乳白色の幸せにベルは包まれていた。
母の胎内に抱かれた胎児のように彼がその安寧の中に浮かび漂っていると、やがて光が差すようにその乳白色の世界に裂け目が入り、色鮮やかな光景がその先に見え始める。ベルの体がゆっくりと浮かびあがり、その裂け目へと吸い込まれていく。
―――嗚呼、待って欲しい。まだもう少しこのままで―――
白い霧が晴れるように段々と彼の視界は明瞭になって行き、手足の感覚を少しずつ思い出すようにして取り戻していく。そうして意識が覚醒に近付くほどに、あの曖昧な安寧に包まれた世界が遠ざかって行くことを感じてベルは悲しんだ。
(起きちゃったのか……)
それまでの眠りを名残惜しみながらベルは一つ欠伸をする。魔石灯がぼんやりと薄暗い光を放つ天上を見詰めながら、彼は暖かい夢の名残が消えていくのを見送った。そして、代わりに別の暖かさが自分を包んでいる事に気付く。
「……ん」
自分の体が何か柔らかく暖かい感触に包まれている事に気付いて、ベルは首を曲げて自分を見下ろす。そこに居たのは彼の女神、ヘスティアだった。
自分の胸の上から抱きついている彼女の、最高級の抱き枕ですらきっと比肩することもできないだろう素晴らしい抱き心地に、ベルは微笑んだ。
(寝ぼけちゃった……のかな?)
そう言えば自分が寝ているのは何時ものソファーではなくベッドだと気付いて、はてどうしてかと彼は首をかしげた。そんな彼の疑問をよそに、ヘスティアが「んっ……」と小さく唸りながら身じろぎをする。その動きは、やわらかな双丘をベルの胸で押しつぶした。
(!!??)
ベルは何か致命的な危機感を覚えると、反射的にヘスティアをどかして飛び起きようとして―――
(あ、あれ?)
―――それが出来ない事に気付いた。
右腕があがらない。ならば、と逆の腕を動かそうとしても、左腕も何かに包まれ固定されている。どうしたんだろうとベルは右に首を倒す。すると、彼の視界一杯に榛色が広がった。
さらさらと流れるその榛色の髪の上に、同じ色の大きな二つの垂れた耳が乗っている。
(……え?)
一体これは何だろうと視線をずらしていくと、目を閉じ小さく寝息を立てるかんばせが目に映る。そこに居たのはベルの大切な友人にしてミアハ・ファミリアの薬師、ナァーザ・エリスイスその人だった。
(ナ、ナァーザさんっ!?)
見ればナァーザは、彼の右腕を抱きしめるようにして半身を預けている。これでは右腕が動かない筈だ。
(見た目から想像するより冷たくないんだな……)
ベルは自分の右腕を捕らえるナァーザの銀の腕をみて、そんな場違いな思いを抱く。
その冷ややかな金属の光沢から想像されるよりもずっとその銀の腕は暖かく、まるで血が通っているかのようだった。
そしてベルは首を元に戻して今度は左を向く。……ナァーザの着ている薄いシャツ越しに右腕に伝わる、柔らかな感触を極力意識しないようにしながら。
左腕が動かなかったのは、こちらもまた別の人物に捕らえられているからだ。
そこには、小さな体一杯にベルの腕にしがみつく様にして眠るリリの姿があった。
ヘスティアやナァーザ程ではなくても、左腕に伝わってくるその柔らかな感触は、やはり自分とは違う女の子のそれだとベルは思った。
正面にはヘスティア、右にはナァーザ、左にはリリと三人の女の子に囲まれて彼は寝ていたのだった。
(な、な、ななな……)
混乱するベル。
けれどいつまでも混乱は続かない。段々と、彼は自分の現状を自覚していく。
自分を囲んだ彼女達から聞こえてくる三つの寝息に、ベルは頭がくらくらした。混乱から覚める程に、どうしても体に押し当てられた柔らかな感触を意識してしまう。その温かさに喚起されるように、彼は普段あまり意識することがない、自分の中にある雄の欲望がむくりと鎌首をもたげるのを感じた。
それは彼の肉体のある一部に宿り、形を顕にしようとする。それをベルは自覚して―――
「うわあぁぁぁぁあぁああああああッッッッ!!!???」
その叫びは分厚い土の壁をも通り抜けて、朝の空へと響き渡ったとか渡らなかったとか……。
ベルが叫び声をあげて飛び起きた事をからかわれつつも深く追求される事は無く、皆は朝食の用意をすることにする。それはリリもナァーザも、実は恥ずかしかったからだった。
このヘスティア・ファミリアのホームは小さなベッドが一つしかない。
けれど神酒に倒れたベルを何時ものように一人ソファーへ、と言う事は当然考えられない。女性陣のうち誰かがソファーを使えば良いのだが、それも言い争っていた手前、誰も自分がソファーへとは言い出さなかった。
とは言えリリもナァーザも当たり前の羞恥心ぐらいは持っている、ベルに大きな好意は抱いているけれど、別に彼に懸想していると言う訳でもない。彼の方から口説かれれば別だけれど、自分からそんな風に誘惑する気持ちは持っていなかった。
おずおずとベッドの端に身を寄せる彼女達だったが、それを尻目にベルに飛びついたのがヘスティアだった。彼女はまったく躊躇せずにベルに抱きつき、彼の胸に顔を擦りつけ、匂いを嗅ぎ、なんというかもうやりたい放題だった。ベルを癒し支えると言っていたのはなんだったのかと思うほど、彼女自身の欲望が駄々漏れだった。
寝ているベルになんてことをするのだとリリもナァーザも抗議の声をあげるが、ヘスティアは頓着しなかった。むしろ羨ましいのかと鼻息荒く自慢げですらあった。
こうなると二人も黙っては居られない。ヘスティアに対抗するようにベルに身を寄せて、左右から彼に抱きついた。ベッドに二人きりなら出来なかっただろうけれど、同姓の仲間が二人居る状況ならなし崩しに関係を持ってしまう、と言う事がなさそうな事も彼女らの暴走を後押しした。勿論根幹には目覚めたベルの意識を逸らすこと、と言う目的はあったのだけれど……。
そういった事情もあって、ベル、リリ、ナァーザの三人はまだ恥ずかしそうにしている。ヘスティアだけは満足げであったが。
「それじゃあ心配して、付いて来てくれたんですね。ありがとうございます」
どうしてここにいるのかと言う事情を聞いたベルは、ナァーザにお礼を言う。
「良い……それよりベル、
その質問にリリとヘスティアも耳をそばだてた。問われたベルはしばし考え込み―――
「うーん……そんなには、感じないです。そりゃあ信じられないほど美味しかったですし、また飲みたいとも思いますけど……でも、どうにもならないですし」
神酒に酔ってしまう未熟な子供に
ヘスティア達から聞いた自分が倒れた後の彼の神の話からしても、もうその様な事はするまい。第一酔いに駆られて
どう考えてもベルが神酒を再び飲むという道は無い。ならそんなことは考えるだけ無駄だとベルは思う。
そんなベルの様子に、心配していたよりも大丈夫そうに思えてヘスティアとナァーザはほっとした表情を見せた。
「そう、なら……良かった」
「ごめんなさい。心配かけて」
「まったくベル君は、いつもボクに心配かけさせるんだから」
「……神様も、ごめんなさい」
弛緩した空気がベル達の間に漂う。けれど彼の様子をみて一番安心していたのは―――
「……」
「……リリ?」
「……なんですか」
「泣いてる……の?」
リリはベルの変わらない様子を見て、いつのまにか涙が一筋、溢れていたのだった。
「これは……違います。泣いてるわけじゃありません」
「……ごめんね」
「そんな簡単に謝らないでください。リリはベルさんが
「それは……」
「わかってたら、そんなことするわけないですよね。だいたい大丈夫だったのなんて、ただの結果論じゃないですか。もし取り返しの付かないことになってたら、どうするつもりだったんですか?」
「そうだね……ごめん」
「だから、あやまらないでください……」
リリの瞳から涙が溢れ零れ落ちる。彼女は耐えられなくなって、ベルの胸に飛び込み抱きついた。
「……リリ」
ベルがリリを優しく抱きとめる。
「もう、リリに黙ってそんなこと……しないで下さい……」
「うん。約束する」
「絶対ですよ……」
「……うん」
「う……うぅっ……」
声にならない声をあげて、リリはベルの胸で泣いた。
言いたい事は沢山あった筈だった。怒らなきゃいけないことが沢山ある筈だった。
けれど今は、ベルの心が壊れてしまわなかったことが、何よりリリの胸を溢れさせたのだった。
もう一日だけ休んだ後、リリ達は迷宮の探索を再会した。
その時に、ベルに
ベルは確かに変わらない様に見えるけれど、他のソーマ・ファミリアの団員たちまでが彼のように潔く
勿論ソーマが与えなければいずれ酔いは醒める。けれどそれまでの間、長い間神酒に酔い続けた団員達がどう行った行動にでるのか。今までのようにただ金を集めても神酒が得られないとなれば、無軌道に暴れだしている可能性すらある。
月に一度の集金のノルマ。それを2、3ヶ月満たせなかった程度ではあの酔いは醒めない。個人差はあるだろうけれど、最低でも半年は様子を見たいとリリは思っていた。
「そう言う訳です。ソーマ様はいつでも良いって言ってくださったと聞きますし……」
「でも半年かぁ……」
折角交渉が成功したと言うのに、まだまだリリのステイタスが更新できないことにベルはため息をついた。
「まぁまぁ良いじゃないですか。リリはどうせ引退を待つ身ですし、今無理に
「そうだけど、ね……」
リリの言葉を聞いて僅かに残念そうな表情を見せるベルを、リリは黙殺する。ベルへの感謝の念はいっそう深まっていたけれど、それと同時に自分ではやはりいつか彼の足を引っ張ってしまうという思いもますます大きくなっていたからだ。
何よりベルはリリに自由な選択をして欲しいと言ってくれた。だから彼女は、しかるべき時がくればベルとのパーティから離れようと言う決意を固くする。
ベルは凄い。あの
―――それから、ふた月以上の時が経った。
探索は順調に思えた。
8階層での狩りは安定したし、サポーターを雇って収入も高く安定している。それにランディが、ソーマ・ファミリアの人間達がとりあえず金に飢えたような行動はなくなったらしいと言う情報も持ってきてくれた。
神酒を金に応じて配る事が無くなった、と言うのは確実なようだ。それならファミリアが正常化するのも時間の問題だろう。
ベルのステイタスも順調に上がっている。もう殆どアビリティがFに到達したし、剣の技も大分様になって来た。リリの代わりのメンバーのあてこそ無いものの、他には何の問題も無い……その筈だった。
けれど、違ったのだ。
その事に明確に気付いたのはいつだったろうか。
元々、違和感はあったのだ。思い返せばそう、休息日を取る間隔をもう少し長くしようかと言う話がでたあたりからだったろうか。
「4日に一度ではなく、ですか?」
「うん。8階層での探索はもう殆ど危なげが無くなったでしょ? そこまで疲労も溜まる気がしないし、休息日はもう少し少なくても良いかなって」
「そうですね……なら様子を見ながら少し減らしてみましょうか」
その時は別に反対するほどの事ではないと思った。
「そろそろ、戻りましょうか……」
「もう? まだ行けるんじゃないかな」
「帰還は余裕のある内に、が鉄則ですよベルさん」
「うん。でも僕達も実力が上がってきたと思うし、前と同じ様なペースで帰る必要も無いんじゃないかな?」
「……そうですね、ならもう少しだけ」
「ありがとう、リリ!」
段々と違和感が積み重なっていく。
少しずつ少しずつ、ベルは迷宮探索で無理をするようになっていった。
やっぱりステイタスは更新しておいた方が良いんじゃないか。もうソーマ・ファミリアもきっと大丈夫。そんな事をもう何度も言われた。一度しっかり理由を説明して断った事を、そんな風にしつこく言うことは以前のベルからは考えられないと思えた。
決定的だったのはナァーザへの勧誘だった。
念のためとしばらくヘスティア・ファミリアのホームに寝泊りしていた彼女だったけれど、もう大丈夫。ミアハの所へ帰れというヘスティアの攻勢に逆らえず。一週間ほどで彼女は自分のファミリアのホームへと帰って行った。
ベルの変わらない様子をみて安心したと言うのが勿論一番の理由なのだけれど。
以前はリリにとってポーションを少しお得価格で提供してくれるベルの友人、と言う認識でしかなかったナァーザだけれど、あの一件以来彼女とは友人関係と言えるようになっていた。
シルやリュー。足繁く通っている豊穣の女主人の店員たちに続いて、また新たに同姓の友人を得たことはリリにとって掛け替えの無い喜びだった。
彼女の事情、その銀の腕に関する話もリリは既に聞き及んでいた。その痛ましい話を聞いた時は、リリの胸も痛んだものだった。それなのに―――
「ナァーザさん……もし良かったら、僕達のパーティに加わってくれませんか?」
「……急に、どうしたの……ベル」
ポーションの補充にと何時ものように二人で青の薬舗を訪れた時、ベルが突然そんな事を言い出したのだった。
「そうですベルさん。急に何言ってるんですか。彼女の事情を知らないわけじゃないですよね?」
「勿論わかってるけど、このままじゃ僕たちはいつまで経っても10階層以降に進めないじゃないか」
「だからって……」
「ダンジョンの攻略は
ベルはそう主張する。
それ自体は正しい。ギルドですら冒険者には三人一組以上での迷宮攻略を推奨している。それにはきちんとした理由があるのだ。
攻撃、防御、支援。その連携が機能することで冒険者の状況対処能力は大幅に上がる。それを成り立たせる必要最低限の人数が三人なのだ。逆に言えば二人以下ではどうしても負担が大きくなる展開があるため、そこがボトルネックになってしまい実力相応の戦果が得られない。
必然的に安全マージンを大きく取らざるを得ないからだ。
けれど、新しい仲間は気の合う人間をゆっくり探していこうと、そう話し合っていた筈だ。それまでリリも付き合っていくつもりだったし、今のペアでだって十分に稼いでいける。
ベルのステイタスだってきちんと伸びているし、なのに何故……とリリは疑問が頭の中を渦巻いていた。
「誘ってくれるのは、嬉しい……。けど、私には無理だよ……」
銀の右腕を掴みながら、悲しそうに顔を伏せるナァーザをベルはなんとか説得しようとした。
「勿論ナァーザさんの事情はわかっています。でも、後衛から弓での援護に徹すればなんとかならないでしょうか?」
「それでも、狭い迷宮じゃあ……どうしてもモンスターに近寄られちゃう事がある。そうなったら私……」
「勿論その時は僕達ですぐに助けます。ナァーザさんの実力なら、それ以外の時だけでも動いてくれれば十分大きな力になると思うんです」
理屈としては、リリ達にも理解できる。
たとえパーティが10階層11階層に進出しても、既にLV.2のナァーザから見れば格下の相手だ。
例えばLV.1の魔道師などは近接戦の対処能力がまるで無いと言う場合も多い。それでもパーティに加わり前衛が常にフォローし、守られ、安全に詠唱が行える時にだけ行動する。
戦士達もそれを受け入れる……どころか、諸手を挙げて歓迎すらする。接敵されればまるで無力で常に守ってやらねばならないとしても、魔道師の魔法にはそれだけの価値があるからだ。
ナァーザの弓も、それと同じだとベルは言いたいのだろう。
確かに、そうなのかもしれない。モンスターに近寄られた時は動けない足手まといになってしまうとしても、それでもなお上層でなら、後衛としては十分な強さが彼女にはあるのかも知れない。
ナァーザの心の負担を無視すれば……だ。
「ベル……どうしても、それがベルには……必要なの?」
ナァーザが声を震わせながらベルに問うと、彼は熱に浮かされたような表情で頷いた。
「……僕は、どうしても早く
めちゃくちゃだ。黙っていられない、とリリは思った。
「ちょっと待ってください! どうしたんですベルさん。突然ナァーザにそんな無理を言うなんて」
「リリ……私なら、大丈夫……」
「ナァーザは黙ってて下さい。ベルさん……一体どうしちゃったんですか? 最近いつも早くアビリティを上げたい、早く強くなりたいって……そればっかりです。それってナァーザを苦しめてまでやらなきゃいけない事なんですか?」
リリがそう問い詰めると、ベルははっとした表情を見せる。
そして、さぁっと血の気が引いたように顔を青くした。
「ごめん……リリ。ごめんなさいナァーザさん。今言った事は忘れて下さい……」
「良いよ……ベルに本当に必要なら、手伝う。それより、何でベルはそんなに焦ってたの?」
「それは……」
「誤魔化さないでください。もうこれはパーティの問題です……ちゃんと説明してください」
「リリ……」
二人に見詰められたベルは、やがて諦めたようにぽつりと言葉を発した。
「……
「……え?」
「
その言葉を聞いた瞬間、リリは目眩がした。
続くベルの言葉が歪んで聞こえて、意味がよく理解できない気がする。
「なん……で……」
「あれ以来、いつもふと気付くと
「ベル……」
苦しみをにじませた声で話すベルを、ナァーザが心配そうな眼差しで見詰める。
けれどリリはベルを心配するどころではなかった。まるで鉄鎚で頭を殴られたみたいに視界がぼやけ、立っているので精一杯だった。
「ううん。酔いを醒まそうと思うだけじゃない……いっそ僕は、LVさえあがればまたあの酒を飲んでも大丈夫になる筈だ……なんて、そんな事すら考えてしまうんだ」
「ベル……しっかり。水、飲んで……」
頭を抑えるベルに、ナァーザが水差しを差し出している。そんな光景を見て、リリは猛烈な後悔に襲われていた。
何も気付いていなかった過去の自分を叩き潰してやりたい、そう思った。
ベルさんは凄い。自分とは違う。
ベルは素質に溢れた、才気煌めく、鋼の心をもった、そんな英雄なんかじゃない。自分と同じ、ちっぽけで弱い人間なのだ。
それでもベルは諦めずに、必死で前に進もうとする。迷いながらでも傷つきながらでも……彼がそういう人間だと、自分は知っていた筈なのに。
それなのに自分は無意識に彼は強い人だと決め付けて、その傷から目を逸らそうとしていた。そう考えてリリは自分の浅ましさを嫌悪した。
「ベルが辛いなら……私も、力になるよ……」
「いえ、本当に気にしないで下さいナァーザさん。お酒の事ばかり考えてると、たまに馬鹿なこと言っちゃうってだけですから……それにこの酔いも、そのうち醒める筈です」
「でも……」
「それにナァーザさんにパーティに加わって貰っても、流石に数ヶ月じゃ
「ベル……」
差し出された水を飲んだ後、調子を取り戻したようにナァーザを安心させようとベルは笑顔を浮かべた。
けれど、彼は今でもあの神酒が忘れられないのだろう。それをずっと隠して、こうやって周りを安心させようとしていたのだろう。
そんな彼に、自分は一体何をしたら良いのか……リリは無力感にさいなまれながら口を開いた。
「ベルさんの言うとおりです……。今ナァーザに無理をお願いしても、何にもなりません。酔いが醒めるまで、ベルさんに耐えて貰うしか無いと思います」
―――本当にそうなのだろうか?
ナァーザに何も出来ないと言いながら、リリ自身は心中では自分の言葉に反論したかった。だってそれじゃあ、あんまりではないか。
酔いが醒めるまで後ひと月か? ふた月だろうか?
それまでにベルの心が擦り切れてしまわないと一体誰が言えるのか。
酔いが醒めた時、リリのように大切な思いまで失ってしまっていないと誰が保証してくれる。
「うん、大丈夫。リリの言うとおり、酔いが醒めるまでは我慢することにするから」
ベルだけがそうやって、耐えてみせると笑顔で言うのだ。
「……わかった。でも必要なら、力になるから……言ってね」
「ありがとうナァーザさん。その時はお願いします」
「リリからもお願いします。ナァーザの力が必要な時には、是非」
「うん、任せて……」
彼女はそう請け負ってくれる。
けれど一体、ナァーザに何を頼めば良い。自分は一体何をすればベルの助けになれる……。
誰かそれを教えて欲しい。その為ならなんだってするから。
リリはそう願わずにはいられなかった。