Fate/Zero フィオ・エクス・マキナ(完結)   作:ファルメール

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本編の後日譚と、嘘予告です。

オリジナルサーヴァントが、多数登場します。


Apocrypha

 

 ロンドンでも有数の三つ星ホテルの、その最上階スイートルーム。

 

 金砂の髪に蒼い装束を纏ったその少女は窓辺に立ち、見渡す限りの街並みを飽く事無く眺めていた。

 

「何を見ているの? セイバー」

 

 後ろから掛けられた優しい声にセイバーと呼ばれた彼女が振り向くと、そこには金色の髪と同じ色の目をしてメガネを掛けた美しい女性、彼女のマスターが立っていた。

 

「この街並みを……この国の在り様を……」

 

 セイバーは戸惑ったように、少しだけ固い口調でマスター、フィオ・レンティーナ・グランベルへと応じる。

 

「マスターは、私にこれを見せたかったのですね」

 

 セイバーの態度は、ここに至るまで多くの死線を共に潜り抜けたいわば”戦友”と言うべき関係の相手に対するものとしては、些か他人行儀であった。

 

 20XX年、第五次聖杯戦争は終局に向かっていた。

 

 第四次聖杯戦争の実質的な優勝者にして前回から残った二騎のサーヴァント、ネロとタマモを擁し、加えて今回は七騎の中でも最強とされるセイバー、そしてセイバークラス中でも更に最上位の剣の英霊たるブリテン王アルトリア・ペンドラゴンをサーヴァントとして従える最強の魔術師フィオ、ギリシャ最強の大英雄である無双の武人ヘラクレスをアーチャーのサーヴァントとして使役するアインツベルン最後の子クロエ、そしてタマモが召喚した”真祖”ファニーヴァンプ、シャーレイが召喚した謎のサーヴァント、キャスター。

 

 実質的に六騎ものサーヴァントを擁するこの大同盟は確実に他の陣営を鎧袖一触の如く蹴散らして、容易く第五次聖杯戦争を制するかに思われたが、しかし他の三陣営にもセイバーやアーチャーを比較対象として尚、勝るとも劣らぬ猛者達が召喚されていた。あるいは、彼女達に呼応する形で強き英霊が喚ばれたのか。

 

 いずれにせよこの第五次聖杯戦争は、歴代の中でも最強の英雄ばかりが集まった空前の戦いであった事は疑いようもない。

 

 ランサーのサーヴァント、太陽神スーリヤの息子にして、ヴィシュヌ神の化身をして「彼に勝つ事叶わず」と言わしめた不死身の英雄、カルナ。

 

 ライダーのサーヴァント、かつて神霊”この世全ての悪”(アンリマユ)すら己が下僕として支配した古代イラン王、悪魔の束縛者、タフムーラス。

 

 アサシンのサーヴァント、先代のハサン達が生涯を賭して編み出した18の奇跡「ザバーニーヤ」を全て模倣し身に付けた狂信者、名も無き暗殺者。

 

 都合九騎ものサーヴァント達によって争われる戦争の規模はやはり歴代最大であり、数々の死闘が繰り広げられたが……しかし最終的にフィオ達の陣営は全ての敵を打倒する事に成功した。

 

 戦いと並行する形でクロエの調整もタマモによって行われ、小聖杯は彼女ではなくちょうどフィオが持っていた虎柄の水筒へと変えられて、同時に彼女の延命措置も行われた。それを見届けたアーチャー・ヘラクレスは令呪によって座へと帰還し、ファニーヴァンプもまた「楽しかったよ」と一言を残して、自慢の爪で空間を裂いて、その狭間へと去っていった。

 

 残ったサーヴァントは、既に受肉しているネロとタマモを除けばセイバーとキャスターの二騎のみ。そしてキャスターも「私は聖杯に懸ける望みは無い」と語っており、事実上この聖杯戦争の勝者はセイバーに決定した、と思われたその時だった。フィオが言い出したのだ。

 

 

 

「折角だから、記念にみんなでイギリス旅行でもしない?」

 

 

 

 セイバーもクロエも、60年も一緒にいるネロ、タマモ、シャーレイですら最初はフィオが何を言っているのか分からないという風だったが……しかし一名を除いてフィオが本気の目をしているのを見ると、呆れつつも従う事にした。セイバーだけは「この期に及んで一体何を考えているのですか!!」とお冠だったが、しかし魔術師として最高の能力を持つフィオに二画の令呪によって命ぜられては、さしもの対魔力Aを持つ彼女でも逆らう事は能わなかった。

 

 それにしてもいくら実質的に戦いが終わったとは言え『私と一緒に旅行に行く事に同意せよ』などという内容で令呪を使うマスターなど、後にも先にもフィオ一人であろう。

 

 かくして始まったイギリス旅行であったが……最初は仏頂面をしていたセイバーも、なし崩し的にではあるがこの旅を楽しむようになったようであった。彼女の心境に変化をもたらしたのは旅の途中での、一人の騎士との出会いがそうさせたのかも知れなかった。

 

「ラン・ブラックモア卿から、ロード・レンティーナによろしくと言伝を預かっています。マスターは、彼と面識があるのですか?」

 

「ええ、彼のお父上……ダン・ブラックモア卿が右足を骨折して現役を引退しなければならなくなった時に、当時騎士見習いだった彼に、少し稽古を付けてあげたのよ……それにしても、あのちびっ子が今や女王陛下の懐刀、その中でも筆頭たる第零位騎士とはね……第七位騎士だったダン卿の跡を継いで、しっかりやっているみたいね……」

 

 フィオは少しの間、昔を懐かしむように目を細めてそう呟いていたが……そうしていたのも一時で、すぐにセイバーをしっかりと見据えると、尋ねる。

 

「で、どう? セイバー。現代の騎士と出会った感想は?」

 

 主からのその問いを受け、セイバーは僅かな時間言葉に詰まった。如何に聖杯戦争が事実上終結したとは言えこのマスターの突拍子もない行動は、故国の救済の為に聖杯を手に入れる事のみに専心していたサーヴァントの精神に、強烈なパンチをかました事は間違いないようだった。

 

「彼は言っていました。私も含め、過去の英雄を尊敬し、古き英雄を誇りに思っている。だからこそ過ぎ去った者達に敬意を払い、自分達は今を生きるのだと……」

 

 そう言ってふっと微笑すると、セイバーはもう一度窓から見える景色に目をやった。

 

「私達の奉じた騎士の道、規範は……今の世代にも確かに、脈々と受け継がれているのですね……」

 

 不思議と、ずっと感じていた焦燥の念が消えた気がした。

 

 理想に殉じ、誰よりも正しく生きて、身を挺して治める国の繁栄を願い、それでも国が滅んだのは運命の巡り合わせが余りに悪すぎただけの事であると。ならば万能の願望器さえあれば、その天運すら覆せると。そう信じて、誇りを貫いて。一度目の戦いでは叶わなかったが、二度目の戦いでは恐らくは最上のマスターを得て、戦いに臨んで。

 

 そして今や聖杯戦争の勝者は彼女へと決定し、聖杯という明確な手段は手を伸ばせばすぐ届く所にある。後はブリテンの救済を望むのみ。

 

 だが……何かが。何かがその願いを思い留まらせる。

 

 本当に、これで良いのかと。

 

 未だ座に招かれず正規の英霊でないセイバーにとってブリテンの崩壊は昨日の事だ。だが、当然と言えば当然の事だが、実際には彼女の故国が滅んだ後この現世に招かれるまでには永い永い時が過ぎている。無論、セイバーとて聖杯に招かれたサーヴァントである以上、現世での行動に支障をきたさぬよう聖杯より与えられた知識によってそれについては理解出来ていたが……しかし今にして思えば、本当の意味ではその事実を分かってはいなかったのではないかと、そう思うのだ。

 

 もし自分達の国が滅んだ後に築かれたのが蛮族によって支配される正義無き国ならばセイバーは、聖杯にブリテンの救済を願う事を躊躇わなかったろう。

 

 だが、彼女のマスターによって見せられた英国の今は。

 

 聡明な指導者、優秀な家臣団、安定した経済、素晴らしい建築物、平穏を楽しむ人々、受け継がれた騎士の道、子供達の笑顔。

 

 それらは全てが美しく、眩しく……だがそれ故に一つの事実を突き付ける。

 

 ブリテンは、騎士達が護りアルトリア・ペンドラゴンの治めた国は、遠い過去に終わってしまったのだと。残酷なまでに。

 

「思えば……選定の剣を引き抜いた時、ブリテンの滅びと栄光は……既に予言されていた筈でした……」

 

 それでもあの血に染まるカムランの丘に立った時、思わずにはいられなかった。本当に、こんな結末しかなかったのかと。祈らずにはいられなかった。故国の救済を。

 

 だからこそ時を越えてまで戦い続けてきた。セイバーにとってブリテンを救う為の戦いは、まだ終わっていなかったから。

 

 でも、違っていた。もう終わっていたのだ。

 

 終わりの始まりがいつだったのかは分からない。

 

 悲運なる我が子が叛旗を翻した時か。

 

 最高の騎士が王妃を連れて出奔した時か。

 

 アルトリアという少女が岩から剣を引き抜いて、アーサー王となった時か。

 

 あるいは更に遡り、偉大なる騎士がゴルロイス公と争った時か。

 

 それがいつであれブリテン国はその時もう既に、終わっていたのだ。

 

 それでも、今でも自分達の国の足跡はこの国に残って、人々の中に受け継がれている。それで十分と思うべきかも知れない。

 

 天の下、万象には全て終わりの時がある。生きている者はいつか死ぬ。形ある物はいつか壊れる。花は枯れる。水は涸れる。星ですら燃え尽きる。同じように仮にセイバーの願いが叶い、ブリテンの滅びの運命が変わったとしても何十年後か何百年後か、いつかは滅びたであろう。だが、受け継がれていく魂が滅ぶ事は無い。

 

 喪われた命の中に在った想いを受け継いで、そして自分が死ぬ時にはその想いをまた誰かに託して。命の中で育まれた強い想いは決して消えずに、永遠に残っていく。

 

 そうして受け継がれていくものにこそ、本当の価値はあるのだ。

 

「こんな事に今になって気付くなど……私の願いは、歪んでいたのでしょうね……」

 

 自嘲的な笑みと共に語るセイバーに、だがフィオは頭を振って応じる。

 

「そうでもないと思うわよ、セイバー。確かにあなたの願いが叶ったら色々と大変な事になっていたとは思うけど、でもあなたがそうした祈りを抱ける王であったからこそ、その正しさが今の世界を紡ぎ、導いてきたと思うから。だから、誇りに思いこそすれ、恥じる所は何も無いと思うわ。少なくとも私はね」

 

 その言葉を受け、セイバーは穏やかに瞠目して、そして安らかな笑みを見せる。

 

 ちらりと視線を落とすと、セイバーの体は少しずつ透けて、消え始めていた。彼女は死の前に聖杯を手に入れる事を条件に、死後の魂を守護者として世界に捧げるという契約によって召喚された特殊なサーヴァント。契約は聖杯の取得を以て執行されるが、セイバーが聖杯を必要としなくなった今、契約自体が消滅して彼女と現世との繋がりが失せているのだ。

 

「お世話になりました、フィオ。最後に、あなたに心からの感謝と信頼を。私が築こうとしたものは理想郷にはほど遠く、万人を救う事は出来ませんでしたが……それでも、胸を張れるものだったと、あなたは伝えてくれました」

 

 消えゆくセイバーを前にフィオはそっと胸に手をやり、礼の姿勢を取る。

 

「今回の聖杯戦争。あなたのお陰でクロエが……それに沢山の人達が救えたわ。ありがとう。あなたと共に戦えた事は私の終生の誇りであり……そして、あなたという友達の事を、私はずっと覚えているわ」

 

 にっこりと、セイバーは笑って返す。

 

「ありがとう……その言葉を胸に、私は、あの丘から先に進みます」

 

 その言葉が、最後だった。もう、セイバーの凛々しい姿は何処にもない。ちらりとフィオが視線を落とすと、彼女の胸に刻まれていた令呪最後の一画もまた消えて失せていた。

 

 他に道はあったのかも知れない。自分ならばたとえ大聖杯からの補助が無くともセイバーの現界の維持など簡単であったし、友としてこの世界を生きていくという選択肢もあった。あるいはタマモに頼めばブリテンの滅びの運命を変えつつ、この世界への影響を抑えるような聖杯の運用も出来たやも知れぬ。だが、と、フィオは思う。

 

 きっと、これで良かったのだと。

 

 うん、と頷いて彼女は部屋を出ると、仲間達が集まっているサロンへと足を運んだ。

 

 そこではクロエ、ネロ、タマモ、シャーレイ、そしてキャスターがティータイムを楽しんでいた。

 

「む、フィオ。セイバーはどうした?」

 

 ネロが尋ねる。

 

「行ったわ」

 

 簡潔に、そうとだけ伝えるフィオ。それだけで、ここに集まった面々には伝わった。皆の表情に、少しだけ陰が差す。

 

「それで……どうするんですか、ご主人様。これ」

 

 タマモが、テーブルの上に置かれた虎柄の水筒を指差して呆れ顔で言う。ふざけた外見からは想像付かないが、しかしこの水筒こそが聖杯なのだ。まぎれもなく。

 

「まぁ……昔私が見た聖杯も黄金作りではなかったけどね。それも当然かしら。主は大工だったのだから、聖杯が黄金作りな訳ないわよね」

 

 と、キャスターが言う。このコメントを受けて驚いたのは、彼女のマスターであるシャーレイだ。

 

「え、キャスター、あなた聖杯を見た事があるの!?」

 

 頷く、魔術師のサーヴァント。

 

「1938年、当時私は大学で考古学を勉強していたのだけど……履修していた中世文学の先生が聖杯の探求中に行方不明になったから、探しに行って……その後色々あって、事件の裏側にいたナチス親衛隊の連中をぶちのめし、聖杯を見付けて後は持ち帰るだけだったのに……うっかり地割れに落としてしまって……まぁ、色々あって先生は息子さんと仲直り出来たから良かったけど」

 

 嘘か真か、このサーヴァントの話に、死徒も元サーヴァントもホムンクルスも狐につままれた表情だ。これまでの断片的な情報からキャスターが近代の英霊である事はほぼ明らかであったが、しかしナチスドイツという単語が出てくる事を考えるに、彼女が生きた時代は思いの外最近らしい。

 

 しかし、もし本当ならば聖堂教会がひっくり返るであろう聖遺物を発見した英霊など、ついぞ聞いた事がない。この真名すら判らぬ謎のサーヴァントは一体何者なのか?

 

 むらむらと湧き上がってきたその疑問に一同が首を捻る中で、フィオだけは違っていた。

 

 1938年、聖杯、ナチス、教授。

 

 これらのキーワードが彼女の大脳古皮質を刺激して、忘れていた記憶の扉を開いていた。彼女がたった今語った逸話は、これは……

 

「キャスター……まさか、あなた……」

 

「さてと、私もそろそろ帰る事にするわ」

 

 言い掛けたフィオの言葉は、キャスターに遮られた。「構わないわよね?」と聞かれて、シャーレイは頷く。元よりこのサーヴァントは「聖杯になど興味はない」と公言していたし、全てが終わった後にはこうする事もまた、約束だった。死徒の魔術師は右手を掲げ、マスターに与えられた絶対命令権を行使する。

 

「残った全ての令呪に重ねて命ず。我がサーヴァントよ、座へと帰還せよ」

 

 膨大な魔力を散逸させ、聖痕が消える。既に6騎のサーヴァントが脱落した今、令呪を宿した者はシャーレイ一人であった。そして彼女の令呪も失われ、彼女のサーヴァントも消える。誰が言葉にするでもなく、場の全員が理解する。今この時こそが、第五次聖杯戦争終結の時なのだと。

 

 令呪の強制力を受け、キャスターの肉体は現界を止めて少しずつ光塵となって消えていく。

 

「じゃあ、私も色々とやる事があるし、元居た所に戻るわ。みんなも元気で」

 

 肉体が消滅していくと言うのに、それを微塵も感じさせぬ笑顔と気安さでキャスターはひらひらと手を振る。それに釣られるように自然と、彼女を見送るネロ、タマモ、シャーレイ、クロエらの表情も晴れやかなものになった。と、フィオが思わず身を乗り出して、叫んだ。

 

「待って、キャスター……あなたは……」

 

「私の正体……真名なら……いずれ分かるわ。その時を、楽しみにしておく事ね、フィオ」

 

 最後の言葉を言い終わるか終わらないかの内にキャスターは消滅し、七騎全てが脱落。真の意味で完成した聖杯はこの後、フィオ達の手によって誰の手も届かぬ深海へと、永遠に遺棄された。

 

 これが第五次聖杯戦争の顛末。この世界での、最後の聖杯戦争の終わりであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふ、世界が違っても、流石は私。しっかりやってるわね」

 

 まどろみにも似たふわふわとした感覚の後、フィオ・レンティーナ・グランベルは意識を取り戻した。彼女の体は自宅にある書斎の、リクライニングチェアにゆったりと委ねられていた。手には読みかけの本が開きっぱなしのまま持たれており、ついさっきまでの戦いは午睡の夢のようにも思える。

 

 だが、夢ではない。言語として具体的には説明できないが、あれは確かにあった出来事なのだと、彼女の中には確信があった。

 

「どうかしたのですか? マスター」

 

 戦い抜いたという充実感・達成感と、余人では幾度生まれ変わっても出来ないであろう体験の興奮を反芻する内に、我知らず笑いが洩れていたらしい。空間から湧き出るように、一人の少女がフィオのすぐ傍に現れた。

 

 一言で彼女を表現するとすれば”黒い”少女だった。黒髪で、黒い瞳で、纏っている衣装も黒。その装いが、シミ一つなく透き通るような彼女の白い肌をより際立たせて見せていた。年の頃は十代半ばといった所か。どこにでもいるようなあどけない少女ではあるが、しかしたった今フィオのすぐ傍に実体化して現れた事。そしてその肉体を構成する高密度の魔力は、彼女が人の領域を超えた超常の存在、サーヴァントであると教えていた。

 

「いえ……ちょっと、良い夢を見ていてね……」

 

「はあ……」

 

 はぐらかすようにフィオが言うが、まさか別の世界の聖杯戦争に参加していたなどとはこの黒いサーヴァントには知る由もなく、それ以上の追求は諦めたようだった。

 

「ところで話は変わるけど……あなたの願いは、変わらないのね?」

 

 フィオの問いに、黒いサーヴァントは頷いた。俯いて、両手を胸にやって答える。

 

「はい……争い、病、罪、死……この世界に満ちているあらゆる苦しみは……全てあの時の、たった一つの過ちに起因する事……私の願いは、その過ちを贖うことです」

 

「そう……」

 

 サーヴァントのこの望みを、フィオは肯定も否定もしなかった。彼女をして、この命題は是非を断じるのが難しすぎるものだった。何故なら彼女のサーヴァントの願いは、人が人である事を否定する事にも繋がりかねないのだから。だがそれを責める事も出来ない。このサーヴァントは、ある意味で”人が人でなかった”時代の住人なのだから。

 

 だからと言ってその時代の人間の都合に現代の人間であるフィオが付き合ってやる義理など無いが……しかし、彼女の気持ちもフィオには分かる。全ての始まりとなった、たった一度の過ち。それを、それだけをやり直したいと願う気持ちを、誰が責められるだろうか。あるいは彼女が十分な良識を持ち、責任ある立場に在った英霊であったのなら、フィオとて声高に否定の意を示したかも知れない。だが違う。このサーヴァントは何も知らぬ、無垢なる少女でしかなかったのだ。

 

 何と言葉を掛ければ良いのか、答えは出ない。ならばと、フィオはぱんぱんと顔を叩いて、思考を打ち切った。

 

「まぁ、良いか!! 今はこれで。戦っていく内に見えてくるものもあるかも知れないし、得られるものもあるかも知れない。それに期待しましょう!!」

 

 ばん、と音を立てて本を閉じると、フィオは立ち上がった。

 

「じゃあ、行くとしますか。よろしく頼むわね。アヴェンジャー」

 

 

 

 これは、魔術師達の間で「聖杯戦争」が日常となった世界の物語。

 

 マスターたる魔術師が英霊をサーヴァントとして召喚し、最後の一人と一騎となるまで殺し合う、極めて特殊な儀式。

 

 儀式の舞台が東洋の小さな島国であったせいだろう。この儀式は第三回を迎えるまでは殊更注目を集めるものでもなかった。極東の片田舎に万能の願望器が顕現するなど、悪い冗談にもほどがあるというものだ。「終末の獣を呼び出す」だの「魔王を降臨させる」だのその手の儀式が世界中で一日何回行われている事か。どうせこの聖杯戦争とやらもそれらと同レベルの与太話でしかない。

 

 と、これが大多数の魔術師達の認識であった。だが第三次聖杯戦争で、全ての歯車が狂った。第二次世界大戦が勃発する直前、参加者たる魔術師達と始まりの御三家、監督役を務める聖堂教会からの人員。後は不幸にも巻き込まれる何も知らぬ一般市民。精々それぐらいの人々の間だけで完結する筈であったこの儀式に、国家が介入したのだ。

 

 ナチスドイツ。千年帝国を夢見て全世界を相手に戦争を始めた彼等にある魔術師が荷担し、その魔術師は冬木市は円蔵山の洞窟に秘匿された大聖杯を発見し、軍の力を借りて移送しようとしたのだ。この事態に対しアインツベルン・遠坂・マキリ、そして帝国陸軍は総力を挙げて阻止に動き、彼等の奮闘の甲斐あって大聖杯の奪取は阻止する事が出来た。

 

 ……の、だが。問題はここからだった。

 

 国家が介入するという異常事態を受け、冬木市で行われる聖杯戦争のシステムは情報として全世界に拡散し、御三家が叡智を結集して構築した聖杯戦争のシステムは儀式としてあまりに優れていたが故に、今や願望器の顕現を目的として亜流の聖杯戦争が世界各地で繰り広げられている。

 

 尤も、それらの「聖杯戦争もどき」は御三家の当主達にとってはシステムを盗用された事に怒りを覚えるどころか、寧ろ哀れさに失笑してしまうようなお粗末なものでしかなかった。殆どの場合儀式自体が小規模で、召喚されるサーヴァントも多くて五騎、儀式が成立したとしてもあらゆる願いを叶えるまでには至らない。それに何より、根本の目的からして彼等は履き違えている。

 

 そしてこの年、聖杯戦争発祥の地たる冬木の地で正規の聖杯戦争。第四次聖杯戦争が勃発する。

 

 七人の魔術師と七騎のサーヴァントが勢揃いして。

 

 剣士の英霊・セイバー。『騎士王』アルトリア・ペンドラゴン。マスターは根源接続者・沙条愛歌。

 

 弓兵の英霊・アーチャー。『大英雄の業を継ぐ者』ポイアース。マスターは遠坂家五代目当主・遠坂時臣。

 

 槍兵の英霊・ランサー。『影の国の女王』スカサハ。マスターは時計塔の学生ウェイバー・ベルベット。

 

 騎兵の英霊・ライダー。『太陽を落とした女』フランシス・ドレイク。マスターは西欧財閥次期総帥レオナルド・ビスタリオ・ハーウェイ。

 

 狂戦士の英霊・バーサーカー。『湖の騎士』ランスロット。マスターは真の意味で死と隣り合わせの魔術師・間桐雁夜。

 

 魔術師の英霊・キャスター。『聖なる怪物』ジル・ド・レェ。マスターは殺人鬼・雨生龍之介。

 

 暗殺者の英霊・アサシン。『百の貌』のハサン・サッバーハ。マスターは魔術師殺し・衛宮切嗣。

 

 これら七組によって、此度の聖杯戦争は争われる筈であった。だが。

 

 全ての者の思惑を超えて、この戦いに介入する者達がいた。

 

 最強の魔術師フィオ・レンティーナ・グランベルが、復讐者の英霊・アベンジャーを従えて。

 

 七人の友と共に。

 

 

 

 生前の多重人格障害を原典として人格の数だけ霊的ポテンシャルをも分割し、幾人にも分裂する宝具『妄想幻像(ザバーニーヤ)』。この特性を最大限に活かし、まずは他の六陣営全ての行動パターンを把握せよという命を受けていたアサシン群は、しかしこの日は変わった動きを捉えていた。

 

 数名の暗殺者達の視界に映るのは、黒髪をツインテールに結んだ勝ち気そうな少女の姿。それだけならば連続殺人犯の報道が繰り返され、夜間の外出が規制されている今の冬木市にあっては珍しい光景であるがしかしそれだけでしかないと彼等も特段気には留めなかったであろうが……

 

 しかしその少女は不思議な事に、分かれ道では魔力の残滓の濃い方向ばかりに進んでいく。一度二度ならば偶然かも知れぬが、三度四度と続けば必然である。不審に思ったアサシンの一人が念話でマスターにその旨を伝え、視覚共有によって姿形の情報を送ると、ほんの数秒程のラグを置いて命令が来た。

 

<その少女は敵マスター、遠坂時臣の娘だ。捕まえろ。出来る限り無傷でな>

 

「承知」

 

 切嗣からの命令を受けたそのアサシンは、僅かな躊躇も見せずに承諾する。「何故に?」などと間抜けな質問はしない。この状況で敵マスターの家族を拉致する目的など分かり切っている。人質だ。少女、遠坂凛を哀れには思うが、しかし切嗣を非難する事はしない。命を奪う事を生業としてきた自分達が、今更綺麗事など言う気は毛頭無い。無傷で捕まえろという指示も当然だ。人質は無傷であるからこそ価値がある。

 

 近隣に展開していた十名弱が包囲態勢を取り、万が一にも取り逃す事は無い状況が整った、その時だった。

 

 路地の闇を見据えて立ち竦んでしまった凛のすぐ後ろに、新しく彼女の友人だろうか。一匹の犬を連れた同年代の少年と少女が姿を見せて、何やら会話を交わしていた。この二人をどうするのか? その指示を求めて切嗣に念話を送ると、今度は数十秒ほどの間を置いて、命令が来た。

 

<……用があるのは遠坂凛だけだ。邪魔者は……殺せ、アサシン>

 

「承知」

 

 同じ命令が聞こえていたのだろう。闇に潜む影達が、一斉に短刀を抜き放った気配があった。

 

 

 

 

 

 

 

「あ……ああ……」

 

 幼い凛が、勇気と無謀を履き違えていた事は確かであろう。自分なりの理解と覚悟を持って、彼女はこの夜の新都へと赴いた筈だった。だがそもそも、その程度の短絡的かつ中途半端な心構えや動機で動くべきではなかったのだ。

 

 相次ぐ児童誘拐事件、二日続けて学校に来ない友達のコトネ。そして今の冬木市で繰り広げられている魔術師の儀式。これらの点を繋ぎ合わせて線として、今コトネの身に起こっている事態を思い描くのはそれほど突飛な想像ではなかった。

 

 居ても立ってもいられずに禅城の屋敷を抜け出して、父から少し早い誕生日プレゼントとして贈られた魔力針と、宝石魔術の修行で精製した水晶片二つを装備として、ほんの数時間の冒険に乗り出した凛。警邏中のパトカーに見付からないように身を隠して、明らかに妖しげな魔力を放つ道具を持った青年に連れられる子供達を発見、後を付けて、危なく青年が持っていた礼装の魔力に当てられそうになったが何とか持ち直し、コトネを含めて囚われていた子供達を解放する事に成功した。

 

 彼等が警察に保護されるのも見届けたし、後は終電に間に合うように駅に行って……そう思って、家路に就こうとした、その時だった。

 

 路地の先の、闇がわだかまったような暗がりから、物音が聞こえた。

 

 もし凛が只の少女でしかなかったのなら、これは風でバケツか何かがひっくり返った音かと思うだけであったろうが、凛は幼いながらも只の少女ではなかった。寧ろ真逆、彼女は希代の魔術師と成り得る資質を秘めていた。それほどの才に恵まれた凛であるからこそ何の説明も必要とはせず、気配と直感だけで理解する。姿は見えないが路地の闇の中に潜むのは、自分にとっての『死』そのものであると。

 

 しかも……それは落とし穴のようにただぽっかりとそこにあるのではなく、じゅるじゅると湿っぽい音を立てて、僅かにではあるがしかし確実に近付いてくる。

 

 恐る恐る魔力針に目を落とすと、懐中時計のような入れ物に入った針は、今まで凛が見た事もないような動き方をしていた。普段はぼんやりと揺らぎながら振るえているだけだ。今夜は、忙しくグルグルと回っていた。だが今は。彼女の視線と同じ方向、路地の奥を、まるですぐ傍らに巨大な電磁石を置かれた方位磁針のように、全くブレる事すらせずにぴったりと指している。間違いない。闇の中には、今の凛の手には負えない魔が、潜んでいる。

 

 路地奥から聞こえてくる音は、少しずつ大きくなっていた。近付いてきているのだ。気付けば、鼻をつくような腐臭も漂っている。

 

 立ち向かうか、泣き叫ぶか、背中を見せて逃げ出すか。あらゆる可能性が頭を浮かんで、すぐさま棄却される。どれを選ぼうと、自分が行き着く未来は死の一つだけだと、否応無く理解出来てしまう。

 

 と、聞こえてきた音が途絶える。居なくなった、のではない。人間が走り出す瞬間に全身の筋肉に力を込めるように”溜め”の態勢に入ったのだ。闇の中に潜むものは、ほんの数秒後には飛び出して凛に襲い掛かってくる。

 

「ひっ……」

 

 上擦った声を上げかけた、その瞬間。

 

 視界の端を銀色の光の線が走った気がした。その光は闇の中に吸い込まれていって、コンマ数秒後には身の毛もよだつような金切り声が響いてきた。この世のものとは思えぬその声の不快感とおぞましさに凛は思わず意識を手放しかけたが、辛うじて持ち堪えた。

 

「な、何が……」

 

「りん? なにしてるの?」

 

 背後から、舌足らずな声が聞こえてきた。その声は、凛にとって聞き覚えのあるものだった。

 

「ジャック? それに、アステリオス?」

 

 彼女の後ろに立っていたのは同じ学校の友達である、双子の姉弟だった。ジャック・グランベルとアステリオス・グランベル。二人の母親は冬木市でも評判のイタリアンレストランのオーナーシェフで、凛は一度ジャックに招待されて、両親には秘密でその店を訪れたのを覚えている。その時に振る舞われた料理の味たるや絶品で、今度は絶対にお父様とお母様も誘って三人で行こうと凛は心に決めていた。

 

「なん……で……」

 

 あんた達がここにと、その問いを投げる前に、緊張の糸から解き放たれた凛は意識を手放して、ぐらりと崩れ落ちる。姉、ジャックが凛の体を、その小さな体躯からは想像も付かない力でしっかりと抱き留めた。

 

「とにかく……りんをおかあさんのところまで運ばないと……」

 

 ジャックのその言葉を遮ったのは、二人が連れていた犬の声だった。

 

「どうしたの? ラエラプス」

 

 幼く小柄であるとは言え二人の胸ほどもある大きな犬だが、しかし大型犬の常として温厚な性格なのかそれともしっかりと躾けられているのか、これまでは無駄吼えの一つもしなかったこの猟犬は、周囲を警戒するように低い唸り声を上げている。

 

「これは……」

 

「……お姉ちゃん、宝具を使うよ」

 

「いいけど……わたしとりんと、あとラエラプスはひきずりこまないでね」

 

 ジャックはそう言うと凛をひょいとおんぶして、同時にアステリオスはさっと手を上げて、そこには光が集まり彼の武器が現界する。現れたのは斧だ。柄の長さはアステリオスの小さな体の、倍程もあるだろう。刃の部分だけでも彼の上半身が隠れそうな、巨大な両刃の戦斧。

 

 ほんの少し、闇が揺れたようだった。アサシン達と同じ気配遮断スキルを持つジャックは、僅かにだが闇に潜む暗殺者達の驚きを感じ取る事が出来た。アサシン達はこの時初めて、ジャックとアステリオスが”自分達と同じ存在”であると気付いたようである。

 

 驚きの次には警戒の色が強くなったが……しかしすぐに、そんな緊張した空気は緩んだ。

 

「わ……ととっ……」

 

 アステリオスはその細腕に似つかわしい程度の腕力しか持ち合わせてはいなかった。喚び出した斧にしがみつくようにして、必死に倒れないよう支えている。それを見たアサシン達は、思わず吹き出しそうになった。この二体がサーヴァントであった事には驚いたが、しかし武器を振るえないどころか武器に振り回されている者など恐るるに足らぬ。

 

 このアサシン達にとっての不運は二つ。一つは未だ聖杯戦争は序盤であり、80の総体がいくつかのチームに分かれて偵察している他の六体のサーヴァントについて容姿の特徴など情報の共有が行われていなかった事。もう一つは切嗣はこの時、別のアサシンと知覚を共有していた事である。もし情報の共有が完璧に為されていて二人がサーヴァントには違いないが”この冬木の聖杯戦争で召喚されたサーヴァントではない”と分かっていたのなら、あるいは切嗣がこの中のどれか一体が見ているのと同じものを見ていたのなら、すぐさま引き上げるか攻撃中止の命令が出ていただろう。

 

 だが、現実はどちらでもなく。このあまりにも無防備な二騎はいずこかの陣営のサーヴァントであると誤認し……それを仕留める手柄はあまりに魅力的であり、アサシン群は功名心に取り憑かれて、逸った。合図と共に、一斉に襲い掛かろうとした、と同時に。

 

「自他封印・生贄回廊(クノッソス・ラビュリントス)」

 

 アステリオスが、宝具の真名を解放する。その言霊を合図として、彼の手にした斧が眩い光を放ち……そして、アサシン達が見る景色が変転する。

 

 気付けば彼等は、見た事もない建物の中に居た。燃える蒼いかがり火、ひんやりと湿った不気味な空気、冷たい石造りの回廊、微かに鼻孔をくすぐる鮮血の臭い。凛達を包囲する陣形を取っていた筈が、いつの間にか一つ所に集められていた。ほんの数秒前まで自分達は町中に居た筈が、一体何が起こったのか?

 

 状況を把握しようと、黒衣の集団がきょろきょろと辺りを見回すと……ずしん、と、建物が揺れた。

 

「……?」

 

 ずしん、ずしん。規則正しいリズムから、これは足音であると分かる。しかも、近付いてきている。自分達の方へ。

 

 やがて曲がり角から、その音源が姿を見せる。

 

 現れたのは荒ぶる牡牛の頭に鋼の如く鍛えられた人の体を持つ魔物。父の愚かしさにより間違った形で生まれ、怪物としての生き方を強いられたクレタの王子。半人半牛(ミノタウロス)の名で知られる迷宮の主。

 

 かつて某所で行われた亜流の聖杯戦争にて、アステリオスはバーサーカーとして召喚された(元より、彼はバーサーカー以外のクラス適性を持っていない)。そして最後の勝者となった彼は、その願いを成就させる。彼の願いは『人間として、正しく生まれ直す』事。そして彼を新しく産み直す器として選ばれたのはマスターであった女魔術師、フィオであった。

 

 当時フィオは妊娠していた。一月前に別の地で行われた聖杯戦争の優勝者であるアサシン、ジャック・ザ・リッパーの願い『母親の胎内への回帰』を叶えて、彼女を身籠もっていたからである。ジャックと同じ子宮にアステリオスも宿り、二人はおよそ九ヶ月後、元気な男女の双子として生を受ける。つまりジャックとアステリオスは、正しくフィオの子供と言えるのだ。

 

 アサシン達はこの時、理解した。獲物を仕留める筈の自分達がその実、怪物に差し出される生け贄の子供であったのだと。そしてここに、テセウスは居ない。

 

 怪物の魔性を取り戻したアステリオスは大きく吼えて、呆然と立ち竦む暗殺者達に猛然と突進した。

 

 

 

<コントロールよりディアボロ1、状況を報告されたし>

 

「報告は……いや……その……」

 

 通信機から聞こえてくる声にどう返したものか、眼下の異様を正確に表現出来る言葉を仰木一等空尉は持っていなかった。

 

 「怪獣が出た」などという何かの悪ふざけとしか思えぬ災害派遣要請を受け、しかし内容はさておきこれは正式な要請には違いないので、冬木市近海上空を哨戒中であった仰木一等空尉と小林三等空尉はF15戦闘機を基地への帰路から反転させ、程なくして冬木市未遠川上空へと到達したのであるが……しかしそこで起こっていた事は、理解は出来ないがしかしこれは確かに戦闘機の派遣を要請せねばならない事態であるとは認識出来た。

 

 河口全域に不気味な霧が立ち込め、何か巨大な質量が蠢いている。上空からの目視で分かる情報はこの程度だった。

 

「もう少し高度を下げて確認してみます」

 

<ま……小林、待て!! 戻ってこい、ディアボロ2!!>

 

 言い様のない悪寒に突き動かされて仰木一尉は制止するが、それも間に合わず小林三尉のF15は機首を下げる。

 

「この距離からなら……」

 

 川の中のあの塊が何なのかが分かる。そう、小林三尉が思考したのと、その音が聞こえてきたのは同時であった。ガンガン、と、キャノピーの強化ガラスを叩く音がする。最初は空耳だと思った。亜音速で飛ぶ戦闘機の風防を、誰がどうやって叩けると言うのか。だが、ノックして中からの返事が無かった事に苛立ったのか、もう一度今度は少し強めにガンガンと叩く音がした。

 

「何が……」

 

 煩わしげに小林三尉が首を上げると……そこにはいつの間にどうやって乗り込んできたのか、全身甲冑に身を包んだ漆黒の人影が機体に掴まっていた。小林の目と、黒い騎士が被った兜の庇から覗く紅い目が、合った。

 

「降りるんだ」

 

 漆黒の騎士が言う。いや機体の中と外で、しかも巨大な金属塊を高速で飛翔させる程のエネルギーを生み出す為に唸りを上げるエンジン音や膨大質量の大気が対流する音に掻き消されて聞こえる筈も無いが、確かに小林には届いていた。怒気を孕んだものでもない、絶対者として命ずるものでもない、静かで大きく、だがそれでも尚小林が従わざるを得ない深い重みを持った声。

 

 一も二も無く、小林三尉はがくがくと首肯しながら殆ど反射的な早さで射出座席(イジェクションシート)のレバーを引いた。次の瞬間、彼の体は操縦席ごとキャノピーを突き破って撃ち出される。

 

「良し……」

 

 黒い騎士は脱出したパイロットが視界の遥か後方でパラシュートを開いたのを確認すると、意識を自分が掴まっている機体へと集中させる。すると、彼の総身を包む黒い霞の様な魔力がじわじわとチタン合金製のF15戦闘機にも浸食し始め、数秒程の間を置いて最新科学の結晶たる兵器を、騎士の得物として彼の支配下に置く。

 

「む……?」

 

 異様な気配を感じた黒騎士が振り返ると、斜め後方では彼と同じ姿をした漆黒の影が、こちらはパイロットの脱出など待たずに同じように魔力によって戦闘機の支配権を己の物として奪い取る光景が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 神秘の秘匿という大原則を無視し、しかも連続殺人犯をマスターとして夜毎の兇行を繰り返しているキャスター”青髭”ジル・ド・レェ。彼はその伝承からして錬金術に耽溺し、数百人の少年少女を虐殺した凄惨な逸話を持つ、”英霊”と言うよりは”怨霊”の側面が強い存在であったのだが、しかしキャスターの狂気がこれほどとは、誰の予測をも上回っていた。

 

 あろうことかキャスターは、魔力炉としての機能をも持つ宝具の能力を最大限に解放し、捻出された莫大な魔力に物を言わせ地球上に並ぶ物無きほどの水棲巨獣『海魔』を召喚したのである。しかも既にその海魔はキャスターの制御を外れていた。これほどの怪物の手綱を握れる者はキャスタークラスに適性を持った英霊の中でもざらには居ない。ましてやそれが正純の魔術師でないジル・ド・レェでは尚の事。尤も、彼は最初から制御しようなどとは思っていなかったのだが。

 

 巨大海魔はコントロールを度外視して、ただ”喚ばれた”だけなのだ。制御を外れた魔物は暴食の本能のままに、数時間もあれば冬木市ぐらいは丸ごと喰らい尽くしてしまうだろう。

 

 これは最早聖杯戦争とかそういうレベルではなく冬木市、引いては世界の危機である。監督役からの命令によってキャスター陣営以外との交戦を表向き禁じられていた他の六陣営はしかし水面下では衝突を繰り返していたが、事ここに至ってはキャスターを放置する訳には行かないと全員の意見が一致し、総力を挙げての迎撃を行っていたが、旗色は良くない。

 

 ライダーの宝具「黄金鹿と嵐の夜(ゴールデン・ワイルドハント)」によって召喚・展開された海賊艦隊が海魔へ向けて一斉砲撃を浴びせるが、強力な対軍宝具も海魔相手には効果が薄い。艦隊が浴びせる砲撃は確かに巨大な魔物にダメージを与えてはいる。だが、損傷した部位はすぐに中から”魔”が湧き出して塞いでしまう。ライダーの攻撃は、足止め以上のものには成り得なかった。

 

 そもそも相性が悪いのだ。対軍宝具にも様々なタイプがあるが、ライダーのそれは一定時間行われる展開した艦隊全ての砲撃によって総合的に高いダメージを叩き出すタイプ。だが海魔は損傷を受けた端から桁外れの再生能力で回復してしまう。あの怪物を倒すのに求められるのは、一撃の下に二度と再生出来ないよう総体全てを吹き飛ばすような瞬間火力。つまりは一撃必殺の対城宝具が必要なのだ。

 

 対城宝具は、ある。だが、

 

「くっ……」

 

 蠢く触手を斬り捨てながら、セイバーは歯噛みした。ここで彼女が持つ対城宝具「約束された勝利の剣(エクスカリバー)」を使えば確かに海魔を倒す事は叶うだろうが、同時に冬木市にも致命的な被害を与えてしまう。無辜の民を巻き込むなど、彼女には到底容認出来る事ではない。だが事態がここまで切迫していては、やむを得ぬ犠牲と割り切って使わざるを得ないか……

 

 逡巡している間にも状況は動いている。悪い方向に。

 

「拙いわね……こんな単細胞に心臓があるとも思えないし……」

 

 手にした紅槍を振り回して群がる触手どもを薙ぎ払い、同時に発火のルーンによる攻撃を仕掛けつつ、ランサーが毒突いた。

 

「手詰まりかっ……?」

 

 アーチャーが苦り切った表情で言った。彼の宝具は大英雄より譲り受けた絶死の毒矢。ギガントマキアでは巨人達をも屠り去ったヒュドラの猛毒である。しかしそれを受けても巨大海魔は動物的な本能かそれともキャスターの指示か、毒が全体に回り切る前に矢が当たった周辺の部位を切り離し、損失箇所はすぐに再生で補ってしまう。

 

「くそっ!! どうにかならないのか!?」

 

 河岸で、ウェイバーが頭を掻き毟りつつ叫んだ。英霊達の必死の応戦も、海魔の侵攻を遅らせるだけの意味しかない。このままでは遠からずあの化け物は上陸を果たし、冬木市の住民達を餌にして限りない増殖と悪食の連鎖を続けるだろう。そうなったら全てが終わる。だが阻止しようにも、その為の手段が無い。

 

「手段は……あるわよ」

 

 不意に後ろから掛けられた声に、ウェイバー、レオ、時臣。河岸に集まっていたサーヴァントのマスター達が一斉に振り向くと、そこには雷鳴を纏った白い牛の背中に乗った美しい女性と、背中に天使のような羽根を生やし、蒼い長髪で目元を隠した少女。その二人が居た。

 

「あなた達は……!!」

 

 アーチャーが二人への畏敬の念と共に呟くが……だが今は見知った顔との再会を懐かしんでいる場合ではない。確かにこの二人の宝具であれば、あの海魔にも対抗出来る。倒す事までは出来ずとも、周囲に何も無い海にまで押し出してしまえば、強力な宝具も気兼ねなく使えるようになる。

 

「では、キャスター……整備は?」

 

「完璧ですよ、ライダー」

 

 ライダーと呼ばれた美しい女性と、キャスターと呼ばれた有翼の少女の会話を聞いたウェイバーや時臣は驚愕する。ライダーとキャスターはたった今未遠川で交戦中である。ならば互いをライダー・キャスターと呼び合うこの二人は何者なのか。

 

 しかし彼等の疑問に答える事なくライダーはその手をさっと掲げると、嵌められた指輪が魔力の光輝を放つ。

 

「出撃しなさい……」

 

 ライダーの動きに呼応するように河面がにわかに泡立ち、水を割って大海魔にも匹敵する巨体を持った何かが姿を現す。

 

 其は、神代の神造兵器。最高神の命を受けた鍛冶神によって鍛えられし青銅に覆われたその体躯は七つの城壁に守られたテーバイ城塞にも匹敵し、その身には噴き上げる神の炎を纏った巨兵。無双の大英雄ヘラクレスですら打ち倒す事は叶わず、コルキスの王女メディアの眠りの魔術に敗れるまで、いかなる外敵からもクレタ島を護り続けた守護神。

 

 その真名は。

 

「”青銅の守護巨神(タロス)”!!」

 

 真名解放によって巨兵は掛けられていたリミッターが外れ、その全身が金色に光り輝く。大海魔は目の前に突如として出現したデカブツを新たなる敵として認識したのか無数の触手を伸ばすが、だが無駄な事。繰り出された触手は灼熱を纏うタロスの体に触れるや否や燃えて、焼き尽くされていく。タロスはお返しとばかりにパンチを繰り出し、熱を纏った鉄拳は怪物の体を一割程も焼き削るが海魔も然る者、持ち前の再生能力を活かしてすぐに損傷箇所を塞いでいく。

 

 神代の兵器と異界の魔物。神話の戦いが具現したとしか思えぬこの戦いは、ますます激しさを増して続いていった。

 

 

 

 午前二時、冬木大橋の四車線道路。ウェイバー・ベルベットは彼のサーヴァント、否、彼の師と共にそこに立っていた。

 

 第四次聖杯戦争もいよいよ終盤に差し掛かっている。

 

 もし、勝利を第一の目標とするのなら今すぐに聖杯の器の確保に動くなり、聖杯降誕の地を確保するなりすべきであろう。幸い、彼のサーヴァントはランサーでありながら極めて希少な固有スキル『二重召喚(ダブルサモン)』によってキャスターとしての能力をも併せ持っており、A+クラスを誇る陣地作成スキルによって確保した地に神殿すら上回る彼女の領地『影の国(アルバ)』を構築して守る事が出来る。

 

 だがウェイバーはそれをしなかった。最初は優勝を手土産にイギリスに凱旋帰国し、鼻持ちならない時計塔の連中に自分の才能と実力を見せ付けてやろうと、それだけを目的として参加したこの聖杯戦争だったが、しかし今は違っている。そんなものよりずっと価値あるものを、彼は既に自分のサーヴァントから受け取っていた。ランサー、スカサハは彼を過大にも過小にも評価せず、厳しく、だが今まで彼が出会ったどんな教師よりも熱心に鍛えてくれた。

 

 魔術の才に恵まれていないと思い知らされた時には愕然としたものだが、しかしこの十日余りの期間で超促成コースの付け焼き刃ながらスカサハより授けられた影の国の奥義は、そのようなコンプレックスを跡形も無く粉砕して余りあるものであった。

 

 そのランサーが授業料として彼に望んだものは、ある男との戦い。それはこの聖杯戦争とは何の関係も無い彼女の私闘であったが……だがランサーが望むものを、求める行動を、ウェイバーが止める事は出来なかった。

 

「ウェイバー……短い間だったけど、私があなたに教えられる事は全て教えたわ……後は、あなた自身が学ぶ事ね」

 

 まるで遺言のようなランサーの言葉に、ウェイバーはかっとなった。

 

「何言ってるんですか!! 先生が負ける訳無いじゃないですか!! 僕の令呪を忘れたんですか!?」

 

 既にウェイバーの体からは、どこからも令呪の気配が感じられない。彼が持っていた三画の絶対命令権は、全てがこの戦いに臨むランサーの補助としてつぎ込まれていた。ウェイバーの家は魔術師としての家系も浅く、彼自身も才能豊かとは言えない。故にランサーにも少なからず影響が生じてステータスがダウンしていたのだが、令呪三画を注ぎ込んだブーストはそのマイナス補正を完全に相殺してしまっていた。今やランサーの能力はほぼ生前と同等、万全と言って良かった。

 

「そうね……ええ、その通りね」

 

 微笑んで頷くランサー。申し合わせた決闘の相手がやって来たのは、このやり取りのすぐ後だった。

 

 闇を切り裂いて現れたのは白銀の軽鎧を身に付けた痩身の影。蒼い髪をして、手にはランサーのそれと寸分違わぬ形状の紅槍を持った獣のような男。

 

「久し振りだな、スカサハ」

 

「あなたもね、セタンタ」

 

 ランサーが男の事をセタンタと呼んだ事で、ウェイバーも気付いた。何故に彼の師が、この相手との戦いに拘ったのか。

 

 セタンタとは、とある英霊の幼名だ。

 

 光の御子、戦場の王、クランの猛犬。その強さ、勇猛さを示す異名・逸話は枚挙に暇がない。影の国の女王スカサハに師事し、彼女から魔術と武芸、そして魔槍「ゲイ・ボルグ」を譲り受けた者。アイルランド最強の大英雄クー・フーリン。

 

「まさか、こうしてあんたと会えるとは思ってなかった……嬢ちゃんの誘いに乗って、現世に残った甲斐があったってモンだ」

 

 クー・フーリンの願いは強者との、死力を尽くした戦い。彼がフィオによってランサーとして召喚された亜流の聖杯戦争にてその願いはひとまず叶った訳だが、しかし他のサーヴァントを全て打倒して後は消えるのみとなった彼に、フィオが言ったのだ。しばらく現世に留まってみないか、と。彼にしてみればフィオは嫌いではないし生前は生き急いだ分、少しはのんびりしても良いかなと、その程度の気持ちで受肉を果たしたのだが……だが今はそうして良かったと思っている。

 

 血を滾らせ、魂を燃やす戦いの相手として、これ以上無い者と巡り会う事が出来たのだから。

 

「そんじゃあ……始めるか!!」

 

「ええ……!!」

 

 クー・フーリンとスカサハは互いの得物、本来有り得ざる二本のゲイ・ボルグの刃先を対手に向けて。

 

 そして最速の英霊たる両者は、まさに風そのものとなって、駆けた。

 

 

 

 セイバーは、夜の冬木市内を疾駆していた。

 

 既にマスターは大聖杯へと向かっており、残ったサーヴァントを掃討する事がセイバーの役目だった。だが、彼女の前に立ちはだかる者がいる。闇のような霧を纏った漆黒の騎士バーサーカー。これまでも事あるごとに彼女の前に現れたこの狂戦士のサーヴァントは、やはり決着を付けねばならない相手であった。

 

 猛然と斬り掛かったセイバーであったが、バーサーカーは魔力を浸して疑似宝具と為した鉄柱を巧みに操り、騎士王の攻撃をいなしてしまった。狂化して理性を奪われて尚、衰えぬ技巧。このサーヴァントが生前に武芸者として究極の域にまで至った英霊である事は、最早疑う余地も無い。

 

「その武錬、さぞや名のある騎士と見込んだ上で問わせてもらおう!!」

 

 意を決して、セイバーが問い掛ける。

 

「この私をブリテン王アルトリア・ペンドラゴンと弁えた上で戦いを挑むなら、騎士たる者の誇りを以て、その来歴を明かすがいい!! 素性を伏せたまま挑み掛かるは、闇討ちにも等しいぞ!!」

 

 だが全ての言葉を言い終えた後で、セイバーは気付いた。今の問い掛けは、致命的な過ちであったのだと。バーサーカーが纏う全身鎧が、震えてかたかたと音を立てる。言い様の無い悪寒が、背筋に走った。セイバーにとってこの相手は、無名の狂犬のままで斬り伏せるべきであったのだ。

 

「あ、あなたは……」

 

 バーサーカーが纏っていた黒い霧が縮み、晴れていく。そうして露わになったのは究極の武芸者が纏うに相応しい、見事な鎧。ただ身を守る防具としての機能だけでなく、騎士達を魅せる豪奢さをも兼ね備えた武具。そして抜き放たれたのはこれまでバーサーカーが使ってきた借り物とは一線を画す、彼自身の宝具。

 

 セイバーの剣とも通じるその意匠。刻み込まれた精霊文字。そして魔剣の属性を帯びて闇に染まっていようと、静謐なる湖面に映る月ように輝くその刃の怜悧なる光を、よもや見間違える訳がない。エクスカリバーの対となる神造兵装「無毀なる湖光(アロンダイト)」。その担い手は、唯一人。

 

「サー・ランスロット……」

 

 今なら分かる。これまでの戦いの中で、バーサーカーがセイバーに異常な執着を見せて襲い掛かってきたのは、あれはマスターの指示でもなければ単にバーサーカークラスに付き物の暴走でもない。バーサーカー自身が、怨恨を抱いてセイバーを狙っていたのだ。

 

「そんな……」

 

 この目で見ても信じられない。ランスロット、彼こそは騎士としての理想を具現化した最高の騎士であったのだ。その彼が狂戦士のクラスに貶められた姿など、決してあってはならなかった。そして、信じたかった。心ならずも袂を分かつ事にはなったが、互いに恨みなどどこにも無い、心根は通じ合っていたのだと。

 

 セイバーは自問する。それは、全て自分の独り善がりであったのか。自分は、間違っていたのか?

 

 答えは出ない。そしてバーサーカーはかつての主の事情になど構わず奔り、手にした剣を叩き付けようとする。

 

 立ち尽くしていたセイバーは、僅かに反応が遅れた。直感が叫ぶ。回避も、防御も間に合わない。無防備のまま、ランスロットの一撃を受ける羽目になる。

 

 斬られる!!

 

 だが、その時だった。影が走る。セイバーとバーサーカーの間に割って入ったその影は、手にした剣でアロンダイトの一撃を、見事に受け止めていた。

 

「あなたは……」

 

「ご無事ですか、我が王よ」

 

 風のように現れたのは、バーサーカーと同じ姿をした漆黒の騎士。だが、身に纏う気配は対極と言って良い程に違っている。清流のように浄く澄んだ気は、まさしくセイバーの知る彼のものであった。

 

「ランス……ロット?」

 

 呆然と、セイバーが呟く。

 

「王よ、ここは私が。あなたは聖杯の下へお急ぎください」

 

 もう一人のランスロットは視線をセイバーに向けつつも、手にした剣の切っ先でバーサーカーを牽制しつつそう言う。ランスロットがバーサーカーであったのにも驚いたが、そのランスロットが二人居るというこの事態は余計に彼女を混乱させてしまっていた。だが、一つだけ分かる事がある。この二人のランスロットはどちらもが本物。変装や幻術ではありえない。

 

 受けた衝撃が大きすぎて未だ動き出そうとしないセイバーを叱咤するように、ランスロットは言葉を続ける。

 

「王よ、このような事で私の罪が許されるなどとは思っておりません……ですがこんな私でも、これだけは分かっています。あなたは間違ってなどいなかったのだと……あなたが自らの王道とした清廉さは、私達をただ救うだけではなく、確かに導いていたのだと……」

 

「■■■■■!!!!」

 

 咆哮しつつ襲い掛かってきたバーサーカーのアロンダイトと、ランスロットが手にした剣が激突する。そうして鍔迫り合いを演じながら、尚もランスロットはセイバーに訴える。

 

「私は既に答えを得ました……遠き地での聖杯戦争が終わった後、フィオ殿を主として現世に残っていたのは、全てはこの時の為であったのだと……!! だから我が王よ、聖杯を手に入れ、あなたはあなたの答えを掴んで下さい!!」

 

 最高の騎士のその言葉は、セイバーを一人の少女から再びアーサー王へと引き戻した。

 

「ランスロット……ここは任せます!!」

 

 彼女は二人の騎士の戦いに背を向けると、柳洞寺への道を駆けていく。

 

「■■■■■!!!!」

 

「おっと、お前の相手は私だ」

 

 バーサーカーがセイバーを逃がすまいとするが、ランスロットに阻まれた。彼女を追う為にはまずは眼前のこの相手を倒さねばならないと僅かに残った理性の中で悟ったらしい。狂戦士はランスロットに魔剣の切っ先を向ける。

 

「……先程、私が現世に残っていたのは今この時の為であったと言ったが、それは何も我が王と言葉を交わす為だけという意味ではないぞ」

 

 そう言って、ランスロットは手にしていた剣を捨てた。どのみち彼の宝具の一つ「騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)」によって仕立て上げられた疑似宝具のランクはたかがDレベル。ランクA++のアロンダイトが相手ではそう何度も打ち合えない。

 

「同胞を斬り、王を裏切った我が罪……この程度で雪げるとは思わぬが……だが己(オレ)の罪と向き合う事は、他の誰でもない己の責務……己は己の罪を、今乗り越える!!」

 

 ランスロットは変身・正体隠蔽の宝具「己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)」を解除し、携えていた鞘込めの剣を抜く。現れたのはやはりバーサーカーと同じ「無毀なる湖光(アロンダイト)」。否、同じではない。ランスロットが手にした刃が纏う輝きは、まさにエクスカリバーの対たる聖剣として恥じぬもの。

 

 湖の精霊より人の手に委ねられたその剣は、待っていた。待ち続けていた。主が全ての迷いを振り切って、再び誇りと共に自分を手に取る事を。その英霊が死して座に招かれ、サーヴァントとして現世に喚ばれてからも、ずっと。そして、遂にその時が来た。真に最高の騎士と呼ばれるに相応しき存在となったランスロットが担う今、アロンダイトは聖剣の格を取り戻したのだ。

 

「円卓の騎士が一人、ランスロット……参る!!」

 

「■■■■■!!!!」

 

 ランスロットとランスロット、アロンダイトとアロンダイト。全くの鏡像たる二騎の激突は空を裂き、大地をも震わせた。

 

 

 

 円蔵山内部の大空洞「龍洞」に施設された大聖杯。冬の聖女ユスティーツァ・リズライヒ・フォン・アインツベルンの魔術回路を拡大・増幅し、六十年に渡って地脈からマナを吸い上げ胎動し続ける大魔法陣。だが本来ならば無色の魔力が貯蔵されているのみである筈のこの祭壇は、今は地の底から湧き上がるような肉と泥の迷宮としか形容出来ぬおぞましい場所へと変貌を遂げていた。たった一人の魔術師の手によって。

 

「あら……最初にここに来るのはセイバーだと思っていたけど……」

 

 雨生龍之介がキャスターの力を借りて芸術作品の材料とする為にさらっていた少年少女が、生け贄として泥と肉にくべられていく。子供達は泣き叫びながら、大聖杯に呑まれていく。この地獄絵図を描いているのは、他の子供達とそう変わらぬ年頃にしか見えない少女だった。

 

 沙条愛歌。最優たる剣の英霊を召喚し、今回の聖杯戦争で優勝候補の一人と目されていた天才魔術師。

 

「……大聖杯を何に使うのかと思いきや……これはまさに、何とかに刃物ね……全く、ろくでもない人の手にろくでもない物が渡ったものだわ……」

 

 呆れたように呟きつつ現れたのは、最強の魔術師の誉れも高きフィオ・レンティーナ・グランベル。従えるサーヴァントは本来聖杯戦争には存在しない第八の英霊、アヴェンジャー。

 

「ろくでもないとは失礼ね、これが聖杯の本当の使い方よ? どうにもこれ……無色の魔力どころか何かに汚染されてるみたいだし……どのみちこれ以外の使い方は出来ないわよ。ああそれとも、あなた程の人が、願いを叶えるなんてふわふわとした話を本気で信じてたの?」

 

 愛歌はそこに悪意も敵意も無く、首を傾げて心底不思議そうな顔でそう尋ねる。これを受けてフィオも、困った表情になった。

 

「いやぁ……私も今まで何十回も聖杯戦争に巻き込まれたし、万能の願望器なんて眉唾物だとは知っていたけどね……それでも、サーヴァントの受肉ぐらいは出来たけど……けど魔術師ならもっとこう、根源への到達とか……そういう目的の為に使うものじゃないの?」

 

「根源への到達? それこそつまらないわ。あなたになら分かるんじゃない? そんな所、私達は」

 

 愛歌の瞳が深い色に変わる。まるで、宇宙の果てに通じているように。

 

「生まれた時から繋がっているもの」

 

 ぱちんと、愛歌が指を鳴らす。すると聖杯の泥が盛り上がって、濁流となってアヴェンジャーの肉体を呑み込んだ。

 

「これは……」

 

 為す術もなく泥の中に消える復讐者の英霊。サーヴァントを一瞬にして奔流の中に融かし、分解吸収してしまったこの泥も恐ろしいが、真に驚愕すべき点は別にある。たった今の泥の攻撃は、明らかに愛歌の意図したものだった。つまり彼女は、大聖杯を完全に支配下に置いているという事に他ならぬのだ。

 

「私と同じで根源に繋がったその体……面白い玩具になりそうね」

 

 フィオに向き直ってそう言う愛歌の表情には嘲りも悪意も無い。あるのは遊びで虫の手足を一本一本千切ってはもいでいく子供のような無邪気さだけだ。周囲の泥と肉が彼女の意思に連動して、蠢く。いかにフィオが最強の魔術師とは言え、サーヴァントを失い、聖杯を支配した根源接続者が相手ではまさに絶体絶命、かに思われたが。

 

「残念ですが……そうはさせませんよ」

 

「「えっ……?」」

 

 泥の中から聞こえてきたその声に、フィオと愛歌の両名が驚いてそちらを向く。タールのように黒々とした粘着質な流れを裂いて現れたのは、黒衣のサーヴァント・アヴェンジャー。

 

「どうして……? この泥はこの世全ての悪……これに触れて、暗黒面に堕ちない英霊なんて……」

 

 完全に泥の中から這い上がってきたアヴェンジャーは何でもないかのように泥を掬うと、万象を焼いて死をもたらす泥を事も無げにぐちゃりと握り潰して、捨ててしまう。

 

「アヴェンジャー……あなた……」

 

「私は大丈夫ですよ、マスター……元より私の体はあれと同質の呪い……”この世全ての罪”に汚染されていますからね。今更、染められるまでもなく真っ黒ですよ」

 

「……この世全ての罪……罪の結晶たる果実を口にして、ありとあらゆる原罪に染められた体と魂……成る程、確かにあなたはこの泥に染める事は出来ないわね……」

 

 アヴェンジャーの真名にアタリを付け、納得が行ったという風に愛歌はうんうんと頷く。同時に無数の泥と肉が触手のように束ねられて、一人と一騎を囲んだ。

 

「なら……あなた達二人とも、バラバラに引き裂いてしまえば良いだけの話ね」

 

「マスター」

 

「ん?」

 

「私は自分の願いを諦めた訳ではありませんが……ですが私の体と同じ呪いに侵されたこの大聖杯は、人の世に残しておいてはならないものです。破壊すると言うのなら、手伝いますよ」

 

 サーヴァントのその言葉に、フィオは我が意を得たりと会心の笑みを見せる。

 

「それじゃあ……頼むわ!!」

 

 根源接続者VS根源接続者。この世全ての悪VSこの世全ての罪。

 

 最後の戦いが、幕を開ける。

 

 

 

「ふん……フィオが指定した時間だが……首尾良くやったのだろうな? あいつは……」

 

 円蔵山を視界に収められる高台で、中華風の衣装を身に着けたサーヴァントの少年は、心配と苛立ちが半々といった口調で吐き捨てた。

 

「まぁ、あいつなら大丈夫か」

 

 彼は一人で勝手にそう納得する。尤もこれは、フィオの実力への絶対的な信頼があってこそでもある。

 

「僕は、僕の役目を果たすとするかね」

 

 懐からリモコンを取り出し、慣れた手付きでスイッチを弄る。最終の安全確認コードを送信し、そして彼の宝具は、動き始める。

 

「目標、円蔵山地下洞窟!! 射撃可能位置に到達するまで30秒!!」

 

 神造宝具の対極たる人造宝具。神秘と並び称される人の叡智の結晶。衛星軌道・デブリベルトに隠された地上狙撃システム。神域の天才の発明にして、かつて大宋国に仇なす者共を滅ぼした兵器。主たる彼が死して後もその兵器は八百年以上を稼働し続け、命令を待ち続けていた、即ち現存する宝具。

 

「轟天雷・星辰砲(サンダーキャノン・サテライトランチャー)!!!!」

 

 真名解放と共に、まさにその名の通り雷の如く天空より降ってきた光の柱が、円蔵山に落ちた。

 

 

 

 主は語った。地に富を積んではならないと。

 

 虚飾の繁栄を無に帰した時、次代の千年期は訪れる。

 

 富の象徴、人の七罪。

 

 汚れに汚れた金の杯。

 

 全ては天の門を開く為。

 

 最後の奇跡は、最も優れたモノの手に。

 

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