Fate/AntiGod 作:グラビティ
ヴォ―クルールからシノンへの道はおよそ五百キロと膨大なものだ。
しかも敵地であるブルゴーニュ侯爵領を突っ切ってのその距離であるため、苦難の旅になることは想像に難くない。
出発までおよそ一週間の準備期間が設けられた。
私はその期間の間に警護をしてくれることになった男たちから万が一の場合に備え武術――主に剣の指導を受けたり、非常事態に陥った場合の対応の仕方を学んだ。
乗馬に関しては先にも述べたとおり、ドンレミ村での五十回におよぶループの果てに身に着けてしまっていたので、指導の必要がなかった。
大柄な馬を軽々乗りこなす私を見て、
五十回もやり直している間に覚えてしまったんです――などと言えるわけがない。
身の安全のために男装し、出発したのは1429年の2月22日。奇しくも忠実においてジャンヌがヴォ―クルールを発った日と同じ日付となった。
――
私たちが出発する時に、ロベールが告げてきた激励の言葉であり、未来においてジャンヌのことを調べていた私はこの言葉を知っていた。
私が調べた書物の中には時折、「どうとでもなるがいい」という日本語が当てられて、この時、ロベールは半ば自暴自棄であったという説明がされているものがあったのだが、このvaは激励や奨励を表すフランス語の間投詞であり、警護隊まで手配したロベールが、ここでいきなりヤケになるのは理屈が合わない。
軍人と言っても彼はキリスト教徒であり、つまりその言葉は彼が神の加護を信じつつ言った彼なりのエールであったのだろう。
私たち一向は馬に跨り、ヴォークルールを発った。
警護隊には王太子様の伝令使であるコレ・ド・ヴィエンヌという男がいた。
伝令使というのは命令を運ぶ、という重大な役目を請け負う職業であることから地理に明るく、各地の戦場に通じ、政治的動きも熟知していた。
シノンに向かうにはどうしても敵側であるブルゴーニュ軍やイングランド軍が占領した領土を通らなければならなかったのだが、そこで頼りになったのが私たち一行の頭脳であった伝令使であるコレだ。
コレの指示に従い、もっぱら移動は夜に行われた。
宿屋に泊ると人目につくので、修道院に泊めてもらったり、野宿をしたりというのが常であった。
私が読んだ書物では、ジャンヌ・ダルクがこの五百キロ近くを無事に旅できたことについて、神の加護を受けたジャンヌの力が奇跡を呼んだという説明をしている書物を時折読んだことがあったが、それは大きな間違いだろうと――少なくとも私がジャンヌである場合は常々実感させられることになった。
なぜなら未来でジャンヌの事を調べ、知っている私でも、実際には何の力もなくて……リードしてくれる警護隊の男たちにただ着いていくことしかできなかったのだから。
特にコレは本当に頼りになる人で、野宿の際の調理も、その他雑用も全部彼がやってくれた。
少しでも何か力になりたいと雑用を手伝うことを彼に申し出たこともあったが、「一人でやった方が速いから」とやんわり断られてしまった。
悲しいことに私の料理スキルも雑用スキルも皆、彼より劣っていたので、何も言い返すことができなかった。
旅は順調に進んでいた。少なくとも七日目までは。
七日目の夜の移動の際、運悪く私たちはブルゴーニュ軍の一団に遭遇してしまったのだ。
私たちは極秘裏に行動していたため、この場所で何をしているのだと問われても何かを答えることはできなかった。
相手も相手で男六人に男装した少女一人という奇妙な一行を見過ごしてくれるはずもなく。
――走れ!!
コレの合図に従って、私たちは一目散に馬を走らせた。
上手く振り切れれば好都合であったが、生憎そこまで私たちの運は良くなかった。
瞬く間に囲まれてしまい、戦闘を避けることは叶わなかった。
皆が皆、剣や槍、弓を構える中、私はヴォークルールでの指導も忘れてただ恐怖に震えることしかできなかった。
死を経験したことはある。
それに伴う痛みも経験したことはある。
それでも死に対する恐怖というものはどうにも慣れないものだ。
私の警護隊はコレは言うまでもなく、皆、優秀な戦士だった。
おそらく、彼ら六人であるならばこの窮地を脱出することも不可能ではなかったのだろう。
そう、足を引っ張ったのは私だ……。
どうにか震える腕で剣を抜くことに成功しても、剣のグリップすらしっかりと握れてなかった私の剣は瞬く間に相手の剣によって弾かれた。
「あ……ああ……」
剣を突き付けてくる相手を前に腰の抜けた私はもはや逃げることすらできなかった。
ジャンヌー! とコレがこちらに駆けてくるのが視界の隅で見える。
しかし、コレの必死の叫びも虚しく相手の剣が私の胸を切り裂いて――。
「あ」
まるで噴水のように血が噴き出した。
生暖かい鉄の味がゆっくりと口内に広がって――私は地に伏した。
ビクン、ビクンと身体が勝手に痙攣する。
ああ、死ぬのか。
その時になって私はようやく、まるで思い出したかのようにそう悟っていた。
どこか懐かしいこの感覚。何度も味わったが、この感覚に馴れることは決してない。
けれど、ただの覚悟だけでは私は
ただの平凡な、ジャンヌ・ダルクマニアの私なんかではどうやら役不足のようだ。
できる限りのことをしてきたつもりだったが……どうやらダメだったようだ。
――死にたく……ない、よ……。
そして私の意識は暗転し――
――次の瞬間、覚醒した。これが私の五十二回目の死だった。
+++
目が覚めたのはヴォークルールの街だった。
当初の私は自分の陥った状況がまるで理解できず、ただ戸惑うことしかできなかった。
それでもすぐさま冷静になれたのは、前にも一度、似たような現象を経験していたということが大きかったであろう。
そう。ドンレミ村での五十回にも及ぶループだ。
あの時私はイングランド兵による侵略を恐れて、何度も何度も同じ時をやり直していた。私が覚悟を決め、ジャンヌ・ダルクとして道を歩み始めるまでは何度も何度も同じループに巻き込まれたものだ。
同じ現象が再び起こったのではないか。そう考えると、今度は冷静になるのは速かった。
この時、私が思ったのはなぜ、今回はドンレミ村からのスタートでは無いのかということだった。
色々と時系列を整理した結果、今度私が目覚めたのはロベールと面会し、シノンへ向かうことを許可され、警護隊を着けられたあの時。旅立ちの日の丁度一週間前だった。
そこで私は一つの仮説を立ててみた。
少しぞっとするが、この
ロベールとの面会後が第二章の始まりなのだとしたら。
第一章はもう読み終えた訳なのだから、もう戻る必要がない。まるでゲームのセーブデータをロードするかのように、私が死んだ場合、第二章の始まりから再開されるのではないか?
根拠もないし、仮にこの仮定が合っているとしても、どこからどこまでがその
考えても埒があかないので、この事について考えるのはやめ、今度はどのようにすべきか考えることにした。
とは言ってもするべきことはただ一つ。
その場所で敵と遭遇してしまうのであるなら、事前に別のルートから行き、戦闘そのものを回避すればいいのだ。そうすれば私は死ぬことなく王太子様の待つシノンに辿り着くことができるはずだ。
旅立ち前の準備期間は前とさほど変わらず過ぎていった。強いて変化した場所があったとするなら、剣術について指導される時に前と比べて少し真剣になってやったということくらいだ。やはり、自分が足手まといになって死んだというのは私にとって若干のトラウマになっていた。
そして1429年の2月22日。いよいよ二回目の旅立ちの時。
――
前回と全く同じのロベールのその言葉に見送られて私たち一行は再び、ヴォークルールを旅立っていた。
+++
二回目の旅路も、その大まかな流れは前回の時とそう変わらないものとなった。
ただ、前回の時にコレの料理をひたすら見ていたので、今回はコレの手伝いが料理限定だができたことだ。
その事を少しだけ内心嬉しく思いつつも、ついに運命の七日目の朝を迎えた。
私は身支度を整えるコレの元へ向かい、話しかけた。
「ねぇ、コレ。少し提案があるんですけど……」
「なんだい、ジャンヌ?」
コレは身支度の手を休めることなく、もの静かに聞き返してきた。
私は予てから考えてきた言葉を口にする。
「今日行くルートなんですけど、別のルートにしませんか?」
「どうして?」
「今朝、神からお告げがあって……今日行くルートには危険が待ち構えていると」
「……」
私の言葉にコレはようやく身支度の手を止めた。
本当は神様のお告げなんて聞いていないから、神様の名を使うことには罪悪感を覚える。
目の前の青年が、神様を信仰する信心深い人間であるから尚更だ。
でも神の声を聴いたとされている私が神の名を使えば、コレは確実に私の言葉に耳を傾けてくれる。胸が痛むが利用する手はなかった。
コレはちょっと待ってて、と私に告げたのち、他の男たちに手短に何かを話した。
そして私にこう言った。
「少し、様子を確認するから少し待ってて」
それからコレ達は先行して今回、行くと決めていたルートを手早く確認しに向かい、しばらくしてその顔を若干青ざめさせて帰ってきた。
「情報に誤りがあった。このまま進んでいたら僕たちはブルゴーニュ軍の一団と鉢合わせてしまうところだった」
教えてくれてありがとう、ジャンヌ――そう言ってくるコレに、本当は神様の声なんて聴いていないという罪悪感を抱きながらも、頼りにされたみたいでなんだかこそばゆかった。
とにかくこれで無事に進めると、ひとまず安堵の気持ちで一杯だった。
これで大丈夫――そのはずだったのに。
「どうして……」
気が付けば私は――否、私たちは敵に囲まれていた。
今度は前回と同じブルゴーニュ軍の一団ではなく――この戦乱の世の中で、山賊と成り果てた者たちの集団だった。
「どうして……」
私の口から再び声が漏れる。
そんな、どうして。
戦いは避けられたはずじゃなかったの――?
そんな私にコレたちの視線が突き刺さる。その目は神様の声を聴いた私のお告げに従ったのに、どうしてこんな状況に陥っているんだ? という無言の非難が含まれているような気がした。
「いや……ち、違うの……」
「ジャンヌ?」
「違うの! 私、これで大丈夫って思って、それで!」
「どうしたんだ、ジャンヌ? 落ち着いて……!」
「違う違う違う! こんなの違うの!! こんなつもりじゃなかった!!」
私はヒステリックに陥っていた。
何だか自分がとてつもなく穢れた存在のような気がして、たまらなく自分が嫌になった。
コレの静止も振り切って私は駆け出して――。
「あ」
呆気なく私は殺された。これが五十三回目の死だった。