たとえ英雄になれないとしても   作:クロエック

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信じたものは

 冷たい雨が降り出していた。

 薄暗い路地を行く一行を、その雨は容赦なく凍えさせていた。

 

 男達は口々に文句を言う。

 こんな所で雨が降り出すなんてついてない。

 さっさと用を済ませて温まりたい。

 報酬が出れば娼館に行こう。そこで女の肌で温まるのだ。

 

 

 リリルカ・アーデは心を閉ざしていた。

 何も聞こえていないふりをしていた。

 

 冷たい雨に、自分の心を凍らせようとしていた

 これでいいのだと。

 これで正しかったのだと。

 だから自分は悲しくなど無い。

 だから自分がどうなろうと構わないと。

 

 そう、思おうとしていた。

 これから自分がどうなるのか、そんなことは考えないようにしていた。

 全てが灰色の景色。

 自分を囲む男達の罵声も笑い声も、どこか遠くから聞こえる出来事のように思った。

 けれど―――――

 

 

「リリを、返せっ!」

 

 その叫びにだけは、耳をふさぐ事はできなかった。

 

 

 その雨は彼に味方したのだろうか。

 あと僅か動き出すのが遅れれば、その雨は彼女が道に落とした血痕を拭い去り、全ては手遅れになっていたかもしれなかった。

 しかし今その雨音は走る彼の足音をかき消し、雄叫びとともに一撃を放つまでの機会を作る手助けとなっていた。

 

「ぎゃあああ! お、俺の、腕があぁぁぁぁ!」

 

 人相の悪い人間族の男、その右腕が肘先から断ち切られている。

 その男が抱えていたヘスティア・ファミリアから奪われた武器達が路上へとばら撒かれた。

 

「て、てめぇ、このガキがぁ!」

 

 残りの男達が罵声と共に武器を構える。そして無謀な襲撃者に向けて歪んだ怒気を露わにした。

 

「こんなことしてどうなるかわかってんだろうなぁぁ!」

「ただじゃ済まさねえぞテメエ!」

 

 しかし、彼はそんな言葉に微動だにせず繰り返した。

 

「もう一度言うぞ! リリを、返せ!!」

 

 ベル・クラネルは折れた剣を手にそう叫んだ。

 

 

 

「ベル……さん……?」

 

 リリは眼前にある光景に信じられない思いだった。

 何故彼がここにいるのか。何故カヌゥ達と切り結んでいるのか。そして、何故自分を返せなどと叫んでいるのか。

 

「なんで……なんでこんな……」

 

 震える声でつぶやく彼女に、冷ややかな声が浴びせられる。

 

「ふん。随分とたらしこんだものだなぁアーデよ」

「ザニス……様……」

 

 見ればザニスは、剣を手に居ているもののベル達の争いに加わる様子は見せていなかった。そして周囲を警戒するように油断なく辺りを睥睨しながら、リリの事を嘲笑う。

 

「まさかあんなガラクタを手にお前を取り返しに来るとはなぁ。随分と誑かしたものじゃあないか、えぇ? ファミリアから逃げてどこへ行っていたのかと思えば、あの小僧のベッドにでも潜り込んでいたか?」

「そんな……リリは、誑かしてなんか……」

 

 そう、自分と彼とは決してその様な関係ではない筈だ。

 家族になれたかも知れなかった……けれど結局ただの仲間でしかなかった。それなのに何故、彼はこのような無謀な事をしてしまうのだろうか。リリは胸が苦しくなる気がした。

 

「おい、さっさとそいつを黙らせろ。最悪殺しても構わん」

「――ッッ」

 

 ザニスがカヌゥ達に向けて出した指示に、リリは息を呑んだ。彼女は反射的にベルの命乞いをしたくなるのを必死で抑え込む。自分が何を言っても、きっと彼等のやることはより悪くなるだけだと。

 

(どうして、どうしてこんなこと……)

 

 リリは顔を青褪めさせながら、ただベルが無事で済むようにと……そんな奇跡を祈った。

 唇を噛むようにして震える彼女を横目で眺めながら、ザニスは思考する。

 

(あのガキは何が狙いだ?)

 

 彼は絆など信じない。

 捨て身の善意など信じない。

 

 仮にそう言う風に見えるものがあったとしても、それは勝算を見誤っている愚者の暴走でしか無いと彼は考える。では今自分達に歯向かう少年もそうだろうか? それは早計だとザニスは思った。

 彼の感覚からすれば、先程十分に痛めつけ、脅し、力の差をわからせた筈だった。ただの愚か者が挑めばなんとかなるなどと思える状況では無いはずだった。で、あれば何らかの勝ち目を用意しているのではないか?

 

 最も警戒すべきは他者の介入だが、それは無いだろうと彼は考える。

 街の衛兵はこのような事件に迅速な介入ができる力はないし、そうした判断もしない。彼らはあくまで市民同士の犯罪に対するものであって、冒険者を止める力はない。

 だがそれ以外の力……冒険者であれば、話は別だ。

 

(このガキのファミリアにも、実力者にツテの一つや二つあってもおかしくはないが……)

 

 だが、元々揉めていたならともかく自分たちの行動は相手にしてみれば突然だったはずで、突然に都合よくそんな戦力が用意できるとは思い難かった。

 あの場に居たもうひとり、あの小さな女神が助けを呼び行っていたとして、すぐに助けが来る保証などどこにもないはずだ。

 

(そんなものを当てにして、こんな馬鹿な真似をするのか?)

 

 それはザニスには到底信じがたい考えだった。

 

(なら俺の注意をひきつけて、とにかくアーデの奴を逃がす。それがあのガキの狙いか?)

 

 リリの持つ魔法の効果を考えると一度でも見失えば補足は難しい。もしベルが盾になって足止めに徹すれば、それは実現する可能性があるとザニスは思った。

 そんなことをすればベルはただでは済まさないが、ザニスにしてみれば彼の生死などどうでもいい事柄だ。小癪な妨害者を斬り殺したとしても、その間に目的(リリ)に逃げられてしまったのでは何の意味もない。

 

「……おい、お前もいつまでそこで喚いている。さっさとあのガキを始末してこい」

 

 ザニスは腕を切られた男にファミリアから持ち出したハイポーションを投げつけ、語気荒く命令する。こんな程度の相手に与えるには惜しい薬だが、下級のポーションは持ってきていない。

 切断された腕はすぐに元通りにはできないが、動けるようにするだけならば十分だ。

 

 彼自身は動かない。

 警戒すべきはリリの逃走。故に彼は彼女の身柄をまず確保する。何か予想外の事態……相手に助けが来た時などは、彼女を担ぎ、カヌゥ達を囮に一人で逃げ出す事も考慮に入れていた。

 その可能性を考えると余り時間をかけるのは好ましくなかったが、ザニスの見る所ベルのステイタスはカヌゥらと大差がない。強いて言えば多少敏捷に優れている程度だろう。それならば自分が動くこともない。カヌゥ達三人でも数の差で十分に圧倒できる筈だと彼は考える。

 

 この馬鹿な抵抗もすぐに終わる。

 その後にまだ相手の命があれば、リリへの見せしめに使ってやろうとザニスは考えた。

 だが―――

 

 

 

「こ、このガキャァ!」

 

 振るわれる長剣の軌道から身を屈めることで逃れたベルが、そのまま相手の足を斬りつけようとする。

 

「やらせるかよテメエ!」

 

 中年の狸人がそれを咎める様に横合いからベルに斬りかかる。

 自分に向かって振り下ろされる剣に対し、ベルはすばやく地面を転がることでその刃から逃れた。そして地面を腕で弾くように押し出し、反動で体を浮かせながらすばやく剣を構え直す。

 

 眼前の男達、そしてその後ろでリリの横で剣を持つザニスまで視線を走らせながらベルは呼吸を整える。

 

(大丈夫だ。この人達は強くない……)

 

 激しい運動に心臓がバクバクと鼓動し、熱い血を全身に駆け巡らせながらもベルは冷静だった。

 そして事実、彼は三人の男を相手に拮抗している。

 

 冒険者の強さとは、言ってしまえばステイタスだ。

 各種のアビリティに、スキルと魔法……そして何よりも絶対的なレベル。レベルが一つ違うということは、例えるなら恩恵の無い人間と熊ほどに身体能力に開きがあることになる。

 レベルが下の側が武器を持った所で有効打が入る事はほとんどなく、逆に相手からは無造作な一撃が簡単に致命傷を引き起こす。ステイタスとはそれだけ絶対的な差をもたらす巨大な力だ。

 

 だが、ステイタスに差がなければ冒険者の強さもまた同じかといえば、そうではない。例え同じレベル、同じアビリティとスキルを持った冒険者がいたとしても、そこには差が生まれる。

 それも明確な。

 

 技量の差、経験の差、覚悟の差、知性の差。

 冒険者の強さにおいてステイタスの占める割合があまりに大きいからこそ、逆にそれをどれだけ扱えるのかは拭い難い程の違いを生む。

 ステイタスが同じなら強さも同じだろうというのは、自身の強さもステイタスに依存したものの考えでしかない。

 

 ましてや死線を経験し、挫折を知ってそれでも戦うことをやめずに自分にできることを模索し続けてきたベルと、片や怠惰につかりきり、弱者から奪う事ばかりを考え己の身を危険に晒すことを避け続けてきた三人の男達とでは、その差は歴然としていた。

 

「くそっ、おいカヌゥ! 早くやれ」

 

 ベルの攻撃を必死に受ける男が引きつった表情で叫んだ。

 

「急かすんじゃねえよ!」

 

 催促を受けながら、ベルの背後に回り込もうとするカヌゥ。

 それが功を奏する前に、ベルは鍔迫りの状態から素早く体を離す。そして彼は剣の折れた切っ先を狸人に向かって突きつけた。

 

「ウッ……!」

 

 その気迫を前に鼻白むカヌゥ。

 所詮、彼らの連携は拙い。

 弱者を取り囲み嬲る事はできても、自分たちと同等以上の敵を相手にすれば脆い。仲間の為に己の身を危険に晒すどころか、危険をおしつけあい自分の安全を第一に考えてしまう者たちだった。

 ましてや男達の内ひとりは、最初のベルの奇襲で利き腕を失っているのだ。治療したとはいえポーションも無限にあるわけではなく、それを持っているのはザニスだけだ。そんな考えが、彼等に自分が同じ目にあう危険を可能な限り避けようとさせる。

 

 相手がモンスターのように何も考えずに襲ってくるのなら、それでも良かっただろう。運悪くその標的となったものが耐えている内に敵を取り囲み袋叩きにすればよかった。

 しかしベルは臨機応変に立ち位置を変えながら、標的を絞らず時に相手を威圧する。

 そうなれば、自分が第一に矢面に立つことを躊躇する者たちでは、彼を捉えることはできない。自分の身を晒して仲間のために捨て石となる行動がとれなければ、その数の利も宝の持ち腐れだった。

 

 すぐに終わるだろうと言うザニスの予想とは裏腹に、雨降りしきる路地の中、ベルは硬い石畳の上を跳ね続ける。

 

「お前たち……たかが兎一匹に何を手間取っている」

 

 雨に濡れた髪を鬱陶しそうに左手でかきあげながら、苛立ちを隠そうともせずにザニスが言う。

 

「へ、へぇ。しかしこいつやたらと素早いもんで、へへ……」

 

 そんな言い訳の数々が彼の機嫌を更に悪くしてゆくが、重圧を受けることで焦るカヌゥ達の動きを、ベルはますます冷静に捌いていった。

 

(チッ! あのベルとかいうガキ……何か使えるスキルでも持っているのか?)

 

 三人のあまりの不甲斐なさに歯噛みしつつも、ザニスはベルへの侮りを認めざるを得なかった。そして彼が何らかの戦闘向きのスキルを持っているのではないかと考えを改める。

 だが仮にそうだとしても、眼前の戦いを見る限り自分の相手ではないと言う確信にかわりはなかった。

 その確信と共に、しびれを切らせたザニスは男等にリリを抑えておくよう命令する。

 

「お前らはアーデを抑えておけ……いいか、決して逃がすなよ? 妙な素振りをみせる様なら足を切断しても構わん」

 

 吐き捨てるように念押しし、ザニスが男達と入れ替わるように前にでる。

 腕を鳴らす様に剣を一振り。

 無造作に一振りされたその白刃が、刃から雨粒を跳ね飛ばす。

 

 ベルはベルトのホルダーからポーションを取り出し素早く嚥下する。消耗した体力を補いながら、改めてその剣を構えた。

 

 対峙するその二人を眺めながら、入れ替わりに下がった男達は自分たちの仕事は終わったとばかりに弛緩した空気をだしていた。

 カヌゥともうひとりの男がリリを両側から挟むように立つと、その両腕をがっしりと掴まえ彼女を拘束する。

 そして年端もいかない格下とみなしていた少年に翻弄された恥辱からか、そんな自分を慰めるように彼らは下卑た視線をベルとリリの間で行き来させながら口々に彼らを罵倒した。

 

「へっ、これであのガキも終わりだな……見てろよアーデぇ。俺らをコケにしたあのガキには、すぐにたっぷりと自分の立場を思い知らせてやるからなぁ?」

「おめぇ何かにいれこんだバカなガキの末路がどうなるか、しっかり見とけや」

「違ぇねえや! こんなパルゥムの貧相な身体と引き換えに初心なガキを血迷わせるなんざ、おめぇもひでえ奴だぜ!」

 

 そんな哄笑を上げる男達に囲まれて、リリは必死に泣きわめきたくなる気持ちを抑え俯いていた。

 ベルは優秀な冒険者だと言えるだろう。

 きちんとした指導者の元での日々の鍛錬、それによって身につけた技術。窮地における胆力、冷静さ。己を危険にさらしながら戦い続け、時に死線をくぐった経験。そして元々の素質、素養。その全てが彼の強さを支えている。

 

 確かにベルは強い……LV1の特別な資質を持たない冒険者の中であれば。

 

 

「そらっ!」

 

 振り続ける雨の中で金属と金属がぶつかる音が、ますます激しく響き渡っている。

 そしてザニスが無造作に踏み込みながら横薙ぎに剣を振るうと、ベルはその剣を掻い潜る事も逃れる事もできない。

 それは、単純な速度の差だ。

 剣速が違う。踏み込みの速度が違う。集中した際の体感速度さえもが違う。一挙一投足の全ての速度に差があるのだ。

 

「くっ!」

 

 ベルは剣の腹を盾にするように構えその横薙ぎを受ける。

 片手で無造作に切り払ったザニスに対し、左手で裏から刀身を抑えて足を踏ん張り正面からそれを迎撃するベル。

 ―――それでも一方的に吹き飛ばされたのは彼の方だった。

 濡れた道の上、足を滑らせないようたたらを踏むベルに対し、ザニスはいっそ気安く見えるほど簡単に詰め寄り追い打ちをかける。

 

「そらそらそらぁ!」

「~~~っ!!」

 

 必死の防御。

 一撃でもまともに喰らえば致命傷になりかねない攻撃に、食らいつくように耐えるベル。

 だが振るわれる剣を受けるたびに体ごと吹き飛ばされ、あるいは無理な体勢で回避すれば、続く攻撃を凌ぐことはどんどんと難しくなっていく。

 

 そして僅か十合でベルの抵抗が限界を迎えた。

 防御も回避も困難な体勢。そこに左肩を狙って放たれた突きを、無理矢理に体をひねり体勢をわざと更に崩す事でその軌道から逃れようとするベル。

 

 血飛沫が雨の中を舞う。

 

 伸び切った腕を戻しながら、ザニスは剣を払う。

 付着したベルの血が地面にビシャリとばらまかれ、雨に混じり石畳の上を流れていく。

 

 ベルが頬を拭うと、その手の甲を雨では流しきれない程の血がべったりと赤く染める。彼の顔には頬から耳まで届くほどの大きな傷が刻まれていた。

 それは一歩間違えば首や頭に刃が突き立ち即死していてもおかしくない、無理矢理の防御の代償であった。

 

「はぁっ……はぁっ……」

「……」

 

 頬からだくだくと血を流し、大きく肩を上下させ息を荒げるベル。それに対しザニスはまだ呼吸を乱してすら居ない。

 二人の間にある圧倒的な身体能力の差。それこそが神の恩恵(ファルナ)によって引き出されたステイタスの力を受け取る器の差……レベルの差だった。

 

 だがそんな力の差を目の当たりにしても、ベルは未だ抵抗をあきらめずに剣を握りしめる。その様子を見て、ザニスは愚か者を見る様な目で嘆息する。

 

「ふぅ……理解できんな。その程度の実力で俺をどうにか出来るつもりか?」

「…………」

 

 沈黙したままのベルに対し、ザニスは呆れた様子で言葉を重ねる。

 

「お前はよく粘っている……後ろにいるあいつらとは物が違うのも認めよう。だがそれがなんだ? その程度の力など俺に勝てないのであれば何の意味もない」

「……」

「都合よく助けがくるとでも思っているのか? いいやそんなことはありえない。お前がどれだけ耐えようと始末するのにかかる時間など大して変わることは無い」

「……そうだとして、だったら何だって言うんだ」

 

 抵抗を諦めない様子のベルに対し、ザニスは眉を潜めるようにして疑問を口にする。

 

「それがわかっていて何故逃げん? 俺はお前になど興味はない。逃げるなら見逃されるかも知れないとは考えないのか?」

 

 そのザニスの声に慌てたのは、問われた本人ではなくそれを見ていた3人の男たちであった。

 

「ち、ちょっと待ってくれよザニスの旦那! これだけコケにされてただで帰せるかよ!」

「そうだぜ! 俺の腕のお礼を10倍にしてそのガキに返してやらねえと気がすまねえよ!」

 

 口々に喚く男達を、ザニスは冷ややかに一瞥する。

 

「なんだ? 三人がかりで小僧一人始末できない無能が要求だけは一人前か? お前たちのくだらん望みに応えたとして、俺の手を煩わせたお前たちは代わりに一体何をしてくれるつもりだ?」

 

 冷たい怒気を滲ませたザニスの言葉に、たちまち男達の威勢がしぼんでゆく。

 

「それは……そのぅ……」

「そ、そういうことなら旦那の良いようにしてくださいや……」

 

 そんな男達に対して鼻をならし、ザニスはベルを振り返った。

 

「お前はどうだ? 俺との力の差は十分わかっただろう、逃げるなら追わんぞ?」

「…………」

 

 ベルは無言のまま構えをといた。そして大きく息を吐く。それを見たザニスは小さく笑った。彼が諦めたと思ったのだろう。

 しとしとと、魔石灯に照らされた薄暗い路地裏に雨が振り続けていた。

 ベルの頬から流れでる血が白い髪を伝い落ちる水と混じり合い、シャツを薄赤く染めている。

 

「ベルさん……」

 

 リリが、震える声で彼の名を呼んだ。

 

「アーデよ、お前からも言ってやったらどうだ? お前もこれだけ自分を思う相手にむざむざ死なれたくはないだろう?」

 

 リリとベルの視線が静かに混じり合った。

 ルベライトの瞳の中に、男たちに両腕を捕まれた痛々しいリリの姿が映り込む。 

 こんな姿を彼に見られたくなかった。

 リリはその瞳から逃げるように、うつむく。

 

「ベルさん、お願いですから……もう、逃げて下さい」

「リリ……」

「リリなら……大丈夫です。大丈夫ですから。ベルさんの思いは、もう十分……受け取りましたから。だからもう……馬鹿な真似はやめてください」

 

 顔を伏せ震えるように懇願する彼女の頭上に、毛深く太い指が乱暴に載せられる。

 カヌゥは彼女の栗色の髪を掴み頭を押さえつけながら、ニヤニヤと笑う。

 

「へへ、男は引き際が肝心だぜ? 振られた相手につきまとう様な真似はよくねーなぁ」

「そうそう、アーデのやつもこう言ってんだし、旦那が見逃してやるってんだから素直に逃げとけや」

「…………」

 

 そんな男達の嘲笑も無視して、ベルはただリリだけを見ていた。

 

「泣かないで、リリ」

 

「ベル……さん……?」

 

 彼女が視線だけで前を向くと、その視界にベルが映った。

 

(大丈夫だって、笑わないと。そうしなきゃ……いけないのに……)

 

 表情を繕う事が出来ないリリに対し、ベルは無理をしなくて良いんだと言うようにゆっくりと微笑みながら頷いた。

 そして静かに呼吸を整え、彼はザニスへと改めて正対する。

 ザニスは自分の予想と違った反応を見せるベルを訝しげに見つめる。

 

「勝ち目が無いのに抗うのは理解できない……そう言ったな」

「あぁ……? あたりまえだろう、そんな事をして一体何になると言う?」

「……リリなら」

「……?」

「リリになら、僕がそうする理由がわかるさ」

「何を言―――っ!?」

 

 ザニスがその言葉の意味を問いただそうとしたその瞬間、ベルは足元の泥を跳ね飛ばすようにして全力で加速する。そして、地面すれすれの低姿勢で剣を構え突撃した。

 ザニスは虚を突かれながらも咄嗟に迎撃する。低い位置に飛び込んでくるベルを叩き潰すかのような剣の打ち下ろしは、しかし空を切り石畳を削るだけだった。

 ベルは、相手の剣の間合いギリギリで跳躍していた。

 そして自身の身長を超える程の高さから、彼は折れた剣を振りかぶる。

 

「ちいぃっ!」

 

 ザニスは歯噛みと共に力づくで剣を引き戻す。そして空中のベルに対し横薙ぎの受け太刀を放った。

 二人の白髪のヒューマンが銀線と共に交差する。

 

 弾かれるように小柄な影が飛び出し、四つん這いの姿勢で石畳を捉え体の勢いを殺した。

 それを見るザニスの表情は歪み、目がぎらぎらと憎しみに染まっている。

 

「小僧がぁ……!」

 

 彼の額がぱっくりと割れてその顔を血に染めていた。

 

(硬い……)

 

 ベルの一撃は確かに相手の頭を捉えた筈だった。

 相手の受け太刀によって勢いを殺されたとは言え、突撃の加速と跳躍からの全体重を載せた刃が額に入って致命傷とならない。どれほど理不尽に思えても、これもまたステイタスの恩恵であった。

 ベル自身迷宮で戦う際は、生身であれば到底耐えられない筈の魔物の攻撃を受けながら、その恩恵によってわずかな傷で済ませているのだ。それが神の恩恵(ファルナ)でありステイタスというものだった。

 

「もう見逃されるなどと思うなよ! すぐにその体に身の程を思い知らせてやる!」

 

 ベルにとって格上の上級冒険者が吠える。奇襲や動揺、その程度のことではレベルによって生まれた差は容易に埋まらない。 

 それでも、彼は剣を構える。

 

「ハァァァッ!!」

 

 気合の声と共に、再度の突進。

 四肢を余すところなく使い、相手の周りを跳ねるように移動する。

 

「ちょこまかとぉ!」

 

 苛立ちのままにザニスが剣を振るう。相手の攻撃が致命打とならない頑健さがあってこその無理押しだが、ベルはそれを冷静に捌いてゆく。

 相手の荒い攻撃を可能な限り逸しやすい角度で迎撃し、あるいは勢いの乗り切らない点であえて受け。それすらも無理な場合は防具とステイタスを頼りに最小限の傷で済ませて行く。

 

 そんな無謀とも言えるベルの戦い方が、ザニスの動揺を生んでいた。

 

(なんだ、こいつはっ!?)

 

 ベルがどれだけ力を振り絞ろうとザニスには余裕があった。今この瞬間ですら、彼には自分が敗れるかも知れないという危機感はなかった。しかしだからこそ彼の心には疑念が湧き出す。

 

(一体何を狙っている!?)

 

 実力差は明らかで、こんな無理が長く続く筈がないのだ。

 だが最早ベルの事を、調子に乗っただけの愚かな子供と思うこともできない。

 

(何か発動条件の厳しいが逆転の目があるスキルでも持っているのか……?)

 

 そんな考えがザニスの脳裏をよぎる。

 他者を助けるために自分の命をなげうつなどという行動を彼は信じていない。だからこそ、ベルの行動が彼には理解できない。そんなザニスにとって、ベルがなんらかの切り札を隠し持っているのではないかという疑念は、納得がいくものに感じられた。

 通常であれば一笑に付す様な可能性がザニスの剣を鈍らせ、二人の拮抗を生む要因の一つになっている。

 

 

 雨がますます激しさを増す中、二人の戦いを外から見ていたリリにはわかってしまった。

 ベルが耐えられる時間はそう長くは続かないだろう事が。

 そして彼にはこの状況を逆転させるような、都合のいいスキルなど存在しない事も彼女は知っている。

 今こうしている間にも、ベルの体には傷がだんだんと増え続け続けている。要所に身に着けた防具も、歪み、ひしゃげ、一部はその用をなさなくなっている。

 

(ベルさん……なんで……)

 

 こうなることは明らかだったのに、それでも彼は逃げてくれなかった。

 彼はどうしてもリリを見捨ててはくれないのだろう。それにもう、ザニスも彼を見逃そうとは考えまい。

 だがこのままでは、遠からずベルは敗北することも間違いなかった。

 

(こんなの……どうすれば……)

 

 無力感に膝が崩れ、掴まれた両腕に釣り下げられるリリ。

 カヌゥが彼女の髪を掴み上げ、強引に顔をあげさせ前を向かせる。

 

「おいおいイケねえなぁ? 折角お前の彼氏が頑張ってるのに目を逸らすなんてよぉ」

「そうだぜぇ。あのガキの寿命も残り少ないんだ。ちゃんと見てやらねえとなぁ」

「ぎゃはははは」

 

 あざ笑う言葉がリリの心を責め苛む。

 

「そういやあのガキ妙な事言ってたよな?」

「あ、何がだよ」

「ほら、アーデにならあのガキが命を張る理由がわかるとかなんとか」

「そういや言ってたなぁ」

 

 そう、確かに彼はそう言っていた。

 

「なぁアーデよ。ちょっくらその理由とやらを教えてくれや」

「そ、そんなの……知らない……」

「オイオイ、知らねえって事はねえだろうが」

「命がけで君を守るよ~とか言わせてたんだろうぜ」

「忘れちまうなんてちぃと薄情なんじゃねえのかぁ」

「ち、違……」

 

 

    そんな約束などしていない。

    ベルが自分を助けにこなければならない特別な理由など無い。

    彼はそんな理由などなくても――――

 

 

(仲間は……家族は……助け合うものだから)

 

 ベルの言葉通りに、彼女はそれを悟る。

 彼が自分を助けようと命を賭ける理由はそれだけだ。ただそれだけなのだと。

 ベルにとってリリの為に命を張ることに、他に特別な理由はいらないのだと。

 

 それが、ベル・クラネルという少年だった。

 

 

 響き続ける剣戟の音。そのリズムが歪む。

 疲労か、痛みか、実力の限界か。濡れた足が路面を掴みそこね、体がズルリと横滑りする。

 

「しぃっ!」

 

 ザニスの剣がベルの左腕を上腕部でざっくりと切り裂かれる。

 

「ぐうっ!?」

 

 ベルが大きく間合いを取る。

 その片手がだらりと垂れ下がる。肩口の筋肉が完全に切り裂かれ腕が上がらないのだろう。傷口からは砕けた白い骨が見えている。明らかな重症だ。高等回復薬(ハイ・ポーション)を用いれば治療はできるだろうが、ザニスがその様な余裕を与える筈がない。

 戦いの均衡は崩れた。

 

「くく……どうした? 何かまだ手があるなら見せてみろ」

 

 嗜虐的な笑みと共にザニスはゆっくりと間合いを詰める。

 ベルの敗北が目前に迫っていた。

 

(このままじゃベルさんが……どうしたら、どうしたら助けられる(・・・・・)だろう)

 

 彼女はごく自然とそう考え……そしてそう考えた自分自身に驚いた。

 

(助けるって……リリが……?)

 

 

 

       仲間パーティっていうのは、助け合うものでしょ?

 

 

 ふいに彼女は、いつか聞いたその言葉を思い出す。

 そうだ。

 あの時そう言った彼の手を、自分は取ったのではなかったか。

 

 家族にならないか、と小さな女神に微笑んで貰った。

 だから自分も、彼等のために己の身を差し出したのではなかったのか。

 

(助けたい……リリの手で……)

 

 膝に力が戻る。

 自分の足で立ち上がり、髪を掴まれたまま左右を見る。

 

「なんだアーデ。今更妙な真似はするなよ?」

「そうそう、大人しくしとけや」

「歩けなくなったお前を担ぐのは面倒だからよぉ」

 

 嘲笑うカヌゥ達。

 両腕はがっちりと掴まれていて、とても動かせる気がしない。荷物持ちのスキルなんて、今は何の意味もなかった。

 偽りの力を剥がされた自分の無力さが、非力な小人族(パルゥム)の体が、今は泣きたくなるほど恨めしかった。

 

(鎧がなければ、武器がなければ……リリはこんなにも弱いままだった……)

 

 奥歯が砕けそうなほど強く歯を噛みしめる。

 恐怖、悔しさ、情けなさ。自分の弱さに対する怒り。それらが鉄錆の様な苦味となって彼女の口中に広がる。

 

(力が欲しい……)

 

 リリは願った。

 この男たちを物ともしない力を。

 ザニスさえも退けて、ベルを助ける事が出来る力を。

 

 他には何もいらない。

 その力が得られるのならば、全てを捨てて構わないと思った。

 

(彼を、助ける力を……!)

 

 そう強く願った時、彼女の背中が燃えるように熱くなった。

 火種をくべられた竈のように、熱が生まれ、体中に広がってゆく。

 熱い血が全身を駆け巡り、雨に打たれ冷たく凍てついていた体が脈動するのを感じる。

 

 その血潮に突き動かされるように、彼女は無我夢中で動いた。

 両腕を掴む男達を逆に掴み返し、無造作に持ち上げ―――

 

「……あっ?」「な、なんだぁおい!?」

 

 ―――そして、力の限り地面へと叩きつける。

 

 轟音と共に石畳がひび割れ、ベキベキと骨の砕ける音が響く。

 反吐をはきのたうち回る男達を、踏みつけて沈黙させる。

 

「なっ……なっ……!?」

 

 男の動揺を他所に、地面に投げ出された自分の武器に飛びつき握りしめる。

 手中に戻った戦鎚が、今はやけに軽く感じられた。

 リリはその感触のままに、まるで木の枝でも振るかのように戦鎚を薙ぎ払った。

 

 横薙ぎに振るわれたそれが、防御しようとした剣諸共男の体をへし折り吹き飛ばす。

 

「ぐはっ!?」

 

 血反吐を吐きながら壁に叩きつけられが男が、地面へと崩れ落ち気絶する。

 

「……ハァ……ハァ」

 

 それはあっという間の出来事だった。

 たとえ最下級と言えど、ステイタスの恩恵を受けた三人の男たちが、一瞬のうちに無力化される。

 その事に最も驚いていたのは、他ならぬリリ自身であった。

 

「今のは、本当にリリが……?」

「リ、リリ……」

 

 ベルとザニスが手を止め突如豹変した彼女に見入っている。

 特にザニスは何がおこったのか理解できないという様子でその目を見開いていた。

 

「アーデ……貴様、一体何をした……?」

 

 突如背後で巻き起こった暴力の渦に、手下があっさりと壊滅させられた。それも無力なサポーター風情と見下していた小人族(パルゥム)の手によって。

 ありえない。そう何度も思いながらも、しかしその度に目の前の光景がそれを現実だと知らしめる。

 

「貴様……まさか……」

 

 ランクアップ、その単語がザニスの脳裏をよぎる。

 考えてみれば彼女の行方がわからなくなって既に長かった。その間、彼女がどう過ごしていたのかなどまるで考えたことはなかった。牢の中で彼女が見つかったと報告された時も、当然のように無力な落ちこぼれ(サポーター)のままだと思いこんでいた。

 

「こんな、こんな馬鹿なことがある筈がない!」

「そうですね、リリもそれは同感です」

 

 リリが淡白に同意を示した。

 そして、ザニスと……その奥で血を流し剣を構える少年を見る。

 

「でも、そんなことはどうだって良いんですよ。この力がなんだろうとリリは……ベルさんを、助けるだけです!」

 

 リリが戦鎚を振りかぶり、そしてザニスへと襲いかかった。

 

「う、お、お、お、おぉ!!」

 

 彼女の振るう鎚を弾き、あるいは往なすザニス。その一撃の重さは彼の手にビリビリと痺れを感じさせる程だ。無防備に受ければ唯では済まない、それがわかってしまう。

 

「ふざ……けるなぁ!!」

 

 上級冒険者としての自負が、ザニスに怒りの声をあげさせた。

 見下していた落ちこぼれのサポーターに自分が追いつかれるなど、彼にとって許せるはずがない事態だった。

 

 二人の武器が激しく交錯する。

 

 だが、鋼打ち合う中でザニスが歪んだ笑みを浮かべた。

 リリには突出した力はあっても、まだその強さは自分には及ばないと確信したからだ。

 

「は、はは! そうだ、貴様などに俺が追いつかれるわけがない!」

「くっ……」

 

 哄笑と共に勢いを増す剣。リリの表情に焦りがにじむ。だが―――

 

「やらせないッ!」

「貴様、ちぃ!」

 

 ベルが、その戦いに割り込む。

 背後からの奇襲を防ぎ、間合いをとるザニス。

 

「ベルさん!」

「リリ……」

 

 二人は一瞬、視線を交わす。

 そして、共にザニスへと向き直った。

 

「きさまら……きさまら如きが、この俺に勝てるつもりか!」

 

 ザニスが地の底から轟くような怒声をあげる。

 額からは血を流し、濡れたざんばらの髪が幽鬼のように乱れその顔に張り付く。

 

 リリは冷静に現状を捉え直す。

 実際、ベルの攻撃ではほぼ有効打にはならない。自分の今の力であればダメージを与えられたとしても、当然相手もそれを警戒している。そもそも基本的なスピードは向こうが上だ。

 ベルが一人で戦っていた時のような絶望的な状況では無いだけで、二人がかりでも有利になったとは言えないと。

 それでも彼女の心に恐怖はなかった。

 

「勝てるつもりか、ですって……ベルさん、どうします?」

 

 いつのまにか、降りしきっていた雨が止んでいた。

 軽口を叩くように彼女は言う。

 どうせ一度は捨てた命だ。ベルと助け合い、と肩を並べて戦って負けるというなら、それでも良いとすら思った。

 

 ベルもまた、リリを見て笑みを浮かべる。

 

「大丈夫だよ、僕たちなら」

 

 常であれば曖昧な言葉を嫌うリリも、今は素直にその言葉に頷いた。

 

「作戦があるんだ。無理をしないで、チャンスを待ってくれるかな。なんとかするから」

 

 彼が何とかするというのであれば、信じてそうしようとリリは思った。

 

「貴様ら……俺を、な、め、るなぁ!!」

 

 そんな二人に、怒りと共にザニスが襲いかかる。

 リリは前にでてその一撃を防御し、ベルがその隙にポーションを飲み干した。

 千切れかけと言えるほどの深手だった左腕が、みるみる内に治ってゆく。それを見たザニスは鼻をならした。

 

「ハイ・ポーションか? だがそれがなんだ。後何本ある? それが尽きた時が貴様らの命運も尽きると理解しているのか?」

 

 目を爛々と光らせ二人を威圧するザニスに、ベルは不敵に笑った。

 

「そう思うなら、やってみろ!」

 

 その言葉を皮切りに、再び戦いが始まる。

 

 ザニスは強い。何がどうなろうと彼等の間には超え難い差がある。それでも今、リリは負ける気がしなかった。ベルと肩をならべれば、それだけで勇気が湧く気がした。

 彼がなんとかすると言ったから、それを信じて戦うことに集中できる自分が居た。

 いっそどんな方法でこの局面を打破するのかと、楽しみですらあった。

 

(ベルさん……信じてますよ!)

 

 

 そしてついに、待っていたその瞬間が訪れる。

 

 それは風切り音と共に現れた。

 今まさにリリに叩きつけんと剣を振りかぶっていたザニスの右肩に、一本の矢が突き立つ。

 

「がっ!?」

 

 衝撃に体勢を崩しながら、何が起こったのか理解できない様子のザニス。

 その体に、次々と容赦なく追撃の矢が打ち込まれていく。

 

「うぐぁぁああああっ!?」

「これは……」

 

 無数の矢を撃ち込まれ叫び声をあげるザニスを前に、リリもまた困惑を隠せない。

 見れば何本かの矢は貫通するほどの深手を与えていて、ザニスはもはや戦えない事は確実だった。

 一体何が起こったのか……疑問の答えを求めて、彼女はベルを振り返る。

 

「ふぅ……」

 

 彼もまた、飛来する矢に襲われるザニスを見て安堵の息を吐いていた。

 

「来てくれたんだ、ナァーザさん」

「え、えぇぇ~?」

 

 ベルのその言葉に、思わずリリの口から声が漏れた。

 

「あんな啖呵を切っておいて……最後は他人頼りなんですかぁ?」

 

 落胆にリリは肩を落とす。

 本当ならこの結果に文句など言えないと彼女もわかっていたが、それでもこれはないだろうと彼女は思った。

 明らかに今は、自分とベルだけの物語の筈ではなかったのか?

 

「え、いやでも相手はLV.2だし……僕達だけじゃ勝てなかったよ」

 

 あっさりとそう告げるベルを、リリは膨れ面で睨む。

 

「そうですけど……そうなんですけど~~」

「……?」

 

 ベルは不思議そうな顔でリリを見る。

 彼にとって、自分は勝てないと言うのは最初からわかりきった(・・・・・・)事だった。

 物語の英雄の様に、悪い強敵(ザニス)を倒し囚われの姫(リリ)を助ける。そんな事ができると、自分を信じることはもう出来ない。

 

 ベル・クラネルの心は折れている。

 あの日、あの時から、変わらずに……ずっと。

 

 それでも、まだ出来ることがあると彼は思ったのだ。

 必ず助けが来ると彼は信じた。

 リリの勇気と強さを、彼は信じた。

 そのための僅かな時間を稼ぐために、彼は自分の命を賭けたのだった。

 それが出来ると……それだけならば出来る筈だと、そう信じて彼は戦ったのだった。

 

 決着はついた。

 ベルは剣を手放し、リリを力いっぱい抱きしめた。

 

「ベ、ベルさん……?」

 

 突然のその行動にリリが慌てる。

 

「リリ、良かった……」

 

 安堵と共にベルは彼女を抱きしめる腕に力を込める。

 

「良かった……」

「……ベルさん」

 

 そして彼女もまた、その細い腕を彼の背に回したのだった。

 

 

 

 そんな二人からずっと遠く。

 古ぼけた鐘楼の屋根の上、長弓(ロングボウ)を構えた犬人(シアン・スロープ)の姿があった。

 

「間に合った……」

 

 標的(ザニス)の無力化を確信した彼女は、矢を番えたままの弓をゆっくりと腰の高さまで降ろし、大きくため息をついた。

 

「……良かった」

 

 常人ではとても視認できないほどの距離から、元第三級冒険者の弓使い(アーチャー)である彼女は、その正確無比な射撃を持って二人の窮地を救ったのだった。

 

 

「はひ……ひぃ……ひぃ……」

 

 彼女が陣取る高く古ぼけた鐘楼の根本に、小さな人影がうずくまっている。

 酸欠に顔を真っ青にしながら、息も絶え絶えという様子でそこにもたれ掛かっていたたのは、ベル達の主神である女神ヘスティアだった。

 

「ナ、ナァーザ君……ベル君たち……無事……うぷっ」

 

 言葉も途切れ途切れにえずくヘスティア。

 彼女はベルに頼まれ、今まで必死で助けを呼ぶために走っていたのだ。

 その第一候補が、助力を貰える公算、LV2の実力、弓を扱う特性や、現役の冒険者ではない為ほぼ確実にホームにいること、そして何よりヘスティア・ファミリアのホームからごく近所であること等を考慮してあげられた彼女。

 菫色の瞳を持つ薬師、ナァーザ・エリスイスであった。

 

「おげぇぇぇ」

 

 彼女に助けを求めるために全力で走り続けたヘスティアは、体力の限界をむかえて胃の中の元ジャガ丸くんを地面にぶちまけている。

 女神と言えど、地上にあってはその身体は人間と殆ど変わらない。

 食べ物を食べなければ餓えるし、食べるのならばこうして吐くこともまたあるのだ。

 

 そんな彼女を見下ろして、ナァーザは微笑みながら呟く。

 

「ベル達は、大丈夫……だよ」

 

 空を覆っていた雲に、ゆっくりと切れ間が出来ていく。

 女神にあるまじき姿を晒すヘスティアを、鐘楼の上のナァーザと夜空の星だけが優しく見下ろしていた。

 

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