西園寺郁(かおる)は幼い頃から苛めを受けていた。しかし郁は独自理論によって苛め相手を分析し弱点を暴きあざ笑っていた。
大学を卒業した郁は西園寺財閥の力を使い国家レベルの復讐劇を展開していく。

1 / 1
カオル編

 

【挿絵表示】

 

 

西園寺郁(かおる)は幼い頃から「豚」と呼ばれていた。

子どもの頃から豚扱いされていた。

 

日本経済に十分な影響力を持つ西園寺財閥のご令嬢ということもやっかみの原因だったのだろう。

 

けれども郁の容姿はとくに他者と変わったところはない。周りは気に入らない郁の存在そのものを豚と呼んでいたのだろう。

郁はきっと人が一生かけて受ける嫌がらせを小学生の頃にすべて享受していたのかもしれない。体から痣(あざ)や傷が消えることはなかった。

中学に行っても郁は同様の扱いを受けていた。

しかしそれを親や先生に言いつけることはしなかった。

言っても無駄だということは幼い頃から理解していたからだ。

 

どんなに咎めようと苛める人間の本質は何も変わらない。

苛めを止めるのは一時的なことだ。

また奴らは苛めはじめる。

郁はそう思っていた。

郁は現在の両親とは血が繋がっていない。

郁は西園寺家の養女である。

養女になった経緯は実の親からも聞かされていない。

 

はっきりと明かされていないが郁は幼少のときから大人なみの知能を有していて、それが西園寺家の目にとまったのだろうと思う。

 

養女になったはじめのころは徐々に生活環境を変えていこうとの計らいで自宅と西園寺を交互に住処としていたが、いつの間にか自宅とは疎遠になっていた。

 

西園寺家に住むことに何ら不満はなかった。

だから与えられた境遇を抵抗もなく何も考えずに享受した。

少女という世代ながらも、きっと世の中というものに辟易していて自分の人生なんてどうでもよいと思っていたのだろう。

幼い頃に西園寺家の養女となった郁は、あらゆる英才教育を受けた。

普通子どもが習う一般的な学習内容の他、哲学や論理学や心理学や最先端の経済学や経営学などの高度学問にも触れた。もちろん幼い郁がそのすべてを理解できたとは言えないが高度な英知の塊は彼女の感性を研ぎ澄ましていった。

郁はある時から苛められる事を苦に思うどころかむしろ楽しむようになった。

郁はこう思っていた。

 

〝豚を苛める彼らの方がよっぽど本質的に豚なのだ。奴らは本質的に弱く脆弱な存在なのだ。故に弱者を攻撃するのだ。攻撃することによって自分の本質的弱さを巧みに隠せるのだ。攻撃している間は自分の脆弱さに気づかずにいられるのだから。″

 

〝しかし弱者が自分の傍からいなくなって一人になった時に自分の脆弱さが露呈する。奴らの「自我」は傍に弱者がいることによって成り立っている。また、その価値を共有する下賎の集団の中にいてこそ安っぽい「自我」を保つことができる。一人になると不安と恐怖に苛まれる。自分の弱さが露呈しそれに気が付き始めるのだ。

 

〝哲学者パスカルは著書『パンセ』で「人間は一本の葦であり、自然のうちでもっとも弱いものにすぎない。しかし、それは考える葦である」つまり人間とは孤独で弱い生き物だが考えることができることは偉大であり尊厳があるとした。しかし下賎な存在である苛める奴らは「考える葦」ではなくすぐに折れてしまうただの「葦」だ。だから脆い者同士が集まって茂みをつくる。茂みをつくって集団になることによって自分の脆弱さ誤魔化すことができる。

 

またソクラテスは言う「無知であるということを知っているという時点で、相手より優れていると考える」と。私の場合は「私は奴らの人間が持つ弱さを熟知している。しかし奴らは自分の弱さにすら気が付いていないし直視をしようとしない。だから私の方が奴らより優れている。そう奴らは豚に見下される豚共」とでも言えようか。

 

郁は苛める奴らの〝弱さ″を徹底的に分析しあざ笑っていた。

どんな嫌がらせを受けても心の奥底で奴らを見下し言い知れぬ悦びを感じていた。

奴らの郁に対する苛めはエスカレートしていったが郁はむしろそれを楽しんだ。しかし苛める奴らは自分の中で沸き起こる苛立ちの原因をとうてい理解できない。郁はそれを分析し冷笑する。外面的には「奴らの郁への苛め」だが、郁の精神世界においては「郁の奴らへの苛め」であった。

郁は苛めに対してこのような独自の反抗方法を展開していた。

 

高校に進んだ郁は心の内奥に積もった負のエネルギーを学問芸術へと昇華していった。

自身のルサンチマンを正のエネルギーに変換させることも出来た。

 

歴史においての革命などの社会変革の原動力は民衆の激しい怒りの感情であった。

世の中に虐げられていた民衆のルサンチマン。この怒りが必然性と融合した時に社会を大きく変革できる。郁は独自の国家設計を考える女子高生だった。

後に郁は東京大学法学部を主席で卒業し官僚へともなろうとせず、その後は西園寺グループの総帥西園寺爾(みつる)つまり義理の父親のもとで早くから後継者として歩み始めた。

 

なぜ西園寺爾が女性でしかも実子ではない郁を後継者にしようとしているのかは不明であるが、郁の才能を愛しており才能の開花させるには負の環境で育てるべきとの考えを持っていた。爾の細君に溺愛されている実子にはそれができなかったが、養子である郁の学校生活での虐めの負荷に対してはそれ可能であった。

 

幼いころからの苛めは爾によって設計されれいたものであり、郁はこのことを生涯しることはない。

 

西園寺グループの動向は日本の政界や経済に大きな影響を及ぼしていた。

西園寺系の企業の株価が1円下がるだけで10万人の失業者が出る程だ。

逆に1円上がると10兆円規模の利益(GNP)が生まれるとされた。

また日本の全ての上場企業・金融・官組織から小さな町工場に至るまでが西園寺グループの恩恵無くしては成り立つことができなかった。

西園寺グループの支配者になることは実質的には日本の支配者となることであった。

郁の経営手腕や組織の統率力は総帥である爾に高く評価されていた。

郁は若くしてグループ運営のかなりの程度を任されていた。

 

郁は考えた。

 

「西園寺の力を使ってこの世から下賎な奴らを駆逐しよう。さあ苛めの復讐の幕開けだ。」

 

郁は堰を切ったかのように、次々を私怨にまみれた施策をかかげる。

 

まず郁が取り組んだことは憲法の改正だった。具体的には憲法第九条の改正である。

 

「無価値で害を成す豚共を死刑にするか戦場に送ろう。特に過去に〝苛め″の実績があった奴を徹底的に調べ上げてやる。」

西園寺財閥は共産党を除く与野党全ての政党や所属議員の最大スポンサー企業である。

 

「憲法九条の改正」はあっさり衆参両議院で通過した。

 

つづいて国民投票であるが西園寺財閥はあらゆるマスメディアを財力でコントロールしている。世論を操作することはたやすいことである。

そして国民投票では4分の3の賛成票を集めた。

戦後から一度も改正されることがなかった日本国憲法第九条はあっさりと郁の力で改正された。新憲法九条は文民(民間人)からも徴兵できることを明記している。

 

「よし豚狩りを始めよう」

郁は内閣を通じ警察・検察機構に働きかけ、過去20年間に苛めの実績があった者をリストアップさせ収容させた。もちろん過去に郁を苛めた奴らも含まれている。収容された人間はというと基本的人権をはく奪され豚としての生活が始まる。過去の苛めが悪質だった場合は新たに再編成された防衛省委託の民間紛争対策会社の特別歩兵として世界の紛争地域に送られる。

 

「金は出さないが、血は流す。」

 

時の総理大臣は国連会議の席でそう言った。これは郁が「言ってやれ」と命じたことである。

これで国際社会が日本を甘く見ることはなくなった。

世の中からは「苛め」の犯罪件数は激減した。「苛め」の定義は幅広く「幼児虐待」「性的虐待」「老人虐待」「障碍者虐待」などもこれに含まれる。特に郁は「幼児・児童虐待」についての罪を重くし独自の過度ともいえる児童保護法を制定した。

大人としての資質がないいわゆる「子供大人」が無責任に子どもをつくって育児放棄しさらには虐待に及ぶことは郁にとっては我慢のならないことであった。

育児放棄・虐待の罪を犯したものは即刻死罪とした。この恐怖のルールにより子どもをつくろうとする者が減り一時的に日本の出生率は下がったが、その対策として郁は文科省の教育指導要領改変において大人育成カリキュラムを充実させた。

また「国民」であることを、国家資格とし大人になるには国家試験をパスし国民IDを取得しなければならない。

IDの取得無しでは、行政サービスはおろかコンビニで買い物すらできなくなるので、それを取得せずに子どもをつくることは不可能である。

そしてIDは18歳までに取得しなくてはならない。出来ないと戦場に送られる。それを回避しようと必死で取得しようと努力し多くの若者が本当の大人になっていく。

 

人口は減ったが、IT化が急速な進化を遂げ、国民はFUJIと呼ばれる国家運営のスーパーコンピュータのアルゴリズムが導き出した指示通りに動いてさえいれば少人数の人口でも国家の運営は賄われた。

 

世界の資本主義による支配は古いものとされ、合理的で予算の掛からない郁の発明した政治システムは、多くの国が追随することになった。

人材・物資・資金を多く消費する戦争や紛争の手段は不合理なものと計算され、多くの国はそれを採用し各国の軍事費は徐々に削減されていった。

 

郁の国家運営方法は、一見暴力的な政治だが、そもそも政治とは暴力であるとドイツ経済学者マックス・ウェーバーはいう。本質的にはそういうものであると郁は考える。

郁の築いた国家体制に異を唱えるものはもちろんいた。しかし郁はそれを暴力でねじ伏せることはしなかった。あくまでも言論でこれを論破していった。

 

かくして郁の政策は成功し「苛め」というものはもはや過去のものになり絶滅した。

 

日本には世界から優秀な人材が集結し、国家水準が上がりGNPは世界トップとなっていた。西園寺郁は世界経済をも動かすようになった。

 

そして

「今度はどこの国の豚共を駆逐してやろうか。あの独裁国家の豚野郎どもにしようか。まずは金融を乗っ取るか。それから官を支配し民をコントロールし、法を思いのままにして、また豚共を収容する法律をつくればいい。」

と考えていた。

 

 

「豚を苛める彼らの方がよっぽど本質的に豚なのだ。」

 

 

ふと郁は中学時代に自身が言った言葉を思い出した。

 

「結局、自分が一番豚だったんだな。」

 

郁は高層ビルの最上階からどこか無機質な夜景を見下ろしながらさびしく笑った。

 


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。