第壱話「業火の向こう」
赤色光に塗り固められた視界の中で、唯一、声だけが出せた。
「……被弾報告」
ランプが軒並み赤に変わり、機体損傷部位を示す簡易模式図が赤く染まっている。
もう戦えないのか。
その思いに伝令管から声が響き渡った。
『日下部少尉! 撤退命令が出ている! 幽鬼との戦闘を中断し、第三分隊と合流せよ!』
上官からの命令に操縦席に収まる日下部孝雄は口元に笑みを浮かべる。
「冗談でしょう……。もうちょっとで、幽鬼を倒せるんだ」
操縦席に備え付けられた双眼鏡で前方へと視線を投げれば、その先には目標物である敵対対象が佇んでいる。
鍵穴のような形状をしており、筒先が飛び出していた。
相手の損壊状況も相当なもので、下部が崩落している。
もう少しで倒せる、と孝雄は奥歯を噛み締める。
操縦桿を引こうとして、指先が折れ曲がっている事に気がついた。何だ、もう手遅れじゃないか。
『再三通告す。日下部少尉、応答せよ! もう戦闘は終わったんだ』
この場から撤退する。それはつまり、幽鬼に背中を見せるという事。
孝雄は返答しようとしてかっ血する。
どうやら横っ腹に部品が突き刺さっているらしい。患部をさすると瞬く間に掌が血で染まった。
乾いた笑いが出てくる。
――もう手遅れ。
それは誰の目にも明らかだろう。
それでも……。
「自分は、帝都を護るために職務を全うします。日下部孝雄、最後の魂の特攻を、見届けてください」
伝令管に蓋をしてそれ以上の声を封殺する。
孝雄は折れ曲がった指を無理やり矯正し、操縦桿を握らせた。引き金へと指をかけ、腹腔から搾り出すように声を発す。
「行くぞ、モリビト壱号」
その声に軋む機械音を発生させながら、自分の身と一体となった装甲機械が呼応する。
火花が散り、装甲が赤く焼け爛れていた。
自分が収まっているのは頭部の操縦席。
赤く染まっているのは強化硝子越しに燃え盛る帝都の建築物。
今、猛る炎。紅蓮の大気。
孝雄は集中力を研ぎ澄まし、状態を確認する。
状態異常を訴える赤いランプを全て手動で青いランプに切り替える。
無理やりの状態回復。
万全だと誤認した機械がきりきりと信管から声を発する。
――まだ戦える、と。
「……いい子だ。モリビトよ、俺と一緒に、死んでくれるか?」
決死の声に全身の関節系から悲鳴のような音程が生じる。
モリビト壱号はキャタピラ状の脚部を傾かせ、両腕に取り付けた武装である滑走砲からも青い血を滴らせている。
この機械を動かす動力源。
青い原石から抽出されし人智を越えた機関部。
通称「ブルブラッドエンジン」に火を灯す。
青い血が機械の血脈を満たしていき、扁平な頭部を持つモリビト一号が咆哮した。
鋭く尖った強化硝子の瞳。
機械の遠吠えに、敵性勢力が負けじと吼え返す。
鍵穴の筒先から赤い光が凝縮された。
孝雄は思い切り、操縦桿を引っ張り込む。
同期して動いたモリビトの機体が僅かに逸れ、赤い弾丸の着弾をかわした。しかし、ギリギリの攻防。
深く呼吸すれば、その一瞬だけで取り込まれそうなほど、緊張状態が続いている。
孝雄は息を詰めて、予め備え付けられている蒸気計算機の下部にある取っ手を引いた。
警告、の表示を蒸気計算機が導き出すが、それを無視して取っ手を引き千切る。
蒸気計算機の表示が全面、真っ赤に染まった。
点滅する「自爆装置作動」の文字に孝雄は苦笑する。
「わざわざ俺に教えてくれるなんて、お前は優しいな、モリビト壱号」
機器をさすりながら、その指先が冷たい機械ではないものに触れたのを感知する。
一葉の写真であった。
そこには軍務につく時に家族と撮った最後の、自分の姿がある。
まだ歳若く、精悍で、頑固で、自分の使命に忠実な――馬鹿正直な少年の面影か。
その隣で微笑んでいる少女の像をさすった。血の痕がべっとりとこびりつく。
「……翠。兄ちゃんは、やるよ」
その名前を紡いで孝雄は丹田に力を込める。
足先がまだペダルについていた。思い切りペダルを踏み抜くと嫌な音が響き渡った。骨でも折れたのかもしれない。
その瞬間、萎えかけていたモリビトの挙動に血潮が宿る。
上体を起こしたモリビトが滑走砲の砲身を杖にして面を上げる。
「さぁ、幽鬼。来いよ。最後の花道と行こうぜ」
ペダルを踏み抜いたまま前進を誘発させる。
キャタピラが空転したが、やがて接地したかと思うと一挙に車輪が駆動した。
幽鬼へとハイカラと雅に染まった道路を突き破りながら突進する。
両腕に砲身を備えたモリビトの死の抱擁だ。
幽鬼が砲門から弾丸を矢継ぎ早に発射する。
死を覚悟したこちらの意図を悟ったのかもしれないが、もう遅い。
モリビトが幽鬼に接触した瞬間、爆発信管が作動する。
一瞬の静寂。
「ごめんな、翠。帰るって、約束したのに……」
最後の最後に口をついて出た悔恨はそれであった。
次の瞬間、帝都の夜をつんざく光が放出され、煌びやかな装飾に染まった一角を青い血で染め上げた。