マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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ポーションの製法と薬草、マーレと治癒魔法の関係などについて独自設定があります


一四 リィジーとマーレのポーション入門

「おい、さっきの黒服、見覚えなかったか?」

「服より女だ。血塗れの……」

「血塗れの女なんて居なかったぞ」

「そうじゃない、黒い服を着ていた女がそれだ」

 

「女だったのか。俺はてっきり法国のあいつが動き出して逃げたのかと思ったぞ」

「死体が動いて逃げるかよ」

「……あの魔女ならやりかねない」

「いやいや、服は闇妖精(ダークエルフ)が回収してたろ」

 

 捜索から戻ってきた戦士たちは、侵入者の足取りを掴むことができなかった。

 侵入者というのは、詰め所の兵士を足蹴にして街へ入っていった傍若無人などこかの少女のことではない。その日の夜、衛兵詰め所の死体安置所を何者にも気付かれずに侵入した者のことだ。ガゼフ・ストロノーフとその戦士団を追い詰めた陽光聖典隊長ニグン・グリッド・ルーインの無残な死体は、昨夜から衛兵詰め所の安置所に移されていたが、夜明け前の空が白んでくる頃には既に行方不明になってしまった。

 それまではガゼフとその戦士団が保管していたのだが、それらとの戦いに協力したことになっている『カルネ村の協力者』の現状が冒険者組合長から伝わったことで、事情を知らない衛兵たちに不自然に(えぐ)り潰された死体の状況を見られても問題無いと判断したのが裏目に出た形となった。

 

 結果、戦士団のうち回復の状態がよい者と、衛兵たちが共同で都市内の捜索を続けている。ただ、明け方からの初動でも全く手がかりは得られず、探し出せる可能性は少なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれは買い物じゃ……ないよな」

「他の店でも、品物なんか見ちゃいなかったぜ」

 

 追いついてきたペテルの言葉に、先行してターゲットを監視していたルクルットが答える。

 雑踏の中ならともかく、人通りの限られるこういう場所で尾行ができるのは『漆黒の剣』では野伏の心得があるルクルットだけだった。他のメンバーはさらに後から遅れてついてくる形をとらざるをえない。

 

「品物を見ないで、来たのがこの店って……狙いは……」

「……バレアレ氏であるか」

 

 ニニャの危惧にダインが答える。様子を窺っていた工房は高名な薬師リイジー・バレアレのものだが、ここでいうバレアレ氏とはそのリイジーの孫で、この街では有名な異能持ちのンフィーレア・バレアレのことだ。

 ンフィーレアのあらゆるマジックアイテムを使用可能という異能はその希少性と価値の高さで知名度が高い。当然、悪用されれば恐ろしい結果になりかねない異能であり、怪しげな黒衣を纏って幼い少女を奴隷にする危険な少女エンリとの接触となれば、そこに生まれる危惧はその場の皆が共有するものとなる。

 

 騒ぎが起これば、すぐに武器を持って突入するつもりだった。しかし、路地裏に隠れて臨戦態勢をとっていた四人が見たものは、エンリを連れて上機嫌で出てきた若い男だった。状況からも、ほっとしたような目的を達したようなエンリの安らかな表情からも、それがンフィーレアであることは間違いない。冒険者たちは歯を噛み締め、何もできずにただその二人の様子を窺っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ンフィーレア・バレアレには、一年以上前から暖め続けてきた計画があった。それは、ある前提においてのみ機能しうる計画であったが、その前提を満たす手段の一切は白紙であった。それでも、彼にはその計画を打ち明ける相手もおらず、問題を指摘してくれる者も居なかったため、大真面目に修正に修正を加えて今日に至った重要な計画であるには違いなかった。

 

 そして、今日、前提条件は満たされた。相手を計画に巻き込む大義名分もあって、自然と前へ進むことができた。

 何故そうなったかは問題ではなかった。前提があり、大義名分があり、そして今がある。それだけで充分だった。

 

 

 この日、ンフィーレアは長年想いを寄せていた少女エンリ・エモットと再会した。服装や雰囲気は大きく変わっていたが、話を聞いてみればそれも当然のことだ。非道な襲撃者により両親を亡くし、それらを倒し村を救った恩人のために一時的に冒険者となって同行しているという。

 あまりに小さく、あまりに幼い恩人マーレの姿には驚いたが、この辺りでは珍しい闇妖精(ダークエルフ)であるマーレも含め、妖精族というのは幼く見えても百年近く生きていることがある。その年月で魔法の研鑽を積んだとすれば、多くの襲撃者を撃退することができても不思議ではない。

 そのマーレの連れだという目のあたりを布で覆った幼い少女については、エンリがマーレと目配せをしながら言いにくそうにしていたから、何か訳ありなのだろう。

 

 エンリの悲しみを慰めようかと逡巡するうち、その機会を失った。今は悲しんでばかりではいられないというエンリの強さを前に、慰めの機会を逃したことを残念がる自分がひどく情けなく感じた。

 エンリは細かい事情を言いよどんでいた。村の恩人マーレを魔術師組合へ紹介することを頼まれた際には、組合と繋がりのある祖母リイジーがやや厳しく口を挟む場面もあった。そこでは、エンリを助けたいという気持ちのままに動くことができた。

 職人の世界では口先よりも実力だ。マーレにポーション作成に関わる魔法について幾つか使用の可否を聞き、それで祖母を黙らせた。実際に実力があって手伝ってもらえるならその手並みを見るのが先であって、細かな事情などは後回しになるのが職人の中の職人である祖母の考え方だからだ。充分に手伝えるほどの魔法の使い手なら紹介できるはずだというと、祖母も異存は無く、エンリが凄い魔法詠唱者(マジック・キャスター)だというマーレも謙虚な態度でそれを受け入れてくれた。

 そして、エンリの望み通りに詳しい話は後に回すことができた。大変な思いをしてきたエンリに気晴らしの機会を作りたいからというと、エンリも喜んでくれた。

 

 

 ともかく、この街で、目の前にエンリがいるということ。これが前提であり、連れ出す理由こそが大義名分だった。それらは、ンフィーレアが長らく棚上げにしてきて、それらが揃わなければ計画を暖める意味すら無いということに全く気付かずにいたものだ。自ら揃えたものでなくても、ここで前へ進まなければ一生立ち止まったままかもしれず、そこに躊躇は無かった。

 

 

 そういうわけで、ンフィーレアはエンリを連れて二人きりでエ・ランテルの街を歩いていた。二人きりで出ようという話になった時、エンリが幾らか慌てていたように見えたが、きっと恩人への気遣いなのだろう。意識してくれている、照れてくれているなどと考えたくもなったが、舞い上がって頭の中の計画が真っ白になりそうだったのでやめておいた。

 

 街では食事と買い物を想定していた。買い物は最大の山場となる食事時間を挟んで、ただ友人として同行するべきものと、その先に回すべきものに分ける計画だ。そうなれば、前者はエンリ以外の同行者たちのための買い物で、後者はエンリ自身の買い物ということになる。

 ンフィーレアはただただ幸せだった。慣れ親しんだ地元を散策するだけのひとときであっても、隣にエンリがいるだけでその時間と空間は全てが華やかなものとなり、道行く人々の視線の多くが自身を羨むか、逆に嫉妬するものであるかのようにさえ思えてくる。

 数軒先の店を眺めていた金髪碧眼の戦士風の男も、天気を気にしながら散歩していた大柄で髭面の皮鎧を着た男も、物陰から鋭い視線を送ってきていた髪の短い魔法詠唱者(マジック・キャスター)ふうの少年も……他にも兵士や傭兵風の者たちなど幾つも視線を集めていたような気がする。ただこちらを気にしていたというだけでそのように思えてしまうのは、よほど舞い上がっているということなのだろう。

 特に最後の少年など、まだ幼さの残る容貌に似合わず目つきが悪いだけであろうに、本気で嫉妬に狂って強い憎しみの眼差しを向けてきているようにさえ感じてしまった。恋も心の病であると何処かの本で読んだ時は軽く馬鹿にしていたが、実際に病に落ちてみればその言葉にも納得せざるを得なかった。

 

 予備だと言って幼い少女二人のサイズの外套を余分に用意することに固執したエンリを不思議に思いながらも、午前中の買い物は無難に終わった。このあとは最も重要な食事時間だ。食べ物の露店が多い通りを抜けて、選びに選び抜いた人気の飲食店へと向かう。

 

「串焼きは匂いに魅かれるけど、この辺りでは均等に切って串を打ちやすい固めの肉が多いんだ」

 

 露店に引き寄せられるエンリの視線を牽制する言葉も、予め考えておいたものだ。露店というものは機動的に街の動線にあわせて程良い場所に設置されるものだが、これに囚われてしまっては二人きりの時間を作ることができない。何かの本で見ただけの知識だが、まだ微妙な関係の男女二人で出かける際には、露店対策は必須なのだ。

 ただ、エンリは想像以上に肉に魅かれていた。村の暮らしでは肉を食べる機会は少ないと聞いていたが、それはそういう環境で暮らしていたということであって嗜好がそうなのではないようだ。

 

「私、こういう所でも充分だよ?」

 

「僕がエンリを連れていきたいんだ。今日は柔らかい骨付きの美味しいところが食べられる店に行くつもりだから」

 

 計画に問題は無い。勧めたいものとは違うが、選んでおいた店では別に肉料理の看板メニューも存在したはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 工房の作業部屋では、二人の少女の方をちらちらと気にしながらも、リイジーが老婆とは思えない機敏な動作で素材の準備を済ませていた。魔力が尽きれば終わりの作業ではあるが、その魔力を使う者が増えたとなれば、作業時間は可能な限り長く確保しなければならない。

 

「薬師でないのはわかってるよ。素材には手を出さなくて良いから、まずは第一位階の治癒魔法でも使ってもらうとするかね」

 

「はい、魔法を使うだけならいいですよ」

 

 マーレは部屋の端でしゃがんでいた巫女姫を呼び寄せると、その外套の前を開き、そのままはらりと落とした。これで治癒魔法を使うことができる。

 

 

 ここでも、自らが治癒魔法を使うという発想は無い。というのも、マーレが治癒魔法を使う対象は、自らと行動をともにするしもべなど以外では、守護者や一部の魔獣を含む予め決められた存在に限られていたからだ。

 これは、本来守護すべきナザリック地下大墳墓第六階層における防衛体制の事情で、そうあれと作られたことに由来する思考であり、無意識にそのように行動してしまうものだった。

 マーレとともに第六階層を守っていたのは姉のアウラだ。ビーストテイマーであるアウラが率いる総数百にも及ぶ魔獣の軍団は個ではなく群としての強さを追求しており、個体の蓄積ダメージや瀕死、死亡などによって特殊な攻撃を行うようなものも少なくなかった。普通ならそういったものを治癒魔法の対象外と定めるべきだが、それらの種類や数は主たちの思いつきで幾度も変更されてきたことから、アウラの軍団と共闘するマーレについては治癒魔法の使用が許される対象を個別に定めるという形をとらざるをえなかったのだ。

 

 

「……何をしてるんだい?」

 

「魔法の準備です。これは、こうしないと使えないものですから」

 

 リイジーは訝しげにその姿を見るが、今は仕事が最優先だ。その場に使える魔力があるのなら、それを効率良くポーションに変えるのが第一であって、それ以外の全ては後回しにするべきことだ。

 

「よくわからないけど、使ってくれるなら問題は無い。うちの素材は質がいいから、第二位階でも構わないよ」

 

「質? ……とりあえず、せっかく作るなら上の位階にしますね」

 

 マーレは首をかしげながらも指示を与え、それをうけて巫女姫が単独で使用可能な最高の治癒魔法を発動させた。

 

 魔法を受けて液体が青く輝く。そこまでは良かったが、輝きが落ち着いてくると表面が次第に泡立ち、白くなって瓶の内側を這いのぼる。

 しゅわしゅわという音が止む頃には、液体の大部分が白い泡となって瓶の外に散ってしまっていた。辺りに染みこんだ薬草のものとも違う、鼻の奥に刺さるような刺激臭が辺りにたちこめていく。

 

――色もおかしいし、素材が悪いのかな。

 

 マーレは生産系の職を修めていないので詳しくはわからないが、それが失敗であることだけは理解できた。相手は必要な人間を紹介してくれる協力者でもあるし、広い心で付き合うことにした。人間の技術ならそれほど完璧であるはずもないし、調達できる素材がよくないのかもしれない。

 

「小娘! 今、そやつに何を使わせた!」

 

「だ、第五位階の治癒魔法ですけど」

 

「第五位階じゃと!? そんな小娘が……いや、あの反応ならそれ以外に説明がつかん。素材は嘘をつかんから……」

 

 泡を噴いた瓶を目を剥いて凝視しながら、リイジーはなにやらぶつぶつと言っていた。ポーション作成失敗の原因には思い当たる節があるようだ。

 

「かなり素材が悪いみたいですが、このあたりではいいものが手に入らないんですか?」

 

 リイジーは風通しをしようと手をかけていた窓を、音を立てて乱暴に開け放った。そのぎらりとした鋭い視線がマーレに向けられる。

 

「ふん、このバレアレの店で用いる素材が悪いというなら、王国にまともな素材など無いわ! そもそも第一位階を想定した素材に第五位階を使えば、ああなるに決まってるんだよ」

 

「あ、あのっ……治癒のポーションって魔法の位階は違っても、それ以外の成分は同じだったと思うんですけど」

 

「それは机上の空論じゃな。実際に高い魔力を込める場合、素材に求められる純度は高くなり、普通に精製した溶液では耐えられなくなる。となると、それを純化させるための別の素材が必要となるのさ。うちの素材の質なら一位階上の魔法くらいなら全く問題はないとしても、第五位階ともなれば問題が出てくるんだよ。……ふむ、ちと難しいか? そうじゃな、闇妖精なら、薬草などのことだったら少しはわかるかい?」

 

「はい、一応」

 

 全ての扉と窓を開け放ちながら、リイジーは徒弟を前にした親方の顔になっていた。マーレは度々不思議そうな顔をしながらも、幾らかの興味を持って話を聞いていた。

 

「薬草でも、単独で薬効をもたず、他のものの薬効を促進するだけのものがあるだろ。普通の薬師ならばそういう種類のものだと片付けて終わりだが、単独で薬効が無いという所に注目せねばならない。これは不純物を抑えこみ、薬効を発揮する上で求められる純度を実質的に高めているからこそ、単独では何の効果も無いってことになるのさ」

 

「はあ……確かに、飲み物の見た目と味をスッキリさせたり、浴場の薬湯の濁りを減らすやつなんてそうかもしれませんね」

 

――至高の御方々の一部から、風情が無くなると不評だったものだ。

 

 薬草とポーションとの関連性が全く思いつかないが、言われるような薬草についてはマーレが知っている用途のものから連想することで、話としては理解できた。

 

「高価なポーションの素材を、そんな用途で使うものか!」

 

「ご、ごめんなさい」

 

 薬草でポーションを作るなど聞いた事がないマーレは、この場ではそのことを心の中にしまっておくことにした。手元に素材があるわけでもないので、今は人間のやり方で手伝えばいいだけだ。

 

「しかし、理解はしてもらえたようだね。そこらの薬師の発想ではそこまですら行き着かんさ。……さて、無駄話より仕事だね。貴重な第五位階の術者がいるのだから、とっておきを持ってくるとしようか」

 

 

 見た目に似合わぬ敏捷性で倉庫へ走ると、息を切らせながら中身の入った上等な薬瓶を幾つか持って戻ってきた。

 

「これは、王都に、いる、第五位階を使う、冒険者が、次に街を訪れた時に依頼しようと、少しずつ用意しておいたものじゃ。ふぅ……ふぅ……。もちろん、成功すれば正当な報酬は支払う。ぜひともお願いしたい」

 

――喋るか息を整えるのかどちらかにすればいいのに。

 

「魔術師組合とか知識のある人を紹介してくれれば、それでいいですよ」

 

「それは当然として、治癒魔法にはそれ相応の謝礼というものがあるんだよ。……では、やっとくれ」

 

 

 

 

 

 テーブルの上には、第五位階のポーションが七本、それと低位階のポーションが無数に並べられていた。

 最高の品を準備していた素材の分だけ揃えることが出来、リイジーは口の端の綻びを隠し切れないほど上機嫌だ。

 

「しかし……答えたくなければ構わんが、この若さでどうやって第五位階まで……」

 

「これに話しかけても無駄ですよ」

 

 マーレが口を挟み、巫女姫の額冠に手をかける。

 

「単独では第五位階程度しか使えない玩具ですが、これの力ですから」

 

 第五位階程度、という言葉に顔を引きつらせながらも、リイジーはマーレの許可を得て《道具鑑定(アプレーザル・マジックアイテム)》《付与魔法探知(ディテクト・エンチャント)》によって額冠の鑑定を行うと、その大きな力と業の深さに震え上がった。高位階の品を得たことで先ほどまで隠しようがなかった笑みも、どこかへ吹き飛んでしまっていた。

 

「な、何じゃこれは! このような恐ろしいものを、どこで……」

 

「これがスレイン法国という場所から魔法で監視してきたので、ちょっと行って捕まえてきました」

 

「ちょっと行っ……何を言っているんだい……」

 

 唐突な言葉に混乱しながらも、リイジーは高位ポーション作成に優れるスレイン法国の生産能力について情報を集めた時のことを思い出した。生産力の鍵とみられた巫女姫なる高位の術者についての情報の、多様な角度から得られたほんの僅かな断片の一つ一つが、全て目の前の薄絹の少女に符合していたことには戦慄せざるをえなかった。

 

――あの娘が帰ってきたら、問いたださねばならんな。

 

 目の前の闇妖精の少女には、これ以上踏み込まない方が良いように思えた。それは、かつて法国の生産能力の調査を中止した時と同じで、理由のない直感のようなものだった。

 

 

 

「あのー、こちらでポーションは……」

 

 そんな時、開け放って筒抜けの入口側の部屋から呼びかけてきた客は、赤毛の女戦士だった。今日は閉店のつもりだったが、出かけたンフィーレアが珍しく戸締りを忘れたらしい。

 リイジーは舌打ちを一つすると女戦士とその鉄のプレートを一瞥し、今日作ったもののどれとも風合いの違う二種類の瓶を手に取って粗雑に接客をし、その片方を売りつけてすぐに追い返してしまった。

 

 女戦士の視線は奥の部屋にあられもない格好でいた巫女姫に釘付けになっていたが、接客なのか脅しに来たのかわからないリイジーの迫力の前に詮索をするどころではなかった。目的のポーションが普段買っている店より少し高価な理由を聞くことさえできず、金貨一枚と銀貨二十枚を支払うと「宿代どうしよう」などと呟きながらしょんぼりと肩を落として帰っていった。

 

 

 

「ところで、そろそろ仕上げに入りたいんだが、保存の魔法を知っているなら手伝ってもらえるかい」

 

「保存?」

 

「何じゃ、そんなことも知らんのか。ポーションは劣化する。これは当たり前のことじゃろうに」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「魔法をかける前の溶液は鉱物から錬金術で精製するものゆえ、時間の経過とともに劣化するのは当然の理! だからこそ……」

 

 マーレは首をかしげながらアイテムボックスから一つの薬瓶を取り出し、鑑定を行っていた。その結果はマーレの知識どおりのもので驚くべきことなど何もなかったのだが、その様子を見た目の前の老婆はその場で固まり、獲物を前にした肉食獣のような鋭い目をこれ以上無いほど大きく広げて赤い液体の入った薬瓶を凝視していた。

 

――怒らせてしまったのかな。

 

「あ、あのっ、一応これには《保存(プリザベイション)》の魔法はかかってないみたいですけど、それがここのやり方ならきちんと手伝いますから」

 

「それを……ちょっと見せてはもらえないか」

 

「見るだけなら、どうぞ」

 

 リイジーは差し出したマーレの手から薬瓶をひったくると、矢継ぎ早に鑑定の魔法を発動させた。そこらの凡人が持ち込んだものならともかく、第五位階を難なく行使しスレイン法国にも絡む底知れない者たちの持ち物だ。元より期待が疑念を圧倒していた。

 

 

 

 そこから先は、狂人の時間だった。

 

 曰く、伝説によれば真なる癒しのポーションは神の血を示す。

 

 老婆の姿は、神の実在を前に感涙する敬虔な神官か、神を解体してでもその理を学ばんとする不遜な背教者か。

 

 

 

 熱望、詰問、懇願、渇望……そのあらゆる思いと欲求の爆発に対し、マーレは応える手段を持たなかった。自分で作る事ができるわけでもなく、素材を持っているわけでもない。そして、使うために持たされているものを勝手に売ることなどもありえない。

 

「そういう目的で持たされていませんから、少なくとも今は売れません。しかし……」

 

「しかし? ……どうすれば売ってもらえるんじゃ!」

 

「ぼくの主の許可さえあれば、消耗品なので適正な値段で売ることはできるかもしれません」

 

「それは、孫が連れていった小娘か?」

 

「いえ、エンリには主を探すのを協力してもらってるだけです」

 

「ぜひ、ぜひとも私も協力させてくれ! できるだけ早く……明日にでも魔術師組合に紹介しよう。とりあえず、保存作業が終わったら、その主についても可能な範囲で話を聞かせてもらいたい」

 

「はいっ」

 

 リイジーはどうにか正気に立ち戻り、貴重な第五位階のポーションを含む多くの品の仕上げを行うことができた。一本が金貨数百枚にもなる高位のポーションが含まれていなければ、この場のポーションは全て劣化するままに放置されたかもしれなかった。

 

 マーレも新たな協力者が得られたため、気分良く保存作業を手伝った。こちらは自分の魔法を自然に使うことができた。冒険に出ることが想定されていなかった階層守護者のマーレだが、第六階層はお茶会などで人が集まる場でもあった。戦士系のプレイヤーが持ち込んだものを他のプレイヤーに見せるため保管しておくなどの理由で保存の魔法を一応習得させられていたのだ。鑑定のような地味な魔法を使えたのも、そういう機会のためだった。

 本来の製法ならば必要ないはずの余分な作業ではあったが、マーレはそれをくだらないとは思わなかった。第六階層の自然を好んでいた至高の御方の一人の言葉を思い出していたからだ。

「多く消費され種類もあるポーションこそ、作り方も多様であってほしかったね」

 それは、せっかく様々な薬草や鉱物などが存在するのに、一つの溶液で様々な治癒魔法に対応するのでは味気ないという話だった。付加的に強化に用いる素材はあったが、基本の素材が共通である事に彼は納得がいかなかったらしい。そう考える理由まではよく理解できなかったが、至高の御方の言葉なのだから、作り方が多様であってよいのは間違いないことなのだろう。

 

 

 

 

 

 赤毛の女戦士――ブリタは普段と違う選択をしたことを後悔しながら、しょんぼりと宿に戻ってきた。今日は昼も食べておらず、夜も抜く予定だ。次に仕事に出る日までは一日一食としても、仲間から少しお金を借りなければならないかもしれない。

 あの時、開いていた窓から見えた珍しい闇妖精(ダークエルフ)の姿が気になって、どうせ薬師なら変わらないだろうと知らない店に入ったのが運の尽きだった。

 ポーションが高価なのはわかっていた、必死に金を溜めて、今日ようやく買うところだった。そうやって背伸びした買い物が予定より二割以上も高くついてしまえば、待っているのはさらなる耐乏生活ということになる。

 

「バレアレの店なら効きがいいから、損はしてないだろうよ。ブリタは信用してるから、宿代前借りのカタとして預かってやってもいいぞ」

 

 相談に乗ってくれた宿の主人が価値を認めていたのは救いだったが、前借りのためにポーションを持たず仕事に出るのでは本末転倒だ。それに前借りを許すのは信用の問題などではなく、冒険から帰ってこなかったら主人の丸儲けだから当たり前のことだ。ブリタは食事を断って階段を上がると、粗末な寝台で鳴り響く腹を抱えながら丸くなった。

 




今のところ、珍しく幸せな関係となりそうです。
細かい事を気にしないのは長生きの秘訣かもしれません。

治癒魔法とマーレの関係についての独自設定ですが、原作では、マーレが治癒魔法を使う必然性のある状況がまだ無いので判断がつかないことによるものです。黒棺での拷問には回復が必要ですが、恐怖公もハイ・ドルイドなので判断つかず。
今後、原作の状況次第で、さらっと記述が変わっているかもしれません。

デートはこの連載「らしく」作っていたら長くなりそうなので次へ回します。

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