ジンキ・エクステンド 翠聖の翼   作:オンドゥル大使

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青と翠
第弐拾七話「青いクジラ」


 

 鬱蒼としたジャングルを進むと、鳥が羽ばたいていった。

 

 小鳥だ。

 

 手に乗りそうなほどの小鳥が羽音を散らせて飛び立っていく。

 

 その行く先を眺めていた男は、前を行く隊長に怒鳴りつけられた。

 

「おい! ぼおっとしているんじゃないぞ!」

 

「す、すいません」

 

 男は帽子を被り直す。蒸す空気が漂っていた。鼻腔に突き刺さるのは、濃く、深い緑の香り。草花の主張の激しい臭気に覚えず顔をしかめる。

 

「何とかならないんですかね。この、草の香りってのは」

 

「何ともならんだろう。我々がこのジャングルに割って入ったんだ。向こうは歓迎もしてくれやしないさ」

 

 隊長を含めて自分達は三人組だ。一人は無口で全く口を開こうとしない。隊長の弁に寄れば通訳らしいが、必要以上の言葉を発しないのは不気味に思えた。

 

「あの、隊長……」

 

 声を潜める。隊長は眼前の草を掻き分けて言いやる。

 

「何だ。今さら文句は聞かんぞ」

 

「いえ、そうではなく。通訳、怪しくないですか? 我々にとってここが好ましい道なのかさえも、彼次第なんでしょう?」

 

 通訳係は帽子を目深に被り、褐色の濃い顔を隠している。

 

「さぁな。向こうも通訳って仕事がなきゃ、食いっぱぐれている身分だ。俺達と同じ穴のムジナさ」

 

 隊長はそう言うが、まだ納得出来ていなかった。

 

「そもそも、このラ・グランサバナに何があるって言うんですか。血塊炉に必要なブルブラッドはこの人手じゃ無理でしょう。採掘なんて」

 

「馬鹿! 声がでかいんだよ」

 

 いさめられて男は口を噤んだ。血塊炉、ブルブラッドに関して、現地住民の理解を得て開発と採掘を進めているわけではない。向こう側であるところの通訳に聞かれていい話ではなかった。

 

「……すいません。でも、何の目的で? 連中、こっちには全然情報開示してくれないですし」

 

「それもそうだろうさ。勝手に分け入って、テーブルダストに眠るお宝を掻っ攫いに来た泥棒にでも映っているんじゃないか? あのどでかい山脈を見ろよ」

 

 隊長が示したのは遠くに広がる地平線のような大山脈であった。平らな山脈を指して「テーブルダスト」と呼ぶ、と現地住民から聞いている。

 

 本来であれば自分達のような国民――日本人の来るところではない。白人が開発に乗り出すのもまだしばらく先の土地に、自分達のような日本人が現地入りしているのは、ひとえにそこから採掘される材料に用があるからだった。

 

 母国で運用されている青い鉱石の機械兵器――人型特殊才能機の動力源であり、その動力の謎の追及と、開発促進。それが自分達に与えられた使命だ。

 

 だから入りたくもないジャングルに入り、蒸し暑い大気を我慢しながら分け進んでいるのであるが、一向にテーブルダストには距離がある。

 

 今回の作戦行動の意義を申し立てるのは当然と言えば当然で、無為な作戦ならば今すぐに少しばかりは涼しい現地の基地局へと戻りたかった。

 

「何があるって言うんですか。こんな、ジャングルの奥地に」

 

 文句を垂れつつ、手拭いで汗を拭う。隊長は手にした鎌で草を掻いて応じた。

 

「分からん。だが、何かがあるから、俺達が駆り出されたんだろうよ」

 

「何かって……」

 

 文句の矛先を通訳に向けようとしたその時、不意に口を開いた。

 

「クジラを見た」

 

 たどたどしい日本語だったが、その声音ははっきりしていた。

 

「クジラ? 何を馬鹿な事を。ここは内地だぞ」

 

 海など余程遠い。

 

 だというのにクジラを見たというのは分からぬ話だ。

 

 通訳はしかし、そう繰り返す。

 

「クジラを見たから、ワタシ、あなた方、案内する」

 

 隊長へと指でこめかみを突く真似をする。

 

 頭は大丈夫か、の確認に隊長は首肯した。

 

「どうやら、それも疑っている余地はないようでな。現地住民の意見もあるらしい」

 

「嫌ですよ、自分。現地の人間にはめられて遭難、なんて」

 

 縁起でもない。隊長は鎌で背の高い草を薙ぎ払いその言葉を一蹴する。

 

「現地の人間に俺達をはめるつもりがあるのなら、もっとうまい手を使うさ。どうしてクジラなのか。……正直、俺達は尖兵だよ。そういう噂があるって言われたら調べに行くしかない。空調の効いた会議室にいるお歴々に足で稼げとは言えんだろう」

 

 結局はお歴々のご機嫌窺い。男はため息をついた。

 

「日本では、幽鬼なる怪物が出現していると聞きます。帝都を毎夜襲う脅威だとか。それに対抗するべく、人型特殊才能機の開発が急がれている、とも」

 

「だから?」

 

「ブルブラッドを掘ってこい、にしては三人では無理ですし、成果を見せろ、と言われても三人では説得力はありません」

 

「言いたい事は分かる。つまり、三人で出来る事なんてたかが知れている、って言いたいんだろう?」

 

 分かっているではないか。男は帽子の鍔を傾ける。

 

「ブルブラッドが足りないとは聞いていませんし、そもそも血塊炉がどのように運用されているのかは我々には窺い知る事も出来ません。その人型特殊云々も、実在しているのかどうか」

 

「図面見たろう? あるんだよ、本国では」

 

 確かに図面は見させてもらった。だが、兵器としては机上の空論めいている。人型の巨躯が、帝都を走る、など。

 

「滑空砲に足がついている、って言われたほうがまだ現実味がありますよ」

 

「やっている事はそれだ。滑空砲に足をつけたいが動力源がない。では足をつけて、動かすの適した動力は? と言われれば現状ブルブラッドが適任であったという事」

 

 それもにわかには信じがたいのだ。足のついた滑空砲を夢見るくらいならば、兵力の拡充に当てるべきである。

 

 百人の歩兵を増やすよりも、一の夢見がちな機械に賭けるお歴々の考えが分からない。

 

「自分は本当のところ、それがいい方法だとは思っていません。帝都の防衛だって、もっとうまい方法があるはずなんです」

 

「まぁ、幽鬼の脅威も、本部の考えも、遠く離れたこの異国じゃ、どうしようもない。まさか人里離れた森林で草を刈るのが役目だとは、俺も軍部に入った当初は思わなかったよ」

 

 呆れ気味に、隊長は鎌を振るう。草刈係、と自嘲する彼の背中はどことなく寂しい。

 

 出世競争から無縁でいられる代わりに、やらされている業務は何が目的かも分からない森林伐採。

 

 軍人の何たるかも忘れそうなほどの陽射しを降り注がせる太陽。蒸し返るジャングル。草いきれ。

 

 ともすれば自分が日本から来た、という事さえも些事として片付けられそうな場所であった。

 

 もし現地住民に襲われればひとたまりもない。手持ちは拳銃と担いだ荷物と食料だけだ。

 

 もしもの時は野営するための準備は出来ていても人殺しの準備は整っていない。

 

 これで日本軍と言えるのか、と言われてみれば甚だ疑問で、正規軍から離れた独立愚連隊めいた自分達の境遇にただただ、涙する。……涙したいが、実質的には涙よりも汗が流れる現状。

 

 泣くよりもまずは事実の真相究明だ。

 

 男は通訳に尋ねた。

 

「クジラ、っていうのはどこで?」

 

 妙な質問であった。海以外にクジラがいるものか。

 

 通訳の指差すのはテーブルダストの辺りである。ブルブラッドの採掘場がある近辺だろうか。

 

 海どころか水も限りある現場である。

 

「クジラってのは、見間違いじゃないのか?」

 

 その問いには通訳は首を横に振った。

 

「クジラ、見た」

 

 どうやら議論は無意味らしい。

 

 通訳はそう言って譲らないし、自分達はその妙な証言の食い違いをどうにかして書類に落とし込むための下っ端だ。

 

 自分達が犠牲になれば、それはそれで「この噂は虚偽だった」という証明。

 

 自分達が無事に帰っても「この噂は虚偽であった」という証明にはなるのだが、いかんせん、手土産もなしに帰って許される部署ではない。

 

 せめて帰るのならば一握りの血塊でも掘ってこい、というのが本部の見解だろう。

 

 改めて、汗と根気と、何よりも諦めない図々しさが必要な仕事だと思う。

 

「隊長。もっとクジラについて、詳しく聞いたほうがいいんじゃないですか?」

 

「聞いてくれ。俺は草の根を掻き分けるので忙しい」

 

 隊長は無駄な事に労力を割きたくないのだ。

 

 ラ・グランサバナの草木はどれも巨大で、日本の草木に比べればどれも奇怪な形状をしている。それをわざわざ切りさばき、薙ぎ払って進む心地は未開の地を行く探検隊であった。

 

 軍人、というよりも次からは探検隊を名乗ったほうがいいかもしれない。

 

 そのほうが意外と現地住民の受けはいいかもな、と考えてから男は通訳に訊いていた。

 

「クジラは、どんな?」

 

 一口にクジラと言っても、大きさは様々だ。まず陸地にクジラがいるか云々はさておいて、どのような種類かだけでも聞いておく価値はある。

 

 通訳は訛りのない現地語で喋ってから、日本語に言い直した。

 

「大の男十人分はある」

 

 その回答には瞠目する。大人十人分のクジラ、となればそれはかなりのデカブツに大別されるだろう。

 

「そんなクジラが陸地に?」

 

「陸、には、いない」

 

 通訳は手を払う。先ほどから言っている事がまちまちだ。

 

「あのさ、はっきりして欲しいんだ。陸にクジラはいない。だがいるって言う情報を頼りにして自分達は来たわけだ。だからいる前提ならば、もちろんそれは陸地であるだろうし、このジャングルの果てか、あるいはあのテーブルダストに横たわっているのかは知らない。疑わしいのはそうだが、陸にいない? それは馬鹿にしているのか?」

 

 クジラの正体に関しては様々に憶測が立つ。

 

 遥か空高くを流れていく雲を見間違えたのか、あるいは落盤してきた岩肌がクジラの形状であっただとか、そういう類だ。

 

 結局、軍部が出動する事件ではない、という顛末が予想された。

 

 しかし、通訳は一貫して主張する。

 

「クジラは、いる」と。

 

「じゃあどういう……色でもいい。色を言ってくれ」

 

「青。青いクジラだ」

 

 自分とてクジラなど教本でしか見た覚えがないが、クジラは青かっただろうか、と思い返す。

 

「その青いクジラは、どこにいる? テーブルダストの傍か?」

 

「上、上」

 

 通訳は空を指差す。馬鹿馬鹿しくなって男は言い捨てた。

 

「あのさ、もっともらしい嘘をつけよ、せめて。空にクジラがいる? そいつは雲かなんかの見間違いだ。寝ぼけて空を見たら、それが偶然クジラに見えたのさ。クジラなんていやしない」

 

「決め付けはよくないぞ」

 

 隊長が草を払ってそう返す。だが、もう我慢の限界であった。

 

「隊長! いくらなんでもおかしいですって! クジラなんていやしません! こんな森林地帯の奥深くに、いて堪るかって話です!」

 

「いるんだろうさ。俺達には窺い知れん何かが」

 

「仮にいたとしてもそいつはクジラなんかじゃないですって」

 

 隊長の眼前に回り込むと、目の下に隈を作った隊長が汗ばんだ顔をしかめた。

 

「退け。この先だろう」

 

 どうやら隊長も思考と体力の限界らしい。ただただ、上層部がそう言ったから、自分達は踊らされている。

 

 そう考えると、嫌になってきた。

 

 帽子を投げ捨てて声を荒らげる。

 

「何がクジラだ! そんなもの、いるものか!」

 

 癇癪を起こした男に隊長と通訳は関わろうともしない。

 

「ついて来い。いるんだろう、クジラが」

 

「だから! いませんって! どこにクジラなんて――」

 

 その時、不意に太陽に翳りが差した。

 

 積乱雲でも発達してきたのだろうか、と天上を仰ぐ。

 

 その瞬間、言葉を失った。

 

 視線の先には、巨大な鉄塊が浮かんでいたからだ。

 

 流麗な形状に、緑色の単眼が射る光を灯して睨んでいる。

 

 頭部は薄型で、平べったい。背びれがあり、中腹の膨らんだその形状はまるで――。

 

「クジラだ」

 

 通訳がその言葉の後、現地の言語を使って祈り始めた。

 

 男はただただ立ち尽くすしかなかった。

 

 ――これは何だ?

 

 何が、自分の眼に映っている?

 

「ば、馬鹿な。クジラなんて……」

 

 その言葉尻を裂くように、鉄塊が甲高い鳴き声を上げた。

 

 鼓膜を引き裂くような声に耳を塞いで蹲る。

 

「何だ、これ……。こいつ、何なんだ」

 

 通訳が何かを言った。その言葉は現地語で「神」を意味する言葉であった。

 

「南無阿弥陀仏!」

 

 隊長が叫んで鉄塊に向けて用意していた手持ち網を放った。鉄塊は首を払って、それをいなす。

 

「おい! 目の細かい網を寄越せ! 奴を追い詰めて、捕らえるぞ」

 

 何を馬鹿な事を。

 

 男は逃げ出しそうになったが隊長が足首を掴んだ。

 

「い、嫌だ! 何だ、これは! こんなの、軍務じゃない!」

 

「聞け! 網を渡せ、鉄網ならば抵抗出来まい!」

 

 血走った隊長の眼に男は射竦められた。

 

 荷物から隊長が鉄の網を取り出し、頭上の鉄塊を挑発する。

 

「来い、来いよぉ」

 

 隊長が駆け出し、それに続いて宙を舞う鉄塊が移動し始めた。

 

 木々を揺らし、隊長の誘導にはまる。

 

 鉄塊の下腹部には仄かに緑色の光が浮かんでいた。空気が逆巻き、鉄のクジラが宙を舞う。

 

 何かの冗談に思えて男は引きつった笑みを浮かべた。

 

 一周して笑えて来る。

 

 森林を分け行けば、鉄のクジラに行き会うなど。

 

 隊長が近場の崖を利用して鉄のクジラを網に捕らえた。どうやら稼動部に差し障ったらしく、鉄のクジラが激しく首を振る。

 

 隊長がその勢いに煽られた。

 

 あまりにも簡単に、隊長の身体が浮かび上がって崖に追突する。

 

 骨の砕ける嫌な音が響き、隊長が血を撒き散らして沈黙する。

 

 事切れていた。

 

 鉄の網の引っかかったクジラが鬱陶しそうに首を払っている。

 

 男は最早現実を現実として認識出来なかった。

 

 だからだろうか。

 

 次の瞬間に動けたのは、これが夢だと思えたからかもしれない。

 

 鉄の網の一端を引っ張って、近場の大樹に引っかける。すると、逃げようとしていたクジラが踏み止まった。

 

 腰に提げていた拳銃を抜き放ち、クジラの下腹部に発砲する。

 

 狙ったわけではなかったが、クジラの推進力が落ちた。

 

 どうやら仄かに光る部分が弱点らしい。

 

 銃弾を撃ち切ると、思い切り網を引っ張り込んだ。

 

 雄叫びを上げて引っ張ると、クジラがジャングルに脳天から突っ込む。

 

 木が絡まったせいか、動きの鈍ったクジラは大人しくなった。

 

 男はそれに歩み寄ろうとする。

 

 しかし、それを止めたのは通訳であった。

 

 彼は男の肩を叩いて首を振り、石を放り投げる。

 

 その瞬間、クジラの脳天に衝突しかけた石が中空で留まった。

 

 あまりの事に男は絶句する。

 

 浮いている石がクジラの頭上を回転し、ぴゅん、とまるで弾丸のように前方へと反射された。

 

 何事なのか、男には判別がつかない。

 

 通訳が現地語で何かを喋っている。

 

 その時、草木を分け入る音が耳朶を打った。

 

 増援だろうか、と視線を振り向ける。

 

 だが、その期待は裏切られた。

 

 そこにいたのは、鍵穴のような形状をした、鉄塊であったからだ。

 

 鍵穴の鉄塊はちょうど大人ほどの背丈である。

 

 細い触手を持っており、螺旋を描いていた。

 

 その触手がクジラに触れる。クジラは身悶えしてそれを払った。鍵穴の鉄塊は味方ではないのか、と男と通訳はしばらく観察していた。

 

「クジラを持ち帰りましょう」

 

 通訳の提案に男は目を見開く。

 

 正気か、という眼差しに通訳は頷く。

 

「このクジラ、多分、テーブルダストの……」

 

 そこから先は現地語で分からなかったが、持ち帰る、という部分は一貫しているらしい。

 

 隊長も死んでしまった。

 

 自分はほとんど正気と狂気の境目の精神状態であったが、軍人として成果は持ち帰らなければ、という神経は働いた。

 

 鉄の網をしっかりと張って、自分達が野営するための杭を用い、クジラを固定する。

 

 蚊帳をどこに張るべきか、と悩んで男はクジラの単眼を隠すように張った。

 

 すると自然とクジラは大人しくなった。

 

「本部に要請しよう。援軍がなくてはこれは持ち帰れない」

 

 そう言うと通訳も納得したようだ。

 

 この場にクジラを張り付けておいてジャングルを取って返す。

 

 隊長の手持ち品から役に立ちそうに思えたのは手持ち鎌くらいだった。

 

 隊長がやっていたように、一心に鎌を振るって帰り道を分け入った。

 

 あのクジラをどう扱うのか、そのような事は考えている余裕はなかった。

 

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