戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフへの途~   作:Hermes_0724

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第八十五話:第一次ハイシェラ戦争 後編

レスペレント地方西部には、二つの大国が存在している。フィリップ・F・テシュオスが建国した「カルッシャ王国」と、ウンベルト・ナクラが建国をした「フレスラント王国」である。姫神フェミリンスが存在していた時代は、両国とも「姫神の恩恵」を授かり、亜人族や闇夜の眷属を敵として、友好関係を形成していた。特にフェミリンス戦争中などは、大魔術師ブレアード・カッサレという「目に見える敵」が存在したため、両国間に軍事同盟が締結され、連合軍をもって闇夜の眷属たちと戦争を続けていた。しかし、姫神フェミリンスが封印され、敵であったブレアード・カッサレも居なくなったことから、徐々に両国間の友好に亀裂が入り始める。

 

最初の利害の対立は、カルッシャ王国が西方諸国からの「大陸公路」に関所を設けたことから始まる。西方諸国からの大陸公路は、カルッシャ王国通り、ブレジ山脈北部とテリイオ台地の間を通り、そのまま中央部まで続く。つまりフレスラント王国は、大陸公路から外れた場所に存在しているのである。そのため、ブレジ山脈南方部の比較的通りやすい「礫砂漠地帯」と、低高度となる「ブレジ山脈北辺」の二箇所に交易路を拓き、カルッシャ=フレスラントの交易が行われていた。フェミリンス戦争時においては、重要な軍用路にもなっていたため、カルッシャ王国は関所などは設けず、両国間で活発な行き来があった。しかし戦争が終わると、この道は軍事的危険性を持ち始める。二十年間に渡って続いたフェミリンス戦争は、両国の軍事組織を肥大化させていた。戦争が終わったからと言って、出来上がった組織は簡単には解体できない。様々な「利権」なども絡んでいるためだ。組織が存続するためには、「新たな敵」が必要だったのである。

 

カルッシャ王国にとって、それは「ターペ=エトフ」になるはずであった。しかしターペ=エトフの宰相シュタイフェ・ギタルによる巧妙な外交政策によって、その目論見は霧消することになる。シュタイフェはまず、国土が狭く砂漠地帯の多いフレスラント王国に対して、廉価で食糧を輸出するなど、友好関係を深める一方、カルッシャ王国に対しては、ケタ海峡海戦などを取り上げながら、硬化姿勢を見せた。フレスラント王国はターペ=エトフとの交易を強化するために、南東に「サンターフ港」を整備し、北方諸国の食材(サトウカエデの樹液、薬草酒)などを輸出するとともに、ターペ=エトフからは食糧の他、武器や鉱物資源などを輸入し始めたのである。隣国が経済成長をするのを危惧したフレスラント王国は、ターペ=エトフ歴三十七年に、フレスラント王国北辺に関所を設けたのである。これが、後に両国間の対立を生み出すことになる。シュタイフェは、潜在的な敵国となる国同士を対立させることにより、一種の軍拡競争を起こさせ、その利益をターペ=エトフが得るようにしたのである。

 

後世、魔神グラザの一人息子である「リウイ・マーシルン」とその妻である「イリーナ・テシュオス=マーシルン」の尽力により、レスペレント地方にメンフィル帝国が誕生する。「幻燐戦争」と呼ばれるレスペレント地方の大戦の中で、この両国はようやく和解に至るが、カルッシャ王国王家の最後の血筋は、神殺しの第一使徒であり、事実上、カルッシャ王国は滅亡をしてしまう。多くの歴史家たちが、ターペ=エトフの存在がなければ、幻燐戦争の結末は違うものになっていたと述べている・・・

 

 

 

 

 

北華鏡平原での地上戦は、当初はターペ=エトフ優位に進んでいた。だがそれは、ハイシェラ魔族国宰相ケルヴァンにとっては想定内であった。防御力の高いズク族を前に出し、受けの体制を取っていたからである。最強の戦闘集団である「ホア族」を投入する前に、徐々に後退をし、相手を引きずり出す作戦であった。特に、魔神の使徒たちに対しては、ハイシェラ直属の「魔人」を充てる必要がある。ケルヴァンは「遠眼鏡」で戦場の様子を見ていた。獣人族の中に、金髪と銀髪の女を見つける。間違いなく「使徒」であった。

 

『よし・・・魔人バラパムと歪魔プローヴァに指示せよ。「お前たちの出番だ。戦場に躍り出て、金銀の女使徒たちを抑えろ」と!』

 

蛸のような触手を持った魔人と、道化師のような悪魔が、戦場に躍り出る。最前衛に出ていたレイナとグラティナにぶつかる。レイナは火炎系魔術を、グラティナは触手を避ける。プローヴァは歪魔の特性である「転移」と強力な火炎系魔術でレイナを引きつけた。レイナも魔術を駆使するが、魔力自体は歪魔の方が上である。

 

『魔術を使いながら、懐に入られないように転移を繰り返す・・・厄介なヤツね』

 

一方、グラティナも多方向から襲いかかる触手に手を焼いていた。剣で斬っても、すぐに再生をしてしまう。力自体は自分のほうが上だが、驚異的な再生力の前に、決定的な斬撃を放てずにいた。その様子を見て、ケルヴァンが頷く。戦闘集団「ホア族」が前線に出て来る。巨大な棍棒が音を立てて振るわれる。騎獣隊をレブルドルごと弾き飛ばす。形勢が徐々に、変わり始めていた。

 

 

 

 

 

一方、圧倒的な戦力である二柱の魔神は、北華鏡上空で剣を交えていた。凄まじい速度で剣同士が火花を散らす。ディアンの一撃を受け止めたハイシェラが、吹き飛ばされる。距離が出来た隙に、ハイシェラが純粋魔術を放つが、その前にディアンが距離を詰める。二柱は徐々に、オウスト内海上空へと移動していった。ハイシェラは眼を怒らせたまま、口元を歪めた。

 

«前よりも力が上がっているの・・・以前は本気ではなかったのか?»

 

«本気だったさ。そして負けた。忘れるなよ?オレは人間だ。敗北を肥やしにし、さらに成長をする・・・それが人間だ!»

 

剣を弾きあげ、空いた胴に蹴りを入れる。ハイシェラは勢い良く水面に叩きつけられた。だが追撃はしない。ここで純粋魔術を放ったところで、相殺して終わりだからである。水面から勢い良く、何かが飛び出してきた。ハイシェラだと思ったが、それはただの魔力の弾であった。複数の魔力が水面から放たれてくる。ディアンはそれを避けながら下を見ていたら、いきなり上から攻撃が来た。

 

«甘いの!お返しじゃっ!»

 

踵が頭部に落ちてくる。辛うじて防御をしたが、ディアンもまた水面に叩きつけられた。ハイシェラは自軍の様子に目を向けた。ホア族の投入で、ターペ=エトフ側の戦線が崩壊しつつある。相互に持つ最強の手駒「魔神」を封じれば勝てるという考えは、ハイシェラ魔族国側でも同じであった。水面から飛び出てきたディアンを迎え撃つ。再び斬撃戦が繰り広げられる。

 

«我を抑え込めば、勝てると思っておるのであろう?それは我も同じだの。汝さえ抑え込めば、我らの勝利は揺るがぬ!»

 

«「我らの勝利」だと?魔神らしからぬ言葉だな!»

 

ディアンの一撃が受け止められる。激しい斬撃戦の中で、ディアンは小さな疑問を抱いていた。目の前の魔神は、以前とは何かが違っていた。自己欲求による闘争以外の何かを求めていた。それは「本来の魔神」には無いことである。だが今は、それ以上は考えられなかった。僅かでも意識が外れれば、致命的な一撃を受けかねない。それほどに、拮抗した闘争であった。互いの最大戦力が抑え込まれている状況では、地上戦を左右するのは、兵士個々の質と物量である。ケルヴァンは自分の想定通りの展開に興奮をしていた。

 

『よしっ!このまま一気に押すぞ!総攻撃をかけろ!飛天魔部隊には、山頂砲台への攻撃を続けさせろ。無理をさせる必要はない。砲台を引きつけるのが目的だ!』

 

ホア族に続き、亜人族や魔族の部隊が次々と戦場に躍り出る。ターペ=エトフ側の戦線は崩壊寸前であった。獣人族やドワーフ族たちが必死に支えようとするが、数が違い過ぎた。

 

『いかんっ!このままではこの山まで押されるぞ!やむを得ん、お前たちは砲撃の手を休めるな!私は地上を支える!』

 

ファーミシルスが飛び立とうとした時、上空を黒い影が横切った。敵の飛天魔部隊に巨大な落雷が落ちる。黒雷竜ダカーハであった。その背から、一人のドワーフが最前線に舞い降りた。ホア族たちが吹き飛ぶ。

 

『退くなっ!自分たちの家族、友人、愛する者たちを思い出せっ!ここで退けば、皆が蹂躙されるのだ!お前たちには、この「ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)」がついているぞ!』

 

ホア族の巨体が一刀両断される。崩壊しかかっていた戦線が凄まじい沸騰を起した。戦意を失っていた兵士たちの瞳にギラつきが戻る。戦場全体を揺るがすほどの雄叫びがあがり、熱狂的な勢いでホア族を押し返し始めた。

 

 

 

 

 

『な、何?何が起きているの?』

 

歪魔プローヴァが唖然としたように呟いた。レイナが笑みを浮かべる。

 

『ターペ=エトフの最大戦力が投入されたのよ。ターペ=エトフで最も強いのは、黄昏の魔神じゃないわ。全兵士を立ち上がらせる程の力…インドリト・ターペ=エトフこそが、ターペ=エトフ最高の戦力なのよ!』

 

『ならばっ!』

 

プローヴァが転移空間を開いた。インドリトを殺すつもりなのだ。だがレイナがそれを許さなかった。転移する寸前にプローヴァに電撃が走る。さらに背後から切りつけられた。

 

転移(同じ技)を何度も見せるなんて、失敗ね。あなたの転移魔法は、もう読み切ったわ!』

 

剣が横一閃に払われる。プローヴァの首が落ちた。

 

『ボフボフッ…ナ、ナニガオキテルノ?』

 

魔人パラバムも男根のような先端をした触手を操りながら、雄叫びがする方向に顔を向けた。だがその一瞬が致命的であった。グラティナが純粋魔術を発動させた。それまで剣を使っていた敵が、いきなり魔法を使ったのである。パラバムの巨体では、とても避けられなかった。

 

『プキュゥアァァッ!』

 

純粋魔術の爆発で、自陣営まで吹き飛ばされた。その様子に、グラティナが舌打ちをした。

 

『あまりに軟体過ぎて、爆発の衝撃が吸収されたか。まぁ、この戦いにはもう戻れまい。レイナッ!このままインドリトの加勢に行くぞ!』

 

金銀の使徒が戦線に復帰した。ホア族の闘い方は攻勢に偏っており、守勢に回ると弱い。ホア族族長の巨体が二人の使徒に立ち塞がる。

 

『何だテメェらは…ここでぶっ潰して、後で犯し抜いて…』

 

『邪魔よっ!』

 

『邪魔だっ!』

 

ホア族最強の戦士が、一瞬で切り刻まれる。勝敗は決しつつあった。インドリトの参戦によって士気が爆発したターペ=エトフ軍は、一気にハイシェラ魔族軍を押し返した。ケルヴァンは両手を握りしめ、唇を噛んだ。やはりインドリトを暗殺しておくべきであった。たとえ不興を買おうとも、歪魔を使えば可能であったかもしれない。だが全ては後の祭りである。

 

『やむを得ん…ここは退いて、立て直すべきだ』

 

だが、撤退の指示を出そうとしたケルヴァンに、さらなる凶報が齎された。

 

 

 

 

 

«女子供などの民衆には手を出すな。我らは盗賊ではない!»

 

美を愛する魔神アムドシアスは、白馬の上から指示を出した。オメール山の麓にあるハイシェラ魔族国の本拠地に攻め込んだアムドシアスは、残された守備兵をアッサリと駆逐し、純粋魔術で扉を吹き飛ばした。

 

«愚かな…あの戦闘バカは、前に出ることだけが戦争だと考えておるのか?»

 

アムドシアスは呆れた様子で街に乗り込んだ。積み上げられた軍需物資を全て運び出す。居城に乗り込んだアムドシアスは、東方諸国産の陶磁器や絹布、北方諸国の彫刻などに目を細めた。

 

«美を解さぬ愚者に、このような貴重な芸術品など勿体なさすぎるわ!我が大切にお救けしようぞ»

 

民衆たちは自分たちの物資は取られなかったので、特に抵抗もせず、その様子を眺めていただけであった。ハイシェラがディアンとオウスト内海上空で死闘を演じている頃、アムドシアスは手に入れた芸術品を愛でながら、軍需物資とともにオメール山を後にした。

 

『クッ…まさか華鏡の畔が動くとは!すぐに撤退の鐘を鳴らせ!ハイシェラ王には私からお伝えする!』

 

一角を持つ魔神が数百の軍勢とともに出現し、本拠地に山積みされた軍需物資を強奪していったという知らせは、ケルヴァンの希望を打ち砕くに十分であった。長期戦に備えていたため、逝者の森には当面の物資は積まれている。だがこの数年間で蓄えた国力が一気に失われたのである。ケルヴァンは確信していた。「この敗戦は、いずれ漏れ伝わる。魔族国への援助も見直されるだろう。もはや、ターペ=エトフを落とすことは、不可能になった」…手を震わせながらも、水晶球に魔力を通した。主人に撤退の報告をするためである。

 

 

 

 

 

ディアンの両手から炎を繰り出される。煙幕を張り、ハイシェラの目を眩ませる。その間に移動し、再び防御を固める。二柱の魔神は、オウスト内海の中ほどまで進んでいた。目まぐるしく体制が入れ替わる中で、ディアンが巨大魔法を放つ。決まって、ハイシェラが北側にいるときである。別に当てる必要はない。躱せばその魔法はレスペレント地方の三王国に命中するのである。「物資支援をするということは、参戦したということだ。街の一つや二つ吹き飛ばさなければ、オレの気が済まん」…ディアンはそう割り切っていた。実際、沿岸部に街を構えていたバルジア王国はエル=アウエラの直撃を受けて、大混乱の状態になっていた。

 

«何を考えているだの?そのように守備ばかりをしておっても、我に勝つことなど出来ぬわっ!»

 

ハイシェラが剣を振り下ろす。クラウ=ソラスで受け止めたディアンは、口元に笑みを浮かべた。

 

«別にお前に勝つ必要はない。お前を倒さずとも、ターペ=エトフが勝つことは出来る!そろそろこちらの仕掛けが効く頃だろう…»

 

ハイシェラを押し返し、距離を取る。ハイシェラが再び飛び掛かろうと体制を取ったが、そこで動きが止まった。左の人差し指をコメカミに当てる。

 

«なんじゃと…»

 

ハイシェラが驚愕の表情で呟く。そしてディアンを睨んだ。

 

«貴様…我との闘いを汚すか!»

 

«何を言っているんだ?オレがいつ、お前と決闘するなどと言った?これはハイシェラ魔族国とターペ=エトフ王国の「戦争」だろう?お前との闘いなど、その一部に過ぎん»

 

ハイシェラが歯ぎしりをした。ディアンも剣を下ろした。

 

«諦めろ。もう決着はついた。ハイシェラ魔族国の後は、ターペ=エトフが引き受ける。怪我人は公平に手当をするし、亜人達も元の故郷に戻そう。もう止めろ。ここで退くのであれば、追撃はしない»

 

ディアンはこれで、ハイシェラ魔族国との戦争は終わったと確信していた。相手にはもはや継戦能力は無い。ハイシェラも十分に力を奮ったはずである。これで満足して、どこかへと消えると考えていた。だが、ハイシェラはディアンが想像もしない行動に出た。一目散に南へと飛び立ったのである。ディアンは慌てた。ここでハイシェラが戦線に復帰したら、形勢逆転の可能性がある。ディアンは全力でハイシェラの後を追った。だがハイシェラの速度はディアンを上回っていた。

 

«クッ…魔力を使いすぎたか。追いつけんっ!»

 

 

 

 

 

 

『インドリト、もう決着はついたわ。後は掃討戦だけだし、もう後ろに下がったほうが良いわ』

 

レイナの言葉に、インドリトは頷いた。気づかぬうちに、左腕に怪我を負っていた。レイナが手当をする。二百五十年前以上前に大洞窟を冒険した時も、こうして手当をしてもらっていた。淡く甘い記憶である。その時、黒雷竜ダカーハが舞い降りてきた。

 

『急ぎ退かれよ。信じがたい速さで、魔神がこちらに向かっている』

 

『まさか、先生が…』

 

『いや、ディアン殿の気配も感じる。どうやら追撃をしているようだが、あの魔神の方が速い。下手をしたら、戦場に巨大魔術が落ちるかも知れん』

 

『全軍、直ちに追撃を止めよ!一時退いて、守りを固めるのだ!』

 

インドリトの号令に、ターペ=エトフ軍が止まった。全軍が一斉に退き、北華鏡平原に構えた自陣の前まで戻り始める。ケルヴァンはその様子を見て、疑問を感じた。罠かとも考えたが、ここで追撃をする必要はない。

 

『今のうちに、急ぎ撤退をさせよ!負傷者は優先して運び、回復を図れ!』

 

その時、北華鏡平原の中央に、巨大な火柱が落ちた。北東から南西に向けて、炎の壁が作られる。ケルヴァンはすぐにその原因を察した。

 

『王がお戻りになられた!皆の者、王のご帰還である!』

 

ハイシェラが凄まじい速度で大地に降り立った。すぐに陣頭指揮を始める。

 

『ケルヴァン、全軍を撤退させよ!我が殿軍を引き受けるだの!』

 

『お、王よ…』

 

『黄昏の魔神やその使徒、そしてインドリト・ターペ=エトフ…これらに追撃をされれば、我らは本当に崩壊する。我がここで食い止める間に、オメール山まで下がるのじゃ!』

 

ケルヴァンは片膝をついた。

 

『王よ…我が主君、ハイシェラ様…どうか、ご無事で!』

 

ケルヴァンの指揮のもと、ハイシェラ魔族軍は撤退を始めた。

 

 

 

 

 

 

«王よ、ご無事でしたか!»

 

ハイシェラから僅かに遅れ、ディアンはターペ=エトフ陣へと戻った。人間の貌に戻り、主君の前で膝をつく。

 

『申し訳ありません。一瞬の隙きを突かれ、魔神ハイシェラをここまで戻してしまいました』

 

『いえ、彼の魔神を師が引きつけてくれたおかげで、ターペ=エトフの勝利が確定しました。些か肝を冷やしましたが、魔神ハイシェラはこちらに攻めては来ないようです』

 

『…正直に申し上げて、ハイシェラの行動が理解できません。私単独で、あの炎の壁まで向かうことをお許し下さい』

 

インドリトは少し考えて頷いた。魔力によって生まれた「紅蓮の壁」にディアンは近づいた。向こう側に、朧気ながらハイシェラの姿が見える。ディアンは再び、魔神に戻った。

 

«ハイシェラッ!こんなところで何をしている!勝負はもうついたのだ!お前の負けだ!»

 

«フンッ!我らはまだ負けてはおらぬ!兵はそれほど失ってはおらぬしの…我らは再び、ターペ=エトフを攻める!首を洗って待っておれ!»

 

«…お前、国の崩壊を防ぐために、ここで殿軍を引き受けていたのか?»

 

ハイシェラは何も返さない。巨大な気配は依然として、炎の向こう側にあった。そしてそこには、命を賭してでも追撃を防ぐという気迫が込められていた。ディアンは舌打ちをした。ここで追撃をしたとしても、彼我の犠牲が大きすぎる。これ以上の追撃は無意味であった。溜息をついて、炎の向こう側に語りかける。

 

«約束しよう。我々は、これ以上の追撃はしない。国に戻り、負傷者の手当てをされよ。さらばだ、ハイシェラ王よ…次は確実に倒す!»

 

ディアンは踵を返した。同時に、ハイシェラの気配が消えた。

 

 

 

 

 

ケルヴァンは本拠地の被害を確認していた。武器や食糧などは根こそぎ奪われていた。逝者の森に隠した軍需物資は無事である。だがそれでも七割近くの物資を失い、国家存亡の危機となっていた。だがハイシェラは明るい表情で叫んだ。

 

«今宵は酒宴にする!皆の者、大いに飲んで、食らうが良い!»

 

ケルヴァンも止めようとはしなかった。客観的に見れば、今回の戦争は完全な負けである。人的被害こそ互角であろうが、ターペ=エトフの本領は全くの無傷である。国全体で見れば、大した被害ではないのだ。一方、新興国であるハイシェラ魔族国にとっては、深刻な被害であった。魔神ハイシェラは、その強さと美しさで、魔族国を束ねる「象徴」となっている。負けを認めれば、その象徴が揺らいでしまう。それを隠すためには、酒宴などを開いて「努めて明るく」振る舞うしか無いのだ。

 

«流石はターペ=エトフよ、我らの猛攻を凌ぐとはの。じゃが、インドリトを見たであろう!戦に出るのは、あの齢が限界であろう。早晩、インドリトは戦場には出れなくなる。なれば、我らの勝ちは揺るがぬわっ!»

 

ハイシェラの呼びかけに、魔族たちが雄叫びを上げる。被害が大きかったホア族などへは、手厚く声を掛けていく。その姿は、もはや一柱の魔神ではなく、王そのものであった。

 

(確かに今回は負けた。だが、ハイシェラ様に王としての自覚がお芽生えになった。これは大きい。ターペ=エトフよ、次は負けぬぞ…)

 

ケルヴァンは美しき魔王の姿を見ながら、新たな戦に想いを馳せていた。

 

 

 

 

 

『王にっ!!』

 

ホゥッ!!

 

『名誉ある死者にっ!!』

 

ホウッ!!

 

ルプートア山脈北東部では、大規模な酒宴が開かれていた。それぞれの民族のやり方で死者を弔い、火を囲みながら歌を唄う。被害は出たが、魔神ハイシェラを撃退し、事実上の完勝であった。兵士たちは興奮し、インドリト王を讃えた。グラティナも、レイナやファーミシルスと肩を組みながら笑い声を挙げる。

 

『魔神ハイシェラに何が出来る!何が!誰もターペ=エトフに勝つことなど出来んわっ!!』

 

ホウッホウッホウッ!!

 

名君インドリト・ターペ=エトフは岩に腰を掛け、その様子を見ていた。顔には出さないが、気絶しそうなほどの疲労を感じていた。二百七十歳というのは、ドワーフ族であっても老齢である。自分に子がいれば、とうに地位を譲り、隠居をしているはずの年齢である。以前からそう考え、王の存在しない国家に向けて、準備を進めていた。魔神ハイシェラの出現で計画は後ろ倒しになったが、それでも一、二年程度の遅れで済むはずだった。

 

(私の予測が外れた…ハイシェラは、一柱の魔神としてではなく、王としてターペ=エトフに立ち向かおうとしている。ハイシェラ魔族国は滅びん。いずれ再び、侵攻してくるだろう)

 

師の言葉を思い出し、瞑目する。自分の寿命は長くない。おそらく、ハイシェラ魔族国が滅びる前に、自分は死ぬだろう。そしてそれは、ターペ=エトフの滅亡を意味していた。未練はある。無念でもある。だが悔いは無かった。師の許で学び、大魔術師の思想に触発され、このケレース地方に理想郷を作るために命を賭けた。建国後、二百五十年も走り続けてきた。理想は実現した。限りなく実現に近づいた。そして、理想を手に入れた瞬間に、自分とともに幻のように消えていこうとしている。

 

『夢、幻の如く…か』

 

インドリトは静かに呟いた。

 

 

 




【次話予告】

魔神ハイシェラを退け、ターペ=エトフは平穏を取り戻した。だが賢王インドリトは確信していた。ターペ=エトフはいずれ滅びると…

…ターペ=エトフ滅べど、その理想は滅ばず…

理想を繋ぎ続けるために、インドリトは師に「建国」を委託した。ディアン・ケヒトが構想した新たな国威は、後にディル=リフィーナ全体を揺るがすことに繋がるのであった。



戦女神×魔導巧殻 第二期 ~ターペ=エトフ(絶壁の操竜子爵)への途~ 第八十六話「神の道」


Dies irae, dies illa,
Solvet saeclum in favilla,
Teste David cum Sibylla. 

Quantus tremor est futurus, 
Quando judex est venturus,
Cuncta stricte discussurus!

怒りの日、まさにその日は、
ダビデとシビラが預言の通り、
世界は灰燼と帰すだろう。

審判者が顕れ、
全てが厳しく裁かれる。
その恐ろしさは、どれほどであろうか。
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