ジンキ・エクステンド 翠聖の翼   作:オンドゥル大使

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第参拾弐話「魅了」

 

 潮風が内地に慣れた身体を吹き抜ける。

 

 奇妙なものであった。人は、自然と生きる者であったはずなのに、こうして文明に囲まれていればそれを容易く忘れてしまう。田園地帯の温厚な風景も、帝都に来てしまえば遠い異国のような出来事であった。

 

 ましてや潮風など、滅多に当たるものではない。

 

 時雨はうみねこが鳴いているのを聞きながら、その姿を空に追った。

 

「風が強いですね」

 

 車から出るなり、高木の言ったのはそれであった。

 

 彼もまた慣れていないのだろう。

 

「お歴々は何のつもりで、我々をここに呼んだのか」

 

「戦艦が停泊しているそうですが」

 

「あれかな」

 

 時雨が指差した艦艇はずっしりと海に浮かんでいる。

 

 鉄が海に浮く、というのもなかなかに奇妙だ。

 

 灰色の艦は巨大な武装を施されていた。

 

 門外漢である自分には、海軍の武装のほどはてんで、であったがその戦艦がそれなりの名のある艦である事は容易に想像出来た。

 

 迎えたのは海軍将校である。

 

 握手を交わし、挨拶もそこそこに艦内を案内してもらった。既に兵は去り、人気はない。

 

「人払いを?」

 

 五十過ぎの将校は振り返らずに答える。

 

「何分、物が物ですからな。ここまで運ぶのも極秘作戦でした」

 

 ぼやかされているその物品について時雨は問いかける。

 

「クジラを拾ったのだと、伺っております」

 

「何を馬鹿な、と思われているでしょう。いつから海軍は捕鯨漁師になったのか、という皮肉でも?」

 

「いえ。ただ我々も掴みかねているので」

 

 それだけで情報の伝達は済んだかのように、海軍将校は帽子を目深に被る。

 

「……正直なところ、積み荷を本国から輸送するだけの任務にしては機密が過ぎると思ってはいます。ですが、それもこれも、本物を見てもらえれば分かる事」

 

「あなたは、積み荷を?」

 

「ええ、拝見しましたが、確かにこれは、クジラだと言わざるを得ない」

 

 重々しい隔壁が開かれ、扉の向こう側にいた存在に時雨は息を呑む。

 

 高木も絶句したのが分かった。

 

 水槽である。

 

 その中に、浮かんでいるのは青い躯体の鉄塊であった。

 

 しなやかに伸びた機体表面に、背びれを想起させる意匠。

 

 頭部は平べったく、薄い盤面となっており、緑色の単眼があった。今は眠っているかのように単眼には光がない。

 

 その全体像を端的に言うのならば確かに――クジラという他ない。

 

「驚きましたな……」

 

「唖然とするでしょう? 自分も、帝都ではこれに似た鉄塊が動いていると聞いております」

 

 そう、何よりも時雨を驚愕させたのは、その装甲の精緻さ、形状に至るまでまさしく……幽鬼そのものに近かったのだ。

 

「これに似た決戦兵器と敵が戦っている、と言えば驚かれますか?」

 

 その言葉に将校は、ははと乾いた笑いを上げた。

 

「それはなかなか、酒の席でのいい肴になりそうだ。まぁ陸地の事は我々は与り知りません。このクジラも海で採れたわけではないですから」

 

「存じております。テーブルダスト」

 

 血塊炉の採掘されるその中心から発生した、宙を舞うクジラ。

 

「その通り。テーブルダストの先住民達はこれを見て真っ先に、神の怒りを信じ込んだそうです。だから現地軍人が動けたのもあります。普段は原住民に固く閉ざされた密林の向こうだったらしいですから」

 

 原住民の混乱の合間を縫った火事場泥棒というわけか。時雨は高官がこのクジラを見ろと焦った理由が分かった気がした。

 

 現地の、ベネズエラ国家が所有権を主張する前に我が国の物にしたい。

 

 本音はそんなところだろう。

 

「水槽に入っているのは、どうした事で? クジラだからですか?」

 

「のもありますが、水につけておくと大人しくなるんです。不思議でしょう?」

 

 それそのものが冗談のように巨大である。

 

 時雨は普段目にしているものを縮尺の目安にした。

 

 モリビト弐号の無反動砲とほぼ同じか、それ以上の全長だ。

 

「こんなもの、どう扱えというのですかね」

 

 率直な疑問に将校は応じる。

 

「決戦兵器、と仰られましたな。帝都での。それに使え、という意味では?」

 

「しかし、水に浸けておかなければ暴れ出すかもしれないものなど、不審がって誰も遣いたがりませんよ」

 

 整備班は優秀だ。だからこそ、このような異常事態を招くべきではない。

 

「ですが、海軍でいつまでも預かっておくわけにもいきますまい。命令は、このクジラを我が国に運べ、だけでした。ですからそこから先は、帝都のご判断を仰ぎます」

 

「……困りましたな」

 

 顎に手を添えて改めてクジラを見やる。

 

 幽鬼をどこか想起させる装甲の輝き。極めつけはテーブルダストからの出土物である事……。

 

「血塊炉、ブルブラッドというものを我が方の兵器では使っております」

 

 目線で窺うと将校は頷いた。

 

「お話だけならば」

 

「そのブルブラッドの採掘場が、ベネズエラにはあるのです。我々はもたらされた血塊炉を解析し、電気を通し、それを決戦兵器の内部に組み込んで使用している。このブルブラッドというものは不思議でしてね。小さな、ほんの小さな欠片でも、我が陰陽班の私見によると、動くそうです」

 

「電気で、ですか?」

 

 胡乱そうにする将校に時雨は言いやった。

 

「――いいえ。人の意思で、ですよ」

 

 さすがに眉をひそめる将校に時雨は続ける。

 

「この世には、人間の科学などでは決して解けない謎がある。それに関しては」

 

「まぁ、実際、亡霊のようなものがいてもおかしくはありません」

 

 理解を得たところで時雨は言葉を継ぐ。

 

「このブルブラッドが、ほんの小さな、百グラム単位のものでも、人の意思に作用して動く。まぁ、微々たる力量ですが、それでもこの妙な作用をする石を使えないか、と判断したのが日本の上層部です。元々大国の叩き上げのような資財でしたから、安く大量に購入しました。それをどう扱うのかは大国でも分かっていなかった。日本の技術者はそれが人の意思に作用する以上に電気的刺激を与えれば莫大な運動量を記録する事を解明し、兵器転用を提唱した。これが人型特殊才能機の経緯です」

 

「いいんですか。私のような、一介の仕官に話しても」

 

「どうせ公然の秘密です。それに、いずれは国民も恩恵を受ける技術。どこかで露見はしますよ」

 

 時雨の達観に将校は怪訝そうに声を振り向ける。

 

「その、ブルブラッド、という石は現在、帝都の護りに?」

 

「ええ。とても好ましい、兵器です」

 

「妙な同居ですな。好ましい、と兵器、という言葉は」

 

 自分でも言っていておかしな事だとは感じている。だが、時雨はこのブルブラッドの持つ特異性について話しておきたかった。

 

「人間の僅か、何割かは分かりませんが、先天的にこのブルブラッドにとても順応する能力を持つ者がいる事が分かっております。その者を人型特殊才能機――まどろっこしいので人機、と言いますが、その人機の操縦に秀でている種族。我々は彼らを総称してこう呼びます。血続、と」

 

 高木が時雨へと声を潜める。

 

「准将、これは機密なのでは?」

 

「構うものか。このクジラを納得せぬまま、軍に渡すのを静観させるよりかは、知っていてもらったほうがいい。知っていて、その上で差し出されるのならばわたしとしても気分がいいのでしてね」

 

 獅子の仮面の高官の掌の上で遊ばされるのは御免である。

 

 ここから先は自分の交渉だ。

 

「可笑しな事を言いますな。渡しますよ。それが命令です」

 

「命令を実直に遂行する事だけが、優れた兵士の素質ではないでしょう? わたしは納得をいただきたい。納得した上で、このクジラを我が方に渡していただきたいのです」

 

「納得、ですか。軍務には馴染まぬ言葉ですな」

 

「わたしは一軍人としてではない。人間として、このクジラを渡すべきか逡巡しているであろうあなたと話している」

 

 その段になって将校の眉がぴくりと動いた。このクジラにはそう思わせる何かがある。

 

 人間が魂の根底で誰かに納得なしでは渡したくない、何かが。

 

「……命令には従います」

 

「軍務において、命令違反はあり得ない。ですが、このクジラに関して言えば、話は別です。もう分かっているんでしょう? このクジラ、ただの鉄の塊でもなければ、偶然に我々に渡ってきた物でもないと」

 

「何を仰っているのか。はたはた分かりかねますな」

 

 しらばっくれても無駄だ。この将校の目はクジラを愛している。

 

 このクジラにならば命をくれてやってもいいとどこかで思っている。

 

「現地の軍人はどうなりましたか?」

 

「帝都の軍人が知るところではないでしょう?」

 

「答えてください」

 

 詰問すると、将校は帽子を目深に被る。

 

「……捕獲任務中に一人、殉職。それと、このクジラの差し出しの場面でどうしてだか抵抗したもう一人の軍人を銃殺しました」

 

 やはりか、と時雨は確信する。

 

 このクジラ、血も何も贖わないにしては対価が大きいはずだ。

 

「渡したくなくなったのではないですか」

 

「私には何も。ただ、別段、海が好きでもありませんし、生物に対して畏敬の念を抱いているわけでもありません」

 

 将校の眼は水槽に浮かぶクジラへと注がれていた。

 

「ですが?」

 

「そんな私でも、これは。これだけは、安易に渡してはならない、と何かが告げるのですよ。生物の根源欲求とでも言うべきでしょうか。あなたが先ほど話されたブルブラッドの話によく似ている。人間の精神面での、介入を妨げている」

 

「それも当然でしょう。このクジラは、ブルブラッドそのものと言ってもいい。テーブルダストから出てくるのは、何もこのクジラだけではないでしょう」

 

 そう切り出すと、将校ははっとこちらに目線を向けた。

 

「……やはり、あなたは」

 

「精通していなければ、ブルブラッドなる鉱石に電気的信号を与えて動かす、など正気の沙汰ではないでしょう? ましてやそれを操るのに適した種族がいる、など。わたしは、全てを承知の上で立っている。全てを理解した上で、人機を管理している」

 

 将校は顔を伏せ、口元に笑みを浮かべた。

 

「……食えない人だ。いいでしょう。そこまで言われれば私も未練を捨てます。このクジラを無事に、陸地へと」

 

 これで交渉が成立したかに思われた。だが、直後に、将校が仕出かしたのは壁に埋め込まれた装置の起動であった。

 

 拳で押された緊急信号のボタンに、水槽から水が引いていく。

 

 覆っていた天蓋が外れ、青空が見えた。

 

 時雨は思わず声を荒らげる。

 

「何を!」

 

「あなた方の理想は分かりました。その意味するところの崇高なる理由も。ですが、私はやはり、この星に住む人間の一単位として……渡したくないのですよ。これを、あなたのような野心家には」

 

 水槽から水が抜かれてクジラが単眼に緑色の光を灯す。身体の至るところに走っている筋から淡い光が漏れた。

 

 それを嚆矢としてクジラの巨体が浮かび上がる。重力などまるで無視した挙動であった。

 

 頭部を動かし、クジラは鎌首をもたげる。

 

「やめさせろ!」

 

 高木が銃口を将校に向けた。将校はにやりと笑い、頭を振る。

 

「クジラは何よりも自由であるべきだ」

 

「撃て」

 

 命じた声に銃声が木霊する。

 

 将校は血を噴き出して倒れ込んだ。だがその眼はこちらを恨んでいるわけでもない。ただただクジラの自由を願っていた。

 

「これで……、命の河の均衡は……」

 

「少佐。とどめを」

 

 高木がその頭部へと銃弾を放った。将校はぴくりとも動かなくなったが、制御装置を探す前にクジラが一声鳴いた。

 

 甲高い鳴き声が響き渡り、次の瞬間、クジラの巨躯は突風と共に空を泳いでいった。

 

 青い尾びれを動かし、まさしく宙を掻いて泳ぐクジラの姿に、時雨は舌打ちを漏らす。

 

「逃がしてしまったか」

 

「いえ、向かう方向は内地です。しかも、あの方角にあるのは……」

 

 濁した高木の言葉の真意を汲み取り、時雨は声にしていた。

 

「帝都……。あのクジラ、敵となるか味方となるか」

 

 どちらにせよ、苦々しい経験をさせられた事には違いなく、時雨は水槽を叩いた。

 

「始末書はどこに請求するべきかな」

 

 襟元を正してせいぜい平静を取り繕う。

 

 高木は不安の浮かんだ眼差しのまま、帝都の方角を見つめていた。

 

 

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