ジンキ・エクステンド 翠聖の翼   作:オンドゥル大使

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第参拾参話「モリビトの聲」

 

 幽鬼出現の報が飛ぶ。

 

 翠は格納庫に入るなり、手袋をつけた。

 

「出撃命令が出ました!」

 

「分かってるよ、坊ちゃん。モリビト弐号の整備は終わっている」

 

 山城の声に翠は応じて、陸橋を上っていく。

 

「助かります」

 

「おう、その手袋、どうした?」

 

「手にまめが出来てしまうんで主治医の先生から」

 

 事前に渡されていたものだ。山城は鼻を鳴らす。

 

「まめなんて、出来たらそれこそ一丁前だ。まだ坊ちゃんには早ぇよ」

 

 微笑み返して、翠は親指を立てる。

 

 準備完了の指示に菱形の操縦席へと伝令管の声が届いた。

 

『モリビト弐号、出撃準備! ブルブラッド活性炉、火を通せ!』

 

 胃の腑に響く重々しい音程。ブルブラッドの血脈。モリビトの鼓動が伝わってくる。

 

 翠は操縦桿を握り締めた際、五木の声が蘇った。

 

「……女子供を嘗めて」

 

 しかし実際の懸念は自分が女である事というよりも、モリビト弐号に組み込まれているという呪符の行方のほうに思われた。

 

 何のために、時雨はモリビト弐号にそんな細工を?

 

 問い質そうとしたが、高木と時雨は生憎の出張。

 

 そしてこんな時に、幽鬼出現の報告が届き、慌しく出撃準備を始める整備班の姿があった。

 

 発令所で既に岩倉から作戦は受け取っている。

 

 今回の幽鬼は以前までと姿形は変わらない。今のモリビト弐号と自分の熟練度ならば迎撃が難しくないだろう。

 

 だが、岩倉は言い含めた。

 

 ――暴走するようなら、すぐさま停止信号を放ってください、と。

 

 整備班に急造させた、ブルブラッドへの供給電力を全て遮断する装置。それが操縦席の脇にある。

 

 戦場で緊急停止など笑えない、と感じていたが岩倉は真剣であった。

 

 暴走がどれだけ緻密な作戦を立てようとも、亀裂を発生させる。

 

 ある意味では自分の存在価値を消されているのだ。岩倉からしてみれば矜持が許さないのだろう。

 

『坊ちゃん。言っておくが、緊急停止信号は本当に、どうしようもなくなった時だ。それ以外の時にモリビトを棒立ちさせるなんてあっちゃならねぇ』

 

 山城の確認の声に翠は了承を返す。

 

「でも、こんなぎりぎりに……。ありがとうございます」

 

『礼を受け取るのは暴走を食い止めた時だけだ。それ以外はいらねぇよ』

 

 翠は改めて呼吸を整えて発進準備を待った。

 

 格納庫の扉が開き、モリビト弐号の脚部がレールに接続される。

 

『路面に接続! モリビト弐号、発進準備完了。全て、良し』

 

 腹腔に息を溜めてから、翠は言い放った。

 

「日下部翠少尉、モリビト弐号、出ます!」

 

 火花を散らせてモリビト弐号が走り出す。

 

 駆け抜ける速度は前回よりも上がっていた。どうやら修復がうまくいったらしい。

 

「反応、よし。右腕無反動砲、よし。左腕鉤爪、よし。これで……勝つ」

 

 反応速度も向上しており、自分の手足のように感じられる。

 

『日下部少尉、そのまま北上してください。幽鬼は動いていません』

 

 岩倉の報告に翠は視線を走らせた。

 

 緑色の強化硝子の眼窩に映ったのは、待ち構えている幽鬼の姿。

 

 その鍵穴の躯体はこちらをまだ見つけていない。

 

 好機だ、と翠は無反動砲を掲げた。

 

「ここから狙撃します! 照準器!」

 

 幾重もの照準用の拡大鏡を展開させ、幽鬼を捉える。

 

 動きも鈍い。

 

 これならば、取れる、と翠が確信した、その時であった。

 

 突如としてモリビト弐号の背面に激震が走る。

 

 衝撃の音叉に翠はつんのめった。

 

「何?」

 

 どこから、と視線を巡らせる、と何と幽鬼がもう一体、出現していた。

 

 報告にはなかった、と考える間に岩倉の声が弾ける。

 

『日下部少尉! もう一体、たった今、出現した……!』

 

「たった今? だって、全く、気配なんてなかったのに」

 

 幽鬼は実体がない。今になって五木の言葉が鮮明に蘇り、はっとする。

 

 彼の弁に寄れば、幽鬼は死者の魂を拠り所にして出現する。

 

 一夜に一人しか殺さない刀使い。

 

 それはもう一体出せる、という事を察知させないため。

 

 こちらへと砲門を向けるもう一体は、矢継ぎ早に砲弾を放った。

 

 モリビト弐号の右肩口に突き刺さり、無反動砲が抉り取られる。

 

「撃つ前に、沈める気か……」

 

 させない、と振り返ろうとする。だが、今度照準されたのは狙っていたほうの幽鬼だ。

 

 緩慢な動きでありながら、砲身がゆっくりと向けられる。

 

 ――挟まれた。

 

 あり得ないはずの戦局。

 

 二体の幽鬼がこちらを見据えている。

 

「同時に撃ってくれば、同士討ちを狙えるか……」

 

 そう賢しく考えようとしても幽鬼は一体ずつ、交互に撃って来た。それも双方の射線が被る事のない動きである。

 

 砲弾がモリビト弐号の胴体をなぶり、右腕の無反動砲を集中的に狙った。

 

「こっちの射手を潰す気で……」

 

 翠は無反動砲を掲げて片方の幽鬼へと射撃する。

 

 幽鬼の鋼鉄の身体を突き抜け、一体から炎が上がった。これで、一体、と思うのも束の間、もう一体の間断のない射撃がモリビト弐号を襲う。

 

 炎を上げたほうも沈んだわけではない。

 

 砲弾は幽鬼の胴体を貫いたが完全に倒したわけではなかった。

 

 双方からの砲撃にモリビト弐号が軋みを上げる。過負荷に耐えかねた装甲から炎が迸った。

 

「なぶり殺しじゃないか……!」

 

 歯噛みする。鉤爪が届く範囲ではない。せめて、一体は沈めなければ、と翠は無反動砲を撃った。

 

 片方の幽鬼の頭部へと命中し、今度こそ沈んだかに思われた。

 

 だが、ただで死んだわけではない。

 

 片方の幽鬼が沈む際、身体の内側からばねのように内部骨格が出現した。

 

 跳ね上がったそれがモリビト弐号へと飛び掛る。

 

 螺旋を描く一つ一つの骨格がその場にモリビト弐号を縫いつけた。

 

「これは、罠だった?」

 

 緩慢な幽鬼を罠にしてモリビト弐号を食い止めるための策。

 

 しかし、幽鬼に作戦など。

 

 そう感じた翠は五木の言葉を思い出す。

 

 背後にいる刀使い。それが全てを操っているのならば、暴走状態になったモリビト弐号を止める事こそ今回の宿願。

 

 この罠は何も考えなしに張られたわけではない。最初から、モリビト弐号を遠距離から仕留めるための相手の術中であった。

 

「やられて、堪るか」

 

 操縦桿を引くも、矢継ぎ早な砲撃に成す術もない。

 

 無反動砲が弾け飛び、右肩から外れた。遠距離砲撃の術を失ったモリビト弐号へと相手は迫ってくるかに思われたが、それも警戒しているらしい。

 

 接近戦に持ち込まないのは暴走時の膂力を計算に入れているからか。

 

 じわじわと、少しずつでもモリビト弐号を完全になきものにするのが狙いだ。

 

 モリビト弐号の血脈が薄れていくのを感じる。徐々にだが、鼓動も弱まってきた。

 

 こんな戦い、とかなぐり捨てたくなるが、自分の任はモリビト弐号を捨てて逃げる事ではない。

 

 この機体と生死を共にするのが、自分の宿命。

 

 自爆、という言葉が脳裏を過ぎった。

 

 五木から言われたように、ここで自爆してしまえば、相手をともすれば巻き込めるかもしれない。捨て身の一撃ならば、幽鬼一体くらいは葬れるか。

 

 考えてしまう自分に翠は頭を振る。

 

「駄目だ……! そんなの、みんなへの裏切りになる」

 

 ここまで自分を繋いでくれた整備班や、作戦を立ててくれた岩倉への、裏切りだ。

 

 翠は制御系を変化させ、キャタピラ機動にしようとする。

 

 それまでの間に砲撃を全身で受けてしまった。

 

 ぼろぼろのモリビト弐号がようやくキャタピラ機動に移行し、幽鬼を見据える。

 

「ここからなら、突っ切れば……」

 

 その瞬間、地面から触手が突き上げてきた。

 

 今の今まで張っていたのか、螺旋を描く触手がこちらの足を食い止める。

 

 骨格の罠に、触手の二段攻め。

 

 モリビト弐号が振り解こうともがくが、そのせいで余計に骨格が食い込む。

 

 ブルブラッドの血が滴り、駆け出そうとしても駆け出せないモリビト弐号が軋みを上げた。

 

「こんな……こんな事で……」

 

 終わらせない。そう強く願っていても、今のモリビト弐号では戦えまい。

 

『……日下部少尉。脱出を』

 

 岩倉の声に翠は耳を疑った。

 

「何を……、何を言っているんですか! 敵は目の前です!」

 

『その状態で! モリビト弐号は戦えません』

 

「いえ! やります、戦えます!」

 

『無茶を言わないでください! 脱出機構は生きているでしょう。操主さえ帰れば、人機は造れます。だから……』

 

 声にならない叫び。

 

 操主さえいればいいのか。

 

 だが、それでは駄目なのだ。

 

 翠は操縦桿を握る手に力を込めた。

 

「……いいえ。戦います」

 

『日下部少尉! 従ってください!』

 

「もう、負けない。負けたくない」

 

 翠は操縦席で咆哮した。

 

「――負けられないんだ!」

 

 モリビト弐号が呼応し、赤い装甲版を顕現させる。

 

 オォン、と吼えるモリビトの声が聞こえた気がした。

 

 光を発しないはずの強化硝子の眼窩が煌く。

 

 その瞬間、甲高い声が耳朶を打った。

 

 翠は空を仰ぐ。

 

 上空に、何かが浮いていた。

 

 青い装甲を有しており、しなやかに伸びた機体は生物に近い。

 

「新たな幽鬼?」

 

 最悪の想定に、その機体が降り立つ。

 

 見れば見るほどに、奇妙な存在であった。

 

 頭部は扁平で、上部には背びれのようなものを有している。まるで、教本で見たクジラのような機体だ。

 

「何、何だって?」

 

 その機体が緑色の単眼でモリビト弐号を見据える。

 

 身体の内奥から声が響いた。

 

「誰かが、囁いている?」

 

 声の主は分からない。ただ、探り合うようにその機体と交信しているのが分かった。

 

「お前なのか? モリビト弐号」

 

 これはモリビト弐号の声なのか。

 

 赤く、警戒色に染まりかけていたモリビト弐号から殺意が凪いでいく。

 

 装甲版が元に戻り、モリビト弐号が落ち着きを取り戻したのが分かった。

 

 幽鬼が砲弾を放つ。

 

 操縦席を狙い澄ましたその砲撃に翠は目を瞑った。

 

 次の瞬間、クジラの機体が前に出ていた。

 

 何をしたのか、クジラの機体の頭部に砲弾が命中したと感じられたその時。

 

 全てが静止した。

 

 砲撃の音も、炸裂音も聞こえない。

 

 ただ、静止した世界の中で。クジラの頭部で砲弾が留まっていた。

 

 砲弾は命中しそうなところで縫い止められている。

 

 まるで空間に固定されたようだった。

 

「何……」

 

 緑色の単眼で幽鬼を見据えたクジラは、甲高い鳴き声を上げて跳ね上がる。

 

 その途端、砲弾が弾き返された。

 

 全くの予想外であった。

 

 弾き返された砲弾が幽鬼の身体を掠める。

 

 何が起こったのか、翠には分からなかった。

 

「クジラが、幽鬼の攻撃を、跳ね返した?」

 

『……日下部少尉。それは、何なんだ?』

 

 岩倉の疑問にも答えられない。自分も分からないのだ。

 

 クジラはモリビト弐号の右腕の断面に頭部を近付ける。

 

 何をしているのだろう、と感じていると、青い光がクジラとモリビト弐号の間で交差した。

 

 目も眩むほどの閃光。

 

 次の瞬間には、クジラが消えていた。

 

 どこへ、と探した翠は死んだはずの右腕に蒸気計算機から何かが送られてきているのを察知した。

 

 暗号文のような形態の文字群で、どの国の文字にも属さない、くさびのような文字であった。

 

 普通は読めない。

 

 だが、直感的に、それが何を示しているのか分かった。

 

 知っているはずがないのに、自分は、このクジラの――今はモリビト弐号の右腕と同化しているこれの使い方を……知っている。

 

 幽鬼が砲弾を放つ。

 

 翠は即座に操縦桿を押し出した。

 

 突き上げた形のクジラの右腕が砲弾を弾く。

 

「これは……盾?」

 

 クジラの頭部が盾となり、胴体がモリビト弐号と接合している。

 

 尾びれは一本に纏められ、軸のような形状になっていた。

 

 規格外にもかかわらず、モリビト弐号の蒸気計算機には常にその使い方と思しき情報が流れ込んでくる。

 

 そして自分は、それがどうしてだか、読める。

 

「リバウンド……?」

 

 幽鬼が砲弾を放つ。

 

 翠はモリビト弐号に盾を構えさせた。

 

 左手で支え、右腕の盾を突き出す。

 

 クジラの扁平な頭部が砲弾を捉えた。

 

 青白い電流が柵のように交差し、砲弾を羽交い絞めにする。

 

 空間に固定された砲弾を弾き返す術を、翠は既に知っていた。

 

 クジラが教えてくれたのだ。

 

 その名前を、翠は紡ぐ。

 

 ――清き心で、悪を討て。

 

「――リバウンド、フォール!」

 

 誰も知らない文字に記されたその名前が叫ばれた瞬間、モリビト弐号のブルブラッドが光を発した。

 

 血塊炉が輝き、放出された力の連鎖が伝わって盾の上の砲弾を跳ね返す。

 

 正確無比に、その砲弾は幽鬼を貫いた。

 

 恐らく何倍にも威力が乗算されたのだろう。

 

 幽鬼から炎が迸り、その機体がガラスのように砕け散った。

 

 今までこのような事はなかった。

 

 幽鬼は跡形もなく消し去られていた。

 

 僅かに残った炎の残滓だけが、その存在を証明している。

 

「リバウンド、フォール……。何で、オレ、そんな名前を知って……」

 

 自分の掌に視線を落とす。

 

 モリビト弐号の右腕にはクジラが同化している。

 

 どうなっているのだろう、と操縦桿を引くとそれに同期して動いた。

 

「完全に、接続されているのか。でも、これは何なんだ? 突然に現れて……」

 

 そこではっとする。

 

 囁き声のようなものがあった事を。

 

「お前が呼んだのか? モリビト弐号」

 

 その問いに、モリビト弐号は沈黙を保ったままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰ってくるなり、幽鬼迎撃と、憎々しいクジラの存在を報告された。

 

 あの時、飛んでいった先はやはり帝都であったのだ。

 

「それで、今は?」

 

「現在、モリビト弐号の右腕と接合しており、生命反応は一切ありません。解析の結果待ちですが、山城班長の見解でよろしければ」

 

 伊勢が報告する。時雨は促した。

 

「いいだろう。言ってくれ」

 

「あれは血塊炉そのものであると」

 

 血塊炉そのもの。さすがは整備班の班長だ。審美眼がある。

 

「見極めたか。して、日下部少尉は?」

 

「どうしてだか自分にしか読めない文字に困惑しているようですが、今回は快勝と言えるでしょう。幽鬼二体を撃退せしめたのですから」

 

 幽鬼二体を倒した。

 

 単純な事で言えば勝ち星だが、時雨は楽観的にはなれなかった。

 

「あのクジラが何なのか、こちらで徹底解析に出られるのは大きい。何よりも、逃げもしないでモリビトに繋がっているんだ。どうとでも出来る」

 

「……失礼ながら、准将はあのクジラが何なのか、ご存知で?」

 

 あまりにも私怨が混じっていたせいだろう。伊勢の勘繰りに時雨は手を払った。

 

「何でもないさ。ただ、あれを重要な戦果と取るか、それとも異常事態と取るかは分からんという話だよ」

 

「モリビト弐号の戦いぶりを拝見しておりましたが、あれは味方ではないのですか?」

 

 時雨は視線を逸らして、答えを保留する。

 

「どうか、な。あれが味方、というだけの話ではないのは、見るに明らかだ」

 

 少なくとも自分の味方、ではなさそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リバウンドフォール……。この時代の人機に、あの技の技術はない」

 

 断じた仮面の男はキリビト燕から望める帝都の全景に目を伏せる。

 

「あのクジラのようなやつ、あれは古代人機だ。テーブルダストに眠る命の番人。どうしてこの日本にいる? 古代人機のパワーが相乗すれば、この時代の人機とて、上回るかもしれない。それこそ、エクステンドの力を得る」

 

 そうなってしまえばキリビト燕自ら、打って出るしかない。

 

 今までのようなハイアルファー【ライフ・エラーズ】に頼り切りの戦法では、いつまで経っても目標は達成出来ない。

 

「我が悲願を達するには、繰り上げなければならなさそうだな。計画を。この時代の改変を」

 

 仮面の男はキリビト燕に乗り込み、下操主を務める女へと命じた。

 

「キリビト燕の能力は? どれだけある」

 

「ハイアルファーに割き過ぎています。このままの状態では、あのモリビトタイプでさえも倒せません」

 

 やはり【ライフ・エラーズ】を捨ててでも勝ちにこだわるべきか。

 

 キリビト燕の本来の性能を発揮させるには、今の状態は好ましくない。

 

「様子見をする時期は過ぎたな。あのモリビトに乗っている操主もろとも、壊し尽くしてやる」

 

 

 

 

 

 第四章了

 

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