ジンキ・エクステンド 翠聖の翼   作:オンドゥル大使

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第伍話「これまでとのさよなら」

 翠が着くなり出迎えがあった。

 

 電報が打たれるより早く、黒塗りの高級車の迎えが寄越されて翠は周囲を見渡したほどだ。

 

 色とりどりの衣装に身を包んだ都会の女達。男達はあくせくと働き、話にのみ伝え聞いていたサラリーマンとやらも多い。

 

「日下部翠様、でございますね?」

 

 案内役の男は帽子を取って目礼する。

 

 翠もつられて頭を下げていた。

 

「わたくし、案内役の草津、と申します。日下部様を送り届ける使命を帯びております」

 

 翠は瞠目した。帝都に来たばかりで右も左も分からないうちに案内役とは。

 

「何かの間違いじゃないんですか?」

 

「いえ、日下部様をご案内するよう、時雨准将より承っております」

 

「時雨……」

 

 翠は名刺を取り出す。名刺の人物と名前が同じであった。

 

「その名刺を持っていらっしゃるのが何よりの証拠」

 

「その、あたし、これからどこへ?」

 

「詳しくは教えられませんが、国防の中枢へと」

 

 孝雄が軍人であったのだからそれは当然なのだろうが、国防の中心と言われると自然と緊張した。

 

「さぁさ、後部座席にお乗りください。お荷物をお預かりします」

 

 持ってきた荷物が仕舞われ、翠は半ば押し込まれるように後部座席に乗り込んだ。

 

 自動車、というものに初めて乗るので翠は居心地が悪かった。

 

 ここまで特別扱いされるいわれないはずである。

 

「その、あたし別に徒歩でも」

 

「駄目ですよ。わたくしは案内役を仰せつかったのですから。迷われては事です」

 

 運転席に乗り込んだ草津が白い手袋をつけてハンドルを握り締める。

 

 動くのだろうか、と翠が窺っていると緩やかな加速がかかってきた。これが車、と密かな感動さえもある。

 

「あの……あたしが着くって誰から」

 

「この二日間、鉄道の着く時間にはずっとおりましたから」

 

 その言葉に翠は目を見開く。

 

「ずっと?」

 

「ええ、ずっと」

 

 当たり前のように言われるが、自分のために二日間も待たせたのは悪い気がした。

 

「ご心配なさるほどの事ではありません。わたくしは案内役ですのでどうぞ気兼ねなく」

 

「そう、ですか……」

 

 翠はどこか他人行儀な感覚さえする背もたれに体重を預けつつ、ふっと息をつく。

 

 しかし街ですれ違う車も、人々もまるで外国の絵空事のようだ。人間の生活感がまるでしない。帝都とはこれほどまでに他人行儀な場所だったのだろうか。

 

 翠がきょろきょろしていたせいだろう。草津が微笑んだ。

 

「気になりますか?」

 

「ええ、まぁ」

 

 田舎者の興味に都会の人間は呆れている事だろう。草津は場を和ませるためか、「覚えがありますよ」と声にした。

 

「わたくしも、帝都に来た時には右も左も分からなくって。そのくせ、みんながみんな足早に去ってゆく。誰を頼ればいいのか、ってね」

 

 笑い話にしようとしてくれているのは分かったが、翠はそわそわと落ち着かなかった。

 

 この群衆の中に、兄の死を知っている人間はいるのだろうか。それとも、兄の死など、この人々にとってはどうでもいいのかもしれない。

 

 それこそ消費されてゆく足並み以下の、存在。翠にとっての大事が彼らにとっての大事ではないのだ。

 

「あたしが帝都に来た理由は……」

 

「いえ、聞いておりません。わたくしはあくまで案内役ですから」

 

 案内に徹するというわけか。これから会う人物が全てを知っている、という事だろう。翠は再び名刺を取り出し、その名前をなぞった。

 

「時雨、久隆……」

 

 どれほどの人物なのかは草津の物言いから察するに軍部の重要人物。

 

 だがどうして、それほどの人物が小娘に過ぎない自分に迎えを寄越すのだろう。自分は日下部孝雄の妹であって、同じ働きが出来るわけではないのに。

 

「時雨……さんについて、何か聞いていますか?」

 

「時雨准尉ですか。わたくしから言わせてもらえば、読めない人物ですね」

 

「読めない……」

 

「表情がないというわけではないのですが、その真相までは誰にも読めない、と言いますか。本音を言わない人間ですね」

 

「本音を言わない、ですか」

 

 たちまち不安になってくる。そのような人物と対等になど話せるわけがない。自分は田舎者の小娘だ。

 

 草津はそれを慮ってか励ます声を出す。

 

「大丈夫ですよ。なにも、いきなり対等に喋れというわけではないでしょうし。日下部様は何も心配なさらなくとも」

 

「そう、ですかね……」

 

 充分に心配なのは、この帝都に一人、という事だ。自分は日下部孝雄の影を追って単身、乗り込んできた。だが既に圧倒されそうである。

 

 群集のざわめき、足早の人々、無関心な面持ち――。

 

 全てが自分を拒絶するようにも思えた。

 

 あの寒村が懐かしい、とつい二日前に立ち去った故郷に思いを馳せる。あの場所では知らない事などなかった。見知らぬ人々の足並みに心を乱される事など。

 

「もうすぐ着きますよ」

 

「早いんですね、自動車って」

 

 半分皮肉めいた声音に草津が微笑んだ。

 

「いつだって、速くなるのは人の思いよりもこういう交通や電報ですよ」

 

 敷地内に入ってゆくと憲兵が後から扉を閉めたのが目に入った。既に軍敷地ないなのか。翠は覚えず緊張する。

 

「ここまで、という事になっております」

 

 草津が停車させたのは軍基地の手前であった。

 

 広大な敷地に圧倒される。あの町の富豪でさえもこれほどの敷地面積を誇る邸宅はなかった。

 

 扉が開かれ、翠はおずおずと降りる。

 

 どうしたものか、と視線を落ち着きなく振っていると、一人の男が片手を上げた。

 

 それは、翠の家を訪れたあの御仁であった。

 

「あっ、あの時の」

 

 思わず声にすると少しだけ安心感が滲み出た。

 

 この帝都で知っている人間に出会えた事だけが唯一の寄る辺であった。

 

「来たのですね」

 

 どこか、この御仁は自分が来た事に意外そうであった。彼が薦めたから、来たようなものなのに。

 

「その、どうすればいいのか分からなくて」

 

「上官に面通ししましょう。こちらへ」

 

 翠は促されるままに、迷路のような軍基地へと歩み出す。草津は既に車に乗って他の場所へと向かっていた。

 

「あの、草津という方は」

 

「ああ。軍でも懇意にしている運転手ですよ。きっちり送り届けるのを言付けておいたはずですが、問題でも?」

 

 翠は首を横に振る。二日間も待たせておいて悪かった、とは思っていたが。

 

「何分、軍の基地は我々将校でも把握が難しいのです。この基地はまだ手狭なほうで、他の基地となるともう。高津重工が関わっているから少しばかり大掛かりな仕掛けが多いですがね」

 

 高津重工、という名前は初耳だった。財閥か何かだろうか。

 

「その、あたしが知っているどんな家よりも、大きくって……」

 

「そりゃあ、家よりかは大きいですよ」

 

 微笑んだ御仁に何を今さらの事を聞いた事が恥ずかしい。

 

 翠は当惑しつつ、御仁の背中に続いた。

 

 御仁が通り抜けていくのは、まるで吊り橋のような不安定な足場である。

 

 視線を振り向けると、工業用の機械なのか、巨大な工場が稼動している。

 

「何を、造っているんですか?」

 

 その質問に御仁は少しばかりたじろいだようだった。

 

「その説明も兼ねて、上官に会っていただきます」

 

「上官、というのはこの」

 

 名刺を取り出す。御仁は肩越しに視線を振り向けた。

 

「ええ。時雨准将です」

 

「時雨さん、という方は、兄の直属の上官だったのでしょうか」

 

「その説明もなされます。今は、着いてきてください」

 

 どうしてだろう。どこか御仁は家で会った時よりも余所余所しい。まるで自分に何かを必死に隠し立てしているかのようだ。

 

 だが翠には何が隠されていたとしても追求しようがない。そもそも兄の死について真相を知りに来たのだ。隠されている事のほうが多いだろう。

 

 工場帯を抜けると、今度は一気に洋風建築の装いの強い豪奢な建物に入った。

 

 鼻をつくのはまだ真新しい木材の香り。

 

 暖色を基調とした、目を瞠るような木造建築と硝子材の融合美。

 

「洋式の建築物なんですね」

 

「ええ、この区画だけですけれど。まだ完全に洋式を取り入れるには保守的な考えが多いみたいです」

 

 翠は御仁の説明を聞きながら、そういえばと思い出す。

 

「まだ、その、あなたの名前も聞いていません」

 

 失礼に失礼を重ねるような物言いであったが、御仁は素直に答えた。

 

「私の事は高木、と。階級は少佐です」

 

 高木少佐、と翠は胸中に繰り返す。

 

「その、高木少佐は、兄の事を知っておられるのですよね?」

 

「時雨准将ほどではありませんが。私は途中でこの計画に参加したもので、本当に初期の事は分からないのですよ」

 

 計画、と翠は考える。

 

 孝雄は何らかの計画に巻き込まれてその途上で死んだのか。それを確かめるにはやはり時雨なる人物に会うしかなかった。

 

 二階層部分に案内され、奥まった扉の真鍮製の取っ手を高木が引く。

 

「失礼します」

 

 高木の視線の先には執務机についている男の姿があった。

 

 歳の頃は父親よりも少し若い程度だろうと推測される。四十代か、あるいは五十代前半か。しかしどこか年齢の読めない空気をかもし出していた。

 

 書類を机の端に追いやって、男はやおら立ち上がる。

 

 高木が挙手敬礼した。

 

「日下部大尉の妹君を連れてまいりました」

 

「ご苦労」

 

 そう告げた声音が思いのほか若々しいものであった事に翠は内心驚く。さらに年齢が分からなくなってしまう。

 

 胸には様々な勲章があり、それだけでも翠は萎縮してしまったが、相手は口元に笑みを浮かべて手を差し出す。

 

「時雨久隆と申します。日下部孝雄大尉の上官に当たる者です」

 

 この男が、兄を――ひょっとすれば死ななくて済んだかもしれない兄を事故死させた根源。

 

 そう思うと憎悪の念が渦巻いたが、翠はそれを感じさせないように握手した。

 

「日下部翠です」

 

 時雨はフッと笑みを浮かべる。

 

「勝気な瞳だ。お兄様によく似ている」

 

 生来よりのつり目を指摘され、翠は思わず後ずさる。時雨は高木へと命じる。

 

「高木少佐。下がっていい」

 

「はっ」と高木が部屋を後にする。唯一の頼みだと思っていた高木が立ち去ってしまい、翠は落ち着かなかった。

 

 眼前には兄の仇かもしれない男の背中。

 

 隙のない軍人の背中に翠は息を呑む。

 

「さて、日下部翠さんであったね。帝都までご足労願った事、まず感謝する」

 

 窓際に歩み寄り、時雨は告げる。翠はどこから口火を切ればいいのか分からなかった。

 

 ――兄は何故死んだのか。

 

 それよりも、ここで何が行われていたのか。

 

 いや、むしろ、あなたは何故、兄の死を止められなかったのか――。

 

 様々な疑念と問い質したい声が自分の中で連鎖し、翠は拳を握り締める。

 

 どれから切り出しても、どれもかわされるような気がしていた。

 

 自分に口を挟める余裕など所詮はその程度。

 

 兄は一軍人であった。その行動如何を問い質したところで、今は無意味。

 

 それよりも、と翠は口を開いた。

 

「……何故、あたしをここへ?」

 

 まずはそれだ。どうして田舎娘に過ぎない自分を帝都まで呼んだのか。高木の独断かに思われたが、時雨は心得たように返す。

 

「君の存在そのものが、ちょっとばかし確認の必要があった。高木少佐は君を初見で、お兄様によく似ている、と評した」

 

 時雨の言葉に翠は困惑する。

 

 兄に似ているから、だからどうだと言うのだ。

 

 自分は自分である。翠の無言の主張が見え透いたのか時雨は首を横に振る。

 

「しかし、君は君だ。お兄様がどれだけの経歴の持ち主であろうが、それは関係のない事。わたしはね、日下部翠さん。あなたと一対一で話したいと思っている。軍将校としてではなく、対等な人間として」

 

 妙に遠回しな言い分を使ってくるものだ。

 

 田舎娘に言ってやる事なんて何一つない、と突っぱねる事だって出来るのに、ここでは一対一で話すだの、対等だのを使う。自分の言葉には言い返すなとでも言っておけば軋轢もないであろうに。

 

「その……あたしはどうせ、田舎者ですし、時雨准将の言葉に異議を挟めるほど賢くもありません」

 

「だが、これからするのはお願いだからね。異議や主張は意味のあるものとして扱わなければ、これから先の君の処遇に関わる」

 

 どういう事なのだろうか。

 

 翠は眉をひそめて聞き返す。

 

「お願い? あたしに、何が出来るっていうんです?」

 

 時雨は執務机に重ねられていた書類の一枚を取り出し、それを翠へと差し出す。翠はそれを受け取って視線を走らせた。

 

「この帝都、恥ずかしながら磐石ではないと、近頃、噂されていてね」

 

 書面にあるのは新聞の切り抜きだ。

 

 そこには「帝都を襲う怪奇」だの「青い血の痕跡」だの疑わしい文字が躍っている。

 

「あの……これと兄に何の関係が?」

 

「君はどう思う? この帝都に、怪奇的存在がいる、と言われて」

 

 どこからどう考えてもよくある怪談か、あるいは人々の勝手な噂話。そう断じる事も出来たが、そもそもどうして現実主義者である軍人がこのような新聞の一挙一動を気にするのか。

 

 その部分に回帰した結果、翠は曖昧に返す。

 

「……ない、とは言えません。あたしも、来たばかりですし」

 

「ない、とは言えない、か。柔軟でいい答えだ」

 

 時雨の賞賛を受け止める前に、では、と次の書類が手渡される。暗号文書であり、一読しただけではちんぷんかんぷんだった。

 

 ただその中で繰り返し表記されている文字だけは妙に視野に残った。

 

「人型特殊、才能機?」

 

 新しい重機か何かであろうか。恐らくはこの書類の中で最も重要と思われる言葉であった。それが頻出しているのである。

 

「気になるかね?」

 

「何度も書かれているので……」

 

 特別気になったわけでもないが、時雨の声音には何かを期待するものがあった。

 

「大きな声では言えないが、帝都ではここ数年、怪しげな事件が頻出していてね。警官隊では手に余るほどの事件。軍部が動かないわけにはいくまい」

 

 そのような事、民間人である自分に話していいのか。

 

 翠が怪訝そうにしていたせいだろう。時雨は付け加える。

 

「君も関係者だ。だから話している。軍部は、これに対して特別対策本部を設置。その上役がわたし、というわけだ」

 

 話が見えてこない。軍が怪奇事件に躍起になって、その上層部に時雨がいる、という事だけでは。

 

「お兄様もこの特別対策本部……通称、対策室の構成員であった」

 

 その言葉に翠は心臓が収縮したのを感じた。

 

 今、この男は何と言ったのか。孝雄が、対策室の一員?

 

「怪奇事件を追い、根絶する。そのための戦闘構成員であった。君の両親には事故死、と伝えただろうが、実際にはその事件を追う最中での殉死だ」

 

 言葉にならない。

 

 翠は衝撃に打ち震えた。

 

 兄が、怪奇事件なるものを追って戦って、死んだだと?

 

「そんな、あるかどうかも分からないもののために……」

 

「ある。ないとは言えない、と君は先ほど言ったね。事実、あるのだ。帝都を脅かす存在。怪奇の異形が」

 

 次いで手渡されたのは写真である。

 

 そこに写されていたのは鍵穴のような形状を持つ物体であった。他の建物が映っていたお陰でその全長があまりにも巨大である事が窺える。

 

「……何ですか、これは」

 

「それこそが脅威。我々は壱号幽鬼と呼称している」

 

「幽鬼……」

 

 信じられない心地で翠は写真を凝視する。合成か何かに思えるほど、その幽鬼とやらは圧倒的な存在感を持つ。

 

「こんなもの、都市に現れれば誰でも気づくんじゃ」

 

「それがだね、幽鬼出現時には濃霧が発生し、なおかつそれだけの巨体でありながらまるで音も立てずに現れる。それこそ、幽鬼の名が相応しいと思わないか?」

 

 確かにこれだけの巨体が忽然と現れれば、それは幽鬼としか言いようのないが……。

 

 翠は釈然としないものを感じつつ、写真の存在だけは肯定した。

 

「これがあるとして、では何です? 軍部は、対策室とやらは何をやっているというんですか?」

 

「戦っている。それに拮抗する能力を持つ存在こそ、その暗号文書に書かれている人型特殊才能機だ」

 

「……信じられません」

 

「無理もない。来たまえ」

 

 時雨は澱みなく翠の疑問を受け止めて、肩に手を置く。

 

 そのままついて来るように促した。

 

 翠はほとんどわけも分からずに時雨の背中に続く。先ほどの工場帯まで連れて来られ、その中の一画へと案内された。人払いが行われており、作業中の人間はいない。

 

「地下区画へと降りる」

 

 工場の表ではなく、時雨はその地下へと続く階段を下った。当然の事ながら翠は無言で付いて行くしかない。

 

「ところで、我が国の技術水準はどこまで上がっていると思う?」

 

 突然に質問されたので翠は戸惑った。

 

「それなり、じゃないでしょうか。自動車で招かれて驚きましたけれど」

 

「故郷にはまだ自動車は走っていなかったかな」

 

 自動車どころか未だに馬車や人力車が現役である。そちらのほうが見知っているので自動車の挙動に驚愕したほどだ。

 

「ええ、まぁ。自動車を運転するのにも、免許が?」

 

「自転車だって開発当初は免許があったんだ。似たようなものさ」

 

 恥ずかしい質問をしてしまったか、と顔を伏せたが、時雨が促す。

 

「見たまえ」

 

 その声に視線を上げると、投光機の光を浴びる灰色の機体があった。

 

 作業着を着た人々が忙しなく行き交っている。

 

 時雨は足を止めて、上から彼らを見下ろした。時雨の存在と翠の視線に気づく者さえもいない。彼らは一様に中央に据えられた機体の整備に当たっていた。

 

 溶接の火花が散り、灰色の機体の全貌を見渡す。

 

「なんて、巨大な……」

 

 息を呑んだ。

 

 目測では先ほど見せられた幽鬼と呼ばれる物体と同じくらいか、あるいはそれ以上だ。

 

 菱形の頭部を持っており、強化硝子のはめられた部位が眼窩に見える。今は赤色に染められていた。

 

 頭部と胴体は切り離されて製造されており、胴体部は人型、というよりも芋虫のそれだ。

 

 長大なキャタピラの脚部に、それに付随する胴体には数本の黄色と黒に塗られた芯が入っていた。

 

「爆砕ボルトと言ってね。あれを緊急時に爆破させて頭部操縦席を射出する。……日下部大尉の尊い犠牲によって我々が考案したものだ」

 

 時雨の物言いに翠は継ぐ言葉が見つからない。自分の想像以上のものが視界いっぱいに広がっている。

 

「これが……」

 

「そう、人型特殊才能機。我々は帝都の守り人という意味を込めてモリビト、と呼称している。前回大破したのが壱号機であったからね。これは弐号機だ。モリビト弐号と」

 

「モリビト、弐号……」

 

 呼ぶと、モリビトの眼窩がこちらを捉えたような――気がした。

 

 一呼吸置いて目を擦ると、そこには何ら特別ではない、強化硝子があるだけだ。

 

「人型特殊才能機に、彼は特段に気に入られていてね」

 

 彼、というのが誰を指すのか、翠には直感的に分かった。

 

「兄は、これに乗って、討ち死にをしたと?」

 

「幽鬼との戦闘で不利に転がり、我々は撤退を指示したが、彼の独断で自爆装置が作動され、幽鬼の侵攻を一時食い止めた。だが、それも一時に過ぎない。幽鬼はそれより一月は現れていないが、我が対策室の擁する陰陽師が告げている。十日もせぬうちに、次の侵攻があると」

 

 陰陽師。にわかには信じられない言葉ばかりが飛び交うが、相手が幽霊の如く音もなく出現するとなればさもありなん。

 

「対策室は、幽鬼の侵攻を食い止めなければならない、というわけですか」

 

「食い止める、というのはまだ逃げの口上だ。最終目的は幽鬼の駆逐。だが、モリビト壱号でさえも、幽鬼を完全に駆逐せしめた事は実は一度たりとてない。幽鬼には制限時間がある」

 

「制限時間?」

 

「丑の刻から、夜明けまでの三時間。その時間内でしか動かない。だが、三時間であってもあれだけの巨大な物体が暴れればただでは済まないのは自明の理であろう」

 

 たった三時間の攻防。その僅かな時間の駆け引きに、孝雄は負けてしまったというのか。

 

 撤退を指示した、と時雨は言った。もし、兄が撤退してくれていればまだ生きていてくれたのか。その無念に翠は唇を噛み締める。

 

「……悔しいかね」

 

 心を見透かされた気分であった。ハッとして振り向くと時雨は読めない笑みを浮かべていた。

 

「わたしとて悔しいよ。これだけの決戦兵器がありながら、あれだけの優秀な操主に恵まれながら、勝てずにいる事がね」

 

「操主……」

 

「人型特殊才能機に乗れる人間の事を我々はそう呼んでいる。主に操縦する者、として、操主、と」

 

「兄は、操主として優秀であったのですか」

 

「とても優秀であった。モリビト壱号を乗りこなし、夜明けまでの攻防を何度も生き抜いた。ともすれば、実際の戦場よりも過酷かもしれない軍務を全うし、恐怖と焦燥の中、常に最善を模索した」

 

「でも……その最善が自爆であった」

 

 皮肉な結論に時雨は首を振る。

 

「悲しい事に、ね。最前線で戦う彼の苦しみは我々には推し量れなかったのだろう。その重圧も。彼を殺したのは、ともすれば我々の無責任の塊であったのかもしれない」

 

 ここまで認めている。翠は糾弾してやりたかった。

 

 ――お前らが殺した。

 

 ――にいにい様を、むざむざ死なせた。

 

 だが、幽鬼の存在とそれに対抗するべく用意されたモリビトを目にして、無闇に言えないと感じていた。

 

 これだけの人が努力している。その努力の中に孝雄もいたのだ。ならば努力の否定は兄の戦いの否定にもなる。

 

 翠は言葉を飲み込み、時雨に問いかける。

 

「それで? あたしなんかに何故、これを見せられているのですか? ただの田舎娘ですよ」

 

 極秘事項のはずだ。それを見せるという事は、突き詰めた先は一つ。

 

「お兄さんの無念を、晴らしたくないか?」

 

「軍務のお手伝いなら、あたし、喜んで――」

 

「違うよ。モリビトに乗って、戦って欲しい。操主として」

 

 翠は目を見開いた。

 

 軍務に携われ、という事なのだと思ったのだ。極秘資料の整理でも何でもやる覚悟はあったが、まさかこの鋼鉄の塊を動かせと言われるとは思ってもみなかった。

 

「そんな……。あたし、こんなの操縦なんて」

 

「いや、出来るはずだ。君が日下部翠ならね」

 

 時雨の確信めいた口調の理由が分からない。自分はつい先日まで田舎の学校で筆を握り、薙刀を振っていた身。そんな人間にいきなり兵器の運用など。

 

「無理です。出来ません」

 

 そう言うしかない。孝雄の無念は晴らしたいが、操主など無理にもほどがある。

 

 時雨はしかし譲ろうとしなかった。

 

「少尉相当の軍籍を与えよう。君の経歴を全て、わたしが責任を取る」

 

「女に、軍務は任せられないでしょう」

 

「その問題ならば簡単な話だ」

 

 時雨は翠に向き直り、はっきりとした口調で言い放つ。

 

「日下部翠。君は今日から男になってもらう」

 

 

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