Fate/AntiGod 作:グラビティ
初めて彼女と出会った時、
氷のように冷たい紫の瞳。
この世の全てに絶望したかのようなその無感情な表情。
フランス解放の為に立ち上がった聖女がいるという話は私も聞いていた。
ただ聖女というものはもっと清らかで、凛々しいものを想像していた。
いや、その外見はまさに清らかな聖女そのものなのだ。
白に近い金色の髪に心の底から笑えばきっと、美しいのであろう透き通った顔立ち。
だがその内側には何かどす黒いものを内包していて――とても聖女と言ってもよいものなのか私には判断することができなかったのだ。
彼女はまだ
わかりやすく言うのならば戦場に女子がいるなど邪魔でしかなく、つまり煙たがられていたのだ。
彼女はそんな彼らを冷ややかな目で見つめた後、こう言った。
――剣を取って頂けませんか?
その言葉が一体何を意味しているのか、将軍たちにわからぬはずもなかった。
こんな片手でへし折れそうなほど華奢な首しか持たない
それは暗に、この決闘で私があなたたちを叩きのめしますから、叩きのめされたらおとなしく私に従いなさいということを告げていた。
ある者はそんな彼女を嗤い、またある者は調子に乗った田舎の小娘を懲らしめてやろうと身を乗り出した。
私は止めようと思った。
戦えばきっと無事ではすまないと、そんなことは一目瞭然だったのだから。
だがそんな心配はただの杞憂に過ぎなかった。
彼女が、立っていた。
その周りに呻き声を上げて惨めに地に伏す男たちを尻目に。
その身のこなし、剣筋、その何もかもが一流だった。
屈強な男の剛剣を流麗な足捌きで避け、あるいは手にした細身の剣で受け流して。
カウンターの一撃を容赦なく、叩き込む。
あまりに洗練されたその動きはもはや芸術の域に達していると言っても過言ではないのかもしれない。
それほどまでの……圧倒的な力の差だった。
聞けば彼女はしがない農村の出身なのだそうだ。
農村の小娘がこのような剣技を修められるはずもないことはあきらかだ。
それこそ何度も何度も死地を切り抜け、その果てにしか習得できないであろう、凄まじき剣の冴え。
とにかくそれ以来、誰もが彼女を認めた。
彼女の凄まじさは剣による実力だけではなかった。
軍を率いるための指揮能力、さらには戦術構築能力、まるで今後如何なる展開になるかを予期しているかの如く、敵軍の攻め所を的確に把握し、時には自ら旗を掲げて先陣を切って戦った。
オルレアンをイングランドの者の手から解放したのはそれから間もなくしてのことだった。
オルレアンの防衛軍と合流した彼女率いる軍は次々に包囲砦を陥落させ、一週間も掛からぬうちにイングランド連合軍を撤退させたのだ。
歓喜に酔いしれる住人に、馬に跨った少女はそれこそ聖女のような清らかな微笑みを浮かべて住人の声援に手を掲げて応えていた。
しかし、その笑みが偽りのものであるということを、私は知っている。
オルレアンが解放されて間もなくしてのことだった。
私は旗を手に戦場を一人、静観する彼女を見たのだ。
私はそんな彼女の隣に並び、戦場を見つめた。
おびただしい数の血があたりに滴っていた。
大地に突き刺さった剣や槍、そして矢は数知れない。
そんな光景を見て、私はこの戦がどれだけ凄絶なものであったのか改めて実感させられた。
同時に、このような戦によく我々が勝てたものだと。
無論、隣に立つ彼女の功績によるものが多大なものであるということは言うまでもないことであったが、それでも神のご加護がなければ勝てるものではなかっただろう。
全ては神の導き――神に、そして貴女に感謝を――。そのような旨の言葉を告げると、彼女はその無機質な瞳でこう言ってきたのだ。
――神に慈悲なんてありませんよ。
結局全ては自分たちの手で切り開かなければならないのだと、この戦の結果は練りに練った計略の元、血のにじむような思いで手繰り寄せた結果なのだと、そう告げた。
そこに神や天使の介在は存在しないと――彼等が助けてくれることなどないと、それは自分たちの信仰する神を否定――否、拒絶する言葉だった。
神という存在に絶望し、拒絶し、吐き捨てるような彼女の言葉。
その時の彼女の無機質な瞳には明確に歪んだ暗い殺意がありありと込められていて、私はそんな彼女にかけられる言葉を見つけることができず、その間に彼女は身を翻し、戦場を後にした。
オルレアンへの凱旋も間もなくして彼女はロワール川沿いを制圧しつつ北フランス中部のパテー近郊で行われた戦でも勝利を収め、ついにランスへの道が確保された。
シャルル七世は彼女と共にランスのノートルダム大聖堂まで到達し、念願のシャルル七世の戴冠が実現されることになる。
戴冠されるシャルル七世の姿に、彼女はそれこそ聖女のような微笑みと共に拍手を送っていた。
だが、その瞳は決して笑ってはいなかった。
無感動までに色を失った、彼女のあの瞳だった――。
それから間もなくして、彼女はシャルル七世よりパリの解放を指示された。
当初は厳しいながらも戦いを優位に進めていた彼女であったが、相手側のブルゴーニュ公国軍に6000人の援軍が到着したことから彼女はこの戦の敗北を悟った。
彼女は少数の兵士と共に殿として戦場に残ったのだが……その時、彼女は気になることを呟いていた。
――結局、こうなるんですね……。
その言葉が一体どのような意味なのか、私は問うことができなかった。
その時にはもうすでに彼女は私に軍撤退の簡潔な指示を飛ばした後、旗を片手に迫りくる敵軍の方角へ駆けていたからだ。
その後ろ姿を最後に私が彼女と言葉を交わすことは二度となかった。
殿を務めたあの戦いで彼女は胸に矢を受け、敵の捕虜になってしまったからだ。
本来なら捕虜は身代金と引き換えに身柄を引き渡すというのがこのご時世の普通であったのだが、彼女は異例の経過を辿ることになった。
異端審問にかけられることになったのだ。
私はあくまでその場に駆けつけられなかった故、これは後に聞いた伝聞でしかないのだが、異端審問の間、彼女はずっと薄気味悪く笑っていたのだという。
フランスでこそ
彼女のそんな微笑みはそんな彼らを嘲笑していたのかもしれない。
そんなに必死にならなくても、おとなしく処刑されてあげますよ――言葉にはならなかったが、彼女の瞳が全てを物語っていたのだろう。
死刑宣告にも等しい宣誓供述書(本来ならば裁判の公式記録に基づいた代物なのだがこの度のこれは彼女が異端を認めたという内容に改ざんした、彼女を貶めるための代物だった。なぜあからさまにそのような罠を仕組んだのかというと、しがない農村出身でしかない彼女は読み書きができず、口で言いくるめれば誤魔化せると思われたからだ)を示されても彼女は全てをわかりきっているかの如く鼻で笑うと、何のためらいなくその書類に署名したのだそうだ。
それからはまさにあっという間の出来事だった。
宣誓供述書に従い女装に戻った彼女であったが……間もなくして男装に戻った。
理由は二つあるとされているが、彼女の名誉のために一つはここでは話さないことにする。
ただ一つ言えることは、最終的に着るはずのドレスを何者かに盗まれ、男性の服を着なければならなくなったということだけだ。
当時異端の罪で死刑となるのは、異端を悔い改め改悛した後に再び異端の罪を犯したときだけだった。
彼女は改悛の誓願を立てたときに、それまでの男装をやめることにも同意していたため、女装から男装に戻った彼女は異端の罪で処刑されることになった。
全ては異端審問会のシナリオ通りだったのだろう。
ただ忘れてはならないのは、おそらく彼女はそんな彼らの計画を全て見透かした上であえてその計画に乗っていたのだということ。
フランス軍に所属していた者ならば誰もが知っている。
幾重もの戦いに勝利をもたらし続けた彼女が、とてつもなく聡明であったということを――。
1431年5月30日。彼女がフランス・ルーアンのヴィエ・マルシェ広場で処刑されることが決まった。
私はその場に駆けつけたのだが、しばらくぶりに見つけた彼女はやつれてはいたが、根本的なところは何も変わってはいなかった。
この世の全てに絶望した、あの無感情な瞳は――。
広場は幾重もの群衆で埋め尽くされていた。聖女を騙った魔女の憐れな最期を見届けようと国中から集まったのだ。
私はどうにか群衆をかき分け、彼女の傍まで近づくと、護衛兵に抑えられながらも彼女に向かって叫んだ。
――なぜ……どうして貴女がこのようなことに……!!!
フランスのために、フランスの人々のために幾重もの血を流し、戦い抜いてきた彼女がどうしてこのような悲惨な最後を迎えなければならないのか、私には納得ができなかった。
なぜ神はそんな仕打ちを彼女に? そう思った。
そんな私に気が付いた彼女は私に向かい、微かに笑みを見せた。
いつもの、能面のような笑みではない。憐れむような、そして慈しむような、そんな笑みだった。
そして偽りではないその微笑みは私の思った通り――とてつもなく美しかった。
もっとその笑顔を見ていたかった――。
――あなたは何時も、どのような時でもこうして私の傍に来てくれるのですね……。
その言葉はまるで、私が彼女の元へ駆けつけ、彼女に投げかけるその言葉を何度も何度も耳にし、咀嚼してきたかのような親しみ深いものがあった。
あなたの言いたいことは、全部わかっていましたよ――とでも言いたげな言葉だった。
私は今宵、初めて、ようやく貴女の下に駆けつけられたというのに?
――いい、ジル。この世には大きな
その言葉を最後に言い残した彼女は火刑台に縛り付けられた。
彼女は、薪に火が灯され、煙が立ち込め始める間もひたすら空を見つめていた。
憎たらしいほど晴れ渡る、青空を――。
やがて立ち込める煙を肺に吸い込んだ彼女はゲホゲホとむせ始めた。
下から迫る熱気を感じるのだろう、その顔は苦渋に歪められる。
火が彼女のまとうスカートに引火し、瞬く間に彼女を包み込んだ。
そして広場に響き渡る彼女の、断末魔の叫び。
それはこの世に、そして神に絶望した者の怨恨の叫びだった。
彼女の死体は二度に渡って焼かれた。
息絶えた彼女が実は生き延びていたと誰にも言わせないためだ。
皮膚は醜く焼け爛れ、美しかった白金の髪は完全に燃やし尽くされていた。
そんな彼女が再度火にかけられるのを見て、そのあまりに無慈悲な光景に私の頬には気が付けば涙が伝っていた。
神とはなんだ?
あれほどまでに国に尽くした健気な少女を無惨にも地獄の炎で焼き尽くすのか?
なぜ神は人々に救いを与え、彼女には救いを与えない?
なぜ? なぜ? なぜ?
そんな私の疑問の答えを知っていたのであろう彼女はもうこの世にはいないのだ――。
フランスを救った英雄たる彼女の名は
聖女と祭り讃えられた彼女であったが、その本人は何よりも神を嫌っていた。
最後の最後まで、私には彼女の心を理解することはかなわなかったのだ――。