マーレは、ネムという小動物が苦手だった。エンリをナザリック捜索のために一応有用な存在と認めた以上、その身内もナザリック外の下等生物とは違う見方になってくる。その上、幼いながらも創造主が与えたマーレの容姿や服装の美しさに素直に感動し、服を与えた御方を讃え、御方に仕える立場を羨むといった姿勢も外の存在としてはなかなかにまともだ。そうなると、この小動物は落ち着きの無い只の小さな生き物ではなく、元気一杯にふるまうエンリの可愛い妹ということになる。
このことは、マーレにとってはまぶしささえ感じる、若干居心地の悪さを感じるものだった。相手に非が無いだけに、ただ困惑するしかない。迷惑そうに寄りかかられるのを受け止め、目を合わせないように小さな背中を支えていた。
エンリから言われたのは、村人は異種族を見慣れないから余計なトラブルを防ぐためになるべく家の中にいてもらう。やむなく外へ出る時は、フード付きの古い旅装のローブを羽織って耳を隠し、上等な服を汚さないようにすること。汚してしまってはあなたのご主人様に申し訳ないのだと言われれば、マーレは納得するしかない。その姿を隠し匿いたいというエンリの考えはエンリの両親のような第三者にとっては説明される前から理解できたが、探知系の魔法やスキルが当たり前に使われるナザリックの常識に染まったマーレはそれに気づいていない。
ここはカルネ村という場所らしい。当然だが記憶に全く無い地名だ。
村の状況が落ち着いたら、村長という少し知識のある人間や、
マーレはそこで人間を一つ壊して放置してきたことを思い出すが、問題になったらその時は群れごと土に返して別の場所で情報を集めればいいだけだ。次は後片付けの仕方を少し考えよう。そんなことより、探知の手段すら持たずあれの残骸を確認もしていない人間の群れが、いち早く組織的に次のことを考えて動けている事に興味が移る。エンリなど個体単位だけでなく、人間は群れの単位ではそれなりに役に立つこともあるかもしれない。
人間の村の朝は早い。見回りに出ている父親を除きエモット家の家族はそれぞれに家の中で役割があるようだが、マーレは薄い布団の中だ。三日ほど主人を探して彷徨っていた事を話したら随分と驚かれ、それからエンリは何かとマーレに絡みたがるネムを遠ざけてくれている。
マーレは布団が好きだ。睡眠や休息は元々所持する指輪の力で必要なく今は休んでいるつもりもないのだが、布団の中は落ち着いて考え事もできる上、一人になれて簡単な魔法を使うにも良いので休んでいることにしている。
毎日試している《
村の周辺には特に変わったことは無く、せいぜい見回りの村人たちの他に鎧を来た集団が近づいていた事くらいだ。もちろん、その集団は村人と区別がつかない程の脆弱な気配の者たちでナザリックとの関係などは期待しようもないが、たかが一つの犠牲で距離の離れた他の群れから武装した新手が来るという組織力は彼らの乏しい感知能力や移動速度にしてはなかなかのものと言える。
マーレは人間の群れに感心し、そしてすぐに失望した。
同時に《
マーレは小さく溜息をつくと、茶番に成り下がった《
それにしても、いくら仲間がやられて神経が逆立っているとはいえ、オーガやゴブリンでもここまで酷くはない。この地の人間に過剰な期待をしてはいけないのだろうか。この残念な状況に少しでも意識を向けておくのも馬鹿らしく、マーレは布団の中で軽く伸びをした。
集団が村へ少し近づくと、ある者が声を張り上げて皆逃げろと叫び、そして断末魔の悲鳴。なんと、まだ終わっていないのか。群れから仲裁に出る者はいないのだろうか。せっかく人間からの情報収集を試そうと思ったのに、面倒なことだ。
さらに、そのつまらない騒ぎを気にしたのか、エモット家の中まで慌しくなってきた。村がなくなるような事になれば面倒だが、この家に何か起こらないうちは大丈夫だろう。騒ぎが終わるまで他の場所を捜索しようかと考え、布団に頭まで埋もれようとしたところで、腕を掴まれた。
「大丈夫、私が守るから、一緒に来て」
周囲の男たちは誰も知らない事だが、ベリュースは本来の戦場では有能な男だった。裕福な家に生まれ、資産を増やしながら家名を高め貴族社会へ食い込んでいくというのが彼のあるべき戦場であり、この任務に参加したのもそのためだ。
自らの欲望に直結する部分では優れた洞察力を持つ彼が選んだのは、危険が少なく武力に優れない身でも最大の功績を得られ、国の重鎮とコネクションも得られる完璧なものだった。他の隊員が任務の内容に戸惑っていたことも、そのことで隊長という地位を得られたことも含めて、良い選択だったと思っている。どうせ誰かが殺す命なら自分の出世の糧にした方が良いし、その過程で楽しめるなら楽しんだ方が良いのだ。
彼は目下の隊員の気持ちなど知ったことではないが、貴族の館を見ればふさわしい贈り物を判断できる男だ。この任務の間、その洞察力を持て余していたわけではなかった。
これまでと異なり、何故か警戒態勢をとっていた村人たちには戸惑ったが、声を出されてしまえばやることは変わらない。一斉に行動を開始した隊員たちが村へ襲いかかるのを尻目に家々を注意深く確認しながら馬を走らせると、一つの家の前で止まる。彼の目的はただ楽しめる家だ。幾度か繰り返すうちに、漏れ出る声や窺える様子ばかりでなく外にある薪の束や干してある布類に水甕など細部まで観察し、それの候補を絞りつつ効率的に探せるようになっていた。
「お母さん!!」
エンリがネムとマーレを伴って外へ出た時、全身鎧を着た騎士が母に抜き身の刃物を突き立てていた。村じゅうからエンリの耳に打ち付けられる悲鳴、遠目にも武器をふるう騎士の姿、火の手があがった家もある。
何かが起こっているのはわかっていた。警戒もしていた。しかし、これはにわかに受け入れられる光景ではない。その場に固まり、視線だけで薪割りの手斧を探すが、それは母の足元にあって滴る赤に濡れていた。
「あたぁぁりぃぃぃ」
騎士の
「エン、リ! ネム! 逃げなさい!」
「離せ、離しぇえ!」
崩れ落ちながらも騎士の足にしがみつく母の苦悶に満ちた叫び。それに打たれたようにエンリは駆け出そうとする。しかし、家を出るまでは腕を引かれるにまかせていたマーレが、全く動かなかった。
振り返ると、滅多刺しにされた母が崩れ落ちる姿が視野に飛び込んできた。そして動かないマーレは何の表情も浮かべていない。エンリは何故か森でマーレに会った時の感覚を思い出し、出かかった言葉を呑み込む。
エンリの手が離れると、マーレはゆっくりと返り血にまみれた騎士に向かって歩き出す。
「あ、あのっ、いま村がなくなると困るんです」
場違いな言葉だ。しかし、そんなことよりフードの中の幼くも美しい容貌の方がベリュースには重要だった。
――まさに、極上。
ちらりと不自然な耳が見えたが、それは祖国では奴隷とすることが認められている種族の特徴。むしろ所有欲を満たす上では都合がいいものだ。
「妖精族……フヒッ、安心しろぉ、この私が飼ってやるぞ」
そうだ、その場で楽しむだけでは飽き足らぬ。任務の上では好ましくは無いが、どうやってこれを持ち帰ろうか――。
ベリュースが思案して小柄な体を眺めていると、フードの少女が何やら呟く。
《
村の大地のあちらこちらから勢い良く噴き出した土の蛇が、マーレの視野に入る騎士の格好をした者たち全てに絡みつき一気に縛りあげる。
「糞、動きを封じられた!
「俺もだ! ガキだが冒険者かもしれない! 周囲に気をつけろ!」
「駄目だ、八人もやられた! フードのガキだ! どうにかしてくれ!」
「おまえら、俺の女たちを捕まえろ! 無傷なら金をやる! 小さいガキは妖精族の上玉だ!」
少し離れた所からそれらの声を聞き、ロンデスは顔をしかめた。妖精族で
ロンデスはわざわざ隊長を助けたいとは思えなかったが、任務に失敗するわけにはいかない。人数で圧倒しているとはいえ、一度に八人が拘束されるような相手は尋常ではない。
「全員騎乗! 村人は後回しだ! 合図とともに隊長の近くの魔法詠唱者へ各個突撃! フードを被った妖精族のガキだ! 横槍があってもできるだけ無視して駆け抜けろ! 行動開始!」
騎馬が一斉に疾走し、村じゅうに土埃が舞い上がる。狭い村の中での事、騎士たちの起点の違いが迎撃不能の波状攻撃を生む。
そうだ、あれが馬に蹴られても知ったことか。相手が冒険者なら、強力な
騎士たちは速度を上げ、一気に距離を詰めていく――。
「……もう、同じのはいらないかな」
《
騎乗の騎士たちの全てが、鎧を残し赤と白の欠片となって飛散する。弾ける血肉に内側から叩かれ不気味な音を響かせる鎧が、疾走する馬から鈍い音をさせて転げ落ち、鮮やかな色の中身を盛大に撒き散らしていった。
エンリはネムを抱きしめているつもりだったが、主を失った馬が近くを駆けていく頃にはその小さな頭を抱えて震えていた。小さな妹が息苦しさに抗議して胸元でイヤイヤをした事で我に返り、凄惨な光景を見せずに済んだ事に安堵した。
「あ、あのっ、村はもう落ち着きましたか?」
「はひっ!!」
声が裏返る。助けたかった透明な檻の中の少女はもう居ない。声をかけてきたのは可憐で、残酷で、不気味で、何を考えているかわからない村の恩人でしかない。
引きつった顔のまま恐る恐るマーレを見返すと、一方的で凄惨な戦いの当事者とは思えないほど平然としていた。
「そ、村長という人の所へ案内してもらえますか」
エンリは凄惨な光景から遠ざけるように村長の家にネムを預け、マーレのもとへ村長を連れて戻ってきていた。雑な説明はしたが、マーレが騎士たちを倒した経緯を理解してもらえるとは思えないし、危険が去ったことを理解してもらわないと恩人のために話をしてもらうこともできない。
ろくな心の準備なしに凄惨な光景と引き合わされた村長は、顔を歪め、震え、引きつりながらも言葉を絞り出す。
「……これは……あなた様の魔法でされた事でしょうか」
「き、汚かったですか。ちょっと待っててください。安全なやり方できれいにしますから」
集落を不衛生な状態にしたままでは都合が悪いのは理解できるが、村の中で炎を使うわけにもいかない。魔法で土を動かすこともできるが、路地の機能を失わせないような微調整は難しいだろう。
マーレは目の前の騎士を避け、手近な磔の騎士のひとつを選んで近づいていく。といっても鎧の質などで隊長を見分けたわけではない。最初の騎士は気を失っているばかりか何かを漏らしていて汚らしく、掃除には向かなかっただけだ。
選ばれた騎士は既に拘束を振り解く事も諦め、ただ震えてガチガチと歯を鳴らしていた。マーレが長い杖を持ち上げると、その怯えの色はさらに濃厚になる。多くの仲間たちを一瞬で肉塊に変えた
「ひぃっ!! ゆ、ゆるして――」
「あのっ、ごめんなさい」
詠唱はなかった。杖をそのまま騎士の
「こ、これからきれいにしますから」
《
詠唱に応え、頭の潰れた骸がゆらりと起き上がる。
「飛び散っているものを片付けてください」
骸はぎこちない動きで四つ這いになると、散らかった肉片や血に濡れた泥を喰らい始めた。安全なやり方ではあったが、思ったより捗らない。
「い、急ぐならもうひとつ……」
村長とエンリは引きつった顔で固まっていたが、マーレの申し出に全力で首を振る。そして死体が動き出したという事のおぞましさが、あまりの事態に思考を停止しかけていた村長に今するべき事を思い起こさせた。
逆に、ネムを預けてきたエンリは自身の判断の正しさを噛み締め、いくらか心の平静を取り戻しつつある。騎士たちや転がった鎧の数を数え、父親の安否を聞くことをやめた。
村長はエンリとともに恩人を連れて家へ向かう道すがら、他の村人たちに危機が去ったことを地を這う掃除人にも言及しつつ説明し、埋葬と葬儀の準備を指示する。見回りに出ていた父親も含めてエンリは両親を亡くしているが、この小さな恐るべき恩人の関係者だというなら、どうあっても一緒に来てもらわなければならない。
念のため魔法で拘束されていた騎士たちに縄をかけていた男たちの一人が問う。
「騎士たちはどうしましょうか? 後で役人に……」
「ああのっ、汚くしていい場所があったら、そこにお願いします。後で話を聞きたいので」
「……モルガーの農具小屋に移しておいてくれ。あれの所は皆やられてしまったし、いいだろう」
村長はマーレの言葉を受けすぐに村はずれの主を失った小屋を指示する。汚くするという意味をわかっているのは村長とエンリだけだ。これ以上、村の通りや広場でああいう事をしてもらうのは困る。
事情のわからない男は不思議そうに首をひねったが、憔悴しきった様子の村長を見て引き下がることにした。
次はやっとガゼフさんとニグンさんに会えます。
ニグンさんのテンションが極めて高いお話になる予定です。
誤字報告ありがとうございます。直す準備までしていただけるシステムに驚きつつ感謝です。なお掃除人を準備する際の動作も補っておきました(ファイルの先祖返りで欠落していました)。(2/15)