セリフが無いことに挑戦してみた結果
アクラ・ジェビアのデカルト
風と共に砂が舞いあがり、自分の甲殻にひっついた。だが、己の体は最早動かすことすらままならない。本当に長く生きたものだと、自分自身さえあきれ果ててしまう。
はて、外に出よう。そう思い至ったのはいつのことだったのだろう。
遠い昔に思い切ったことだが、後悔はしていない。
「人間」という生き物が持つ知識欲を満たす事が出来たのだから。
朽ち果てる体は十分に生きた。そして、孤独に死んでいくのもまた――――
巨大で人をも脅かすモンスターと呼ばれる存在が跋扈する世界。そんな弱肉強食が当たり前の毎日が続く中で、ひと際異彩を放った存在が育つと言うのは、そう珍しい事でもない。ひとえに、その突然変異が定着する現象を人間は進化と呼んでいる。
その「進化」を絶えず行うモンスター達から例を上げるとするなら、火山の過酷な環境で天敵も少なく生きるために堅牢な岩盤を貼り付けた皮膚を持つようになったり、密林の奥地で息をひそめる狩りをおこなうために漆黒の毛並みと鋭い一撃必殺の刃を持ったりなど様々なものが思い起こされるだろう。
現存するモンスターは大小の差はあれ、そうした「進化」を行ってこの時に至るまで命を繋いできたのであり、時にはその恐るべき進化を遂げたモンスターを狩る「ハンター」に対応して己の身を進化する種族までいる始末。
そしてこれから語られるのは、その中でも希少な種族である「アクラ・ヴァシム」と呼ばれる種族の御伽噺のようなオハナシであり、彼の最期の回想だ。
朝日が降り注ぐ沼地の中、湿った空気を大きく揺らす存在がそこにいた。
それは本来洞窟から出ることは無く、その薄暗い洞穴の中や時には乾燥した砂漠で一生を過ごす「蠍」と呼ばれる節足類の一種族。ただし、その大きさは元来の蠍と言う種族を大きく上回っていた。
―――アクラ・ヴァシム
そのような名称で呼ばれる大型の蠍の姿をしたモンスターがこの世界には存在している。その身に纏う輝く結晶はそのモンスターの血液が凝固し、露出したものであり、その美しい輝きの結晶に覆われた尻尾を地上に出し、近づいた愚かな獲物をヤオザミ――の比ではない事は確実なのだが――のように強襲し、欲や光に目がくらんだ得物の命を奪う。蠍の姿をしているだけあって尻尾からは麻痺毒が検出されているという報告さえ存在する。
―――………。
しかし、現在沼地に潜むこのモンスターはそのアクラ・ヴァシムと特徴を同じくしつつも、どこか違う雰囲気を放っていた。これも常識的な範囲の中で知られる事なのだが、モンスターの中には「亜種」と呼ばれるものがいる。それは最初期に発見されたモンスターと姿は似ていても、生態や性質が全く違う進化を遂げた同質のモンスターであるとも言われているらしい。住処の違いや外敵に適応するために形はそのまま性質を変えたとも言われているが、モンスター研究の第一人者である竜人族はそれ以上の情報に関しては閉口するばかり。真相が日の目を帯びるには、彼らの厳密な審査を通る必要があるのだろう。
少しそれてしまったが、話を戻そう。
此処で言う…そう、「彼」と仮定するべきだろうか。
その「彼」はアクラ・ヴァシムの亜種族に属している「アクラ・ジェビア」と呼ばれる個体だ。本来の温厚で受け身の体勢を敷くアクラ・ヴァシムという種族とは違って好戦的で、熟練のハンターでも苦戦する特徴を多々有しているのが印象に残り易いモンスターである。
そんな亜種として分類される彼は、その昔、この洞窟に暮らしていたアクラ・ヴァシムの子として生まれた個体だった。
生まれて数年で見上げるほどの大きさまで成長したのはいいが、種族の殻の色が違うからか、元々アクラ系列のモンスターが成長する過程で親子と言う概念は無かったのかもわからない。モンスターの生態と言うのは、まだまだ人の手で解明される部分も少ない体。
そんな中でただ一つ言える事は、彼は天涯孤独の身の上で生きて来た経歴があるというだけ。そして、その道程を歩むと同時、彼は本能のほかに胸の内に生まれたものがあった。それは、本能の身に生きるモンスターにとっては不要かつ、有り得ないもの。
―――我とは、何ぞや。
自問自答。かのデカルトが提唱した“我思う、ゆえに我あり”。自我。
どうとでも表現できるが、証明は難しいソレを彼は生み出したのだ。
体をいくら押しても崩れない、目の前にある硬い物は何であろうか? この腕の鋏に生える体から出でくる液体は何であろうか? 我という意識はなにゆえに存在するのだろうか。無心に手を動かした時、何故我はこの洞窟から出るという発想が無かったのだろうか。
思えば思うほどキリが無くなる。この全てが命がけの世界に住む普通の人間なら、まず疑問にも思わないような事を彼は思ってしまったのだ。
そこからというもの、全てを初めて見た。全てを始めていた。おそらくは、無意識に。体は洞窟の外を避けていたというのに、彼の持つ「
彼が日の光が差しこめる場所で洞窟の外を見上げると、外の時刻はちょうど曙の頃。のっそりと洞窟から這いだした宝石の様な彼の殻は、生まれて初めて日の光を浴び、玉石のように煌めきを放っていた。
そして、思う。
―――嗚呼……。
意志を持った、からかもしれない。
日の光と言うものが、こんなにも「感動的」だと思ったのは。
第一歩を踏みしめて、初めて彼は住んでいた沼地と言うものを実感した。洞窟の中にも劣らずのじめじめとした陰鬱な空気。瘴気を吐きだす毒
そんな新たな感動に引き立てられ、櫛状板で結晶を掻き撫でる仕草をしてしまった。
次に興味を示したのは、この体に絶えず小さな衝撃を与えてくる水の粒。洞窟の中でも大きなものがぼたりと落ちて来た事はあったが、此処の物は遮りの無く開放感を感じる先の先…途方もなく終わりが見えない
そこでハタ、と気付いた。これは時折、体を潤す為に飲んでいる物に似ていると。それを思って鋏についた「それ」を鋏角に乗せて口に運ぶと、やはりまったく同じものだという確信を得た。
「我」と言うものを思ってからの行動が新鮮に思え、それからも彼は巨体を支える四肢を器用に動かしながらどんどんと前進を続け、金色の草が生い茂る沼地の奥地に訪れた。その場所は火を噴く竜の種族や毒を撒くゴム質の竜などがよく訪れ、柔らかな金色の草を寝床にしている場所。つまりはテリトリーと呼ばれる場所だったのだが、彼は洞窟と言う世界しか知らなかった。だからそれを知らずに、長い間洞窟では見た事の無い金色の草を長々と見つめてしまっていた。
ゆらゆらと揺れる草を目で追うと少し目が回ってくらくらしたが、その房の先を見てみれば小さく膨らみ、そこに次の同族の種が込められているのだと本能が理解する。そこらに生えているだけのものも、確かに命を持って生きているのだと、彼はまた一つ新たな知識を得て行った。そんな感動を味わい、新たな探究欲を引きたてられたその時だった。
その新たな感動には程遠い、重低音を感じ取ったのだ。
―――ぶもぉおおおおお!!
―――……?
荒々しい鼻息が聞こえたかと思うと、振り向いた先に自分の体躯の半分ほどもないが、それでも巨大と言える大猪が猛っていたのである。その猪は人間の間では中型モンスターの括りに入れられる種族であり、人間によって名付けられた名称を「ドスファンゴ」と言った。
意味をそのまま受け取るなら、「
とはいえ、彼はその事を知らない。
彼のいた洞窟は既に彼がテリトリーにしていると知っていたからか、このドスファンゴは体躯の大きさから勝てないと言う事を悟り、今まで一度も彼のいた場所を訪れた事が無かったからだ。だが、しかしだ。今回ばかりはその勝てないという不文律を覆す行動を彼は犯していた。
それは、通り道に過ぎないとは言ってもドスファンゴの治めるテリトリーに踏み入った事。一族の長として多くのブルファンゴを従える立場上、面目を立てねば長は務まらないのである。ここで人間ならば力の強い相手には敵わないと知って逃げ出すだろうが、生憎とこのドスファンゴ、此処に至るまでにそれなりにストレスをためていて、とても好戦的だったのだ。
―――ぶぅん…ぶん…も゛ぉぉおおおおおお!!!
後ろ脚を勢いよく叩きつけ、助走によってその突進力を増す。幾多の彼らの敵を仕留めて来た大牙を沼地の水たまりと同様に光らせながら、テリトリーを犯した存在である彼に向かって断罪の突進を繰り出した。
速度とドスファンゴ自身の質量を組み合わせ、圧倒的な破壊力を誇る猪の特徴でもある鋭い突進が彼に迫り、その凶牙を唸らせる。対する彼はと言えば、テリトリーと言う不文律を知らないがゆえ、この突然の出来事に対処のしようが無く、後ろ脚を二歩ほど下がらせて何故かこちらに来る相手に混乱することしかできていなかった。
―――ぶも゛ぉぉおぉぉぉっ!!
そして、ついに直撃が訪れる。
ドスファンゴの牙が得物を仕留めた時の様に勢いよく彼の体に突っ込んで行き、盛大な衝突音を響かせた。どずんっ、という低い音はドスファンゴの必殺が命中したことを証明し、彼、アクラ・ジェビアはその一撃をくらってよろめく―――筈だった。
しかし、なんということなのだろうか。ドスファンゴの決死ともとれる突進は、彼の装甲を少しばかり突き破るに留まり、空しくその場で彼の体重に負けて止められてしまったのである。
―――ぷぎ、ぎぃいい! ぎいいいいい!!
彼の発する音は悲哀に満ち、それでいて憤怒を滾らせるものだった。
悔しいのだろう。彼が長となってからは、その「キングサイズ」と呼ばれる体躯と「上位」に属する攻撃力に耐えられるものはおらず、この沼地で敵はいなかった筈だったのだ。その恐ろしさに、前述した飛竜である筈のリオレイアやゲリョスもこの場所を完全な縄張りとして登録することは敵わなかったのである。だというのに、ドスファンゴを受け止めたアクラ・ジェビアというモンスターは、長年鉱石とささやかな肉を喰らって怠惰に過ごした。たったそれだけで、その一撃必殺の突進を止めてしまったのだ。
弱肉強食と言う言葉を覆すかに思えた、猪の僅かな反乱。それが今此処で潰えるのだと、実力野差をはっきりと自覚したドスファンゴは訪れるであろう暴虐による死に身を構えた。最後のあがきとばかりにもう一度突進まで行おうとしたのだが……それら猪の想像は、悉く覆されることになる。
―――……? ~~~ッ!!
彼は、痛がっていたのだ。
硬い殻で覆われていたとはいっても、先ほど語ったようにその装甲は少しばかり突き破られており、彼の肉まで到達していたのだ。だからこそ、と言うべきなのかもわからない程当然に痛みが生じる。痛覚がない筈のランゴスタもそうであるように、モンスターは総じて「のけぞり」という現象を起こすので、蠍が元のモンスターであるアクラ・ジェビアもまた「痛がった」のだ。
そして彼は敵も居ない洞窟から出て来た事は無く、戦いと言う現象そのものを知らなかったのである。故にこの突進で反撃と言う手段を用いず、痛がってその場に体を支える四っつの脚を伸ばし切り、その場で地団太を踏みながら痛みにもだえていることしかできないでいた。
これに驚いたのはドスファンゴ。まさか自分より力のある上の相手がこうなるとは小さな脳味噌でも思わなかった。自分は殺される。そう言った自然の摂理をあっさりと無視した目の前の蠍の存在に目をパチクリとすることしかできなかったのだ。
とはいえ、助かったと言うことぐらいは理解できた。だからこそ、彼は一族の長として、リーダーとして群れを率いるために「生存」の手段として逃走を図った。突進に使われる速度が逃走と言う形で適応されるのは実に滑稽な姿だったが、生憎と逃げるドスファンゴを追う者はいない。危害を加えられた本人は憎いと言う感情さえ抱かずにいるのだから。
それからしばらくの時間が経過して、ようやく人生初めての怪我を負った痛みに慣れた彼が立ち直ると、既にそこにはあの大猪の姿は無くなっていた。何故あんなことしたのか、それを「知りたかった」という欲求こそあったというのに、と彼は意気消沈する。
アクラ・ジェビアは種族的に好戦的。先に前述したが、どうやら彼においてはそれが適応されないと言う事が、この始まりの地、沼地で明らかになった「彼」の生態であるようだ。
結局のところ、彼はそこまで移動する事も出来ないでいた。
数日経って、彼はまた洞窟に戻っていたのだ。やはり長い間過ごした場所には愛着があり、どうしてもまた此処に住んでみたい、と思えるような場所がこの沼地だけでは見つからなかった事もあって、しばらくはこの洞窟を寝床として扱っていたのである。そんな彼がこの洞窟を離れたがらない理由としてはもう一つの原因があり、それは彼の周りに転がる数々の「コレクション」のこともあった。
洞窟から出た事は無いが、地面を掘り進んで行った中、沼地の壁を超えた先にあった小さな囲いの中で見つけた「ネコ毛の紅玉」や、「ハンターごっこ」のためにお忍びで遊びに来ていた貴族がモンスターに襲われ、不遇の死を遂げた際に遺物となった「落し物の傘」(とはいえ、彼はこれが雨を避けるものとは知らないのだが)。果てには、近くを徘徊するモンスターが毛玉を吐きだすようにペッと吐いた数々の「
―――~~~♪
アイルー、と言うらしい。沼地にいた二本足で立つ毛玉から教えてもらった言葉。言葉にすることはまだ敵わないが、その身が最初に覚えたのは「美しい、感動」と言った胸から込み上げる今までの自分の感情を形にしたものだった。たったの数日ではその程度しか覚えることはできなかったが、そう急ぐことも無い。ゆっくりといろんなことを覚えて行こうと彼は思っていた。
そして、己が無意識に思ったこの感情が「知識欲」と呼ばれる欲の一種だと言う事も、何となく実感していた。どうにも言いようのないもやもやが分からず、ようやく本能と同列にも考えられるものだと認識できたのだが、とにかくそういうものが我の中にある。そんな事を漠然と思えるようになっていた。
―――……。
日は長く、言葉は知らずともこのアクラ・ジェビアは「これはこういうもの」「あれはそういうもの」と言った具合にこの沼地に在る物は大体どんな効果を持つか、と言う事をその頭で理解する事が出来ていた。ただ、その理解する「理性」はアイルーやメラルー、そしてチャチャブーと言った一部の人間と共存できるモンスターに限るものであって、何度も言うように、本来ならこの大型モンスターである「彼」に宿る事は無い。
もし、全てのモンスターが「我とは何ぞ」という問いかけを覚えたのならそのような前提は覆されるのだろうが、闘技場で戦わせられる為、人間に育てられたモンスターたちでさえそのような結論に達する事は絶対に不可能であるのだから。
その辺りを踏まえるとやはり「異端」。
彼と言う存在がこの世界にとってどれだけ異常な物かが際立てられる。
――――。
しかし、そんな「通例」を彼が知る筈も無い。そしてその通例に合わせる必要も無ければ、異端として己の身を恥じなくともいい。彼はあくまで彼自身に過ぎず、ただ生きてきた上で身に付いた能力の内の一つとして「考察」を持っただけであるのだから。
リオレウスの中でも火球の威力が高い個体と同じ。ガノトトスの中でもひと際体格が大きいものがいるだけのこととまったく同じ。彼の考察するという習性もまた、無数に存在するモンスターの個性の一つ。
それ故に、いや、そうでなくとも彼はこの「考えること」を止めるつもりも無ければ、他から言われて手放すつもりも無かった。他の者の言葉を理解できるようになっている頃には、彼も恐らくは今以上の知性を持っているだろうし、そこまでの知性を持っているならばそうそうには自分の考えを曲げない信念さえ持ちうるだろう。つまり、理性の中に在る「心」を理解しているに違いない。
とはいえ、彼がまだまだ未熟で大地に立ったばかりの赤ん坊並みの「知識」しか持っていないのは事実である。しかし、その未熟さがあるからこそ、彼は終わることの無い好奇をその体の中に宿し続け、己の近くにあるものを「こういうものである」と理解するまで様々な事をし続けるだろう。
蠍は、己を認識して初めて、この世界の広さに気付いた。
その世界を更に広めていくために、より多くの物事に「気付く」ためにもその足は外へ向かう事になる。
―――これはそんな物語の一ページ目。彼の始まりの、オハナシ。
天から降り注ぐものは、少しばかりビリリと来るらしい。
下から湧き上がる方は、飲んで体を潤わせるものらしい。
後に、天の方はこの場所でのみ「毒」と言うものを含んでいると知った。
また一つ、我は知る。