戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフへの途~   作:Hermes_0724

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第九十四話:第二次ハイシェラ戦争(後編)-魔神間戦争-

ケレース地方およびターペ=エトフについて研究をする歴史家たちにとって、必読の書籍がある。エディカーヌ建国歴五百十七年に出版された著者不明の叙事詩「The Lord of "Thapae=Etoffe(ターペ=エトフへの途)」である。当初は「物語」と考えられていたが、レウィニア神権国やメルキア帝国、レスペレント地方各国の史料から、この叙事詩が極めて事実に近いということが証明されている。無論、この叙事詩にも描かれていない点がある。その代表がターペ=エトフの「財宝」についてである。賢王インドリト・ターペ=エトフは、自身の寿命を悟り、ターペ=エトフが蓄えた膨大な富を処分することを決定する。ターペ=エトフ国民に当面の生活費として金銀宝石を配り、残った財の全てを何処かへと運び出したと描かれている。それは単に、目に見える財宝だけではない。ラウルバーシュ大陸七不思議にも挙げられている「プレメルの大図書館」に収められていた先史文明の遺物、三百年間に渡って集積された貴重な知識、「小型魔焔」に代表される「失われた魔導技術」など計り知れない価値が、ターペ=エトフ滅亡と同時に忽然と消えたのである。叙事詩の中にはこのように描かれている。

 

 

…夜半、月明かりの中で百両以上の荷車が出発をする。皮布で覆われているが、その隙間から金色の棒が見えた。それに気づいたヴァリ=エルフの護衛が覆いを引張って隠す。他の車両も同様なのか。一両につき一人の護衛が必ず横に付いている。役人が書類を確認し、頷いた。輸送隊の隊長が手を上げる。馭者が手綱を振った。車輪を軋ませながら、荷車が進む。護衛の一人が呟いた。

 

『…暑くなりそうだな』

 

革布で覆われていない荷車もあった。鶴嘴や円匙などの「穴掘り道具」が積まれている。そんな道具を使って、一体何をするというのだろうか?…

 

 

「The Lord of "Thapae=Etoffe」の中には、ターペ=エトフの財宝についてこの部分しか描かれていない。ドワーフ族の魔導技術職人、香辛料や調味料などを作っていた職人などの技術者については、以下の部分で描かれている。

 

…理想郷を支えし民たちについて語ろう。魔の女神が占拠した輝きし都市プレメル。そこに住むことを潔しとしなかった高潔なる民たち!偉大なる王との約定を魔の女神は守った。民たちは新たな理想郷を目指して「旅立ちの門」へと入ったのだ。眩い光を放ち、暖かな風を送ってくる扉の向こう側に、民たちは希望を持って歩を進めていく。一人、また一人と光りに包まれ消えていく。そして全ての民が消えた後、それを見ていた魔の女神は、その美しき貌に笑みを浮かべた。女神は静かに呟いた。「これで全てが終わったの。我にとっても忘れ得ぬ年月であったわ。生まれ変わりし日が来れば、再び会おうぞ。偉大なる王よ…」一度頷き、女神は玉座の間へと戻った…

 

 

遥か後世においても、「ターペ=エトフの埋蔵金伝説」は冒険者たちの胸を熱くさせている。ターペ=エトフの財宝を埋蔵した場所については複数の候補が挙げられている。ターペ=エトフと深い交流があった「レスペレント地方モルテニア」、滅亡と同時期に誕生した新国家「エディカーヌ帝国領内」の二つが有力であるが、それ以外にも「ディジェネール地方」「ブレニア内海海底」など幾つもの説が挙げられている。モルテニアについては、魔神グラザを討伐したガーランド・ウォーレンが、財宝が無かったことを証言している。一方、エディカーヌ帝国は国内への冒険者の立ち入りを制限していることも有り、確認が出来ていない。

 

 

 

 

 

長くを共にした友の遺体と共に、インドリトは後方へと下がった。黒雷竜ダカーハの遺体は、巨大な板に載せられ、ターペ=エトフへと運ばれる。だが自分はこれ以上は下がれない。レイナとグラティナに挟まれ、インドリトやルプートア山脈の中腹から、平原に吹き荒れる「破壊の嵐」を見つめた。

 

«ズァァァァッ!»

 

雄叫びを挙げながら、ディアンは名剣クラウ・ソラスを奮った。ハイシェラが剣でそれを受け止める。両者の剣は、既に音の速度を超えている。蓄積された振動が波となって周囲を破壊する。躱した剣撃は大地を切り裂き、遠方の森を薙いだ。ハイシェラは嗤っていた。この数年の迷いが消えていくようであった。

 

«クハハハッ!楽しいの!これだ!やはり我を満たせるのは汝だけだのっ!»

 

ハイシェラの一撃を受け止める。数歩吹き飛ばされたディアンが、構えたままハイシェラを観察した。以前の一騎打ちと比べて、ハイシェラに変化を感じていた。

 

«…本当にそう思うか?»

 

«汝の言葉など、聞く耳持たんわっ!»

 

振り下ろされる剣を辛うじて躱す。横薙ぎも躱し、再び距離を取る。

 

«ならば聞こう。ハイシェラ、なぜ手加減をしてる?先程から剣しか使っていないではないか。以前のように、魔術を駆使しないのは何故だ?»

 

«フンッ、何を言っておる?汝こそ、先程から魔術を一切使わぬではないか»

 

ディアンはハイシェラの後方に眼をやった。もはや見えないほどに退いているが、ハイシェラ魔族国の兵士たちがいるはずである。

 

«ハイシェラ、この三十年で何を見た。何を感じた?今のお前は、魔神として闘っているのか?それとも王として戦っているのか?»

 

«同じことだのっ!»

 

剣で受け止める。互いの剣が鍔迫り合いをする中で、ディアンはハイシェラと顔を突き合わせ、その眼を見た。

 

«お前の中の変化を感じるぞ。お前は破壊以外の喜びを知ったのではないか?誰かを想う。誰かを助ける…その生き方を知ったのではないか?»

 

«うるさいっ!»

 

ハイシェラの蹴りがディアンの腹部にめり込んだ。そのまま数十歩以上を吹き飛ばされる。土煙の中で黒き魔神が起き上がる。口端から血が流れているが、そこには笑みが浮かんでいた。

 

«やはりな…以前のお前であれば、ここで極大魔術を放っていたはずだ。だが打たない…いや、打てないのだな?万一にもオレが躱したら、後ろにいるお前の軍に、家臣たちに被害が出るからだ!»

 

«黙らぬかぁっ!»

 

猛然と斬りかかったハイシェラの剣をクラウ・ソラスで受け止める。激しい鍔迫り合いの中で、再び互いに顔を突き合わせる。

 

«もはやお前は、魔神では無い。いや、魔神を超えたのだ。「個」という小さな世界に生きるのではなく、他者と交わることで世界を広げた…»

 

美しき魔王は、ディアンを押し返し、数十もの激しい斬撃を繰り出した。だが気配が乱れている。ディアンは簡単にそれらの斬撃を弾き返した。ハイシェラが肩で息をする。息が切れたのではない。ディアンの言葉に、己の何かが掻き乱されていた。ハイシェラはそれを振り切るかのように、魔の気配を強めた。

 

«先程からペラペラと囀りおって!そんなに魔術を使って欲しいのなら、使ってくれるわ!»

 

至近距離から純粋魔術「アウエラの裁き」をいきなり繰り出す。ディアンもとっさに、純粋魔術で相殺した。両者を巻き込む大爆発が北華鏡平原で起きる。ルプートア山脈中腹にいるターペ=エトフ軍も、その爆風で脚に力を入れる必要があった程だ。再び爆発が起きる、今度は遥か上空であった。それが契機であった、ケレース地方の東西で、凄まじい爆発が立て続けに発生し始めた。

 

『インドリト、ここは危険だわ!ターペ=エトフに戻って!』

 

『そうはいきません。この戦いは、三十年続いた戦争の最終幕です。ダカーハの為にも、私はこの戦いを最後まで見届ける責任があります!』

 

ハイシェラが放った「エル・アウエラ」がルプートア山脈目掛けて飛んでくる。レイナとグラティナは、インドリトを護るように立った。自分たちの魔力では止めきれないだろう。巻き込まれれば死ぬかもしれない。覚悟を固めた二人の前に、巨大な破壊が迫る。だがエル・アウエラは途中で爆発した。上空に強い神気が出現する。

 

«お退きにならないと仰るのであれば、ここで食い止めましょう。皆さん、私の後ろに…»

 

白く美しい六翼を持った天使が、二人の使徒の前に下りてきた。両手を翳すと、金色の輪が回転をしながら出現する。

 

«魔術障壁結界を張ります。ですが、私の力でもあのニ柱の魔力を食い止め切れません。使徒のお二人には、お力を貸していただきたいのですが?»

 

金銀の使徒が互いに顔を見合わせて、頷く。再び爆発が起きる。熾天使が張った最上位の結界が軋む。一柱の天使と二人の使徒は、持てる魔力を総動員して結界を維持した。

 

 

 

 

 

ケレース地方東方、チルス山脈北辺にも被害が出ていたい。山頂の峰々が吹き飛び、山を断つほどの斬撃が襲ってくる。チルス山脈麓に棲む獣人族たちは、悲鳴を挙げながら森の避難所に逃げた。

 

グルルルッ…

 

唸り声を上げる三つ頭の魔獣がいた。それに跨る幼女が、宥めるように頭を撫でる。

 

«ん…外が騒がしい…ハイシェラともう一人…どっちも、凄い魔力…»

 

地鳴りと振動で、パラパラと小石が落ちてくる。チルス山脈に存在する「冥き途」を護る魔神ナベリウスは、無表情のまま呟いた。魔獣の唸り声を聴いて首を振る。

 

«行かない…騒がしいし…なんだか、変なのもいるから…»

 

ナベリウスはそう言って、死者たちが通る門を見た。転生へと流れるはずの魂たちが、なぜか留まったままであった。門の奥に「強い執着」を持つ者がいたためである。だがナベリウスには、積極的にそれを解決しようという気は無かった。それは自分の役割では無いからである。

 

 

 

 

 

貫通性のある純粋魔術「レイ=ルーン」が数十発の束になって襲ってくる。華鏡の畔に棲む魔神アムドシアスは、配下たちに指示を出していた。

 

«彫像を守れ!この地響きで倒れるやも知れぬ!悪魔族たちは結界維持に注力せよ!»

 

立て続けに結界で爆発が起きる。ターペ=エトフから魔導技術を応用した強化結界を取り入れているが、どこまで持ち堪えられるかは解らない。アムドシアスは舌打ちをした。

 

«おのれ、黄昏の魔神めっ!もし庭園に被害が出ようものなら、あ奴に請求書を送ってくれるぞ!»

 

美を愛する魔神は、配下や自分よりも、庭園や城内の美術品が心配であった。兵士たちも動員し、壁にかけられた絵画が落ちないように支えさせたり、彫像には藁を巻かせたりしている。それでありながら、ケレース地方全土を巻き込んだ「魔神間の戦争」に、高揚しているのであった。楽隊に古の音楽を奏でさせる。名曲「北欧神の指輪」とともに、再び地響きが起こった。

 

 

 

 

 

ケレース地方南部の大森林地帯「トライスメイル」の長である白銀公は瞑目して意識を集中させていた。メイル全体をエルフ族の結界で護っているが、二柱の魔神が放つ破壊は普通では無かった。結界を維持するルーン=エルフたちにも、額に汗が滲んでいる。

 

«クゥッ!»

 

名剣クラウ・ソラスの一撃をハイシェラは辛うじて躱した。凄まじい剣撃がオウスト内海を真っ二つに断ち割る。ディアンも、ハイシェラの雷槌を結界で防ぐ。ケレース地方中央域の森林に落ち、火災が発生する。純粋魔術の爆発で大地が沸騰する。ルプートア山脈を超え、ターペ=エトフにも被害が出始める。無論、それはハイシェラ魔族国でも同じであった。互いに剣と魔術を駆使しながら、あらゆる破壊をケレース地方に起こす。

 

«クハハハッ!どうじゃ!汝の小賢しい囁きなど、我には通じぬわっ!»

 

«そうかな?オレには開き直りに見えるぞ?»

 

«まだ言うかぁっ!»

 

迫るメルカーナの豪炎を躱すこと無く、ディアンはその身に受けた。だが躰の周囲で炎が別れる。

 

«先程から小賢しい結界を使いおって!秘印術を封じる結界だの?»

 

«「魔力無効化空間」…大魔術師ブレアード・カッサレが生み出した究極の結界だ。六大魔素への魔術的操作を完全に無効化する。魔力でオレを上回らない限り、この結界は破れん!»

 

実際には、この結界を張った場合は、術者自身も秘印術が使えなくなる。魔素を操作するのではなく、魔力そのものを打ち出す純粋魔術以外、ディアンは使用出来ない状態であった。だがこの場でそんなことを言う必要はない。ハイシェラが美しい貌に怒気を浮かべる。

 

«…つまり、我の魔力は汝に及ばぬと言いたいのか?»

 

«結界に無効化されているのが、その証明だ。どうやら格付がついたな。ハイシェラ…お前はオレには届かん!»

 

«黙れっ!»

 

美しき魔神が斬りかかってくる。互いの剣が火花を上げる。ディアンはハイシェラと顔を突き合わせ、言葉を吐き続ける。

 

«ハイシェラ、お前は何の為に戦っている?破壊衝動はもう満たされているだろう。それでもお前は戦い続ける。何故か?それは、この戦いに別のものを求めているからだな?»

 

ハイシェラは応えず、剣を奮う。だが感情的になっているためか、大振りであった。決定的な隙を逃すディアンではない。巻き上げるように剣を絡め、突き上げる。ハイシェラの手から剣が離れた。喉元に剣を突きつける。

 

«剣を交えて解った。お前は「孤独」を知ったのだな?それはお前が、これまで考えたことも、感じたことも無い感覚だろう。寂しいのだな?寂しいから、闘うことで繋がりを求めた。違うか?»

 

ハイシェラが肩を震わせる。やがて叫び声を上げた。その声は、ケレース地方全体に響くほどに大きく、美しく、そして哀しかった。ディアンは剣を背に収めた。気配も人間に変わる。

 

『魔神という存在でありながら、お前は「孤独」を知ってしまった。他者との繋がりから生まれる「喜び」を、誰からも相手にされない「辛さ」を知ったのだ。もうお前は、魔神としての生き方は出来ん!』

 

ディアンが手を差し伸べた。

 

『一緒に来い。お前の居場所はオレが創ってやる。南方に新しい国家が生まれる。神族すらも組み入れた新しい国「エディカーヌ王国」…そこでなら、お前も孤独を感じること無く、生きられるはずだ』

 

ハイシェラは黙って、ディアンを見つめた。

 

 

 

 

 

ハイシェラ魔族国宰相ケルヴァン・ソリードは、遠方から水晶球を通じて、二柱の戦いを見守っていた。主人の剣が飛ばされた瞬間、ケルヴァンは瞑目した。敗北が確定したからだ。主人の雄叫びが遠くから響く。ケルヴァンは覚悟した。自分の主人であれば、命を賭して最後まで戦うだろう。覇王を支え、共に覇業を歩むのがケルヴァンの望みであった。主人が戦うのであれば、自分も最後まで戦う。たとえ命を落とそうとも、最後まで主人の覇業を支える。その覚悟を固めた時、水晶球が予想もしない光景を映した。勝者であるはずの「黒髪の魔神」が、主人に手を差し伸べているのだ。そして主人は、差し出された手を振り払おうともせずに、相手を黙って見つめていた。

 

『な、何をしているのだ?何をしているのです!そんな手など、斬り落としなされ!今こそ好機ではありませんか!』

 

主人の表情を見た時、ケルヴァンは唇を噛み切った。口端から血を滴らせながら、顔を赤くして震える。その背中は、激しい怒気に包まれていた。

 

 

 

 

 

ハイシェラから闘気が消えていった。腰の細鞘に剣を収める。深く息を吸い、長く吐いた。やがて笑い始める。

 

«クッ…クハハハハッ!「一緒に来い」だと?汝は我を口説いておるのか?闘いの最中に、何を考えておる?»

 

『お前は、このままでは理性を失い、ただの破壊神になるぞ?堕ちたお前など見たくない。「強く、気高く、美しく」がお前ではないか?』

 

ディアンが肩を竦めて、そう茶化した。ハイシェラは笑いながら地上を指差した。半ば砂漠と化した北華鏡平原に降りる。地上に降りたハイシェラは、腰に手を当てて溜息をついた。

 

«我の負け…かの。人間の魂を持つ魔神とは、厄介なものだの。まさか言葉で我を負かそうとはの…»

 

『オレは人間だ。だから相手の気持ちや感情を想像する。お前の瞳には、以前には無い光があった。お前はもう、ただの魔神では無い。ヒトの感情を持った魔神になったのだ。それは決して、悪いことではないとオレは思うぞ』

 

«フンッ…それで、我をどうするつもりじゃ?汝のオンナにでもするつもりか?»

 

ディアンは首を振った。

 

『以前の青髪の頃であったお前なら、喜んでそうしたかもな。だが今のお前は、他人の肉体を借りている存在だ。その肉体に手は出せん。元に戻ることは出来ないのか?』

 

«無理だの。持ち主(セリカ)が目覚めれば別であろうが、我の力でもどうにも出来ん»

 

『そうか…』

 

ディアンは少し考えた。懐から水晶片を取り出し、ハイシェラに放る。

 

『まずは軍を退け。そして負傷者を癒やし、徴発した亜人族なども故郷に戻せ。お前の国にも、民がいるだろう。それを大事にしろ。ターペ=エトフはいずれ滅亡する。だがそこには、十五万の民が生きている。新国家に民衆を移す間、誰かがターペ=エトフを護らなければならん。お前が護れ。この戦争を始めた責任を取れ』

 

«…それで、この水晶はなんじゃ?»

 

『その水晶の色が変化をした時、プレメルの王城に来い。お前にターペ=エトフを引き継ぐ。言っておくが、簡単なことではないぞ。ターペ=エトフが滅んだとなれば、光側の神殿や国々が黙っていないだろう。下手をしたら、マーズテリアあたりと闘うことになるかもしれん』

 

«それで、その後は?»

 

『お前の好きにするがいい。魔王となってケレース地方を席巻するも良し。二代目のターペ=エトフ国王として生きるも良し。あるいは全てを放り投げて、オレのところに来るも良し…』

 

«汝は…我と共に来ないのか?»

 

『オレには、オレの途がある。目標がある。その範囲で、手伝い程度はしてやる。オレは、お前のことが嫌いではないんだ。それに、なんだかんだ言って長い付き合いだからな』

 

ハイシェラは水晶を握った。その水晶が、自分と黄昏の魔神との「絆」であった。微かに胸が傷んだ。眠っているはずの存在が、反応をしているのだろうか。ハイシェラは振り返ること無く、言葉を残した。

 

«…インドリト王に伝えよ。黒き竜の雷槌は、我をして二度と喰らいたくないものであった。闘いの末の結果とは言え、惜しい存在を失った…とな»

 

ハイシェラはただ独り、東にある自分の国を目指して飛び立った。

 

 

 

 

 

第二次ハイシェラ戦争は、ケレース地方全土にその傷跡を残した。ターペ=エトフ本土においても山は崩れ、森林が燃えた。だがそれ以上に、三百年にわたって国王インドリトの朋友として民衆から慕われた「神竜」を失ったことに、国民全体が深い悲しみに包まれた。第二次ハイシェラ戦争終結から一週間後、神竜ダカーハの国葬が行われた。葬儀後、ダカーハの遺体はディジェネール地方南方「フェマ山脈」へと送られた。遺体を引き取りに来た四体の黒雷竜に、インドリトが詫びを入れる。

 

『ダカーハ殿は、私にとって掛け替えのない友でした。皆が止めたにも関わらず、私は出陣をしました。そして魔神と闘い、負けたのです。本来であれば死んでいたのは私なのです。ダカーハ殿は、私を庇って亡くなられました…』

 

『インドリト王よ、一つだけ尋ねたい。ダカーハは死の間際、笑っていたか?』

 

ダカーハと同郷の黒雷龍ガプタールの問いに、インドリトが頷く。ガプタールは瞑目して、息を吐いた。

 

『そうか…であれば良し。ダカーハは一片の悔いも無く、最後まで生き切った。インドリト王よ。我らは感謝こそすれ、貴殿を責めるつもりなど無い。ダカーハは呪いから開放された。竜族の儀式に則って、転生へと進むことができる。いずれ再び、竜族として生まれ変わるはずだ。ダカーハは死んだが、その魂は永遠の転生へと繋がったのだ。あまり己を責められるな…』

 

『ですが…』

 

『貴殿にはまだ、やるべきことがあるはずだ。ダカーハを想うのであれば、貴殿の役割を最後まで全うされよ。ダカーハもそれをこそ、望んでいるだろう』

 

インドリトは頷き、決意を新たにした。残り僅かな生の中で、出来るだけのことをやる。自分の理想を遺すために…

 

 

 

 

 

«ケルヴァン!ケルヴァンはどこじゃ!»

 

本拠地に戻ったハイシェラを待っていたのは、無人の城であった。宰相も衛兵もいない。謁見の間で、若い亜人の兵士が待っていた。見覚えはあるが、名までは覚えていない。

 

『ハイシェラ様…我が王よ、ご無事で…』

 

«汝も無事であったか。ところで、ケルヴァンはどこじゃ?外の兵たちは…»

 

『その…ケルヴァン殿は…』

 

宰相ケルヴァン・ソリードは、持てる財宝や物資を全て持ち出して、亜人たちと共に出奔していた。つまり裏切ったのである。ハイシェラ魔族国は事実上、崩壊していた。ハイシェラを慕うごく一握りの兵士が残っただけであった。だがハイシェラにとっては、むしろ兵士が残っていたことが驚きであった。これまで、このように他者から思われたことは無い。ハイシェラは首を振って、自嘲するように笑った後、兵士の肩に手を置いた。

 

«よく残ってくれたの。汝の想いに救われたわ。感謝するだの…»

 

ハイシェラ魔族国は崩壊した。だがガンナシア王国時代から住んでいた民衆たちは残っている。彼らのためにも、生きていくだけの基盤は整えなければならない。これまでケルヴァンが一手に取り仕切っていたことである。魔神の中ではかなり高い知性を持つハイシェラであっても、そうした細かい事務仕事は経験がなかった。「このままでは、民衆たちも離れてしまう…」 残された僅かな家臣たちが途方にくれていたところに、一人の魔人がやって来た。

 

『ウヒヒッ!アッシはターペ=エトフの宰相でやス…超絶美魔神「ハイシェラ様」に、ぜひお目通りを願いたく…』

 

青い肌をした魔人がハイシェラ魔族国を訪れたのは、ダカーハの国葬から五日後のことであった。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴二百七十八年 ラウルバーシュ大陸西方「ペルセ公国」

 

絹のような黒髪を靡かせる美少女に、年頃の少年たち全員が憧れていた。ペルセ公国のマーズテリア神殿神官長の娘「クリア・スーン」は、その美しさから既に国中に知られていた。ただ美しいだけではなく、十三歳の若さで神聖魔術を操り、様々な書籍を読む聡明さ、大人顔負けの判断力を持っている。父親であるロベールは、娘を大切に想いながらも、心配でもあった。あまりに早熟であったためである。十三歳にも関わらず、その貌は成熟した女性のようにも見えた。あまりに秀ですぎた存在は、周囲を不安にさせる。実際、クリア・スーンに同年代の「友人」は一人もいない。嫉妬や敵愾心を向ける者、ただ憧れるだけの者は大勢いる。だが対等の立場で話をする同世代は一人もいない。クリアはずっと「孤独」であった。

 

『神官長様、総本山より使者がお見えです。ウィレンシヌス教皇からの使いとのことです』

 

ロベールは身なりを正して、使者が待つ聖堂へと向かった。教皇からの「勅使」となれば、応接間などには通せない。聖堂の中央に、教皇庁からの使者が待っていた。

 

『お待たせをしました。ペルセ公国神殿神官長のロベール・スーンでございます。このような小さな神殿に、猊下からのご使者がいらっしゃるとは、誠に恐縮でございます』

 

『ロベール殿、恐縮をするのは我々の方なのです。三年前に、前教皇が崩御され、ウィレンシヌス猊下が新教皇となられました。そのことは、もちろんご承知でしょう』

 

『無論でございます』

 

『猊下は、幾つかの試練を超えられ、マーズテリア神より神核を授かり、正式にマーズテリア神殿教皇となられました。その際、猊下はマーズテリア神より「神託」をお受けになられました。この地より西にある、美しくも小さな国に、聖女が誕生している。

満十三歳となった時に、総本山にこれを迎え入れよ…と』

 

『そ、それは…まさか…』

 

『聖女は、マーズテリア神の強い加護を受けて生まれます。しかしこの二百年間以上、マーズテリア神殿に聖女は存在しませんでした。その理由は最高秘密であるため私も存じません。ですが、新たな聖女は物心がつくまで、普通の人間として成長することをマーズテリア神は望まれたようなのです』

 

『私の娘が…クリアが、マーズテリア神の聖女だと仰るのですか!そんな…確かにあの子は魔力が強く、他の子供たちよりもずっと大人びていますが…』

 

ロベールは否定しようと必死に言い訳を考えた。父親として、一人娘は目に入れても痛くないほどに可愛い存在である。マーズテリア神殿の聖女になるということは、その娘と永遠に別れることを意味する。マーズテリア神殿の神官としては、聖女が誕生したことは喜ばしいことだ。だがそれが自分の娘となると、親として困惑せざるを得なかった。

 

『…お父様?』

 

ロベールが振り返る。聖堂の入り口に、黒髪の美しい少女が立っていた。艶やかに長い睫毛と濡れたような瞳をしている。クリアはゆっくりと聖堂に入ってきた。

 

『お父様、どうやらお別れのようです』

 

『クリア、お前は…』

 

『薄々、気づいていました。どうして私は、同い年の彼らとは違うのか…秘印術や神聖魔術など、習いもしないのに使えてしまうのか…先程のお話が、その答えなのでしょう』

 

クリアは、父親に優しく微笑んだ後、使者に顔を向けた。

 

『出迎え、ご苦労でした。私は総本山に行きます。ですが、出発は明日にして頂けませんか?お別れの時間を頂きたいと思います』

 

『畏まりました。明日の日の出と共に…それで宜しいでしょうか?』

 

感に堪えないと言った表情で、使者は膝をついて頭を垂れた。その夜、父親と母親は、眼を腫らして娘を抱きしめた。クリアは両親を宥め、諭した。これは仕方のないことなのだ。自分がこの地で一人の娘として生きていくと、多くの人々が困るのだ。生まれながらに役割を与えられた。それを果たさなければならない。そう説き、そして感謝をした。

 

『お父様、お母様…私を産んで下さって、そしてこれまで育てて下さって、本当に有難うございます』

 

明朝、日の出と共に家の扉を出る。クリアは振り返って、両親に感謝と別れを告げた。朝陽の中に浮かぶ神々しい姿に、母親は両手で顔を覆い、父親は跪いた。

 

『今日を持って、貴女様は私達の娘ではありません。貴女様がこれから進まれる途は、長く険しいものとなるでしょう。末永いご健勝を心よりお祈りします。道中、どうかお気をつけて…聖女「ルナ=クリア」様』

 

聖女の左頬に、一筋だけが流れた。

 

 

 




【次話予告】

ターペ=エトフ歴二百八十年、ついにエディカーヌ王国が建国を宣言する。アヴァタール地方に突如として誕生した「闇夜の眷属の国」は、西方神殿勢力にも衝撃を与えた。誰しもが、エディカーヌ王国を討伐すべしと言う中、クリア・スーンはある疑問を持って教皇庁の最奥にある「秘密文書館」へと入る。自分の前の聖女を知るために。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第九十五話「「ルナ=エマ」の日誌」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。

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