戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフへの途~   作:Hermes_0724

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第五十五話:神、教義、神殿

七魔神戦争以降、現神神殿は西方諸国を中心に、確固とした地位を確立した。「光と闇の代理戦争」と言われたマサラ魔族国を巡る争いなども発生したが、フェミリンス戦争以降の国家形成期においては、西方から中原にかけて、神殿勢力が伸長し、各国に強い影響を与えている。光の現神たちは、各王国の中で棲み分けられ、王族や貴族層にはアークリオン神殿が、騎士団や軍へはマーズテリア神殿やバリハルト神殿が影響力を持っている。ネイ=ステリナ三大種族であるエルフ族、ドワーフ族、獣人族たちはそれぞれに己の生存圏を持ち、その中で慎ましく生きるのに対し、人間族は生存圏拡張に意欲的であり、ラウルバーシュ大陸内でも最大の生存圏を持っている。そのため特に光神殿は、人間族への布教に熱を入れている。

 

一方で、その布教活動が時として災厄を生み出すこともある。その代表例がセアール地方南部で起きた「マクル動乱」であろう。マクル動乱は、セアール地方北方に広がっていたバリハルト神殿勢力が南下し、ブレニア内海沿岸部の肥沃な地帯に住んでいた先住民「スティンルーラ族」を追い出したことから始まる。スティンルーラ族は反発し、セアール人とスティンルーラ人とで激しい争いとなった。約百年に渡って続いたセアール地方南部を巡る勢力争いは、バリハルト神殿の暴走を引き起こし、神殿の崩壊とバリハルト勢力の衰退によって決着するのである。

 

後世、メルキア帝国皇帝ヴァイスハイト・フィズ=メルキアーナは「政教分離」を宣言し、神殿勢力が国政に影響を与えることを禁止している。無論、神殿勢力はこの決定に反発し、メルキア帝国内で幾つかの混乱が起きたが、ヴァイスハイトは古神信仰こそ認めなかったものの、光闇双方の信仰を認め、信仰の自由を保証することで、一定の安定をみるのである。

 

メルキア帝国において政教分離政策が実現できたのは、皇帝ヴァイスハイト治世において、メルキア帝国はラウルバーシュ大陸最大の帝国であり、その勢力圏内にはエルフ族、獣人族、ドワーフ族、闇夜の眷属など多様な種族が存在したため、国教を定めた場合は、帝国分裂を呼びかねなかったからである。皇帝ヴァイスハイトが信仰の自由を宣言した文章が残されている。

 

・・・かつて、ケレース地方に「理想郷」と呼ばれた国家が存在した。その国では、多様な種族が暮らし、それぞれの信仰を守りつつ、互いに助けあって平和に暮らしていたそうである。我がメルキア帝国も、広大な国土を持ち、多様な種族が暮らしている。予は考えた。皆が平和に、豊かに暮らすためにどうすれば良いか。「古きを温め、新しきを知る」という言葉もある。メルキア帝国の永遠の繁栄のために、古の先例に倣うものである・・・

 

皇帝ヴァイスハイトがターペ=エトフを参考にしたのは、正室である「フェルアノ・ラナハイム=メルキアーナ」の助言と言われているが、数多ある仮説の中の一つに過ぎない。

 

 

 

 

 

しとしとと降る雨の中、ルナ=エマは二人の護衛とともに坂道を登っていた。雲は厚みを増している。雨足はこれから強まりそうであった。午前中は畑仕事があるので、午後に訪問をして欲しいと言われていた。だがこのままでは、帰り道は雷雨の中を歩くことになる。家の前で、獣人の少女が傘を差して待っていた。ルナ=エマの側に駆け寄り、手綱を握る。礼を述べるルナ=エマに少女は笑顔で返した。軒下で外套を脱ぎ、叩扉するとすぐに戸が開けられる。ヴァリ=エルフの美しい女性が出迎えてくれた。この女性も、尋常ならざる強さを持っている。昨日、稽古をつけていた女性と、ほぼ同等だろう。躰からは微妙に魔力が上っている。

 

『有難うございます。ディアン・ケヒト殿にお時間を頂きたいのですが』

 

『話は聞いている。ディアンは今、畑で収穫をしている。少しお待ち頂きたい。熱い茶を入れよう・・・』

 

護衛の騎士二人とともに、別室に通された。自分の前を歩くヴァリ=エルフに尋ねる。

 

『昨日の女性もそうでしたが、あなたも人とは思えないほどに強いのですね』

 

『私はヴァリ=エルフだ。人間より強いのは当たり前だ。ディアンには敵わないがな』

 

『ディアン・ケヒト殿は、それほどにお強いのですか?』

 

『当然だ。魔神だからな』

 

ルナ=エマはそれ以上は質問しなかった。確かに目の前の女は、「魔神の使徒」と思えるほどに強い。だが、どうしてもディアン・ケヒトが魔神とは思えなかった。目の前に香気を放つ茶が置かれる。ヴァリ=エルフの女は一礼して姿を消した。騎士の一人が、ルナ=エマに話しかける。

 

『聖女様、本日はどのくらい、話をするおつもりですか?時間によっては、帰りが大変になります』

 

雨足が強くなるようである。ルナ=エマが応えようとすると、ガタガタと音がした。ディアンが戻ってきたのだ。

 

『やれやれ、今日はもう出歩きたくは無いな。ジル、野菜は(くりや)に運んでおいてくれ。今夜はカレーにしよう』

 

ジルという獣人の少年が、嬉しそうに野菜を厨房に運ぶ姿が見えた。外套を壁に掛けた主人が、部屋に入ってきた。

 

『ルナ=エマ殿、お待たせをして申し訳ない。足元が悪い中、再び訪ねて下さるとは光栄です』

 

『昨日のお話の続きをしたいのです。お時間を頂けませんか?』

 

『今日はもう出歩くつもりはありません。休店日でもありますしね。今夜は我が家にお泊まり下さい。客室は二つありますので、騎士の方々もどうぞ』

 

『宜しいのですか?』

 

『この雨は夜半まで続くでしょう。恐らく雷雨になります。万一にも、聖女殿が落雷に撃たれたとあっては、私はインドリトに首を刎ねられるしょう。お願いですから、今夜はお泊まり下さい』

 

冗談交じりの言葉に、ルナ=エマも笑顔で頷いた。厩戸から戻った少女に、ディアンは客室を用意するよう、指示を出した。

 

『これから夕食の支度があります。食事後に話をしましょう』

 

ディアンはそう言うと、厨へと向かった。

 

 

 

 

 

『こ、これは何という料理ですか?辛いのですが、とても美味しいです』

 

ルナ=エマは驚いた表情でディアンに尋ねた。

 

『これはカレーという料理です。ラウルバーシュ大陸の中央部、タミル地方の料理を私なりに工夫したものです』

 

金髪と銀髪の美しい女性のほか、獣人の子供二人も同じ食卓につく。ルナ=エマや護衛の騎士たちも同じだ。騎士たちは最初こそ恐縮していたが、カレーの味に夢中になったようだ。あっという間に皿が空になる。獣人の少女が手を伸ばす。

 

『おかわりならあります。先生、良いでしょう?』

 

『あぁ、あなた方も遠慮をすることはない。騎士ならば人一倍食べて当然だ。遠慮無くどうぞ。ミユ、多めによそってあげなさい』

 

『き、恐縮です!』

 

冷えたエール麦酒を飲みながら、美しい女性二人もカレーを口に運んでいる。食卓の上には、カレー以外にも野菜類を盛った器や、豚足のスープがある。ルナ=エマはディアンに尋ねた。

 

『私たちの為に、このような贅沢な料理をご用意下さったのですか?それであれば、大変心苦しいのですが・・・』

 

『いや、この家ではこうした料理が普通なのです。カレーの原料である香辛料類も、裏の畑で栽培したものです。この野菜もそうです。肉や麦酒は、プレメルの市場で仕入れたものですが、大した値段ではありません。ターペ=エトフでは、ほぼ全ての家庭でこの程度の食事はしているはずです』

 

『インドリト王も?』

 

『インドリトはカレーと麦酒の組み合わせが大好物です。確か以前、三日連続でカレーだったそうで、王宮内でも話題になったそうですよ』

 

『違うわ。四日よ。まったく、あなたがインドリトにカレーを教えたせいで、王宮内でも香辛料が植えられたそうじゃない。ギムリなんて、最初はクシャミが止まらなかったそうよ?』

 

金髪の女「レイナ」が笑いながら訂正をする。その様子を見ながら、ルナ=エマは思った。

 

(やはりどう見ても、魔神と使徒の関係とは思えません。まるで夫婦か恋人同士です)

 

 

 

 

 

食後、ルナ=エマは用意された客室に通された。程よく広い寝台と机、椅子が置かれた部屋である。騎士たちも同じような部屋に通されているのだろう。綺羅びやかさは無いが、質実さがある。まるでディアン・ケヒトという人間を表しているようである。叩扉されたので戸を開けると、レイナが立っていた。

 

『驚いたわ。まさか風呂があるなんて・・・』

 

広めの露天風呂に浸かり、ルナ=エマは目を閉じた。確かに一つ一つに綺羅びやかさは無い。西方には「金箔の風呂」などもある。だがルナ=エマは思った。本当の贅沢とは、このようなことを言うのではないか?雨音しかしない静かな中で、ルナ=エマは溜息をついた。風呂から上がり、用意された室内着に着替える。刺繍も何もないが、絹製である。そのまま、主人の部屋に向かう。叩扉をし、扉を開けるとディアンが机に向かって本を読んでいた。夢中のようで、ルナ=エマに気づいていない。時折、紙に書きつけていく。

 

『・・・このやり方でも無理か。他の解呪法を探さねば・・・』

 

ブツブツと呟く背中に声を掛けると、驚いたように振り返った。

 

『これは・・・大変失礼をしました』

 

少し見えた頁には、呪術陣が描かれていた。どうやら魔導書を読んでいたようである。ディアンは本を閉じ、ルナ=エマを椅子に案内した。脇机には、葡萄酒の瓶が置かれていた。その隣には、葡萄酒に合わせた料理が置かれている。

 

『この森で採れた茸をオリーブ油で漬けたものです。その緑色の豆は、未成熟の大豆を蒸し、岩塩と胡椒を掛けました。赤葡萄酒に良く合います』

 

『聞いているだけで美味しそうに思えますね。この土地で採れたものに手間を掛けることで、贅沢な料理にしている。今日の饗しは忘れられません。本当の贅沢とは何かを教えて頂きました』

 

『西方では、贅沢な料理として純金の器を使ったりするそうですね。私から言わせれば、虚飾の極みです。料理は味です。私なら、純金の器に盛った不味い料理より、素焼きの器に盛った美味い料理を選びますね』

 

『まったくその通りですわね』

 

ルナ=エマは椅子に座った。ディアン・ケヒトとの対談が始まった。

 

 

 

 

 

『昨日のお話の続きなのですが、あなたはこう仰りました。信仰と信仰心は違う。信仰心の行き先について、他者が縛ることは出来ないと・・・』

 

『私はそう思っています。勿論、違う見解もあるでしょうがね』

 

『その話を聞いた時に、私の中で漠然とした不安が広がりました。何かが揺すられたような気持ちになったのです。ですが、それが何なのか、未だに解らないのです』

 

『・・・ルナ=エマ殿、目的を履き違えていませんか?あなたは教皇の付託を受け、ターペ=エトフを見聞に来たのでしょう?ディアン・ケヒトという男が、インドリト王の師である。その男の入れ知恵によって、インドリト王は国を興した。多様な種族を一つの国として束ねるために、信仰の自由を保証する必要があった。その結果、種族同士が争うこと無く、互いの信仰に踏み入らず、ターペ=エトフでは皆が幸福に暮らしている・・・そう報告すれば、それで終わりではありませんか?あなたの目的は「見聞」であって、あなた自身の信仰を見つめることでは無いはずです』

 

ルナ=エマは沈黙した。ディアン・ケヒトの言うとおりであった。この男の思想は理解できた。インドリト王はその影響を強く受けている。確かにターペ=エトフの在り様は、下手をしたら現神勢力を弱らせるものであった。だがインドリト王は、その思想を広げようとは考えていない。目の前の男も、その思想を自分に押し付けようとはしていない。ターペ=エトフの中で、皆が幸福に暮らせばそれで良いと考えている。つまり「ターペ=エトフの国内事情」として片付けることが出来る話であった。だがルナ=エマは踏み込まざるを得なかった。この揺らぎを持ち帰ることは出来ない。

 

『あなたの言いたいことは、解っています。ですが私は一人の信徒として、自らの信仰の揺らぎを持ち帰るわけにはいかないのです』

 

ディアンは少し目を細め、小さく息をついた。そして徐ろに切り出した。

 

『ルナ=エマ殿、あなたが信仰しているのは、マーズテリア神自身ですか?マーズテリア神の教えですか?それともマーズテリア神殿ですか?あなたの信仰心はどこに向かっているのですか?』

 

質問を理解するのに、ルナ=エマは数瞬を要した。ディアンは言葉を続けた。

 

『例えば、ここに一人の男がいるとします。その男に、三人の愛人がいたとしましょう。四人は大きな屋敷に住み、豊かな生活を送っています。ある旅人が、その屋敷に滞在をした時、三人の愛人に尋ねました。「男のどこに惹かれたのか?」と。一人はこう答えました。「彼は外見も性格も良く、とても優しい。男としての彼に惹かれたのです」。別の一人はこう答えました。「彼の知識、知性、思想は私を魅了しています。知識人として、思想家としての彼に惹かれたのです」。最後の一人はこう答えました。「この屋敷を見て下さい。広い家で何不自由なく暮らしていける。財産家としての彼に惹かれたのです」・・・』

 

ルナ=エマは躊躇なく答えた。

 

『もちろん、マーズテリア神の教えです。「強きは、弱きを援けねばならない」「力有る者は大きな責任を負う」・・・マーズテリア神は、現神の中で最も強い力を持ちながらも、いたずらに暴力を振るわず。弱者を援ける情け深い神です。マーズテリア神の教えには、マーズテリア神自身のそうした価値観、思想が反映されています。私はその教えを信仰しています』

 

『なるほど、ではマーズテリア神殿がケレース地方に進出し、イソラの街を作ったのは何故でしょう?マーズテリア神の教えに、そのようなことがありましたか?』

 

『教え自体にはありません。ですが、その教えの「実践」として、ケレース地方に人間族が暮らせる街をと、進出をしたのです』

 

『そう、それこそが問題なのです。教義とは、神の思想を言葉として「普遍化」したものです。つまりそこには、翻訳者の意図が入っています。まして、その教義に基いた「実践」となれば、それは教義の「解釈」によって大きく変わります。イソラの街を作るという判断をしたのは、マーズテリア神ではなく、マーズテリア神殿です。マーズテリア神殿はどのような「解釈」に基づいて、イソラの街建設という「実践」を行ったのでしょう?』

 

ルナ=エマは、自分の中に微妙な「揺れ」を感じていた。だがそれを無視して、ディアンの問いに答える。

 

『マーズテリア神の教えの中にはこうあります。「秩序とは、己の行き先、己の欲するところを識ることから生まれる」・・・ですがそのためには、己自身を省みる必要があります。省みる基準が必要なのです。ケレース地方は様々な種族が生きる混沌とした地です。その基準を示す必要がある、神殿はそう考えたのです』

 

ディアンは低く笑った。かつて問答をした神官騎士ミライア・ローレンスの言葉を思い出していた。

 

『二十年前、ミライア殿も似たようなことを言っていました。「混沌とした地に、秩序を齎す」とね。誰から見て、混沌なのですか?誰のための秩序なのですか?ケレース地方は混沌などしていません。それぞれの種族が、互いの領分を守りながら、それぞれ幸福に生きています。あなたから見て、このターペ=エトフは混沌としていますか?』

 

『いいえ、インドリト王と元老院の下、皆が幸福に生きていると思います』

 

『この国では、信仰の自由という思想と法に基づいて、皆がそれぞれに棲み分けながら、幸福に生きています。そこにあなた方が出現した。プレメルの住人たちが、家々に隠れたのを見たでしょう。この国では、あなた方こそが、「秩序を乱す者」「混沌の原因」なのですよ』

 

『・・・私たちが「悪」だと仰りたいのですか?』

 

『正確に言うなら、あなた方の「実践」が、いたずらに混沌を引き起こしている、ということです。良いですか、マーズテリア神がどのような思想を持とうが、それはマーズテリア神の自由です。あなたが、マーズテリア神の思想に惹かれ、その思想で生きるのも、あなたの自由です。ですが、実践という具体的な行動は、他者を考えなければなりません。マーズテリア神の教義が絶対であり、それに従わないものは「悪」と決めつけ、相手に押し付けるのであれば、あなたを「悪」と断言しますよ。この、ターペ=エトフではね・・・』

 

ディアンの言葉は、ルナ=エマを大きく揺さぶっていた。自分がこの地に来たのは、マーズテリア神殿の頂点に立つ「教皇」からの使命によるものだ。ターペ=エトフの国是である「信仰の自由」と、その実践である「古神をも容認する」という姿勢が、光神殿にとって危険と思われたからである。だがそれは、マーズテリア神殿の考え方、立場から見たものである。ターペ=エトフがマーズテリア神殿に害を為したわけでも無い。となれば、ターペ=エトフ側から見れば「信仰の押し付け」と感じても仕方が無いだろう。ルナ=エマは、言葉を選びながら、ディアンに尋ねた。

 

『つまり、あなたはこう仰りたいのですか?「神」「教義」「実践」は、分けて考えるべきだと・・・』

 

ディアンは小さく拍手をした。

 

『ようやく、噛み合いましたね。最初の質問を覚えていますか?マーズテリア神を信仰するのか、教えを信仰するのか、神殿を信仰するのか・・・あなたは教えを信仰していると仰った。つまり「教義」です。それはあなたの自由ですが、その教義の解釈、実践には、様々な「意図」が介在します。つまり「神殿」の領域なのです。教義を信仰するということは、その教義を「自己解釈」しているということです。神殿を信仰するということは、教義の解釈を「神殿に委ねる」ということです。さて、ではもう一度問います。あなたが信仰しているのは、教義ですか?それとも神殿ですか?』

 

ルナ=エマは息苦しさを感じた。マーズテリア神の教えは、自分の中で息づいている。だが、いま自分がここにいるのは、教義を自己解釈した結果なのか、それとも神殿から与えられた使命に盲従しただけなのか・・・ルナ=エマの心は揺れた。ディアンは手を叩いた。ルナ=エマはそれで、思索の海から抜けだした。ディアンが笑う。

 

『・・・いかがです?あなたの心の揺れの正体を掴むことは出来ましたか?』

 

そう聞かれ、ルナ=エマは当初の問いを思い出した。何故、自分の心が揺れているのかを知るためであった。だが、まだスッキリとはしていない。話そうとするのをディアンが止めた。

 

『あなたは、もうその正体に気づいています。ただ、それを言葉にできずにモヤモヤとしているのでしょう。言葉にする必要はありません。言葉にすると、掴んだモノが逃げていきますよ?』

 

ルナ=エマは少し沈黙し、ため息をついた。

 

『本当に、あなたの言葉は魔術ですね。インドリト王の思想が形成された理由が解りました。そして水の巫女が、あなたに会うのは危険だと言った理由も・・・』

 

『人は考える生き物です。自分で考え、自分で判断をします。判断の基準は、経験であり神の教義であったりするでしょう。ですが、自分で考えるという姿勢を放棄してしまっては、それは盲信と同じです。たとえ聖女であっても、考え、判断し、振り返り、学ぶべきだと思います。あなたはターペ=エトフで、学んだのではありませんか?』

 

『この地に来て、良かったと思います。一人の信徒として、私の視野が広がりました。ですが同時に、私はマーズテリア神殿の聖女です。神殿の者としては、あなたの存在は危険と思わざるを得ません』

 

『ほう・・・何故です?』

 

『あなたの言葉は、神殿勢力を突き崩す力があります。もし、あなたがその思想を広めれば・・・』

 

ディアンは笑った。

 

『だから言ったでしょう?ディアン教を信仰していると・・・ ただ布教というのは、謂わば「実践」なのです。私は自分が正しいと思っていますが、同時にあなたも正しいと思っています。あなたに私の思想を押し付けるつもりはありません。インドリトだって、私と八年間を過ごしながら、ガーベル神を信仰しています。しがない飯屋の主は、そんな考え方を持っていた・・・そう思っていれば良いではありませんか』

 

ルナ=エマは頷き、立ち上がった。こうして、彼女の第二夜が終わったのである。この時点では、ルナ=エマは気づいていなかった。ディアン・ケヒトとの対談が、聖女としての自分を変化させていたことに・・・

 

 

 




【次話予告】
次話は8月6日(土)22時アップ予定です。

ディアン・ケヒトとの対談は、敬虔な信徒であるルナ=エマに、大きな影響を与えた。だがそれは、マーズテリア神殿にとっては不都合極まりないことであった。神殿は、苦渋の決断をせざるを得なくなるのである。


戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第五十六話「ルナ=エマの最後」

Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.

ひざまずくか、諸人よ?
創造主を感じるか、世界よ
星空の上に神を求めよ
星の彼方に必ず神は住みたもう・・・

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