戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフへの途~   作:Hermes_0724

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第四十八話:国務次官ソフィア・エディカーヌ

後世、ターペ=エトフを研究する歴史家たちは、ターペ=エトフの行政府および統治機構について、一様に関心を持つ。ターペ=エトフについての記録は不自然なほどに残されていない。具体的には、人口や国家予算、戸籍などは全て消失してしまっており、レウィニア神権国やスティンルーラ女王国に残された記録以外には知りようが無いのが実情である。賢王インドリトは、記録することを重要視していたと言われている。にも関わらず、ターペ=エトフ滅亡後には、国家についての記録が消え去っていたのは、何者かが意図的に記録を消した、と考えられる。そこで注目をされるのが、国務大臣「魔人シュタイフェ・ギタル」の存在である。

 

ターペ=エトフ建国元年から滅亡までのおよそ三百年間、シュタイフェは国務大臣としてターペ=エトフの行政府の最高責任者であった。シュタイフェについては、レウィニア神権国やカルッシャ王国などの近隣諸国にも、その記録が残されている。ターペ=エトフ歴四十三年、ターペ=エトフとカルッシャ王国との間で、ケテ海峡通行における取り決めが為された際に、カルッシャ王国側の交渉担当者であった「レオナルド・W・シュタイナー」の手記が残されている。

 

・・・シュタイフェ・ギタルという人物は、およそ国務大臣とは思えないほどに品がなく、重要な交渉局面においても「書けない程」の下品な冗談をしばしば発していた。彼が一体、どこまで本気なのか、我々には掴みかねていたことは間違いない。ケテ海峡は、西方諸国からの海上物流が集まる「要衝」であり、ターペ=エトフ側も海峡付近に軍を展開させている。一歩間違えれば、両国間の全面戦争にも繋がる「緊張地帯」であるのも関わらず、シュタイフェは

あろうことか、それを「女性の性器」に見立てて話をしたのである。だが、下品な喩えではあるが彼が言わんとするところはよく理解できた。交渉が平和裏に終結したことをまずは喜びたい・・・

 

シュタイフェ・ギタルは、外交と内政の両面で、八面六臂の活躍をしている。ターペ=エトフ滅亡後、シュタイフェは侵略者であった魔神ハイシェラに仕え、一部から「裏切り者」と非難をされる。一方で、シュタイフェはターペ=エトフの記録を消し去り、十五万人以上の「ターペ=エトフ国民」を守るために、ハイシェラに従ったのだ、という擁護の声もある。確かに、ハイシェラ魔族国を滅ぼしたマーズテリア神殿が見たものは、無人の首都と空の宝物庫、完全に消去された資料室であった。ターペ=エトフという国が確かに存在したと断言できるのは、絶壁の王宮跡と近隣諸国の記録があるからである・・・

 

 

 

 

 

首都プレメルは、午後の穏やかな日差しの中で眩く輝いていた。獣人族とドワーフ族の子供が縄跳びをして遊んでいる。ディアンたちは馬を降り、徒歩でプレメルに入った。

 

『ディアンの旦那っ!戻ったんですかい!』

 

酒屋を営むヴァリ=エルフの男が声を掛けてきた。通りすがりの知人たちも笑顔で挨拶をしてくる。石畳の道は綺麗に掃き清められ、街路樹には果実が実っている。大通りに入ると、その賑わいはさらに大きくなった。祭りの前の準備のようである。ソフィアが訪ねてきたので、ディアンが教えた。

 

『翠玉の月(七月)の二十四日は、インドリト王の誕生日だ。ターペ=エトフでは、建国記念日と国王誕生日に、盛大な祭りがある。各集落では毎月のように祭りをしているが、国を上げての祭りは、年に三度だ。「貝寄せの月(三月)にある建国記念日」「翠玉の月(七月)にある国王誕生日」「狭霧の月(十一月)にある収穫祭」だ』

 

『想像以上の街ですわ。規模だけなら、「龍陽」のほうが大きいのでしょうが、輝きがまるで違います。本当に、理想郷なんですね』

 

やがて、王宮までの「昇降機」が見えてきた。折のような「箱」に滑車が付けられ、鋼鉄を編んだ「綱」によって上下する。動力には魔導技術が使われている。昇降機の入り口に、屈強な獣人の兵士が二人、立っている。気負いが無く、良い気配を放っている。中々の腕を持っているのが一目で分かる。ディアンが声を掛けた。

 

『ドランとゴラン、兄弟で警備役か?』

 

『ディアン殿、お待ちをしておりました。インドリト王は王宮にてお待ちです。馬をお預かりします。こちらに・・・』

 

馬の手綱を手渡す。昇降機に隣接されて、そうした「預かり場」があるのだ。弟のゴランが馬を曳いている間に、兄の方に尋ねた。

 

『ファーミシルスから認められたようだな。確かに良い気配を放っている』

 

『先日、ようやく一本を取ることが出来ました。取らせて貰ったのかもしれませんが、それで警備兵として認めてもらえたのです』

 

『「強さの誤魔化し」をファミは嫌う。お前たちは確かに、強くなったぞ。駆けっこが苦手だった「あの子供」がなぁ・・・そのうち、オレと木刀を交えよう。腕を見てやる』

 

ディアンは笑いながら、昇降機に乗った、ソフィアは恐る恐るという様子であった。飛行魔法どころか、高い場所が全般に、苦手らしい。

 

 

 

 

プレメルの王宮は、ルプートア山脈の高所にある。だが温水が引かれているため意外なほどに温かい。王宮の前庭に入る。噴水が虹を作っている。白亜に輝く城に、ソフィアは目を輝かせた。

 

『綺麗・・・』

 

感動的な視界の端に、思わず笑ってしまうような光景があった。魔獣レブルドルでインドリトの友である「ギムリ」が、およそ魔獣とは思えないダラしのない格好で寝ているのである。日当たりの良い芝の上で、仰向けで横たわっている。ソフィアを連れているのである。嗅ぎ慣れない匂いに、普通なら警戒するはずだ。だがギムリは、薄っすらと目を開け、近づくソフィアを見ただけであった。鼻から深く息を吐き、そのまま寝る。ソフィアは笑いながら、ギムリの腹に手を置いた。

 

『可愛い・・・』

 

腹を撫でるソフィアの後ろで、ディアンは溜息をついた。

 

『ヤレヤレ、これでは番犬の役は無理だな。まぁ、それだけ平和ということか・・・』

 

ソフィアに撫でられるのが心地良いのか、ギムリはダラしない格好で眠り続けていた。

 

 

 

 

 

王宮を守る人間族の衛兵に、帰還を伝える。既に予定が伝わっていたため、待たされること無く王宮内に通された。だが王宮内には何か、殺伐とした空気があった。シュタイフェの部下たちが、慌ただしく行き来をしている。ディアンは先導する衛兵に尋ねた。

 

『王宮内が慌ただしいようだ。皆の表情にも焦りがある。何かあったのか?』

 

『それが・・・シュタイフェ殿が・・・』

 

『シュタイフェがどうかしたのか?』

 

衛兵は少し言い淀んだが、意を決してディアンに苦言を呈してきた。

 

『ディアン殿、シュタイフェ殿は唯一人で、我が国の国政を見ています。あまりにも負担が大きすぎます。ディアン殿は、東方諸国から数十人の職人を送られました。インドリト王はお喜びでしたが、実際に彼らが生活をしていくための手配や準備など、どれほど仕事が生まれたのか、ご理解頂けるでしょう?』

 

『なるほどな・・・』

 

要するに、何でもかんでもシュタイフェが管理し過ぎなのだ。中間管理職を置かなければ、シュタイフェは潰れるだろう。「組織の長」という立場は、シュタイフェ自身も初めてのはずだ。ディアンは、王への報告後に、シュタイフェに会うことを決めた。謁見の間へと続く扉の前に立つ。

 

『王太師ディアン・ケヒト殿、ご帰還っ!』

 

扉が開かれ、赤い絨毯の上をディアンは進んだ。玉座には、偉大なる名君が笑顔で座っていた。

 

 

 

 

 

『我が君、お懐かしゅう御座います。ディアン・ケヒト、ただいま帰還致しました』

 

『東方見聞の役目、ご苦労様でした。無事で何よりでした。我が師よ・・・』

 

師弟が笑顔で頷き合う。ディアンはまず、ソフィア・エディカーヌを紹介した。龍國で書いた手紙で概要は伝えていたが、今後についてはこれからの検討である。ディアンはソフィアがインドリト王と同じ「種族を超えた繁栄」を求めていること、些か賢しいところはあるが、国務次官とすればシュタイフェの仕事も減ることなどを説明した。インドリトはソフィアに話しかけた。

 

『ソフィア・エディカーヌ殿、私はインドリト・ターペ=エトフです。西ケレース地方は、多様な種族が住んでいます。皆が共に生きるためにはどうすれば良いか、私は今も悩み続けています。師が他者の知性を褒めることなど滅多にありません。貴女の叡智を貸してください』

 

ソフィアは真っ赤になっていた。インドリト王とはどの様な王か、自分なりに想像をしていた。だがその想像は全く意味がなかった。目の前の王はどこまでも穏やかで、それでいて瞳に強い意志と知性を宿している。だがそんな印象も泡と消えていく。王が発する「包むような気配」に、ソフィアは戸惑った。ディアン・ケヒトの言っていたことが実感として理解できた。「この王の為なら・・・」そう思わせるものが、インドリトにはあった。正に「名君」であった。ソフィアは自分が緊張していることを自覚しながら、何とか返答した。

 

『ソフィア・エディカーヌです。私で役に立つのであれば、何なりと仰って下さい』

 

ディアンも使徒二人も、俯きながら笑いを堪えた。心を鍛える修行は続けていた。だがそれも必要が無くなるかもしれない。偉大な人物が発する影響力は、一人の人間を変えてしまうことがある。ソフィア・エディカーヌは「優秀と思われたい」という渇望を抱いている。それ自体は悪いことではないが、それが全面に出過ぎるのが欠点であった。だが、インドリトを前にして、ソフィアは自分自身がいかに「子供」であったかを痛感した。王という立場にありながら、年下の、しかも女である自分に対して「叡智を貸してくれ」などと頼むのである。バカにしているわけでも見下しているわけでもない。ごく自然の姿勢でそう言えるのである。インドリトを前にして、ソフィアはようやく実感できた。知恵や知識、あるいは剣や魔法などは、本当の強さではない。真の強さとは「人としての器」なのだと・・・

 

 

 

 

『なるほど、天使族とイルビット族ですか・・・』

 

ディアンの「簡にして要を得た」報告に、インドリトは頷いた。だがディアン同時に、現時点での懸念を伝えた。

 

『東方からの受け入れの前に、まずやっておくべきことがあります。シュタイフェのことです。本日、王宮に伺って感じました。行政府はシュタイフェ一人で切り盛りをしている状態です。今のままでは、早晩、潰れてしまうでしょう』

 

インドリトは頷いた。

 

『国務大臣に負担がかかっていることは、私も憂慮しています。「部下に任せろ」と伝えたのですが、彼は意外に「完全主義者」のようで、何でも自分で見なければ気が済まないようなのです』

 

『我が君は行政府の最高責任者でもあります。そこで、我が君からお許しを頂きたいことがあるのですが・・・』

 

シュタイフェは何だかんだ言っても、代えがたい行政官である。ディアンはそれを敢えて、代えるつもりだった。力づくでも・・・

 

 

 

 

 

『ダメダメッ!これじゃぁ~ あぁ、これはそっちだな・・・』

 

王宮内に隣接された行政府に入ったディアンは、目を細めた。陽気な猥談を語る「知の魔神」はいなかった。そこには仕事に忙殺をされ、部下一人ひとりまで見ることができなくなった「追い詰められた管理職」がいた。シュタイフェは管理職の仕事を勘違いしていた。管理職は、自らは手を動かさないものなのだ。部下が安心して手を動かすことができるように「環境を整える」ことが管理職の仕事なのだ。

 

『シュタイフェッ!』

 

ディアンが声を掛けた。シュタイフェは動きが止まり、ディアンに顔を向けた。目が血走っている。ディアンは駆け寄り、書類を奪った。

 

『バカ野郎が・・・お前は仕事をしすぎだ!少し休めっ!』

 

シュタイフェは殺気立った目をディアンに向けてきた。

 

『仕事をし過ぎだぁ?その仕事を作ったのは誰だっ!勝手に龍國と交渉して、大勢の職人を送り込んだのは誰だ!プレメルで受け入れ、各産業を見聞させ、何処に役立つかを考え・・・』

 

ディアンは一瞬でシュタイフェの後方に回り込み、首筋を手刀で打った。白目を剥いて、シュタイフェが倒れる。

 

『このバカ魔人を鍵付きの部屋に閉じ込めておけ!お前たちに紹介しておく。ここにインドリト王からの任命書がある。ソフィア・エディカーヌが国務次官に就任した。国務大臣は体調不良のため、次官が指揮を取る。エディカーヌ殿、ご指示を・・・』

 

ソフィアは呆気に取られていたが、瞬時に切り替えた。前に進み出て、部下たちを見る。皆が疲れきっていた。

 

『ソフィア・エディカーヌです。本日から、国務次官としてターペ=エトフの行政府に入ります。私は本日、この国に来たばかりの人間です。右も左も解りません。ですので、今日一日を掛けて、すべての書類に目を通すつもりです。今日はもう、仕事にはなりませんし、見たところ皆さんも疲れているようです。今日はもう仕事を切り上げて、家でゆっくり、休んで下さい』

 

全員が、ほっとした表情を浮かべた。ソフィアは出口で一人ひとりに名前を聞き、顔と名を一致させていった。無人になった部屋に残ると、ディアンに指示を出した。

 

『ディアン・ケヒト殿、あなた国務大臣に手を上げました。それが彼のためだったとはいえ、暴力による解決など下の下です。罰として、明日の朝まで、私の手伝いをしてもらいます。宜しいですね!』

 

ディアンは背を向けて帰ろうとしたが、いつの間にか背後に、使徒二人が立っていた。

 

『安心しろ。誰も邪魔が入らないように、我らが衛兵を務めてやる。国務次官殿、存分に王太師をこき使ってくれ』

 

グラティナが大真面目の顔で言い放った。だが二人共、肩を震わせている。ディアンは溜息をついた。

 

 

 

 

 

知の魔人にしてターペ=エトフ国務大臣「シュタイフェ・ギタル」は、ようやく目を覚ました。自分が何故、寝ているのか解らなかった。記憶を再生し、思い出す。慌てて起きる。だが扉に鍵が掛けられていた。戸を叩くが、返答が無い。シュタイフェは焦った。自分がいなければ、国政が滞る。もうすぐ、インドリト王の誕生日だ。国祭の準備で、皆が多忙を極めている。早くここを出なければ・・・だが、扉には頑丈な鍵が掛かっている。いっそ魔術で吹き飛ばそうか。だが、王宮内での魔術使用は禁じられている。国政の責任者である自分が、法を破るわけにはいかない・・・

 

結局、シュタイフェはそのまま三日間、閉じ込められた。食事や水は、戸の下から差し入れられる。綺麗な個室であるが、実際には「牢獄」であった。シュタイフェは不安を感じながらも、やることが無いので寝るしかなかった。寝ながら、様々なことを考える。準備をしなければならない「直近の仕事」から、ターペ=エトフがより発展するための「将来の産業」などなど・・・

 

『そういえば、仕事が忙しすぎて、こうして考え事をするなんて、久々でやんスねぇ~』

 

欠伸をし、そのまま眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

三日後、ディアン・ケヒトが現れた。シュタイフェはディアンに詫た。二年ぶりの挨拶もなく、ディアンに怒鳴ったからだ。

 

『どうやら、少しは落ち着いたようだな』

 

『というか、諦めでやんスね。三日間も現場を放っておいたんだ。ここまで仕事が遅れたら、もう取り戻すのは無理っスよ』

 

『・・・付いて来い』

 

ディアンに連れられ、行政府に入る。そこで目にした光景に、シュタイフェは唖然とした。机の配置から部署の位置までが変わっている。そして見知らぬ美人が、ペラペラと紙を見ている。

 

『ありがとう、これで良いわ。お酒については、私は知識がないから、貴方の判断に任せる。去年の実績と一年間の人口増加を考えると、予算は三割増しで良いと思うわ。あとはお願いね』

 

シュタイフェの下で仕事を積んだ中堅層が、ソフィアに報告をしている。持ってくる紙はせいぜいが二枚程度であった。あとは口頭で報告している。ディアンはソフィアに声を掛けた。ソフィアは笑顔で、シュタイフェに手を差し出した。

 

『御挨拶が遅れて、申し訳ありません。私はソフィア・エディカーヌと申します。インドリト王より、国務次官を任じられました。大臣が体調不良とのことでしたので、私が代わりに、指揮を取りました』

 

『あぁ・・・その・・・シュタイフェでやんス・・・』

 

そしてシュタイフェはディアンを腕を取って、部屋の隅に向かった。

 

『ディアン殿、これはどういうことっスか?』

 

『インドリト王は、お前一人に負担を掛けていることに、ずっと悩んでおられた。そこに、東方からキレ者の行政官が現れた。インドリト王はその場で、彼女を国務次官に任じた』

 

『あ、アッシの仕事は・・・』

 

『お前の仕事か?あるぞ。お前は国務大臣としてドーンと座って、皆の働きぶりを観ていれば良い。報告を受けるのはソフィア一人からだ。それも、ソフィアが必要だと思ったものだけ、報告を受けろ。そしていつも皆の貌を見ながら、悩んでいそうな者や困っていそうな者に声を掛け、励ましてやれ。後は適当に冗談を飛ばしていろ。そして最後は、お前が責任を取れ』

 

『なっ・・・アッシの仕事は国務でっせ?そんな適当な・・・』

 

『お前は目の前の仕事に囚われ過ぎて、より大きな危機を招きそうだったことに、まだ気づかないのか?お前が全てを決済していたら、皆がお前一人を頼るようになる。行政府はお前がいなければ動かなくなってしまう。もしそんな組織の状態で、お前が倒れたらどうなっていた?行政府はそれで終わりだ。ターペ=エトフも崩壊の危機だっただろう。お前は重要な事だけを抑えろ。あとは下に任せるんだ』

 

『し、しかしもし、それで失敗したら』

 

『失敗か?まぁそういうこともあるな。神でない以上、失敗をしない者などいない。だがそれも経験だろ。そこから学習させ、次は失敗しないように教え、諭せ。それが上司の仕事だろ』

 

シュタイフェは腕を組んだ。ターペ=エトフ建国時は、ここまで業務量は無かった。また建国という仕事に夢中になっていた。しかし国ができた後は、行政府の仕事は「維持・安定」となった。その中で、気づかないうちに自分の仕事の仕方が変わっていたのだ。溜息をついて、頷いた。何か憑物が落ちたように、気分が晴れやかになった。改めて、ソフィア・エディカーヌのところに向かう。

 

『アッシの不注意で、ご迷惑をお掛けしたでやんス。不在中の指揮、ご苦労様でした。特に、何か変わったことは、無かったでやスか?』

 

『そうですわね。報告すべき点としては、大きくは三つですが、大臣もこの三日間の変化をお聞きになりたいでしょうから、概要をお伝えしますわ』

 

ソフィアが座っていた机のさらに奥に、一席が設けられていた。シュタイフェは座ると大きく息を吐いた。ソフィアが簡単な全体像と不在時に判断をした重要な三点、そしてその途中経過を報告した。シュタイフェは報告を聞きながら、目を丸くした。目の前の美人は、美少女と言えるくらいの若さなのに、その切れ味たるや自分でさえ舌を巻くほどである。名君インドリト王が、国務次官に任命した理由がわかった。

 

『・・・以上ですが、何かご不明な点はありますか?』

 

『あ~、一つ聞きたいことが、もうディアンとは一発ヤって・・・ブヘェッ!』

 

ソフィアの平手がシュタイフェの頬を打った。ソフィアはニコやかに返答した。

 

『失礼しましたわ、大臣・・・レイナとティナより、大臣のご性格は聞いておりました。私にそのような下品なことを言えば、どうなるか、お答えしたつもりです。ご理解いただけましたか?』

 

冷たい笑みを浮かべる凄腕の国務次官を見ながら、シュタイフェは素直に頷いた。

 

激務から開放された知の魔人は、本来の陽気さを取り戻して、行政府内を歩き回っていた。国務大臣という立場上、参加をしなければならない会議や外交の場面がある。それ以外は主に、行政府内を歩きまわり、皆に声を掛けて回ったり、インドリト王からの相談に乗ったり、あるいは長期の計画について考えたりとしている。行政府は事実上、ソフィア・エディカーヌが最高権力者となっていた。ソフィアの仕事は、適した実務担当者を登用し、そこに明確な指示を出し、予算と権限を与えて仕事を任せ、最終的な報告を受けることであった。東方諸国は人も多く、古くからこうした「行政府」が出来ていた。そのため、組織管理の考え方も進んでいる。ソフィア・エディカーヌの登場により、ターペ=エトフの行政府は飛躍的に機能化した。

 

 

 

 

 

『イルビット族の受け入れは良いのですが、天使族については、受け入れ方法を考えなければなりません』

 

インドリトは久しぶりに、ディアンの家を訪ねていた。東方から戻ったディアンは、さっそく「稲作」の準備を始めている。インドリト・ターペ=エトフへの献上品は王宮内で渡したが、弟子インドリトへの土産は別にある。東方諸国の酒や書籍、衣類などだ。ディアン・ケヒトがインドリトの師であり、八年間を共に生活したことは、プレメルの誰もが知っている。だからこそ、公私の区別を厳しくしていた。この家の中でのみ、インドリトは王ではなく、弟子であった。川を登ってきた「鮎」に塩を振りかけ、焼く。山菜を煮びたしにし、醤油を掛けて食べる。米は五分づきだが、鶏肉や人参、山菜類を一緒に炊いた。インドリトは初めて食べる米に目を細めた。まだ箸には慣れていないが、フォークなどは使わない。東方の食事は箸で食べるものなのだ。インドリトはそう考えていた。

 

『ただの天使族なら、カルッシャ王国なども気にしないだろう。だが、ミカエラは「熾天使」だ。三神戦争時に現神とも戦った「古神の一柱」とも言える存在だ。熾天使は通常の天使とは違い、六翼を持つ。ターペ=エトフ国民として、元老院に参画させるのは危険だな』

 

『仰るとおりです。ターペ=エトフに外敵からの危機が訪れるとするなら、まずは北西からでしょう。ケテ海峡の対岸は、光側勢力のカルッシャ王国です。またルプートア山脈西方はバリハルト神殿の勢力下と隣接します。一時的に力が弱まったとはいえ、それでも一国と戦うくらいの力は持っています。もし熾天使がターペ=エトフに住み着いたとなれば・・・』

 

『下手をしたら光側神殿、カルッシャ、フレスラント王国を相手にした一大戦争になりかねんな。天険の要害に囲まれたこの地でも、これら全てを同時に相手したら、勝ち目は無いだろう』

 

『あくまでも天使族は「同盟者」として受け入れた方が良いと思います。ダカーハ殿と同じような位置づけですが・・・』

 

『ミカエラたちはそれで構わないと言うだろう。彼らはメルジュの門が見える「天空島」から離れたいと思っている。二千年間も同じ地に住み続けていたが、メルジュの門は開いた。そのことが逆に、彼らを苦しめる可能性がある。あの門に創造主がいるのに、なぜ自分たちに姿を見せないのか、とな・・・』

 

インドリトが頷いた。種族を超えた繁栄の実現は、ターペ=エトフの国是とも言える。天使族を受け入れないという選択肢は、最初から存在していない。だが受け入れ方を間違えれば、他の種族にも影響が及ぶ。

 

『天使族に、ルプートア山脈西方を提供するのは良いとして、隣接するヴァリ=エルフ族への説明が必要になりますね。それは私から直接、説明をしましょう。天使族には、西方の未踏地を提供しようと思います。あの地は垂直に近い山々に囲まれているため、いまだ誰も踏み入ったことのない土地です』

 

『・・・事前に見ておいたほうが良いな。飛行魔法を使えば行けるはずだ。私が行こう』

 

『お願いします、先生』

 

『ディアン、政治の話はそのくらいにしろ。せっかくファミまで来ているのだ。皆に土産話をしたらどうだ?』

 

グラティナに促され、ディアンとインドリトは政治話を打ち切った。改めて乾杯をし、東方諸国の話をする。二年間の冒険話にインドリトは夢中になった。ソフィアはそんなインドリトを興味深げに見つめた。玉座にいた時とは雰囲気が違うからだ。目の前にいるのは、師を慕うドワーフ族の青年でしかなかった。こうした「二面性」は、師匠譲りなのだろう。ソフィアはそんなことを考えながら、鮎の塩焼きを頬張った。

 

 

 

 

 

国務大臣シュタイフェ・ギタルは、内政全般を次官に移管すると、自身は外交交渉および中長期計画を担当することにした。ラギール商会から「ルプートア山脈山脈南東部に洞穴を繰り抜き、交易路を作って欲しい」という要望が来ていた。多忙だった頃には後回しにしていたが、落ち着いて考えると深刻な問題であった。財政に問題はないが、輸出量が伸び悩んでいる。その原因は「二月に一度」という交易回数にあった。一回の交易での荷車の数は百両を超えているが、馬や荷車の維持費などを考えると、この規模が限界である。ターペ=エトフには、東方諸国からの職人が来訪し、技術導入が進んでいる。これまで輸入に頼っていた「衣類」「紙」なども、国内で賄うことが出来るかもしれない。それらを輸出するためには、より太い交易路が必須であった。さらに、ディアンからの報告が気になっていた。東方のガンナシア王国と、華鏡の畔「魔神アムドシアス」の接触である。政治的に微妙な状況である。華鏡の畔を通らない交易路が必須であった。

 

『インドリト様、ルプートア山脈南東部の洞穴工事についてですが、一通りの工程表が完成しました。ご確認下さい』

 

シュタイフェから渡された工程表を確認して、インドリトは首を傾げた。工事予算が思いの外、安いからだ。

 

『洞穴を掘るとなれば、それなりの人員が必要だと思いますが、これは安すぎるのではありませんか?』

 

『掘削に関しましては、ディアン殿の地脈魔術を使えば、数日で掘り進むことが出来ると思いやス。この費用は、落盤などが起きないように、固めるためのものでして・・・』

 

『つまり、師が独りで掘って、掘った後を固めていくだけ・・・ということですか?いくらなんでも、師に負担を掛け過ぎていると思うのですが・・・』

 

『はぁ、アッシもそう思うのですが、ソフィア殿が言うには「ディアン殿は平和なターペ=エトフの中で、名君の太師というおよそ不要としか思えないような役職に就いているのです。この程度の働きをして貰わなければ、給金泥棒と言われても仕方がありませんわ』とのことです。ソフィア殿は第三使徒候補者と聞いておりますし、その人が言うのなら、仕方が無いかと・・・』

 

インドリトは途中から笑いを堪えることに苦労した。だが洞穴堀りの前に、やるべきことがある。ダカーハへの報告である。明日、ディアンがダカーハに報告をする予定であるが、その場には自分も立ち会うつもりであった。大体の事情は聞いているが、ダカーハを慰撫するには、自分がいたほうが良いだろうと思っていた。

 

『まずはダカーハ殿に許可を得なければなりませんね。明日、師と共にダカーハ殿に会う予定です。そこでお願いをしてみましょう』

 

『アッシは、レウィニア神権国への根回しを進めやス。まあ洞穴の出口は、一応はケレース地方なのでそれほど問題は無いと思いやス』

 

 

 

 

 

インドリトが、ディアンから渡された「李甫の日誌」を読む。黒雷竜ダカーハはそれを黙って聞いていた。

 

『・・・いつの日か、竜族に詫びよう。たとえ、許されなくとも・・・ これが最後です』

 

ダカーハは暫く瞑目し、それから深く息を吐いた。ディアンとインドリトはその様子を黙って見守った。

 

『・・・「フェマ山脈」だったな?』

 

暫く沈黙していたダカーハが、ディアンに尋ねてきた。ディアンは頷いた。

 

『そうだ。ガプタール殿以下、二十ほどが難を逃れたそうだ。ダカーハ殿のことを気にしていた。インドリト王との約束を果たした後には、この地に来い・・・ そう言っていた』

 

『そうか、生きていてくれたか・・・』

 

ダカーハは空を見上げた。遠くを見るような瞳をする。やがてインドリトに語りかけた。

 

『何とも愚かしいことよ。その「硝石」なるものが欲しければ、我らに相談をすれば良かったものを・・・ だが、我も人間族を笑えぬか。人間族といえど、多様な考え方がある。その「李甫」なる人物は、ずっと悔いていたようだしな。種族同士が解り合うことの、何と難しいことか・・・』

 

『そうですね。しかし、だからこそ話し合う場が必要なのだと思います。お互いに胸襟を開き、語り合う。これしかないのではないでしょうか』

 

ダカーハは瞑目して頷いた。許すことは出来ないだろう。だが「全ての種族を呪う」ということは避けられそうだ。インドリトがダカーハに語りかけた。

 

『我がターペ=エトフでは、そのような「すれ違い」は決して起きません。起こさせません。皆が共に学び、共に働き、共に喜び合う・・・ 種族の垣根を超えて、繁栄を謳歌する国を必ず実現します』

 

『もはや既に出来ている。竜族と聞けば、皆は畏れるはずなのに、ターペ=エトフの子供たちは、我に近寄ってくるではないか。無垢な心は、いつ見ても良いものだ・・・』

 

ダカーハの中にあった憎しみは、すぐには消えないだろう。だがターペ=エトフで生きる中で、徐々に癒されるに違いない。実際に、二年ぶりに会ったダカーハは、棘のような気配が消え、丸みを帯びていた。

 

『ダカーハ殿、実は、あなたに相談があるのですが・・・』

 

ディアンは切り出した。万一を考えて、ダカーハから嫌われるのは自分であるべきだ。インドリトとダカーハの友情は、毀してはならない。ディアンの緊張とは裏腹に、ダカーハは笑って頷いた。

 




【次話予告】
次話は6月17日(金)22時アップ予定です。

イルビット族を受け入れる準備が整い、ディアンは東方の大禁忌地帯に戻った。だがそこには、紅い髪をした謎の美女がいた。

「私も、西に連れて行って下さい」

ディアンは警戒しながらも、彼女の要望を受け入れる。イルビット族たちと共に、理想国家「ターペ=エトフ」を目指す。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵への途)~ 第四十九話「謎の美女」

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・

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