「日下部少尉! 応答を!」
岩倉が先ほどから呼びかけを続けているのに応答の一つもない。
その異常事態に対策室の人々はざわめいていた。全員、困惑を隠し切れていない。
「まさか、以前のように……」
「モリビトの位置は動いていませんが、それってもしかして……」
ぽつりぽつりと出る不安に岩倉が声を張り上げる。
「まだだ! まだ、敗北したとは……」
決まっていない、と言いたいのだろうが言葉尻に力はない。
時雨はこの状況を俯瞰し、呟いていた。
「自爆装置の作動は?」
「感知していません。そもそも、弐号機に自爆装置は取り付けられていないので」
応じた高木もどこか緊張に顔を強張らせている。日下部翠が死んだかもしれない、となれば心中穏やかではないだろう。
「操主が才能機よりも先に参ってしまった場合、我々にはどうしようもない」
「操主の力切れ? ですがその場合、爆砕ボルトで操縦席を切り離すしか……」
岩倉が振り返り、「准将!」と声を出す。
「何か?」
「操縦席の即時切り離しを。これ以上の戦闘継続は無意味です」
作戦参謀としての判断だろう。しかし、時雨は応じなかった。
「駄目だ。幽鬼がどうせすぐ傍にいる。まだ日下部少尉からの緊急信号も来ていない以上、切り離すのは逆効果だ」
「ですが! このままでもどうせなぶり殺し……! 操主だけでも確保するべきだと進言します!」
モリビト弐号の替えはあるが操主はそう簡単には手に入らない。順当な判断だろう。だが、時雨は渋った。
「まだ、緊急警報も出ていない。モリビト弐号の状態は?」
「状態、準危険域です。まだ危険域には達していません」
返された言葉にしかし、岩倉は納得していないようだ。
「モリビトが戦えても操主が戦えなければどうしようもない! 観測気球からの望遠映像を!」
戦闘地帯が距離のあるため、予め観測気球を飛ばしておいたのだ。そこから望遠鏡を手にしているであろう観測員からの報告が飛ぶ。
『モリビト弐号、建築物の合間に沈降! 損傷は軽微ですが、幽鬼は新たなる武装を解除しました! これは……帯のような、尻尾か……?』
「新しい武装?」
岩倉含め、発令所の人々がざわつく。
「幽鬼の新しい武器って……」
「呼び戻すべきなんじゃ……」
「静かにしろ! 今は僕が作戦指揮をしている!」
だが岩倉とて冷静ではない。無理もなかった。前回は軍の基地内部での戦闘。今回は遠方での戦闘だ。全く正反対の戦場を歩かされれば混乱もする。
「岩倉中尉。作戦指揮は君の役目だ。だがそれ以上に冷静であるべきだとわたしは思うがね」
時雨の言葉に岩倉は胸に手を当てて深呼吸する。それでも自分が今どうするべきなのか、全く見えていないようだ。
「観測気球、モリビト弐号の状態を伝えよ」
『モリビト弐号から照明弾! これは……まだ、戦闘継続していますがモリビト弐号が転倒したままの模様!』
キャタピラの脚部であるモリビト弐号の転倒は想定外だ。岩倉は狼狽する。
「転倒……? そんな状態でどうやって……」
「転倒時の手引き書はある。坊ちゃんがそれに気づけばあるいは、だな」
いつの間に発令所に来ていたのか、山城が声にした。岩倉は手を振り翳す。
「通信、繋げないのか?」
「無線と伝令管、両方を試してみましたが、駄目です。幽鬼の影響でしょうか……、モリビト弐号、観測不能!」
発令所の軍人達の声に岩倉が唇を噛む。ここまで切羽詰ればもう打てる手は限られている。時雨は最後の判断を迫られていた。
「爆砕ボルトで頭部を切り離すしか、もう道がないのでは……?」
高木の懸念ももっともだ。だが、この切迫した状況だからこそ、時雨はある偶発的な要因に賭けていた。
「あと二分、信号のない場合は操縦席を切り離す」
「二分? 正気ですか! そんな悠長な事――!」
「君は作戦参謀だが、指揮官はわたしだ。二分待つ。その間に日下部少尉からの何らかの無線信号があるかもしれない。何よりも戦闘地帯にいるのは日下部少尉だ。今の、何の信号もないまま操縦席を切り離す事のほうが危うい」
「ですが……」
岩倉は拳を握り締める。自分の提案がことごとく無視されるのが気に食わないのだろう。
「二分だ。その間に行動があるかもしれない」
時雨の再三の言葉に岩倉は発令所全体に発布する。
「二分計測! それ以降信号のない場合は強制排除!」
時雨の提案を最大限まで呑んだ結果だろう。高木は隣に侍りながら声を潜めた。
「准将。あまりに無茶が過ぎます。今すぐにでも、モリビトから日下部少尉を助け出さなければ」
「もう死んでいれば仕方あるまい」
時雨の声音があまりにもこの状況に則していなかったからだろう。高木は声を荒らげた。
「死んでいるとすれば、余計に、でしょう! すぐに蘇生措置を施せば、生存の可能性も」
「高木少佐。わたしは二回も三回も負ける操主は要らない。敗走は、一度で充分だと感じている」
遮って放った声に高木は閉口する。
「……それは、日下部翠にもう操主の資格なし、と?」
「努力をしても実らぬ事はある。一度目は許したが二度も三度も勝手な真似をさせれば、それは軍隊という規格そのものに合わないと言っているんだ。もう一度言う。敗走は一度きりでいい」
高木は何かを発しようと口を開きかけてやめたようだった。何を言っても自分の決定を覆せないと感じたのだろう。
「……もう、六十秒を切っております」
その代わりのような言葉に時雨はふっと笑みを浮かべる。
「なに、あれが本当に血続で、才能機に認められているのならば、こんなところで死にはしない」
「准将殿。少しばかり無茶が過ぎますな。うちで造ったモリビト弐号は棺おけじゃないんですがね」
山城の言葉にも時雨は動じない。
「無茶無策を当たり前だと思っていただかなければ。幽鬼に勝つにはそれしかない。勝ち筋を見つけるのには、本当の土壇場まで意地を張り続けなければ」
「残り三十秒!」
張り上げられた声に時雨は冷や汗を浮かべる。
――ここまでのはずがなかろう、日下部翠。それにモリビト弐号。
相手をここで上回れなければ、どちらにせよ帝都に潜む影を炙り出せはしない。勝利を手にするのには、ぎりぎりの駆け引きでさえも味方につける。
「残り十秒!」
「時雨准将! もう限界です! 強制排除を!」
岩倉の放った声に強制排除が成されようとした、その瞬間であった。
『帯状の攻撃物体がモリビト弐号に命中……、モリビト弐号、大破……いや、違う? これは、命中していない?』
発令所に響く観測気球からの声に全員が戸惑いを浮かべる。
「どういう事か!」
岩倉の問い返しに観測員が応じる。
『モリビト弐号へと、確かに! 確かに、帯状の攻撃物体が命中したかに思われたのですが、その命中したにしては、帯状の物体が……たわんでいるのです』
「たわんでいる?」
意図を察知出来ず、岩倉が疑問符を挟む。
『こちらからの映像を出します!』
観測員の悲鳴のような声に、送られてきた荒々しい画像が受信される。発令所の人々はその模様に目を瞠り、息を呑んだ。
「……何だこれは」
モリビト弐号が幽鬼の放った帯状の部位を受け止めている。
左腕を掲げ、鉤爪でその攻撃を阻止していた。それだけではない。先ほどまで仰向けであったモリビト弐号が自分の意思を感じさせるようににわかに起き上がる。
「じ、蒸気計算機の弾き出した現状のモリビト弐号は、信号不明! 操主の生存も全く計測出来ません!」
だというのに、映像の中のモリビト弐号は人がそうするように起き上がると帯状の物体を弾き返した。
その膂力は計測以上のものであり、山城でさえも言葉をなくしている。
「……おいおい、あんなに人間らしい動きを実現出来るほど、モリビト弐号に取り付けられた稼動弁は万全じゃないはずだが」
全身の装甲が剥離する。内部骨格から粒子が棚引いた。
『モリビト弐号から、赤い光が……。か、観測気球より発令所へ! モリビト弐号の、灰色の装甲板の合間から赤い光が放出されています。これは、まるで血潮……』
声を上ずらせた観測員よりも目の前の映像に全員が釘付けにされている。
モリビト弐号が上体を引き起こし、鉤爪で幽鬼の放った触手を薙ぎ払う。
音声までは拾えないが、幽鬼とモリビト弐号が組み合っているのが伝わってくる。
モリビト弐号は左腕を引き上げて直下の地面へと叩き落した。恐らく画面に映らない位置にいる幽鬼への攻撃だったのだろう。起き上がった幽鬼が砲身の筒先をモリビト弐号へと向けた。
「危ない!」
岩倉の声にモリビト弐号は即座に前進する。避けようと後退するのではなく、あえて接近して射線から逃れた。
左腕を下段に構え、人間の放つ貫手のように、幽鬼の砲門を引き裂く。
その威容は今まで見てきたモリビトのそれではなかった。
全身に神経がようやく行き渡ったかのようにモリビト弐号が活き活きと稼動し、幽鬼の頭部を叩きのめす。幽鬼は触手で応戦しようとするがそれらを一掃したのは薙ぎ払われた鉤爪の一閃である。
「……確かに対幽鬼への接近戦の切り札として、鉤爪はきっちり整備した。だが、こんな……。こんな切れ味までは保証してねぇ」
山城でさえも声を震わせている。モリビト弐号は左腕の鉤爪で幽鬼を引き寄せたかと思うと、ゼロ距離で無反動砲の砲弾を叩き込んだ。
反対側に砲弾が突き抜けたのが目で追えたほどである。
幽鬼から力が失せ、その場に倒れ伏したのが伝わった。
「勝った、のか……」
岩倉の茫然自失の声に詰めていた緊張が解かれたかに思われた。
だが、モリビト弐号は攻撃の手を休めない。
幽鬼がいるであろう箇所に、何度も何度も、鉤爪を突き立てているのだ。傍目から見ても異常だった。岩倉は即座に通信を繋ぐ。
「日下部少尉? もう戦闘は終わった。これ以上の、戦闘行為は被害を広げるだけで……」
その言葉を飲み込ませたのはモリビト弐号が右腕の砲身を払って建築物を薙ぎ倒したせいだ。その瞬間に映ったモリビト弐号の眼窩に、全員が圧倒される。
煌々と光り輝いていた。
ただの強化硝子に過ぎないはずの、モリビトの眼が。
モリビト弐号は無反動砲の砲身が折れるまで地面に叩きつける。ついには折れた無反動砲を投げ捨てて帝都の建築物を破壊し始めた。
「日下部少尉! 被害を増やすな! 何をやっているんだ!」
岩倉の声も届いていないようであった。鉤爪を振り乱し、モリビト弐号は目に映る全てを破壊し尽くす。
蹂躙の気配に誰もが息を呑む。
もう倒すべき敵も存在しない帝都の街を破壊し、薙ぎ倒していくその姿はまさしく――悪鬼。
「現時刻より、人型特殊才能機の名称を変更。開発名称をジンキ、とする」
時雨の言葉に高木は思わず、と言った様子で尋ねていた。
「人の鬼、ですか?」
「いいや。人間の為の機体だよ。人機はいずれ我々の味方になる、頼り甲斐のある味方にね」
だが今は、目に映る全てを壊し、狂う悪鬼羅刹。
当然かもしれない。まだあれは赤子のようなものだ。
だがいずれは、と時雨は感じる。
いずれは、人機を我々が御する。
人間の為の機体であるのは、間違えようのないのだから。
モリビト弐号が宵闇に咆哮するように面を上げる。
その咆哮は幽鬼という闇を切り裂き、明日へと繋がる叫びに他ならなかった。
「思っていたよりも歪だな、この時代のモリビトタイプは」
建物の陰に隠れていたその漆黒の機体に乗った男は評する。手の中にある矢じり型の御符から光が失せ、真っ二つに破れた。
つまり「これ」は失敗であった、という事だ。
「どうせ二時間程度しか持たないものだが、今日はいいものを見られた。この時代にも、人機の狂気に取り憑かれた人間がいる。そうでなければ、アルファーを組み込んだ人機など製造するまい」
火の粉の舞う中を黒々とした巨体が踏み締めてゆく。自分の道を拡大するためにいささかの躊躇いもなく、その巨人は左腕の鉤爪を振るう。
建築物から粉塵が舞い上がり、血の色に染まった装甲を晒すモリビトタイプを、男は見据えた。
「ご覧、我が人機、キリビト燕。あれが、今生のモリビトだ」
キリビト燕と呼ばれた漆黒の人機は黙したまま、今も帝都を焼き尽くすモリビトのその威容を眺めていた。
第二章了