戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフへの途~   作:Hermes_0724

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第九十五話:ルナ=エマの日誌

エディカーヌ王国の登場は、アヴァタール地方以西の国々に大きな衝撃を与えた。「闇夜の眷属の国」という意味では、闇の現神ヴァスタールを国教とする「ベルガラート王国」をはじめとして幾つかの国々が存在しているが、それらはいずれも「闇の現神を信仰する宗教国家」という形式であり、特定の神殿勢力と強い繋がりが存在している。そうした意味では、光の現神アークリオンを国教とする「テルフィオン連邦」や、アークパリスを国教とする「神聖ペルシス帝国」、マーズテリアを国教とする「ベルリア王国」などと変わらない。現神信仰の神殿が存在し、国家はその権威を利用し、神殿は国家の権力を利用する、という持ちつ持たれつつの関係は、光も闇も変わらないのである。しかしエディカーヌ王国が提唱した「神の道」と呼ばれる一連の宗教体系は、ディル=リフィーナ世界の宗教観を一変させるものであった。「現神と古神は、生まれた世界が異なるだけで親は同じ」という思想は、現神神殿勢力にとって受け入れられるはずもなく、エディカーヌ王国に存在した「神宮」も含めて、王国内の神殿は「異端」と見なされていた。

 

エディカーヌ王国を最初に認めたのは、意外なことに光の現神神殿である「マーズテリア神殿」である。エディカーヌ建国歴百二十年頃、マーズテリア神殿聖女ルナ=クリアは、マーズテリア神から神託を受けて「災厄の種」について調査をするため、レウィニア神権国を訪れる。絶対君主「水の巫女」との対談後、ルナ=クリアはベルリア王国経由で総本山に戻るが、その際の通り道が後世においても疑問視をされている。本来であればブレニア内海を横断する「海路」で戻るのが通常であるが、ルナ=クリアは何故か、陸路でベルリア王国に戻っている。このことから一部の歴史家は、ルナ=クリアはエディカーヌ王国を自分の目で見たかったのではないか、という説を唱えている。聖女ルナ=クリアがエディカーヌ王国を訪れたかについては、マーズテリア神殿もエディカーヌ王国も回答をしていないが、バリアレス都市国家連合の首都「レンスト」に十日間の滞在をしていることが確認されている。光と闇の狭間に挟まれたレンストは、良くも悪くも「欲望の街」である。そのレンストに、なぜ十日間も滞在をしていたのかについては、歴史的資料は一切、確認されていない。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴二百七十九年、ターペ=エトフ首都プレメルから百五十両の荷車が出発をした。南方に建設中の王都「スケーマ」を目指す。大図書館の書籍類や財宝類などは大部分を移動させているが、今回の輸送品はそれら以上に重要であった。魔導技術の中核となる魔焔精製炉やその材料である。レウィニア神権国が裏切る可能性も考え、輸送隊にはディアン自身が護衛につく。もし水の巫女が裏切るようなことがあれば、今度こそ王宮もろとも消滅させる覚悟であった。だがそれは杞憂に終わった。レウィニア国王とローグライア公爵の根回しにより、王都プレイアでも他の都市でも、一度も止められること無く進むことが出来た。バリアレス都市国家連合まで一日という場所で野営をする。レイナが安心した表情を浮かべた。

 

『どうやら、無事にレウィニア神権国は抜けられそうね』

 

『そうだな。だが油断はできん。「抜けられそう」と「抜けた」では、全く違う。今夜は夜を徹して護衛するぞ。…そういえば、三百年前も似たようなことを言った覚えがあるな?』

 

『リプリィール山脈超えね。エディカーヌ王国が出来れば、あの峠越えの道も使えるようになるかしら?』

 

『ドルカが惜しんでいた道か…そうだな。正式に国ができれば、竜族と交渉することも出来るだろう。ドワーフ族はレミの街を拠点に、リプリィール山脈に新鉱山を掘る予定だ。あの峠は整備をすれば、東西を繋ぐ重要な交易路になる。オレが交渉に行くか…』

 

ディアンとレイナは暫くの間、昔話に花を咲かせた。三百年前、二人は腐海の地に入る行商隊の護衛役同士として知り合った。数奇な運命によって、二人の思い出の街が新王国の首都となる。

 

『フノーロは「スケーマ」に名前を変えたそうだな。全く…ソフィアらしい「実務的」な名前だ。「SCHEME(枠組み)」とはな…』

 

ディアンは笑って焚き火に木枝を焚べた。その夜は何事もなく、翌日の夕刻に輸送隊はバリアレス都市国家連合「レンスト」へと入った。

 

 

 

 

 

『荷車百五十両…過去最大規模だな。しかし、これまでと違ってお前さん自身が護衛をするとは、余程のモノを運んでいるのか?…あぁ、言うな、聞きたくない。俺は何も聞いてないからな!』

 

セリオは少し薄くなった頭を撫でて、首を振った。セリオ・ルビースの事務所で、葡萄酒を酌み交わす。二百数十年前、ドルカ・ルビースとも同じように酌み交わした。ディアンが立ち上がって、壁に掛けられたルビース家の家宝「南方交易図」を見る。かつて自分が超えた「リプリィール山脈峠道」は、点線が描かれていた。

 

『知っているか?かつて、このリプリィール山脈の峠道を超えた行商隊がいる』

 

セリオは立ち上がってディアンと並ぶ。護衛斡旋をしていた昔ならともかく、現在ではこの交易図は飾りに近かった。極稀に、情報を求めて独立商人が訪ねてくる。そのうち幾つかが、この峠道に目をつけていたが、超えたという話は聞いたことが無い。ディアンが話を続けた。

 

『昔、プルノーという行商人がいた。彼は狩人などから情報を仕入れ、この「山越え」の道に挑んだ。竜族の縄張りを横断するという命懸けの道だ。幸いなことに竜族は襲ってこなかったが、代わりに別の奴に襲われた…』

 

『へぇ、何に襲われたんだ?』

 

『魔神さ…アスタロトとかいう「さすらいの魔神」がいてな。行商隊が珍しくて、ちょっかいを出してきたんだ。五人の護衛役のうち、一人がその魔神と闘い、時間を稼いだ。行商隊はその隙に、麓の村レミに走り込んだ…』

 

『まるで見てきたような話だな?残った護衛役はどうなったんだ?死んだのか?』

 

『いや…お前の眼の前にいる』

 

驚くセリオに、ディアンは笑顔を向けた。

 

 

 

 

 

地下都市フノーロは、三十年近い歳月を掛けて全く別の都市へと変貌していた。草原と荒野しか無かった地上に、石造りの建物が並び、道には石畳が敷き詰められている。大通りには、街灯が等間隔で並ぶ。しかも未だに建設途上だ。近隣の村からも移住者が殺到しているようである。河川から引かれた堀を渡り、城壁を潜る。東西南北の各城門には、行政府の出先機関があり、通貨交換を行うことが出来る。各国の通貨のみならず、金銀宝石も交換可能だ。手持ちの宝石を新王国の通貨「ガルド」と交換する。スケーマに入ったディアンは目を細めた。まだまだ発展途上だが、かつてのプレメルと似たような匂いがする。

 

『ティナ姉様のお陰で、治安維持隊はしっかりと機能しています。ターペ=エトフではあまり必要とされなかった「裁判所」も建てました。街の中央に神宮を配し、それを取り巻くように東西に行政府、立法府があります』

 

神宮の「奥の院」で、国王ソフィア・ノア=エディカーヌは胸を張って説明をした。王都スケーマの全体図が机上に広げられている。指し棒で示しながら、都市機能を確認していく。

 

『当面は、国王である私が行政と司法府を管轄しますが、立法府には各種族や民衆代表の会議を設けるようにしました。いずれ行政は民衆の代表者に任せ、神宮を最高司法府とした「司法権」を王が持つようにしたいと思います』

 

『各神殿の様子はどうだ?』

 

ソフィアは肩を竦めた。プレメルにある各神殿には、未だに「神の道」について伝えていない。ターペ=エトフ滅亡によって、各神殿は一旦、総本山に戻る予定である。

 

『正直、現在のところ現神神殿は「神の道」を受け入れていません。神宮を頂点とた「神道庁」を設け、現神神殿を設けていく予定ですが、西方神殿勢力からは「異端」と見なされるでしょうね』

 

『「奴ら」は現神神殿の神官であることを利用して、治外法権的存在になっている。ターペ=エトフにおいてすら、そうだった。だが神官も所詮は人間だ。カネが入れば必ず腐敗する。信者からの寄附金額やその使途、総本山への流れなどは、すべて国家が厳正に管理をすべきだ。まぁ管理と聞くと「制限」と聞こえるだろうから、この場合は「把握」と伝えるべきだろうな』

 

『ターペ=エトフにおいても、財政状況が把握できた神殿は「ナーサティア神殿」「イーリュン神殿」「ガーベル神殿」だけです。ヴァスタール神殿やアーライナ神殿は、開示を拒否していました。恐らく、新王国でもそうなるでしょう』

 

『「闇神殿」は、ともすると裏社会にカネが流れることもあるからな。ターペ=エトフのような人口が少ない国なら、裏社会など形成できない。だが新国家は広大な国土とそれに見合う人口を抱える。必然的に「闇」が出来るはずだ。それは社会維持において必要悪とも言える。だが決して、それに神殿が関わってはならない。新国家では、神殿は国の権威を担う。権威は「汚れてはならない」のだ』

 

『プレイアの「姐御(ベラ)」さんからは、不定期ですが報告が届きます。どこまで信頼できるかは解りませんが、国家が把握できないような「裏社会」は、出来ないようにしたいと思います』

 

『ソフィア、国王はお前だ。お前の想うように国家を作れ。インドリトは、その理想をお前に託した。国とは与えられるものではなく、王とは引き継ぐものではない。自らの意志で建国し、自らの意志で王となるのだ』

 

『私は君主としては、インドリト王の足元にも及ばないでしょう。インドリト王は「千年に一人」の王です。ですが私は、その偉大な王を三百年近くに渡って見続けてきました。そこから学んだことを活かしていきたいと思います』

 

賢王インドリトには、参考となる王が存在しなかった。彼は他者からの助言を得ながらも、自ら考え、自らの意志で未知の荒野を歩いてきた。ソフィアにとって幸運だったのは、参考となる先人がいたことである。ターペ=エトフという国と、その統治者であったインドリトという王が、ソフィアの「参考書」であった。

 

ターペ=エトフ歴二百八十年双葉の月(四月)の一日、闇夜の眷属の国「エディカーヌ王国」が建国を宣言した。人口は十三万人、首都スケーマを中心としてアヴァター地方南部からニース地方の一部を領土とし、それなりに国土面積は広い。突如として誕生した「闇夜の国」は、光側神殿との繋がりが強いベルリア王国やアヴァタール地方東端の国「アンナローツェ王国」に衝撃を与えた。一方、バリアレス都市国家連合は、エディカーヌ王国建国初日に「相互不可侵条約」を締結する。レウィニア神権国、スティンルーラ王国、リスルナ王国も国交を結ぶ。特に、リスルナ王国とはリプリィール山脈の国境をどうするかで、外交交渉が続けられていた。リスルナ王国の宰相「トマス・ウートゥルス」の日誌に交渉場面の一部が載せられている。

 

…突如として誕生した「闇夜の国」、当然ながら我が国は最大の警戒をしていた。私は死すら覚悟をして、首都スケーマに入った。エディカーヌ国王は、老いた私から見ても絶世と思えるほどに美しかった。だが同時に、そこに「人外の何か」を感じた。あれが「神格」なのだろうか。交渉は至って簡単なものであった。リプリィール山脈を東西南北に四等分し、南側をエディカーヌ王国領と認めて欲しい、とのことであった。あの山は瓦礫が多く、狩人が山を越える程度であり、承認をしても全く問題がないと判断した。ただ、私は一点だけ気になっていた。彼らは気づいているのだろうか。リプリィール山脈に眠りし「古神」のことを。藪蛇になると思い、私はあえて、このことは話題にしなかった…

 

エディカーヌ王国が誕生してから数百年後、メルキア帝国の調査団がリプリィール山脈内において「謎の遺跡郡」を発見している。「メヘル」と呼ばれるその遺跡群には、明らかに何かを封じていた痕跡があった。だがその封印は既に解かれ、封じられていたモノを示す証拠も破壊されていた。何が封じられていたのか、誰が、何の為に封印を解いたのかは定かではない。

 

 

 

 

 

今後の発展が期待されるであろう大陸中原「アヴァタール地方」において、闇夜の眷属の国が誕生したことは、西方神殿勢力に大きな衝撃を与えた。だがそれ以上に危険視されたのは「神の道」と呼ばれる新たな宗教体系である。新国家エディカーヌ王国では、神殿勢力の存在を認めず、国家によって信仰そのものを管理している。現時点では現神神殿の殆どがエディカーヌ王国に進出していないが、その理由は「総本山よりも王国の制約が優先される」ためであった。「神の道」は危険視され、厳重な情報統制によって民衆に知られることは食い止められていた。

 

『エディカーヌ王国、そして「神の道」…興味深いわ』

 

クリア・スーンは十五歳になっていた。少女らしいあどけなさも消えつつあり、美しい女性へと成長する途上である。ベテルーラのマーズテリア神殿総本山には、多くの神官や騎士がいる。聖職者といえども所詮は人間である。クリア・スーンの美貌は、男たちにとっては毒にも等しい。教皇庁に併設されている「聖女の館」で、クリアは半ば軟禁状態となっていた。だが教皇庁内の中でなら、自由がある。マーズテリア神の最初の神格者と言われる伝説の聖騎士「ルクノゥ・セウ」が使っていたという軍剣を抜いたことで、クリア・スーンがマーズテリア神の聖女であることがほぼ、証明された。神格者となるための試練は、残り二つである。軍神マーズテリアの聖女として「軍才」を証明するための試練と、聖女としての外交折衝能力の証明である。

 

『クリア様、そのような場所に腰掛けていては、危のうございます』

 

身の回りを世話する「中年の侍女」が、心配げに声を掛けてきた。クリアは窓辺に腰掛け、脚を半分外に出した状態であった。地上まで五間(約9.1m)近くある。

 

『大丈夫よ。こうして窓辺で外を観るのが好きなの。ところで、何の用かしら?』

 

『エルヴィン・テルカ様が、お目通りの願っています。レスペレント地方の様子を報告したいと…』

 

(わたくし)に?私はまだ聖女ではありません。猊下にご報告をするのが筋というものでしょう』

 

侍女は苦笑して首を振った。

 

『クリア様が聖女であられることは、ベテルーラの全員が確信をしております。もちろん私も…猊下が時間をお掛けになられているのは、クリア様がまだ十五だからです。あと五年もすれば、クリア様は世界一の美貌を持つ、マーズテリア神殿最高の聖女になられます。私はそう信じています』

 

『その通りです』

 

侍女が驚いて振り返ると、金色の短髪をした騎士が立っていた。マーズテリア神殿聖騎士エルヴィン・テルカである。エルヴィンは入り口で一礼をして、室内に入った。

 

『申し訳ありません。扉が半開きであったもので、つい…』

 

『構いません。エマール、お茶を入れて差し上げて下さい』

 

聖女の部屋に独身の男が入るなど、本来であれば禁忌にも近い。侍女エマールは、ブツブツと呟きながらも部屋を下がった。クリアが着座を勧める。

 

『それで、レスペレント地方の様子は如何でしたか?聖騎士殿』

 

 

 

 

 

マーズテリア神殿総本山「教皇庁」の最奥には、秘密文書館が存在している。教皇以下、限られた者しか入室を許されない部屋で、クリア・スーンは調べ物をしていた。エルヴィンとの会話で、ある疑問を抱いたからである。

 

 

…レスペレント地方の物流は安定しつつあります。ラギール商会という中原域で活動をしている商会が、レスペレント地方まで進出をしたようです。どの国とも等距離を取ることで、政治と物流とを切り離しているようですね…

 

…ケレース地方についてはどうでしたか?…

 

…先年、ケレース地方で起きた戦争は、凄まじいものでした。イソラ王国でも、近隣集落が三つも吹き飛ばされ、西側の城壁も半壊状態です。ハイシェラ魔族国を束ねる魔神の他に、ターペ=エトフ側からも魔神が出現し、二柱の魔神が激突をしたそうです。それにより、ケレース地方中央域はまるで「死の世界」になったそうです…

 

…「ターペ=エトフの黒き魔神」と呼ばれているそうですね。実は、私はこの魔神が気になっています。機密指定の資料を読んだのですが、かつてマーズテリア神殿は、カルッシャ王国、イソラ王国と連携してターペ=エトフと一戦を交えたことがあるようなのです。その際、カルッシャ王国の海軍を迎え撃ったのは「漆黒の魔神」だったそうです。二百五十年以上も前の話です。ターペ=エトフ建国から数年しか経っていない段階で、既に「黒き魔神」がいたとなれば、その魔神はターペ=エトフの建国にも関わっていたのではないでしょうか?…

 

…クリア様はつまり、ターペ=エトフには、その建国から秘密が存在している…とお考えなのでしょうか?…

 

…いえ、秘密というよりは、何らかの「意志」が働いているのではないかと感じています。ターペ=エトフには光側の神殿と闇側の神殿の双方があるそうですが、いずれも国政には殆ど影響力を持っていません。ターペ=エトフは、西方諸国やベルリア王国などとは、全く異なる政治体制です。私の知る限り、ターペ=エトフのような政治体制を持つ国は、どこにも見当たりません。建国者であるインドリト王は、いつ、どこでその政治体制を思いついたのでしょう?…

 

 

(ターペ=エトフは、その名こそ西方でも知られていますが、実態についてはあまり情報がありません。いいえ、むしろ少なすぎます。まるで意図的に情報を隠匿しているかのようです。前聖女は、一体何をしていたのでしょうか?ターペ=エトフというかつて無い国家が誕生した以上、それを調べるのは聖女として当然です。きっと記録が残っているはずです)

 

時代別に書棚が別れている。ターペ=エトフ建国当初の時代まで遡ろうとする。だがクリアの足が止まった。その時代の記録そのものが全く無いからである。これは有り得ないことであった。クリアはすぐに、文書館を管理する司書室に向かった。

 

『クリア様、どうかお許しを…その資料は、マーズテリア神殿の最高機密なのです』

 

司書は平身低頭したが、クリアは首を振った。

 

『ならば尚更、知っておく必要があります。中原はいま、激動期です。その激動は突発的に湧いて出たものではありません。過去の歴史の結果なのです。歴史を知らずして、未来を拓くことは出来ません』

 

次期聖女の強硬により、司書も仕方なく、当時の資料が保管されている「閉架」にクリアを案内した。閉架の片隅に、二百八十年前~二百七十年前の「空白の十年間」の記録が眠っていた。その中に目的の資料があった。自分の前任であった元聖女「ルナ=エマ」の日誌である。クリアはそれを持ち出し、文書館内で読み始めた。

 

 

 

 

 

…ディアン・ケヒト殿との対談は、私の心を大きく揺さぶるものであった。彼の思想は間違いなく、ターペ=エトフに大きな影響を与えている。これまでマーズテリア神を信仰していた私にとって、彼が示したヴァスタール神やアーライナ神、あるいは古神の教えは、衝撃的なものであった。説明の仕方は違えども、そこにある教えはマーズテリア教に通じるものであった。私は思う。そもそも、このディル=リフィーナで光と闇の対立は、どうして起きたのだろうか?そして、私たちは一体、何を信仰しているのだろうか?…

 

…ディアン殿は言った。貴女が信仰しているのはマーズテリア神「自身」ですか?それともマーズテリア神の「教え」ですか?それともマーズテリア「神殿」ですか?…私は猊下に聖女として認められ、聖女として育てられた。だが、聖女となったのは私自身の意志だったのだろうか?周りがそう扱うから、聖女様と言うから、ただ何となく聖女という立場を受け入れただけではなかったのか?自分の存在に疑問を持つことは、とても危険なことだということは解る。だがディアン殿は言う。自分自身が何を信仰しているのか、その信仰は自分にとって救いなのか、客観的に己を見つめられなければ、それはただの「盲信」に過ぎない…ならば、私はこれまでマーズテリア神の教えを「盲信」していたということになる。信仰は、疑わないから信仰なのだ。だが疑わなければ、それは「盲信」と同じではないか。「信仰」とは、一体なんなのだろうか?…

 

前聖女「ルナ=エマ」の日誌は、埃を被った状態であった。傷んだ日誌を慎重に捲りながら、クリアは日誌を読み進めた。

 

…ディアン・ケヒト殿は、人間ではなかった。彼は「魔神」だったのである。私は戦慄した。魔神が畑を耕し、家畜の世話をし、飲食店を出すなど、有り得ない。彼は正確には魔神では無く、「人間の魂を持った神族」なのではあるまいか。理屈上では存在するが、現実的には存在し得ないとされている「神殺し」が、彼の正体なのではないだろうか。このことは、猊下に対してでさえ、報告できないことだ。私個人の「直感」に過ぎず、証拠も一切、無いからだ。だがもし、彼が本当に「神殺し」なのだとしたら、ターペ=エトフという国の目指す地平も見えてくる。剣や魔術で神を殺すのではない。ディアン・ケヒトは思想によって、神族を消し去ろうとしてるのだ…

 

『ディアン・ケヒト…それが、ターペ=エトフの黒き魔神の正体…そして「神殺し」…』

 

クリアは、自分が極めて危険な書を読んでいることに気づいていた。この書が焚書の対象とならなかったこと自体が、奇跡に近いだろう。あまりに危険過ぎるが故に、途中で読まれなくなったに違いない。だがクリアは、頁を捲る手を止められなかった。

 

…マーズテリア神殿は過ちを犯した。ターペ=エトフを危険視し、武力をもってこれを滅ぼそうとしている。愚かしい判断である。ターペ=エトフは自分たちの縄張りの中で生きている。「彼らはそうなのだ」と割り切って受け入れれば、それで済む話ではないか。私はマーズテリア神の神格者として、神殿の暴走を止めなければならない。だが、猊下とも幾度か話をしたが、止められそうにない。私は恐らく、聖女としての地位を追われるだろう。明日もう一度、猊下を説得してみよう。これまで以上に、強い口調で…

 

クリアは瞑目した。前聖女が神格位を剥奪されたという事実は知っている。「聖女らしからぬ言動により…」と説明を受けていたが、その経緯は知らなかった。ルナ=エマはディアン・ケヒトと言葉を交わすうちに、マーズテリア信仰の形が変化をしていったのだろう。「自分はマーズテリア神と教義を信仰しているのであって、神殿を信仰しているわけではない…」この一文に、ルナ=エマという人物の信仰の姿が描かれている。彼女は、周囲から聖女と持ち上げられ、疑いなく聖女となった。そして、ターペ=エトフにおいて、信仰に「形」が出来たのだ。いや、形を持たされた…と言うべきだろうか。ディアン・ケヒトという思想家が、ルナ=エマの信仰に「型を嵌めた」のである。

 

『ターペ=エトフの基本思想は、恐らくこのディアン・ケヒトが創ったのでしょう。インドリト王の思想に強い影響を与え、「光と闇が共生する世界」を生み出した。その中で人々は徐々に、自分の信仰を客観視し、やがて信仰から自立をしていく。神々の教えに縋るのではなく、自助努力によって自らの足で歴史を歩み始める。そうなれば、歴史における神殿の存在意義は大きく低下します。現神への信仰が薄らげば、神々はディル=リフィーナに留まることも出来なくなるでしょう。当然、そうなる前に現神と神殿は動くでしょう。その危険思想を潰すために… その悲劇は、七古神戦争の比ではありません。「神々とヒト」との一大戦争となるでしょう。ディアン・ケヒト…貴方はそこまで見通して、それでもなお、その途を進もうとしているのですか』

 

日誌の中には「黒髪、黒瞳の男性」としか描かれていない。だがクリアは、ディアン・ケヒトという人物を想像することが出来た。神の力を持ちながら、人間の魂を持つ「神殺し」、だがそれは目に見える物理的な脅威にしかならない。この男の本当の恐ろしさはディル=リフィーナの信仰的思想的支配者である現神に対して、新たな思想と言葉をもって、挑戦していることにある。まさに「宗教的革命家」であった。

 

『他にも、資料があるかもしれません。徹底的に調べましょう』

 

立ち上がり、司書室へと向かった。

 

 

 

 

 

秘密文書館に篭ってから二日が経った。館内の一室には、書類の山が出来ていた。クリアは二日間で、ターペ=エトフ建国以前から十数年間のあらゆる資料に目を通した。そこから、一つの仮説が浮かび上がってきた。

 

(理想国家ターペ=エトフの建国、賢王インドリトの思想とターペ=エトフの繁栄…もしこれらが、ディアン・ケヒトが描いた脚本通りであるとするならば、現在のターペ=エトフはどうなのか。魔族国の出現と数十年に渡る戦争、賢王でありながらも、世継ぎの無い老王、いずれ来るターペ=エトフの滅亡…ディアン・ケヒトは、それを黙って見ているだけだろうか?)

 

そんな筈がなかった。時間を掛けて丹念に蒔いた種が芽吹き、ターペ=エトフという理想郷が出来た。この理想郷が滅びようとしている時、種を蒔いた人物は何を考えるだろうか。クリアはアヴァタール地方の地図を取り出した。その答えに行き着いたからである。

 

『エディカーヌ王国…そういうことですか。ですが、その中間にあるレウィニア神権国は何をしているのでしょう?まさか…』

 

レウィニア神権国の絶対君主「水の巫女」は現神ではない。一柱の地方神に過ぎない。その教義は自然信仰に近く、闇夜の眷属や古神さえも受け入れる土壌を持っている。クリアは戦慄した。もし、ディアン・ケヒトと水の巫女が結託をしていたら、半ば妄想にも近いディアン・ケヒトの理想が、急速に現実味を帯びてくる。光側の国であるレウィニア神権国と、闇側の国であるエディカーヌ王国が水面下で手を結び、多人口地帯の中原に「宗教革命」を起こす…

 

『水の巫女に確認をしなければなりませんね。ですがその前に、まずターペ=エトフへの対処です。ディアン・ケヒトは恐らく、ターペ=エトフの滅亡を既に想定して動いているでしょう。マーズテリア神殿が動けば、魔族国を牽制してターペ=エトフを救うことも出来ますが…』

 

実際、イソラ王国のみならず、カルッシャ王国を始めとしたレスペレント地方の諸王国やメルキア王国などから、マーズテリア神殿への出兵要望が来ていた。ターペ=エトフが滅びれば民生に影響が出るばかりでなく、中原の中心部でもあるケレース地方に、巨大な魔族国が誕生することになる。ターペ=エトフを援助し、魔族国を滅ぼすべきという声は、枢機卿内からも起きていた。だがクリアには一抹の不安があった。ターペ=エトフを救うことが、ディアン・ケヒトの目論見を潰すことになるのだろうか?下手をしたら、ターペ=エトフという大国が残りつつ、エディカーヌ王国というもう一つの大国が出現し、アヴァタール地方を南北に挟む形で、より急進的な革命を起こすのではないか。この不安が、クリアを躊躇わせた。

 

(各国の懸念は、ケレース地方に巨大魔族国が出現することに対してです。ならば、ターペ=エトフ滅亡後に、魔族国を滅ぼすべく動いてはどうだろうか。無論、簡単なことではないでしょうが…猊下にご相談をしてみましょう)

 

クリアは二日ぶりに、文書館から外に出た。日差しが眩しく、青い眼を細める。侍女が慌てて駆けつけてくる。

 

『心配を掛けましたね。大丈夫です。これから、猊下にお目通りを願いましょう。どうしてもご相談をしたいことがあります』

 

クリアの表情には、深刻な色が浮かんでいた。

 

 

 

 

 

マーズテリア神殿聖騎士エルヴィン・テルカは戸惑っていた。ケレース地方に誕生した「魔族国」に対応すべく、いつでも出陣できるように整えていた。だが今日、教皇からの勅命によりその準備が解かれたのである。クリア・スーンは二日間に渡って秘密文書館に閉じこもり、出てきた足で教皇と長時間の対談を行ったらしい。聖女クリアは一体、何を考えているのだろうか。エルヴィンは疑問を払拭すべく、聖女の館へと向かった。

 

『聖女殿、私は猊下の勅命により、ケレース地方動乱に備えて準備を進めていました。ですが今日、その命が解かれました。ケレース地方には一切の手を出すな、とのことです。私は、マーズテリア神殿二十万の軍を預かる身です。猊下の勅命とあれば、いつでもこの身を軍神に捧げましょう。ですが、疑問を感じざるをえないのです。このままでは、ケレース地方に巨大な魔族国が誕生し、中原は重大な危機に直面します』

 

『テルカ殿のご懸念は尤もなものです。私も、このまま魔族国にケレース地方を席巻されるのを黙っているべきではないと考えます。ですが…』

 

暫く沈黙する。言葉を選んでいるようである。やがて、結論だけを告げた。

 

『ターペ=エトフは、滅びなければならないのです』

 

確信した表情で、聖女ルナ=クリアは断言した。

 

 

 




【次話予告】

インドリトは剣を握っていた。恐らく、これが生涯最後の稽古になるだろう。残された僅かな力を振り絞り、剣を振る。稽古が終わると師は後ろを向き、少しだけ肩を震わせた。インドリトは静かに剣を置いた。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第九十六話「最後の稽古」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。
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