戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフへの途~   作:Hermes_0724

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第九十ニ話:腐海の名産品

エディカーヌ王国は、一般的には「闇夜の眷属の国」と呼ばれ、アヴァタール地方を中心とする人間族に忌避される傾向が合った。エディカーヌ王国自身、そうした認知を払拭しようとはせず、むしろ王国の秘密保持のために利用しているフシさえある。レウィニア神権国の行政庁においてさえ、エディカーヌ王国の人口や国土面積、経済基盤、軍事力などの情報は少なく、その実態は謎に包まれている。特に建国間もないころは、バリアレス都市国家連合によって半封鎖状態となっていた。権力闘争に敗れた亡命貴族や罪人、あるいは逃亡した元奴隷などが、逃げ込む形でエディカーヌ王国のある「腐海の地」に入る程度であり、御用商人指名を受けていたラギール商会の行商隊や、幾つかの独立商人以外は、エディカーヌ王国の名前すら知られていない状態であった。

 

エディカーヌ王国が歴史に重要な役割として登場するのは、エディカーヌ建国歴百四十年のことである。マーズテリア神殿聖女ルナ=クリアは、ディジェネール地方に出現した異界「狭間の宮殿」に入るために、エディカーヌ王国の通過を求めた。エディカーヌ王国はそれを認める代わりに、マーズテリア神殿に対して信仰体系「神の道」への承認を要求する。幾度かの交渉を経て、マーズテリア神殿はエディカーヌ王国に神官を派遣することを決定した。光側の第一級現神が「神の道」に加わったことは、周辺諸国、特にベルリア王国に大きな衝撃を与えた。その後、数百年間に渡りマーズテリア神殿は神官を派遣し続けるが、建国歴六百ニ八年に発生した「ドゥネール会戦」での活躍により枢機卿となった「コア・プレイアデス」により、マーズテリア神殿は「神の道」を否定する声明を出す。新七古神戦争とよばれたアヴァタール地方の大乱から、三年後のことである。

 

 

 

 

 

バリアレス都市国家連合の中核都市レンストから数日、「腐海の地」においては大きな都市である地下都市「フノーロ」は、その相貌を一変させていた。基本的な都市設計はプレメルと変わらない。建国において最初に整備をしたのは上下水道であった。ブレニア内海に流れ込む河川を整備し、魔導技術を使った貯水施設と汚水処理施設を建てた。治安を維持するための街灯にも、魔導技術が使われている。舗装した大通りが東西南北に走り、各区画ごとに様々な建築が行われていた。地下の転移魔法陣から地上に昇ったディアンは、凄まじい勢いで進む様子に呆れていた。地上の一箇所に、天幕が張られている。二人の護衛に挟まれ、机上の紙に目を落としている「巫女のような姿」をした黒髪の美少女に声を掛ける。

 

『凄いな…プレメルを遥かに凌ぐ規模になりそうだ』

 

巫女姿の美少女「ソフィア・ノア=エディカーヌ」は顔を上げること無く、返事をした。

 

『まだまだですわ。最終的な規模は見当もつきません。当初は城壁を建てようと思っていたのですが、塀で大きさを制限するのは得策ではないと判断し、当面は木柵と警邏隊による見廻りで警戒をしています』

 

ようやく顔を上げたソフィアは、以前にも増して美しくなっていた。黒髪に白と赤の着物が似合うということもあるが、「建国」という大事業に心が浮き立っているのだ。ディアンは頷いて、不足しているものが無いかを確認した。

 

『物資は十分です。月に一度の割合で、荷車百両以上の物資が届きます。この地での生産活動も始まっており、農畜産業では当面の目標を達成しています。ただ…』

 

『何か、気になることがあるのか?』

 

『強みとなる産業です。ターペ=エトフは鉱石類や武器のみならず、オリーブ油や石鹸などの化粧品類、香辛料などを特産物として、アヴァタール地方やレスペレント地方に輸出をしています。他国を圧倒する生産力により、豊かな経済、財政を形成しています。一方、新国家の取引相手となるのは、バリアレス都市国家連合、ベルリア王国、メルキア王国、レウィニア神権国、スティンルーラ王国です。もしこの地でもオリーブ栽培をするとなれば、ターペ=エトフと競合することになってしまいます。オリーブ栽培はいずれ行うとしても、新国家独自の、別の産業が必要なのです』

 

『判っている。オレが来たのもそれが理由だ。ターペ=エトフでは絶対に不可能な産業をこの地に興す。頼んでいた調査資料はあるか?』

 

ソフィアが紙束を差し出した。新国家エディカーヌ王国の気候や土壌についての調査結果である。いち早く、種族ごとこの地に越してきたイルビット族の研究成果だ。

 

『思った通りだな。この地では、平地の平均気温はターペ=エトフよりもずっと高い。亜熱帯に近いと言えるだろう。つまり「砂糖」の栽培が可能だ』

 

『砂糖?レスペレント地方から輸入をしていた「サトウカエデ」のことでしょうか?』

 

『いや、あれとは全く別だ。あれは樹液だったが、この地では「サトウキビ」が栽培できるだろう。実際、ディジェネール地方の亜人族にはサトウキビを常食している種族もある』

 

ソフィアは首を傾げたが、こと産業振興に関してはディアン・ケヒトの右に出る者はいない。リタ・ラギールでさえ、ディアンに助言を求める程なのだ。ソフィアは羊皮紙をディアンに渡した。ディジェネール地方外交の全権委任状である。

 

『イルビット族のプルル殿とマルコ殿も、同行を希望しています。ディジェネール地方の植物に興味があるとか。ぜひ、新産業のネタを持ち帰って下さい』

 

『任せろ。新国家エディカーヌ王国は、いずれターペ=エトフを凌駕するほどの経済大国になるだろう』

 

 

 

 

 

ディジェネール地方最深部にある龍人族の村まで歩く。通常より倍の時間が掛かったのは、背中に転送機を背負っていることもあるが、連れているイルビット族の研究者たちの歩調が遅いことが大きな理由だ。

 

『おぉっ!マルコ、これを見なさい!これはきっと新種のキノコに違いない!食べてみようか?』

 

『それは「シュプフェル・トマキア」という猛毒のキノコだ。ディジェネール地方の龍人族はそれを煮出して、煮汁を鏃に塗る。一口でも食べたら、半刻もしないうちに「転生の門」に行けるぞ?』

 

ディアンは苦笑しながらも、二人の研究者に付き合った。ターペ=エトフにはレイナを残している。万一にもハイシェラが来れば、転送機を使って一瞬で帰ることができる。何事もなければ、転送機は西の海辺に設置をするつもりだ。

 

『プルルさんっ!この実からは凄い臭いがします!こんな臭いは初めてです!』

 

『な、なんという悪臭だ!きっと毒があるに違いない!早く捨てなさい!』

 

『それはドリアンだ。臭いはキツイが、クリームのような滑らかな甘みのある果実だ。馴れると病みつきになるぞ?』

 

ディアンは短剣で刺々しい果実を二つに割った。強烈な臭いが広がり、イルビット族の二人は鼻を摘んだ。中の白い果肉を適当な大きさに切って食べる。二人も恐る恐る手を伸ばし、目を瞑って口に入れた。驚いた表情で顔を見合わせ、再び手を伸ばす。

 

『ディジェネール地方の植生は豊かだ。他にも珍しいものが数多くある。だが、我々は行き先が決まっている。まずは目的を果たそう』

 

幾つかの植物に眼をつけ、ディアンも革袋に実を入れていった。やがて小川を超え、目的地へと辿り着いた。

 

 

 

 

 

ディジェネール地方最深部の龍人族の村に入ったディアンは、その変わらなさに目を細めた。三百年近く前に、この村に初めて入ったときから、何も変わっていない。井戸の位置も家畜の囲いもそのままだ。時の流れが止まってしまったのようであった。だが人は変化をしている。リ・フィナは美しさこそ変わらないが、子供が四人もいる。龍人族は古神の眷属として、他種族からも忌避されているが、ターペ=エトフ出身の者にとっては見慣れた種族である。二人のイルビットは早速、聞き込みに回っていた。鼻下に髭を生やしたことだけが唯一の変化であるグリーデが、ディアンを案内した。

 

『フォッフォッ!今度はイルビット族を連れてきたか。結構なことじゃ。多くの種族と交流すれば、その分、学びも多くなるからの』

 

三百年前と変わらない家、変わらない場所に、変わらない姿で長老は座っていた。ディアンは嬉び八割、疑問二割であった。目の前の老龍人は一体、何歳なんだ?

 

『ご無沙汰をしております、長老。ディアン・ケヒト、帰参致しました』

 

『魂の成長を感じるぞ?喜びだけではない。辛いことや悲しいこともあったのであろう。じゃがそれも含めて、全てが人生であり修行なのじゃ』

 

『時に迷い、魔境に陥ったこともありました。自分の力を情けなく思うこともありました。多くの人々に援けられ、なんとか生きてきました』

 

長老は黙って頷いた。ディアンは革袋から羊皮紙を取り出し、傍に控えるグリーデに渡した。ディアンはターペ=エトフの現状と、新国家エディカーヌ王国の話をした。

 

『エディカーヌ王国は、ディジェネール大森林の東方に誕生します。「神の道」と呼ばれる全く新しい宗教体系を構築しました。王都には「古神の神殿」も建てられる予定です。このディル=リフィーナに存在する全ての神族を祀った「神宮」は、既に完成しています。ディジェネール地方には、様々な種族が生きています。それら全てを受け入れる土壌を作ったつもりです』

 

長老は黙っていたが、グリーデが首を傾げてディアンに尋ねた。

 

『ディアン…その「新しい国家」は、この地を支配するつもりなのか?』

 

『とんでもない。支配などはしません。エディカーヌ王国からこの地に入る者は、ごく一握りとする予定です。ディジェネール地方にはディジェネール地方の在り方があります。それを壊したくはありません。交流や交易すら、希望する種族にだけ限定をするつもりです。ただ、東西を走る横断道路だけは、敷くことは出来ないかと考えています』

 

ディアンは地図を取り出した。アヴァタール地方やディジェネール地方、西方諸国までを描いた地図である。二百数十年に渡って集積した「プレメルの大図書館」の資料から、イルビット族たちが完成させた「世界地図」である。ディアンはディジェネール地方を指した。沿岸の形は描かれているが、大部分は空白だ。

 

『ディジェネール地方は、暗黒の樹海と呼ばれています。この地のことは殆ど知られていません。私は、この地は暗黒のままで良いと考えています。将来的には、北方のブレニア内海沿岸域、南方のフェマ山脈山岳域に結界を設け、冒険者などの立ち入りなども禁じてしまおうと考えています。人間族は貪欲です。この地の豊かな植生や珍しい動物などを狙って、いずれ必ず、略奪者が押し寄せるでしょう。そうなる前に、エディカーヌ王国の「悪名」によって、ディジェネール地方全体を結界で封じます』

 

ディアンは、前世における歴史的な悲劇を想定していた。前世の歴史では、神々の束縛から開放された人間たちは文明を発展させ、それと同時に世界を拡張させた。暗黒大陸と呼ばれた土地に押し寄せ、そこに暮らしていた現地人を奴隷化した。教化という名の「文明的侵略」によって、どれほどの悲劇が起きただろうか。ディジェネール地方の北西部には、マーズテリアを信仰する「ベルリア王国」がある。彼らがいずれ、この地に押し寄せないという保証はない。だがグリーデにはあまり実感が無いようであった。こうした無垢さもまた、この地の良いところではあった。

 

『ディアン、つまりお前がこの地を守るということか?我らは龍人族だ。ここには優秀な戦士もいる。そうした略奪者には、力を持って対抗すれば良いではないか』

 

『グリーデ殿、人間族の力を甘く見てはいけません。剣や槍で攻めてくるのであれば、対抗のしようもあるでしょう。ですが彼らは「信仰的侵略」をしてくるのです。恐らく最初に、マーズテリア神殿あたりの神官を派遣し、こう言うでしょう。「混沌としたこの地に、秩序を齎したい」とね…私は既に、その例を見ています』

 

ディアンはケレース地方にある光側の国「イソラ王国」の話をした。街を造るのは構わない。そこに住んで生活をするのも良い。だが、先住民族を「原始人」と決めつけ、自分たちの宗教、文明で「教化」しようという行動は、どう見ても「侵略」としか思えなかった。彼らはそれを「正しいこと」と思っているのだから、尚更にタチが悪いのである。ディアンの話を聞いて、長老は笑った。

 

『フォッフォッ!まぁ彼らも良かれと思ってやっているのじゃ。そう悪く言うでない。要は、それで幸福になるかどうかじゃて…』

 

『仰る通りです。人は皆、幸福を追求するものです。ですが彼らは、自分たちの幸福のために、他者の幸福を害そうとしています。もしくは、自分が信じる幸福を他者に押し付けようとしています。何が幸福なのかは人それぞれです。新国家がディジェネール地方との交流を慎重に進めようとしているのは、各種族の幸福を害したくないからです』

 

ディアンは地図に線を引いた。

 

『各種族の位置は、大雑把ですが把握をしているつもりです。この線上であれば、どの種族の集落にも引っ掛かること無く、横断道路を敷くことが出来ます。可能な限り伐採を最少にして、細い道にします。そしてこの西岸に港を作れないかと考えています』

 

『ほう…港を作ってどうするのじゃ?』

 

『船を建造し、リガーナル半島との交易が出来ないかと考えています。リガーナル半島には「レノアベルテ」と呼ばれる、ルーン=エルフ族の聖地があると聞いています。また様々な種族が棲んでいるとも聞いています。珍しい鉱石や食料もあるでしょう。船を使えば、陸よりもより速く、より多くを運べます』

 

ディアンの目的は、それ以外にもあった。レノアベルテには恐らく、「カッサレの魔導書」があるはずである。またエルフ族であれば、「フェミリンスの呪い」の解呪法を知っているかもしれない。三百年近くの研究で、考えうる全ての解呪法を試みたが、どうしても見つからなかった。残る可能性は、「未知の土地」にしか無かった。

 

『私は魔神です。そして、新国家エディカーヌ王国の国王は、私の使徒です。時は無限に近くあります。決して焦りません。百年、二百年の時を掛けて、ゆっくりと進めたいと思います』

 

自分に言い聞かせるような話し方に、長老は黙って頷いた。

 

 

 

 

 

ディアンと二人のイルビットは、半年以上を掛けてディジェネール地方を横断した。各種族の集落に立ち寄り、屋根を借りたりもする。交流の話はしない。ただ東方に闇夜の眷属の国ができること。この地を決して侵さないことだけを伝える。各種族の信仰や文化を重んじる姿勢を見せたため、半信半疑の者たちも、集落の外れで寝泊まりする程度は許してくれた。好奇心が旺盛なイルビットたちは、集落に立ち寄っては様々なことを聞いている。

 

『おぉ!これは美味い!この黄色い果実はなんと甘く、美味であることか!』

 

プルルは眼を細めながら「実芭蕉(バナナ)」を頬張った。ディジェネール地方の原生林には食物が豊富にある。樹の中にいる幼虫を捕まえ、焼いた石の上で転がす。大きな芋を掘り出して焼き、岩塩を振り掛ける。見た目は悪くても、味は良かった。ディアンは昔を思い出していた。かつてこの世界に来た時は、龍人族たちと一緒に森に入り、こうした野生の食料を得て食べていた。ターペ=エトフの文明的な食事も良いが、こうした野生での生活も良い。

 

『世界は、実に豊かだ。無理をしなくても、こんなにも豊かな食事と刺激ある毎日を送れる。ヒトは何故、それに満足しようとしないのか…』

 

満天の星空を眺めながら、ディアンは呟いた。鳥や蟲の鳴き声の中に、二人のイルビットの寝息が聞こえてきた。寝る必要のない魔神は、鳥たちが眠れるよう、焚き火を小さくした。

 

『おぉぉっ!何と巨大な!これが「海」か!オウスト内海より遥かに大きいそうだが、まるで比較ができん!』

 

『プルルさん、当たり前でしょう。ですが、確かに違いますね。なんというか、匂いが違います』

 

初めて見る外海に、プルルとマルコは興奮が収まらない様子であった。川沿いに進んで、ディジェネール地方西方の海岸に出る。浜辺には角を生やした亜人族たちが暮らしていた。ディアンたちは挨拶をし、遥か東からディジェネール地方を横断してきたことを伝えた。「鬼人族」と呼ばれる亜人たちは、驚き、そして歓迎してくれた。浜辺に集まり、海の幸を馳走してくれる。海老や蟹が入った汁と共に、焼いた肉が出てきた。

 

『先日、皆で仕留めた「エビル・ホエール」の肉さ。焼いて食べると美味いぞ』

 

火を囲いながら、椰子酒を飲み回す。ディアンは「海の怪物」について話を聞いた。この地から交易船を出すとなると、途中で襲われる可能性もあるからだ。だが鬼人族たちは、あまり遠くまで舟を出さないらしい。この浜辺は少し進むといきなり深くなっているそうだ。そこでは様々な魚が獲れるそうである。

 

『海は溢れるほどの恵みをくれる。森は薬草や果物、芋などを恵んでくれる。我らはこの地で、ずっと平和に暮らしている』

 

この集落の平和を壊すわけにはいかない。ディアンはそう思った。この浜辺は港に適しているようだが、ここに道を通せば、彼らの生活が破壊されるのである。ディアンは東と西を繋ぐ道を通したいことや、沿岸に港を設けたいことなどを丁寧に説明した。鬼人族の族長は、少し北に行ったところ、無人の浜辺があることを教えてくれた。

 

『この辺りには、そうした浜辺が多い。我らは河口付近で生活をしているが、北や南に一日行ったところには、無人の浜辺がある。そこなら、誰に迷惑をかける事なく、港が出来るだろう』

 

『大きな規模にはしません。せいぜい船が一、二隻程度、沖合に停泊する程度です。浜辺に積荷を管理する倉庫を建てると思いますが、森や浜辺の生き物たちを荒らしたくありません。もし少しでも迷惑と感じたら、どうか遠慮なく言って下さい』

 

三日間、集落に世話にあり、ディアンたちは北の浜辺へと移動した。ゴツゴツとした岩場を抜け、やがて白い砂浜が見えてきた。魔獣や亜人の気配を探ったが、半里以内には感じ取れなかった。完全な無人地帯である。ディアンは背負っていた転送機を浜辺下ろした。木と椰子の葉で、簡単な小屋を建てる。転送機の設置を終えると、ディアンは浜辺に座った。夕暮れ時であった。赤い陽が完全に沈もうとしていた。沈む夕日を眺めながら、ディアンはこの三百年を振り返っていた。訳も分からずに転生し、この異世界にやって来た。不老で力が強いから、という単純な理由で、魔神の肉体を選んだ。だが生き続ける中で、感じたことがある。ヒトは、死ぬから輝けるのだ。生きる以上は、無為な日々は送りたくない。だが、無為ではない日々とは「喜びと悲しみ」の繰り返しの日々なのだ。ヒトは、悲しいことがあるから、喜びを感じられる。悲しいと感じたことがない人間は、喜びも感じたことがないだろう。三百年間で、多くの出会いと別れを繰り返した。そして今、大きな別れが近づいている。弟子であり、友であり、息子のように思っていた存在を失おうとしていた。遥か昔の記憶が甦る。

 

(良いでやんスか?ヒトとして生きることも出来るでやんスよ?)

 

『サリエルめ…ちゃんと説明しろよ…』

 

呟いたディアンの双眼には、熱い雫が溢れていた。

 

 

 

 

 

半年以上にわたったディジェネール地方の冒険は、一瞬で終りを迎えた。転送結界の中で、ディアンとイルビット二人は一瞬で帰還する。あまりの味気無さに、二人は不満げだった。帰還したディアンを使徒三人が出迎えてくれた。

 

『お疲れ様でした。首尾は、如何でしたか?』

 

ディアンは笑顔で革袋を開いた。

 

『ディジェネール地方の産物の中で、産業化に向いているものを持ち帰ってきた。この赤い実は「コーヒー」と呼ばれるものだ。この薄黄色い実は「カカオ」、この枝のようなものは「サトウキビ」だ。他にも幾つかある。栽培方法などはイルビットたちが聞き出している。この地での生産も可能なはずだ』

 

『詳しいことは、後ほどお聞きします。それよりも今は、風呂に入って下さい。その…臭います』

 

ディアンは頭を掻いて頷いた。

 

 

 

 

後世、エディカーヌ帝国は「闇夜の眷属の国」としてアヴァタール地方の各国と対峙することになる。特にレウィニア神権国とはドゥネール会戦など、数度の軍事衝突を興している。その一方で、エディカーヌ帝国の様々な物産品は、アヴァタール地方やレルン地方、さらには遥か西方のテルフィオン連邦にまで流通した。その多くがディジェネール地方原産の農作物だと解ると、西方神殿勢力はこぞって、ディジェネール地方への進出を図る。だがディジェネール地方北西部に進出した段階で、変事が発生した。突如として出現した「七古神」が、進出の拠点であった「ベルリア王国」を襲撃したのである。壊滅したマーズテリア大神殿を建て直した「枢機卿コア・プレアデス」と「神官騎士ロカ・ルースコート」は、ディジェネール地方への不関与を宣言したのである。ディアン・ケヒトがディジェネール地方西岸に転送機を置いてから、およそ七百年後のことである。

 

 

 

 

 




【次話予告】

ハイシェラ魔族国は追い詰められていた。各国からの支援物資が無い以上、次の戦いが最終決戦であった。だが国王ハイシェラに迷いは無かった。全兵士を鼓舞し、自らが先陣を切って戦いを挑む。魔王の挑戦を受け、賢王インドリトは周囲が止めるのも聞かずに、再び戦場に向かうのであった。ケレース地方の歴史の中で、最も苛烈な戦争となった「第二次ハイシェラ戦争」が始まる。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第九十三話「第二次ハイシェラ戦争 前編 王たるが故に」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。

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