戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフへの途~   作:Hermes_0724

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第五十四話:信仰と信仰心

マーズテリア神殿は、教皇ウィレンシヌスの代で、その最盛期を迎える。ウィレンシヌスは徳が篤く、「融和と対話」を打ち出し、多くの国々から支持を集める。そして、そのウィレンシヌスの片腕として、各国への外交を担当したのが、マーズテリア神殿聖女「ルナ=クリア」である。ルナ=クリアは、マーズテリア神殿聖女でありながら、闇神殿などにも造詣が深く、その思想は「光神殿の聖女」という枠に囚われないものであった。特に、アヴァタール地方に誕生した災厄の種「神殺し」に対する柔軟な姿勢は、ラウルバーシュ大陸中原の歴史に大きな影響を与えたと言われている。

 

ルナ=クリアのこうした姿勢が、何処で培われたかについては議論がある。ルナ=クリアは、神官長の娘として誕生したが、生まれながらに強い魔力を持ち、幼い頃から聡明な判断力を示していたと伝えられている。単に早熟な女性であったのか、それとも何らかの力が働いていたのか、ルナ=クリアはその一切を語ること無く、この世を去ったため、全ては闇の中である。

 

ただ、聖女として就任した当初のルナ=クリアを識る者として、マーズテリア神殿聖騎士「エルヴィン・テルカ」の証言が残されており、後世の歴史家たちを悩ませている。

 

・・・聖女殿は、教皇猊下の許可のもと、神殿奥の「秘密文書館」に篭っている。既に二日が経過しているが、彼女が出てくる気配はない。一体、何をそこまで気にしているのだろうか。現在、ケレース地方には魔神が国を興し、ターペ=エトフと戦争をしている。現在は、ターペ=エトフ側が優勢だそうだが、その影響はアヴァタール地方やレスペレント地方にまで広がっており、マーズテリア神殿としても動く必要があるだろう。猊下からも、いつでも軍を動かせるように、との御指示があった。どうやら聖女殿は、前聖女であった「ルナ=エマ」の日記を読んでいるようである。前聖女があの様な顛末を迎えられたため、同じ轍を踏まないように、との判断だと思われる・・・

 

・・・聖女殿が文書館から姿を顕した。その顔色に、私は思わず息を呑んだ。一体、何があったのだろうか。聖女殿はその足で、猊下の元に向かい、長時間の話し合いを持ったそうである。そして今日、猊下の御聖断が降りてきた。ケレース地方で起きている戦争には、一切介入せず、という御聖断である。猊下の御判断に口を挟むつもりはないが、あの地には、イソラ王国にマーズテリア神殿があり、ターペ=エトフ首都プレメルには他の光神殿もあるのだ。万一にも、魔神があの地を治めたら、大陸中原に大きな災厄が起きかねない。私はそれとなく、聖女殿に真意を尋ねた。聖女殿は一言、こう言われた・・・

 

「ターペ=エトフは滅びなければならないのです」

 

聖女ルナ=クリアが、なぜこのような結論に達したのか、その答えもまた、闇の彼方となっている。

 

 

 

 

 

魔神亭店主に面会を求めたルナ=エマは、約束の日時にプレメル郊外にあるディアン・ケヒトの家に向かった。森の中を緩やかな上り坂が続く。ルナ=エマは、神官騎士二名と共に、その坂を馬で登った。穏やかな森を抜けると、見晴らしの良い開けた土地に出る。山を背に、石と木で出来た家が二棟、建てられていた。何箇所かに畑があり、木の柵で囲まれている。山にも段々畑があり、香草類などが植えられているのが見えた。三人は馬を降り、家に向かう。獣人族の男女が出てきた。魔神亭で働いていた給仕である。

 

『こんにちわ、先生をお訪ねですね。馬をお預かりします』

 

水飲み場と餌場に連れて行くようである。ルナ=エマは質問をした。

 

『あなた達は、魔神亭で働いている人だと思いますが、ここで暮らしているのですか?』

 

『私たちは、もともとは奴隷だったのです。御主人様が私たちを買い、首輪を外してくれました。この家で一緒に過ごし、読み書きを教えて下さっています。あ・・・ 御主人様、なんて言うと叱られてしまうので、聞かなかったことにして下さい』

 

ルナ=エマは笑って頷いた。ターペ=エトフでは奴隷売買は厳しく禁じられているそうである。だがその法にも例外があった。「奴隷解放」を目的とするならば、その限りではない、とされている。実際、ターペ=エトフの行政府も、ラギール商会を通じて奴隷を買い、国民として受け入れて、軍属などにしている。ただ開放するのではなく、生きるための知識や技術をしっかりと教え、さらに仕事まで与えているのである。奴隷たちから見れば、理想的な主人だろう。庭先で、金髪の美女が木刀を構えていた。獣人の男と向き合っている。真剣そのものの気配だ。男が打ち込むと、女は簡単に弾き返した。

 

『私に打ち込めるほどに、気を掌握しましたね。十分に、兵士としてやっていけます。今日をもって、卒業とします』

 

男は肩を震わせながら、一礼をした。既にまとめてある荷物を持つ。亭主が姿を見せた。男に袋を渡し、肩を叩く。

 

『当面の生活費だ。ファーミシルス元帥には、既に話をしてある。お前はいきなり、隊長に抜擢されるだろう。戸惑いや迷いもあるだろうが、お前は決して、独りではない。迷ったら、ここで過ごした一年を思い出しなさい。答えは必ず、見つかるはずだ』

 

男はディアンに抱きつき、そして家を後にしていった。その様子を眺めるルナ=エマに向かって、亭主が一礼した。

 

 

 

 

 

『先ほどの獣人の方も、もともとは奴隷だったのですか?』

 

ディアンに歩み寄りながら、ルナ=エマは尋ねた。ディアンは笑いながら頷いた。

 

『獣人族、ヴァリ=エルフ族、そして半魔人・・・奴隷の多くは、亜人族や闇夜の眷属たちです。ターペ=エトフは、そうした奴隷たちを買い、解放しています。ラギール商会も、奴隷売買では一切の利益を得ていません。六歳以下の児童は、そのまま各種族に養子に出されます。学校で普通に学び、大人へと成長するのです。ですが、成人の奴隷も中にはいます。その場合は、軍で受け入れて教育をしたりします。私も何人かを受け入れ、修行をつけているのです』

 

『インドリト王と同じように?』

 

『この家で、インドリトは八年を過ごしました。私は鍛冶技術を持っていません。ですが剣術と魔術には、些かの自信があります。また、読み書きや計算といった、生きるための知識、知恵も教えることが出来ます。共に畑を耕し、狩りをし、器を焼き・・・そうした生活をインドリトもしました』

 

『そして、貴方の考え方、価値観に染まっていった。インドリト王の思想は、貴方が植え付けたものですね?』

 

ディアンはルナ=エマに顔を向けた。その表情は穏やかだが、瞳には多少の感情が混じっている。

 

『聖女殿・・・ いまの言葉は、人というものをバカにしていますね。「思想を植え付ける」ことなど、誰にも出来ません。多様な考え方、価値観の中から、自己判断によって「選択」するのです。インドリトは、自分の意志で思想を作り上げ、自分の意志で王になったのです。環境的な要因は確かにあるのでしょうが、貧しくとも盗賊に身を貶さずに生きる者もいるのです。「在り方」は、自分で決めることであり、自分でしか決められないことなのです』

 

『・・・私の失言でした。ただ、インドリト王に影響を与えたのでは、と思ったのです』

 

『まぁ、それはあるかも知れませんね』

 

ディアンは肩を竦め、ルナ=エマを家に案内した。

 

 

 

 

 

濃い紅色の茶と、焼き菓子が出される。ルナ=エマはディアンの書斎にいた。壁一面を本が占めている。冒険譚から魔道書まで、その種類は豊富だ。部屋の奥は、研究室になっているようである。ルナ=エマは、まず自分の疑問をディアンに尋ねた。全身を纏う魔力についてである。ディアンの答えは簡単であった。

 

『私の店の名は「魔神亭」です。その名の通り、私は魔神なんですよ。ですから、魔の気配を抑えるために、こうして魔力を身に纏っているのです』

 

冗談としか思えなかった。魔神が畑を耕し、森で狩りをし、奴隷を教育し、飲食店を経営しているなど、あり得ないことである。ルナ=エマは思わず、笑ってしまった。ディアンも笑う。冗談で誤魔化されたルナ=エマは、自分で推測をするしか無かった。

 

(おそらくは、半魔人なのでしょう。魔の気配を抑える、というのは事実でしょう。ですがむしろ、魔術師としての修行の一環、と考えられますね。剣術と魔術の両方を極めるなど、常人には不可能でしょうが、寿命の長い半魔人なら、可能かもしれません)

 

ローズヒップの茶を飲みながら、ディアンはこの家での暮らしを話した。

 

『東方から来た技術者に、稲作法を教えてもらいましてね。この家で、米酒を造っています。その他の酒も、ここで造っているのです。後で、ご案内しましょう』

 

『ありがとうございます。それで、本日お訪ねしましたのは・・・』

 

聖女が本題を切り出した。

 

 

 

 

 

『ターペ=エトフに来て、私は驚きました。皆が自分自身の信仰を持ちながらも、異なる信仰を認め合っているからです。この地に来るまで、私は「信仰の自由」とはどのようなものか、想像ができなかったのです』

 

『西方諸国では、国と信仰が一体となった「宗教国家」が多いそうですね。国教を定め、国民全員が一つの宗教を信仰すれば、宗教自体が国家の求心力になります。そうした国の在り方も、あって良いとは思いますが、ケレース地方には馴染みません。この地は様々な種族が住んでいます。各種族の信仰を尊重しなければ、一つの国家にまとまらないのです』

 

『確かに、理屈としては理解出来ますが、何と申し上げれば良いのでしょう。感覚的と言いますか・・・』

 

ディアンは笑って手を上げ、ルナ=エマを止めた。

 

『あなたはマーズテリア神殿の聖女です。マーズテリア神の神格者として、一心に信仰を続ければそれで良いのです。他の宗教など知る必要がありません。ただ、この世界には様々な宗教があり、自分とは異なる信仰を持つ者もいる。それだけを理解していればそれで良いのです』

 

『・・・あなたにも、信仰はあるのですか?』

 

『ありますよ。「ディアン教」という宗教です。ディアン・ケヒトという神を信仰しています。今のところ、信者は私一人ですが・・・』

 

『自分自身を「神」だと言うのですか?』

 

『私は魔神ですからね』

 

ディアンは肩を竦めて笑った。だがルナ=エマは笑うことが出来なかった。「己を神とする」ということは、あらゆる宗教からの自立を意味する。神に頼るのではなく、己自身の足で大地に立ち、歩み続ける・・・ 正にこれこそが、ターペ=エトフの本質ではないか? ルナ=エマは元老院でインドリトから聴いた話をした。

 

『インドリト王の話を聴いて、私の中で漠然とした不安が過ぎりました。インドリト王は「信仰」を客観視し、それを個々人の中に留めることで、社会と信仰を分離させています。ターペ=エトフでは、社会秩序は信仰ではなく「法」によって維持されています。現神への信仰よりも国家が定める法が優先される、と仰られました。これを突き詰めると、法を守るのならば、信仰など無くても良い、あるいは「己を神としても良い」となるのではありませんか?』

 

『そうですね。インドリトも同じことを言ったと思いますが、私は信仰というものを「道具」だと考えています。信仰によって幸福が得られるのであれば、信仰を持てば良い。幸福が得られないのであれば、無理をして、何かの神を信じなくても良いのです。「無信仰」で良いではありませんか』

 

『ターペ=エトフは、平和と豊かさに満ちています。日々の中で仕事があり、豊かな生活があり、気の合う友に囲まれる・・・信仰を持たなくても、幸福に暮らせるのかも知れませんね』

 

ルナ=エマの問いかけに、ディアンは応えなかった。立ち上がり、棚に並んでいる硝子瓶と杯を手にする。琥珀色の液体を注ぎ、ルナ=エマに差し出す。

 

『ターペ=エトフ産の酒です。少し強いですが、美味いですよ。どうぞ・・・』

 

ルナ=エマは一口飲んで、咽た。これまで飲んだどの酒よりも強い。ディアンは笑って、ルナ=エマの杯に水を注いだ。水で割ることで、飲み易くなる。

 

『・・・確かにターペ=エトフの国民たちは、幸福に暮らしています。ですが、信仰心を失っているわけではありません。ルナ=エマ殿、あなたは「信仰」と「信仰心」を混同しているのではありませんか?』

 

『どういうことでしょう?大変興味深いお話です』

 

『「信仰心」の原点は、どこにあると思いますか?人間族も亜人族も、みなに共通している点があります。山海の恵みに感謝し、空の雷に慄き、親兄弟、あるいは異性に対して愛情を持ち、気の合う仲間に友情を感じ、生きているという「奇跡」の中で、いつか迎える「死」に原始的な不安を持つ・・・ 信仰心の原点は、この壮大な世界の中で確かに生きている、という「奇跡への感謝」と、その奇跡がいつの日か終わってしまうという「死への恐怖」です。これは生きとし生けるモノ全てが持っています。犬や猫でさえも、死への恐怖心を持っているのです。そして人間族や亜人族たちは、そうした不安を抱えながらも、限られた生を精一杯、輝かせるために「信仰心」という心の機能を獲得しました』

 

『それは理解できます。現神はそうした人々の心に対して、救いを差し伸べています。光と闇とでは対象は違うでしょうが・・・』

 

『そう、その点です。現神も古神もそうですが、「生死に対する感謝と恐怖」という人の心の揺らぎを「言葉」によって具現化し、それに対する「解」を提示することで信仰を得ています。つまり人が持つ「信仰心」に影響を与えることで「信仰」を得るのです。光も闇も古神も、教えの内容などは違いますが基本構造は変わりません』

 

『人間族も、亜人族も「信仰心」を持っている。その信仰心が、特定の「何か」に向いた時に、それを「信仰」と呼ぶ・・・そう仰りたいとのでしょうか?』

 

『正にその通りです。信仰心とは「名詞」なんです。肉や野菜と同じです。ですが信仰は「動詞」なんです。具体的な動きを指す言葉なのです』

 

『その・・・まだ理解できないのですが、信仰心が信仰という具体的な行動に繋がる、というわけではないのですか?』

 

『いいえ、信仰心が信仰という行動に繋がります。私が言いたいのは信仰心に対する救いは、なんでも良いということです。その人にとって「救い」ならばね。先程も言ったとおり、心の揺らぎを言葉によって具現化し、その解を提示するのが宗教です。ならば、自分自身の力で具現化して、自分自身で解を導き出しても良いわけです。神を頼らずにね。信仰心は誰しもが持っています。ですが、信仰の行き先は人それぞれなのです。それを縛る権利は、誰にもありません。古神を信仰することで救われるのであれば、どうぞ信仰すれば良いのです』

 

ルナ=エマは、自分の心に揺らぎを感じた。この男の言葉は、自分の何かを揺さぶるものである。そしてそれは、大変に危険なことのように感じた。目の前の男が笑う。

 

『あなたはマーズテリア神の聖女です。マーズテリア神を信仰することで、救われているのでしょう?あなた個人が幸福なら、それで良いではありませんか。「信じる者は救われる」のですよ。同様に、龍人族や闇夜の眷属たちが何を信仰しようとも、あなたには関係のないことです。そこに下手に踏み入ろうとすると、自分自身の信仰をも、見失いかねませんよ?』

 

『す、少し考えたいと思います。大変、貴重なお話でした。今日はもう夕暮れですので、また明日、お話を聞かせて下さい』

 

『いつでも・・・』

 

ディアンは笑って立ち上がった。

 

 

 

 

ディアン邸を出て、プレメルの街に続く緩やかな下り坂を下りながら、ルナ=エマは振り返っていた。

 

・・・その人物は、貴女にとって危険な存在かも知れません・・・

 

水の巫女に言われた警告を思い出す。あの時はさして深く考えなかったが、今となっては理解できる。ディアン・ケヒトの言葉は、まるで魔術であった。マーズテリア神に対する自分の信仰は揺るがない、それは今でも言い切れる。だが男の言葉には、信仰心とは別の何かを揺さぶっていた。それが何なのか、じっくりと振り返る必要を感じていた。

 

(水の巫女は、あの男の「言葉の力」を知っていたのでしょう。だから危険だと言ったに違いありません。それにしても、まさかあのような男がいるとは・・・)

 

自らを「神」と称する男。信仰と信仰心について、神の立場から解き明かして見せ、その上で聖女である自分に対し「あなた個人が幸福ならマーズテリア神を信じれば良い」と言ってのけた男。思い上がりも甚だしいと思う反面、あの男の言葉は否定出来ないと思っている自分もいた。このような「揺らぎ」は、初めての経験であった。

 

『・・・これも、私の与えられた試練なのかもしれません。明日、再びあの男を訪ねましょう』

 

夕日の中で、ルナ=エマは呟いた。

 

 

 

 




【次話予告】
次話は8月5日(金)22時アップ予定です。

自身の揺らぎを感じつつ、ルナ=エマは再びディアンの元を訪れる。二人の話は、現神神殿の在り方について踏み込み始めた。それは彼女の何かを変えるものであった。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第五十五話「神、教義、神殿」

Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

ひざまずくか、諸人よ?
創造主を感じるか、世界よ
星空の上に神を求めよ
星の彼方に必ず神は住みたもう・・・

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