戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフへの途~   作:Hermes_0724

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第九十九話:楽園の落日

ケレース地方中央域北部にある人間族の国「イソラ王国」は歓呼に包まれていた。深紅に金糸で縁取られた旗を掲げた、一隻の大型船が入港する。マーズテリア神殿教皇庁直属の精兵たちが並ぶ。穏やかな潮風に黒髪を靡かせ、聖女ルナ=クリアはイソラ王国へと降り立った。白い髭を生やした初老の王と二十歳前の美しい姫が出迎える。

 

『聖女ルナ=クリア様、このような辺境の小国にまでお越し頂けるとは… 王国の歴史に永遠に刻まれる吉日、このクケルス、終生の喜びと致します』

 

『クケルス陛下、こちらこそ突然の訪問をお詫び申し上げます。混沌の地において苦労をされながらも、なお信仰を失わずに努める敬虔な皆様に、教皇猊下も感謝と祝福を祈られました。皆様こそ、マーズテリア神殿の誇りです』

 

『そのお言葉一つで、これまでの全てが報われました。どうぞ心ゆくまで、ご滞在を下さいませ。これは…』

 

クケルス王は隣に控えていた金髪の女性を紹介した。

 

『私の娘シュミネリアでございます。些か賢しいところもありますが、いずれ私に代わり、この地に信仰を広げる旗振り役を担うでしょう。シュミネリア、御挨拶をなさい』

 

西方の礼節に沿って、シュミネリアは丁寧に挨拶をした。ルナ=クリアに続き、若い騎士が礼を取る。聖騎士エルヴィンの弟「ヴィルト・テルカ」であった。ヴィルトは若干、顔を赤くしながらも、片膝をついてシュミネリアの手を取った。

 

『王宮にて晩餐会の準備をしております。どうぞこちらへ…』

 

クケルスに促され、ルナ=クリアは歩を進めた。

 

 

 

 

 

『先年の北華鏡の戦争は、凄まじいものでした。いまでこそ城壁の修復も進み、王国も落ち着きを取り戻していますが、当時は一面が焼け野原となっていました。あの光景を見て、私も絶望した気持ちになりました。民たちの努力だけでは、ここまで復興は出来ません。マーズテリア神の御加護が無ければ、王国はとうに滅んでいたでしょう。』

 

『魔族国の魔神と、ターペ=エトフの黒き魔神との闘いについては、私も聞き及んでおります。魔神間の戦争以来、ターペ=エトフと魔族国とでの戦争は無いのですか?』

 

『不思議なことに、あれ以来、北華鏡平原では小競り合いすら起きていません。まるでターペ=エトフと魔族国との間で、和睦でも成されたかのようです。魔族国は南部のオメール山に閉じ籠もり、民たちは自給自足の生活をしています』

 

『小競り合い一つ起きていない…そうですか。恐らく、クケルス陛下の予想は正しいでしょう。ターペ=エトフと魔族国との間で和睦が成立しているものと思われます』

 

晩餐会を前に、ルナ=クリアは国王クケルスと会談を行っていた。ケレース地方の状況は事前にある程度は把握していたが、どうしても掴めなかった情報があった。ルナ=クリアはそれを確認した。

 

『魔族国の王は、どのような魔神でしょうか。どんな些細なことでも構いません。教えて頂けませんか?』

 

『今でこそ途絶えていますが、五十年前に戦争が始まった当初は、イソラ王国を経由して北方のレスペレント地方の国々が魔族国に物資を送っていました。その際に確認できた情報で宜しければ…』

 

聖女が頷くのを見て、クケルス国王が情報を開示した。

 

『魔神は、赤髪の女性とのことです。名は「ハイシェラ」と呼ぶそうです』

 

『魔神ハイシェラ…』

 

ルナ=クリアは考える表情を浮かべた。

 

 

 

 

 

西方諸国と比べると華やかさでは劣るが、温かな饗応を受け、ルナ=クリアは貴賓室へと戻った。現時点で判明している情報を並べ、推測を立てていく。

 

『ハイシェラ魔族国の建国当初、レスペレント地方の各王国が支援を行っていた。王家や貴族層からみれば、ターペ=エトフの目指す国体が危険に見えたであろうことは容易に推測できます。しかし解らないのは、彼らはどうやって、ハイシェラ魔族国の誕生を識ったのでしょうか。誰かが教えたとしか思えませんが… クケルス王はカルッシャ王国からの要請で、ハイシェラ魔族国への物流を認めたと言っていました。裏の事情までは知らないでしょうし…』

 

ルナ=クリアはある閃きを得た。ターペ=エトフ中心に、周辺の国々を描いていく。

 

『ターペ=エトフが目指していた統治手法「民主共和制」は、特権階級層にとっては危険極まりないものです。それはレスペレント諸国だけではありません。メルキア、そしてレウィニア神権国にとっても同様だったはず… 誕生したばかりの魔族国を大国ターペ=エトフと互角に戦わせるだけの支援となれば、レスペレント諸国だけでは不足です。メルキア、レウィニアもその包囲網に加わっていたとしたら…』

 

粉々に砕けた断片が一つずつ組み合わさっていくように、ルナ=クリアの中で、全体像が構築され始めていた。

 

『ターペ=エトフ包囲網…これほど大掛かりな連合を形成できるのは、余程の大政治家か、人為らざる力です。レウィニア神権国の絶対君主「水の巫女」であれば… ですが何のために?民主共和制は、特権階級層や権力者にとっては危険に映るでしょうが、それはあくまでも人間社会でのこと、信仰とは関係ありません。神が自ら動くほどのことではないと思いますが…』

 

「D.Cécht」、ターペ=エトフと書かれた部分にそう書き加える。

 

『水の巫女は、私と同様の懸念を持ったのではないでしょうか。ディアン・ケヒトなる革命家の思想、そして彼が持つ「言葉の力」を危険視した。神々への信仰心が希薄になれば、現神たちはそれを食い止めようとするでしょう。そうなれば、神と人との争いに繋がりかねません。悠久の時の中で変化するのであれば、まだ受け入れることも可能でしょうが、ターペ=エトフは建国して僅か二百年少々で、革命を成し遂げようとした。急進的な変革を危惧し、水の巫女は止めようと画策した…』

 

レウィニア神権国の下に「水の巫女」と書き、D.Céchtと線を結ぶ。

 

『この二つの存在は、どのような繋がりがあるのでしょう。単なる敵対者ではないはずです。それであれば、ターペ=エトフから南方のエディカーヌ王国への物流を認めるはずがありません。「水の巫女」は何を考えているのか… ひょっとしたら、水の巫女はディアン・ケヒトと同じ地平を目指しているのではないでしょうか。「神からの自立」という理想は共通しているが、そこまでの途が二人の間で異なっていた。ディアン・ケヒトは余りにも急進的に歩みを進めようとした。だから止める為に動いた。しかし完全に潰すつもりは無かった。なぜなら「同じ理想」を追っているから…』

 

二柱を結びつける線の横に、ルナ=クリアは筆を入れた。「神からの自立(Libertatem a Deo)」と…

 

 

 

 

 

インドリトは穏やかな朝陽とともに目覚めた。枕元の呼び鈴を鳴らすと、すぐに侍従が入ってくる。支えられて躰を起こす。ドワーフ族の寿命は三百歳程度である。その大半は中年期だ。だが二百歳を超えた辺りから老いが進み始め、それは加速度的に速くなる。インドリトは三百二十歳になろうとしていた。ドワーフ族の中でも老齢である。最早、立つことすらままならなかった。背中に羽毛が入った布団を入れ、寄り掛かる。日差しを見ながら、インドリトは確信した。自分の寿命はあと数日だと…

 

『王太師をここに… 話がある』

 

部屋に入った瞬間、ディアンの顔色が変わった。インドリトにハッキリとした死相を見たからだ。二人きりになると、インドリトは少し笑って頷いた。

 

『師よ、もうすぐお別れです。魔神ハイシェラを呼んでください。それと各元老や民衆たちにも伝えてください。決して混乱してはならない。ターペ=エトフは滅べど、その理想は滅びない。新たな土地、新たな国で、今まで以上の繁栄が約束されていると…』

 

『インドリト…各元老も民衆も、そして私も、未来への不安から悲壮になっているのではない。お前を失うこと、ただそれだけが心を暗くするのだ。埋めようのない巨大な喪失感に襲われるだろう』

 

『生きている以上、出会いがあり、別れがあります。悲嘆に暮れ、疲れるときもあるでしょう。ですが歩みを止めてはなりません。ターペ=エトフは証明しました。数多の生命に溢れるこの世界で、光も闇も、種族をも超えて、皆が手を取り合えることを… ですが理想の芽はまだ小さなものです。やがて大樹となるまで、守り育てなければなりません。私にはもう時がありません。ですが、民たちがその理想を繋いでくれるでしょう』

 

交わしたい言葉は山ほどあった。だがインドリトの時間を無為にしてはならない。ディアンは民衆への告知を手配し、元老院を招集した。

 

 

 

 

 

『ハイシェラ様、アッシをお呼びと聞きヤしたが…』

 

ハイシェラの自室に、シュタイフェが入って来た。ハイシェラは背を向け、外を眺めていた。背中から凄まじい気配が立ち昇っている。机の上に置かれた水晶が光っていた。シュタイフェの膝が震えた。

 

«いよいよ、この時が来たの。我はこれより、絶壁の王宮へと向かう。汝は軍をまとめ、プレメルの街を占拠せよ。厳粛に、整然と行軍するのだ。民には決して手を出すな。卵一つ、花一輪すら奪うことは許さぬ!一兵卒に至るまで、全軍に徹底させよ»

 

『ア、アッシの責任をもって、お誓いします。民たちへの手出しは決してさせません』

 

膝をつき、顔を伏せながらシュタイフェが返答した。だがその肩が震えている。ハイシェラは何も言わず、震える肩に手を置き、それから部屋を後にした。

 

 

 

 

 

『…私の葬儀は簡素とせよ。豪奢な王墓も副葬品もいらぬ。ターペ=エトフが良く見える見晴らしの良い場所に、埋葬してほしい。皆に伝えよ。伴は認めぬ。私の後を追うことは決して許さぬ。私が持っていくものは、皆伝の証の他には一つだけだ…』

 

インドリトが横たわる寝台の側で、侍従が遺言を聞き取っていた。ディアンやレイナ、グラティナ、ファーミシルス、そしてソフィア・ノア=エディカーヌも並んでいる。各種族を代表する元老たちも揃っていた。全員が拳を握りしめ、必死に涙を堪える。だが耐え切れない者も中にはいた。寝台の横机をインドリトが示した。引き出しから古びた短剣が取り出される。インドリトは大事そうに、短剣を手にした。

 

『私が生涯で唯一、憧れた女性(ひと)から貰ったものだ。これだけは、墓まで持っていきたい…』

 

レイナが部屋の外に駆け出した。扉の向こう側から泣き声が聞こてくる。インドリトはディアンに顔を向けた。

 

『師よ…ハイシェラはいつ頃に来るか?』

 

『既に伝えています。明日には来るでしょう』

 

『ならば、私も玉座に座らねばならぬな。王として出迎えねば、失礼というものであろう』

 

『へ、陛下…それは…』

 

慌てる周囲をディアンが止めた。

 

『王がお望みなのだ。言われたとおりにせよ』

 

侍従たちは黙って首肯した。その夜、ディアンは控えの間で夜通し起きていた。使徒たちは泣きながら眠った。夜半、扉の向こう側に気配を感じた。だがディアンは動かなかった。自分が良く知るその気配は、インドリトの部屋へと消えた。明け方まで、その気配を感じることはなかった。

 

 

 

 

 

 

謁見の間にある玉座に、インドリトが腰を掛けた。両腕を担がれなければ、歩けない程に弱っている。だがその瞳の力は衰えていない。ディアン以下、全員が片膝をついた。インドリト王の最後の言葉である。

 

『三百年、夢を追ってきた。師に恵まれ、友に恵まれ、家臣に恵まれ…ターペ=エトフは歴史に残る繁栄を遂げた。しかしどんなことにも必ず、終りがある。ターペ=エトフという理想郷は、今日をもって終わる。だが、その理想は続く。ここにいる全員に、そしてターペ=エトフの十五万の民に、その理想が受け継がれている。土地を超え、種族を超え、時を越え、理想は受け継がれ続け、いつの日か必ず、大いなる実を成すであろう』

 

くぐもった声が聞こえる。顔を伏せ、泣き叫ぶ声を必死に噛み殺しているのだ。インドリトは微笑みながら、言葉を続けた。

 

『皆の今後については心配はいらぬ。ターペ=エトフの理想を継ぐ新たな国も出来た。魔神も、民には手を出さぬと約束をしてくれた。一時は混乱もするであろうが、新たしい理想郷で、これまで以上の繁栄をするのだ。私は安心している。もう何も、想い残すことは無い…』

 

«…本当にそうかの?»

 

カツッ…カツッ…と足音が聞こえてきた。赤髪の魔神が、圧倒的な気配を放ちながら謁見の間に入ってきた。魔神ハイシェラである。全員が王を護ろうと立ち上がった。だがハイシェラは片手を挙げて、それを止めた。魔神の気配も静まる。ディアン以下、全員が左右に別れる。その間を歩き、ハイシェラはインドリトの前に立った。

 

『理想を持ち、理想を追い、走り続けてきたのじゃ。その途が終わろうとしている時、ヒトはどのように感じるかの。長い時の中で、我は見てきた。生きたい、死にたくないと、往生際悪く泣き叫ぶ虫ケラをな… 汝には、そうした感情は無いのか?』

 

悲しみに包まれていた王宮内の空気が変わる。ファーミシルスは顔を真っ赤にして剣に手を掛けた。だがインドリトが低く笑ったため、誰も動かなかった。

 

『無論、ある。まだ生きたい。生きて、理想の行く末を見たい… その未練は確かにある。だがここで果てようとも、悔いは無い。私には見える。光も闇も超え、皆が幸福に生きる世界が…』

 

ハイシェラがフッと笑った。

 

『それでこそ、我が強敵()だの。汝の成したこと、目指した理想… それらは決して消えること無く、受け継がれていくはずじゃ、我も、汝の名を永遠に忘れぬ。後のことは任せよ。安心して逝くが良い。偉大なる王よ』

 

全員が玉座に注目した。インドリトの瞳に光が揺らめいていた。だが徐々に、その光が弱くなっていた。

 

 

…心地よい風が吹いていた。空は雲ひとつ無く、深い蒼色をしている。子供たちの笑い声が聞こえてきた。ドワーフ族と人間族が長縄を持ち、回している。獣人族や龍人族の子供がその中で縄を飛んでいた。悪魔族と天使族が酒を酌み交わし、イーリュン神殿とアーライナ神殿の神官たちが笑い合っている。宗派を超え、種族を超え、皆が幸福に暮らしている。ヒトは自分だけでは幸福になれない。皆が幸福だから、自分も幸福になれるのだ。自分が求めていた理想を見て、心が温かくなった。黒い翼が横切った。友が迎えに来たのだ。不安は何もなかった。その背に乗り、光へと進んだ…

 

 

『…旅に…出よう。我が…友‥よ…』

 

瞳から光が消えた。宮殿中が慟哭に包まれた。それはやがて、国中に広がった。

 

 

 

 

 

『哭くが良い。それは決して恥ではない。汝らは、それほどの王を失ったのだ』

 

赤髪の魔神は、慟哭が響く宮中の中に立ち、瞑目していた。ディアンは片膝をついたまま、俯いていた。床についた拳を握りしめる。背中が震える。それを見て、ハイシェラは小さく呟いた。

 

『インドリト王よ。汝の生涯には一点の曇りも無いであろうが、一つだけ罪を犯したの。これ程に慕う家臣たちを遺したことじゃ…』

 

ハイシェラの背後に新たな気配が出現した。青肌の魔人が入ってきた。ハイシェラは一瞥し、尋ねた。

 

『シュタイフェ、軍はどこまで進めたかの?』

 

『ヘイッ!ルプートア山脈麓まで進めておりヤス。ご許可を頂き次第、ターペ=エトフ国内に入りヤス。いや、元ターペ=エトフですな』

 

出奔した「元宰相」の出現に、それまで哀しみに震えていた者たちが一斉に怒りの瞳を向けた。

 

『貴様ッ!』

 

グラティナが剣を抜き、斬りかかる。だがディアンが間に入り、グラティナの腕を止めた。ハイシェラは笑みを浮かべ、からかうようにシュタイフェに尋ねた。

 

『どうじゃ?汝の元主君を前にしての気持ちは?』

 

シュタイフェは腕を組み、胸を張った。調子よく返答する。

 

『アッシの主君は、超絶美魔神ハイシェラ様でさぁ。まぁインドリト王も名君ではいらしたが、惜しむらくは野心が足りなかったことで…』

 

ファーミシルスやレイナが剣を抜いた。いや、その場にいた全員が殺意にも似た怒りを向けた。だが三人だけが、見逃さなかったことがあった。ディアンとソフィア、そしてハイシェラだけが気づいていた。腕を組んだままシュタイフェだが、爪が腕に食い込み、血が滲んでいた。激情を必死に堪えているのだ。ディアンはハイシェラの前に立って告げた。

 

『これより、インドリト王の葬儀を執り行いたい。申し訳ないが、この場は遠慮をしてもらえないか?そこの裏切り者を連れて、去ってくれ』

 

ディアンはシュタイフェに顔を向け、微かに頷いた。それだけでシュタイフェには十分であった。ハイシェラは魔人を連れて、王宮を出ていった。ディアンが振り返り、全員に告げた。

 

『皆に告げておく。シュタイフェは裏切ったわけではない。ハイシェラの元に奔ったのは、ターペ=エトフの民を護るためだ。インドリト王もそれを御承知であった。先程の態度も、シュタイフェの計算だ。民たちは心ゆくまで嘆くことが出来るだろう。だが我々は違う。王を失い、ターペ=エトフは滅びる。だがこの地に生きる民を護らねばならぬ。我々は、いつまでも悲嘆に暮れることは許されないのだ。だからあえてシュタイフェは、ああした態度を取ったのだ。自分へ怒りで、哀しみを克服させるためにな。何より、いつまで王をあのままにしておくつもりだ?王を安らかにすることこそ、臣下たる者の務めであろう!』

 

玉座に近づき、ディアンは膝をついた。全員がそれに倣った。

 

『我が君、後のことは我らにお任せ下さい』

 

嗚咽が数カ所から漏れる。ディアンは少しだけ身体を震わせ、立ち上がった。

 

 

 

 

 

マーズテリア神殿総本山にある「遠見の部屋」において、複数の魔道士たちが鏡に手をかざしていた。ターペ=エトフ王国の首都プレメルの様子を見るためである。上空からしか見えないが、民衆が地面に伏している様子が見えた。それだけで、何が起きたかは理解できる。

 

『聖女クリア様に合図を御送りせよ。ターペ=エトフが滅亡したと…』

 

魔道士は再び、鏡に目を向けた。たとえ宗派は違えども、嘆き悲しむ人々に同情するくらいの気持ちはある。小さく、マーズテリア神への祈りを唱えた。

 

『聖女様、総本山より合図が送られてきました』

 

オウスト内海西方北部にある「マーズテリア神殿領」の港には、十隻を越える船が停泊していた。聖騎士エルヴィン・テルカが率いるマーズテリア神殿の精兵二千名が待機をしている。変色した水晶珠を見て、ルナ=クリアは頷いた。喪中を襲撃することになるが、ケレース地方を安定させるためである。魔神ハイシェラがターペ=エトフを占拠する前に、プレメルに入らなければならない。

 

『これより直ちに出港します。ケテ海峡を通過し、フレイシア湾に入り、そのまま河を上りプレメルを占拠します。大図書館と魔導技術研究所は最優先で占拠をして下さい。なお、民衆への手出しは決して許しません!徹底をするように!』

 

雄叫びと共に、帆が揚げられた。

 

 

 

 

 

人々の嗚咽の中を黒い棺が運ばれた。ターペ=エトフ中の民衆たちがプレメルに集まり、先王の死を嘆く。シュタイフェが率いてきた四千名の軍は、プレメル郊外で待機をしている。葬儀には全種族長の他、モルテニアから来た魔神グラザや、華鏡の畔の魔神アムドシアス、トライスメイルの白銀公も出席をした。リタ・ラギールの姿もある。レウィニア神権国やメルキア王国の使者は来ていないが、スティンルーラ王国からは女王直筆の弔文と共に、副宰相が弔問の使者として来ている。棺はプレメルを一周し、埋葬予定のルプートア山脈山頂に運ばれる。その夜、ディアンは街中に溢れる泣き声や嗚咽の中を歩いた。ギムリ川の支流である清らかな小川に立つ。水が立ち上り、眩しい神気と共に美しい女神が出現した。だが、その顔には哀しげな表情が浮かんでいた。

 

『ディアン…』

 

『巫女殿、昼間に貴女の気配を感じた。わざわざ来てくれたのか。感謝する』

 

『心から、お悔やみを申し上げます。水精たちの哀しみが伝わってきます。本当に…本当に偉大な王でした』

 

『…過去形で語らねばならないのは、やはり辛いな』

 

水の巫女はディアンの側に寄り、その胸に手を当てた。

 

『…ヒトの哀しみを癒す方法は、無いのでしょうか?』

 

『無いな。掛け替えのない存在を失った哀しみは、決して消えることはない。ただ時だけが、それを癒やすことが出来るのだ』

 

『私に、何かできることはありませんか?』

 

『…悪いがもう少しだけ、このままでいてくれないか?』

 

その状態のまま、二人はしばらく、沈黙をした。別れ際、水の巫女が伝える。

 

『マーズテリア神殿の軍が近づいています。二日後にはターペ=エトフ領内に入ってくるでしょう。聖騎士と、新たな聖女も一緒です』

 

ディアンは黙って頷き、その場を去った。

 

 

 

 

 

ルプートア山脈山頂は、華で埋めつくされていた。少し盛られた土には、決して錆びることのない純鉄の鉄柱が建っている。その場所からはターペ=エトフの全てを見渡すことが出来た。一柱の魔神が、鉄柱に寄りかかるように座り、竪琴を奏でていた。魔神アムドシアスであった。花を供えたディアンに顔を向ける。

 

『汝の使徒はどうしている?いつも一緒だったではないか』

 

『泣き疲れたのだろう。三人とも、眠っているさ』

 

アムドシアスは頷き、再び奏で始めた。穏やかな風に花びらが舞う。ディアンは瞑目して、曲に耳を傾けた。一曲が終わる頃、別の魔神が出現した。アムドシアスが途端に不機嫌な表情を浮かべた。

 

『我は芸術など知らぬが、今の曲は中々に聞かせるの』

 

ハイシェラであった。アムドシアスが再び曲を弾き始めた。

 

『インドリト王は貴様とは違い、極めて優れた審美眼を持つ「美の理解者」であった。貴様のような「戦闘バカ」には、この名曲は理解できまい』

 

『美など何の役に立つだの?身を護りし鎧、敵を屠りし剣のほうが、遥かに役に立つの。汝のような「芸術バカ」には理解できまい』

 

二柱が視線を合わせる。だが流石に、この場で闘う程に愚かではない。ディアンはフッと笑った。

 

『アムドシアス… 一曲、頼めるか?インドリトは、お前の奏でる曲が好きだった』

 

芸術バカは頷き、竪琴を構えた。

 

 

…乾杯をしよう。若さと理想に。夢の時が、今はじまるのだ。皆で手を取り、詩を謳おう。夢の故郷を共に創ろう。家を建てよう!畑を拓こう!収穫の時には、飲み歌おう。我らは生きる。命の限り。生まれ変わるその日まで。それでもこの地は我らのもの。今こそ取り戻せ。夢と希望を!自由と平和を!乾杯をしよう。一時の別れに。新たな旅が、今はじまるのだ…

 

 

奏で終わると、アムドシアスは立ち上がった。ディアンの横を通り、ハイシェラの横を通る。そのまま黙って、山頂から去った。その目の端が、少し赤くなっていた。

 

『汝はどうするつもりだの?黄昏の魔神よ…』

 

黒い背に、ハイシェラは問いかけた。ディアンは少し間を開けて、振り返らずに返答した。

 

『再び、旅を始めるさ。理想はまだ、終わっていない…』

 

ハイシェラは頷き、その場を飛び去った。舞い散る花びらの中で、師弟の二人だけになった。弟子が眠る土に膝をつき、ディアンは肩を震わせた。

 

『お前は…私には過ぎた弟子だったよ…』

 

双瞳から熱い涙が溢れた。それは止まること無く、いつまでも溢れ続けた…

 

 

 

 




【次話予告】

ターペ=エトフは滅びた。民たちの心が落ち着くには、もう少し時間が必要であった。ファーミシルスも、己の身の振り方を考えていた。一方、滅亡したターペ=エトフを占拠しようと、マーズテリア神殿軍が近づいていた。およそ三百年ぶりに、オウスト内海に「漆黒の魔神」が出現する。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 最終話「それぞれの途」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。
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