしてる私を見て、一言も声をかけなかった!! 顧みなかった!!」

 

 

 バカなことを言うな。お前が『何も言われないようにした』んだろうが。そのくせ『誰も言わなかった』なんて、勘違いも甚だしい。全部、全て、なにもかもが『お前のせい』だろうが。

 

 

「そんな、そんな私を、可哀想な私(・・・・・)をあなたは否定するの? こんなに頑張って、こんなにしんどい思いをして、その上で身を心も全てをすり減らして!! ボロボロになって!! どうでもいい奴なんかに身体を許して!! そこまで、そこまでしているのに……私を、そんな私をアナタ(・・・)は、なんで貴女(・・)は否定するの!!!!

 

 

 ふざけるな、ふざけるな。そんなこと、お前が勝手にやっただけじゃないか。勝手にしんどくなって、辛くなって、周りに当たり散らしている『悲劇のヒロイン』になってるだけじゃないか。今もこうやってヒステリックになって、地面にはいつくばって、めそめそ泣いているお前(・・)が、『可哀想』って言ってもらいたいだけじゃないか。

 

 

「私が、私がどれだけ……どれだけ貴女の、貴女のためにやってきたと思っているの……? なのに、なんで貴女は行ってしまったの……? なんで貴女はここにいないの……?」

 

 

 

 

 

 私の問いに、何も返ってこなかった。

 

 ついさっきまで、あれほどやかましく、あれほど冷静に、淡々と、お前()を糾弾していたじゃないか。

 

 こっちの気も知らないで、好き勝手に私をけなして、蔑んで、『全否定』してきたじゃないか。

 

 

 

 なのに、なんで今()は何も言ってくれないの、あの時(・・・)みたいに罵ってくれないの。

 

 

 

「……急に静かになって、どうしたのよ? 早く……早く何か言い返しなさいよ? 早く否定しなさいよ? 早く『それは違う』って吐き捨てて、私の胸倉を掴んできなさいよ?」

 

 

 更に問う。何も返ってこない。

 

 そこに居るんでしょ? 早く掴みかかって来てよ、早く引っ叩いてきてよ。

 

 早く視界の中に、手の届くところに、目の前に来てよ。

 

 

 

「ねぇ……ねぇ? 早く、早くぅ……」

 

 

 

 私の視界は相変わらずぼんやりしている。ぼんやりしているが、なんとなくだが私の両手と、その下に人がいるということは分かる。

 

 

 そこに居る人の胸には、黄色のような装飾みたいなものがついている。

 

 

 それは襟元にあって、そこから胸の前あたりまで伸びていて、そこでもう片方の襟から伸びた同じものと結ばれている。その下にあるのが白地の着物に見えるから、先ほどのところは『掛け衿』だろう。白地の下には赤い掛け衿が見えた。

 

 

 それは、まるで巫女服(・・・)のような格好だ。

 

 

 

「榛名」

 

 

 ふいに名前を呼ばれた。頭上から聞こえた。それにゆっくりと顔を上げ、声が聞こえた方に、下にいる人の顔を見る。

 

 

 相変わらずぼやけた視界には、その人のシルエットが見えるだけだった。

 

 

 黒髪の、肩につくくらいボブヘアー。頭にはよく見た黄色のカチューシャを付けており、ちょうど目のあたりに大きな丸のようなものが2つ(・・)見える。

 

 

 それは、先ほど私を口汚く罵っていた存在だ。私のやってきたことを全否定して、突き放して、私が抱え込んだ苦痛の全てを『無意味』と切り捨てた存在だ。

 

 ここからいなくなってしまった存在だ。もう会うことさえできない存在だ。会ってくれない、帰ってきてくれない、顔も見せてくれない、言葉も交わしてくれない、手も伸ばしても、決して掴んでくれない存在。

 

 

 自分勝手で、我儘で、中途半端なくせに気概も能力もない、ただただ弱いだけの()が。

 

 

 その身を削ってまで、身を粉にしてまで、しんどい思いも嫌悪も恨みも怒りもすべてをひっくるめて、飲み込んで、腹の底に落として、何とか消化し切ったんだと嘯いてまで守ろう(・・・)としたもの。

 

 姉様たちが身を挺して守ろうとしたもの。その中に含まれ、守られるのが常であった(三女)が唯一姉として守れる立場に立てる存在。

 

 

 守るべきもの、守りたいもの、とても大事な、大事な(四女)が。

 

 

 

 

 

 

 

「今、誰が(・・)見えている?」

 

 

 

 唐突に聞こえた男の声(・・・)。それと同時に、また涙が瞳からこぼれ、視界がクリアに―――目の前にいる憲兵の顔(・・・・)が現れた。

 

 

 そこにあったのは、何の感情の全てをそぎ落としたような、無表情だった。

 

 そしてその顔はまったくもって似ていないはずなのに、あの時と被っていた。

 

 

 

 

 私を『全否定』した―――最後に会った妹と。

 

 

 

 

 声が出なかった。息もできなかった。頭の中が全部空っぽになって。ただ胸の奥がキュッとなって。

 

 

 ただ、じんわりとした痛みを―――あの時と同じ痛みを覚えた。

 

 

 

 

「ごめんなさ―――」

 

「今から」

 

 

 

 無意識にこぼれた私の謝罪を、彼はかき消すことで『否定』する。なおも、彼の顔は同じ無表情だ。

 

 

 

「今から、俺はお前にひどいことを言うかもしれない」

 

 

 次に聞こえた言葉。それは犯行声明と、宣戦布告ともとれるものだ。今から(お前)を害する、そう言っているのだ。

 

 

 

「だがもし違っていたら、『違う』と言ってくれ」

 

 

 だけど、次に聞こえたのは奇妙なもの―――私からの『否定』を請うたからだ。そういった時、少しだけ彼の表情が崩れた気がした。それも一瞬で消え去り、元の無表情になった。

 

 

「まず、榛名がここに来たのは、何か目的があったから。詳細は分からないが、とにかく何か用があったのは間違いないか?」

 

 

 次に投げかけられた言葉、いや質問。

 

 暗闇を手探りで進むというより、触れただけで壊れてしまうものを恐る恐る触れるような。柔らかい声色だ。

 

 それを受けて、私は何も言わなかった。

 

 

「……そうか。じゃあ、それはさっきやったことそのままの意味か? 本当に俺を押し倒しに来たのか?」

 

 

 次に投げかけられた質問。

 

 それを受けて、私は何も言わずに頷く。すると、ちょっとだけ彼の表情が歪むのが見えた。

 

 

「……じゃあ、どうでもいい奴に身体を許して、何をするつもりだった? そして、それは今までの提督にやってきたことか?」

 

 

 投げ掛けられた質問。先ほどよりも少し棘のある言い方ではあった。

 

 それでも彼の問いは『是』であった。大体、着任した提督には同じことをしていたのだから。それを行動で示すと、彼はちょっとだけため息を漏らした。

 

 

「目的は……まぁいいか。それで、あいつが振り向いてくれなかった……と」

 

 

 そこで彼は急にだまり込み、何か思案する顔になる。

 

 視線が私から外れたため、彼の横顔が見える。特に意味も感情もないが、私はそれをじっと見つめていた。

 

 

 あれほど見たくもないと、認識したくないと思ったはずのーーー私にはないものを持った男、提督に必要とされた男。そんな男を、私は見つめけている。

 

 おぞましいだけのはずだった、嫌っているだけのはずだった。妬ましい、憎らしい、羨ましい(・・・・)だけのはずだった。必要とされていることが、認められていることが、そこに居ていいと言われていることが。私以外に価値を認めらているが故に、無価値(・・・)な私と相容れない存在。

 

 

 だから、彼に向ける視線の全てを『妬み』で染め上げていたはずだった。その上で、どうでもいい(・・・・・・)と思った存在だった。私だけは、彼を『無価値』であると断じた存在だった。

 

 

 なのに、なのに私は、そのどうでもいいはずの存在を認知し、声を聞き、その言葉を待っている(・・・・・)

 

 

 

 そんなの、そんなのまるで――――

 

 

 

 

 

「……じゃあ、『あなた』ってのは、楓のことか?」

 

 

 ふいに投げ掛けられた問い、言葉。

 

 同時に、その視線が私を見据え、貫き、腹の底まで覗き込んでくるような。そんな感覚。それを真っ向から、一切そらすことなく、そのオレンジみを帯びた金色の瞳を向けてくる。

 

 

 最初に感じたのは、あまりにも節穴な目をしていることへの不快感(・・・)。確かに、彼は私にひどいことを言った。それで傷つき、不快に思い、胸の奥にグサリと刺さる感覚があった。

 

 何せ、彼のそれはまったくもって見当違いなのだから。

 

 

 

「違う」

 

 

 

 だから、私はそれを否定した。『見当違い』だったことが不愉快であり、傷つき、胸の奥にグサリと刺さったから。だから否定した。『全否定』してやった。

 

 

 そんなわけないだろう。そうだったらここまで(・・・・)来てない、とうの昔に解決している(・・・・・・)バカなことを言うな(・・・・・・・・・)、なんてどの口がいうと言われそうな言葉を飲み込んで、私は先ほどまで彼に向けていた視線をそらした。

 

 

 やっぱりそうだ、分かる訳ない。だってこれは誰にも言ったことがないのだから。

 

 

 なのに、なんで私は。この男に期待(・・)してい―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なら、霧島か?」

 

 

 次に聞こえてきた声。同時に、音が、呼吸が、時間が止まった。

 

 

 

「お前が言った『あなた(貴女)』ってのは、霧島のことか?」

 

 

 続けて投げかけられた言葉。私はそれに反応することなく、ただ背けていた視線を彼に戻すだけだった。

 

 

「お前をここまで―――どうでもいい男に身体を許さなければならないほどお前を追い込んだ(・・・・・)のは、お前を否定したのは、お前から離れていったのは、だから(・・・)傍にいてほしいのは、顧みてほしいのは、振り向いてほしいのは」

 

 

 

 最後に聞こえてきた彼の言葉(・・・・)。その時、私の視界には彼が映っていた。

 

 

「お前が本当に見てほしいのは、霧島なんだろ?」

 

 

 そう私に言葉を、確信めいた問い(・・・・・・・)を向けた、無表情ではない、何処か柔らかい笑みを薄く浮かべた林道さん(・・・・)がいたのだ。

 

 

 

「あ…………」

 

 

 その言葉を受けて、私は言葉にならない声を、ただの音を発した。

 

 

 それは何故か――――――私の喉は『否定』の言葉しか準備していなかったからだ。

 

 

 『否定』以外の言葉を発する気がなかったからだ。

 

 『否定する』だろうとタカを括っていなかったからだ。

 

 『否定する』ことしか考えていなかったからだ。

 

 『否定』以外の言葉を発する許可を得ていないからだ。

 

 

「……もしそうなら、『そうだ』と言ってくれ」

 

 

 そして、林道さんの口からそれが――――『肯定』の許可を得た。それを聞いた瞬間、あれほど動かなかった喉が、声帯が、肺が、言葉を発しようと動き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう……れふ……」

 

 

 

 ようやく発せたのは、やっと『肯定』できた。声にならない、蚊の鳴くような音―――榛名()の言葉だ。

 

 

 

 

「そうか」

 

 

 そして、私の言葉を、私のちっぽけで意味のない、吐いて捨てるほどの軽い肯定(言葉)を、林道さんは肯定(受け取って)してくれた。

 

 

 その時、彼の顔は。先ほどと変わらない、柔らかい笑み。触れたら壊れてしまうものを、細心の注意を払わないと爆発してしまうもの恐る恐る触れるような、そんなものではない。

 

 

 

 大切なものを見るような、そんな顔をしていた。

 

 

 

 

 

「じゃあ、今やろうとしていること(・・・・・・・・・・・)をすれば、霧島は見てくれるのか?」

 

 

 だが、次に向けられた言葉は。彼の口から飛び出した言葉(刃物)は、私の身体を、心を、容赦なく貫いた。

 

 

 

 彼は言った。これから私にひどいことをいうと―――――それは言葉通り、私を否定する言葉であった。

 

 

 それも質の悪いことに、自らが否定するのではなく私自身に否定させる言葉。まるで悪いことをした子供に、自分のやったことは良いことか悪いことか、と聞くような。敢えて羞恥心を覚えさせ、自らを否定させる言葉。

 

 

 その上で更に自分から否定の言葉を向ける、これでもかと見せつけて、もうこんなことをしちゃだめだと思わせるような。親や兄、姉が、子供や弟、妹に対して行うこと。

 

 

 私がこうすれば、そうすれば、こうできれば、そうできれば、そういえてさえいれば――――『今』が変わったであろうと、ちょっとだけ思い描いては無理だとあきらめたことだった。

 

 

 

 

 

「無理、です」

 

 

 そして、私は彼の望み通り――――私自身を否定した。せめて少しでも足掻こうと、次に飛んでくるである私を糾弾する言葉から身を守るように、彼の顔から―――――現実から視線を逸らした。

 

 

 これをするのは、もう何度目だろうか。

 

 

 もう数えきれないほど現実から目を逸らした。逸らすことで、誰かの言葉を拒否し、跳ね除け、受け取ることをしなかった。目の前にいて、私に声をかけ、手を伸ばし、差し出してきたであろうすべての人を。

 

 

 ついさっきの陸奥さんや蒼龍さん、加賀さん、大淀さん、長門さん、金剛お姉さま、提督―――――

 

 

 

 あぁ、そうだ。

 

 

 これをやった時。決まって目の前にいたのは、確か―――――

 

 

 

 

 霧島、だったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、どうすればいい?」

 

 

 

 

 ふいに聞こえた言葉。

 

 

 それは、初めて聞こえた言葉。

 

 

 いや、もしかしたら今まで何度も何度も言われた、投げかけられたかもしれない言葉。

 

 

 

「なん……て」

 

 

 

 無意識に、私の口からそれが漏れていた。同時に、視界が変わる。

 

 

 

 誰もいない、無機質な部屋の一角から。

 

 

 私の下で、振り下ろしたこぶしの、涙でぬれた黒い軍服の、その胸元に光る憲兵特別徽章の。

 

 

 そのすぐそばにある、先ほどの柔らかい笑みから、刺すような鋭い視線をこちらに向ける林道さんの顔。

 

 先ほどの笑みとは全く違うのに。そのくせ同じ雰囲気を、印象を、同じもの(・・・・)を見るような目。

 

 

 

 

 大切なものを―――――『守りたいもの』を見る目。

 

 

 

 

「俺がどうすれば、お前は霧島に見てもらえるようになる?」

 

 

 

 林道さんは私と目が合った時、こちらの目をまっすぐ見ながらそう問いかけた。

 

 

 目を逸らすな、ちゃんと受け取れ、俺はお前を見てる、俺はお前に聞いている―――――俺はお前を守りたい、と。

 

 

 自惚れていることを承知の上で言おう、彼はその言葉全てを目で語った。語ってくれた。少なくとも私はそう解釈した。都合よく、勝手に、思い込み甚だしく、そう解釈した。

 

 

 

 初めて、いや、ようやく私は認知したのだ。

 

 

 今までずっと欲しかった、傍にいてほしかった、一緒にいてほしかった、手が届かなかった、望むことさへ許されなかった、自らが目を知らし、目を塞ぎ、耳を抑え、なにもかもを拒否した、何人たりとも立ち入れない硬い殻の中に閉じ籠った。

 

 

 

 ―――――その殻をこじ開け、手を伸ばし、私を掴み、引っ張り上げてくれて、目を離さない、ずっと見続けてくれる、そんな稀有な存在だ。

 

 

 

 そんな存在が今、私に手を差し出してくれているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『明原提督の罷免、よろしくお願いいたします』

 

 

 ふと、そんな言葉が、声が、私の声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

明原楓(・・・)を、この鎮守府から追放してほしいのです』

 

 

 

 また聞こえた。それは私の声。つい数日前、提督に―――――柊木中佐に向けた言葉だ。

 

 

 

『簡単です。あの人が鎮守府(此処)に必要ないからです』

 

 

『提督との夜枷です』

 

 

『最初はそうしたんですが、どうも彼はそういうことに疎いようでしたので……なので、彼とそういう(・・・・)ことはしていませんよ』

 

 

『方法は同じですよ。ただ、対象(・・)を変えただけです』

 

 

 

 

 

 

 

 

『憲兵です』

 

 

 

 

 

 その言葉が聞こえたとき、体温が一気に下がるのを感じる。同時に、伸ばしかけていた手を、差し出された彼の手を掴もうとするのをやめた。

 

 

 

 そして、目の前にいる林道さんを―――――――憲兵(・・)を見たのだ。

 

 

 

『本来であればそうなんですが、どうも彼は明原 楓と旧知の仲だったそうで。最初こそ関与していませんでしたが、その能力を明原 楓が高く評価しまして、その右腕としてここ最近の進攻作戦に関与しています。それこそ、以前ありましたケ号作戦にも、憲兵は参謀として作戦会議の場にいました』

 

 

『今はその右腕として働いていますが着任当初は私たちに対して横暴な態度をとっていました。それは私たちに手を出させ、それを理由に此処を潰す大義名分を得るため、そう聞きました(・・・・・・・)

 

 

『しかし、それは明原 楓に丸め込められ、今はその側近としてふるまいつつ転覆の機会を伺っています。そのために、こうして情報を私に流しているのです(・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 次々に浮かんでは消えていき、また現れては流れて、心の隅に引っかかってそのまま揺れている言葉。

 

 

 それは私が作り出したカバーストーリー。嘘八百を並べたボロボロの台本。

 

 

 

 榛名()が憲兵と通じて、この鎮守府の情報を彼に流し、ともに提督を追い出そうとしている―――――――そんな、子供でも笑えない虚言の物語。

 

 

 七分の史実に、三分の虚構と呼ばれるように。事実と嘘を織り交ぜた巧妙な物語――――そんなもっともらしい皮を被った、バッドエンドしか用意されていない駄作中の駄作である。

 

 

 

 それに乗っているのは、進んでいるのは、足を引っ張って、腰にしがみついて、下へ下と引きずり降ろそうとするのは。一緒に地獄に落ちよう(・・・・・・・・・・)としているのは――――

 

 

 

 私と、憲兵()だ。

 

 

 

 

 

「ダメ」

 

 

 そう、私の口から『拒否』が漏れた。

 

 

 

 今更ながら、私は自分の行いを後悔した。数日前の自分に肩を掴んで、無理やり振り向かせて、そのクソみたいな気持ち悪い笑みを浮かべた顔にこぶしをたたき込みたいほどに。

 

 

 なんで私はこの人を、こんなにも稀有な人を。

 

 あんなクソみたいな、嘘八百で塗り固めた妄言の物語に。子供のイタズラでは済まされないことに巻き込んでしまったんだ。

 

 

 一番巻き込んじゃいけない人だ、一番遠ざけなきゃいけない人だ、一番守らなきゃいけない(・・・・・・・・・)人だ。

 

 

 そして、私は今なぜここに来た。

 

 

 それは彼を利用するためだ。この人を利用して、道具にして、使い捨てにして、自らの身を守るためだ。

 

 

 いや、そもそもここに来たところで何も変わらない。私が消されることも、彼が消えてしまうことも、決して避けられない未来だ。

 

 今のままでは、絶対に訪れてしまう最悪の結末だ。ブレーキのない車はもう止まれない、止めれない、止まることは許されない。

 

 

 

 

 ―――――じゃあ、これからどうするか。そんなの決まっている。

 

 

 こんな最低最悪の未来から、どうにかして彼だけ(・・・)でも回避させなければならない。

 

 この絶望的なレースから、彼を脱落させなければならない。スタートラインに立ち、今まさに走り出そうとしている彼を、どうにか棄権させなければならない。

 

 

 幸い、まだピストルが鳴っていない。そのことを、私は心の底から感謝した。まだ、間に合う。まだ、彼をここから遠ざけることができる。

 

 

 

 

 

 まだ、(ここ)から離れさせることができる。

 

 

 

 

「榛―――」

 

 

自惚れないでください(・・・・・・・・・・)

 

 

 

 彼の言葉を、私は『否定』した。拒否ではなく、『否定』だ。

 

 

 そういった時、彼の顔は呆けたものになった。予想外だったのか、何故だ。そもそも彼は憲兵で、私は艦娘だ。提督ならまだしも、憲兵に艦娘をどうこうする権限はない。

 

 

 

 端っから、ここに来る意味は、必要はなかった。これまぎれもなく『事実』だ。避けようもない、揺るがすことのできない『事実』なのだ。

 

 

 

 

「提督ならまだしも、ただの一憲兵(・・・・・・)に何ができるんですか」

 

 

 だから思ったことを、頭に浮かんだ言葉をそのまま投げ掛けた。

 

 

 いや、ちょっと違う。

 

 正確には、浮かんだ言葉にこれでもかと棘や刃を付けて。確実に受け取った相手を傷つけるようにしてから投げ掛けたのだ。

 

 

 それを受け取った、傷ついた彼はどんな顔をしていただろうか。それを知ることができなかったのは、彼から向けられるものが何か、正面から受け止める勇気がなかったから。

 

 

 

 彼が浮かべる『痛み』を、見たくなかったからだ。

 

 

 

 

 

「じゃあ、なんでお前はここに来た」

 

 

 次に聞こえた林道さんの声。

 

 それは先ほどの穏やかなものではなく、明らかに別の感情――――『怒気』を孕んでいた。

 

 

 それは至極当然の疑問だろう。だが、生憎それに相応しい答えを、私は持ち合わせていない。なので、何も言わずに黙るしかできなかった。

 

 

 この感覚、なつかしい。そうだ、私はこうやったんだ。こうやって守ろうと、守るために遠ざけてきたんだ。

 

 

 

 

 

 こうやって守りたかった人が―――――霧島が離れていったのだ。

 

 

 

 

「答えろ」

 

 

 

 なおも、彼の声が聞こえた。

 

 相変わらず怒気は孕んだまま。だが、それでも離れる様子がない。

 

 

 と、思ったが、ここは彼の部屋。彼の居場所だ。離れられるわけがない(・・・・・・・・・・)。であれば、できることは一つ。

 

 

 

 

「突然お邪魔してすみませんでした。先ほどのことは、忘れてください」

 

「……は?」

 

 

 林道さんを一瞥することもなく、そういいながら馬乗りになっていた彼から離れる。彼は私の言葉に面を食らったのか、すぐに動けなかった。そのおかげで私は彼からたやすく離れることが――――否、離れさせること(・・・・・・・)ができたのだ。

 

 

 

 

「おい、榛名!! ちょ、待てって!!」

 

 

 

 だが、そこから彼は早かった。扉に近づく私の腕を掴んで、引き留めたのだ。振り払おうとしても、固く結ばれた彼の手を引きはがすことができなかった。

 

 

 

 

 

「やめてください、迷惑です」

 

 

 だから、私は代わり(・・・)にこういった。

 

 

 すると、あれだけ離れようとしなかった林道さんの手が、スルリと離れた。視界の外から、息をのむ声が聞こえる。それを無視して、私は扉へと進み、ドアノブをひねる。

 

 

 

「では、失礼しま……」

 

 

 ひねったノブを押して外に出て、今しがた開いた扉を閉めるために後ろを振り返る。その先には、呆然と立ちすくむ林道さんを見て、私は言葉を詰まらせた。

 

 

 それは何度も何度も目にして、目にしては逸らして、視界の中に入れないようにし続けたそれを見たから。

 

 

 

 守りたいと切に願ったはずの、心の底から大事にしたいと思った人の――――大切な人の、最も見たくない泣き顔(・・・)を見たからだ。

 

 

 でも、そこで止まることはなかった。なぜなら、そのあとに行うべきことが分かっていて、今まで散々やり続けてきたことだからだ。

 

 

 

 

 

「榛名は、大丈夫です」

 

 

 

 そういって、私は、榛名は微笑む。そのまま、返事を待つことなく扉を閉めた。返事を待たなかったのは、今まで何も返ってきたことがなかったから。

 

 

 

 これを以って、私から離れさせたと確定したからだ。

 

 

 

 

「ねぇ」

 

 

 

 ふいに声をかけられた。振り返ると、そこにいてほしくない。いや、ある意味いてほしい存在。

 

 

 

 彼を私から離れさせる決定的な存在―――――柊木中佐(・・・・)の艦娘、伊勢さんがいた。

 

 

 

「申し訳ありません、憲兵が心変わりしまして、楓提督側についてしまいました。もう、彼はこちら側ではありませんし、協力を仰いでも無理でしょう。今後彼に関わると、こちらの情報があちらに筒抜けになります。今後一切、彼に接触することはやめてください(・・・・・・・・・・・・・・・・)。そう、柊木中佐にお伝えくださいますか? そうすれ――――」

 

「あのさ」

 

 

 流水のように吐き出した私の言葉を、伊勢さんは途中で遮った。そして刃物のような視線を、凡そ味方に向けるべきものではないそれを、味方であるはず(・・・・・・・)の私に向けてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「その言葉、信じると思う?」

 

 

 

 そう、彼女は言った。いや、吐き捨てた。

 

 それは何故か、私の言葉が信じるに値しないからだ。吐いて捨てるほどの言葉、踏みにじってもいいと思えるほど、『無価値な言葉』だからだ。

 

 

 

 同時に、彼女がいつから(・・・・)ここにいたのか。なんとなく分かった。

 

 

 そうか、そうだよね。だって榛名は、私はもう詰んでいるんだ。ここで何を言ったところで、このゴールは変わらない。変えられないし、変える資格もない。

 

 

 

 そう、これは私に定められた結末―――――――運命なのだ。

 

 

 

 

 

「これが運命ならば……受け入れます」

 

 

 

 そう、漏らした。漏らして、伊勢さんに笑みを向ける。

 

 

 すると、険しかった伊勢さんの顔が崩れた。呆けたものでも、敵意に満ちたものでもない。

 

 

 

 

 

 

「なによ、どいつもこいつも……」

 

 

 そう歯を食い縛りながら漏らす。ただただ、悔しそうな顔だった。だが、それもすぐに無表情になった。

 

 

 

「……今、ここに私しかいない(・・・・・・)。あなたは工廠にいて、次の出撃の準備をしていた。それでいい?」

 

「いいんですか? このまま見逃して……」

 

「今の私に、他鎮守府の艦娘をどうこうできる権限はないからね。どうするかは、うちの提督に判断してもらうわ。だから、私から言えるのはこれだけ」

 

 

 

 伊勢さんはそういって私に近づき、肩に手を置いた。

 

 

 

 

「せめて、悔いのない様に(・・・・・・・)しなさい」

 

「……はい、榛名は大丈夫です」

 

 

 

 そう言葉を残して、彼女は歩いて行く。同時に、私も歩き出した。

 

 

 後ろから扉をノックする音が微かに聞こえた気がした。でも、それをかき消すように私の口から言葉が漏れた。

 

 

 

 

「私は、大丈夫じゃないです」

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