マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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残酷描写はありませんが、暗く重い話が苦手な方はエンリへの相談の辺りまでにしておいた方が良いかもしれません。












二七 御遣い様はお見通し(蜥蜴人編)

 遥か遠方で事を済ませて引き返すツアーを、マーレはただ見送った。

 

 マーレは、生命が死に絶えた広大な領域へと踏み込む。自身の数倍の大きさの巨石が不自然に並ぶ場へ辿り着くと、その一つを押して難なく転がす。表と裏でその色は全く変わり、裏側に隠されていた草や虫は巨石の表側の世界のように塵芥とはならないまでも、焼石に押し付けられたように死に絶え変色していた。巨石に触れるのが強力な装備や様々な耐性を備えたマーレで無ければ、確実に深刻な火傷を負っていただろう。別の石を押し退けると、その下に隠されていた穴の中を観察する。

 マーレはその広大な領域を、魔法の移動手段に頼らず、ただ歩きまわって観察していた。

 

 すさまじい破壊の光景を前にしてしばらく呆然としていたエンリとンフィーレア、そしてクレマンティーヌの三人だが、よろよろとマーレの方へ歩み寄る途中、変わり果てた広大な領域の僅かに手前で柔らかい茂みの上に寝かされているピニスンに気付く。そう遠くない場所を調べていたマーレに声をかけると「忘れてました」との返事があり、すぐにピニスンが目を覚ます。

 

「うぁあああっ!!……んんっ?」

 

「よくこんな大変な時に寝られるね」

 

「精霊が寝るわけないだろっ! あの子に本体との繋がりを絞られていたんだよ! それから、それからぁっ!」

 

 平和な寝顔に呆れたようなエンリに対し、抗議の声が止まらなくなるピニスン。ツアーの前では喋らせない方が良いということを何となく察していた三人はピニスンの怒りを適当に受け流すが、どうも問題は口止めだけではないらしい。

 

「――それで、とんでもない力が私の中をどんどん流れていったんだよっ! 本っ当に死ぬかと思ったんだからね! あれは一体何なのさっ!!」

 

「うわ……やってるのかなーとは思ったけど、本当に回復してたんだ……」

 

 クレマンティーヌは何か知っているようだ。回復というからには魔樹と戦う騎士を助けていたのだろうが――。

 

「そういうのはピニスンじゃなくてミコヒメがやるんじゃないの?」

 

「あの鎧には普通の回復魔法は効かないと思うよ。そういうのじゃなくて……まあいいや」

 

 ンフィーレアも何か気づいたようで、クレマンティーヌと目配せをする。この二人は、最近妙に分かり合っているようなことが増えている。だからどうだというわけではないが、それを見るとエンリは少しだけもやもやした気持ちになってしまう。

 

「――エンリが()()言うのなら、この話は後にしよう」

 

「何っ!? 何か知ってるなら教えてよっ!!」

 

 ピニスンがうるさいが、ンフィーレアのこれは後で説明するという意味――だとエンリは考えた。

 

 

 

 

 

 適当にピニスンを誤魔化しながらマーレの用事が済むのを待っていると、夜中になってしまった。騒いでいるうちに魔樹の気配が無いことに気づいたピニスンには、何を怒っているのかよくわからないままに、魔樹を倒すため必要な犠牲だったのだろうと説明しておいた。クレマンティーヌの生暖かい視線は気にしないことにする。

 

――何か知っているなら代わりに説明してくれればいいのに。

 

 マーレが戻った時、一行があてにしていた集団転移魔法は魔力切れで使えないということがわかり、遅い時間から夜営の準備をする羽目になったが、リュラリュースの配下のゴブリンたちが森へ帰る前に手伝ってくれたので助かった。マーレは早々に手近な木にもたれかかって眠ってしまい、ンフィーレアとクレマンティーヌはそれも仕方がないといった雰囲気で、エンリだけが色々な疑問を抱えたまま一夜を過ごした。

 

――魔力切れなんて初めて聞くけど、きっと鎧の人が居ない間、頑張って魔樹を抑えていてくれたんだよね。

 

 その時マーレは忙しく森を飛び回り、色々な魔法を使って色々なものを喚び出したりもしていた。直接戦っていた雰囲気は無かったが、魔法というのは何でもありだから、魔樹を抑えるために色々な事をしているうちに魔力を使い果たしてしまったのだろう。

 

 

 

 

 

 翌日、マーレが曖昧な関係ながら恭順の姿勢を取る蜥蜴人(リザードマン)の族長たちに対してリュラリュースらと同様の役割を求めると、蜥蜴人たちは申し訳無さそうに役割を果たせないことを打ち明ける。昨日の巨大爆発の影響で地形が変わり、蜥蜴人の住処である湖へと注ぐ川の流れが失われてしまったらしい。蜥蜴人たちは湖が干上がるまでに川を辿って新たな住処を探さなければならないが、そこでも先に逃れた蛙人(トードマン)たちとの衝突は必至で、縄張りを確保できず散り散りになってしまう可能性が高いという。

 

「ちょっと状況を見に行きましょう」

 

 世界を滅ぼす魔樹は長らく野放しにしたマーレだが、『アインズ・ウール・ゴウン』を探すための布石には手間をかけるらしい。

 

 途切れてしまったという川に来てみると、蜥蜴人(リザードマン)が長年暮らした住処を諦めるだけあってその状況は深刻だ。爆発の範囲にかかって崩れた斜面が、川を巻き込む形で百メートル近い規模での地すべりを起こしていて、それに沿って新たな流れができている。元の流れに戻るのは絶望的な状況だった。

 

「残念だけど、これはもう――」

 

「この程度ならすぐに戻りますよ」

 

 絞りだすようなンフィーレアの言葉を遮り、マーレが平然と言い放つ。

 

「この程度だって?」

「皆で掘り返しても、半分も終わる前に湖が干上がるぞ」

「駄目だ……早急に移住先を探さないと……」

 

 蜥蜴人(リザードマン)の中にはこの光景を初めて見る者も多く、絶望がその場を支配していた。そんな中、マーレは少し思案してから魔法を詠唱する。

 

大地の大波(アース・サージ)

 

 マーレの詠唱に従って、地すべりで本来の河川を覆った剥き出しの大地のほぼ全域が広大な範囲でうねりながら多数の隆起を作る。それらはまるで意思を持ったかのように、身を寄せ合い大きな隆起となってその場を離れていく。

 かつて川だった場所を覆う土砂は、そうして大きな波のように川の両岸だった場所へと交互に打ち寄せていく。土砂に生まれた裂け目が深く広くなって歪められた川の流れから水を呼びこむと、余った大量の土砂が動き出し、元と違う方へ流出していた余分な流れに叩きつけられる。

 

「大地が……」「おぉぉおお」「……奇跡だ」「川が……創られた」

 

「両岸を踏み固めてください。少し固めたら雨を降らせます」

 

「はぁ? 雨?」「今……何と?」「いいから行け!」「よし、皆を呼んでくるんだ!」

 

 蜥蜴人(リザードマン)たちは耳を疑いながらも、取り戻した川の流れを守るべく川岸へ走り出す。空は雲一つ無く晴れ渡り、雨乞いなどしても無駄だということはどの部族の者でもわかることだ。

 新たに出来た川岸は広い。蜥蜴人のうち、足の速い幾人かの斥候たちは仲間を呼びに走る。両岸が蜥蜴人で溢れる頃、マーレの魔法一つで晴れた空が厚い雨雲に覆われ、すぐに強い雨が降り出すと雨音は蜥蜴人の歓声で塗り潰された。

 

 

 

 

 

 かくして、“大地と水の神にして我らが主”マーレは蜥蜴人の神として崇められ、エンリたちは神の御遣(みつか)いとなった。マーレが探し求めるアインズ・ウール・ゴウンは“主神と神々の住まう地”として認識されたようだ。

 

 

 

 

 

「しもべとしてここで群れを維持できればいいので、あとはエンリにでも相談してください」

 

 その投げやりな言葉が、敬虔な蜥蜴人(リザードマン)に下された最初の神託だ。マーレは爆発のあった辺りでもう少し調べたいことがあるらしい。

 

 離散の危機を回避して喜びの中にあるはずの蜥蜴人だが、先の先を考えて不安を抱いているやはりクルシュとザリュースだった。クルシュは蜥蜴人で最も力のある祭司で一つの部族の族長であり、ザリュースは勇敢な戦士で別の部族の族長の弟だという。正直なところ、白い方――クルシュと最初にクレマンティーヌと戦った巨大なゼンベル以外は単体では見分けがつかないので、ザリュースはクルシュとの仲睦まじい雰囲気だけで識別する対象だ。

 

 相談の内容は、避難時と同じく食料問題だ。

 確かに、マーレの魔法によって水源は復活し、湖周辺の土にも栄養が与えられた。長期的に見れば湖の魚が戻ってくるのは間違いない。

 また、新たに生簀(いけす)を係留するための巨石が湖の浅瀬の所々に顔を出している。これは巨大爆発の前に魔法で巨石を作り出すマーレを見たザリュースが懇願したものだ。元々彼が発案して作っていた蜥蜴人集落で初めての生簀は全て魔樹に破壊されてしまったが、数年後にはその数倍の規模の生簀に沢山の魚が溢れていることだろう。

 しかし、次の冬を越せるかとなると別問題だ。蜥蜴人たちは、荒れ果てた湖の現状を説明していく。このままでは、冬を待たずに蜥蜴人が深刻な食糧危機に晒されるのは明白だった。神の御遣(みつか)いなどと持ち上げられても、ただの人間であるエンリがそのような相談に何か有効な手立てを考えられるはずもない。

 

――突き放すのは可哀想だし……でも、何て言えば……。

 

 少し下がって従者のように控えているンフィーレアは、無言で小さく首を振る。打つ手は無いのだろう。普通に横に並んでいて欲しかったのだけれど、蜥蜴人側の態度の違いに遠慮したのだろうか。

 衛兵のような立ち位置のクレマンティーヌは、蜥蜴人たちを冷たい目で見下ろしている。彼女の前で、あまり同情的な態度を示すのも良くないのかもしれない。

 

 現状の説明が一段落したところでエンリが意を決して口を開こうとすると、蜥蜴人たちはその場に平伏し、ザリュースが口を開く。

 

「そこで、来るべき蜥蜴人(リザードマン)部族間の戦争について、予め神のお許しを頂きたいのです」

 

「は? ……戦争?」

 

 エンリは耳を疑う。

 

「はい。いずれ少ない食料を巡り、戦争が起こるのは確実です。そのことは、神マーレの命令に背くことに見えるかもしれません。しかし、いずれの部族が勝利するにせよ、蜥蜴人の数が減れば食料も足りましょう。その後もこの地で神の命令を守り続けることを誓いますので、何卒お許しを……」

 

「戦争で相手の集落を襲ったりしたら、互いに生活が成り立たなくなってしまうのでは?」

 

 エンリは故郷のカルネ村を襲った災厄を思う。

 

「いえ、狩人や戦士たちが中心の戦いとするつもりです」

 

 それでもエンリは気に入らない。同族間で、それもこうして共に行動した者たちの間で戦うなど考えたくもないことだ。

 

「……それでも戦争で働き手を失ったら、後に残されたひとたちは大変だよ?」

 

「そういえば、逃げた蛙人っ( トードマン )ていうのは蜥蜴人(リザードマン)の敵なんだよね。それが住む場所を見つけられずに戻ってきた時に戦えるだけの戦力がないと、群れがなくなっちゃうかもしれないよ」

 

 エンリの言葉を、ンフィーレアが違う視点から後押しする。

 

「それでは、どうすれば……」

「しかし、今のままでは皆で飢えて死ぬだけです。食べ物が無ければ蛙人と( トードマン )戦うこともできません」

 

 困惑するクルシュに対し、ザリュースはあくまで戦争を譲らない。どう見ても(つがい)の二匹だが、考え方が合わないこともあるのだろう。こういう時、(オス)というのは頭が固くて駄目だ。(メス)の方が平和的な解決を考えるのに向いているのは蜥蜴人でも同じなのかもしれない。

 エンリはその場で屈むと、平伏するクルシュの肩に優しく手を置く。

 

「戦争で殺しあうことばかり考える前に、親を失う子どもたちや、残される老いたものたちのように、弱くて戦争に出られないようなものたちのことを思い浮かべてみて」

 

「それは! どういうこと……でしょうか」

 

 クルシュはびくりと大きく震えると平伏したまま顔をあげ、エンリの顔を覗き込む。その反応に驚きそうになるのを必死に堪え、エンリは虚勢を張っているのを気取られないよう表情を引き締めると、クルシュの方を真っ直ぐ見返す。両者の視線がぶつかるとクルシュの表情はすぐに弱々しいものになり、不安のうちに(こうべ)を垂れる。

 

――戦争で残される側の辛さとかも、考えてくれたのかな。

 

 エンリは王国戦士長の都合で今のような身分になり、妹のネムの生活も守られることになったが、それが無ければ両親を失って困窮する運命だったかもしれない。そういう、残された者の立場を想像できるからこそ、安易に戦争で数を減らすような考え方には賛同できない。

 しかし、その思いは感傷でしかない。どういうことかと――飢えにどう対処するのかと問われれば、その思いからでは適切な答えを導くことはできない。

 

 それならば――答えがわからなければ、どうすればいいのか。

 

 エンリは考える。エンリが村に居た頃は、わからないことは年長者に問うしかなかった。年長者がわからない時は、薬草の買い付けで年に一度来るかわからない神官に聞くように言われたものだ。その神官は大人から子供まで分け隔てなく皆の話をよく聞いてくれて、様々な悩みに答えてくれていたが――。

 

――そういえば、白い方は祭司だって言ってた!

 

 閃きに従って白い蜥蜴人(クルシュ)を観察すると、他の蜥蜴人(リザードマン)と違って獰猛な感じがしない。祭司だという神官のような身分からくる先入観によるものかもしれないが、他の蜥蜴人とは違う柔らかな雰囲気をもつことから、思慮深く心優しそうにも見えてくる。

 そして、クルシュには迷いがあるように見える。もしかしたら、確信は無いにしても、手の届く所に何か答えを持っているのかもしれない。虚勢を張ったことで怯えさせてしまったかもしれないので、相手の立場に立って、丁寧に話をしていくことにする。

 

「あなたは、祭司よね。あなたたちは日々何に祈っているの?」

 

祖霊(それい)ですが……お望みならば、全ての祈りを神マーレに捧げます!」

 

――ソレイ? 何だろう、蜥蜴人の神様のことかな。

 

 このあたりの人間種――少なくともカルネ村において祖霊信仰の概念は存在せず、エンリにはその言葉は理解不能なまま蜥蜴人の信仰対象の名称として伝わった。

 

「そのソレイはあなたたちが大切にしてきたものなんだから、簡単に捨てたりしたら駄目だよ。そして、そのソレイならこの問題に向き合う貴方たちをどう導いてくれるか、そういうふうに考えていけば必ず正しい答えは見つかるはず。日々祈りを捧げてきたあなたならわかるでしょう?」

 

 エンリは、ただその場しのぎのために根拠の無い神頼みを口にしているわけではない。祭司なら先人の様々な知識を引き継いでいるはずで、その祭司であるクルシュの迷いを見て取って、そこに賭けたのだ。戦争に躊躇の無いザリュースとは違う、心優しそうな祭司のクルシュが抱えている答えであれば、少なくとも戦争よりは皆が幸せになれるに違いない。

 

 クルシュがクークーと微かな鳴き声をあげる。蜥蜴人は人間とは異なり涙が流れ落ちるようなことはないが、その身体は小刻みに震えており、その心は泣き崩れているのだろう。それでも、その口は固く結ばれ、迷いを振り切った決意の表情を浮かべているようにエンリには感じられた。

 すぐに隣のザリュースがクルシュの崩れ落ちそうな身体を優しく支え、ぐっと顔を上げる。今にも喰い付いてきそうな鋭い視線でエンリを射抜き、ザリュースが吠える。

 

御遣(みつか)い様!!」

「ザリュース! いいの。これは私の背負うべきことだから」

 

「クルシュなら、ソレイに従って正しい道を選べるはず。少なくとも、私はそう信じるよ」

 

――祭司だからって丸投げしたから恋人として怒ってるのかな。でも、気圧されちゃ駄目だ。

 

 エンリはそのままクルシュに全てを委ねた。どうにもならない以上、蜥蜴人のことは蜥蜴人が決めるべきだ。その中では戦争以外の答えを持っていそうなクルシュが適任なのは間違いない。

 ただ、その反応はあまりに悲壮なものだ。蜥蜴人全体の運命がかかっているような重い重圧を背負うのは、祭司とはいえ辛いに決まっている。周囲の蜥蜴人の助けが得られるようにしなければならない。

 クルシュはザリュースの支える腕を優しく解き、平伏の格好に戻って顔を上げる。

 

「神は……御遣(みつか)い様は……全てをお見通しなのですね」

 

「私はあなたたちが積み重ねてきたものに委ねただけだよ。それだって、実現する者がいなければ意味が無い。……ザリュースは、クルシュに協力できる?」

 

「……クルシュが望むなら」

 

 ギギギッとザリュースが歯を噛みしめる音が聞こえてくる。その強い思いで彼女に協力してくれるなら大丈夫だろう。

 

 結局、この問題はクルシュに委ねられ、二人は戦争を回避する方向で族長たちの同意を取り付けていくという。エンリの前で話し合いたいというクルシュの希望には、蜥蜴人の問題だからとエンリが難色を示し、ンフィーレアの提案によりクルシュの護衛としてクレマンティーヌが同行することとなった。

 

 

 蜥蜴人たちとクレマンティーヌが部屋を出ると、二人は大きく息を吐き、素に戻る。

 

「ンフィー、ありがとう。助かったよ」

 

「よく頑張ったね。戦士ではないあの蜥蜴人(ひと)に任せたのもたぶんいい判断だと思う。ところで、エンリは何をお見通しだったの?」

 

「そんなの、普通の村娘でしかない私にわかるわけないよ。ただ、あの蜥蜴人(ひと)だったら戦争以外にうまくやれると思っただけだし、私なんて関わらない方がいいんだよ」

 

「そうかな。僕は最近、エンリには人を引っ張る才能があるのかもしれないって思い始めているんだけど」

 

「……とんでもないことに巻き込まれる才能しか無いと思う」

 

「才能は一つとは限らないからね」

 

 否定してくれないンフィーレアを前に、エンリは溜息しか出ない。

 

 戦争を好まない彼らは、人間の国家間の戦争しか知らない。本当の飢えと欠乏をめぐる争いについて、充分な想像力を備えてはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エンリ様と違って、私はあんたらの考えとか全然知らないからねー。だから相談事は受け付けない。ただ話を纏めるためのおど……仲裁役のつもりってことでよろしく」

 

「どうして言い直すんですか?」

 

「一応、エンリ様が好む言い方にしただけだよ。意味は同じだし、私はどっちだっていい」

 

 クルシュとザリュースが最初に説得することにしたのは、ゼンベルだ。蜥蜴人(リザードマン)全部族の中でも、蜥蜴人の至宝として伝わる魔剣『凍牙の苦痛』(フロスト・ペイン)を持つザリュースと互角に渡り合える戦士はゼンベルだけであり、意思統一にどれだけ時間がかかるかわからない状況では、護衛のクレマンティーヌが居てくれるうちに、強い順に話をするしかない。

 なぜなら、この話は誰が相手であっても容易に敵意や憎悪を抱かせるものだからだ。

 

 

 

 

 

 同族喰い。

 

 

 

 

 

 それが、食糧不足に対するクルシュの部族の祖霊の――『朱の瞳』(レッド・アイ)のかつての族長の知恵だった。

 クルシュが心の奥底に仕舞い込んでいて、御遣(みつか)いエンリによって抉り出されたものだ。

 

 かつて、蜥蜴人(リザードマン)たちは不漁による深刻な食糧不足に見舞われ、漁場を巡る争いは多くの部族が参加する戦争にまで発展した。今回の懸念も、その経験によるものだ。戦争に参加した『緑爪』(グリーン・クロー)のザリュースとしては、荒れ果てた湖の現状では同じことが起こると考えざるを得ない。

 ただ、『朱の瞳』(レッド・アイ)は祭司は多いが戦士は少なく、戦争には向かなかった。食糧不足は祭司の能力でも補えず、僅かな食料を分け合いながら緩慢な滅びの道を進んでいたところで、族長が素性のわからない肉を持ってくるようになったのだ。

 

「その肉を食べられるのは、決まって、部族の厳しい掟に反した者の一族が追放された後のことでした」

 

 その後、『朱の瞳』(レッド・アイ)はクルシュが族長代理という形でまとめている。族長は反乱によって討たれ、最高の祭司として反乱の旗印に祭り上げられていたクルシュに優しく微笑みながら息を引き取った。同族喰いと反乱で数を減らしたことの結果、部族は危機を逃れることになった。『朱の瞳』(レッド・アイ)として族長の名誉を回復することはできないが、クルシュは祖霊への様々な儀式や祈りに際してその族長を含めなかったことは一度もない。

 

 同族の血肉を喰らって助かり、その罪の全てを背負った者を葬って忘れ去ろうとした自らの部族の歴史を、クルシュは血を吐くように語る。ザリュースはそんなクルシュにずっと寄り添っていた。

 戦争に参加しなかった『朱の瞳』(レッド・アイ)が危機を乗り切った手段について興味があったザリュースは、避難の呼びかけの際にこのことを聞き出し、クルシュの苦悩を受け止めていた。だからこそ戦争以外に手段は無いと考えていたのだが、蛙人の( トードマン )存在がそれを許さなかった。

 

 蛙人と( トードマン )は、湖の北東に棲息していた亜人だ。魔獣などを使役する技術を持ち、蜥蜴人(リザードマン)にとっては大きな脅威だった。数十年前に大きな戦争があって以来は互いに湖の反対側で棲み分けていたが、湖の漁場も何もかもが壊滅的な打撃を受けた状況では棲み分けも何もあったものではない。魔樹を恐れて川を遡って逃げた蛙人たちが新天地を得られず戻ってきた場合、蜥蜴人にとって極めて厳しい戦争が起こるのは間違いがなく、そのためには蜥蜴人同士で戦争をして戦える者を減らすわけにはいかないのだ。

 戦える者は残さねばならない。そんな状況で、同族喰いの過去を持つクルシュの心に突き立てられた言葉の刃。

 

 

 

――親を失う子どもたちや、残される老いたものたちのように、弱くて戦争に出られないようなものたちのことを思い浮かべてみて――

 

 

 

 御遣(みつか)いエンリの言葉は、蜥蜴人(リザードマン)がこの湖で生きていくための優先順位を明確化し、切り捨てるべきものを冷徹に示したものだ。

 年月が経てば蜥蜴人は必ず豊かに暮らせるようになる。その繁栄は約束されている。神マーレの助力により、これまで絶対に作ることができなかったような規模の生簀を作ることもできる。

 しかし、目の前の危機を乗り越えることができなければ、そんな未来も全てが水泡に帰す。

 蜥蜴人たちが生きていくためには、最大限の戦力を維持したまま、食糧不足を乗り越えなければならないのだ。未来の繁栄のために、過去に部族を支えてきた老いたものたちを切り捨て、未来ある子どもたちをも切り捨てなければならない。

 

 

 ゼンベルは普段の豪快な印象と異なり、目を閉じて静かに話を聞いていた。クルシュの話が終わると、その裂けたように大きな口の端で器を傾けて酒を流し込む。

 

「必要なことだというのはわかるぜ。筋も通ってる。何より、御遣(みつか)いの言葉じゃ無視はできねえ」

 

「それじゃ……」

 

 クルシュの言葉を遮り、ゼンベルは剛槍を手に取って立ち上がる。三メートル近い長さのそれは、二メートルを大きく超えるゼンベルの巨体であっても長大に過ぎるものだ。その動きとほぼ同時に、ザリュースはクルシュを庇うようにその前に立つ。

 

「けどよ、これは仲間の命がかかった話だ。戦いもせずに決められることじゃねえな」

 

「でも、あなたはこの人に一度……」

 

「勝ち負けは関係ねえ。やらなきゃ示しが付かねえんだよ!」

 

 ゼンベルは臆さずクレマンティーヌの前に立つ。大人と幼児ほどの体格差がありながら、この小さな人間を相手になすすべもなく四肢から大量の血を流しながら膝を屈したことは一生忘れられない悪夢だ。それでも、それは部族にとって正当な戦いであり、蜥蜴人たちを助けるためのものでさえあった。そこに悔しさはあっても恨みは無く、今となってはある種の親近感さえ覚えていたのだが――。

 

「くーだらない。でかいだけの雑魚を二度も相手する方の身にもなってよねー」

 

「てめえ!! わざわざついてきて、どういうつもりだ!!」

「おい、言葉が過ぎるんじゃないか!」

「……あなた、どういうつもりなの?」

 

 覚悟を決めていたゼンベルはクレマンティーヌによる最大級の侮辱を受けて激昂し、怒りに満ちた唸り声を漏らし続ける。ザリュースも同じ戦士として怒りを露わにし、クルシュはその振る舞いに困惑していた。

 

「ってか、ふざけるなよ糞蜥蜴(トカゲ)の奴隷ども。ミツカイサマが言ったから、それだけでてめぇらは同族の肉を喰うのか? それじゃ目ぇ瞑って口開けて待ってるのと変わらねぇだろ。それでてめぇは私に負けたら仕方なく従うって? 甘えてんじゃねぇよ糞が」

 

「あなたは……御遣(みつか)い様から私たちを助けるように言われたのではないのですか?」

 

 クルシュは絞り出すように問う。

 御遣(みつか)いの言葉が無ければ蜥蜴人(リザードマン)たちは漫然と対策も無いまま食糧危機に晒され、戦争へと向かったであろうことは間違いない。しかし、自分たちが直面する危機について理解してしまった以上、御遣(みつか)いの言葉に従うだけでなく自らの意思として同族喰いを選んだつもりだ。その部分に楔を打ち込むような、この人間の容赦の無い言葉は深く胸に刺さっていた。

 

「確かに護衛は任されたよ。このデカブツが敵に回ったっていうんなら、面倒だからそれ以上の敵が出てこないようにコイツの部族や他の族長連中の前に引きずり出して、見せしめに拷問しながらじーっくりと殺してあげる」

 

「てめえがそうしたいなら勝手にしやがれ! 戦う以上覚悟はできてる」

 

 ゼンベルは鋭い牙を剥き出しにして、口の端から敵意に満ちた唸り声を漏らす。

 

「勘違いすんなデカブツ、私は護衛でしかないからね。やるかやらないかを決めるのはこの白いのだよ」

 

「どうしてそのようなことを……。神は、御遣(みつか)い様は、私たちを苦しめることをお望みなのですか?」

 

 クルシュはわからない。御遣(みつか)いの言葉とクルシュたちの苦渋の選択は、密接に結びついたものでなければならない。そうでなければ辛すぎる。その両者に手をかけて無慈悲に引き裂こうとするこの人間の意思は、そして御遣(みつか)いの、神の意思は、いかなるものなのだろうか。

 

「あのさー、確かにマーレ様は神様かもしれないよ。エンリ様も普通じゃない。けどね、少なくとも私は神でもミツカイサマでも無いんだよ。奴らに絶対服従の奴隷でしかない。護衛を任されたからには、逆らう蜥蜴は百でも二百でも殺してあげる。でも蜥蜴どもの運命とか背負うつもりもないし、できるのはそれだけ」

 

「……それでは、私たちはどうすればいいのでしょう。これまで戦いで物事を決してきた部族も多く、しかし戦争は避けねばなりません」

 

――この苦しみは他の誰のものでもなく、私たち蜥蜴人(リザードマン)のものだ。

 

 クルシュは考える。喰らうのも蜥蜴人なら、喰らわれるのも蜥蜴人だ。この人間の言うことは正しい。しかし、それならば部族の戦力を維持しながら同意を取り付けるにはどうすればいいのか。

 

「ふふ、そうだね……だったらそこのお前がやったらどうかな。さっき自然にそいつのために身体が動いてたし、エンリ様の前でも一緒にやるってことになってたよね」

 

「俺が……果たすべき役割だとでも言うのか」

 

 ザリュースは人間を睨む。

 

「蜥蜴同士で戦えばいいよ。これから同族の肉喰って生き延びるんでしょー? 他人の肉程度でウジウジ――ってのはいいとして、せめて自分たちの運命くらい自分たちで決めたらどうかなー」

 

「そんな……この話を受け入れさせるための戦いなんて、それでは私だけでなくザリュースまで……」

 

 族長に全ての罪を被せてしまった過去を御遣(みつか)いに見透かされたことで、クルシュは自分一人が罪をかぶる事を覚悟していた。ザリュースの誇りを罪で汚すことなど考えたくはない。

 

「クルシュ、そんなことはどうでもいい。この人間の言うとおりだ。それに同族喰いとか関係なく、俺はクルシュのために戦えるだけで充分だ。……ゼンベル、やるのは俺でもいいか?」

 

「俺は構わないぜ。こんな形でやれるとは思わなかったが、『凍牙の苦痛』(フロスト・ペイン)を持つお前とやりたいとは思ってたんだ」

 

 

 

 湖畔の広場には『竜牙』(ドラゴン・タスク)族が集まっている。ここでは過去の戦争に絡んでザリュースに敵対的な者は多く、圧倒的な魔樹の脅威を前に協力して避難したとはいっても遺恨が消えているわけではない。ただ、そうした者たちのざわめきも族長のゼンベルが現れれば静まってしまうのだから、この部族ではこのやり方しか無いのだろう。

 予め仲間たちに決闘の条件を伝えようとするゼンベルを、ザリュースは止めた。クルシュの全てを独占したいザリュースは、クルシュが一人で背負おうとしたものをゼンベルにまで分け与えるつもりはなかった。そのため、蜥蜴人の群衆は戦いの理由について何も知らされていない。

 ある者はゼンベルが遺恨を晴らしてくれることを期待し、ある者は全部族が協力して避難したこの機会に過去を水に流すための手打ちなのだろうと考える。

 

 そんな中で、ザリュースとゼンベルは蜥蜴人(リザードマン)の誇りを賭けてぶつかり合う。その場の全ての蜥蜴人が、二人の激戦に時を忘れて魅入られた。

 

 あまりにも素晴らしい一戦は、蜥蜴人たちの誇りをも取り戻すものとなった。巨大なゼンベルが小さなクレマンティーヌに蹂躙された衝撃も、魔樹に集落の全てを破壊された絶望も、ゼロから集落を再建しなければならない苦しみも、今だけは忘れることができた。

 

 周囲の蜥蜴人(リザードマン)たちは、この戦いの後にどのような運命が待ち受けているかを知らない。しかし、それは知る必要も無いことだ。

 

 彼らの運命を決めることができるのは強者のみ。それが彼らの生き方なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 




●ピニスンの用途

充電ケーブルとか点滴のラインみたいな感じです。





短めの魔樹編エピローグのつもりが普段以上のボリュームに。
幕間的な蜥蜴人集落再建の話のつもりがいつも以上に酷いことに。

森の中の話はここまでです。










申し訳ありませんが、以降少しペースが落ちます。更新は6~10日毎になると思います。
蒼の薔薇とか出てくる予定です。

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