包帯を巻く医者は自分が女だと気づいているのだろうか。あるいは気づいていても黙殺するように上から言われているのだろうか。今回、辛うじて軽症であったがもし重篤ならばすぐさま女だとばれたはずだ。それを医者は何も言わない。包帯を巻いて止血するだけだ。
「あの、オレ、何日くらい眠っていました?」
「一日半、と言ったところかな。頭部に損傷はないようだし、ただの失神だろう。まぁ、あれほどの重火器が放り投げられて無傷、というわけにもいかないだろうし」
白衣を纏った医者はまだ歳若く、好青年の感じが見受けられる。軍内部と言っても屈強な男共ばかりではないのだな、と翠は感じた。
「その、モリビトは……」
「僕にその権限は与えられていなくってね。モリビトがどうなったのは、整備班に聞くといい。所詮、医療班だ。戦闘の真っ只中にいるわけではないよ」
整備班。翠はぎゅっと拳を握り締める。
あの時、整備班の、シゲの言葉に従っていれば。それだけではない。もっと言えば、山城の言葉に従って待機していれば、もっと別の結果であっただろうか。
「オレ、余計な事しましたかね」
「その判別も僕はつけられないよ。上官にとりあえず、怪我の程度を報告しなさい。それからだろう」
診断書を書いて医者は自分に手渡す。翠は首を傾げた。
「あの、その……」
「自分で出しに行って、ついでに元気ですって言うのがちょうどいい。重篤な患者が多いんだ。日下部少尉。あなたは軽症なんだから自分で行きなさい」
責められている気分だった。あの戦いで重傷者、さらに言えば死人も出た。だというのに、その渦中にいた自分が軽症だとは皮肉にもほどがある。
「すいませんでした……」
「それも、僕に言うべきではないな」
翠は診断書を手に時雨の待つ対策室を目指す。途中で整備班とすれ違ったが、向こうが視線を逸らした。
「……そうだよな。オレ、結局役に立たなかったんだし」
構ってもらおうなど虫が良すぎるか。
翠は扉のところで高木が待っているのに気づいた。
「日下部少尉。時雨准将が待っている」
格式ばった言い草に翠は、高木も怒っているのだろうか、と身構えた。
「あの……怒っていますか?」
「いや。初陣だったんだ。仕方がない。それに、こちらの懐に幽鬼が飛び込んでくるなんて想定外だった。十日の見通しもなかった今となっては不意打ちに他ならない」
だが、それでも勝つ算段はあったのだ。自分はそれを無視して勝手に突っ走った。
「オレ、やっぱり駄目ですかね」
「まずは准将と会うんだ。それから話を聞こう」
どこか他人行儀な高木の言葉に翠は陰鬱な気持ちを抱えたまま、時雨の部屋に辿り着いた。
「日下部少尉、どうであったか」
時雨は窓の外を眺めている。その背中に翠は返す。
「どう、とは……」
「幽鬼との初陣の感想だよ」
嫌味でもなければ皮肉でもない。この男は、純粋にそれを聞いている。翠は正直に言うべきか迷った。
――恐怖と焦燥の渦巻くあの戦場。
灼熱が喉を焦がし、炎の赤が今でも網膜の裏にちらつく。
「……言わなければ、駄目ですか」
「報告を受ける義務がある。そうでなければ上官の意味がない」
翠は一拍置いた後に答える。
「……怖かったです」
「幽鬼が、かね?」
「いえ、その……。戦場そのものが」
切迫する声。整備班全員から向けられた期待と責務。それらが双肩にかかって押し潰されそうであった。
あれが戦場。
数十人、数百人の命を預かる場所。
今さらにそれが自覚されて翠は困惑と恐怖の間に板挟みになった。
「怖かった、か」
「操主としては、駄目ですよね……。だって、モリビトに乗って戦うのなら、恐怖なんて」
「いや、必要な事だ」
返された言葉の意外さに翠は一瞬唖然とする。時雨は背中を向けたまま続けた。
「恐怖を感じない兵は、実際のところ兵力としては使えない、難しい兵なのだよ。どうしてか、分かるかね?」
問いかけに翠は頭を振るばかりだった。
「恐怖を感じるから、人は近距離で殺し合わなくて済む銃を開発した。恐怖を感じるから、人はいかにして相手と距離を取り、相手の命を奪うかを模索し続けている。恐怖を感じない兵には、進化がない。恐怖の上に、人は戦場を進化させ、その常に付き纏う恐怖より逃れるために、優れた兵力を作り出す」
「あの、難しい話は、オレ……」
「何も難しくはない。怖いのならば怖いと言ってもいい、という話だ」
振り返った時雨の眼には翠を責め立てる色はない。ただ純粋に、モリビトの操主としてこれからどうあるべきか、を問うている。
「恐怖を感じた君は、ではどうするか。問題なのはそこだよ。怖いと言ってもいい。叫んでもいい。だが、君はどうする? 恐怖から逃れるために人は進化し続けたが、同時に恐怖から逃れるためならば人は何でもする。幻覚を作り出し、それに逃避する事も、あるいは本当に純粋な、逃亡をはかる事も」
逃亡、という言葉に心臓が脈打つ。時雨は椅子に座り一枚の資料を差し出した。
「取りたまえ」
翠は歩み寄ってそれを手にする。
あの後何があったのか。それが克明に書かれていた。
「幽鬼は、あの後、幽鬼はどうなったんですか?」
「モリビトを大破させて、消滅した。君が射出されて数十分後だ」
何故幽鬼は消えたのだ。その疑問に翠は撮影された写真に目を凝らす。敵の本丸を落とす好機を、何故相手は逃した?
「敵からしてみれば軍基地は本丸であった。なのに、何故、消えたのか?」
見透かされた気分に心臓が収縮する。もう一枚の資料を、時雨は手渡す。
そちらには今回の幽鬼が頻出する「壱号幽鬼」に分類される事。さらに言えば、行動範囲、稼働時間まで書かれている。
「今回の幽鬼は夜明けを待たずして消滅した。理由があるはずだ。モリビトの大破だけが目的であったにしては、それは不確定要素だからね。前回モリビトは自爆した」
そうだ。兄、孝雄が身をもって幽鬼を倒した前回から鑑みてモリビトが再出現する可能性は限りなくゼロのはず。
だというのに、今回の幽鬼の行動範囲と稼働時間を目にすると、一つの推論に辿り着く。
「……才能機との戦闘が、目的だったように……」
「わたしにもそう映る。軍の懐に潜り込んだのも才能機を炙り出すため、だとすれば。相手はこちらの戦術を弾き出したくて、今回の幽鬼を出してきた。だから、今回、稼働時間は短くともいい」
「でも、おかしいですよ。今まで幽鬼は夜明けまで動いていたんでしょう?」
翠の言葉に時雨は眉を上げた。
「興味が出てきたかね?」
ハッとする。ここに来るまでは幽鬼との戦闘で憔悴し切っていたのに新しい事実を見せられるとそれを分析している自分がいる。
翠は自然と視線を逸らしていた。時雨が言葉を継ぐ。
「才能機と戦う、というのが、相手の目的だったのなら辻褄は合う。それに目的を果たした相手が消失した、というだけの話だ」
「……ですが、今までは帝都で暴れ続けていた幽鬼の行動とは矛盾する」
「そうなのだが、合致する条件としてみれば全て、才能機との戦闘、という事実への帰結がある。我々が思っているほど、相手はこちらを軽く見てはいないのかもしれない。才能機をそれなりの脅威として見ている可能性も無きにしも非ずだ」
だが、そうだとすれば前回の自爆でもうモリビトは存在しない、と判断してもおかしくないはずだ。一体何を判断材料にして、才能機モリビトが再び出て来る事を予期したのか。
翠は一つの推論に至った。
「その、非常に言い辛いのですが……」
「言いたまえ」
「内通者、の可能性を視野に入れるべきでは」
時雨が翠の顔を見やる。やはり言ってはならなかったか、と今さら後悔したものの、時雨は改めろという様子もなかった。
「……いい判断をしている。内通者、我々も考えたが、全くそれは読めない。第一、帝都を危険に陥れる内通者の存在を前提とすれば、ある程度の事が用意に可能になってしまう。内通者の線は最後の最後まで伏せておいたほうがいい」
だが内通者がいない、とは時雨は言わないのだ。その可能性は視野に入れるべきだと。
「そうだとすれば、モリビトでは勝てないんじゃ……」
「モリビトの規格、装備は秘中の秘。それが事前に漏れる可能性はあり得ない。君でさえもぎりぎりまでモリビトの装備は知らなかったはずだ。操主にさえも秘密にされているモリビトの装備品を想定する事は出来ない」
それはつまりある事実を示している。
――内通者がいても、モリビトの存在以上の事は言えない。
逆に言えば、モリビトと操主が新しくなった事だけは告げ口出来た。その情報を基に相手は戦略を練ってきた。
「オレを、試した、と言うのでしょうか」
「その可能性は大だな。日下部孝雄大尉の弟はどれほどの操主なのか、と」
自分は知らないうちに幽鬼を操る者達に試されていた。その可能性に怖気が走る。
「一体、何者なのでしょう。幽鬼とは」
「それを考えるのが対策室の仕事だからね。怪我は? 日下部少尉」
翠は診断書を提出する。それを一読して時雨は言いつけた。
「問題ない、と書かれている。今日からでも現場復帰は出来そうかね?」
「……オレは、問題ないですが」
「何か言いたげだな」
翠は逡巡の後に声を搾り出す。
「オレ……整備班の人達を裏切ったみたいなものなんです。危なくなったら下がれって言われていたのに。あれだけ、言われていたのに、オレ、真逆の事をしてしまった。モリビトを、壊してしまった……」
その悔恨に拳を握り締める。整備班の人々があれだけ、精根込めて造ってくれたモリビトをこうも容易く大破させてしまったのは自分の責任だ。
「整備班には頭を下げる必要があるかもしれないな」
時雨もこればかりは助言出来ないらしい。翠は困惑の中、どうすればいいのかを問うた。
「整備班の……山城班長にでも頭を下げればいいんでしょうか?」
「頭を下げるだけで連中の溜飲が下がるかどうかも分からんがね」
耳に痛い言葉だ。自分一人の頭程度で整備班の努力が報われるとも思えない。
「誰に、まずは許しを請うべきでしょうか」
「それは君が考えたまえ。わたしは上官であって、教師ではないのだからね」
軍に入るとはそういう事だ。翠は挙手敬礼をして下がった。高木が先導する。
その背中に、どうすればいいのか、を問おうとしてこれも甘えだな、と取り下げた。どうしてこう、一人で背負い込む事も出来ないのだろう。
弱いな、と翠は自嘲する。
「日下部少尉。そう気を落とす事はない」
高木の慰めの言葉も翠にとってしてみれば辛い。
「でも、オレ、もうちょっとうまく出来ると思っていたんです。モリビトでならば、兄の戦った機体でならば、負けないだろうと」
「初陣だったんだ。仕方ないだろう」
初陣だったから。そんな言いわけが通用するほど甘い世界ではないのは分かっている。
「せめて、整備班の人達に謝りたい。モリビトをあんなにしてしまって……」
「同伴しようか?」
高木の慮った声に翠は首を横に振る。
「多分、高木少佐に甘えてばっかりじゃ、オレ、いつまで経っても一人前になれない」
何よりも自分が分かっている。高木は優しい。だからこそ、その言葉に甘えていてはならないのだ。自分だけの力で、信頼を取り戻さなければならない。
「シゲさんに会ってきます。せめて、土下座でも何でもして、謝らなければ」
高木は翠の焦燥にフッと笑みを浮かべる。
「変わらないですね。軍に入っても、あなたはじゃじゃ馬のままだ」
一瞬だけ女であった「日下部翠」を感じさせた声に思わず甘えそうになったのをぐっと堪える。
冷淡な挙手敬礼と、声で自分を男である「日下部翠」にしてみせた。
「失礼します、少佐」
相手もそれが分かったのだろう。返礼して首肯する。
「これは助言だが、いきなり山城班長のところには行かないほうがいい。怒鳴り散らされて、まともな話し合いにならないだろう」
その助言だけは受け止めておこう。翠は踵を返した。
辿り着いたのはナナツーの格納庫だ。ここにあらばシゲがいるだろうと考えていたのだが、ナナツーが並んでいるだけでシゲの姿はなかった。
「やっぱり、モリビトの極秘格納庫のほうかな」
徹夜で修理していると聞いた。そちらに顔を出すべきかと思ったが、邪魔になるかもしれない。翠は一台のナナツーへと歩み寄って手を当てる。
シゲのやっていたように、ブルブラッド活性炉にナナツーを充電させてから、作動鍵を入力して起動させた。
ナナツーをまずは立たせようとしたが、ナナツーは翠の操縦にまるで付き合ってくれない。前のめりに転びそうになって慌てて腕で制御する。
「これが乗れなきゃ、整備班の人達に合わせる顔もない」
翠は丹田に力を込めてナナツーを起き上がらせる事に集中する。おっかなびっくりのナナツーに翠は操縦桿を握り締めて口にした。
「お願い、ナナツー。言う事を聞いて」