マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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三 相手に合わせてあげること

「あのっ、どうしてしゃがんで話をするんですか?」

 

「自分より小さい子とお話をする時は、相手に合わせて話をするものなの。相手と同じ目線で、相手に合わせるようにしないと、お互いに気持ちが伝わらないからきちんとお話を聞くのが難しくなる。自分より小さくて弱い相手には特に気をつけてあげないといけないの。…マーレのお母さんもそうしてくれなかった?」

 

 しゃがむというのはどういう動きだろう。無論、人の話ではない。マーレの創造主も体を折り曲げてみせる事はあったが、創造主自身は平気そうなのに他の至高の方々の多くが「痛っ!」「折れてる折れてる!」など抗議めいた反応をしていたのは覚えている。意味はよくわからないが、種族が違えば事情も違うのだろう。

 とりあえず体を折り曲げるという事を忘れて、相手に合わせるという部分で考えてみると、懐かしい記憶の中にそれに似たものがあった。

 

「ぼ、ぼくは膝の上に乗せてもらって、お話をしてもらっていました」

 

「いいお母さんね……マーレも、自分より小さい子とお話をすることがあったら、相手に合わせて優しく、ね」

 

「は、はいっ」

 

 弱い存在にも、合わせてあげないといけない。マーレはナザリックに戻ったら他の誰かを通してでもそれとなく姉に伝えたいと考え、エンリの言葉を心に刻んでいた。

 

 

 

 

 

 エンリは、森で可愛い妖精の少女を拾った。物語の世界から来たような美しい妖精の少女が、現実の世界ではそのような無垢な存在であり続けることが許されないということをエンリは知っていた。知っていたが、それを受け入れられず、物語の中へしまい込んでおきたいような気持ちになって、先の事なんて何も考えずに連れてきたのだ。

 たいした事ができるわけじゃない。いずれは行き詰まり、現実と向き合わねばならない。できることは知れている。それくらいのことはわかっていた。

 

 しかし、エンリの小さな物語はそのような切なくもほろ苦い終わり方を約束されたものですらなかった。そこには少女達の小さな冒険も妖精族と人の世界の間での葛藤もなく、夢溢れる頁たちを包み込む可愛らしくも繊細な装丁は一夜の夢のように姿を消し、その残滓は村を襲った騎士たちの血でべったりと覆われてしまった。そこへどうにか上書きすることができた小さな救世主の伝説も、その騎士の屍が動き出してぐちゃぐちゃと汚い音を立てながら喰らってしまった。

 

 あとに残っているのは、村の一員としての責任感。憔悴しきった村長ひとりにマーレを任せることはできず、促されるままについて来てしまった。ネムが起きていればその相手をしていれば良かったが、残念ながら夫人がしっかりと寝かしつけていた。

 エンリは優しい夫人に労わられながらも進んで竃の世話を手伝ったが、白湯をテーブルに運ぶと結局は着席を促されてしまった。あれらを見てしまった村長の方には夫人ほどの余裕は無いのだろう。

 

 

 村長の方は、エンリを逃すまいという思いを強めていた。

 エンリが村へ連れてきた正体不明の小さな魔法詠唱者(マジック・キャスター)――マーレ様との会話は、とにかく噛み合わない。感謝の言葉やら謝礼の話題やらが完全に空回りしていた上に、あれほどの力を持つのに冒険者でもなければ周辺国家との繋がりも無く、さらに冒険者とは何かも知らなければ周辺国家の名前すら知らなかったのだ。そのあたりの説明を聞く気はあったようなのが救いだが、知識のみならず人間の社会で生きていく上での常識すら欠落していた。

 そして、村長の神経を磨耗させたのは、頼まれて確保しておいた襲撃者の処遇だ。知りたい事があるから話を聞きたいというのはいい。問題はその後で、用が済んだら全て掃除してしまうか村の掃除に使うかという血生臭い二択を平然と提示し、生き残りは役人に突き出すと言えば本当に不思議そうにしていた。それは村人の復讐心などを慮ったものではなく、まるで抜いた雑草の捨て方を聞くような調子で、生かしておくことが理解できない様子だった。

 この悪路ばかりを進むあてなき旅のような会談にあたって、村長には同じ場を体験してきた戦友が必要だった。

 

 マーレは、エンリの姿を認めると少し安心して話を切り替える。もう充分に合わせたことで、このわけのわからない世界の事が少しだけ把握できている。

 

「ぼ、ぼくはただ、アインズ・ウール・ゴウンのモモンガ様を探しているんです。ナザリックという場所を知りませんか?」

 

「モモンガ、様?」

 

「あのっ、エンリが、村長さんなら知恵を借りられるっていうから……でも、村が落ち着いてからじゃないとっていうから待ってたんですが、暴れてるのを潰したらお話しできるかなって思ったんです……駄目でしたか?」

 

「潰……うあ、ああ……ありがとうございました。あなた様が居て下さらなければ、村人は皆殺されていたでしょう」

 

 村長は自らの動揺を抑えつけるように頭を下げる。目の前の小さな魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、掌の上の玩具のように死を弄ぶ存在。話が噛み合わなかったのも、村人の命とか助けるとかそういうことに興味すらなかったためなのだろう。

 それから挙げられた名前だが――モモンガ様、アインズ・ウール・ゴウン、ナザリック地下大墳墓、グレンベラ沼地、ブクブ・クチャガマ様――どれも聞いたことがない。

 感謝の言葉も意に介さず、救った命に興味も示さず謝礼も求めず、人の死を何とも思わない小さな魔法詠唱者(マジック・キャスター)……もしカルネ村が彼にとって何の役に立たないものであったら、どうなってしまうのだろうか。期待されているのは、知恵だ。

 村長は、無知を晒さないように慎重に、少しでも手がかりを探ろうと聞き進めていく。人物は国籍が不明。おーばーろーど、しょごすというのも不明なので聞き流す。強者たちの組織や地名といったあたりは、このあたりで知られているものでは決して無い。どのようにここへ来たのか聞けば、魔法的なものかもしれないという。魔法での長距離の移動など常識で考えれば荒唐無稽に過ぎることだが、先ほどまで見てきたことのどこに常識の範囲内の事があったのだろう。

 

「私どもは魔法のことをよく知りませんが、この辺りではエ・ランテルという町に行けば魔術師組合という組織があり、魔法に詳しい方がおられるはずです。大きな街なので、広い範囲の地図も手に入るでしょう」

 

「い、行ってみます」

 

「エ・ランテル行きですが、ンフィーレアが来た時に頼んでみましょうか」

 

 エンリが口を挟む。ちらちらと村長から送られる視線が痛かったので、話に入れる所で入っておいた程度のことだったが、村長は目を見開いて驚いていた。

 

 

「……頼めるならお願いしたいが、君はその薬師の少年と……いや、彼にマーレ様を引き合わせても、いいのかね?」

 

 村長はゆっくりと、含めるように確認する。

 ンフィーレアというのは、元々付近の村々で薬草を買い付けていた高名な薬師リィジー・バレアレの孫で、エンリを慕うようになってからカルネ村でばかり薬草を仕入れてくれている少年だ。村では少年の態度に気づかぬ者が無い程で、エンリも村の若い男の誘いを断っている以上、そのつもりだと考えていた。貧しい開拓村から見れば、幸せへの片道切符そのものであるはずだ。そのンフィーレアを、こともあろうにマーレ様に引き合わせるという。

 

「ンフィーは物知りでたまに難しい話をしてよくわからないし、不思議なものや珍しいものを求めているところがあるので、この際ちょうどいいかなって思ったんです」

 

 哀れ、少年。村公認の関係とまで思わせた少年の熱意は、その対象には全く届いていなかったらしい。

 村長は他人の不幸を喜ぶような人間ではなかったが、少年の不幸はその憔悴しきった心をいくらか潤せるほどには微笑ましいものに感じられた。いやいや勝負はこれからだ、頑張れ少年。疲弊した心が健気な少年を応援できる程度の暖かさを取り戻したところで、木戸を叩く音が響いた。

 

 葬儀の準備ができたのだろう。しかし、村人の命にも興味が無く、先ほどの所業からすれば死者の尊厳などという発想すら持たないであろう小さな魔法詠唱者に対し、どう言ったものかと逡巡していると、扉の向こうから声をかけられる。

 

「お話し中すみませんが、葬儀の準備ができていますので……」

 

 村長が生返事をしながら視線で意向を窺うと、マーレは席を立った。

 

「よ、用事が終わったら呼びに来てください。さっき残しておいたあれらに話を聞いてきます。……頑張ってみます」

 

 最後の言葉とその時の微笑みを向けられたエンリは、その意味を理解できなかった。

 マーレはそのまま小走りで扉を出て、騎士たちを捕らえてある小屋の方へてってって、と可愛らしい走り方で向かう。扉の外で、呼びに来た男が腰を抜かしているのと好対照だ。村長でなくあの掃除人の主が出てきた事でひどく驚いたのだろう。

 

 

 

 葬儀は平穏に行われた。平穏だということにした。皆が極力見ないように努めていた掃除人はその主が「汚く」した辺りから離れることはなく、例の小屋からたまに聞こえる叫び声は聞こえないことにすればよかった。色々と静かに悲しむどころではない状況だが、掃除人の事を見聞した村人たちは埋葬を急ぐ気持ちでまとまっていた。

 元々、死者は早めに埋葬しなければ災いや呪いをもたらすものであり、それはアンデッドの発生のみならず病気などの衛生面なども含めた人類の大切な経験則から来る考え方ではあったが、普通は静かに葬儀を行えないような状況でまでそれを強行することは無い。

 しかし、その災いや呪いの象徴が人為的に生み出されて道端で何かを喰らっているという状況になれば、死者を速やかに埋葬して安らかに眠らせることが生者と死者の双方にとって具体的にして共通の利益となる。身内を送り出す者たちにとってはせわしなく、また残念な状況ではあったが、あれを生み出した小さな魔法詠唱者が居なければ遺体の数はその日のうちにしっかりとした形で埋葬できる数に収まったか、あるいは埋葬する側の村人が残っていたかもわからない。文句や恨み言が出ようはずもなかった。

 

 

 

 その中で、エンリはいくらかの視線を感じていた。あれだけの事をした者を招き入れたのだから当たり前だ。

 狭いカルネ村では、エモット家が何やら小さな客を招いていたことはだいたい伝わっていた。警戒に出ていた父たちが襲われたとわかった時は、自分が原因だったらもう村に居られなくなるかもしれないとも考えた。しかし、襲撃は隣国の軍隊による無差別なもので、考えていたよりずっと酷いもの。酷いのに、自分のせいでない事にどこか安心してしまっていた。

 この村で、妹のネムを守って二人で生きていかなければならない。それを考えなければならないにせよ、両親の葬儀で、他にも人がたくさん亡くなった時に、自分たちの立場ばかりを考えてしまう自身の冷たさはどこかおかしいんじゃないかとも思う。しかし、目の前で多くの騎士たちが千切れ飛んで撒き散らされ、頭を潰された者が仲間の残骸を喰らうというあの現実離れした光景が脳裏に焼きついた状態では、まともな感覚を持てないのも無理もないのかもしれない。

 それでも、もし助けてくれたのが安心できる大きな存在だったら、程なく現実に引き戻され、ただ両親の死を悲しむことができたろう。しかし、マーレは一度はエンリの側から救おうと思った程に不思議な危うさを感じる存在だ。それが恐ろしい力を以て死を弄ぶのだから抜き身の刃物のようなもので、寄りかかって心を落ち着けることができるような存在ではありえない。

 

 最後の祈りと別れを済ませ葬儀が終盤にかかろうという頃、エンリを呼ぶ者があった。

 

「すまないがエンリ、これを例の小屋まで持っていってくれ」

 

 重みのある小さな皮袋を幾つか渡される。まだらについた赤黒い汚れが生々しい。

 

「これは……?」

 

「騎士たちの持っていた金だ。あの魔法詠唱者(マジック・キャスター)様に渡すべきだろう」

 

 騎士たちを率先して縛りあげていた力自慢の中年男だが、今はエンリと目を合わせようともしない。

 確かに、時折叫び声が聞こえるあの小屋に行きたくないのはわかる。わかるが、それを自分の半分も生きていないただの村娘に押し付けるのはどうなのだろうか。もしかしたら、エンリだけはマーレの事を色々とわかっていて連れてきたのだと思われているかもしれない。村長と同行したのも、他の村人からすればそういう誤解を強めるものだろう。

 そもそも、誤解を生みたくなかったなら、動き出した屍の前で悲鳴をあげて、座り込んでいればよかったのだ。エンリがその前に動く屍より凄惨な光景を目にしていなければ、恐ろしさを知らなければそういう反応もできたかもしれない。

 

 エンリは、状況が落ち着いてから誰にどう弁解しようか、下を向いてまとまらない考えの中に迷い込みながら小屋の方へやってきた。粗末な両開きの木戸の前には左開きの側に返り血で汚れた人間を引き摺って運び込んだ跡があったが、自宅の癖で右開きの戸に手をかけていたのでそのまま引いた。あまり使われていない扉のようで多少の抵抗を感じながらもそのまま中へ入ると、下向きの視線の先に白目をむいた男の顔が現れた。

 

「ひっっ!」

 

 裏返った声は呼気とともに喉奥へ滑り込む。そのまま、エンリは決して踏みたくないものを避けようとして足の置き場を失い、柔らかいものの上へ倒れこむ。そこはむせ返るような血の匂いに包まれていた。

 

 

 狭い農具小屋の中は散らかっていた。人間のような大きなものを仕舞うのであれば、必然的に入口近くの土間部分ということになる。村人たちは普段使われている側の扉を開き、使われていない側の土間へ騎士たちを放り込んでいた。拘束されて転がされていた血まみれの騎士の上に、拘束を解かれたものが覆いかぶさっていて、そこへエンリが倒れ込んでしまった。

 血まみれの騎士は気を失っていたが、拘束を解かれたものは自分の仕事を再開するため、すぐに体勢を立て直そうと動き、そして起きようともがくエンリと顔を合わせる。

 

「ひぃぃぃぃっ!!」

 

 拘束を解かれ動いていたのは、先程とは違う屍だ。色々と潰れてはいけない所が潰れており、生者ではありえないのは一目瞭然。

 エンリは触りたくないものを色々と押しのけながら、四つ這いの状態でわたわたと距離をとった。ぬるりとした手触りに顔を歪める。

 

「き、汚くしてごめんなさい。あとできちんときれいにしますから」

 

 小屋の隅にちょこんと座っていたマーレが申し訳なさそうに言う。自分の手や衣服が騎士たちの血に染まっていることに気づいたエンリだが、すぐに動く屍がその口で自分の服をきれいにしてくれる姿を想像して震え上がった。

 

「やめて!! 私はいいから、このままでいいから、ねっ」

 

「わかりました。……それじゃ、次、しゃべっていいですよ」

 

 マーレの言葉にあわせて、動く屍が白目をむいて気を失っている騎士を端に寄せ、次の騎士へと向かう。動く屍の口元には赤いものがべっとりと付いていて、端に寄せられた騎士の腕や脚にはいくつもの人間の噛み跡があり、指も何本か失われ床に転がっている。

 どうして自分はこんな場所にいるのだろうか。エンリは手に持っているものを握り締め、顔を背けた。

 

「無事に帰してくれたらかね、かねをあげましゅ。五○○金貨、いや八○○! ……そ、そこの一番大きいのが俺のだから、帰れたらいっぱいありましゅ……」

 

 次と呼ばれた者は、怯えながらも目ざとくエンリの持つ皮袋を見つけ、命乞いをする。

 

「そんなことは聞いてませんから! ……それをそこに寝かせてください」

 

 屍の手が肩に回ると、怯えきったベリュースの口から次々と固有名詞が流れ出した。その声を聞き、次によく動く口を見ていると、エンリはそれが仇だということを思い出した。

 今日は、あまりに間近に死を多く目にしすぎた。小屋の中に充満し、自らの服からも漂う血の匂いにあてられたのかもしれない。

 辺りを見回すと、手ごろなサイズのものでは草を刈る鎌や薪を割るための手斧が目に入った。狭い小屋だけあって、これらにも真新しい返り血がべっとりとついている。持っていた幾つかの皮袋をどさりと落とすと、口が緩んで金貨が幾らか土間へこぼれ、転がった。

 

 少なくとも、ここには敵がいる。何かあったら自分で自分の身くらい守らなければならない。そう自分に言い聞かせたのか、あるいは自分に言い訳をしたのか、自分でもわからない。それはどちらでもいいことだ。

 エンリは汚れた手斧を手に取り、何をするでもなくベリュースと屍の方を見続けた。


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