ジンキ・エクステンド 翠聖の翼   作:オンドゥル大使

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第参拾五話「来訪者」

 

 三度の防衛成績が功を奏したのか、あるいはずっと軍務に詰めていたからか。

 

 翠には休暇が与えられた。とは言っても、岩倉の監視つきである。

 

 女としては振る舞えず、当たり前のように男性用の服飾に着替えていた。

 

「ここ最近、仕事詰めでしたから、准将のお心添えだと思えばいいんですかね?」

 

 岩倉の声に翠は曖昧に微笑む。

 

「どうでしょう? オレ、そうでなくっても准将に迷惑をかけていると思いますけれど」

 

 クジラに関しても准将は何も言ってこない。それが逆に不気味でもあった。

 

 あれは、戦闘中に割って入ってきた異物だ。しかしどうしてだか自分には敵とも思えないのである。

 

「整備班はあれの解析に忙しいらしく……。本来ならば整備班も休暇であったそうですが」

 

 少しだけ申し訳なさそうなのは岩倉も同じ立場ならば羨望していたからだろう。

 

 幽鬼の防衛に当たる職務であるのに、この只中で休暇など、と。

 

「でもいいんじゃないですか。たまには、息抜きも」

 

「そうですかね。僕は、もう少し調べたい事があったんですけれど」

 

 クジラに関する事だろうか。いずれにせよ、毎回作戦を練ってくれている岩倉には感謝してもし切れない。

 

「どこかで軽食でも取りましょうか?」

 

「……僕のほうが階級は上なんですから、そういうのは僕から切り出すものですが」

 

 咳払いした岩倉には背丈の事もあってかそういうこだわりがあるようだ。翠は肩を竦めた。

 

「ではお任せします」

 

「ちょっと待ってください。この辺りで確かおいしい定食屋が……」

 

 首を巡らせる岩倉に、翠は帝都の街並みへと視線をやっていた。

 

 自分達の守っている街。ここ最近は防衛が目ざましいお陰か、そこいらで工事、という事もない。

 

 誇らしかったが、同時に怖くなる。

 

 少しでも自分達が気を緩めれば、この帝都は陥落するのだ。

 

 その危うい綱渡りに加担しているのが、翠にある一面では恐怖を感じさせた。

 

 いつ崩落するかも分からない帝都という場所。それを守っている、という誇りよりも、歪さが目立つ。

 

 モリビト弐号、あれの存在を、秘匿しておくべきなのだろうか。市民にはあくまで幽鬼の脅威も知らせず、全てを秘密のうちに終わらせておくべきなのだろうか。

 

 いずれ来る戦いで、人機の技術はこの国のためになる。そうと分かっていても、どこか割り切れない心情を持て余していた。

 

「だから、ボクは悪くないんだって言っているだろ!」

 

 そんな思案を裂くように、人混みから声が発せられた。翠は覚えずそちらへと目を向ける。

 

 背の高い紳士と向き合っているのは、仕立てのいい服を身に纏った子供であった。

 

 珍しい、と翠は感じる。

 

 子供服にしては妙に高級感が漂っている。それにまだ十にも満たない子供が帝都の街並みを闊歩しているのも妙だ。

 

 紳士はあくまで大人として声を振り向けた。

 

「そちらからぶつかっておいて、何だ、それは」

 

「コドモ扱いすんな! お前らとは程度が違うんだよ、程度が」

 

 目つきの鋭い、どこか達観したような顔立ちの子供であったがそれと不揃いなのは子供そのものと思える高い声だった。

 

 紳士は鼻で笑う。

 

「お子様は、黙って母親にでもねだっておけばいいものを」

 

「だから、コドモ扱いすんなっての! ボクは、お前らが全人生で築く財の数倍は金を持っているんだからな!」

 

 いかにも子供らしい言い草である。紳士は呆れ返った。

 

「母親はどういう育て方をしているんだか……。人にぶつかってごめんなさいも言えないとは」

 

「お前らなんかに謝っている頭があれば、もっと別の事に使うよ。いいか? 逆だ。ボクにぶつかっておいて礼節もなっていないぞ」

 

 紳士は遂に怒り心頭に達したらしい。少年へと張り手を見舞おうとした。それを制していたのは翠であった。覚えず、身体が動いたのだ。

 

「すいません。連れ合いで……」

 

「連れ合い? 兄弟か何かか」

 

「そのようなものです」

 

 紳士は翠の服飾を見やってそれ相応の人間だと見抜いたらしい。それ以上は詮索してこなかった。

 

「教育しておけよ」

 

 少年は舌を出す。翠はそれをいさめた。人々が散り散りになっていく。

 

「そんな事していたら、本当に怖い人にぶつかったら大変だよ」

 

「別に。構う事ない。ボクよりも頭のいい奴なら、喧嘩を売るのだって間違いだって気づくはずだ」

 

 何て傲岸不遜な子供なのだろう。翠は開いた口が塞がらなかった。

 

「お母さんは? 連れ添っていないの?」

 

「コドモ扱いすんなってば! ボクにはそんなの要らないんだよ!」

 

 少年は片手に球体を持っていた。黒と白で彩られた物珍しい玉である。

 

「何それ?」

 

「えっ、兄ちゃん知らないのか? サッカーボールって言うんだ。いいだろ」

 

 少年はサッカーボールとやらを頭上に乗せたかと思うと器用にそれを保持した。そのまま鼻をほじりつつ喋り始める。

 

「ボク、兄ちゃんに助けてくれとか頼んでいないから。そういうの期待しているんなら他を当たってくれよ」

 

 少年は翠が仲裁したのもまるで意に介していないようだ。あまりの常識のなさに翠は呆れ返った。

 

「そんなのだと、いずれ怪我するよ」

 

「忠告どうも。でもさ、兄ちゃんだって変なの」

 

 変、と称されて翠は困惑する。

 

「変、って……」

 

「男なのに、女の数式が出ている」

 

 心臓を鷲掴みにされた気分だった。このような子供に、自分の正体が看破された?

 

「……そんなはずないでしょう」

 

「今も、変な数式が出続けているけれどね。なんか、兄ちゃんもボクと同じように、何か変だ」

 

「だから、変、変って……」

 

 言い返そうとすると岩倉が追いついてきた。少年を認め、翠と視線を交わす。

 

「どういう事なんですか?」

 

「喧嘩の仲裁に入ったんですよ」

 

「要らないって言ってるのに。わっかんない、兄ちゃんだなぁ」

 

 少年はサッカーボールを頭上で器用に転がしながら手でひさしを作った。

 

「帝都は変な人間の集まりなのかな」

 

「この子、一体何なんです?」

 

「だから! コドモ扱いすんなって! そっちの小さい兄ちゃんも!」

 

「小さい……!」

 

 岩倉が自尊心を傷つけられたように硬直する。対策室では誰も触れないタブーであった。

 

「あの、中尉。あんまり気にしないほうが。子供の言う事ですし」

 

「……そ、そうですね。僕も大人だ。いちいち子供の言う事に目くじら立てているんじゃ大人気ない」

 

 岩倉が身を翻そうとした時、人混みの中から黒服が歩み出てきた。背の高い異邦人であった。

 

 何やら英語で叫んでいる。

 

 それに返答したのは何と少年であった。

 

 流暢な英語で黒服と対等に喋っている。

 

 瞠目した翠に少年は事情を説明している様子だった。黒服は首肯し、翠へと袖の下を渡す。

 

 当然、受け取るわけにはいかなかった。

 

「その、そんなつもりで助けたんじゃ……」

 

「いえ、プロフェッサーを守ってくださっただけでもありがたい」

 

 異邦人が日本語を堪能に話す。その言葉遣いに圧倒されたのもあるが、何よりも恐れたのは黒服を制する少年の眼差しだった。

 

 当たり前のように顎で使っている。一体、どのような境遇だというのか。

 

「その、彼は……」

 

 翠の質問に黒服は岩倉を目にしてようやく得心が行ったようだった。

 

「軍務の方でしたか」

 

「ああ、今は非番で」

 

 岩倉の状況説明に黒服は袖の下を仕舞い、頭を垂れた。

 

「感謝します」

 

「いえ、何もしていませんし……」

 

 困惑する翠に対して黒服は仰々しいほどの仕草で少年の言葉に耳を傾けている。

 

 少年の話す言語は英語のようだったが、聞き取れないほど早口だ。

 

「プロフェッサー。謁見の時間が迫っています」

 

「ああ、もうそんな時間? じゃあ行こうか。丘の上にあるんだっけ?」

 

「帝都は思っていたよりもこまごまとしている。私達であってもあなたを見失ってしまいかねない」

 

「だね。文明は思っていたよりも進歩しているみたいだ」

 

 少年と黒服の交わす言葉に翠は疑問符を浮かべた。少年は、田舎の出ではないのか。

 

「それでは失礼します」

 

 黒服の言葉に翠と岩倉は目線を交し合う。

 

「ええ、まぁ」

 

 曖昧に返答すると少年が手を軽く振った。

 

「じゃあね。変な数式の兄ちゃん」

 

 鼻歌を口ずさみながら少年と黒服が遠ざかっていく。その後姿が見えなくなるまでどうしてだか落ち着かなかった。

 

「何か、妙な人もいるもんですね」

 

「帝都は文明都市ですから。ああいう手合いもいるんでしょう」

 

 岩倉のどこか納得したような声音に翠は聞き返していた。

 

「何者なのか、分かるんですか?」

 

「所作である程度は。黒服は軍人ですよ。歩き方で分かります」

 

 軍人と同行する少年はでは何者なのか?

 

 その質問を口にする前に岩倉は言っていた。

 

「いつも行っている定食屋、どうやら今日は休みみたいです」 

 

 肩透かしを食らった気分になって、翠は愛想笑いを浮かべる。

 

「では、その辺りで適当に」

 

「そうですね、適当に」

 

 結局、昼食は屋台になった。

 

 

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