『ブルブラッド循環炉、開きます』
その報告が操縦席に、伝令管を伝って声となる。操縦桿を握る手が自然と強張っていた。
二週間、音沙汰がないとはいえいつ現れるとも分からない幽鬼。その脅威に対して常に最善を求めて訓練してきた自分はいつの間にか操縦席でも落ち着きが持てるようになっていた。
『第一、第二駆動弁、解放』
『駆動補助のブルブラッド活性炉に火を灯します』
モリビト弐号の背部に取り付けられている尻尾を思わせる巨大な活性炉はブルブラッドの安定した電力供給のための充電池だった。活性炉が上手く働かなければブルブラッドの本体そのものにも影響を及ぼす。
ブルブラッド活性炉は第二の血塊炉だとシゲに教えられた。言うなれば活性炉が電気を起こすための発電所そのものであると。電気供給が成されると、重い排気音が操縦席に木霊する。
血塊炉に火が点き、ようやくモリビト弐号が起動準備を始める。翠は次の報告を待っていた。
『モリビト弐号、電力供給率、四割を超えました』
『稼動準備段階に移行。次いで装備点検、第三班は兵装点呼せよ』
『右腕、無反動砲、点検完了!』
『続いて左腕、末端神経系統の接続を確認。日下部少尉、指先を』
その言葉に翠は操縦桿を軽く引いて左手を動かしてみせた。左手が問題なく上がり、次いで親指を立ててみせる。
『そういうおふざけは全部終わってからにするんだ』
山城からの注意が飛び翠はモリビト弐号の左手を下げさせた。
『格納区画より、地上区画への発進段階に入る。総員、退避』
総員退避の声が繰り返され、モリビト弐号の前方を覆っていた二重の柵が取り払われる。接地している脚部へと続いたのは一対のレールだ。それこそが岩倉の提案したモリビト弐号の新たな形態であり、これから自分がその有用性を試すものであった。
『脚部、レールへと接地。問題なし。車輪の接地を確認』
『電力を血塊炉へ注げ。経路にいる奴! 踏み潰されたくなかったらとっとと退避しろ!』
山城の檄に、『まだ完全じゃないんですよ!』と悲鳴のような声が返される。翠は交わされる言葉を聞きながら操縦桿を握って前傾に体重を預ける。ペダルを踏むのは全ての命令系統へと指示が行き渡ってからだ。翠は整備班の声を聞き届けて全神経を研ぎ澄ます。
『全権をモリビト弐号操主、日下部翠少尉へと委譲。行けます』
その言葉を聞いてから翠は復誦した。
「了解。モリビト弐号操主、日下部翠。出ます」
モリビト弐号がレールへと車輪を接地させて火花を散らせる。
思っていたよりも振動は少なかった。
それは岩倉の提案通りにモリビトが整備された事を意味する。
「やった! 岩倉中尉」
目線を振り向けると整備用の橋にいる岩倉も喜びの顔を向けている。岩倉の提案が通り、見事、モリビト弐号の機動に成功したのだ。
だが本題はここからである。
「第一移動段階は出来た、後は、オレがどれだけモリビト弐号を操れるか……」
移動に使うレールへの接地と足並みは上々だ。ここから先――モリビト弐号が実際に機動段階で及第点をもらえるかどうかは自分次第である。
「日下部翠、地上へと出ます!」
腹腔から声にしてモリビト弐号の巨躯が地上へと顔を出す。地上班が誘導していた。
地上にも地下から繋がったレールがあり、それはそのまま市街の沿線、路面電車のレールへと接続している。
それこそが岩倉と自分が考え出したモリビト弐号の新た運用の形であった。キャタピラでは予想外の時に転倒し、そこからの建て直しが困難となる。だがレールの規格に合わせた車輪ならば予想外の順路へと外れる事もない。さらにいえばキャタピラのように路面を破壊する心配も減る。
「岩倉中尉、レールでの移動はなかなかに有効です」
報告すると伝令管から声が届いた。
『油断しないでください。今回の目的はモリビト弐号の稼動に路面電車のレールが耐えうるかどうかの検証実験です。今は夜半。全線を止めているので帝都へと出てもらいます』
「了解!」
翠はペダルを踏み込む。
基地から帝都へと飛び出したモリビト弐号の運用に変わりはない。どうやら帝都全域に張り巡らされたレールの規格はモリビト弐号運用に値するものであったようだ。
「今のところ、問題なし。このまま……」
巡回を続ける、と言おうとした、その時であった。
けたたましい警告音と共に前方が塞がれる。鍵穴の巨躯に翠は慌てて制動をかけた。
モリビト弐号の足元で赤い火花が散って急制動する。尻尾のように取り付けられているブルブラッド活性炉が揺れた。
「どうして……。試験運用なのに……」
『幽鬼、だと……』
漏れ聞こえた声に翠は緊張を走らせる。
目の前に突如として出現したのは、幽鬼そのものであった。
「モリビトタイプ、なるほど。レールを使って運用する術を編み出したか」
仮面の男は帝都の高層建築物の上に佇み、風に煽られている。
「だが、あまりに慣れられても厄介なのでね。慣れる前に、潰す」
手元の御符が赤く輝いた。それと同時に突風の位相が変化する。
舞い上がったのは漆黒の装甲に赤い光を滾らせる機体であった。
「ハイアルファー人機、キリビト燕。ほとんどのエネルギーを使っているが飛行程度は可能だ」
浮遊するキリビト燕にはもう一人の人物が搭乗していた。操縦席を開け放ち、その人物が声にする。
顔の半分を赤い仮面で覆った女であった。骸骨そのものの形状をしており、女の美しいかんばせとは対照的な薄気味悪さを醸し出している。
「この時代のモリビトタイプ。どこまでやるのでしょうね」
「なに、やってもらわなければ困るさ。こっちだって毎回、人を殺す愚を冒している。そうしなければこのハイアルファーは発動しない、という条件があるが」
男は御符がきちんと発動しているのを確認する。
「ハイアルファー、【ライフ・エラーズ】。キリビト燕の操主である我が剣にかかった人間の魂を古代人機のデコイに定着させ、暴走させる。この時代に古代人機、という呼び名はないらしいがな」
幽鬼、と呼ばれていると報告を受けている。
男は黒い仮面の下で鼻を鳴らす。
「せいぜい、足掻く事だ。この時代の人々よ。我が支配の前に、絶対の隷属を許すのだからな」
「こんの!」
砲身を突き出してモリビト弐号が激震する。
前方を塞いだ突然の幽鬼の出現に、翠は狼狽よりも応戦の構えを取った。
『日下部少尉! 軽率な動きは!』
伝令管から聞こえる岩倉の声に翠は言い返す。
「でも! ここで会ったが百年目という奴です! 千載一遇の好機ではないですか。モリビトの試験運用の時に、わざわざ現れてくれるなんて」
額に汗が浮かぶ。鼓動は早鐘を打っている。当然だ。突然の敵の襲来である。
だが、翠はここで退くよりも戦いを選んだ。
徹底抗戦だ。
もし、幽鬼が意思を持っているのならばモリビト弐号との戦闘を望んで現れたのだろう。ならばこちらも応えるまで。
『坊ちゃん! モリビトで近接は危険だ。無反動砲の射撃で引き剥がせ!』
山城の声に翠は無反動砲の引き金を引く。
砲門から発射された砲弾が幽鬼の装甲を打ち据えた。よろめく幽鬼の姿に、ここで接近をかければ、と逸る気持ちを岩倉の指示が抑えた。
『接近はやめて、中距離で待機! そのまま様子見に入ってください!』
翠は加速へと入れそうになったペダルを踏み止まり、後退する。
モリビト弐号の巨体が引き際を心得て幽鬼を睨んだ。
「相手……、どう出るとお思いで?」
『今、准将にお伺いを立てようとしているところです。そうでなければ、だってこれは試験運用なのに……。なんで、幽鬼が……』
後半は本音であったのだろう。翠は強く言い放つ。
「それこそ、愚問なんじゃないでしょうか。相手からしてみれば、モリビトが出るという事は好機なんですから」
潰すために幽鬼を出してきたか。
しかし、と翠は前後を思い返す。
進行方向に障害物はなかった。
誘導班が気づかないわけがない。
だというのに、突如として幽鬼は立ち現れた。
まさしく亡霊のように――。
否、と今はその可能性を頭から捨てる。
戦うしかないのだ。戦って勝つしかない。勝ちを一つでも押さえろと言ったのは他でもない、岩倉のはずだ。自分もそれを了承した。
「どうします? モリビト弐号はいつでも、射撃準備に――」
その言葉尻を引き裂いたのは地下から出現した無数の触手だ。どうやら路面の下に潜り込ませていたらしい。モリビト弐号の車輪を触手が阻害する。
蒸気計算機が「危険」の信号を出した。
レールによる運用は安定性がある分、非常事態にはめっぽう弱い。早速、弱点を突かれた事になる。
「でもそんなの! こっちが想定していないわけがない!」
レールに接地している車輪を浮かせて内側からキャタピラが出現する。モリビト弐号の機動方式が切り替わり、従来通りの脚部へと即座に可変した。
これが岩倉と自分の提案した方式だ。
レールによる安全な機構と今までの機構を両立する。
まさか早速使うはめになるとは思わなかったが。
触手が狼狽したようにキャタピラを捉え切れない。翠はペダルを思い切り踏み締めた。
キャタピラが凶暴に回転し、触手を踏み潰していく。
キャタピラの機動力の底上げも山城に頼んでおいたのは正解だった。今まで以上に、モリビト弐号の足並みは凶暴性を増している。
「どうだ! これが、お前らを倒すために、進化した――」
路面を砕きながらモリビト弐号の巨躯が猪突する。無反動砲の砲身が幽鬼の本体を貫かんと迫った。
幽鬼はモリビト弐号に押されて帝都の街並みの中に倒れ伏す。
「モリビト、弐号だ!」
緑色の強化硝子の眼窩が幽鬼を睨みつけ、右腕の無反動砲の砲口が、幽鬼の装甲の表面を突く。
「これで!」
発射された無反動砲の威力に灰色の装甲が弾け飛んだ。装填されているのは三発の砲弾。一発だけでも直撃すれば手痛いはず。
左腕が機動し、幽鬼の触手を掴み上げた。そのまま持ち上げてゆく。
幽鬼の巨体は思ったほど重量は存在しない。このままでも振り回せる。
「食らい知れっ!」
そのまま地面へと叩きつけた。幽鬼が打ち付けられて装甲に亀裂が入る。もう一押しだった。
「最後の、仕上げぇ!」
左腕の鉤爪が輝き、幽鬼の体表を抉る。それだけではない。手首の部分が稼動して回転し、抉った箇所を修復不能なほど掘り返す。
蒸気計算機があまりの過負荷に注意警報を弾き出した。操縦席の中で警報が木霊する。
翠は雄叫びを上げていた。
このまま、倒されてしまえ。
暴力的な思念が思考を覆い尽くしてゆく。
『日下部少尉! 応答せよ!』
伝令管を震わせる岩倉の声も届いていない。
今は戦っているのだ。
――勝つために。
「オレが、勝つ」
その瞬間、ぷつり、と何かが途切れた音がした。
翠は顔を上げる。
常闇が広がっていた。
操縦桿も何もない。薄暗い闇の中で、翠の身体だけが投げ出されている。
操縦不能な身体が宙を掻く。一体何が起こっているのか、翠にも分からなかった。
「何で……。手元に、何もない」
おかしい。操縦桿を握っているはずだ。足はペダルを踏んでいるはずだ。
だというのに、自分以外が全て、別の場所にあるような感覚だった。
その中で巨大な鼓動が脈打つ。
振り返ると青い心臓が空間を震わせて鳴動していた。
「これは……モリビトの鼓動?」
どくん、と脈打った瞬間、常闇が一気に赤く染まった。