吸血鬼さんは友達が欲しい   作:河蛸
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41.「燃えよオグレス」

「……ははぁ、なーるほどねぇ。つまりこういう事か。ヤマメとパルスィは怨霊に憑かれて利用されている。他の連中も同じ。でも私は乗っ取れなかったモンだから、こうして徒党を組んで動きを封じようって魂胆なわけだ」

「え? え? え? え?? ちょっ、待ってよ勇儀、私全然理解が追いついてくれないんですけど!?」

「簡単に言やぁ、地上で言う異変ってやつさね。ホラ、この前萃香が居酒屋で話してたじゃないか、明けない夜だったり四季の花が一気に咲いたり天気が滅茶苦茶になったりってやつ……あれ、あの時キスメ居たっけ? まぁいいや。とにかく、皆は悪い奴に操られちまってるってことだよ。んで、私たちは運悪く巻き込まれたってことさ」

「なるほどガッテン! でも私関係無いんで帰らせてもらって良いですか!? 邪魔しないからおーろーしーてーよー!!」

「カカカ。そりゃ無理な話よ。だって私でも動けないんだもん」

 

 柱に縛り付けられていながら、まるで問題にしていないように勇儀は笑った。かつて四天王と名を馳せていた鬼の首魁の一人だが、土蜘蛛の糸を簀巻きなるまで絡み付けられては、流石に一筋縄ではいかないらしい。

 勇儀と反対側に逆さの状態で縛られているキスメは、血が上って来たのか顔を真っ赤にしながら爪先をパタパタさせている。幾ら妖怪でも時間の問題だろう。だが無情にも、暴れようが喚こうが糸は解ける様子を見せない。

 

 それを、愉悦の笑顔で眺める女が一人。

 ゆったりとした茶色の下地に黄色い網目模様が特徴的なジャンパースカート。頭頂で纏められたお団子の金髪は、どこか快男児のような活気ある印象を与える。

 名を黒谷ヤマメ。大和の国では鬼と並んで名高い大妖怪、土蜘蛛に連なる少女である。

 けれどその中身は、全く別のもので占拠されている様子だが。

 

「ところでよう。ヤマメの体使ってるお前、名前はスカーフ野郎であってるか?」

「……スカーレットだ、鬼の大将星熊勇儀。もっとも、この体だけではなくこの場に居る全員が()なのだがね」

 

 卿は意識を植えた怨霊を分霊に改造し、回路を繋いで寄生した妖怪たちを操っている。群体でありながら全て独立した自我である彼は、もはや個人の定義が破綻していると言っていい。

 悍ましい背景を察しながらも、鬼の顔色に変化は無かった。むしろ外道であるが故に清々している、といった風体だ。

 

「そ。んじゃあ、早速おっぱじめるか。……と言いたいところだけど、その前に二つか三つ、質問いいかい?」

「フン。そんなザマでは満足に戦うどころか、動けるわけも無かろうが……良いだろう、聞くだけ聞いてやろう。別段隠し事も無いのでな」

「中々気前のイイ奴じゃあないか。なら一つ目。どうやってヤマメを乗っ取った?」

 

 至極真っ当な疑問だった。

 土蜘蛛と呼ばれる魔性は、かつて日の下を混乱の渦へ落とした名だたる大妖怪の銘である。黒谷ヤマメは土蜘蛛にしては陽気で、友達想いで、一見すると血生臭い荒事とは無縁な少女に見えるかもしれないが、その格は紛れもなく本物だ。鬼の四天王たる勇儀には勝らずとも、不意打ちを突かれた程度で乗っ取られるタマではない。

 なのに、現実としてヤマメは良いように操られている。そこに至った経緯が、勇儀にはどうしても腑に落ちなかったのだ。

 

「……」

「だんまりかい。じゃあ二つ目。()()()()()()()()()()()()()

 

 勇儀がこの問いを吹っ掛けたのには、無論ちゃんとした訳がある。

 周りを囲む鬼を筆頭とした魑魅魍魎や黒谷ヤマメからは、勇儀が最も嫌う者の()()が鼻が曲がりそうになるほど漂っていた。しかしパルスィからはその忌まわしい臭気が感じられないのだ。それに、よく見ると熱を持っている様に顔が紅潮していて瞳は虚ろだ。体は平衡感覚が鈍くなっているのか小刻みに揺れており、とても平常運転とは思えない。

 どう考えても他の連中とは状態が違う。故に勇儀は訝しんだ。

 しかし、その問いにもスカーレット卿は答えなかった。

 

「……三つ目。鬼共をどうやって乗っ取った。曲がりなりにもこいつらは鬼の一味、私の舎弟や家族どもだ。地上の生半可な妖怪とは鍛え方が違う。お前みたいな糞野郎の洗脳を簡単に許しちまうほど軟弱な野郎どもじゃあない」

「…………」

「答えやがれ、スカーレット」

 

 暫しの間が、ぽっかりと空いて。

 笑いを堪え切れなくなったように、卿は突如噴き出した。

 目を覆い、クックッと喉を打ち鳴らす。異様な態度は勇儀の神経を容易く逆撫でた。

 

「何が可笑しいってンだ」

「いやいや、思い出し笑いさ。そう、思い出し笑い。いやぁ、我ながらここまで上手く行くとは思っていなくてね。うん、実に愉快な心地なんだよ」

 

 まぁ、それはさておいて。と卿は咳払いと共に愉悦を斬り落とす。

 

「星熊勇儀。君は、妖怪を誑かすにあたって最も簡単な方法は何だと思うかね?」

「あ?」

「それはね、存在意義に矛盾を起こさせる事なんだよ。自己の破綻、と言った方が正しいかな。例えば垢を舐める妖怪がいたとして、そいつの舌を引き抜いたらどうなるか? 無論垢は舐められなくなる。じゃあそいつは果たして垢舐め妖怪と名乗れるのだろうか? ()()()()妖怪として確立できるのだろうか? できんよなぁ。垢を舐められなければ、そいつは垢舐め妖怪とは言えんだろうさ。……ここまでくれば、察しがつくんじゃないのかい?」

「……!」

「そう。こんな風に矛盾を突き付けてやるとな、いとも容易く妖怪はバランスを崩すんだよ。存在の均衡を揺るがせた妖怪につけ入るなんて詐欺より簡単さ。だから――先ず、この橋姫から落とす事にしたんだよ」

 

 フラつくパルスィを抱き寄せて、愛しむように頭を撫でる。指の間から金糸の髪がすり抜けて、尖った耳が顔を覗かせた。

 だらり、とヤマメの口から舌が零れる。蛇の様に蠢き粘液を纏って光る様を見て、勇儀は顔を猛烈に顰めた。絵面の美醜の問題ではない。赤の他人が人の体を乗っ取って、ましてや女の体を良いように弄んでいる姑息さが、勇儀へ強烈な不快感を与えたのである。

 

「水橋パルスィ。嫉妬の女神にして橋姫であり、鬼神の側面も持つ女。……彼女は嫉妬の塊だ。嫉妬こそが生き甲斐と言っても差し支えない。他人の幸福も不幸も妬ましいと嘯き、それを糧とする彼女と私の能力は、実に相性が良くてね。彼女の抱く嫉妬心を全部()()に変えてやったら、あっさり自我を見失ったのさ」

「なんて事しやがる……!」

「だがしかし、残念ながら予想以上にダメージが大きすぎた。体力を消耗させ過ぎて、接続は出来ても()()()が入り込める余裕は無くなってしまったんだよ。彼女にはまだ嫉妬を操って貰う仕事が残っていたから、ノッケからくたばられても困る。なので少しばかり術を盛って軽い酩酊状態にしておいた。フラフラしているのはその為さ。お陰でよく言う事を聞いてくれる親友となったがね」

 

 安心を与える程度の能力。レミリアが便宜上そう名付けた力は、精神系の妖怪に対して非常に強力な作用をもたらす場合がある。

 まさにパルスィがそれだった。嫉妬の全てを濃厚な安心へ挿げ替えられ、精神の調和を著しく乱されてしまったのである。結果、自身の精神と現実の感情との間に強烈な齟齬が生まれ、噛み合わない歯車が互いを押し潰し合うように、『水橋パルスィ』という個を崩してしまったのである。

 その歪に漬け込み、卿はパルスィを陥落した。思考も判断力も奪い、能力を発動させる傀儡としてしまったという訳だ。

 

 そこまで察して、勇儀は芋づる式に答えを得た。

 何故、ヤマメがあっさりと悪霊の魔の手に落ちたのか。何故、鬼たちまでもが容易く翻弄されてしまったのか。

 

「……外れていて欲しいんだが、まさかよう、パルスィを人質にヤマメを脅したんじゃあるまいな?」

「ん? いや、大当たりだよ星熊勇儀。そうでもしなければ土蜘蛛を乗っ取れるはずが無いだろう。全く困ったものだ、地底には豪傑が多すぎる」

「てめえッ!!」

「ぎにゃああーーッ!! あ、暴れないで勇儀締まる締まる締まってるゥ!!」

 

 勇儀は弱い奴が嫌いだ。腕っぷしもあるが、それよりも精神的に()()奴が大大大嫌いだ。

 姑息で、卑怯で、仁義も道理もへったくれもない心の持ち主が、我欲のままに他人(ヒト)の体を乗っ取って、他人(ヒト)の弱みにつけこんで、正々堂々とは対極の戦いを挑んできている。額の血管が数本弾け飛んでもおかしくない憤怒がマグマの如く込み上がり、縛られた体のまま飛びかかろうと文字通り怒り狂った。後ろで繋がっているキスメの存在を、思わず忘れてしまう程に。

 

「つゥーことは、アレだ。ここにいる奴らも全員、パルスィを操って嫉妬を爆発させるなりなんなりしてココロに隙を作り出し、その穴を突いて入り込んだクチかい」

「ああそうだ。卑怯と言ってくれるなよ、効率と私の戦力を考えた上での作戦なんだから」

「反吐が出るね。腕っぷしで従わせたならまだしも、弱みを握ってお山の大将気取るその態度は心底気に食わねぇ」

「結構。鬼の美学なぞ私にとってはどうでもいいことだ。存分に喚いてくれて構わんぞ、どうせ指先一つすら碌に動かせないのだからな」

 

 現状を検討する限り、スカーレット卿の言っている事は事実だ。どれだけ怒りを滲ませて叫ぼうが、どれだけ理不尽な行いを糾弾しようが、今の勇儀に取れる手段は無い。無理に動けば糸の強さで体が引き千切れかねないし、下手をすると後ろのキスメが先に真っ二つになってしまう。いくら肉体のダメージに強い妖怪でも両断されれば無事では済まない。弱った瞬間を狙って更に縛り上げられるか、最悪操られている者たちと同じような運命を辿るかもしれない。

 

「――……ひい、ふう、みい、よ……」

 

 しかし勇儀は、文字通り手も足も出ない身になってしまっても、瞳から闘志の輝きを一片たりとも掻き消す事はしなかった。

 どころか、ただ冷静に、視線を右往左往させて謎の数を数え始めている。

 異様な行動に、流石のスカーレットも疑問符を浮かべざるを得なかった。

 

「何の数字だ、それは」

「ここにいる、お前が辱めた野郎どもの数だよ」

 

 一切鋭さを鈍らせない刀剣の如き眼差しは、眼を合わせれば視線で頭蓋を抉り取られそうな気迫を秘めていて。

 

「そいつら全員のツケを私が代わりに払ってやる。いいか糞野郎、全員だ。ここだけじゃない、外にも待たせてるだろう奴らの分の支払いも、アンタの面に叩き込んでやるから覚悟しときな」

「これはこれは、また大きく出たものだ。目と鼻の先の私にも噛みつけないお前が私を殴り倒すときたか」

「知らねぇってンなら教えてやる」

 

 ――空気が、変わった。

 

「鬼はな、絶対に嘘を吐かないんだよ」

 

 ドクン、と心臓の鼓動の様な波が空気を伝って走り抜ける。星熊勇儀から放たれた不可視の波動だった。彼女を爆心地として強さを増していく波動は、徐々に建物全体を揺るがすにまで到達する。

 スカーレット卿は異変を前に余裕の字を崩さない。そもそもこの男は狡猾を極めた妖怪だ。紫の手によって正体が暴かれたとはいえ、それでも勇儀の前から行方を晦まさなかったのは勇儀の束縛に絶対の自信を賭けているからである。綿密に彼女たち大妖怪のデータを分析し、確実に動きを止められる作戦だと結論付けられたからこそ、ここまで慢心していられるのだ。

 

「妖力の圧で糸を吹っ飛ばすつもりか? 無駄だ。鬼の四天王を拘束するのに何の仕掛けもしていないと本気で思っているのか。その糸はな、妖力の伝導率を何十倍にも引き上げている特別性なのだよ。どれだけ力を練り上げようが細かな糸を伝って力は霧散するし、何より無茶な力を籠めれば後ろの鶴瓶落としが引き絞られて爆砕するぞ?」

「え? うそ、マジで!? ちょっとそれは洒落にならないって、ねぇねぇ勇儀お願い抵抗しないでまだこの足とサヨナラバイバイしたくないのよ――っ!!」

「悪ぃキスメ、そいつは無理な相談だ。宣言しちまった以上、実行しなきゃ嘘になっちまうんでね」

「うわあああああああああああ勇儀の鬼いい――っ!! あほんだらけ――――っ!!」

「なに言ってんだい、私は鬼の四天王だぞ。でも安心しな、キスメには掠り傷一つ着けやしないよ。だから大船に乗ったつもりで踏ん張りな!」

 

 地盤を叩き伏せるが如き大地震が怒号と共に巻き起こった。妖力や妖術によるものではない。もしそうならば幾重にも撒かれた糸に力を吸い取られ、完全に無効化されている筈である。

 ならば、導き出される答えは一つ。

 小細工なしの、己が身体能力のみ。

 

 胡坐をかいた状態で拘束されているのに、少しずつ、勇儀の尻が床から離れつつあった。大腿が丸太の如く膨れ上がり、傍目から見ても凄まじい力が足腰を介して床へ伝わっているのが分かる。事実、勇儀の座る床はメシメシと悲鳴を上げ、木目に亀裂が走り始める程だった。

 力の起点は()だった。胡坐の体勢を無理矢理崩し、立ち上がるのではなく踵の力だけで床を破壊しようとしているのである。

 横に向かう力ならば鋼鉄の糸に身を引き裂かれるが、完全に上下へ向けられた力ならば、摩擦で多少体が擦れようとも、致命的なまでに圧迫される事は無い。勇儀はその可能性に賭けたのだ。床そのものをぶち抜くという、常識外れな選択肢を捥ぎ取るために。

 

「ぐッッッぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬううううおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」

「ひぇっ!? な、なんかミシメシバキボキ有り得ない音してるんですけどー!? ちょっと勇儀本当に大丈夫なのよねっ!? 心なしか胸が締め付けられて苦しいんですが真っ二つになったりしないよね私!?」

「まさか、冗談だろう……?」

 

 鬼の大工に鍛えられた頑強な床でさえ、圧倒的な馬鹿力の前にすぐさま白旗を上げ、大砲が着弾したかのような大穴を穿たれた。勇儀の下半身が床下の空間へ吸い込まれる。このままでは足が土へ届かず宙ぶらりんの状態になっている筈だが、しかし未だ家屋の揺れは収まらない。

 天井から埃の雨が降り、建物の絶叫が耳を劈く。スカーレット卿は舌を打ち、行動にも打って出た。

 

「ちぃっ、何をするつもりかは知らんがさせるワケにはいかん! こいつを止めろ!!」 

 

 土蜘蛛の糸を放ち、拘束の厚みを増していく。晒された腰元も覆いつくすが、しかしそれでも震撼は鎮まる気配を一向に見せない。

 周囲の鬼が一斉に吼え、勇儀に向かって飛びかかった。爪を伸ばし、牙を光らせ、勇儀の体を怪力を駆使して抑え込む。

 

 ――勇儀の真正面に立っていた鬼が、突如として姿を消した。

 

 床を突き破って現れた勇儀の足が、鬼を天井の一部ごと空の彼方へ吹っ飛ばしたのだと理解するのに、相当な時間を強いられて。

 

「悪ィ夜叉丸! 今度気が済むまで酒奢ってやるから許してくれよ、なぁッ!!」

 

 九十度まで降り上がった勇儀の足が、大斧の如く一直線に下ろされた。

 大地を砕き割ったのかと錯覚せざるを得ない轟音が怒涛の勢いで炸裂する。あまりの威力に床は爆撃にあったかの如く吹き飛ばされ、勇儀を囲っていた鬼たちは纏めて空に放り出された。

 間一髪被害を免れたスカーレット卿はパルスィを背負って家屋を抜け出し、目先の長屋へ跳び上がって屋根の上へと避難する。

 

「……伊吹萃香もそうだったが、本当に底が知れん妖怪だな、鬼の四天王という奴は。万全だと高を括っていてもそれを遥かに超えてくれる。だから保険は欠かせんのだ」

 

 濛々と硝煙立ち込める居酒屋の屋台が爆破解体のように崩れていく。一際大きな地響きが鳴れば、建物は見るも無残な残骸の積み木へと成り果てた。

 ガラガラと、礫の丘から木片や瓦が転がってくる。その頂きには、異様な高さを誇る一つの突起の影があった。

 なんだあれは。スカーレット卿は目を凝らし、煙が晴れるのを静かに待った。

 やがてその正体が明かされる。スカーレット卿でも想像を絶する、いいや、誰しもが予想し得ない形となって姿を現す。

 

「――――!?」

 

 大黒柱だった。

 勇儀の拘束具となっていた大黒柱が、勇儀とキスメを縛り付けたまま、瓦礫の山を掻き分けて堂々と君臨したのである。

 

「は」

 

 居酒屋の轟沈が起こった瞬間、勇儀が一体何をしたのかをスカーレット卿は全て理解した。

 単純明快で、けれど普通なら考えたところで実行できる訳も無ければ、したところで何の意味も無い所業を、鬼の女は平然とやってのけたのだ。

 星熊勇儀は踵落としで腰から下の大黒柱を叩き折り、脱出不可能な袋小路に無理やり活路を開いたのである。 

 こんなの、笑わざるを得なかった。

 

「ははははははははっ! ふははははははははっ!! なんだそれは!? なんだそれは!? 妖力でも魔法でもなく筋力だけでカタをつけただと!? 滅茶苦茶にも程あろうが! ブワハハハハハハハハハハ!!」

 

 糸は解けないが柱は砕ける。常識をかなぐり捨てた発想の下に、勇儀はそれを実行した。不自由な体を自由にするために、一つの建物を足二本で完膚なきまでに破壊し尽くしたのである。

 豪快にして大胆不敵。常識外れの怪力乱神。

 これが、妖怪の山を総ていた四天王が一人、星熊勇儀という怪物か――スカーレット卿は敵でありながら、その豪放磊落(ごうほうらいらく)ぶりに思わず太鼓判を押したい気持ちに駆られてしまうほどだった。

 

「げほっ、えほっえほっ! ぶふええ、埃臭い! ……な、なにがどうなっだのォ……!?」

「まだ私たちは囚われの身のオヒメサマだぜキスメちゃん。さぁて次はどうやってこの簀巻きを外そうかねぇ、このままじゃアイツを殴るどころかデコピンだって出来やしない」

「大将! 戦略的撤退はどうでしょうか!?」

「残念。例え一時であってもあんなクソッタレにケツ向けて逃げ帰る気は毛頭無いし、なにより奴さんも私たちを逃がしてくれなさそうだぜ」

「そんなぁー!?」

 

 やだやだせめて私を降ろしてから戦ってぇぇぇっ! とキスメの元気な悲鳴が響き渡るが、誰も応えてはくれなかった。どころか悲鳴の匂いを嗅ぎつけて、至る箇所から鬼を始めとした地獄の妖怪たちが顔を覗かせてくるではないか。

 語るまでも無く、全員がスカーレット卿の術中へと落ちていた。正気を失くした瞳は餓えた野獣の如く爛々と輝き、歯を剥き唸るその姿からはまともな理性など伺えない。

 

 どうやら怨霊を素材に作り出した寄生体は、全てがスカーレット卿の自我を完全に発芽させている訳ではないらしい。総体的な意志は間違いなくスカーレット卿のものとして統率されているが、不安定な理性の歪みが垣間見える。勇儀が推測するに、ヤマメを乗っ取った主人格(ブレイン)に従う下請けの様な状態なのだろう。

 

 しかし。それでも数は圧倒的に不利。両腕は使えないし、キスメと言うハンデも抱えている。おまけに柱が頑丈過ぎてすこぶる邪魔ときた。こんな形で鬼の匠技を体感する事になるとは、流石の勇儀も想定の範囲外だっただろう。

 けれど、それを踏まえてなお星熊勇儀は絶望しない。むしろ鬼の性ゆえか笑みすら込み上がってくるほどだ。

 鬼は歩く天災にして大和の国の狂戦士。語られる怪力乱神は、無謀に等しい戦場を前に、久しく血潮を騒がせた。 

 

「ふふーん、面白くなって来たじゃあないか。最近は地獄だってのに平和過ぎて退屈してたくらいなんだ。ナハトとも結局戦えなかったし、代わりの運動には丁度いいじゃんね」

一刻前(二時間前)(キスメ)さ――――んッ!! 聞こえてますか――――ッ!! あなたは気紛れに顔出した飲み会で蓑虫にされた挙句命の危機に晒されま――――す!! だから今日は一日中家に引きこもってて下さ――――い!! そして私をタイムパラドックスでここから救い出して下さいよろしくお願いしま――――――すっ!!」

「五月蠅いよキスメ! アンタも地底の女なら命の一つや二つ、パーッと景気よく賭けてみせな! 女は度胸、そして根性! ここが胆の据えどころっさね!」

「脳筋戦闘民族のオーガと一緒にしてんじゃねぇよ畜生おおおおおおおおお!!」

 

 キスメの抗議は虚を切り、ドップラー効果を連れて勇儀と共に跳躍した。

 追手も同じく空へ向かって跳ね上がる。牙を研ぎ、爪を伸ばし、スズメバチを仕留めんと集合するミツバチの如く全方位から襲い掛かった。

 

「だああああありゃあああああああ――――ッ!!」

 

 蜘蛛糸で縛られたが故に今の勇儀は妖力の類は使えない。手持ちの武器は己が肉体ただ一つ。

 だが力の勇儀と謳われた規格外は、オカルトによる補正も無しに純粋な脚力で空気を蹴り飛ばした。背中にキスメと柱を背負いながらも圧倒的な身体能力を最大限に発揮しながら、迫る妖怪たちへ大砲の如き蹴りと柱による殴打を叩きこんでいく。

 薙ぎ払われた妖怪たちが流星の如く地底中へ着弾し、紛争の様な爆発が幾つも巻き起こった。

 

「これ殺しちゃってないよね!? なんかドッカンドッカン飛んでいってるけど皆死んでないよねぇっ!?」

「馬鹿野郎、地底の妖怪がこの程度でくたばるもんか! 精々二、三日動けなくなる程度さ、安心しなぁっ!!」

「それはそれで大問題だとキスメちゃんは思いますーっ!!」

 

 滞空時間が切れ、放射状の亀裂を叩きこみながら勇儀は着地する。同時に大斧を携えた獣頭の妖怪が現れ、背後から躊躇なく切りかかった。

 

「……え? ちょちょちょ待って待ってそれはヤバいってデカすぎるって洒落になりませんってお願い一旦ストッププリーふぎゃああああああああああっ!?」

 

 大木すら両断しかねない大仰な刃が寸分の狂いもなくキスメの腹へ叩き込まれる。衝撃がキスメの体を揺らし、これ以上に無い程の絶叫を轟かせた

 

「はい死んだ――――っ!! これは流石の私もお陀仏まっしぐらだ――ッ! うわあああん来世は絶対飲み会なんか行かないぞこんちくしょ――っ!! …………って、あれ? 全然痛くない……?」

「当り前よ、なんたってこの厚すぎる腹巻きはヤマメのオーダーメイドだぜ? 童子切安綱ですらこいつをブッた斬るには相当苦労を強いられるだろうさ!」

「な、なーるほどー! ヤマメありがとう! お陰で助かったよー!」

「まぁでも、逆を言えば私たちじゃ絶対解けないってことなんだけど、ねぇッ!!」

 

 台風に匹敵する旋風を連れて、勇儀の回し蹴りが獣妖怪の側頭部へ炸裂した。車輪と化した妖怪は輪入道の如く豪速で転がっていき、家屋へ着弾すると建物を巻き込んで倒壊さに巻き込まれていく。肉体的に強靭な妖怪でなければ一瞬であの世へ送られかねない一撃は、正気を失った者たちへ戦慄を植え付けた。

 

「キスメ! さっきので手は空いた!?」

「え? ……あっ、うん! ちょっとだけど手は動かせるようになったよ!」

 

 突き刺さった斧は貫通こそ出来なかったが、一部の糸を切り裂き、ほんの少しだけ裂け目を走らせるに至った。それはちょうどキスメの小さな手を外へ晒せるかどうかの瀬戸際であり、事実、外気へ触れられたのは右手の一部だけだった。

 勇儀はこれを狙っていたのだ。幾年も積み重ねられた戦闘経験と野獣よりも鋭い直感で絶妙な力加減を計算し、わざと敵に斧を振り下ろさせたのである。

 

「キスメ、あんた能力で火を起こせないかい!? 火の玉より小さくていいから!」

「ええ!? 無茶だよ勇儀、私もこの糸のせいで妖力散らされてるんだから!」

「ほんの少しで良いんだ! どうにか気合で絞り出せないか!?」

 

 キスメの能力は『鬼火を落とす程度の能力』である。鶴瓶落としたる彼女は闇の猛火たる鬼火を自在に操り、特に遥か高みから墜落させる事を得意とする。応用すれば火球を放射する事だって朝飯前だ。

 だがしかし、前提として妖怪の能力はあくまで妖力を使って行使する術の一つであり、代償無しに発動できる特殊な力の事ではない。固有の能力を持ち合わせているのは、レミリアやフランドール、八雲紫のような最高位に君臨する大妖怪たちの特権だ。

 キスメの鬼火はもちろん妖力を必要とする。故に、今置かれている状況で能力を発動するのは些か、いやかなり無茶のある注文だろう。萃香より妖術的な面で劣っているとはいえ、あの星熊勇儀ですら完封された糸の檻なのだ。果たして成し遂げる事が出来るのかと、一抹の不安を抱いたって誰も責めることは出来ない。

 

 けれど、多分やるしかないのだろう。少なくとも勇儀には何か考えがあるに違いない。星熊勇儀は一見すると全てが規格外の滅茶苦茶で、破天荒極まりないルール無用を地で行くような姐御であるが、同時にあらゆる本質を狙撃銃の如く射貫く慧眼の持ち主である。特にこと戦闘において、彼女ほど頭の切れる者はそう居ない。

 キスメは無茶振りに歯噛みしながらも、同じく無茶な状況で戦い続ける勇儀を見て、やるだけやってみるかと腹を括った。

 

 右腕を糸の下から這わせ、なんとか外へ人差し指を露出する。だがここからが問題だ。妖力は特殊な糸を伝ってきめ細かく分散してしまう。普通のやり方では、きっとマッチの種火程度すら生み出せない。

 そこでキスメは考えた。妖力を放出して炎の形に固めるのではなく、自分の指をライターとして扱うように、体の中に妖力を通して指先から放出する作戦を。

 

「どう!? 出来そう!?」

「いや……ちょっと待って……糸が全部持ってっちゃうから凄く難しいの……!」

 

 針の穴に糸を通すよりも更に細く、複雑な血管を通していくような繊細過ぎる作業は多大な集中力を必要とした。自分が縛られていて、勇儀の激しすぎる武闘により現在進行形で振り回されている事すら忘れる程の、脂汗すら滲む集中力が。

 体の中に妖力を通しても大部分が糸に向かって流れてしまう。散り散りになる力を何度も何度も掻き集めながら、キスメは慎重に目的地へと運び込む。

 

 そして。

 

 ぽうっ、と。蠟燭の火程度の小さな明かりが、キスメの人差し指に生まれ落ちた。

 安堵と達成感が、ほっと胸に湧き上がる。

 

「や、やった! 出たよ勇儀! 火が出せた!」

「でかした! そいつを後ろに向かって飛ばせ!」

 

 勇儀が背の方向、距離を調節し、キスメの前に乾いた木版を誘い出す。倒壊した家屋から零れた材なのだろう。障子や何やらが積み重なって土砂崩れのようになっていて、一部が突き出る形になっていた。

 しかし当然ながら、こんな程度の火では木に燃え移る事すら困難だ。キスメは直接木に放たず、傍の障子紙へと火種を撒いた。

 バチバチと和紙が燃えていく。だが小さい。手で仰げばいとも容易く掻き消されてしまうくらいに。

 

「着いたよ! ……でもこんなのでどうするの!? 直ぐに消えちゃうよ!」

「大丈夫だ、火を強くするにゃ燃料掛ければいいって相場が決まってる!」

「そんなのどこにあるってのさ!? 火力が低すぎて木にすら燃え移ってくれないのに!」

「おいおいキスメ、私たちはさっきまでどこに居たのか忘れたのかい?」

 

 言って、勇儀は笑った。

 ゴキバキと足の関節をプラモデルの様に外した勇儀は、本来ならば有り得ない柔軟性を伴って足を振るい股下へ爪先を突っ込むと、どこに仕舞いこんでいたのか一本の徳利を取り出した。居酒屋の中で暴れた際、席にあった手を付けていない品を、勇儀は拝借していたのである。

 

「心底勿体ないが、背に腹は代えられんよなぁっ!」

 

 関節を再び嵌め直し、勇儀は器用に徳利を上へ放り投げた。豪速回転しながら落下する徳利を大口を開けて掴み取ると、顎の力に任せて思い切り嚙み砕く。

 妖怪すら容易く酔いの世界へ誘う酒が溢れ、勇儀はそれを吸いあげると、呑み込みたくなる衝動を抑えながら振り返って火種に吹き掛けた。

 

 例え酒であっても、アルコール度数が五十を過ぎれば燃料と何も変わらない。ましてや勇儀がチョイスした一品は深飲みすれば鬼でも酩酊する特上品だ。それは最早酒と呼んでいいかどうかの瀬戸際に立つ劇物であり、噴霧された酒は瞬く間に火の手を広げるに至った。

 

「ッかぁーっ!! キッツイけど良い酒だねぇコレ! 畜生、ゆっくり堪能したかったぜ!」

 

 心底名残惜しそうに叫んで、勇儀は燃え盛る火の中へ躊躇なく飛び込んだ。前屈みになって前面で火を浴びる様に覆い被さり、一心不乱に体を焼き焦がしていく。

 予想だにしない奇行を前に、背後のキスメは叫び声を張り上げた。

 

「ちょっとちょっとちょっと何やってんのさ勇儀!? 焼身自殺させるために私は鬼火を絞り出したんじゃないぞって言うかせめて死ぬなら私を巻き込まないとこでやってくれな臭ッ!? なにこれくっさぁっ!? 死体焼いてるみたいにめっちゃ臭うんですけどー!?」 

「焼身自殺? ははっ、こんなチンケな焚火如きで私を燃やせるわけないじゃんか! ああところで、知ってるかいキスメ? 蜘蛛の糸ってのはね、()()()()()()()()()()()()()

 

 蜘蛛の糸は同じ太さの鉄鋼の五倍近い強度を誇り、鉛筆程度の直径もあれば飛行機すら止められる、という話は有名だろう。土蜘蛛の糸もその説に違えず、どころかより強力無比な至高を冠する糸である。鬼すらも完全に束縛する尋常ならざる強度を誇り、今の勇儀やキスメの様に何十何百も巻きつければ、八雲紫のようなイレギュラーでもない限りまず脱出は不可能だ。打撃どころか日本刀による斬撃さえ、この鎧を突破するのは至難を極める。

 だが蜘蛛の糸は蛋白質で出来た繊維である。その特性ゆえ鋼と違って熱に弱く、嘘のように容易く溶けて千切れてしまうのだ。勇儀はこれを狙っていた。

 

 火に晒された糸の束はまるで熱された綿菓子のように崩れ始め、独特な異臭を放ちながら一気に拘束を弱体化させる。束ねれば無敵の枷となるが、それは数あってこその暴威である。天下無双の化身たる星熊勇儀を、溶けきった糸でどうして食い止める事が出来ようか。

 

「ふんッ!!」

 

 破裂が起こった。縛られていた腕を鬼の怪力で押し広げ、溶け切れていない糸も纏めて引き千切るように飛ばしたのである。

 

「や、やった! ほどけたよ勇儀っ!」

「よっし、これでやって全力出せる。――っと、その前に耳貸しな!」

「えっ?」

 

 キスメを引き寄せ、勇儀は耳元で何かを囁く。目をパチクリさせていたキスメはやがて決意を固めた表情で首肯すると、一瞬前まで括られていた柱を拾い上げ、腕を回ししがみついた。

 鶴瓶落としは小刻みに膝を震えさせながら、

 

「や、優しく頼むよ!?」

「無理ッ!!」

「そこは嘘でも任せろって励ましてよもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 勇儀はキスメ着きの柱をまるで棒切れを拾うかのように持ち上げると、彼方へ向かって全力全開のパワーをもって放り投げた。投げ槍と化した柱はキスメの悲鳴を尾に引きながら、あっという間に地底世界の果てまで流星の様に飛び去ってしまう。

 

 満足気に手を払って、勇儀は踵を返し向き直った。

 視線の先には、一連の行動を眺めていたヤマメがいる。

 銃口を突き付けるように、勇儀は自由になった人差し指を卿へ向け、

 

「降伏するなら今のうちだよ。もっとも、どちらにしたってアンタはぶん殴るがね」

「降伏? 一体どこに降伏する要素があると言うんだ星熊勇儀。勘違いしているようだが、私は別に君らを倒したい訳じゃあないんだよ。ただ時間を稼ぎ、より長く混乱を招くことが出来さえすればそれで良いんだ」

 

 屋根から腰を上げ、卿は朦朧としているパルスィのこめかみに指を立てた。

 紅い光が瞬き、爪の先からズルリと何かが注ぎ込まれる。途端、少女に異変が花を咲かせた。

 虚ろな瞳を太虚へ向け、荒い呼吸を繰り返すのみだったパルスィがカッと目を見開いた。翡翠の瞳がライトグリーンの光を放ち、力の脈動を発揮する。糸で釣り上げられたマリオネットの如く体勢を整えた橋姫は徐に両手を広げると、五指を別の生き物の如く蠢かし、ナニカを手繰り寄せるような仕草をとった。

 

 呼応する、躍動があった。

 

「――――ア、ア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 一帯の妖怪たちが見る間に力を増していく。パルスィと同じ蛍光色の光を迸らせながら体をガクガクと痙攣させ、口から泡を噴き出した。眼球は破裂したように血脈が走り、理性を飛ばさんと頭を振り乱しながら、この世のものとは思えない悍ましい咆哮を轟かせる。

 

「ね、ネ、ネ、ねねね妬ましい妬まシい妬マしイその力そノ豪傑その不屈その肉体全て全てすべてすううべて妬ましいいいいいいいいあああああああガガガガガァァァァアアアアアアアアアアア――――――ッッ!!」

「……はは。嫉妬のパワーでドーピングってかい?」

 

 妖怪のポテンシャルは精神力に大きく左右される。どんな大妖怪であってもメンタルが虚弱に鬱屈すれば、肉体も能力も圧倒的に格落ちしてしまう。しかし逆を言うならば、不朽にして不屈の絶対的な意志を手にした場合、例え弱小妖怪であろうとも信じられない底力を発揮する事も有り得るのである。

 そして意志の力を生み出す燃料は感情だ。特に憎悪や怒り、復讐心や嫉妬のような負の感情は強烈なパワーを生産し、肉体と意志を突き動かす引き金となる。五百年もの長きに渡り、たった一人の吸血鬼を理想の形で殺さんと邁進し続けてきたスカーレット卿が良い例だろう。

 今、卿がパルスィに行わせたのはその再現だ。人工的に嫉妬の激情を限界まで昂らせ、対象を勇儀へと絞り込ませる事で、この場の全員が星熊勇儀を妬み殺さんと進撃する狂戦士へと生まれ変わったのである。

 

「――いいぜ。やるってンならとことんやってやるまでさ。よし、来いッ!!」

 

 先陣を切ったのは牛頭の妖怪だった。全身の筋肉を隆起させ、街道の石畳を踏み壊しながら雄叫びと共に突進する。膂力は殺さず、人間なら金槌で殴られた飴細工のように容易く砕き割るだろう必殺の拳を、勇儀に向けて全力で振り降ろした。

 勇儀は迫る拳を最小の動作で払いのけると、間髪入れずに鳩尾へアッパーカットを叩き込む。ゴムの塊を思い切り叩き付けたような轟音が炸裂し、勇儀の三倍はあろう巨体が容易く浮かんだ。すかさず手首を掴み取ると、砲丸投げの如く群れている妖怪に向かって投げ飛ばし、ボーリングのピンのように纏めて吹っ飛ばしてしまった。

 

 舞い上がる粉塵。飛び散る砂礫。それを食い破り、三つの影が俊敏に飛び出す。

 それぞれ一本、二本、そして捩じれ角をもった女鬼だった。各々の顔を見た瞬間、勇儀の表情が引き締まる。例え四天王の銘を冠さずとも相手は鬼。それもドーピングを施された怪物が三人掛かりとくれば、流石の勇儀も楽観視する事は出来ない。

 腰を落とし、不動の構えを整える。疾風怒濤の勢いで迫る鬼を、星熊勇儀は迎え討つ。

 

 一本角が飛び蹴りを放つ。豪槍と化した踵を勇儀は寸前で躱し、擦れ違いざまに肋間へ肘を打ち込んだ。錐もみ回転しながら地面と激突する一本角。だが攻撃の隙を突いて二本角が突貫し、渾身のタックルを勇儀へ見舞った。二本角はすかさず腕を回す。丸太の如き剛腕をもって勇儀を束縛せんと締め上げる。

 瞬発的に勇儀の肘が二本角の頸椎へ突き刺さる。あまりの衝撃に意識はブラックアウトを引き起こし、ぐるんと目玉がひっくり返った。腕力の緩んだ瞬間を狙い、四天王の膝蹴りが容赦なく鼻っ柱を叩き折る。仰け反る二本角へ追撃の正拳が鉄杭の如く襲い掛かり、砲弾の如く後方へと吹っ飛ばされていった。

 

「シャァッ!!」

「うおっ!?」

 

 女鬼の爪が眼前を掠め、勇儀の前髪を切り落とした。柔軟な肉体を豹の様に駆使しながら剪刀の如き五指を乱舞させ、一本角や二本角には無かったスピードで女鬼は畳み掛ける。

 超人的な動体視力で斬撃を避け続けているものの、嫉妬による強化のせいか動きが早すぎる。回避は徐々に瀬戸際となり、頬や服に裂傷を刻まれ始めた。

 このままでは埒が明かない。そう判断した勇儀は距離を取ろうと地を蹴った。しかしバックステップは衝撃と共に阻まれ、弾力と共に前方へと弾き返されてしまう。

 背後に、復活した一本角が立ちはだかっていたからだ。

 

「ちぃッ!」

 

 前後からの鬼のラッシュによる、前代未聞の一斉掃射が始まった。

 片やまともに食らえば大岩すら豆腐と化す一本角の豪拳。片や回避が遅れれば臓腑の奥底まで抉り取られる女鬼の刺突。

 並みの妖怪であれば即座にミンチへ加工される連撃を、勇儀は反射神経と身体能力を駆使して捌き続けた。突き出される拳を叩き落とし、迫る爪を身を捩ってすり抜けさせ、類稀なる戦闘センスに従うまま隙を伺っては拳を打つ。

 だが相手もまた、正気を失くしているとはいえ生粋の鬼である。双方の魔手により集中力を著しく搔き乱された状態では、例え拳が着弾してもまともなダメージを与える事は出来ない。

 

「ぐ、づ……ッ!」

 

 立て続けの連戦。何倍も強化された鬼との熾烈な攻防は、着実に勇儀の体力を削ぎ落していった。圧倒的だった力量差も徐々に疲労が埋め始め、躱せるはずの攻撃が無視できない傷を生んでいく。

 

「しゃら、くせぇッ!!」

 

 痛打を食らう事も厭わず女鬼の足を蹴り飛ばし、体勢を一気に崩壊させる。瞬間、後頭部を激烈な衝撃が襲い掛かった。視界に星が瞬く。揺らぐ足腰を気合で押し留め、即座に肘打ちを背後の一本角へめり込ませた。

 振り返りざまに駄目押しの鉄槌を見舞う。拳は寸分の狂いもなく鬼の鼻を叩き壊し、背骨を弓の如くしならせた。

 

 だが一本角は倒れなかった。歯を食いしばって執念を見せ、踏み外しかけた足を気迫と共に地へ根付かせる。バネのように体を跳ね返すと、口に溜まった血糊を勇儀の顔へ吹き掛けた。

 原始的な目潰しは容易く視野を塗り潰す。赤く染まった視界の中、腹部へ重機の衝突のようなインパクトが襲い掛かった。

 地面から足が離れ、息つく暇もなく激痛が背中を襲う。女鬼の生爪だ。ドリルの様に捻じ込まれた爪の刃が筋肉を穿ち、先端がどこかの臓腑へ刺さる生々しい感触が脇腹から背骨を突き抜けた。

 

「――はっ」

 

 しかし、込み上がるは苦悶の叫び声に非ず。

 ただただ、獣性を示す原初の笑みのみ。

 

「すまん。先に謝っとく。終わったら好きなだけ酒奢ってやるし、看病してやっから許してくれな。なーに、萃香に頼んで華扇から百薬桝借りてくればすぐ治るだろうよ」

 

 先に異変を察知したのは、女鬼の方だった。

 自らの手に起こった異常が、事の変化を知らしめたのである。

 

 抜けないのだ。

 

 深々と突き刺さった爪の槍が圧縮した筋肉に挟みこまれ、まるでコンクリートで固められたかの如く微動だにしないのである。

 

「だから加減するのは止めにする」

 

 刹那だった。

 目を潰されていながら、勇儀の足は的確に一本角の顎を射貫いた。パァンッ!! と乾いた炸裂音が無音の間に響き渡り、一本角は不出来な竹トンボの如く回転しながら地へ転がる。そのままピクリとも動かなくなった。

 女鬼の腕を鷲掴む。ズルリと音を立てて、勇儀の腹から爪が引き抜かれた。万力の様な力で締め上げられ、抵抗する暇すら与えられず、額へ大口径拳銃を彷彿させるデコピンが発射される。あまりにも呆気なく、女鬼はその場へ崩れ落ちてしまった。

 

 これまで敵を派手に吹っ飛ばしていたのは、力を逃がす算段があったからだ。一見致命傷に見えても、実のところ妖怪的にさほどダメージは入っていない。

 だが勇儀はその制限を解いた。力を逃さず、その殆どを肉体へ封じ込める必殺を解放する事を選んだのである。

 

「あんな奴に顎で使われちまって、お前らも悔しい筈だよなぁ」

 

 ごしごしと張り付いた血糊を拭い、血染めの赤鬼と化した星熊勇儀は君臨する。

 四天王の本気が今、幕を開けた。

 

「そら、なにボーっと突っ立ってやがる。全員纏めてかかってきな。この悪夢みたいな屈辱を終わらせてやる」

 

 

「……怪力乱神とは確か、理屈では語れない不思議を表す言葉だったか?」

 

 腕を組み、屋根の上から星熊勇儀の激闘を眺めつつ、土蜘蛛の肉を被った悪霊はポツリと呟いた。

 

「ある意味、説明不可能の怪現象だな君は。こんな大乱闘を繰り広げておきながら、どうして未だ立っていられるのか甚だ理解に苦しむよ。文字の意味通りに怪力乱神なのではないかと疑う程に」

 

 旧都の街道はかつての形を失った。家屋は倒れ、タイルは砕け、灯篭たちは姿を消し、至るところに破壊の痕が刻まれた。

 中心に仁王立つのは四天王、星熊勇儀。パワーという点で見れば伊吹萃香すら凌駕しかねないその圧倒的なまでの暴威は、襲い来る全ての脅威を悉く叩き伏せた。

 

「四十八の鬼と八十六の妖怪が全然役に立たんとは。君は本当に妖怪なのかい? 羅刹か軍神の方がまだ納得出来るんだがね」

「ごちゃごちゃうるさいんだよ。次はお前さんの番だ、腹ァ括りな」

 

 血の入り混じる唾を吐き捨て、鬼の女将は宣言する。服はズタズタに引き裂かれ、決して少なくない傷を負っているのに、弱体化した気配なんて欠片もない。どころか、文字通り鬼気迫る圧力は増加の一途を辿っていた。

 

「私が素直に戦うとでも?」

「思わねないねぇ。お前さんからは私の大っ嫌いな、姑息で卑怯な臆病者の匂いがプンプン臭ってきやがる。そういう奴は決まって、最後まで自分の手を汚さないもんだ」

「……臆病者とは、言ってくれるじゃあないか」

 

 ポン、と。スカーレット卿はパルスィの肩を叩き、

 

「最後の仕事だ、橋姫」

 

 抱えると、躊躇なくパルスィを放り投げた。

 放物線を描きながら少女の体が宙を舞う。だが一切抵抗する素振りを見せない。スカーレット卿による精神ダメージと酷使が重なり、体力を根こそぎ奪われてしまっているのだろう。

 そして彼女が落ち行くその先には、キスメの鬼火が植え付けた炎の叢が広がっていて。

 

「妖怪は精神力に左右される。存在の強度もまた然り。――であれば、自己を見失いかけて()()にヒビが入ってしまったその女は、普段なんともない炎でもあっさり消えてしまうかもしれないな?」

「ッ!」

 

 地を蹴った。全力でパルスィの元まで馳せ、炎との間を滑り込むようにして受け止める。腕の中の橋姫が無事と確認すると、勇儀は思い切り空気を肺へ取り込んだ。

 瞬間、竜の如きブレスが火炎の群れをあっという間に吹き消した。余波で瓦礫も散らかってしまったが、火の始末をしたからイーブンだと眼を瞑る。

 

「おいパルスィ、大丈夫か!? ……あの野郎、次から次へと!」

「ゆ、うぎ……?」

 

 掠れた声が零れ落ちた。瞳は澱み、青白く冷めた肌色はまるで死人の様だ。今にもこと切れてしまいそうな儚さは、勇儀の胸にぎゅうっと締め付ける激情を与える。

 何か。何か手は無いか。思考を広げ、知恵を絞る。存在の強度を上げる手段が一つでもあればそれでいい。たったそれだけで良いのだ。

 

「パルスィ」

 

 そう。感情の振れ幅が正常になれば問題は解決される。だったら簡単な事だ。橋姫が嫉妬の妖怪ならば、スカーレット卿の安心を塗り替えるような、幸ある話でも聞かせれば改善できる。

 

「この前な、夜叉丸が二丁目の団子屋の娘から婚約捥ぎ取ったんだよ。それで今日は祝宴あげてたんだ。あいつらは良い番いになると思うぜ。お前さんはどう思う?」

「…………すてき、ね」

「――――」

 

 橋姫のルーツは愛憎の物語だ。愛する男を他の女に奪われ嫉妬に狂い、生きながら鬼へと生まれ変わった宇治の橋姫伝説が最も有名だろう。

 故に、パルスィはこと色恋沙汰に対して強く妬む傾向にある。旧都で浮ついた話が上がった時は祝言と共に嫉妬の文句を贈るのが、ある種飲みの席での祝儀となるほどに。

 

 そんなパルスィが、妬み節の一つもなく、心からの祝福だけを唱えた。

 証明されたのは、避けようのない残酷な真実のみで。

 奥歯が砕けんばかりに、勇儀はギチギチと噛み締めた。

 

「スカー……ッ! ――――あ?」

 

 スカーレット卿の居場所へ目を向ける。だが姿は無い。パルスィに気を取られている内に逃げたらしい。

 パルスィの精神が異常をきたしているのは間違いなくスカーレット卿が原因だ。あの男を倒さなければパルスィを『安心』の鳥籠から解放することは決して出来ない。

 無論、悠長にしている暇は無い。他の妖怪たちと違ってパルスィは命の危機に晒されている。ならば全身全霊をもって、邪悪な悪霊を討たねばならない。

 

 勇儀は周囲を見渡して、比較的安全そうな場所へと少女を置いた。

 

「ここに居てくれパルスィ。大丈夫だ、すぐに治してやっからな」

 

 

「来たか、星熊の。存外早かったじゃないか」

 

 スカーレット卿は旧都と外を隔てる門前に立っていた。関所の付近であるが故に建造物は一切見当たらず、だだっぴろい石の広場だけが存在している。

 広大な平地で対極に立つ両者の姿は、さながらコロッセオの決闘者の様だった。

 

「もう逃がさんよ。お縄につきな、下衆野郎」

「縄では無いが、巣にかかったのは君の方だぞ星熊勇儀」

「ああ知ってる。承知で飛び込んでやったのさ」

 

 月明かりに反射して、きめ細やかな線が空間を縦横無尽に走っているのが分かった。細く、細く、注視しなければ到底気付けない程の儚い糸だ。四方八方に張られたそれは、まさしく大蜘蛛の巣と呼ぶに相応しかった。

 指で傍の糸をなぞる。触れた皮膚がまるでメスを入れられたかのようにパクッと裂けた。

 溢れる血を舐めとりながら、勇儀は睨む。

 

「まるで糸の形をした刀だな。凄まじい切れ味だ」

「巻きつかれればただでは済まんぞ。突破できるかな? 君に」

「舐めんな。この程度の修羅場なら山ほど潜ってきた」

 

 言って、勇儀は暴挙に打って出た。

 何の防御も無く、何の策も無く。糸で出来た刃物の森の中へ、躊躇なく歩を進め始めたのである。

 すぐさま体中へ糸が食い込み、裂け目が網目状に広がった。透明だった糸は粘質な赤で着色され、巣の全貌を現し始めた。

 だが止まらない。むしろ止まったのは糸の方だ。皮膚を切っても肉を断つことが出来ず、逆に鋼の肉体に押し返され、ブチブチと引き千切れ始めているではないか。

 全身を赤で染め上げながら前進する様は、かつての赤鬼の再来だ。獅子の金髪と憤怒の形相も相まって、この世のものとは思えない凄烈さを醸し出している。

 

「……化け物め」

「私は鬼さ。どこまでもな」

 

 一歩、また一歩と。距離が殺され縮まっていく。足から顔に至るまでズタズタになりながらも、一向に歩幅を狭めない鬼の姿は羅刹と称するに相応しい。

 

 だが。

 

 何の前触れもなく、これまで一度たりとも折れなかった勇儀の片膝が地に落ちた。

 痛みや傷に負けたのではない。崩れ落ち方が根負けのそれではなく、まるで体が言う事を聞かず勝手に座り込んだ様だった。

 

 視界が歪み、朱色に染まる。酷い耳鳴りが鼓膜を裂いて、生傷の物ではない暖かな血が鼻からダラリと流れ出た。

 指先が痙攣し、不快な神経のパルスが脳を突く。内臓が絶叫を上げ、吐瀉物を凌駕する赤黒い液体が喉を競りあがって噴出した。

 ただ事ではない。考えずとも理解できた。あらゆる厄災をものともしない鬼の体がここまで破壊されるなんて、尋常の現象では有り得ない。

 

「神便鬼毒酒」

 

 悪霊が、卑しい笑みを浮かべながら嘯いた。

 

「この逸話は大変なヒントになったよ、星熊勇儀。お前の様な規格外を封じ込める作戦のな。我ら物の怪はウィルスや細菌なんぞが引き起こす病には滅法強いが、毒には弱い。毒に負けた伝説があるなら尚更だ。特にこいつは(ちん)から搾り取って濃縮した猛毒故な、効果は抜群だろうよ」

「太助の家から鴆を盗んだのも、アンタだったってワケかい……!」

「左様。しかし、猪突猛進を地で行く貴様の事だから必ず真正面から罠に掛かってくれるとは思っていたが、まさかここまで見事に嵌るとは。正直者も考え様よな」

 

 黒谷ヤマメは主に病原体を操る力を持っている。黒死病やコレラ、エボラ出血熱など、一度流行すれば多大な死者を生む疫病でさえ彼女の手に掛かれば自由自在だ。

 しかし、それはあくまで人間の話。妖怪は精神的な病に弱いが病原体には非常に強く、まず通用することはない。スカーレット卿が強力無比でありながらヤマメの能力を一切使わなかったのは、対妖怪において『病気を操る程度の能力』が殆ど役に立たないからである。

 そこで別の手を考えた。炒った豆の様な、一目で勘づかれる上に必殺と成りえない武器よりも、目立たず、食らえば形勢を逆転出来る毒の搦手を選んだのである。

 

 ピィー……ッ、と。スカーレット卿の両手の間に細糸の橋が差し掛かった。鬼の進撃に破られたものと同じ糸の刃を携え、それをふわりと勇儀の首へ巻きつける。

 

「貴様に倣って馬鹿正直に言うと、だ。ここまで抵抗されるとは思わなかった。適当に縛り上げて、十分な時間を稼げるまで見張っておくだけの予定だったのに、こんなにも手古摺らされるとはな。流石と言う他あるまい。認めよう、君は生前の私より強い」

 

 だが、と。糸の両端を握り締め、

 

「故に殺さねばならぬ。貴様は脅威だ。我が計画の障害となり過ぎたのだ。――だから、私の理想のためにここで死ね。星熊勇儀」

 

 括られた糸に、万力が込められて。

 

 

「無粋な人。乙女の体を弄び、泣き処を突き続ける外法で勝ち誇るだなんて。あなたにはプライドの欠片も有りはしないのね」

 

 

 ――玉を転がすような声が響いた。

 

 勇儀のものでもなければヤマメのものでもない、全く別の、第三者の声。

 大地を刳り貫き、土竜の様に大穴を開けて卿の背後を取ったのは。サファイアの髪を後ろで輪っかに纏める、羽衣とワンピースを掛け合わせたような水色の衣服に身を包んだ、どこか色気を放つ女で。

 数多の仙術を身に着けながら、邪仙と謳われた導師だった。

 

 その者の名は、たった一つしか有り得ない。

 

「霍青娥――だと?」

「はぁーい正解。あなたの為の青娥娘々、満を持して登場でございまーっす」

「馬鹿な、貴様がどうしてここに!? あのキョンシーに足止めを食らっていたのではないのか!?」

「ええ、本当。あなたの術には大変手をこまねきましたわ。私の可愛い芳香ちゃんに何十何百も怨霊を詰め込んで暴れ牛の様に暴走させるだなんて。どれだけ頑張って魂を取り除いたか分かります? まぁ苦労の甲斐あってか――」

「私はこのとーり元気になったぞー!」

 

 ぴょこんと顔を出したのは、札を額に貼りつけた赤い中華服の少女だった。肌は灰色に染まっていて、腕は硬直しているためか前へ突き出されている。キョンシー故の特徴だろう。

 芳香と呼ばれた少女に向けて、青娥はまるで娘へ向ける様な笑顔を向けて言う。

 

「芳香ちゃん、さっそくお仕事よ。そこら辺に散らばってる邪魔な糸を全部食べてしまいなさい」

「私は都合のいい掃除機じゃないんだけど」

「もちろん。だからこれはお仕事なの。仕事が終わったら、そうね。あなたの欲しいものを一つ上げるわ。どう?」

「よっしゃー! ろーどー意欲が湧いてきたぜーっ!」

 

 ぴょんぴょんと跳ねながら器用に糸を食らい始める芳香。『何でも喰う程度の能力』を自称するのは伊達ではなく、もしくは何かしらの強化が青娥によって施されているのか、鬼の皮膚すら裂いた糸をいとも容易く呑み込んでいった。

 

 呑気に罠を回収する芳香を尻目に、こめかみへ青筋を走らせるスカーレット卿は唾を吐き飛ばしながら絶叫した。

 

「鶴瓶落としか……! あの小娘が邪仙(きさま)を呼んだな!?」

「そうさ。この前ナハトって吸血鬼から怨霊使いについて訊ねられた事を思い出してね。それでちょいと閃いたんだよ」

 

 勇儀は何の考えも無くキスメを柱ごと星に変えたのではない。全ては彼女をここへ呼び込むための布石だった。 

 青娥を招いた理由はただ一つ。彼女の持つ妙妙たる交霊の技能にある。 

 スカーレット卿を倒す目的は変わらない。だがそれに黒谷ヤマメを巻きこめないのは当たり前だ。ヤマメの体に粘質な悪霊を追い出すほどのダメージを与えれば、先にヤマメの方が息絶えてしまう。そこで勇儀はとある賭けに打って出た。交霊に詳しい仙人である青娥ならば、ヤマメから悪霊を引き剥がすことが出来るのではないだろうかと。

 

 さて。と青娥は(のみ)を構えながら向き直った。

 さてと、と。勇儀は満身創痍でありながら体を立ち直らせ、直立した。

 対して悪霊は、信じられないものを見る目で勇儀を睨みながら、驚愕の声を張り上げた。

 

「なん、だそれは。鬼ですら五臓六腑を爛れさせる猛毒だぞ!? それをあれだけ浴びておきながら、どうして立っていられる!?」

「あー……?」

 

 暖かな血が滴り落ちては水玉模様を大地に彩る。ふらふらと揺れ動く体は、決して悪酔いの兆しではない。

 けれど、星熊勇儀は平然と。首に手を当て、軽快に骨を鳴らすのみで。

 

「言っただろうが。承知の上で飛び込んだんだよ、テメエの罠に。こうなっちまう事なんて最初から頭に入れていたさ。卑怯者の考えるチンケな思考は嫌ってほど知っているからな。あとは気合いだよ、気合」

「気合だと……? ふざけるなッ! いくら妖怪とてそんな根性論で説明できるものか! 答えろ星熊勇儀、何か対策があったんだろう!? そうでなければ、わざわざ罠の中へ飛び込む意味なんてッ――」

「決まってンだろ。小細工も何もかもを纏めてぶっ飛ばす災害こそが、本物の鬼だからだ」

 

 くるりと青娥が鑿を回転させる。軌道を沿って光の紋が描かれる。それはヤマメの背中へ吸い込まれると、落雷と見紛うエネルギーを迸らせた。

 脱皮で抜け落ちる蝉の様に、ズルリとどす黒い魂が姿を現す。辛うじて人の形を保っているものの、それは紛れもなく怨念の集合体で、元凶たるスカーレット卿の分霊だ。

 

「ちぃっ!!」

 

 卿もただではやられない。莫大な魔力を放出して術を破り、脱兎の如く後方へ飛び去った。

 だがそれを狙うは語られる怪力乱神。黒谷ヤマメという最後の人質も消えた今、一切の加減は必要無し。

 だったら、次にやる事は決まっている。

 腹の底に貯めた怒りを。この男に屈辱を味あわされた者たちの嘆きを。

 拳に乗せて、ただ撃ち放つのみ。

 

「逃がさねぇ、とも言っただろう」

 

 怨霊が漆黒の光線を一斉に展開した。五百年の憎悪を凝縮したと言わんばかりの悍ましい閃光は大地を溶かし、迫る勇儀を迎撃する。

 

 一歩。爆撃に匹敵する衝撃と共に、勇儀の姿が世界から消えた。

 

 次の瞬間、スカーレット卿へ猛烈な衝撃が襲い掛かった。鬼の拳が電光石火の如く怨霊の顔面を撃ち抜き、ボールの様に吹っ飛ばす。

 勇儀は音の壁を超える速度で追撃する。投げ放たれた卿を追い抜くと、渾身の踵落としで迎え討った。熾烈な勢いで叩きつけられた卿はゴム毬の様にバウンドし、再び空へ舞い上がる。

 

「さぁ、勘定だ。末路を受け取れ」

 

 勇儀の両足が鉄杭の如く地へ刺さり、体をがっしりと縫い留める。

 焔が如き妖気を纏い、己の肉体を神すら殺す凶器へ変える。

 星熊鬼が牙を剥く。悪霊の落下が始まると共に、必殺の音頭が唸りを上げた。

 

「――み、ごとだ、星熊勇儀!」

「だァァァらッッッしゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああァァ――――――――ッッ!!」

 

 刹那。星熊勇儀は破壊と化した。

 ロケット砲と匹敵する拳が機関銃の如く放たれる。吹き飛ぶ暇すら与えない神速のラッシュは凄烈極まる打撃音を炸裂させ、衝撃波を地底中へ撒き散らした。

 十を超え、五十を超え、百を超える残像が生まれる。拳は止まる事を知らず、ただただ、打つ、打つ、打つ。

 

 腕を(おおゆみ)の如く引き絞り、一際強く振りかぶる。正真正銘最後の一撃を、星熊勇儀は全身全霊をもって叩き込んだ。

 巨大な水風船が弾けたような爆砕が起こる。粉微塵と化した悪霊の粒子は火花のように散り散りになって、跡形もなく消滅した。

 

 地底に咲いた悪意の華は、鬼の怒りによって枯れ果てたのだ。

 

 

「青娥、来てくれて助かった。ありがとよぅ」

「ええ、まぁ。私もあの悪霊には借りが出来ていましたから。手助けしない訳にはいかないわ」

「ところで、キスメはどうしたんだい?」

「彼女は途中で見つけた橋姫ちゃんや倒れてた妖怪たちを介抱してますわ。まもなくこちらへ来るでしょう」

「おーい! ゆーぎー!!」

「噂をすれば、だな」

 

 大きな桶を持った白装束の少女が空を飛んでやってくる。桶から足がはみ出しているが、多分水橋パルスィだろう。ちょっと予想外な運び方に、不謹慎ながらも笑ってしまう。

 

「勇儀大変だよ! なんかパルスィがとってもヤバいんだって血だらけェッ!? パルスィより満身創痍じゃんか!」

「掠り傷だよ。それよりパルスィだ」

 

 桶から降ろし、床へと寝かせる。変わらず意識は朦朧としていて、肌もいまだ血色を取り戻すに至っていない。

 だが今なら救えるはずだ。スカーレット卿の主人格は確実に消滅した。強制的な安心の供給は断たれたならば、心を元に戻す事だって可能だろう。

 

「パルスィ。夜叉丸が団子屋の娘と結婚するってよ」

「っ」

 

 ぴくん。無表情だったパルスィの瞼が引き攣った。

 

「いやぁめでたいよなぁ。あいつらはお似合いの番いだし、きっといい家庭を築くだろうね。こう、乙女なら誰しもが憧れる、夢のような家族になるんだろうよ」

「じぇ、じぇ、じぇ」

「今日の祝宴が駄目になっちまったからさ、また今度宴を開こうと思うんだ。ああそうだ! 祝辞はパルスィに任せるよ。得意だろう? そういうの」

「じぇええええええらしいいいいいいいいいいいいいいいい――――――っ!!」

 

 黄緑色の光を爆発させながらパルスィは勢いよく跳び上がった。わなわなと肩を震わせわきわきと両手指を蠢かしながら、嫉妬の炎をこれでもかと言わんばかりに爆発させていく。

 

「あの夜叉丸と団子屋のお菊が結婚するですって……!? ハン! おめでと妬ましい! ご祝儀は嫉妬の呪いも込めて奮発してやるぜざまーみろ! スピーチは二人の経歴洗いざらい調べ上げて砂糖吐くくらい甘ッッ甘のやつにしてやるわ! 私の織り成す桃色ジェラシーに悶え苦しみながら幸せになりなさい! ああ想像しただけで妬ましい妬ましい幸せ者どもめ末永く爆発しなさい妬ましいいいいいいいっっ!!」

「ははは。溜まってた分、一気に元気になったなぁ」

「ふーんだどーせ私は一生喪女のままですよーだ。妬ましい妬ましい妬ましい結婚良いなぁ私も良い人見つからないかし――あら? 勇儀じゃないの、久しぶりね……ってアンタどうしたのよその怪我!? 全身傷まみれの血まみれじゃないの!」

 

 一転し、慌てて勇儀へ駆け寄るパルスィ。躊躇なくスカートの端を破いて傷へ当てるが、止まらない血飛沫に折角良くなった顔色を青冷めさせていく。

 パルスィも事なきを得たお陰で、勇儀の中の糸が切れたのだろう。先の天下無双ぶりが嘘のように、彼女はガックリと意識を失ってしまった。

 

「勇儀がこんなになるなんて、これただの傷じゃない……! アンタは本っ当に無茶ばっかりして! その蛮勇さ、一周回って妬ましいわ!」

「傷を塞いでも無駄よ橋姫さん。彼女は鴆の毒に蝕まれている。むしろこんな状態でよくあんなに暴れられたものですわ。どんな体しているのか興味湧いてきちゃうくらい」

「はぁ!? 鴆の毒!? ちょっと、そんなのどうすれば……ッ!」

「私の家に犀の角がありますわ。それを使えば、鬼の生命力ですぐ完治するでしょう。本当なら何かお代を頂きたいところだけれど、今回は黒幕を倒してくれたからタダであげるわ」

「ならさっさと行くわよ! キスメ、こいつ運ぶの手伝いなさい!」

「な、なんだよぅ、一番死にかけてた奴が一番元気になってるじゃんかー」

「……んあ? あれ、私なんでこんな所で寝て……いや待てよ、確か胸糞悪い奴にパルスィ人質に取られて、それからそれから……」

「ヤマメも起きたなら手伝いなさいっ! 今こそその妬ましい怪力を発揮する時よ! 勇儀のやつ、結構重たいんだから!」

「あ、あれー? パルスィすこぶる元気だにゃ。うーん飲み過ぎちまって幻覚でも見たのかねぇ。しっかし寝起きに一体何事なのよって、うわぁ勇儀どうしたのさ!? こんな派手にやられちゃって!?」

 

 どたばたと、地底らしい騒がしさを取り戻しながら、一行は霍青娥の住処を目指す。

 道中、意識を取り戻した妖怪たちが擦れ違う度に、瀕死の勇儀に仰天してどんどんどんどん列に加わっていって、いつの間にか百鬼夜行になったそうな。

 








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