戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフへの途~   作:Hermes_0724

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第九十三話:第二次ハイシェラ戦争(前編)-王たるが故に-

ターペ=エトフ歴二百七十五年、ラウルバーシュ大陸マーズテリア神殿総本山「ベテルーラ」

 

大聖堂の扉が閉ざされ、教皇庁の衛兵たちが魔法刻印を施した鎖で厳重に封じる。聖堂内には、マーズテリア教団の最高位に位置する「枢機卿」たち十二名が揃っていた。前教皇クリストフォルスの逝去により、新たな教皇を選出する「コンクラーヴェ」が開かれようとしていた。前教皇は、対話より対決という姿勢の持ち主であった。その結果、マーズテリア神殿は聖女ルナ=エマを失い、二百六十年間にわたって「聖女不在」という異常事態が発生した。その間に、大封鎖地帯の分裂による魔族国との戦争が発生し、西方諸国を震撼させる事態となっていた。東方でも危機が発生していた。セアール地方ではバリハルト神殿が崩壊し、土着民であったスティンルーラ人が「スティンルーラ王国」を建国、光側の国ではあるがバリハルト神殿とは距離を置く国が誕生した。西方と東方を結ぶ玄関口であったカルッシャ王国では、隣国のフレスラント王国と長期にわたる戦争状態になっている。レスペレント地方からの大陸公路は滞り、物流に影響が出ていた。こうした中で、ベルリア王国から機密指定の重大情報が二つも届いたのである。クリストフォルスは自らの指導力の限界を感じ、「教皇位の返上」を決意したのである。神核を喪失した教皇は、そのまま永久の眠りに入っていた。首席枢機卿「ウィレンシヌス」が立ち上がる。

 

『これより「教皇選挙(Conclave)」を始める。始めるに辺り、マーズテリア神殿を取り巻く状況について確認をする。現在、マーズテリア神殿は重大な危機に直面している。それを自覚し、最も相応しい教皇を選び、マーズテリア神の神託を受けなければならない』

 

十一人の枢機卿たちが頷いた。ウィレンシヌスは、故人の名誉を気遣いながら、前教皇時代に起きた様々な出来事を語った。

 

『現在、マサラ魔族国を中核として緊張状態が続いている。ティルフィオン連邦の北方「ヴァシナル王国」では、エテの歪みが活性化しているそうだ。いずれも看過できない事態だ。だが、それを上回る重大な危機が、ベルリア王国から伝えられている。およそ四十年前に、バリハルト神殿のアヴァタール地方進出の足がかりであった「マクル神殿」が崩壊した。スティンルーラ人によるものとされていたが、それは事実ではない。マクル神殿を崩壊させたのは、古神の肉体を得た「神殺し」であった。現在、その神殺しはケレース地方に国を興し、かの大国「ターペ=エトフ」と戦争をしている』

 

この情報は既に各枢機卿たちの耳に入っていた。「神殺し」の誕生は、現神世界を崩壊させる危険がある。マーズテリア神殿としても第一に対応すべき事態であった。全員を見回した上で、ウィレンシヌスは第二の情報を伝えた。

 

『凶報はそれだけではない。前教皇猊下が退位をお決めになられた理由はもう一つある。アヴァタール地方南方に「闇夜の眷属の国」が誕生しようとしているのだ!』

 

この情報は未確認の部分も多く、伏せられていた。そのため、枢機卿たちも初耳であった。全員が顔を見合わせる。一人の枢機卿が手を挙げた。

 

『ウィレンシヌス殿…卿はどうして、その情報を知っているのだ?』

 

『この情報は、実は五年前にベルリア王国から齎されたものだ。だが腐海の地と呼ばれるあの地では、情報収集が難しい。私は前教皇猊下に命を受け、腐海の地を探っていた。その結果、信じ難い速度で人々が集まり、強力な国家が誕生しようとしていることが判明した。その名は「エディカーヌ王国」という』

 

『「ウェ=ディ=カーン(闇夜の混沌)」ですか…腐海の地ということは、ベルリア王国にも近いはずです。そこにそんな国ができたとしたら…』

 

『レスペレント地方からの大陸公路は、その機能を半減させている。ブレニア内海を南北に走る大陸公路は、東西を繋ぐ大動脈だ。そのうちの一本を闇の夜眷属たちに握られでもしたら…』

 

ウィレンシヌスは、枢機卿たちの討議を黙って聞いていた。神殺しについては、ほぼ全ての情報が出ている。だがエディカーヌ王国については、前教皇にすら報告していない情報があった。あまりにも信じ難く、危険な情報であったため、完全な確認が取れるまで隠匿していたのだ。ウィレンシヌスはその情報については、この場でも黙っていた。下手をしたら、コンクラーヴェどころでは無くなるかも知れないからだ。

 

(マーズテリア神を「天使族」と同列にする「神の道」など、この場で出せばどうなるか…せめて「聖女」がいてくれたら、こんな苦労もせずに済むものを…)

 

ウィレンシヌスの暗澹たる思いを余所に、枢機卿たちの討議も一段落をした。全員を見渡し、ウィレンシヌスは頷いた。

 

『では、各々の想う「次期教皇」を魔法紙に認められよ』

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴二百七十八年、オメール山麓に本拠地を構える「ハイシェラ魔族国」は追い詰められていた。これまで支援物資を送ってくれていた各国が一斉に手を引き、単独でターペ=エトフと対峙をすることになったからである。宰相ケルヴァンは軍の規模を半分にまで縮小させ、六千名の精鋭のみを軍とした。幸いなことに、ガンナシア王国時代からの自給自足体制は継続している。それを拡張させ、軍需物資を何とか揃えることが出来た。だが次の戦争が最後であった。ここで勝てなければ、ハイシェラ魔族国は崩壊するだろう。

 

『我が王よ。確かに、兵の調練は終えております。ですが、次の戦争で勝利を掴めなければ、我が国は崩壊を致します。ここは慎重に事を運ばれるべきでは…』

 

玉座に座り、艶めかしい生脚を組んでいる美しき魔王に、ケルヴァンは自らの意見を述べた。だがハイシェラは笑って首を振った。そして感慨深そうに語った。

 

『思えば、最初の戦から三十年か。ケルヴァンよ、汝はよく、我に仕えてくれた。すぐに裏切ると思っておったが、ここまで尽くしてくれたのだ。信じぬわけにはいかぬの。汝の働きに対し、何か褒美を取らせたい。望むものを口にせよ』

 

『滅相も御座いません。私の望みは「強き覇王」にお仕えし、僅かでもその覇道をお支えすることです。我が王にお仕えすることこそ、無上の幸福で御座います』

 

『我との一夜を望んでも良いのじゃぞ?汝は無欲だの。いや、汝の欲がそれならば、とやかくは言うまい。ならば汝には、我が側にて我の覇道を見物することを許す。我の行く先を最後まで見届けよ!』

 

『この上なき褒美に御座います。されど、まずはターペ=エトフを滅ぼさねばなりません。如何致しましょうか?』

 

『正面から堂々と打ち破る。ターペ=エトフを打ち破れば、我が覇道を止めるものは最早おらぬ!ケルヴァンよ、汝はターペ=エトフには勝てぬと考えておるのだろう?だが我から言わせれば、ターペ=エトフはいずれ必ず滅びる。インドリトは高齢じゃ。王がいなくなれば、ターペ=エトフは瓦解する。ただ勝ちを求めるのであれば、崩壊したターペ=エトフに、支配者として入れば良いのじゃ』

 

『では、それまでお待ちになられては…』

 

『凡俗であればそう考えよう。じゃが我は「覇王」じゃ!王としてターペ=エトフを征するのであれば、王の器を見せねばならぬ!滅亡後の「遺跡」を占拠したところで、誰が我を「勝者」と認める?ターペ=エトフを打ち破り、インドリトを屈服させ、それで初めて、勝利と呼べるのじゃ!』

 

ケルヴァンは首肯した。目の前の魔神を止める手段など、もともと無いのだ。ケルヴァンが意見をしたのも、誰かが「一般論」を唱える必要があっただけであった。ハイシェラの言葉を聞いていた衛兵や魔族たちも、目の前の魔王に敬意を抱いたはずである。

 

『では、御心のままに…私は最後まで、お供致します』

 

片膝をついたケルヴァンに倣い、衛兵たちも一斉に膝を屈した。

 

 

 

 

 

「ハイシェラ魔族国動く」

 

この知らせはすぐに、ターペ=エトフに齎された。インドリトが座る「玉座の間」で、宰相シュタイフェや元帥ファーミシルス、その他中堅の将たちが集まる。ディアンとレイナ、そして呼び戻したグラティナとソフィアも参列した。インドリトはその場で、自らが戦場に出ることを宣言した。これには、シュタイフェやファーミシルスなど、皆が反対をした。レイナも必死に止めようとする。だがインドリトは頑として聞かない。ディアンはただ、皆の説得を黙って聞いていた。

 

『ダ、ダンナッ!お願いですからダンナも止めて下さい!次の戦は、先の大戦とは比較になりヤせん!』

 

最早、インドリトを止められるのはディアンだけだと考えたシュタイフェが、必死の形相で詰め寄る。だがディアンは首を振ってインドリトの前に進み出た。片膝をついて尋ねる。

 

『我が王よ…御自らが御出陣をされるのは、やはりハイシェラを「王」としてお認めになられているからでしょうか?』

 

インドリトは頷いた。そして全員に言って聞かせるように語り出した。

 

『皆の心配はよく解ります。私は老いました。恐らく、あと数年で私は戦場に出られなくなります。剣も振るえなくなるでしょう。当然、魔神ハイシェラもそのことを解っています。黙っていれば、私はやがて死に、ターペ=エトフは滅びる…ですが彼女は、それを解った上で、自ら先陣をきって戦いを挑んでくるのです。彼女は最早、一柱の魔神ではありません。ハイシェラ魔族国という国の「王」なのです。王が、王として戦いを挑んでくるのです。それを受けぬのは、非礼というものです』

 

『ですがインドリト様…』

 

『シュタイフェッ!』

 

ディアンが鋭い声で、シュタイフェを止めた。床についた拳を握りながら、静かに言う。

 

『我らが王が、王たるが故に、戦場に出ると言っておられるのだ。ならば臣下である我々は、それに従うのみだ。これ以上は、インドリト王にお時間を取らせるな』

 

シュタイフェは瞑目し、膝をついた。全員がそれに倣う。インドリトは頷いて、自室へと下がった。王が方針を示した以上、それを全力で達成するのが臣下の務めである。ファーミシルスは各将校たちに指示を出した。全軍をルプートア山脈に移動させる。シュタイフェはソフィアと話し合いをした。

 

『万一の場合に備えて、プレメルからフノーロへの転移を準備しておきます。既に宝物庫や大図書館からは、大部分を移動し終えていますが、ターペ=エトフの宝は「人材」です。ターペ=エトフの国民は、なんとしても守らなければ…』

 

『移住についての希望は聞き終えていヤす。龍人族と悪魔族は、この地に残るとのことですが、他の種族たちは移住を希望していヤす』

 

『悪魔族はまだ解りますが、龍人族も残るのですか…』

 

『説得をしたのですが、長く住んだこの地を離れたくないと…彼ら自身が決めたことでやスから、アッシとしてもそれ以上は言えませんでした』

 

ソフィアは頷いた。ターペ=エトフからの移住は、時期が重要であった。ターペ=エトフは依然として存在しており、物産を行わなければならない。生産活動に直接関係をしないイルビット族などは先に移住をしたが、他の種族はターペ=エトフ滅亡まで留まる予定である。全員が、インドリトが生きている間は、ターペ=エトフから離れたくないと言っているのだ。インドリト王崩御の後は、速やかに移住を進めなければならない。だが十五万人近くを移住させるとなると、かなりの時間が必要である。シュタイフェはソフィアとディアンだけをつかまえて、一つの案を出した。

 

『ディアンのダンナ…アッシが「悪」を引き受ける時が、来たようでやス』

 

ディアンはただ、頷いた。

 

 

 

 

 

北華鏡平原を東西に挟んで、両軍が対峙する。ハイシェラ魔族国軍五千、ターペ=エトフ軍四千五百と兵力はほぼ拮抗している。第一次ハイシェラ戦争から三十年近く、数度の衝突戦があったが、その都度、ハイシェラ魔族国の軍勢は精強となっていた。もはやターペ=エトフの精兵と互角と言える程である。ルプートア山脈山頂で、インドリトは朋友ダカーハと平原を見下ろしていた。

 

『…この三百年、ダカーハ殿には本当にお世話になりました。「ターペ=エトフ」という名の半分は、貴方のものです』

 

『我が友インドリトよ。戦の前にそのような「過去形」を使うな。それに、礼を言うのは我の方だ。お主と出会って、我は救われたのだ。振り返って見てみるがいい。ターペ=エトフを…』

 

両名が振り返る。美しい森と山々が連なる、豊かな大地である。光も闇も無く、全ての種族が豊かに、幸福に暮らしている。光闇相克のディル=リフィーナで、ここだけが別世界であった。

 

『お主が作り上げた理想郷だ。悠久の時を生きる我も、決して忘れ得ぬ「夢の国」だ。この戦いは、この夢の国を守るための戦いだ。兵士一人ひとりが、それを自覚している』

 

涼しい風の中で、インドリトは笑みを浮かべた。理想は実現したのだ。確かにここに、理想が存在している。もはや何も思い残すことはなかった。ダカーハが深呼吸した。

 

『うむ…今日は一段と空が蒼いな。空気が良く澄んでいる。さぞかし、雷槌も効くであろう』

 

王の側を守る兵士たちは、肩を震わせ、ひたすら瞼の熱さに耐えていた。インドリトがダカーハの背に乗った。

 

『始めようか、我が友よ…』

 

ダカーハが翼を開いた。両陣から同時に、法螺貝の音が響いた。

 

 

 

 

 

獣人族の戦士ガルーオは、第一次ハイシェラ戦争を生き延びたことでその働きを認められ、中隊長へと昇進していた。自分が鍛え上げた五十名の戦士たちと共に、敵の亜人族部隊へと突撃する。両手に持った長剣を奮い、敵を吹き飛ばす。

 

『敵に囲まれるな!互いに背を守りながら、眼の前の敵を確実に屠るのだ!』

 

獣人の咆哮が戦場に響いた。一方、戦いは空でも起きていた。有翼の悪魔族同士が、激しい魔術戦を展開する。ハイシェラが直々に登用してきた悪魔たちは、隊列を組みながら暗黒魔術を繰り出す。ターペ=エトフ側も、飛天魔族を中心とした上級悪魔族たちが応戦する。地上でも空中でも、一進一退の激しい攻防が続いていた。ハイシェラは自陣でそれを眺め、頷いた。

 

«そろそろだの。我らの目的は黄昏の魔神に非ず、敵王インドリトである!まずはインドリトを戦場に引きずり出す!魔人バラパムよ、上級悪魔族とグレーターデーモンを率いて戦場を撹乱せよ!まずは敵戦力の分断を図る!»

 

『ボフボフッ!オマカセヲォォォッ!』

 

男根のような先端をした触手を振りながら、バラパムが戦場に躍り出た。上空から戦場を眺めていたディアンが舌打ちをした。ハイシェラが出てこない以上、自分がここを動く訳にはいかない。

 

『レイナ、ティナ!お前たち二人で、あの魔人部隊を潰せ。だが深追いはするな。ハイシェラの出方が気になる』

 

『了解ッ!』

 

金銀の使徒が、戦場に舞い降りた。魔人バラパムが率いる部隊とぶつかる。個の力であれば使徒のほうが遥かに上であろうが、バラパムの狙いは「引きつけること」にあった。守備に徹しながらも、嫌がらせのような攻撃を仕掛ける。その様子を見て、ハイシェラは次の作戦へと移った。

 

«魔神トリグラフッ!作戦通り、魔の気配を調整しながら飛天魔族に襲いかかれ。おそらく、敵の魔神が出て来るであろう。出来るだけ遠くまで戦場から引き離すのじゃ!»

 

ハイシェラと同じ格好をした魔神が出現した。元々、はぐれ魔神である。この三十年間でハイシェラが手に入れた手駒であった。

 

«汝の力では、黄昏の魔神には勝てぬ。ある程度まで引きつけたら、一目散に逃げるのじゃ。それで汝への「強制(ギアス)」は終わりだの!»

 

魔神トリグラフは頷き、宙に浮き上がった。

 

 

 

 

 

いきなり出現した魔神の気配に、ディアンは眼を細めた。来ている服や赤い髪はハイシェラを思わせる。だが何かが可怪しかった。

 

(ハイシェラだと?気配を抑えているのか?だが何のためだ?)

 

ディアンは疑問を感じながらも、動かざるを得なかった。相手が魔神であることは間違いない。となれば、飛天魔族たちには荷が重すぎる相手である。偽ハイシェラが飛天魔部隊に襲いかかろうとした時に、ディアンの純粋魔術が爆発した。偽ハイシェラは顔を隠しして、そのまま地上にに逃げようとする。ディアンは後を追った。地上に魔神が降りれば、形勢が大きく傾くためである。凄まじい速度で自分を追ってくる黄昏の魔神を見て、偽ハイシェラこと魔神トリグラフは、ケレース地方東方へと方向を変えた。

 

«逃さんっ!»

 

純粋魔術レイ=ルーンを放つ。トリグラフは辛うじて躱した。ケレース地方東方の山々に巨大な爆発が起きた。ディアンは舌打ちして後を追った。後方でその様子を見ていたファーミシルスも、眉を顰めた。黄昏の魔神は、その存在自体が戦場に大きな重みを持たせる。それが離れたとなっては、自分が前に出るしか無い。ダカーハと共に中に待機をしているインドリトに近づいた時、急激な変化が起きた。目の前の空間が歪み始めたのである。

 

『転移だと?こんな至近距離でか!』

 

神気と魔気を合わせたような、凄まじい気配を放つ美しき魔神が、インドリトたちの前に出現した。驚くファーミシルスや他の悪魔族たちを余所に、インドリトは落ち着いた表情で剣を抜いた。

 

 

 

 

 

魔神トリグラフはあらゆるところに出現する「はぐれ魔神」である。力も魔力も中級魔神程度だが、速度だけは速い。ディアンには相手がハイシェラでは無いという確信があった。そのため深追いはしていない。だが追撃をやめると相手は純粋魔術を戦場に放ってきた。味方もろとも吹き飛ばす威力である。同じ純粋魔術で相殺ををしたが、敵も味方も関係のないその姿勢に苛立ちを感じていた。魔の気配が膨れ上がる。

 

«お前…ハイシェラでは無いな?何者だ?»

 

魔神をして髪が逆立つほどの凄まじい気配に、トリグラフは一目散に逃走した。ディアンはそれを追うこと無く見逃した。背後に出現した気配を感じたからだ。

 

«小賢しい真似をっ!»

 

ディアンは全速でインドリトの元に向かった。

 

 

 

 

 

«老いたの、インドリト王よ…»

 

『魔神ハイシェラよ。我が師を引き離すために目眩ましを使うとはな』

 

«これは戦よ。戦力分断は策のうち…卑怯とは思わぬの。さて、ではゆくぞっ!»

 

ハイシェラは猛然とインドリトに斬りかかった。止めようと間に入ったファーミシルスが吹き飛ばされる。インドリトは剣を振って応戦した。互いの剣が火花を散らす。だがインドリトに、かつての力は既に残っていなかった。剣が流れ、インドリトの体制が崩れる。決定的な隙を見逃すハイシェラではなかった。

 

«…汝とは、もっと早く出会いたかったわ。さらばだ、偉大なる王よっ!»

 

だが振り下ろそうとした剣に、凄まじい雷槌が落ちた。ハイシェラをして思わず呻かせる程の威力であった。ダカーハが翼を動かし、その場を離れようとする。煙を昇らせながら、ハイシェラは歯ぎしりをした。背後から黄昏の魔神が迫っている。あと一振りが限界だろう。一瞬でダカーハを飛び越し、インドリトを狙う。

 

«覚悟っ!»

 

剣が肉を切り裂いた。だがそれは、インドリトの躰ではない。ダカーハは寸前で首を持ち上げ、自らインドリトの盾となった。ハイシェラの剣は、ダカーハの首を深く斬り込んでいた。

 

『ダカーハッ!』

 

インドリトは叫びながら、ダカーハと共に地上へと落ちた。ズンッという地鳴りと共に、戦場に黒雷竜が落ちる。インドリトは落下ギリギリで、ディアンによって抱えられていた。だがインドリトはディアンの腕を解くと、ダカーハに駆け寄った。剣は首の半ばまでを斬り、骨に達していた。そこに、ハイシェラが再び襲いかかろうとする。だが一瞬でその姿が消えた。黒い気配を立ち上らせたディアンが拳を握っている。ハイシェラを殴り飛ばしたのだ。

 

『先生っ!早く、回復魔法を…』

 

だが、ダカーハの傷を見てディアンが首を振った。回復魔法は生命力を活性化させ、自己再生力を高めるものだ。だがダカーハには、もはや生命力そのものが残っていなかった。回復可能な傷ではなかったのである。ダカーハは薄っすらと眼を開けた。

 

『泣くな、我が友よ…我は今、幸福の中にいるのだ…』

 

『ダカーハッ!しっかりするのだっ!』

 

インドリトは涙を流しながら呼び掛けた。殴り飛ばされたハイシェラは既に立ち上がっていたが、その場から動こうとはしなかった。いや、戦場そのものが止まっていた。ダカーハの呟きだけが聞こえていた。

 

『夢のような…素晴らしい日々だった…その夢と共に、我は死ぬのだ。何を悲しむことがあるか…』

 

『私を置いていくのか!私を置いて、先に逝くのか!許さんっ!許さないぞっ!』

 

だがダカーハの瞳から、光が消えようとしていた。最後に言葉を遺す。

 

『生まれ…変わったら…また…』

 

インドリトの叫び声が戦場に響いた。ディアンは瞑目し、呟いた。

 

«また会おう。神竜よ…»

 

ターペ=エトフ建国より、インドリトの友として生きてきた「黒雷竜ダカーハ」は、永遠の眠りについた。東方諸国にて呪われ、邪竜となる前に死を望んでいた黒き竜は、ターペ=エトフの全ての民たちが慕う「神竜」として名を残した。ターペ=エトフ歴二百七十八年「双葉の月(四月)」のことである。空は一片の雲もなく、晴れ渡っていた。

 

 

 

 

 

«別れは済んだか?ならば続きをするかの…»

 

魔神ハイシェラが歩いて近づいてくる。剣を握ろうとしたインドリトをディアンが止めた。ファーミシルスは兵たちに指示を出し、インドリトとダカーハの遺体を後方に下がらせる。レイナとグラティナがインドリトを左右から守る。睨み合う両軍の中間で、ディアンはハイシェラと向き合った。

 

«ハイシェラ…インドリト王は、もはや戦場には出ないぞ。ターペ=エトフを滅ぼしたいのであれば、オレに勝つしか無い»

 

«先ほどが千載一遇の好機であったのだがの。まぁ仕方がないの。汝を下すのは当初からの既定じゃ。ここで始めるとするかの?»

 

«その前に、兵たちを下がらせろ。ターペ=エトフも退く。もうこれ以上、無関係の者を巻き込むな。最初から、こうやって一対一で闘えば良かったのだ»

 

ハイシェラは頷き、手を上げて振った。ディアンも同様の仕草をする。ドラや笛が鳴り、双方の軍勢が一斉に退く。やがて戦場は無人となり、無数の屍だけが転がっていた。ディアンは平原を眺め、舌打ちをした。

 

«多くの血が流れた。長くを共に生きた、大事な友を失った。もう沢山だ!魔神ハイシェラ…ここでお前を殺すっ!»

 

ディアンは前かがみになり、背に刺した剣の柄を握った。

 

«そうだの、我ももう飽いたわ。汝を下し、この闘いに終止符を打つとするかの…»

 

ハイシェラも抜剣の構えを取る。両軍とも、遙か後方まで下がっている。もはや二柱の魔神の間には、何者も存在していない。両者の気配で空気が歪み、そして弾けた。凄まじい力同士が衝突し、眩い光が放たれた…

 

 

 

 




【次話予告】

ハイシェラ戦争は、ついに魔神同士の一騎討ちという「本来の形」に戻った。古神の肉体を得た魔神と、人間の魂を持つ魔神という「超常の存在」同士が力をぶつけ合う。天を割り、地を引き裂く程の破壊がケレース地方に吹き荒れる。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第九十四話「第二次ハイシェラ戦争 後編 魔神間戦争」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。

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