ジンキ・エクステンド 翠聖の翼   作:オンドゥル大使

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第弐話「日下部翠」

 やぁ、と甲高い声が飛ぶ。

 

 めいめいに薙刀を構えた女生徒達へと、教員が檄を飛ばした。

 

「よろしいですか。女の貞操をいざという時に守るのは女自身。そのための護身術として、薙刀術があるのです。薙刀は古来、武士に扱われ、様々な流派、流儀が登場しましたが、皆さまに学んでいただくのは、貞操を守る心がけです。これは決して、率先して敵を討つためのものでは――」

 

 その言葉を遮ったのは一陣の疾風を思わせる鋭い声。

 

 教員も女生徒達も、全員が息を詰まらせる。

 

 視線の先には緑色の髪を結い上げた少女が、相手の少女へと薙刀の切っ先を向けている姿があった。

 

 凛々しく釣り上がった瞳が、戦闘の光を帯びている。

 

 赤い袴から伸びたしなやかな足が、美しく相手の懐へと潜り込んでいる。健康的に日に焼けた腕には柔軟な筋肉があり、薙刀と渾然一体となって、相手を撃ち伏せる勢いが伴っていた。

 

 教員が嘆息を漏らす。

 

「日下部翠! またあなたですか!」

 

 教員も慣れたもので、当の本人へと何度投げた分からない注意を口にする。

 

「薙刀術は! 防衛術です! 決して敵を討ちに行く剣術ではありません」

 

 教員の教えに結い上げた髪をかき上げて、翠は声にする。

 

 快活な声であった。

 

「いざという時、敵は待ってくれますか? 女は、待ってくれるような悠長な敵を想定して、操を守れと言うのですか?」

 

 翠の反抗的な言葉もこの場にいる人間からしてみれば慣れ親しんだもの。

 

 笑い声と、同調の声が続く。教員は振り返り、他の女生徒にも注意を促した。

 

「日下部さんのようになってはいけませんよ!」

 

「あたしのようになっちゃ駄目って、それは先生。いざという時に操の一つも守れない女になれと言うのですか?」

 

 教員は指示棒を手にしたまま、こめかみを突く。

 

「……問題児はあなた一人で結構、と言っているのです。大体、これは何ですか!」

 

 翠は今しがた組み伏せた女生徒に目線をやる。

 

「何って、実戦訓練ですよ」

 

「他人に向かって振るうなど、なんて野蛮な」

 

 嘆かわしい、という声音に翠はむっとして返す。

 

「野蛮って、それを教えるのが、薙刀術の授業でしょう?」

 

「だれかれ構わず刃を向けるのは野蛮だと、言っているのです」

 

 刃、と言われても授業で使うのは先端の丸まった模造品。練習用である。

 

「刃なんてどこについているんですか?」

 

 翠の問いかけに数人の女生徒がつられて笑った。教員は苛立たしげに叱責する。

 

「そういう態度が、です! 薙刀術は心の刃を研ぎ澄ますためのもの。心得もなく他人に振るえば、それは無害なる者を殺める凶刃と同じ」

 

「心得はあります」

 

 進み出た翠は教員に威圧されないように胸を反らす。

 

「どうせなら、あたしと勝負してみますか? 先生」

 

 挑戦的な翠の声に教員も堪忍袋の緒が切れたようだ。女生徒から薙刀を引っ手繰り、

「貸しなさい」と構える。

 

「あなたのような阿婆擦れに教えるのには、これしかないようですね」

 

「阿婆擦れだなんて、下品な言葉」

 

 翠はわざと高貴な女性がそうするように、口元に手をやってみせる。

 

 いつも教員を挑発する心得だけは持っていた。

 

 薙刀を下段に構えた教員に、翠は真っ向から向き合う。

 

「どう来ます? 一度交錯して、そこから決めにかかりますか? それとも一撃で面を?」

 

「話をしていると、舌を噛みますよ」

 

「それはお互い様、でしょ!」

 

 呼気一閃。

 

 翠の突きが教員の肩口を捉えようとしたが、教員は軽く歩調でいなした。

 

 さすがに教員。一撃ではくれまいか、と翠は構え直す。

 

 その隙を見逃さず、教員が突き出してくる。

 

 胴を狙った一撃。翠は薙刀を交差させて直前で振り払う。

 

 見入っている女生徒達が黄色い歓声を浴びせた。

 

「うるさいですよ! あなた達!」

 

 教員の注意の隙をつき、翠は肉迫する。

 

 篭手を狙った一撃であったが、それを瞬間的に悟られ、教員と翠はもつれ込むように一進一退する。

 

 薙刀を構成する木材同士の擦れ合い。

 

 パチン、と弾かれた音で翠は決まらなかった事を悟った。

 

「諦め悪いですね!」 

 

 わざと大声で挑発してやるが、教員は本気で翠から一本を取るつもりだ。その声に応じなかった。

 

 これだから、と翠は下段に薙刀を構え直す。

 

 小脇に構えた薙刀の振動。指先で取る音程。

 

 戦闘神経を研ぎ澄まし、翠は教員の一挙手一投足を見逃さない。

 

 相手も同じだ。

 

 こちらの隙を見逃すまいと迫る。

 

 まるで同程度に低く見られている事に気がつかないのか。こうして自分と同じように薙刀を構えている時点で、ある種馬鹿にされているのだ。

 

 翠がじりじりと足先を向けようとする。必殺の領域に踏み込んでやろうとした瞬間、女生徒の一人が悲鳴を発した。

 

 どうやらどこからか紛れ込んできた猫が、夢中になっていた女生徒の足元に近づいていたらしい。

 

 それを認めた瞬間、翠の額に鋭く一撃が加えられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いたた……。先生ってば本気なんだから」

 

 まだ腫れが続く額を押さえつつ、翠は職員室に続く廊下を下っていた。

 

 面への鋭い一撃に加えてさらに説教を垂れられる事一時間。

 

 ようやく解放された翠へと歩み寄ってきた女生徒がいた。

 

 おかっぱ頭の大人しそうな少女である。赤いカチューシャが眩しい。

 

「翠ってば、あんなおふざけするから」

 

「だって、あんな……。先生だって女なのにああいう物言いしか出来ないから」

 

 翠は別段、教員に逆らおうと思っているわけではないのだ。

 

 ただ言っている事とやっている事がちぐはぐな大人達に異を唱えているだけ。

 

 それが女生徒ばかりのこの学び舎では特別目立った。

 

「先生だって、いちいち翠の言う事にいきり立つ事ないのにね。大人気ない」

 

「本当にそう。青葉は分かっているじゃない」

 

 青葉、と呼ばれた少女は顔を伏せ気味にくすくすと笑う。この少女の癖だった。

 

「どこからどう考えても、あたしは間違った事はしていない」

 

「それはこの学校だから許されているのかも。男の人に混じったら、翠、見分けがつかなさそう」

 

 青葉のおふざけに翠は肩を竦めた。

 

「淑女を守るために騎士になれって?」

 

「翠ならなれるよ。騎士にだって」

 

「冗談きついよ、青葉」

 

 所詮、少女の身。騎士などなったところで。

 

 このまま、女生徒ばかりの学校で教育され、型にはめられ、淑女のたしなみを覚えさせられて嫁ぐ。それが女、だとまだこの閑散とした学校ではまかり通っている。

 

 しかし、翠は知っている。

 

 遠く、帝都では女は当たり前のように男に混じって働き、中には答弁一つで生計を立てられる人間だっている。

 

 紳士淑女のたしなみなんて、もう時代遅れなのだ。

 

「青葉は、どうするの? この学校出たら」

 

「どうしようかな。でも、私がどうこう考えたって多分、家が決める事だし」

 

「お家のために、ねぇ。あたしだってお家のために、で嫁がされるのかな」

 

「翠はないよ。じゃじゃ馬だもん」

 

「言ったな、この!」

 

 くすぐってやると青葉は明るく笑って逃げる。翠はそれを追って廊下を駆けていると、不意に教員に行く手を遮られた。

 

 青葉がばつの悪そうに顔を俯ける。

 

 まずい、と翠も慌てて取り成すが、教員は何やら神妙な顔つきであった。

 

「日下部さん。家から取次ぎが来ています。至急、帰って来なさい、と」

 

 まさか教員への失礼がばれたか。そんな考えに浸った翠へと、不意打ちのように教員は言い放つ。

 

「お兄様の事だと言えば、飛んで帰ってくるとの事でしたが……」

 

「にいにい様の?」

 

 翠の弾けた声に教員は目を丸くする。

 

 思わず出てしまった馴染みの兄への呼び名に、翠は口元に手を当てた。

 

「失礼、先生。では帰ってもよろしいでしょうか?」

 

「構いませんが、後でしっかりと勉学に励むように」

 

 教員の厳しい口調を他所に翠は浮かれていた。

 

 もう何年も会っていない兄、孝雄の報告とあれば嬉しい事に決まっている。

 

 有頂天の翠に青葉は言いやった。

 

「お兄さん、帰ってきたの?」

 

「きっとそうだよ! 青葉! 久しぶりににいにい様に甘えられる!」

 

 翠があまりにも嬉しそうに語るものだから青葉もつられて微笑んだ。

 

「可笑しい。翠ったらいつもは男勝りなのに」

 

「だって、にいにい様だよ? 帝都軍人だから、帰ってこられないって言っていたのに。きっと何かお土産話を寄越してくれるはずよ」

 

 翠はいてもたってもいられなかった。

 

 教室に戻るなり鞄を手に、校舎を出ようとする。

 

 その背中へと声がかかった。

 

「お待ちなさい、日下部さん」

 

 振り返ると、長い黒髪を流した清楚な少女と、それを中心とする少女達がこちらを睨んでいる。

 

 翠は明るく手を上げた。

 

「どうしたの?」

 

「どうしたじゃありませんわ。学業の最中に抜け出すなんて、本当、焼きが回ったものね」

 

 嫌みったらしく声にするのは学友の錦翔子であった。

 

 錦翔子を中心とする派閥が幅を利かせているのが自分の学級での階級制度であった。しかし、翠にはそんな奴隷制度じみた階級など関係がない。

 

「まぁね。ちょっと嬉しい事があって。聞きたい?」

 

「結構。あなたの嬉しい話なんて真っ平よ。大体、学業よりも優先すべき事があって?」

 

 その言い草に翠は笑いを堪えるのに必死だった。この話し言葉だって、都会の真似事だ。それを片田舎でやられたところで、馬鹿に浮いているというのに。

 

「ねぇ、錦さ。もっと楽しくやろうよ。面白くないよ、年中、眉間に皺を寄せているのは」

 

「あなた、学校に何をしに来ているの? まさか遊びに来ているとは言わないわよね?」

 

 半分はそうだったが、この答弁は無意味だ。

 

「楽しいからいいんじゃないかな。あたし、錦の事だって嫌いじゃないよ」

 

 なっ、と言葉を詰まらせた錦翔子が赤面する。

 

 翠は舌を出して身を翻した。

 

「お待ちなさい! 日下部翠!」

 

 錦翔子の怒声を背中に受けながら、翠は学校への坂道を下ってゆく。いつだって憂鬱な坂道が、今は身体が軽い。

 

「にいにい様が待ってくれてる! きっと、きっと嬉しい話をしてくれる!」

 

 農道を抜け、真っ直ぐに家に帰ると、女中達が何やら家の前でたむろっていた。翠は声をかける。

 

「みんな! にいにい様が帰ってきたんでしょう!」

 

 そう口にすると、全員ばつが悪そうに顔を伏せて立ち去った。一体どうしたと言うのか。

 

 女中の中には最近雇ったものもいる。そのせいだろうと結論付けて、翠は玄関を開けた。

 

「ただいま! にいにい様は……」

 

 そこから先の言葉は、背の高い御仁の背中に遮られた。

 

 灰色の外套に、茶色の帽子を被っている。

 

 今しがた来訪したらしく、靴も脱いでいなかった。

 

 だが、それよりも翠の疑念であったのはこの男は誰なのか、である。

 

「これ、翠。お客様の前だぞ」

 

 父親が静かに叱責する。絶対に大声は出さない父親であったが、この時ばかりは少しばかり声音が険しかった。

 

 あまりに失礼が過ぎたからだろう、と翠は判断する。

 

「……すいません、お父様。その、お客様ですか」

 

 背の高い御仁は帽子を取って目礼する。翠も首を縮こまらせた。

 

「帝都から、遠路はるばるここまでいらっしゃったのよ」

 

 そう説明したのは母親である。

 

 やはり、兄が帰ってきたのだ。翠は笑顔になりかけるが、母親があまりに沈痛な面持ちであったのでそれを抑えた。

 

「兄さんは……」

 

 甘えた声を抑えて、翠は尋ねる。

 

 母親は首を横に振って咽び泣いた。父親は顎をしゃくる。

 

「下がっていなさい」

 

 その言葉には問答無用で従うしかなかった。

 

 翠は二階の自室に上がってから鞄を置いて、客間へと忍び寄った。

 

 かすかに空いた客間から先ほどの御仁の声が低く響き渡ってくる。

 

「日下部孝雄少尉、いえ、二階級特進で大尉、と言うべきでしょうか。彼は大日本帝国のために……」

 

 そこから先は言葉にならないとでも言うように御仁は顔を伏せる。

 

 父親が目をきつく瞑ってから目元を覆った。

 

 母親がああ、と声に出して涙する。

 

 その時になってようやく、翠は嬉しい報せではなかったのだと知った。

 

 がらんどうになった身体が御仁の言葉を反響させる。

 

「詳細は言えませんが、軍務の途中での事故でした」

 

 事故? 軍務?

 

 確かに兄は軍籍に就いていた。だが、所詮は形だけだと兄は――孝雄はよく笑って翠をあやしたものだ。

 

 自分は臆病者だから、戦地では役に立たないだろう、と。

 

 きっとすぐに帰ってくるだろうと。

 

 しかし、それは最悪の形で裏切られた。

 

「にいにい様が、死んだ……」

 

 今さら圧し掛かってくる現実に翠は耐え切れなかった。思わず身を翻し、部屋に篭って泣いた。

 

 涙が止め処なかった。

 

 兄が、孝雄が何をしたというのだろう。

 

 どうして死ななければならなかったというのだろう。

 

 どこかと戦争をしていた時分ならば分かる。だが、今は平和のはずだ。兄に、軍人としての責務など必要のない時代になったはずだ。

 

 翠は兄を殺した不誠実が許せなかった。

 

 男勝りなど関係がなく、兄を殺したこの国が、憎い。

 

 御仁はすぐに取って返すのだろうか。

 

 翠は涙に濡れた顔を上げる。

 

「あたしは、にいにい様の死を、確かめたい」

 

 何が起こったのかを詳らかにされるまでは、あの御仁を帰してはいけない。

 

 その決意は翠の萎えかけた足に力を込めさせた。

 

 向かったのは客間だ。

 

 当然、母親も父親も瞠目する。

 

 翠は今さら恥じ入る事はないと、声を張り上げた。

 

「お願いします! 兄の死を、あたしにきっちり説明してください!」

 

 突然の言動に父親が困惑する。

 

「翠、部屋に戻っていなさい」

 

 この期に及んでもまだ、父親は静かな怒りで対応する。

 

 だが今は、そのような悠長な間でさえも惜しい。

 

 翠はなだれ込むように土下座した。

 

 母親が嘆くように顔を伏せてさめざめと泣く。

 

「お願いします! あたしに! 兄の死の説明を!」

 

「いい加減にしないか! 翠! 客人の前だぞ!」

 

 今までいきり立って怒った事などなかった父親が遂に声に出して怒る。それでも翠には関係がない。

 

 ――誰が泣こうが喚こうが、自分には兄の死の真相以外には何も。

 

 翠の決意は揺るがなかった。

 

 それを悟ったように、御仁が声をかける。

 

「顔を上げなさい」

 

 翠はそれでも意固地に床に額をつけたままだった。御仁が呆れ返ったのか、あるいは感心したかのような声音を出す。

 

「……日下部大尉の妹さんらしい。私は、元よりあなたが望むのならば、この情報を開示しようと思って、ここを訪れたのだから」

 

 意味が分からなかった。

 

 自分に顔を上げさせる方便だと思ったが、御仁の口ぶりはやけに確信めいている。

 

「私の上官が、あなたを帝都に招きたいと言っているのだよ」

 

 次いで放たれた言葉に両親が息を呑んだのが伝わった。

 

「どういう……」

 

「ああ、なんて事……」

 

 詰まらせた声に、嘆く声。

 

 御仁は翠の肩に優しく手を置き再三告げる。

 

「顔を上げなさい。あなたのお兄さんそっくりだ。意地になった時には上官の言葉さえも聞かないところが特に、ね」

 

 覚えず顔を上げる。

 

 御仁は優しく微笑んでいた。

 

「両親の前では何だ。歩きながらでも話しましょうか」

 

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