戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフへの途~   作:Hermes_0724

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ターペ=エトフ歴十五年 ラウルバーシュ大陸西方域「ベテルーラ」

『「ターペ=エトフ」なる国では、信仰の自由を認めているとか・・・ イーリュンとアーライナを並べることは、まだ百歩譲ったとしても、古神まで認めるなど、許されることでは無いでしょう』

『いや、問題はそもそも「信仰の自由」という考え方自体だ。それが大陸中に拡がれば、神殿勢力の影響力は低下する』

『やはりここは軍を動かすべきではないか?カルッシャとイソラからの挟み撃ちにすれば、いかに要害の地とは言え、建国間もない国だ。簡単に陥せるだろう』

『しかし、あの地にはガーベル神やイーリュン神、ナーサティア神といった光側の神殿もあるのだ。古神を公然と認めている点については抗議をするとしても、軍を動かすというのは行き過ぎであろう』

荘厳な建物の中で、男たちが意見を交わしている。軍神マーズテリアに仕え、四角推状の階級を上り詰めた「枢機卿」たちである。闇夜の眷属たちが多い混沌とした地「ケレース地方」に突如として誕生した大国「ターペ=エトフ」について話し合っている。ターペ=エトフの国王はドワーフ族であり、首都には光の現神「ガーベル神」の神殿も建てられている。だが一方で、闇夜の眷属たちが信仰する神「ヴァスタール」「アーライナ」などの闇の現神たちの神殿もある。先日イーリュン神殿から、ターペ=エトフの首都プレメルに神殿を建てるという連絡があった。ターペ=エトフでは「信仰の自由」が認められており、古神を含め、どの神を信仰しても良いとされている。古神の眷属である龍人族が、ターペ=エトフの立法府「元老院」に参画している。他の国ではあり得ないことであった。

『教皇猊下、各自が様々に意見を持っていますが、共通しているのは「ターペ=エトフは危険」という点です。猊下は如何にお考えでしょうか?』

新教皇クリストフォルスは、考える表情をした。前教皇は対話を重んじていたが、自分はそれを「歯がゆい」と感じていた。ラウルバーシュ大陸でも最強の力を持っているのである。正義を為すにあたっては、時として力を使うことも必要なのだ。だが軍を動かすにあたっては、大義が必要である。

『現時点で、ターペ=エトフに軍を向ける理由はありません。ターペ=エトフは確かに、光と闇を並べ、さらには古神まで認めると公言しています。ですがそれは彼らの中であり、他国に対してまで、それを求めているわけではありません。謂わば、彼らの「縄張り」の中での話です。そこに軍を向けるとなると、明確な理由が必要となります』

教皇の発言に、枢機卿たちが頷いた。教皇は言葉を続けた。

『我らは、ターペ=エトフについて「伝聞」でしか知らないのが実情です。ここは、新たな「聖女」に動いてもらってはどうでしょうか?』

『では、ルナ=エマ様に?』

教皇が頷くと同時に、黒髪の美しい女性が室内に入ってきた。マーズテリア神殿聖女「ルナ=エマ」である。ルナ=エマは膝をついて、教皇に挨拶をした。

『猊下、私めをお呼びと聞きました・・・』

『聖女殿、あなたに頼みがあるのです。ケレース地方の新興国「ターペ=エトフ」に使者として行ってもらいたいのです。ターペ=エトフとはどのような国なのか、インドリト王はどのような王か、そして何より「信仰の自由」の結果、民たちはどのような暮らしをしているのか・・・貴女の眼で観てきて頂きたいのです』

『畏まりました。ではすぐに・・・』

『お待ちなさい。いきなりターペ=エトフに向かったとしても、どこまで見聞できるか解りません。ターペ=エトフは、隣国のレウィニア神権国と同盟関係だそうです。レウィニア神権国の君主「水の巫女」に親書を(したた)めましょう。水の巫女からの紹介となれば、ターペ=エトフも拒否は出来ないはずです』

『猊下のお手を煩わせ、誠に申し訳なく存じます。身命を賭して、御期待にお応え致します』

『期待していますよ』

ルナ=エマは枢機卿たちに一礼し、議場を出ていった・・・






第五十話:ルネサンス

白い肌が桜色に染まる。他の二人ほどに大きくはないが、形の良い椀型の乳房が震える。初めての痛みはすぐに消え、未知の快感が津波のように襲ってくる。

 

・・・黄昏の魔人ディアン・ケヒトの名に於いて、汝ソフィア・エディカーヌを我が使徒とする・・・

 

耳元でそう囁かれ、何かが流れ込んでくる。自分が変化していくのを感じる。心臓の鼓動が少し早くなる。ソフィアは男の頸を掻き抱き、大きな津波に酔いしれた。

 

『・・・職を退かれる?我が師よ、いまそう言われたか?』

 

『御意です。我が君・・・』

 

理想国家ターペ=エトフ国王、インドリト・ターペ=エトフは驚きと共に声を上げた。自分の師であり、目標であり、ターペ=エトフの守護神とも言える男が、王太師の職を退くと言うのだ。

 

『理由を聞かせてもらえませんか?』

 

『昨夜、国務次官ソフィア・エディカーヌを私の第三使徒としました。それが理由です』

 

インドリトはそれだけで、師の言わんとすることを理解した。ディアン・ケヒトはインドリトの師であり、八年間を共に生活した。そしていま、第三使徒ソフィア・エディカーヌが国務次官になっている。「国政の壟断(ろうだん)」という噂が立ちかねない。そうなる前に、自ら身を退くというのだ。インドリトは溜め息をついて頷いた。

 

『ご依頼の「東方見聞録」は、原稿は書き上がりました。現在、出版に向けての準備を進めています。完成次第、献上いたします』

 

『もう、この王宮には来ないつもりですか?』

 

『私は一国民として、市井で暮らします。王に呼ばれれば、いつでも参上いたします』

 

『・・・私は、王として独りでやっていける、そうお考えなのですね?』

 

『王としては、そうですね。ですが・・・』

 

ディアンは傲然と胸を張った。

 

『驕るな、インドリト・・・お前は剣も魔術も、知識も知性も、未だに未熟だ。お前が一人前になるには、あと二百年は必要だろう。エギール殿との約束もある。私が「皆伝」と認めるまで、お前は私の弟子だ!』

 

後ろに控える使徒三人は慌てたが、インドリトは嬉しそうに頷いた。ディアンの発言は、弟子として師の家を訪ねることは許す、ということだからである。師弟の様子を見ながら、国務大臣がディアンに尋ねた。

 

『それで、ディアン殿・・・市井の民となられて、何をされるおつもりか?いや、あなたは何も食べずとも生きていけるでしょうが、後ろの美人たちを餓死させるのは忍びないかと』

 

レイナが咳ばらいをする。ディアンは笑った。

 

『実は、以前からやってみたいと思っていた商売があるのです。稲も実り始めましたし、ちょうど良い機会です。プレメルに店を出そうかと思います』

 

『先生が店を?何の店です?』

 

王太師では無いため、インドリトは普段通りの呼び方で、ディアンに尋ねた。ディアンは笑みを浮かべて返答した。

 

『食い物屋です』

 

 

 

 

 

『地脈魔術は畑を耕すのに使えるな。普通なら鍬を使って土を掘り返さなければならないが、地脈魔術を使えば一反の畑を一瞬で耕すことが出来る』

 

そう言ってディアンは畑に立ち、魔術杖を突き刺した。地脈魔術が走り、一瞬で畑の土が掘り返される。その様子を見ながら、使徒たちが笑った。

 

『それにしても、ディル=リフィーナ広しと謂えど、畑仕事をする魔神などディアンだけだろうな』

 

『東方見聞をしていたころから、ディアンは商売を考えていたのね。ディアンの料理の腕なら、きっと人気が出るわ』

 

『東方の職人たちによって、醤油なども作られ始めています。いずれ、ターペ=エトフの新たな収益源になるでしょう。インドリト王は、それらは全て市井の民たちによって行えば良いとお考えです。国営にはしません』

 

『国営産業の最大の欠点は、競争が生まれないことだ。それゆえ、技術的革新が成されず、質の悪いものばかりが出回るようになる。採掘などの一次産業はともかく、外食産業などの三次産業は民間で行うべきだ』

 

ディアンの家は、プレメルから徒歩で半刻ほど南に行った、森の中にある。プレメルの街は拡大をしているが、北側に拡大をしているため、ディアンの家の周りには誰も住んでいない。鹿や猪が出るため、畑には結界を張っておく。科学世界では人間がアレコレと悩むことも、魔術があるディル=リフィーナでは簡単に解決できる。ディアンは改めて思った。魔導技術はいずれ、全世界に普及し、人々の生活に欠かせないものになる。科学に代替する存在だと。

 

畑仕事が終わったころ、プレメルから鍛冶職人がやってきた。どうやら依頼していたものが出来たらしい。

 

『ディアン殿、お主が言っていた「印刷機」が出来上がったぞ』

 

ディアンは顔を輝かせた。待ちに待ったからだ。

 

『すぐに行きます。お前たちも来るがいい。歴史が誕生する瞬間だぞ』

 

使徒たちは顔を見合わせた。主人がこれほど興奮するのは滅多に無いからである。

 

 

 

 

 

インドリトは見事な装丁の本を手にしていた。手に良くなじむ革の表装、ズッシリとした重厚さ、読みやすい字体に見事な挿絵が入っている。師が目の前にいることを忘れ、読み耽ってしまう。

 

『・・・驚きました。プレメルの図書館にあるどの書籍よりも素晴らしい出来だと思います』

 

『ディル=リフィーナ初の「活版印刷物」だからな。第二版以降は「紙」を使おうと思うが、初版に限り、上等な羊皮紙を使用した。百部程度を印刷している。アムドシアスやグラザ、レウィニア神権国などにも寄贈する予定だ』

 

『印刷機は私も見ました。一文字ごとに組み合わせることで、どんな書籍も大量に生み出すことが出来る。驚異の機械だと思いました。ターペ=エトフの子供たちも喜ぶでしょう。英雄譚や冒険話など、子供が喜びそうな本を印刷してはと考えています』

 

『「書を嗜む」ことを子供のうちから身につけておけば、大人になった時に大いに役立つ。印刷機は図書館に寄贈する予定だ。もともと、東方見聞録執筆の予算で造った機械だ。あれは、国家で管理をすべきだろう』

 

『図書館に収められる書籍は増え続けています。ドワーフ語やエルフ語への翻訳も進めていますが、これまでは手書きでした。活版印刷機を使えば、効率が飛躍的に向上しますね』

 

インドリトの笑顔に、ディアンは頷いた。無論、そうした狙いもあるが、ディアンには別の狙いがあった。活版印刷技術が普及することにより、何が起きるか、ディアンは予見していたのである。

 

 

 

 

 

ターペ=エトフ歴五年、著者不明という形で、紀行記「東方見聞録」が発行された。ディル=リフィーナ史上初の「活版印刷技術」によって生まれた本である。初版は百部であったが、手書きが当たり前の当時としては、異例の数と言えた。ターペ=エトフ国内では、この紀行記が話題となり、子供たちも楽しく読んでいるようである。隣接する華鏡の畔「魔神アムドシアス」からも返礼が来た。もっとも「芸術バカ」らしく、書籍の内容ではなく挿絵の美しさを褒め称えた内容であったが・・・

 

そうした中、レウィニア神権国からターペ=エトフに火急の使者がやってきた。君主「水の巫女」がディアン・ケヒトの「召喚」を求めていると言うのである。インドリトは眉を顰めた。シュタイフェが恭しく応答する。

 

『誠に恐縮ではありますが、ディアン殿は既に王太師の職を辞し、市井に生きる一介の民となっております。彼が法を犯したのなら別ですが、いかに王とはいえ「無実の民」を強制的に隣国に送るなど出来ません。「召喚」と仰るからには、何か理由があると思いますが?』

 

言葉は丁寧であるが、シュタイフェは内心では腹を立てていた。「召喚」とは、命令形の言葉である。ターペ=エトフは独立国家であり、レウィニア神権国に命令などされる理由は無い。外交的に無礼な表現であった。だが使者は、どうやら貴族出身らしく、無意識のうちに「傲慢」が出ているようである。

 

『我が国の君主「水の巫女様」は神です。神がお召しになった以上、召喚という言葉が相応しいと思いますが?』

 

シュタイフェが真顔になった。インドリトの眉間にはさらに深い皺が入る。だが二人が声を上げる前に、大声が響いた。ファーミシルスであった。

 

『無礼な!水の巫女がレウィニア神権国の君主であるならば、我がターペ=エトフの君主はインドリト王である!たとえ神であろうと、君主という立場は同じはずだ。このような政事の場において、貴殿らの信仰を我らに押し付けようと言うのか!』

 

飛天魔族ファーミシルスの怒声で、使者は身を固くしたようだ。それだけで外交の場では負けである。シュタイフェが溜め息をついて衛兵に命じた。

 

『この身の程知らずの無礼者を抓み出しなさい。使者殿、我がターペ=エトフは信仰の自由が認められている。「水の巫女信仰」を我らに押し付けるな。我らはレウィニアの民ではないのだ。水の巫女にそう、お伝えください』

 

使者は衛兵に引きずられ、王宮から放逐された。この騒動は第三使徒ソフィア・エディカーヌを通じて、その日のうちにディアンの耳に入った。ディアンは王宮へと向かった。

 

 

 

 

 

『この度は、私めのことで国家を危険に晒すことになり、お詫びのしようもありません』

 

自分に詫びる師に対し、インドリトはどのように声を掛けたらよいのか、迷った。シュタイフェが冗談交じりに応じる。

 

『あの阿呆は、口説き方がまるで解っていないようですな。好いたオナゴに股を開かせるには、それなりの接し方を・・・』

 

インドリトが咳払いをしたため、シュタイフェの下品すぎる冗談は途中で終わった。

 

『先生は関係ありません。外交上の無礼を責めただけです。我が国はいたずらに争うつもりはありませんが、国家としての気概は失いたくありません。レウィニア神権国には、正式に抗議の使者を出すつもりです』

 

ディアンが手を挙げた。

 

『・・・私はレウィニア神権国に行きます。水の巫女殿が私に会いたいと言う以上、行かなければならないでしょう』

 

『ですが・・・』

 

インドリトは不安になった。「召喚」という言葉が気になっていたからだ。下手をしたら、殺されるかもしれないのである。ディアンは笑みを浮かべた。

 

『無論、無事に戻ってくる予定です。私は一介の市民として行くのではありません・・・』

 

ディアンの気配が豹変する。

 

≪・・・黄昏の魔神ディアン・ケヒトとして、水の巫女と話をしてくるのです≫

 

ゾクッ

 

インドリトもシュタイフェも背中が震えた。久々に見る魔神の貌である。そして、魔神として訪ねるという意味は一つであった。ディアンはいざとなったら、レウィニア神権国を滅ぼすつもりでいた。

 

 

 

 

 

ただ独りでレウィニア神権国を訪れたディアンは、直ちに王宮に呼ばれた。ディアンは覚悟を決めた。水の巫女がいるのは「神殿」である。王宮に呼ばれたということは、水の巫女は関係ないということである。要するに「騙した」わけである。事の次第では、王宮内に血の雨が降ることになる。だが、ディアンは拍子抜けした。レウィニア神権国国王ベルトルトが頭を下げて謝罪して来たからだ。

 

『この度は、我が国の使者が貴国に大変な無礼を働き、遺憾の極みです。彼の者には、相応の処分を下しました。どうかこれをもってお治め頂きたい』

 

どうやらシュタイフェの言っていたことが正しかったようである。つまりあの使者が「阿呆」だったのだ。ディアンは笑って頷いた。

 

『ターペ=エトフ王も、レウィニア神権国との末永い友好を願っています。今回の件は、釦の掛け違えという程度です。お互いに笑って、水に流しましょう』

 

『そう仰っていただけると、助かります。水の巫女様がお待ちです。どうか、神殿へ・・・』

 

ディアンは頷き、神殿へと向かった。

 

 

 

 

 

『よく来てくれました。ディアン・ケヒト殿』

 

水の巫女との久々の会談である。十年以上前、この場でレウィニア神権国建国について語り合った。その時と変わらない美しさである。

 

『久しぶりだな、巫女殿・・・』

 

ディアンは椅子に腰掛けた。水の巫女は、ターペ=エトフの様子や近況について尋ねてきた。ディアンが簡潔に返答する。だが水の巫女が聞きたいことは、そんなことでは無いはずだ。

 

『巫女殿、暫く会わないうちに、社交辞令などを勉強したのか?オレを呼んだのは、そんなことを聞きたいからではないだろう。本題に入ってくれ』

 

『・・・この本についてです』

 

机の上に、東方見聞録が置かれた。ディアンが一瞥し、水の巫女に目を向ける。感情は表に出ていない。だがその瞳には憂慮があった。

 

『貴方が執筆したこの本を読みました。大変、興味深い内容でした。東方の「事実」と、それを貴方がどのように捉えたのかという「意見」が書かれ、読み物としても面白いものでした。貴方の意見については、賛否は分かれるでしょうが、そのような考え方もある、という程度で受け止められるでしょう』

 

『それで?』

 

ディアンが言葉を促した。水の巫女の用件は予想で来ているが、彼女の口から聞きたかった。

 

『貴方も解っているはずです。私が問題視しているのは、この本の「作られ方」です。この本は手書きではありませんね?版木のようなもので印刷をしたのかとも思いましたが、これほど分厚い書籍を版木で印刷するなど困難です。これは、これまでに無い方法で作られた本です』

 

『そうだ。「活版印刷技術」という。版木などの面倒は無い。文字一つ一つを組み合わせて一頁を作り、印刷機に掛ける。どんな書籍も安価で、大量に作ることが出来る。素晴らしいだろう?』

 

『お願いです。その技術を封印して下さい』

 

水の巫女は縋るような眼差しで、ディアンに懇願した。ディアンは表情を変えなかった。この話であることを予想していたからだ。水の巫女は言葉を続けた。

 

『「活版印刷技術」が普及すれば、本が大量に出回ります。誰もが「知識」を手にすることが出来るようになります。それは、ディル=リフィーナ世界の崩壊へと繋がりかねません』

 

『「崩壊」だと?違うな。変化するのだ。これまで神殿勢力だけが独占していた「神々の教義」を広く普及させる。誰しもが、光と闇を比較することが出来るようになる。「無知ゆえの盲従」から解放され、人々は自らの判断で歩み始める。活版印刷技術によって、「神々の搾取」から解放することが出来る』

 

『・・・やはり貴方は、最初からそれを狙って・・・』

 

『巫女殿、あなたと最初に問答をした時のことを覚えているか?あなたこういった。それは「破壊的な革命」だと・・・オレはそれから、この大陸を旅して確信したことがある。現神たちは、自らの都合を人々に押し付けているに過ぎない。彼らは「神」では無い。神の名を騙る「寄生虫」だ。人々を意図的に「無知」にさせ、盲目的に信仰させ、信仰心から来る「心的な力」を糧としている。「人の心に寄生する生命体」、それが神の正体だ!』

 

水の巫女は悲しげな表情をした。それはつまり、自分自身のことも「寄生虫」と言われたに等しいからである。ディアンもその表情に気づいていた。だが、あえて無視をする。

 

『オレの前世では、活版印刷技術が登場してから約百年後に、「ルネサンス」が起きた。「フィレンツェ」という小さな街から起きた津波は、瞬く間に広がった。この世界でもそうなるだろう。千年後にはこう言われる。「プレメルという小さな街から、ルネサンスが起きた」とな・・・』

 

『それを、現神たちが黙って見過ごすと思いますか?下手をしたら、西方の全ての神殿勢力が、ターペ=エトフに攻め込みかねません』

 

『大丈夫さ。東方見聞録を「著者不明」にしたのは、何故だと思う?活版印刷技術で生まれた様々な書籍たちは、静かに人々に普及していくだろう。震源地がターペ=エトフだと解った時には、もはや手遅れの段階になっているはずだ。ラギール商会を使って、西方に緩やかに本を流す。少しずつ、雨水が浸透するように、「隠された知識」が公になっていく・・・誰も気づかないさ』

 

ディアンは笑って立ち上がった。水の巫女と向き合う。

 

『・・・あなたが、黙っていればな』

 

 

 

 

 

水の巫女は内心で動揺していた。目の前の魔神は、かつて自分と問答をした時とは、まるで違っている。あの頃は、まだ迷いが見えた。この世界に生まれて間もなかったこともあり、世界を見聞して歩く、という「先送り」で決着が出来た。だが、いまは違う。「黄昏の魔神」は、自分の眼で見て、耳で聴いて、自分で判断をした上で、ルネサンスを起こすべきだと言っている。そして、それが出来る力を手にしている。ターペ=エトフは天険の要害であり、人々の流入が少ない。つまり情報が漏れ難い。一方で、レウィニア神権国や北方のカルッシャ王国は、西方と東方を結ぶ交易の要衝である。ここに活版印刷で生まれた様々な本を流せば、間違いなく西方諸国の人々にも行き渡る。アークリオン神とヴァスタール神の教義を対比させるといった、西方では禁じられている行為が、市井で静かに行われるのである。そうなれば、間違いなく信徒たちは疑問を持つはずだ。本当に、現神たちは正しいのか?と・・・水の巫女は意を決した。ここは誤魔化しは出来ない。自分はレウィニア神権国の君主として、この国を守らねばならないのだ。

 

『私が黙っていると思いますか?貴方がやろうとしていることは、あまりにも危険な賭けです。現神たちが全て正しいなどと言うつもりは、私もありません。ですが、このディル=リフィーナは、光と闇の神々の対立という構造で、維持されているのです。その秩序を毀せば、人々の心の拠り所はどうなりますか?』

 

『いきなり毀すのではない。疑問を持たせるのだ。その疑問が「蟻の一穴」になる。数百年後にはルネサンスが起きる。政治も文化も人々の生活も、神の(くびき)から解放され、人が歴史を動かすようになる。その頃には、信仰に代替する体系も出来上がっているはずだ。魔導技術という体系がな・・・』

 

『容認できません。私は、レウィニア神権国の君主です。一柱の魔神の野望のために、民を危険に晒すことは出来ません。もし貴方が、活版印刷技術を封印しないのであれば・・・貴方が、ルネサンスを目指し続けるのであれば、私は貴方の「敵」になります!』

 

ディアンは瞑目した。身にまとう気配が変わる。人の貌から魔神の貌へと変貌する。

 

≪・・・本気か?オレと戦うというのか?≫

 

水の巫女の気配も変化した。穏やかな美神としての気配から、魔神と戦う「戦女神」へと変貌する。

 

≪・・・貴方こそ、勘違いをしていますね。現神の力は、貴方が思っている程に弱くはありません。密かに印刷をすれば、現神たちに気づかれないと思っているのですか?甘すぎです≫

 

魔神と現神の二柱が対峙する。二柱の気配で空気が歪む。ディアンは黙ったまま、水の巫女と視線を躱し続けた。一触即発の緊張状態が数瞬続く。だがディアンは目を逸らした。魔神の気配が消える。その時、水の巫女は理解した。目の前の魔神は、まだ「迷い」の中にいるのだと。ディアンは溜め息をついた。

 

『仕方がない。国と民に責任があるのは、オレも同じだ。ここであなたと殺し合えば、それはターペ=エトフとレウィニア神権国の全面戦争に繋がる・・・』

 

水の巫女の気配も治まった。元の美神へと戻る。

 

『解ってくれましたか?』

 

『いや、解ってはいない。だが、オレの中の天秤に掛けて、ここは退くべきだと判断しただけだ。活版印刷は、ターペ=エトフ国内でのみとしよう。印刷物が外に流通することは無い。これが最大限の譲歩だ』

 

『・・・仕方がありませんね。ターペ=エトフは独立国です。その国でどのような書籍が出回ろうとも、レウィニア神権国がとやかく言う資格はありません。この国に漏れない限り、活版印刷技術のことは、黙っておきます』

 

ディアンは頷いた。そして寂しそうな表情で水の巫女に顔を向ける。

 

『巫女殿、オレはルネサンスを諦めない。「神の軛からの解放」は、必ず成し遂げる。いつの日か、あなたと殺し合うことになるかもしれん。出来れば、避けたい未来だがな・・・』

 

『二項対立の克服、話し合いによる解決は、ターペ=エトフの国是ではありませんか?そのような未来は、私も望んでいません。貴方と共に歩む未来を希望します』

 

ディアンは頷き、奥の泉から去っていった。

 

 

 

 

 

ディアン・ケヒトと緊張の問答を終えた水の巫女は、疲れを感じていた。ディアン・ケヒトの気配は、十年前とは比較にならない。第一級の現神たちに匹敵する力を持っている。そしてその力は、さらに強くなるだろう。ディアン・ケヒトは人間の魂を持つ魔神である。理屈上でしか無かったはずの、存在しえない魔人「神殺し」と同じなのである。このまま人として生き続ければ、やがては大神アークリオンをも超えるだろう。だが、その力以上に、ディアン・ケヒトの思想こそが、最大の問題であった。

 

(ディアン、貴方の理想は理解できます。ですが貴方の歩みは、余りにも速すぎます。無限の寿命を持つ魔神でありながら、人間と同じ速さで生き続ける・・・創造神は、何と危険な存在を生み出したのでしょうか)

 

水の巫女は辛そうな表情を浮かべた。自分の想いとしては、ディアン・ケヒトと共に生きたかった。短い期間であったが、彼が住んでいた屋敷は、いまもプレイアにある。その屋敷に留まり、自分と共にこの国で生きて欲しいという想いは、消えることは無い。だが一方で、それは叶わぬ想いであることも理解していた。ディアン・ケヒトが成し遂げようとしている「ルネサンス」が実現したら、現神も古神も関係なく「神族そのもの」が消え去る。つまりディアン・ケヒトは、「己自身を消す覚悟」で、ルネサンスを実現させようとしているのだ。そんなことを現神たちが容認するはずがない。七魔神戦争や三神戦争をも上回る、破滅的な大戦が起きるだろう。

 

(止めなければならない。たとえ、貴方を敵に回すことになったとしても、それだけは止めなければ・・・)

 

水の巫女の中に、一つの覚悟が固まった。

 

 

 

 

 

第二章 了

 

 

 

 

 

【Epilogue】

 

ラウルバーシュ大陸西方「スペリア」

 

蝋燭が揺らめく密室で、大神官たちが話し合いをしている。

 

『やはり、セアール地方に拠点を構えなければ、我々の勢力は回復しない』

 

『うむ、このままではマーズテリア神殿に圧される一方になってしまう。信徒の数も伸び悩んでおるし、やはりアヴァタール地方への進出が必要だ』

 

『だが、どうやって進出する?あの地には地方神を祀るレウィニア神権国が幅を利かせておるし、蛮族たちも多い・・・』

 

『我らが神に逆らう者がどのような末路を辿るか・・・それを目で見える形で示してやってはどうか?』

 

『というと?』

 

『我らが神殿が秘蔵する禁断の神器「ウツロノウツワ」を使ってはどうか?』

 

一同がどよめく。発言者が手を挙げ、言葉を続ける。

 

『・・・確かに危険ではある。だが、敬虔な信徒が正しく管理すれば、ウツワの狂気に飲まれることはあるまい。如何かな?』

 

互いに顔を見合わせる。若い男が立ち上がり、声を上げた。瞳には、神に対する絶対的な信仰心が浮かんでいる。

 

『バリハルト神に栄光あれ!』

 

皆が同様に、声を上げた・・・

 

 

 

 

 




※第二章終了までお付き合いを頂き、有難うございます。仕事の都合などで、予定が遅れたこと、改めてお詫びいたします。第三章は、8月1日(月)22時よりスタートを予定しています。


【次章予告】

名君インドリトの治世の下で、ターペ=エトフの民たちは、繁栄を謳歌していた。だがその理想国家にも、徐々に「黄昏」が近づいていた。苛烈な嵐神バリハルトを祀る神殿勢力が、再び進出してきたのである。ルプートア山脈があるとは言え、ターペ=エトフにとって警戒すべき事態であった。インドリトの密命を受け、ディアンはバリハルト神殿が建てられた新興都市「マルク」に入る。そこで意外な人物と再開することになるのであった・・・


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第三章:「神殺し」の誕生

・・・月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也・・・

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