マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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二一 死を撒き散らすために

 エンリが戻ると、そこには陰気な黒いローブを着た人影があった。

 

「や、やあエンリ。僕もエンリと一緒に行くと言ったら、二人にこれを勧められたんだ。魔法がかかっていて安心らしいけど、どうかな?」

 

 それは、マーレが森にカジットの死体を捨てた時に確保しておいた、魔法の護りを施されたローブだった。旅支度としてそれを勧めたのはマーレとクレマンティーヌだという。

 

「すごくぴったり合ってるし、いいんじゃないかな」

 

 エンリはマジックアイテムの常識など知らないので、多少陰気な品でもンフィーレアのために作られたようなローブを否定する気にはなれなかった。故郷では母親の作業を間近で見て洋服を成長に合わせ直していく大変さを知っているので、見た目に多少の難があっても完璧に身体に合った服となれば、本人にとってとても価値のあるものと考えてしまうのだ。クレマンティーヌも「いいって、よかったねー」などと同じ意見のようだが、若干何かを面白がっている感じもある。

 

――この二人、さっきより随分打ち解けたような……それより!

 

「マーレ、マーレはどこへ行ったの?」

 

 マーレは、リィジーに連れられて魔術師組合へ行っていた。今朝方リィジーが組合長に約束を取り付けに行ったところ、いつでも来てほしいということになり、そのまま会いに行くことになったという。

 故意に一人で放り出したわけではないが、それでエンリが万一の際の責任を逃れられるとも思えない。エンリはンフィーレアに場所を聞き出すと、すぐに魔術師組合へ向かった。クレマンティーヌとンフィーレアがこそこそ話をしているのが少し気になったが、それどころではない。

 

 エンリが去ると、残された二人は共同作業を再開する。早々とンフィーレアが普段と違う格好をしていたのはそのためでもあった。

 

「さて、その袋で最後ですね」

 

「ンフィーレアちゃん、本っ当にありがとー」

 

「……外套の前をとめてください。通報されますよ」

 

「せっかく感謝してるのに、人を変態みたいに言わないでよー」

 

 クレマンティーヌの胸と臀部は天下の往来で晒すことが許されない状態ではあったが、別に変態呼ばわりされるような格好ではない。ビキニアーマーにびっしりと貼られた殺戮者の証である冒険者プレートを他人の目に触れさせるわけにはいかないという、ただそれだけのことだ。クレマンティーヌが不満だったのは、マーレと巫女姫が魔術師組合へ向けて出発する時と全く同じ言葉をかけられたというその一点でしかない。

 

 二人が向かうのは、バレアレ家と付き合いのある肉屋の捨て場だ。酸っぱい臭いのする錬金術溶液をかけられた袋の中身は、万一見られてもそれが何の臓物であるかわからないように変質している。薬師であり錬金術師でもあるバレアレの家では稀に動物の生き肝なども用いるため、時に危険な溶剤も混じる廃棄物を腸詰の材料に使ったりしないような信頼できる肉屋を選んで処分を依頼していた。

 無事に最後の袋を運び終えると、クレマンティーヌはその場にへたり込んだ。ンフィーレアは今朝のことを思い出し、しばらく待ってから手を差し伸べた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 マーレはこの日、世界を知った。

 

 幾度も幾度も冒険者組合長プルトン・アインザックに恋する相手のことを問い合わせ、その度にはぐらかされて気をもんでいた魔術師組合長テオ・ラケシルは、思わぬ所から想い人との繋がりを得ることができた。

 ラケシルは、古い知り合いで久々に顔を見たリィジー・バレアレの申し出に対し、この日の予定を全てキャンセルして一刻も早く応ずることを約束した。リィジーからそれを伝えられたラケシルの一方的な想い人――マーレの方も、エンリが戻るのを待つことなくラケシルのもとへ向かうことになった。法国を含めたこの世界の情報を集める目的に関連して、巫女姫も一緒に連れてきている。

 

 場所は魔術師組合最上階の応接室で、人払いは済んでいる。元々機密に属するものが多く、人の出入りの少ないフロアだ。

 部屋へ案内してすぐに、ラケシルはマーレの持つ上等な装備品を、神器級の黒い杖から竜王鱗の帷子まで舐め回すような視線で見つめていた。実際にそれほど上等なものを知っているわけではないが、ただならぬものを感じたのだろう。マーレが別世界の存在であることを理解すると、何でもいいので素晴らしい魔法の品を鑑定してみたい、見せてほしいと迫った。

 しかし、マーレはこの者に至高の御方から授かった品々を見せることを躊躇した。特に理由は無いが、この世界に来てから得たもの程度がふさわしいような気がしたのだ。

 

「あの、先に充分な知識をもらってからです。ただし、危険なものも多いので、程度が低いものから問題無い範囲で見てもらいます」

 

 そんなわけで、ラケシルが最初に鑑定することを許されたのは巫女姫の額冠となった。程度が低い方から二番目のアイテムだが、法国について話を聞く上では必要なことだ。

 

「すげぇ! えげつないけどこれすげぇよ!」

 

 巫女姫がつけたままの額冠に頬ずりし、舐め回そうとしたところで引き離される。リィジーがラケシルを押さえ、マーレが巫女姫をひょいと抱えてラケシルから一番遠い場所に持っていく。外套がめくれて久々にその肌色が派手に晒されるが、鑑定により事情を理解できている二人はそれに対して何の反応もなく、他に衆目もなかった。すなわち、この場には自らの興味や目的より常識的感覚を優先する者など一人たりともおらず、この時点では痴態を見せたラケシルも含めて全員の世間体は護られていた。

 

 

 情報収集はそれなりに有意義なものとなった。ナザリック地下大墳墓やアインズ・ウール・ゴウンに関わる名称や地理的な手がかりについて一切の情報が得られないのはここでも同じだったが、周辺地理に関してはスレイン法国を除けばクレマンティーヌよりかなり詳しく、広範な知識が得られた。途中から地図を指しての説明となるにあたってマーレが地図の購入を希望すると、これは本来は許可が必要なものだと言いながらもラケシルはすんなりと魔法複写代のみで後日届けることを約束してしまった。「この相手に国防上の事情など……」という呟きを聞いたリィジーは浅く頷いた。

 

 地図では人間の国が中心となっていたが、ラケシルの話によれば、この世界では人間の国などほんの一部でしかなかった。そして、亜人の国については情報が少なく、互いに情報の行き来が少ないということでもある。つまり、たとえ人間の国でアインズ・ウール・ゴウンの情報が得られなかったとしても諦める必要は無いということだ。

 亜人の国の中で警戒すべきは、やはりアーグランド評議国だった。統治に参加する複数の竜というのがクレマンティーヌの言う竜王であるとすれば、こちらも一人で対処できる相手ではない。敵であるスレイン法国と対立しているとはいえ、「敵の敵が味方とは限らない」とは至高の御方々もよく口にされていたことでもあり、法国ともども警戒しておくべきだろう。

 これに対し、竜王国という国は、竜の血を引く者が治めていながら亜人の国に侵食されているという。こちらはたいした国ではなさそうだ。

 

 多くの情報を記憶に押し込みながら、マーレは現状を考える。

 現状、群れの結びつきの強い人間という種を利用することができている以上、まずは王国、帝国といった人間の国での情報収集を続けるべきだろう。その後、亜人の国について調べる場合は、亜人の国と抗争中の人間の国から当たれば効率が良いということになる。

 

 地図を指しての説明が終わり、次に世界の強者について聞くことにした。この弱者ばかりの世界にあっては、仲間の一人でもこちらへ来ていれば臆病な人間たちならきっとその情報を共有したがるだろうと考えたからだ。

 伝説や遠い過去における神だとか英雄だとかは記憶の片隅にしまい込む。この世界の強者といえば、やはり竜であり、冒険者などはいくら強くてもガゼフ程度が限界であるらしい。

 不死や異形の者に絞って聞けば、一つ興味深い話が聞けた。それは、過去に存在した『国堕とし』という吸血鬼王侯(ヴァンパイア・ロード)の話だ。吸血鬼の主であるものが「突如現れて一国を滅ぼした」と聞けば、マーレとしてはその種族だけでなく性格などの面からも、具体的に顔が思い浮かぶほどに可能性を感じてしまう。『国堕とし』は十三英雄に滅ぼされたとされているが、この世界に散在する危険な要素を考えればそれもありえない話とは思えなかった。スレイン法国での不可解な事態を思い起こせば、慎重さを忘れないようにしなければマーレとて他人事ではないのだ。

 

「吸血鬼の主を、この世界の人間が簡単に滅ぼせると思いますか?」

 

「十三英雄ならできたかもしれないし、仮初の勝利で滅ぼすことができたと信じただけかもしれない。それが伝説というものだ」

 

「わからないということですか」

 

「ふむ、『国堕とし』に関心があるなら、その文献や伝承は王国内に多く残っているからこの国に留まることを勧めるよ。私もできる限り調べてみよう」

 

 ラケシルは、この日最も言いたかったことを言えたために口の端を吊り上げた。理由は『国堕とし』でも何でも良かった。

 その後、ラケシルは実際に調査を始めるが、それは今後またマーレに会うための口実作りが九割、それらの記録がマーレとその背後に見え隠れするものを知る手助けになることへの淡い期待が一割といったところだった。

 

 

 情報収集が一段落した頃、不意に部屋がノックされる。大切な時間を邪魔されたくないラケシルはすぐに追い返そうとするものの、「お客様のお連れの方です」との言葉ですぐに態度を翻して入室を許した。

 魔術師組合の受付嬢に連れられて現れたエンリは、マーレが問題を起こしていないことを察して安堵した。

 

「アインザックに話は聞いているよ。これから、マーレ殿にマジックアイテムや魔法を見せてもらうところなので、そこで楽にしていてくれないだろうか」

 

 ここからがラケシルのお楽しみの時間なのに、連れて帰られてはたまらない。ソファへの着席を促し、受付嬢にはエンリの分も含めて新たな飲み物を用意するように促す。

 

 

「見るというのは、魔法で調べるのですか? よかったら、これがどういうものか見てほしいのですが」

 

 エンリはガゼフから受け取った指輪を差し出した。悪いものではないと考えてはいたが、ガゼフからの品であることを考えると、正体を知っておかなければ安心はできない。

 ラケシルは普段はタダで鑑定をするほどお人好しではないが、アインザックからただならぬ存在と聞いているエンリの持ち物にも興味はあった。

 

 それは確かに有用なもので、その説明はエンリを安心させるものとなった。しかし、付与されている魔法がおかしい。

 

「この世界の魔法では……ない!?」

 

 その言葉にマーレも興味を示し、同じく鑑定を行った。マーレの疑問に対し、ラケシルは既存の魔法体系と違う太古の魔法が存在するという不確かな伝承について触れる。

 

「そんなもの、太古より生きる竜でも無ければ知らない世界の話でしょうな。それより、次は……」

 

 

 ラケシルはお楽しみを忘れてはいなかった。マーレの装備品にねっとりとした視線を張りつけたまま、熱のある口調で見せてもらえるようせがむ。面倒ではあったが、マーレは既に手早く終わらせる方法を考えていた。

 

「人間にはちょっと難しいかもしれませんが、自信があるならどうぞ。今ぼくが持っている中で一番程度が低いものです」

 

 マーレは黒い宝珠を取り出すと、応接テーブルの上に無造作に転がした。ラケシルはその言葉の意味を察し、鑑定を行うことができるギリギリの距離までゆっくりと近寄り――。

 

 

 

 

 

「ふははは! そうか! 私はこの街の人間どもに死を撒き散らすために、これまで魔法の研鑽を積んできたのだな!」

 

 

 

 

 

 ひったくるように掴み取った死の宝珠を愛おしそうに胸元に抱え込み、血走った目つきで自らの人生を定義し直したラケシルの姿がそこにあった。

 

 その時、部屋の入口で、ガシャン、という音が響く。グラスが床でばらばらになり、冷却の魔法がかかったデカンタが横倒しになって液体を溢れさせ、飲み物を用意した受付嬢は蒼い顔をして呆然と立ち尽くしていた。

 嫌な予感を感じて振り返ったエンリと目が合うと、受付嬢は脱兎のごとく走り出し――廊下の奥で、エンリに追いつかれた。

 

 

 

 

「偉大なる者よ、ともにこのエ・ランテルを死の街に変えようではな――」

 

 

 

 

 芝居がかったような口調で高らかに方針を語りかけたところで、ラケシルは糸が切れたようにソファに崩れ落ちた。その横には、宝珠を取り返したマーレの姿。

 

 その声は、僅かに開いたままの扉から外、廊下の奥まで聞こえていた。

 エンリは脱力し、壁に手をついて身体を支えた。何があったのかはわからないし知りたいとも思えない。ただ、エンリの何でもない動作にさえびくりびくりと怯えてその場で小さくなる受付嬢の姿を見れば、マーレの下へ連れていって事情を聞いた上でわかってもらうような気の長い作業ができるとも思えない。連れていく最中で泣き叫ばれ、他の人々が現れて全てエンリが悪いかのように思われるとか、今のエンリにはそういうろくでもない想像しかできなくなっていた。

 受付嬢の震える声での命乞いが鳩尾の奥まで染み渡る。このフロアに他に人が居ないことを確認すると、魔術師組合長を元通りにすることを約束し、今日見たこと聞いたことを秘密にするように約束してもらった。元通りになるかどうかなど知らないが、ならなかったらその時はその時だ。

 

 部屋では、リィジーとマーレの手でラケシルがソファに寝かされていた。巫女姫によって精神の回復も済まされている。

 

――マーレ様、このような者は私がそのまま支配した方がよろしかったのではありませんか?

 

「あなたには他に使い道を考えてありますから、ここはもういいです」

 

 マーレは小声で宝珠に語りかけた。

 

 気が付いたラケシルは頭を振って、朦朧とする意識を束ね直した。

 

「やややばすぎるだろ、その宝珠……」

 

「このように、ぼくには何ともなくても普通の人間には危険なものも多いので、このくらいにしておきましょう」

 

 ラケシルは物欲しそうな顔でマーレの装備を眺め、しょんぼりと頷いた。しかし、マーレを見る目の輝きは失われていない。

 

「それではせめて、何か高位階の魔法を見せていただけないだろうか。カルネ村で騎士が爆発したと聞くが、それはどのような――」

 

「はあ。では、ちょっと移動しましょう」

 

「移動?」

 

 

 ラケシルが初めて体験した高位階の魔法は、伝説の世界にしか存在せず、それも物語の語り手の都合で捏造されたものであるというのが定説となっていた集団転移魔法だった。

 

 

「すげえ! 短距離転移って距離じゃないぞ! みんな来てる! 夢じゃない!」

 

 

 そこは入口からかなり離れた巨大墓地の一角だったが、ラケシルは子供のように走り回り、徘徊していた動死体と正面からぶつかりながら「邪魔だ!」と振り切り、汚い汁で服が汚れたことも忘れてはしゃぎ回った。

 

――さあ、ここで第七位階の死者の軍勢(アンデス・アーミー)です! 壮大な死者の行進を目にすればその感動もひとしおに違いな――。

 

 マーレは死の宝珠をアイテムボックスに放り込んだ。うるさいのは一人で充分だ。

 

「そこの動死体(ゾンビ)、魔法で爆発させておきますね」

 

 マーレの詠唱とともに動死体(ゾンビ)は四散した。

 ラケシルは子供のように目をキラキラさせて、破裂した動死体の残骸を調べ始める。

 

 マーレたちは、ラケシルに気付かれないようにそっとその場を離れ、集団転移魔法でバレアレの工房へ戻った。

 

 

 

 

 

「私は今日、新たな世界を知った。あれはまさに神の領域にある者だ」

 

 墓場から戻ったラケシルは、心配する受付嬢に対して夢見るようなうっとりとした顔で答えた。そのローブには形容しがたい汚れがこびりつき、死臭のようなものを漂わせていた。

 受付嬢はその日のうちに退職を考え、細かな事情は伏せつつも今後について冒険者組合に勤める友人に相談したが、仕事の苦労はどこも似たようなものだと知って思いとどまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男の視界に広がるカルストの窪地には、鳥たちが羽を休めることのできる岩が沢山突き出ていた。

 普段なら鳥のさえずりを聞きながら眠気に耐える時間帯だが、先ほどから鳥の姿が全く見えなくなり、一緒にこの場所を守る鼻の詰まった男の耳障りな鼻息ばかりを聞きながら過ごすことになってしまった。

 眠りに落ちれば後で叱られるが、かといってこのような不快な眠気覚ましを望むわけではない。

 そんな時、不意に望んでいた静寂が訪れた。

 

 ようやく鼻が通ったことを祝福してやろうかと隣の男の顔色を窺う。

 

 その瞬間、それは破裂した。

 

 赤い鮮血と白っぽい何かを浴び、混乱し、驚愕し、大きく息を吸い込んだところで、顎に冷たいものを押し当てられる。顎下の皮膚につぷりと潜り込む鋭利な先端は何らかの武器のそれだろう。持ち主は、肉食獣の笑みを浮かべる金髪の女だった。

 

 

 

 

 

「死を撒く剣団、傭兵団とか言ってたけど、ここで間違いないみたいですよ。あ、入口はここだけだってー」

 

「……殺しちゃったんですか?」

 

 用が済んだらあっさり血を噴いて崩れ落ちる盗賊を見て、ショックを受けるエンリ。非現実的な殺戮は幾度か見たが、武器による等身大の殺しの光景には少し違う衝撃を感じる。

 

「騒がれても面倒だし……もしかして、とっておいて昨夜みたいな事したかったんですかー?」

 

 殺しを済ませたばかりとは思えない、幾らか不安定な感じもする気楽さに一握りの卑屈さを加えたような女の声。急いで否定したい話だが、今やそれさえも許されない。エンリは動揺を見せまいと心の中で自分を叱咤する。マーレの方を見ると、何かとぼけたような顔で軽く首をかしげている。その白々しい態度が恨めしい。

 

「エンリはつまらない相手にそんなことしないよ。先へ行きましょう」

 

 エンリがボロを出さないうちにンフィーレアがフォローする。このクレマンティーヌに弱みを見せるわけにはいかない。

 

 

 

「ここの奴らは私が片付けますよ。むしろやらせてくれると嬉しいなー」

 

 クレマンティーヌは、盗賊を一人仕留めたことで少しだけいつもの調子を取り戻していた。スレイン法国が相手なら最前線に立つのはまっぴらだが、盗賊団程度が相手なら戦闘に参加するのは楽しみでしかない。そして、今の主人は闇妖精マーレであり、この集団をまとめているのは『血塗(ちまみ)れの魔女』エンリだ。二人の性質を考えれば、任務の様々な事情に縛られた漆黒聖典時代とは違って殺し放題なのは間違いない。マーレという幼い少女の姿をした恐怖そのものから目を背けてさえいられれば、自由な時間には及ばないまでも漆黒聖典の頃より快適かもしれなかった。

 

 

 

 

 もちろん、最初は捨て石以下の扱いから始まることも覚悟していた。クレマンティーヌは奴隷以下の存在であり、あのおぞましい部屋の掃除のような扱いを思えば、それは当然のことだ。

 森で先頭を歩くよう言われ、レンジャーなど居ないと聞いた時は全ての罠をその身に受ける役回りを覚悟した。しかし――。

 

「二十歩ほど前の足元、蔓の巻きついた木の横に罠があります。面倒なのではまらないでください」

「森が途切れる角ばった大岩から向こう側は、下草が短い所と長い草が倒れてる所は全て落とし穴で三つあります」

 

 それらは全て、木々や下草の茂る森の中では視界にすら入っていなかったものだ。クレマンティーヌとンフィーレアはもちろん、『血塗れ』さえも驚きを隠さない。クレマンティーヌが、まるで伝説の竜王のような知覚力だと驚きを口に出せば、その竜王について再び事細かく聞かれ、その話の間も遥か彼方にいる敵の見張りの位置などを教えられた。そうして、罠の標的としての覚悟はいつの間にか霧散していた。竜王の能力については、その桁外れの知覚力を恐れて番外席次を神都から出せないとか、戦いになったら巻き添えで神都が滅ぶとかそういう程度しか知らないが、ここでする話とも思えなかった。

 

 結局、マーレにとっての脅威などこんな場所には存在せず、クレマンティーヌが犠牲になるような状況なども存在しないのだ。そうなると、急にただの同行者でいることがつまらなくなり、自分の武器をふるいたくなってきた。

 盗賊の塒を丸ごと埋めてしまおうか、などと言い出すマーレに対し、仕事の成否がわからなくなるという『血塗れ』。そこでクレマンティーヌは自然と、先頭に立って戦うことを申し出た。もともと、そのつもりで来たのだ。かつて自分が手にかけた王国の戦士たちについても、ついでにここの傭兵団に罪を押し付けておいた方が機嫌を損ねずに済むだろう。

 

「大丈夫、一人も逃がさず殺しますよ。楽しみー」

 

 

 

 

 

「んふふふー。身体軽すぎでさ、命乞いとか聞いても間ぁに合わないんだよねー。マーレ様の強化すごすぎ、楽しー!」

 

 歯をむいて笑いながら賊たちの間に飛び込んで猛威を振るうクレマンティーヌと、その少し後ろで何をするでもなく立ちつくすマーレと巫女姫の姿は対照的だ。エンリとンフィーレアはそのさらに後方から、クレマンティーヌの恐るべき戦いぶりを眺めていた。

 多数の攻撃を同時に浴びせられても、軽やかな動きで馬鹿にするように賊たちをあしらう。複数人を相手に、脚を貫き、腕を貫き、囲まれて余裕が少なくなるとつまらなさそうに頭や心臓を貫いていく。

 

 

「なんかさ、あの人も人間の範疇をちょっと超えているような気がするんだけど」

「……そうだね、とっても強いね」

「あれより強いふりをするとか、できるのかな。いったいどこの誰が考えたんだろうね」

「……うん、大変だよね」

「どこかに可哀想な村娘のありえない役割を代わってくれる、やさしい血塗れの薬師とか居ないのかな」

「……気分が優れなかったら、いつでも薬を出すよ」

「そうだ、その服装に今朝の髪型だったら別人に見えなくもないし!」

「……運気が優れなかったから、あれは二度とやらないよ」

「何それ――」

 

 ンフィーレアは暗い表情で俯き、エンリは納得がいかない表情でンフィーレアを窺う。その時、盗賊の最後の一人が断末魔の悲鳴をあげ、倒れた。

 

 獰猛な肉食獣の所業にも似た一方的な蹂躙劇が終わると、十人以上の賊が身体じゅうを穴だらけにして洞窟の床を埋め尽くし、おびただしい量の血が洞窟の奥へゆるゆると流れを作っていた。クレマンティーヌはそのままスティレットをぺろりと――ちらと一瞥して血のついていない部分を確認してから――ひと舐めする。

 

「おーわりっ。先、いきましょーか」

 

「……少し歩きにくいですね」

 

「ヒッ! ごメんなサいっ」

 

 マーレの言葉にクレマンティーヌはびくりと背筋を伸ばしスティレットを取り落とす。そのままマーレの足元へ飛び込むように四つ這いになると、上目遣いでちらちらとマーレの方を窺いながら邪魔な死体をぐいぐいと押し退けて道を作っていく。その間もびくり、びくりと身体を震わせる姿は、まるで透明の鞭で打たれて怯える従順な獣のようにも見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「敵は女一人だ!」

「うしろに小さいのが二人いたぞ」

「五人だ、五人入っ――ぎゃぁああぁ!!」

 

 ブレイン・アングラウスは武器の手入れを中断し、状況の把握に努めていた。

 戦時以外は野盗同然となる傭兵団『死を撒く剣団』は公権力から敵視され、その情報がひとたび漏れれば討伐隊が組まれることもありうる存在だ。しかし、公権力の動きというものは総じて鈍く、大規模に動く場合は必ず情報が漏れる。そして、偵察等で派遣される者たちであれば、七十名に迫る人数を揃え戦闘経験豊かな者も少なくない『死を撒く剣団』の敵ではないはずだった。

 

「冒険者……まさか、蒼の薔薇ってことは無いと思うが」

 

 アダマンタイト級冒険者による電撃作戦――最悪の可能性も考慮しなければならない。ブレインは身支度を整えながら、出迎える位置を洞窟の奥の方へと修正する。

 身支度を終えると、見知った男が「敵襲です!」と駆け込んでくる。耳が遠いとでも思っているのだろうか。

 

「ガキを含め女が四人、男が一人です」

 

「……それは、気をつけないといけないな。奥を固めておいてくれ。あと、バリケードは一応端を開けておいてほしい」

 

 男が焦るのも無理は無いと納得し、ブレインは自身の考えが正しかったことを知る。

 ブレインが警戒する、王国最強とも言われるアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』は女性五人で構成されるが、そのうち一人は筋骨隆々の大女として知られている。薄暗い洞窟の中では、いや、たとえ白昼の屋外であってもそれを女性と認識できるかどうかはわからない。そして、たった五人での強襲でここまで『死を撒く剣団』を混乱させられる者など、彼女らを含め数えるほどしか居ないだろう。

 つまり、襲撃者はほぼ『蒼の薔薇』であるものとして対処せねばならない。

 

「この仕事も、ここまでかね」

 

 走り去る男に聞こえない程度の声で呟きながらも、すぐに逃げるという選択肢は存在しない。

 

 洞窟内の小部屋から音の通りの良い通路へ出るが、既に悲鳴は聞こえない。入り口付近に詰めていた十人以上の傭兵が、三分もたたずに無力化されたということになる。

 

「……間違い無いな」

 

 ブレインは様々なマジックアイテムを次々と発動させて自己を強化しながら、戦いの準備を整えていく。『蒼の薔薇』に一人で勝てるという確信は無く、洞窟の奥という撤退も考慮しての位置取りだったが、それでも一当たりもせず逃げることなど考えられない。ブレインは強者との戦闘に飢えており、アダマンタイト級の誘惑には抗し難いものがある。そして、たとえ『蒼の薔薇』の全員が相手でも、初手で前衛に必殺の剣が届けば勝機は充分にあると計算していた。

 




まさかのラケシル










唐突ですが、ルビ付けを試みることにしました。
蒼の薔薇という言葉でラキュースを思い出し、その登場を考えたら、ルビなしで行ける気がしなくなりました。
過去のものも、時間をみて少しずつ。

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