たとえ英雄になれないとしても   作:クロエック

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ファミリア

「―――アーデ」

 

 その声にリリははっとして眼前の相手を見上げる。

 

「ソーマ様……」

 

 自分の目の前に立つその姿。

 長い前髪に表情が覆い隠されたその男神を見て、彼女は自分が置かれている状況を思い出した。

 そして慌てて立ち上がり姿勢を正す。

 

(なんで……)

 

 彼女は自分がいつの間にかうたた寝をしていたことに驚きを隠せなかった。

 己の主神を相手に大事な頼みをしたばかりだと言うのに。今はその相手である神ソーマの機嫌を損ねるような振る舞いはとても出来ない筈の状況だった。

 だがこの神の静かな作業を見守っている間、リリの心は不思議と安らぎを覚えていた。

 ソーマの事が恐ろしかった筈……怖かった筈……それなのに何故、そのひとときが揺り籠に包まれるように穏やかで居られたのか。記憶の奥底に閉じ込められた幼かった頃の思い出が、何かを訴えているような気がした。

 

「これを……」

「はい」

 

 複雑な感情を抱きながら彼女はソーマに差し出された酒瓶を受け取る。

 

「これが……?」

「ああ。皆が薬酒と呼んでいる物だ」

「ありがとうございます、ソーマ様」

 

 リリの礼にソーマは鷹揚に頷いた。

 

「それは味の純度と引き換えに、子供の感覚にも馴染みやすく飲みやすい様調整したものだ。渇きを癒やし……後を引くことも無い」

「はい……ありがとう、ございます」

 

 これでベルを救える。そんな思いと共に彼女は重ねて礼を口にし頭を下げる。

 そんなリリをソーマはその長い髪の奥で、茫洋とした眼差しを彼女に向けていた。

 

「ソーマ様?」

 

 僅かの沈黙の後、リリが疑問の声をあげる。ソーマがおし黙ったまま動かない為にリリは困惑したまま彼の様子を伺うしかない。そんなリリを見つめるソーマの脳裏には、この酒を手渡した時の彼女の安堵がこぼれ出したような笑顔が思い起こされていた。

 

 彼女だけではない。彼のファミリアの子供達のこと。彼らに薬酒を配った時の事。そして彼らの酔が冷めた後に、時折失敗作としていた酒を振る舞った時の事を。皆がそれを飲み、幸せそうに笑顔を浮かべていたことをソーマは思い出していた。

 

 ―――このお酒も、素晴らしい物であって欲しい―――

 

 自分の作る酒を手に、そう言っていた少年の言葉が彼の脳裏をよぎる。

 

(素晴らしい物……か……)

 

 それを目指していた筈だった。

 何より旨い酒を。

 どんなものより素晴らしい酒を……そう思って造っていた筈だった。

 

 ソーマは今でも失敗作は失敗作だと思っているし、薬酒などはそれ以上に苦々しいものだ。

 苦心して高めたはずの神酒の味の純度を、わざわざ濁らせ下界に溢れる凡百の味に馴染むようにしてしまうのだ。何度飲み比べてみても、ソーマ自身の舌には完成品の神酒より明確に劣るものとしか感じられず、現時点で自身の造る神酒こそが最も素晴らしい酒だと言う思いに未だ偽りは無かった。

 

(だが……)

 

 初めて自分の子供たちに神酒を振る舞った日、自分はどうしてあのようなことをしたのか。

 趣味に没頭する自分にとって子供達への関心は薄い物だったが、それでも……皆に喜んで欲しいという思いは無かったのか。

 より自分の趣味が捗るよう子供たちのやる気を掻き立てる起爆剤になればと、そう考えていたのは間違いない。だが同時に自分が作った素晴らしい酒を―――それを飲む喜びを、子供たちと分かち合いたいと思っていたのではなかっただろうか。

 

 しかしそれを振る舞ったソーマの目に映されたのは、醜く酔い果てた子供たちの姿だった。そしてそれを境に子供達への興味を更に薄れさせ、より深く趣味だけへと没頭して来た。

 酒に酔い浅ましくそれを求める子供達と、それを疎んで不貞腐れていた自分。本当に愚かだったのは一体どちらだったのか。

 

 苦い悔恨が、ソーマの胸を満たしていた。

 

「どうか……されましたか?」

 

 おずおずと問いかけるリリの手をとり、彼はゆっくりと自分の掌で包み込んだ。

 

「ソーマ……様?」

 

 戸惑うリリにソーマは言葉に迷う様にゆっくりと口を開き、そして己の言葉を伝えた。

 

「リリルカ・アーデ……すまなかった」

 

 驚きに、彼女は息を飲み込みながらソーマを見上げる。

 包まれたその手のぬくもりと、かすかに伝わる震えがリリの胸を打った。

 

「ソーマ様……リリは……リリは……」

 

 言葉にならない思いに戸惑う彼女の手を、ソーマはゆっくりと持ち上げ、そして離す。

 

「お前の【ステイタス】には……手を、加えておいた……」

 

 ソーマのその唐突な言葉にリリは困惑した様子見せる。

 

「お前と相手の神が望めば……いつでも、改宗(コンバージョン)が……できる様に、しておいた……」

 

 告げられた内容に理解が追いついた時、リリはハッとしてソーマを見上げた。

 

「ソーマ様……」

 

 薬酒の瓶を握りしめ立ちすくむリリに、ソーマは静かに言葉を重ねる。

 

子供(むすめ)よ……お前の未来に、幸福があることを願っている」

 

 そう告げるソーマの長い前髪の奥に隠された眼差しに、記憶の底にある優しさを見出した時、リリは自分の瞳にゆっくりと熱が溢れるのがわかった。

 初めてかけられた、主神(かみさま)の言葉。

 ずっと望んでいた筈の暖かさを。

 

 ファミリア

 

 その言葉が、今更になってリリの中で初めて息づいた気がした。

 遠い日に、この部屋で、同じ眼差しを受けていた気がする。

 乳鉢や薬研の音を子守唄に、まどろんでいた気がする。

 

(ああ、この人は……たしかに、私の主神(ちち)だったんだ)

 

「……はい」

 

 ぎゅっと目をつぶり、リリは己の主神に頷いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、これがその薬酒ってやつなのかい?」

「はい」

「ふぅん、これがねえ……」

 

 ソーマから薬酒を受け取った後リリは厳重にそれを布で包みこむと、足早にヘスティア・ファミリアのホームである廃教会へと帰還したのだった。そして今、ソーマ・ファミリアへ向かった彼女を心配していた二人を宥め、薬酒の事などを説明したばかりのことだった。

 ヘスティアはテーブルに置かれた酒瓶を手に取ると、魔石灯に翳す様にしてしげしげと眺める。そんなヘスティアの様子にどことなく不安を覚えたリリは思わず口を開いた。

 

「あの……落として割ったりしないでくださいね?」

「なっ!? 何を言ってるんだキミは! ボクがそんなことするわけないだろう!」

 

 心外だと言うように語気を荒くするヘスティア。

 それを見たベルはすかさず彼女を宥めにかかる。

 

「まぁまぁ神様、怒らないであげてください。それだけリリは僕の事を心配してくれてるんだと思いますから」

 

 彼の言葉を聞いて、そういうことならと彼女はしぶしぶ怒りを引っ込めながら酒瓶をテーブルへと戻す。リリは安堵のため息を漏らしながら言い訳をした。

 

「ヘスティア様の事を疑っているわけじゃありませんけれど、大事な物ですから……」

 

 そのぐらいボクだってわかっているよとまたヘスティアは語気を強めるが、リリは変わらずに心配そうに瓶を見つめている。なにしろこの瓶に入った酒はまだベルに飲ませることはできない。それはソーマから別れ際に、できれば味が馴染むまで一晩は寝かせてから飲むように、と言い含められているからだった。

 そのことにもどかしい気持ちを感じつつも、それも明日までの物だと思えばリリの表情も思わず緩む。ベルやヘスティアの表情も同じ様に明るい。

 

 勿論今日までだって三人は暗い雰囲気を振りまいていたわけではないが、それでも笑顔の中にどこか暗いものが見え隠れしてしまうことはあった。

 だが今は、神酒への渇きは変わらずに感じていても、もう少しの間だと思えば希望を持って耐えることが出来る。

 何よりその希望はリリが自分のために不安を押し殺して持ってきてくれたのだ。その思いがベルを自然と笑顔にしていた。そしてそのベルの笑顔は、それを見た二人にとっても彼女達の顔を綻ばせるに十分な物だった。

 

 暖かい空気に包まれながら、しばらく三人はソーマ・ファミリアの様子や、神ソーマについてなどの話に花を咲かせる。

 そしてその話に区切りがついた頃―――

 

「じゃ、これはしまっておくとして……」

 

 ヘスティアは薬酒の酒瓶を手に取って立ち上がり、部屋の隅にある棚へとしまう。

 そして振り返ると、リリのことをじっと見つめた。

 

「……?」

 

 リリが不思議そうにヘスティアに視線を返す。

 それを見て、ヘスティアが口を開く。

 

「後は君の【改宗】(コンバージョン)についだね」

 

 その言葉にリリははっと息をのんだ。

 そしていつのまにかヘスティアが笑顔を消して、真剣な眼差しで自分を見つめていることに気付く。

 

「えっと……それは……」

 

 思わず返答に詰まったリリが目を泳がせると、彼女の視界にベルもが真剣な目で自分を見ている様子が見て取れる。

 三人の間に、沈黙が流れた。

 すると言葉に詰まったリリの緊張を和らげるようにヘスティアが両手をあげて微笑を浮かべる。

 

「ごめんごめん、急かすようなつもりじゃないんだ。君が迷っているなら―――」

「い、いえ! 迷っているというわけじゃないんです……けど……」

 

 とっさにリリはそれを否定しかけ、そして言葉に迷うようにモゴモゴと口を動かした。

 

「ただその……リリは冒険者として長く活動しないつもりですし、とりあえず今のステイタスのままでも困りませんし、一時的な力のためにごやっかいになるのもその……」

「うん? つまりボクのファミリアになるのは……嫌なのかい?」

「いえ、そう言うことではなくてですね……」

 

 リリは必死で言い訳を探す。

 ソーマ・ファミリアに所属し続けることはできない。彼女の中にあった主神(ソーマ)へのわだかまりは消えていたが、だからこそリリは彼神に甘え続けることはできないと思った。

 良きにつけ悪しきにつけ、自分が自由を望んだことがきっかけであのファミリアは大きな変革を迎えることになったのだから。そしてソーマも、そういった事情を汲んだ上でああやって送り出してくれたのだから。

 その思いを無碍にすることを、彼女はしたくなかった。

 けれど同時に、自分はもう冒険者の道から降りようとしていた……ベルの力になることを諦めたのだという思いがある。そんな自分が彼らのファミリアに入る資格などないのではないか。

 その思いがリリの返答を押し留めていた。

 

 言葉を濁すリリにヘスティアは柔らかい笑顔を向けて言う。

 

「キミが冒険者を続けるかどうかなんて些細なことさ。嫌って訳じゃないなら、そういうことで悩まないで欲しいな」

「でも、そうなったらリリはもうベルさんのお役に立つこともできませんし……」

 

 そう吐露するリリにむかってヘスティアは心外だ、と言うように眉根を寄せて見せる。

 

「役に立つとか立たないとか、これはそんなことで決める様な事じゃないさ」

「……そうじゃなかったら、ヘスティア様は一体どうやって決めるって言うんですか?」

 

 自分の悩みを軽んじられたような気がして思わず反発するような言い方をしてしまうリリに対し、ヘスティアは当然の様に言い放った。

 

「だってファミリアって言うのは家族なんだよ? 家族が役に立たないからって追い出すようなこと、ボクがするわけないだろ」

「――ッ!」

 

 リリは言葉を失ってしまう。

 

「そりゃ穀潰しは困るよ? できればちゃんと働いてファミリアにお金も入れて欲しいし、ボク達貧乏だし……ベル君が落ち込んでた時も大変だったし……」

「あ、あははは……」

 

 と、喋りながらどんどんとヘスティアは語気を弱くして行く。それに対し、まさに役立たずであった事に覚えのあるベルもバツが悪そうに頬を掻いた。

 ひとしきり赤裸々な経済事情などを嘆いたヘスティアだったが、やがて胸をはって思いを告げた。

 

「でも家族が働けなくなったからって見捨てるようなこと、ボクは絶対にしない。家族は助け合うものであって、利用するものじゃあないんだからね」

「家族……だから……」

 

 その言葉にリリの脳裏に浮かんだのは、己の主神(かみ)であったソーマの姿だった。

 幼かった自分を見守ってくれていた……そして今こうして送り出してくれた男神の隠れた眼差しだった。

 長くすれ違っていたけれど、確かに自分の主神(ちち)であったあの人。今そのファミリアを出て、自分は一人になったのだと彼女は自覚した。

 

「リリルカ君……ボクはこう言っているつもりだよ?」

 

 そんなリリの孤独を察したように、女神は言う。

 

「ボクの……いや僕達の、家族にならないかい……ってね?」

 

 そうして彼女はにこりとリリに向かって微笑む。

 それは柔らかく温かい、冷えた心を暖めてくれるような微笑だった。

 家族で囲み暖を取る、暖かい火のような印象を受ける微笑みだった。

 

「僕も……うん。リリに、家族になって欲しいな」

 

 ベルが静かに自分の思いをヘスティアの言葉へと加えた。

 そんな二人を見て、リリは自分の本当の望みを知った気がしたのだった。

 彼女は、自分の目頭が熱くなっていくのを感じていた。

 

「リ、リリも……っ」

 

 焦ったように口を開くリリを、ヘスティア達はゆっくりと見守る。

 

「リリも……リリも……お二人と、家族に……なりたいです」

 

 震える声で、彼女は己の望みを口にした。

 

 暖かな家庭。

 お互いを想い合うことが出来る家族。

 それこそがなにより、彼女が心から望んでいたものだったから。

 

「でも……リリで……リリなんかで、良いんですか?」

 

 栗色の瞳に涙を湛えながら彼女は問いかける。

 

「勿論、ボクはこれでも女神だからね。これだけ一緒に過ごしたんだ……君の事はよくわかって言っているつもりだよ」

「僕は神様みたいに人を見抜く自信は無いけど……でもリリのことは……うん。リリだから家族になりたい……そう思ってる」

 

 そう言って二人はリリへと手を伸ばす。その差し出された二人の掌の上に、暖かい雫が静かに降り注いだ。

 リリの瞳からこぼれ落ちた涙が、二人の手を濡らす。そこに、リリはおずおずと自分の手を重ねた。

 

「はい……どうかリリと一緒に、家族(ファミリア)になって……下さい」

 

 震える両手で自分たちの手を掴みそう願った彼女を、ベルとヘスティアは静かに抱きしめたのだった。

 

 

 

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