戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフへの途~   作:Hermes_0724

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第九十六話:最後の稽古

メンフィル帝国侍従長「グレーゲル・ペッテション」の日誌より

 

…本日、「先の戦争」を共に戦った方々による、細やかな晩餐会が催された。日頃は堂々たる威厳を示される陛下も、最も御信頼をされる「御仲間方」の前では、誠に不敬ながら「一人の半魔神」にお戻りになられる。酒が進まれたのか、陛下は大将軍に「過去」をお尋ねになられた。大将軍が陛下にお仕えをされる前に、他国で軍をまとめていたということは、知る者は知っている。しかし、誰もそれについて、お尋ねにはなられなかった。

 

『ファーミシルスよ。お前はかつて、ターペ=エトフという国で元帥を務めていたそうだな』

 

『はい、陛下。西ケレース地方で繁栄をした国でした』

 

『ターペ=エトフ王国の国王「インドリト・ターペ=エトフ」とは、どのような人物であった?』

 

大将軍は遠い目をされた。昔を思い出し、懐かしんでおられたのだろう。陛下はファーミシルスが話しやすいように気を利かされたのか、お言葉を加えられた。

 

『言葉を選ぶ必要はない。皇帝としてではなく、一人の男として聞いたのだ。遠慮せずに言え』

 

『偉大な王でした。その理想は高く、その知性は深く、その為人は万人を心服させ、その強さは魔神をも上回りました。私の知る限り、「最も偉大な王」です』

 

『ちょ、ちょっとファーミッ!リウイの前でっ!』

 

カーリアン殿が慌てたように止められた。陛下を前にして「最も偉大な王」として他者を挙げるなど、確かに不敬であった。だが陛下は、笑って頷かれた。

 

『良い。「あの男」も、俺如きはインドリト王の足元にも遠く及ばぬと言っていた。ターペ=エトフの伝説は、このレスペレント地方でも広く語られている。一代でそれ程の王国を築いたのだ。敬意を持って、語るべきだろう』

 

ファーミシルス殿は、カーリアン殿の言葉も聞こえていないようであった。確かにターペ=エトフは「伝説の理想郷」として御伽噺のように語られている。その時、側近が入室をしてきた。陛下に何か耳打ちをする。陛下の顔色が変わられた。杯を置き、一同に向けて皇帝陛下としての命を下された。

 

『残念ながら、宴はここまでだ。フェミリンス神殿で異変が発生した。狂信的なフェミリンス信者が、神殿に侵入をしたそうだ。どうやら、まだ平和は遠いようだな』

 

皆様が一斉に立ち上がられた…

 

 

著者不明の叙事詩「The Lord of "Thapae=Etoffe(ターペ=エトフへの途)"」の中において、国王インドリト・ターペ=エトフは、その優れた知性のみならず、魔神を退けるほどの武勇が描かれている。並の魔術師では不可能なほどの高等魔術を自在に操り、圧倒的な膂力と優れた技によって魔神を退けるその様は、「史上最強のドワーフ」と惜しげもない賛辞が贈られる一方、「あまりに脚色されている。所詮は創作に過ぎない」という批判の声も一部にある。いずれにしてもインドリト・ターペ=エトフの名はドワーフ族のみならず、獣人族や悪魔族にまで「インドリトの冒険」など童話として語り継がれ、「エトフの名に相応しい偉大な王」であったことは万人が認めるところである。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ王国王宮の庭園で、一人の老ドワーフが魔力鍛錬をしていた。半眼の状態で腰を落とし、両手に魔力を込め魔力珠を形成する。師の元に弟子入りをしてから二百九十年以上、この鍛錬を欠かしたことはない。躰から立ち昇る気配は重厚にして洗練されている。だが全盛期を知る者から見れば、衰えは明白であった。賢王インドリトは日課である魔力鍛錬を終えると、額に浮き出た汗を拭った。そこに、黒衣の男が近づいてきた。背中に中剣より一回り大きな剣を刺している。インドリトは顔を向けること無く、呟いた。

 

『師よ…私は、衰えました。以前は何刻でも出来たこの鍛錬も、今では半刻が限界です。父が鍛った剣も、重みを感じるようになりました…』

 

ディアンは何も言わなかった。弟子が老い、徐々に衰えていることは百年前から解っていた。それを今、本人が口にした。その意味するところは、ディアンも明確に理解していた。ディアンは遠い目をして、弟子に尋ねた。

 

『インドリト…昔、私がお前に言ったことを覚えているか?「強さ」とは何かということだ』

 

『覚えています。まだ子供だったギムリと一緒に、その話を聞きました』

 

『改めて聞こう。「強さ」とは何だ?』

 

『若い頃の私であれば、剣や魔法の力だと言ったかもしれません。ですが、今の私はこう考えています。強さとは「受け入れる力」だと…たとえ物事が己の思い通りにいかなくても。たとえ道半ばで夢が途切れようとも。現実として受け止め、噛み砕き、受け入れ、そして歩み続ける…「心の強さ」こそが、本当の強さだと思います』

 

『確かに、肉体の力は衰えたかも知れん。だが剣や魔法の強さなど「人間の強さ」から見れば些細なことだ。お前を失い、ターペ=エトフが滅びると悟った時、私は魔境に入った。心が弱かったからだ。お前に諭されなければ、私は破壊神になっていただろう。インドリト、お前は私よりもずっと強い』

 

『嬉しい言葉ですね。ですが…』

 

インドリトは剣を持ってディアンの前に立った。

 

『王としては、心の強さがあれば良いでしょう。ですが一人の戦士として、私はまだ師から認められていません。師から「皆伝」を貰う、最後の機会だと思っています。今日、師に届かなければ、私はそれを受け入れます』

 

ディアンは頷き、そして剣を抜いた。風が止まる。ディアンの全身から漆黒の気配が立ち昇った。弟子から「最後の機会」と言われたのである。手を抜くことは許されない。禍々しい気配を放ち、赤くなった瞳をインドリトに向ける。

 

«お前の覚悟は良くわかった。ならば私も加減はしない。インドリトよ、私を殺すつもりで掛かってこいっ»

 

弟子は静かに剣を構え、そして動いた。

 

 

 

 

 

レイナ、グラティナ、ファーミシルス…かつて師としてインドリトを鍛えた三人が、庭園で繰り広げられる師弟の闘いを見つめていた。三人とも、瞳に涙を浮かべている。弟子(インドリト)の剣を(ディアン)が受け止める。魔神の膂力があれば、簡単に弾き返せるはずである。だが躰ごと飛ばされる。両腕が痺れる。足に力を入れてなんとか耐える。大地をぶつけられるような衝撃であった。ディアンが手を抜いているわけではない。インドリトが持つ力、十五万の民を負う「王としての背骨」が、魔神をも越える力を生み出していた。受け止めた剣から感じる力が、その心が、ディアンの視界が霞ませた。これ程の弟子を失う、これ程の友を失う…だが、この非情な現実に耐えなければならない。弟子自身が耐えているのだから…

 

『うっ…うぅっ…』

 

口元を抑え、レイナが泣き崩れた。他の二人も震えている。三人共が解っていた。これが、インドリト・ターペ=エトフの「最後の稽古」だということを… 直接言葉を交わさなくとも、剣を通じて多くを語り合う。やがて数歩距離を置き、ディアンが手を挙げた。

 

『インドリト…これ以上、打ち合うことは出来ん』

 

『な、何故です?』

 

肩で息をしながら、インドリトが聞いた。「クラウ・ソラス」を握っていた右手を開いて示す。掌が切れていた。

 

『クラウ・ソラスが言っている。これ以上、自分に辛い想いをさせるな。インドリト・ターペ=エトフが放つ剣の想いに、もう耐えられない…柄を通じて、私自身にそう言ってきた。三百年間を共に生きてきて、初めてのことだ』

 

クラウ・ソラスを背に収め、溜息をつく。

 

『戦士が、己の剣にそう言われてしまったら、負けを認めざるを得ん。私の負けだ。インドリト、お前は…私を超えた…』

 

ディアンはそう言うと、使途にも弟子にも顔を見せないよう、背を向けた。微かに肩を震わせる。インドリトは瞑目し、剣を鞘に収めた。

 

『本当に、お世話になりました。有難うございました。我が師よ…』

 

師の背中に向けて一礼をする。ディアンは大きく息を吐き、振り返った。顔には笑みが浮かんでいる。

 

『かつてアヴァタール地方東部にいた剣豪は、皆伝の証として「刃引きをした剣」を渡していたそうだ。私はそのような気の利いたものは渡せんが…』

 

ディアンは自分が着ていた漆黒の外套を脱ぎ、インドリトに羽織わせる。

 

『ヒトとしても、戦士としても、お前は私を超えている。もう何も教えることはない。「皆伝」だ』

 

インドリトは纏った外套に腕を通した。ドワーフ族の中では大柄なインドリトだが、それでも大きかった。ディアンは大きく頷き、使徒たちと共に、中庭を後にした。その背中にもう一度、インドリトは頭を下げた。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフを「裏切り」、ハイシェラ魔族国の宰相となった魔人シュタイフェは、民生の強化に努めていた。軍の規模をさらに縮小させ、亜人族などを帰郷させる。だが驚いたことに、悪魔族や一部の亜人族などは、魔族国を去ること拒否した。たとえ無給でも構わないから、ここに居たいと言うのである。半泣きの様子で迫ってくる亜人に、ハイシェラは微笑んだ。

 

«汝らも物好きよの…ならば我と共に来るが良い。過酷な途になるやも知れぬ。されど我は決して、汝らを見捨てぬ»

 

人間族によって弾圧をされ、行き場を失った者たちにとって、ハイシェラは最後の希望であった。ターペ=エトフでもそうした難民を受け入れてきたが、彼らの心の中にある「怨讐」に対して、目を瞑っていたのは事実である。人間族への復讐心を認めれば、それはターペ=エトフの理想から離れてしまうからだ。だが恨みや憎しみも、ヒトとしての性であり、それ自体を「悪」と切り捨てることは出来ない。ターペ=エトフが間違っているとは思わないが、ターペ=エトフでさえも「救えなかった心」があることを、シュタイフェは認めざるを得なかった。

 

『ハイシェラ様、内政の件でご報告があるのですが…』

 

叩扉してハイシェラの私室に入ったシュタイフェは、意外な光景を目撃した。ハイシェラが足を組んで読書をしているのである。書名は「東方見聞録」であった。魔神が読書をすること自体は珍しくはない。シュタイフェの主人であった魔神グラザも、相当な読書家であった。だがハイシェラが読書をするというのは、どうも想像が出来なかった。

 

«何用じゃ?我は今、忙しいのじゃが?»

 

紙面から眼を外すこと無く、ハイシェラが尋ねる。シュタイフェは我に返って、卑下た笑い声と共に下品な冗談を吐く。

 

『ヒッヒッヒッ…アッシも猥本ならかなり持っておりヤスぜ?お望みならお貸ししますが…』

 

«…この本を書いた者は、どうやら信仰というものに不信感を持っているようだの。東方諸国の文化を紹介しつつも、それに対する己の意見の中に、それが滲んでおる。誰が書いたのか、目に浮かぶわ»

 

冗談を受け流され、シュタイフェは仕方なく内政状況を報告した。一通りの報告を終えると、ハイシェラが顔を上げた。

 

«ターペ=エトフの大番頭を務めた汝じゃ。内政については汝に任せようぞ。ターペ=エトフ占領後、我はケレース地方を席巻する。そのための情報収集に、今のうちから努めよ»

 

シュタイフェは一礼して下がった。シュタイフェは未だに、魔神ハイシェラが自分を信用する理由が解らなかった。ハイシェラは確かに、残酷で冷酷な魔神である。だがその一方で、極めて高潔な部分を持っていた。「裏切り者」を素直に認めるとは思えなかった。

 

『あるいは、最初から気づかれているか…』

 

シュタイフェは背中を震わせた。今はともかく、ハイシェラ魔族国を安定させることに注力をすべきである。役に立つ限り、用いられるだろう。シュタイフェはそう割り切った。

 

 

 

 

 

シュタイフェが退室をしたあと、ハイシェラは読書を始める前に少し考えた。シュタイフェを何処まで使うかである。ハイシェラには、シュタイフェの目的が最初から読めていた。ハイシェラ魔族国はやがて、ターペ=エトフを占領する。その時に、誰かがターペ=エトフの民を護らなければならない。シュタイフェの狙いはそこにあった。「民のために、あえて汚名を甘受する」…その精神は、ハイシェラにとって、決して不快なものではなかった。ハイシェラは再び、本に眼を落とした。大禁忌地帯と先史文明について書かれている章である。

 

…物理的法則の異なる二つの世界を融合させるためには、電力による結界の他に、融合の能力を持った「魂を持つ生命体」が必要であった。「電力と魔力」という二つを結びつけ、世界の崩壊を防ぐための「緩衝役」として、機工女神エリュアが生まれた。エリュアは、異なる存在同士を融合させる能力を持つ。その能力によって、新世界「ディル=リフィーナ」が誕生したのである。新世界誕生後、エリュアは何処かへと姿を消している。女神アリスの話では、エリュアは元々は、ネイ=ステリナから送られた魔族であった。融合、吸収を繰り返し、神に匹敵する力を持つに至ったそうである。おそらく現在においても、世界の何処かに存在していると思われる…

 

ハイシェラは黙って、その箇所を読んだ。二度、三度と読み返す。やがて小さく呟いた。

 

«アリスめ…なにが「女神」なものか…»

 

その貌には、いかなる感情も浮かんでいなかった。

 

 

 

 




【次話予告】

ターペ=エトフ歴二百九十年、理想郷の落日は、もはや誰もが予想をしていた。だがインドリトの中に、一抹の不安があった。ターペ=エトフを「引き継ぐ」相手をあまり知らないからである。インドリトは王として、魔族国の王との会談に望む。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第九十七話「第三次ハイシェラ戦争」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。

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