たとえ英雄になれないとしても   作:クロエック

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迷い

「はあ……」

 

 リリルカ・アーデはため息をついた。

 曇天の下、路上の上で。クリーム色のローブで体を覆い、彼女は立ち尽くす。

 

(これからどうしましょうか……)

 

 手持ち無沙汰だ、と彼女は思った。

 すっきりしない気持ちのまま、目的地も定めずに路地を歩き出す。

 最近はいつもこうだ。

 ベルとのパーティ。その活動において基本的に三日に一日の割合で設けている休息日。

 その日になると、リリは憂鬱な思いを抱え込んでしまう。

 

 充実しているのだとは彼女も思っている。ベルと出会ってから、彼女の毎日は変わった。

 ただ苦しみに耐え続けるだけだった日々は、今では喜びも安らぎも、時には充足感すら感じる事ができるようになった。

 彼には感謝している。それは間違いない。

 ただ、あまりに変化が急すぎたのだ。

 

 迷宮に潜っている間は良い。

 あそこでは余計な事は考えなくて済む。特に、戦士として戦うようになってからはいつも必死だ。目の前のモンスターをどうやって叩き潰すか。向けられる攻撃をどう防ぐか。どう戦い、どう倒し、どう生き残るのか。

 戦っている間はそれだけを考えていればよかったし、それだけを考えていられた。

 戦いの間だけではない。

 ベルにはまだ迷宮の経験が浅く、探索を主導するのはリリの役目だった。

 彼女はパーティのリーダーはあくまでベルだと思っているし、彼の決断はきちんと尊重するつもりでいるけれど、探索の計画を立て、選択肢を提示し、必要な行動を促す。それは今、リリの役目だった。

 つい昨日もそうだった、と彼女はその時のことを思い出す。

 

 

「8階層に……?」

 

 ベルがリリの提案をそのまま問い返す。

 

「そうです。現在の7階層の探索は余裕が大きいと感じます。ならリリはもう8階層に進出を始めても良いと思いますが、どうでしょうか?」

「そうだね、7階層では確かに危ないって思う事は殆どないけど……8階層かぁ」

 

 ベルが考え込むのをリリは眺めていた。

 彼は決して愚かではない。むしろ賢明な方だとリリは思っている。特に常識とされて終わるようなことでも思考を止めずに可能性を模索する考え方は彼女をして驚くことが多い程だ。

 しかし彼は8階層に行ったことがない。……これは、どれだけ考えた所で判断が下せる筈も無いことだった。

 

「リリがそう言うなら挑戦してみようか……。あ、それなら一応明日エイナさんにも相談しておくね」

 

 彼女の思った通り、ベルの判断はリリの考えに追随する物だった。

 それは決して悪い事ではない。

 ベルも7階層で余裕があるかどうかは自分でもきちんと考えているし、自身の担当官へ相談し判断材料を増やそうとするのも正しい。

 ずっと昔にサポーターに転向して以来、リリはギルドの冒険者担当官を利用していないけれど、ベルが担当官への相談をまめに行っているのは間違っていないと彼女は思う。

 何よりリリのサポーターとしてのキャリアは、未だ駆け出しの彼が遠く及ばない程に積み重ねられている。11階層までであれば地理の細部にいたるまで徹底的に網羅している程だ

 その彼女が()()()と判断したのなら、それを信じるのが最も正しいとベルが考えるのも無理は無い。

 

(サポーターとしてなら、リリもその自信があったんですけどね……)

 

 けれど実際には彼女も迷う。

 彼女は自分で戦う存在になったことで、改めて自己戦力を客観視することの難しさを知った。

 サポーターとして数多のパーティに雇われていた頃は、リリも自分の目に自信を持っていた。不相応な階層に潜り危険を冒すパーティや、適正な階層まで降りずに成長しないまま小金を集める臆病なパーティ。それらを見て、冒険者達の自己分析の甘さを笑っていたこともある。

 けれど自分が主体となって戦ってみれば、それが如何に難しいことだったかが解かる。

 戦いに全力を振り絞っている自分を、客観視する事は難しい。

 サポーターとして一歩引いた位置から見ていたならば、このパーティには何階層でどういう狩り方が適正だとすぐに判断する自信があったのに、今ではおぼろげに、戦ってみてまだ余裕があると言う程度の事しかいえないのだ。

 

 だから、迷う。

 しかしそれをどこか楽しんでいる自分が居る事も、彼女は感じていた。

 非力だと思っていたこの手が敵を倒しなぎ払って行く感触。自分が戦う事で、ベルを助け支えていると言う自負。そして不確かな自信を胸に、仲間と共に挑戦へと踏み出す事を。

 そう、彼女は長い迷宮の経験の中、やっとやりがいと言うものを感じる事が出来たのだった。

 

「ランディさんはどう思われますか?」

 

 リリはそう言ってもう一人の男、二人が雇っているサポーターの男性へと顔を向ける。

 ここ数日の探索は彼か、彼が紹介してくれるサポーターを連れて7階層へ潜っていた。

 このランディとの出会いもベルがもたらしてくれた変化の一つだとリリは思う。

 

「そうですね……新しい階層へ挑まれるのでしたら、一旦私達を雇うことは止めてお二人だけで挑まれるのが良いと思います」

「えっと、ランディさんは付いて来てくれないんですか?」

「はい、危険ですから」

 

 リリの問いに挑戦は二人だけでして欲しいと彼は言う。

 ベルの問いかけにも、危険だから行かないと平然と言い放つランディ。

 一見するとそれはただの臆病者の意見でしかない。でも、彼がただ臆病なだけでは無いことを二人はよく知っていた。

 

「わかりました。そうした方が良いんですね?」

 

 そう確認するベルに、彼は笑顔で頷いた。

 

「ええ。現状では予備の装備などは使われていないので、戦利品を持つだけの私達は同行しても戦闘の役には立てません。それどころか私達が襲われれば守って貰わなければならない以上、足手纏いですらあります。危険に陥った時に囮として利用するならば別ですが、お二人にはそれは無理でしょう?」

 

 そのランディの言葉にベルが躊躇無く、「当たり前じゃないですか」と声を発する。

 

「勿論そんな事リリもしたくありません」

 

 そう言ってリリもベルに頷くけれど、一方で彼女はそれを()()()()と断言はできない……。

 勿論、彼女だってランディを囮に使うなんて事はしたくない。けれどもしベルと彼が天秤に掛かったなら、きっとリリは彼を捨ててベルを取るだろう。

 それがわかっていたから、彼女はしたくないとだけ口にしたのだ。

 せめて、嘘をつき騙す事はしたくないと思いながら。

 

 彼はにこにこと笑い、ありがとうございますと二人に礼を言う。

 リリの言葉に気付かなかったからではない。逆に、気付いたから礼をしたのだ。

 結局は、同じ事だから。

 リリが彼を見捨てようと言った所で、ベルはそれに同意しない。そしてリリがベルを見捨てられないのなら、後はもう戦うしかない。

 だから二人には、ランディを囮にすると言う事は出来ない。

 

 結果として変わらないのだとしても、それでも自分の気持ちを偽りたくないと言うリリの言葉と、あくまでまっすぐなベルの優しさに、彼は感謝したのだった。

 

「まぁそう言う訳で、その階層での戦いが安定するまでは戦闘力の無いサポーターを雇うことは止めた方がお互いの為だと思いますよ。新しい階層でいきなり戦利品が一杯になるまで戦うのもどうかと思いますしね」

「そうですよね……あはは……」

 

 にこにこと笑顔のランディと対照的に、サポーターを雇う契機となった7階層での事を思い出し苦笑いのベルだった。

 

「そういう事ならしばらくはベルさんと二人で潜った方が良さそうですね」

「うん、そうだね。じゃあ次の探索からは……」

「ええ、私はしばらくはまた別の雇い主を探す事にしますからお気になさらずに。サポーターがご入用になりましたら、エントランスホールの12番テーブルに居る者に声をかけて下さい」

「わかりました」

 

 二人はランディから、信頼できるサポーター達は雇い主が居ない間はそのテーブルに居ると聞いていた。

 

「それでは私はこれで失礼します。お二人の冒険の無事を祈っていますよ」

「ありがとうございます。ランディさんもお気をつけて……」

「すぐに狩りを安定させてまた雇いなおす予定ですから、そのつもりで居てくださいね」

「はは、では期待して待っている事にします」

 

 そう言ってランディは笑顔で一礼すると、潰れた空のバックパックを肩にかけてバベルを出て行ったのだった。

 

「それじゃあリリ達も帰りましょうか」

 

 そう言って彼女がテーブルに立てかけてあった戦鎚を手に取り、ベルも頷いて二人でバベルを出る。

 

「ねぇリリ、8階層からはまたゴブリンやコボルトが出るんだよね?」

「そうですよ。最初に出る奴が力や速さなんかが上がって少し手強くなった感じですね。でもやってくる事は同じですから、あまり苦労する相手じゃないはずです」

「そうなんだ。じゃあ8階層で何か気をつけることってある?」

「うーん、行ってみればわかりますけどルームの数が多くて、一部屋の大きさも広いですね。なのでモンスターの群れの大きさが今までより大きくなりやすいです」

「そっか……でもそれって気をつけようってあるのかな?」

「……ないですけど、まぁ覚悟しておいてくださいと言う事です。一番の強敵がキラーアントなのは変わらないままですから、8~9階層はそこまで苦労する事はないはずですけどね」

「なるほどね。じゃあ8階層が大丈夫そうならランディさんに声をかけるより先に、9階層も行っちゃった方が良いのかな?」

「いえ、行くにしても9階層は様子を見る程度にした方が良いでしょうね」

「え、何でなの?」

「10階層から大型モンスターのオークが出るようになるからです」

 

 リリがそう言うと、ベルが唾を飲んだ。

 

「大型モンスター……」

 

 大型モンスターと言えば、彼にとっては何よりもまずあのミノタウロスが連想される相手だ。

 あのミノタウロスともう一度出会ってしまったとしたら……。

 ベルは無意識に予備武器として腰に挿している折れた剣の鞘をなでた。

 

(いや、リリが言ったのはオーク。あいつよりずっと弱い相手の筈だ……)

 

 ベルはそう考えて自分を落ち着かせる。

 オーク。その名も彼には聞き覚えがあった。

 忘れもしないナァーザとの旅。そこで戦ったあのブラッドサウルスを、ナァーザはダンジョンのオークよりちょっと強い程度だと言っていたのだ。

 あの時はナァーザがいてくれた。トラウマを抱えているとは言え、圧倒的な弓の腕をもつLV.2の頼れる射手である彼女が。その彼女の援護なしで、今の自分とリリの二人だけであの恐竜と同等の強さをもった相手に勝てるだろうか?

 

「モンスターは稀に階層を跨いで上下へと移動することがあります。めったに無い事とは言えその可能性は無視できません。敵の構成も実入りもほぼ変わらないのですから、9階層へ行って無駄にリスクを犯す必要があるとは……って聞いてますか?」

 

 8階層に留まるべき理由を説明していたリリだったが、ベルの様子が変わったことに気付いて声をかける。

 ベルはごめんと謝ってから、脳裏に浮かんだ疑問をそのままリリに問いかける事にした。

 

「ねぇリリ。もしオークと戦う事になったら僕らで勝てるかな?」

「えっ? そうですね……まぁ大丈夫だと思いますけど」

「本当っ!?」

「でも複数のオークを捌き切れるかわかりませんから10階層には行きませんよ? 9階層でだってモンスターの群れと戦ってる最中にオークが乱入してきたりしてきたら厄介ですからね」

「そっか……じゃあ僕がオークと一対一でやりあったらどう?」

「ベルさんが一対一でですか? うーん……」

 

 そのベルの質問にリリは考え込む。何故一対一と言う条件が出てくるのか彼女にはわからなかったけれど、頭の中でそれを想像してみる。

 例えばそう、複数のキラーアントなどと戦っている最中にオークが現れたという感じだ。

 その場合まずは敵の数を減らす事が大事だ。殲滅力の高い自分がそれまでの敵を叩き、オークはベルが引き付ける……それなら悪くないだろうと彼女は思った。

 守りに徹すれば、ベルがオークを抑えることは難しくないだろうと彼女は予想する。しかし彼がオークを倒せるかと言われれば、無理ではないけどやって欲しくもない。

 倒せるとは思うが確実ではない。負ける可能性もある。ベルがオークを抑えるとなったら無理に攻めようとはせずに負けない事を重視して欲しいとリリは思う。

 

「そんな感じです」

 

 そうリリが自分の考えをベルに伝えると彼はゆっくりと頷いた。

 

「わかった。もしそうなったら頑張るよ」

「……お願いしますね」

 

 ベルが何故突然気合の入った返事をしているのかリリには解からなかったが、やる気があることは良いことだしと彼女は深く追求はしなかった。

 そうやって二人は次の探索について相談をしたり、途中で夕食の買い物等を済ませたりして帰り道を歩いて行く。

 

 リリは思う。

 こうして自分の隣を誰かが歩いている事。

 迷宮で背中を預け、互いが力を尽くして助け合う事を。

 

 仲間になって欲しい。彼はあの時そう言った。

 リリは、仲間など知らない。そう呼べるような相手はかつて一度もいたことはなかった。

 自分を虐げる冒険者達の群れ。それが仲間と言うものなら、そんなものはただ嫌悪するだけの対象でしかなかった。

 

(でも、今のリリ達が……そうなのでしょうか……だとしたら……)

 

 仲間が居る日々。

 それは、そう悪くないもののように思えた。

 

 

 曇天の下、彼女は一人歩いている。

 

(余計な事、しなくても良いのに……)

 

 休息日にリリは、装備類をゴブニュ・ファミリアに預けて見てもらう事にしている。

 特に重装備を頼りに敵へと突撃するリリの鎧は、破損や変形を起こしやすく、本職の鍛冶師のメンテナンスが欠かせないからだ。

 メンテナンスだけではなく、実戦で使ってみて感じた問題点や改善点などもよく話し合っている。

 今すぐ意味があるものではないけれど、もし次の装備を注文する時がくればきっと活かされることになるだろう。

 変わった戦闘スタイルにあわせて、リトル・バリスタの仕様を変更する事なども相談していて、ここ最近でゴブニュ・ファミリアの担当鍛冶師とは大分関係が深くなっていた。

 

 リリがそうして休息日を使う一方、ベルは神タケミカヅチに師事して剣の修練に励んでいる。

 大きな変化はないけれど、リリの目から見ても段々と彼の剣筋からは素人臭さが抜けているように見えた。続けていけばきっと彼の大きな力になっていくだろうと彼女も思う。

 それは良い。

 ただベルと別行動になり、こうして一人街を歩いていると……まるでベルと出会ってからの自分が何かの間違いだったんじゃないかと言う思いがわいてくるのだ。

 身の丈を超える戦鎚も自分を包む重い鎧もなく……ちっぽけで非力なただの小娘。それが、自分の本当の姿ではないのかと。

 

 今からでも、自分も神タケミカヅチに師事することにしようか。そんな事も考える。

 リリの戦い方は特殊で自分で試行錯誤していくしかないと言われはしたが、あの武神の助言は確かだった。

 それに単純に武器の使い方を習うだけでも無駄にはならないだろう……なにより、こうして一人不安を抱えるよりもその方が良いようにリリには思える。

 

(でも、今日は……)

 

 ベルは今日、修練を早めに切り上げて8階層進出について担当官と話した後、そのまま担当官とソーマ様との交渉について相談をしてみると言っていた。

 彼はあくまでリリをファミリアの縛りから解放することを諦めようとしない。

 

「このままで、良いのに……」

 

 ステイタスが更新できないままではいずれは成長するベルに付いて行けなくなる。それはリリにも解っている。それでも、彼女はその為にベルに危険を冒して欲しくなかった。ソーマ様との交渉なんて、彼女には上手く行くとはとても思えない。

 下手をすればやっと手に入れたこの安らぎも、何もかも失ってしまう。

 それならいっそこのひと時だけで良い。自分が今のままベルの助けになれるその間だけ、彼の仲間で居られたなら。

 ただ、それだけで……。

 

 

「なぁカヌゥよぉ。なんだってわざわざあんな辺鄙な薬屋までポーション買いにいかなきゃなんねんだよ」

「他より安いからだっつってんだろうが。何度も言わせるな」

「わかってんだよんなこたぁ。なんでその為に俺らがめんどくせぇ使いっぱしりの真似事しなきゃなんねーのか聞いてんだよ」

「んじゃ何か? そこらの店でポーションを買っといて、その差額はお前の取り分から引いたって構わないってんだな?」

「おいふざけるなよカヌゥ……ちっ、わーったよ。愚痴っただけだ、まじになんなよ」

「俺だって好きでやってんじゃねえんだ。黙って運べっての」

 

 リリの後方から、そんな会話が彼女の耳に聞こえてくる。

 聞き覚えのある声と、名前。

 リリは咄嗟に道行く人にまぎれる様にしながら、こっそりと後ろを振り返る。

 

(あいつらっ!?)

 

 そこにいたのは忘れもしないソーマ・ファミリアの団員。リリを虐げ搾取し続けてきた奴らの一員達だった。

 

(油断してましたね……)

 

 リリは唇をかむようにして苛立ちをあらわにした。

 ゴブニュ・ファミリアの鍛冶師とはリトル・バリスタの注文をしたころから元々の姿で接触していた所為で、リリは今シンダー・エラによって姿を変化させていない。

 鍛冶屋を出たらすぐに魔法をかけるべきだったのに、ここの所フルフェイスの兜をいつも被っていたこともあって、常時変身していなければならないと言う気持ちが緩んでいたのだ。

 今後ろのあの二人はリリに気付いていない様子だったが、いつ気付かれるかわかったものではない。

 

 人通りもまばらな今、なるべく不自然な動きはしたくない。突然フードを被ったり走って逃げるような真似は目立つだけだ。だからと言って今ここであいつらに見つかるような事は絶対に避けたい。それでもしベルやヘスティアが襲われるようなことになったら……。

 ぎりり、と彼女は歯を噛みしめながら何かないかと周囲を探る。

 

「あの……」

 

 そんなリリに、横合いから突然声がかけられる。

 驚いて横を向いたリリの目に映ったのは、ヒューマンの少女だった。

 服装は白いブラウスと膝下まで丈のある若葉色のジャンパースカートに、その上から長めのサフランエプロン。

 光沢に乏しい薄鈍色の髪を後頭部で団子にし、そこから尻尾のように髪が一房垂れている。

 

「よかったら、お食事どうですか? 今ランチが特別サービス中なんですよ」

 

 そう言ってウェイトレスらしき姿の彼女がリリに笑いかける。リリはその彼女の背後にある店に素早く目をやった。

 豊穣の女主人。正面の扉の上に備えられた看板には、そう店名が書かれている。

 リリの思考が素早く閃く。―――この店名は聞き覚えがある、と。

 

 リリが一人でもがいていた頃、何かこの境遇を抜け出す助けにならないかと色々考えていた時に、冒険者向けの安酒場を巡っていた時期があった。

 ファミリアが営む冒険者向けの安酒場では、ギルドでは扱わないような非公式の依頼や情報を扱っているからだ。

 大半は一般人が出したギルドが取り合わないような依頼だったり、冒険者同士の噂話の域を出ない真贋定かではない情報がやり取りされているだけだが、中には非合法な仕事の斡旋などを行う後ろ暗い酒場もある。

 危険を感じたため、リリはそう言ったところには深入りしないようにしていたが……。

 そうして酒場を巡っていた頃、何度か聞いた覚えがある。

 

 豊穣の女主人? 止めとけ止めとけ、あんな酒場に行くのは。

 確かに酒も料理も美味え、店員も別嬪ぞろいで目の保養には良いだろうさ……だが値段は高えし、悪酔いして店員を口説いたり喧嘩でもしてみろ、たちまち店の外に殴り飛ばされて治療院の世話になるだろうぜ。

 誰にだって? そりゃあ、あそこの女店員どもさ。あそこの連中は見た目に反して一癖も二癖もあるやべえ連中なのさ。

 特にあのドワーフの女将ときたら……俺達みてえな小物が一番行っちゃならねえ場所さ、あそこは。

 

 そんな飲んだくれた冒険者達の噂話だ。

 軽くリリも確認したことがあるが、確かにその酒場の噂話はある程度事実のようだった。

 冒険者は大半が荒くれ者だ。酒場で酔ってあばれて、気に食わない相手が居れば喧嘩をし、綺麗なウェイトレスがいれば手を出し口説こうとする。それが彼らにとっての酒場と言うものだ。

 そんな彼らにとって、自分より強い店員が集まっているような店で、店員の顔色を伺いながらお行儀よく食事をだなんてたまったものじゃあないだろう。値段が高いとなればなおさらだ。

 つまり、ソーマ・ファミリアの団員は間違っても利用したりしない店だ。

 リリは素早く決断する。

 

「それじゃ、案内してください」

「はい。お一人様でよろしかったですか?」

「ええ」

「はい、それではいらっしゃいませ。こちらへどうぞ」

 

 そう言ってウェイトレスの彼女はリリを腕で招きながら先導するように酒場の入り口へと入っていく。

 

「お客様一名はいりまーす!」

 

 そう声高らかに店内へ宣言する彼女に、目立ちたくないリリは舌打ちをする。

 そそくさと店内へ入ると、ウェイトレスの彼女に案内されて店の奥の目立たない角にある一席へと案内された。

 席に付く前に入り口の方をそっと伺うと、誰も新たに店に入って来る様子はない。

 そのことにリリがほっと一息つくと―――

 

「安心されましたか?」

 

 そう、ウェイトレスの女性がリリへと声をかけた。

 

「……なんのことです?」

 

 リリが警戒をあらわにそう問いかけると。

 

「だって、後ろの人達に見つかりたくないってご様子でしたから……」

「……」

 

 ただのウェイトレスに見抜かれ心配されるほど自分は挙動不審だったのだろうか……リリはそう思ってため息をついた。

 

「はぁ……まぁそうですね。助かりました、ありがとうございます」

 

 リリが軽く頭を下げると、ウェイトレスの女性が彼女にずいっと近寄る。

 

「気にしないで下さい。それよりあの人達って冒険者でしたよね? どうして見つかりたくなかったのか、もし良かったら私にお話して見ませんか?」

「はぁ? いきなり何を言ってるんですか。貴方には何の関係もないでしょう」

「でも、気になるんです。それに貴方が危ないことに巻き込まれているなら、助けになれるかもしれません」

 

 そういって彼女はリリにつめよった。あまりにも唐突で無遠慮な物言いだ。

 善意の押し売りというか、悪気はないのだろうけれど、簡単に助けになるなどと言うのはリリの癪に障る。

 

「あのですね……」

「あ、大丈夫ですよ。私こう見えても口は堅いんです。勝手に聞いたお話を誰かに言いふらしたりなんて絶対しませんからっ」

 

 そう言ってウェイトレスの彼女は更に身を乗り出す。髪と同色の薄鈍色の瞳が大きく見開かれてまっすぐにリリを見つめている。

 その瞳を見ていたら……リリは何故だか、ベルのことを思い出した。

 そう、彼女は確かに善人のようで、話をした所で誰かに言い触らしたりはすると思えない。

 ならば愚痴代わりに吐き出してみるぐらい別に良いのではないか……。

 以前までの彼女なら絶対にそんな風には考えなかっただろう。でも今のリリには、人の善意を信じて甘える真似事ぐらいしてもいい、そう思えたのだった……。

 

「わかった、わかりました。だからちょっと下がってください。近すぎますよ」

「あ、失礼しました。それじゃあメニューを選んでください。料理が出来たら持ってきて一緒に私もお昼の休憩にしますから」

 

 そう言って彼女はメニューをリリへと差し出してくる。それを受け取りぱらぱらとまくって中身を見てみるリリだったが……。

 

「高いです……」

 

 その値段は彼女にはとてもランチとは思えなかった。

 リリの普段の昼食なんて一食20ヴァリスで自炊できるところを、ここでは一番安いパスタが200ヴァリス。なんと10倍だ。

 

(そうとわかって店に入ったとはいえ……)

 

 普段節約料理ばかりしている彼女は思わず目眩を感じて頭を抑える。

 

「あははは……でも味は絶品保証つきだからっ」

「……それじゃこのパスタランチで」

「わかった。それじゃあお料理がでてきたら持ってくるから……あ、私はシル。シル・フローヴァって言うの。貴方は?」

「……リリルカ・アーデです」

「それじゃリリだね。あ、私のことはどうぞ気軽にシルって呼んでね、私もリリって呼ぶから」

「はぁ……もう何でも良いです。早く料理を持って来て下さい」

「うん。それじゃあちょっと待っててね~」

 

 軽やかな足取りで厨房の方へと向かっていくシルを見送りながら、リリはため息をつく。

 

(はぁ……善人なんでしょうけど、押しが強すぎます……いつのまにか敬語もなくなってるし……)

 

 ああ言う人の相手は慣れない、そう思って彼女は疲労感を感じる。

 ベルと出会ってからこっち、リリが会う人は何故か皆善人ばかりだ。ヘスティア、タケミカヅチ、ランディ、そして今日はこのシル。

 その誰もが皆まっすぐに、リリの力になると言ってくれる……自分の周囲は一体どうしてしまったのだろうか。

 リリは自分には不釣合いな幸運を享受しているような、向けられる善意をくすぐったく思いながら息を吐いたのだった。

 

 

 リリは運ばれてきたパスタを食べながら、エプロンを外して自分の対面に座ったシルに自分の事情を話していた。

 眷族からお金を集める事にとても厳しいファミリアに生まれた事。そこで虐げられ搾取されていた事。今は良い冒険者に仲間に誘われたおかげで冒険者として身を立てられそうなこと。そして邪魔されないようファミリアからは身を隠している事。

 あくまで愚痴のようなもので、それほど細かく話したわけではない。

 

「まぁ、そういう訳であの人たちには見つかりたくなかったんです。まったく、とんだファミリアのもとに生まれ付いちゃったものです」

 

 あえておどけた言い方で、リリはそう締めくくる。

 しかしそれを聞いたシルは目を伏せ、表情には悲しみを讃えていた。

 

「辛かったんだね……とても……」

 

 まるで我が事の様に辛そうな表情を見せるシルにリリは慌てた。

 

「大丈夫ですって……もう過ぎた事ですから。今はもう冒険者として再スタートを切って、なかなか順調な日々を送ってるんですよ」

「うん。それは良かったなって思う……きっとリリが諦めずにずっと頑張ってたから縁が巡ってきたんだね」

「そんな大げさな……」

「そんなことないよ。辛い事があっても、そうやってリリの魂が綺麗なままだったから、良い人と引き合えたんだって私は思うな」

 

 大袈裟なシルの物言い。

 いつものリリなら、初対面の相手にこんな事を言われても、出会ったばかりで何がわかるものかと思うだけだろう。

 それでもシルの瞳は軽いものには見えなかった。

 彼女は心からリリの事を思って痛みを感じ、そしてリリの思いを酌んでくれた……それが感じられるのだ。

 

「どうも、ありがとうございます……」

 

 シルの瞳に見つめられる事が照れくさく、リリは目を伏せてお礼を言う。

 そんなリリを優しい瞳で見つめながらシルは口を開いた。

 

「ねぇリリ。今はそれで良いかも知れないけれど、ファミリアから身を隠さなきゃならない事とか、あとたぶんステイタスのこととかも問題のままなんじゃないかな?」

 

 そのシルの言葉にリリはびくりと体を震わせた。

 

「そう……ですね……。でも、しょうがないです。今のままでも食べて行けるぐらいの稼ぎは出来ますし……あとは見つからないように注意していれば良いんです」

「でも、きっとそれって大変だよ」

「他に方法はありませんからね……大丈夫ですよ。なんとかしてみせます」

 

 そう言いながら、自分でもそれは嘘だとリリは自覚していた。

 自分がそうしたいとしても、何よりベルがリリの境遇に納得しない。

 彼はこのままだと必ずリリのファミリアの呪縛を何とかしようとするだろう。

 それが、今の安寧を壊してしまわないか……。リリはそれを恐怖していた。

 

「あのね、リリがもし自分から冒険者をしたいわけじゃなかったら……ここで働いてみない?」

「……えっと、どういうことですか?」

 

 唐突なその提案の意図が理解できず、リリはシルに問い返す。

 

「あのね、このお店で働いてる人は皆、色々な事情を抱えてるの。元冒険者って言う娘も多いんだよ」

 

 その言葉にリリは頷いた。彼女が事前に知っていた知識と今のシルの説明は符合している。

 

「中にはリリみたいに、悪い人に追われて身を隠さなきゃならなくなっちゃった娘もいるの」

「そうなんですか……」

「でもね、この店にいれば皆で助け合える。だから皆、ここに身を寄せ合っているの」

 

 そこまで言われればリリにもシルの意図が理解できた。

 

「リリも、その中に入れと?」

「うん……あ、勿論強制するつもりなんかないよ。その冒険者さんとパーティを組んでいたいなら、それも良いと思う。でも、もしリリがただ平和に暮らしたいだけだったら、きっと私達は力になれると思うよ」

「平和に暮らしたいだけだったら……ですか」

「うん、あのね、うちのウェイトレスの皆ったら、LV.2の冒険者のパーティぐらい簡単にお店の外に叩きだせるぐらい強いんだよ? それに凄く大きい派閥がお店を支援してくれてたりもするから、そんじょそこらのファミリアなんか、そうそうウチに手出しなんか出来ないんだよ。ロキ・ファミリアの神様や幹部の人達だってウチの常連様なんだから」

「それは凄いですね……」

「だからきっと大丈夫だよ。ミア母さんだって、リリならきっと気に入ると思うし」

 

 シルはそうやってリリに酒場で働く事を勧める。

 リリはそのシルの言葉に自分の気持ちが揺さぶられていると気付いてしまう。

 

「ちょっと、考えさせてください……」

 

 彼女はなんとか口をひらき、シルにそう返答したのだった。

 

 

 

 豊穣の女主人でシルとの会話を終えた後、力ない足取りで路地を歩きながらリリはぐるぐると考えていた。

 ソーマ・ファミリアは人数こそ多いものの、戦力は決して高くない。

 上級冒険者は団長のザニスやドワーフのチャンドラをはじめLV.2が数名いるだけで、後は全員LV.1の集団にすぎないのだ。

 シルの話が本当であれば、あの酒場の仲間に入ってしまえば、ソーマ・ファミリアの連中がリリの事を嗅ぎ付けてももう手出しをすることは出来ないだろう。

 主神と眷族のたった二人だけしかいないヘスティア・ファミリアとは明らかに違う。

 

 平和に暮らしたいだけなら……その言葉に、彼女はある花屋の老夫婦の事を思い出していた……。

 幼い頃、搾取されるだけの日々に耐え切れなくなり、全てを投げ捨て逃げ出した過去。

 神の恩恵を持たない一般人になりすまし、老夫婦が営んでいた小さな花屋に身を寄せた日々。

 実の孫のようにリリを可愛がってくれた二人が、略奪された店の中、血を流し倒れていたあの日。

 そして、助け起こしたその二人から受けた、拒絶。

 

   「―――お前なんかと会わなければよかった」

 

 その言葉が、小さなリリを打ちのめした。

 あの日冷たい雨の下で、幼かったリリは自分を助けてくれる人など誰もいないと、自分が逃げられる場所などどこにもないのだと、そう思ったのだった。

 

 記憶を辿る内に、いつしか頭上からは雨が降り注いている。

 まるで、あの日を思い出したリリの記憶に重なったようにリリには思えた。

 彼女は深く被ったローブの襟元を寄せて、歩く足を速める。

 

 あの日確かに彼女は絶望し、自分はこの世に独りなのだと思った。

 でも、今のリリはそれが真実ではない事を知っている。

 自分を助けてくれる人もいる。自分を受け入れて貰える場所もある。

 ベルのおかげで、やっと彼女はそう思う事ができる様になったのだ。

 その恩に報いたいと彼女は思う。

 

 でもリリは、自分から冒険者になりたいと思ったことはない。

 そう彼女は気付いてしまった。

 

 リリはただ、ファミリアから逃れて安らぎを手にしたかっただけだった。

 ベルがそれを、与えてくれた。

 だから彼と共に冒険者として力を尽くし、知恵を絞り、危険にも踏み込む。

 それが自分の平穏を守り、彼の恩に報いることにもなるなら、リリは喜んで戦える。

 

 でも、もしベルが居なくなったなら、自分は一人でも冒険者を続けるだろうか?

 きっとそうはしないだろうとリリは思う。

 以前はソーマ・ファミリアからの脱退という夢を見る為に、がむしゃらにお金を欲していたけれど、それが逃避でしかないと言う事がもう彼女にはわかっていた。

 自分がどれだけ大金を集めていった所で、結局ただ奪われるだけでしかないのだ。

 

 以前は、そんな脆い夢に縋る他なかった。そうでなければ自分を保っていられなかった。

 けれどそれも嫌になり、絶望し、自暴自棄になっていた。

 でも今は、自分を助けて受け入れてくれる場所もあるとリリにも思う事ができる。

 それならもう一度、逃げるだけでよかったのだ。そして逃げた先に平穏さえあるなら、リリはそれ以上を求めようとは思わない。

 つつましく生きていくだけの糧さえ手に入れば、それで良い。

 贅沢なんて望まない。大きな理想も、綺麗な夢も持っていない。

 リリは、自分から冒険者を志す人間ではなかった。

 

 それでもベルの為、受け入れてくれたヘスティア・ファミリアの為になるなら構わない。喜んでリリは危険に身を晒し迷宮に潜ろう。冒険者をやろう。

 でも、逆にそれが彼らを危険に晒すのなら? ……それが、リリには耐えられなかった。

 自分がいるから、彼らはソーマ・ファミリアに危険な干渉をしなければならなくなっている。

 

 勿論、今すぐ自分が抜ければベルは困るだろう。

 でも自分にステイタスを更新する必要がなく、安全に身を寄せられる場所があるなら、それで彼がソーマ・ファミリアに手出しをする理由はなくなる。

 なら、今の自分のステイタスでは通用しなくなったら、そこで冒険者は引退するからと言えば良いのだ。

 ランディも言っていた様に、ベルはきっと良い冒険者になる。そして良い仲間に恵まれるだろう。リリにも、今ではそれが信じられる。

 だから、それまでの間だけソーマ・ファミリアに気付かれないようにして彼を手伝えば良い。

 その後はシルの誘いにのって、豊穣の女主人に身を寄せれば良い。

 

(その時には、きっとリリはベルさんには必要なくなっているでしょうから……)

 

 そう思うと、リリの胸がずきりと痛む。

 

 仲間になって欲しいと差し出された彼の手。

 冒険者として、仲間として、短いけれど共に過ごした日々。

 それがこれからも続いて欲しいと思っていた。

 

(でも、それじゃだめなんです……)

 

 自分のせいでベルやヘスティアまで過去の自分と同じ様な目にあってしまったら。

 そう思うと、彼女はどうしても耐えられない。

 

 いつしか彼女は廃教会の前にたどり着いていた。

 雨に打たれ、濡れたローブが彼女の体温を奪って行く。

 

 リリはフードを外すと、崩れた壁から教会の中へと視線を向けた。

 ベルやヘスティアはもう帰っているだろうか……。

 中に入れば、おかえりと暖かく彼女を迎えてくれるだろうか……。

 

 しかし彼女は踵を返して廃教会に背を向けた。

 

(……預けた装備を……受け取りにいかなくちゃ……)

 

 彼女は自分に言い訳をするようにそう言い聞かせると、濡れたフードを被りなおし、雨の中を歩き去って行くのだった。

 

 

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