マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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●前回のあらすじ

 『漆黒の剣』やイグヴァルジから情報収集
 ぷひー
 謎のこそ泥に盗まれた人様に見せられない鎧はロックマイヤーから蒼の薔薇へ
 ガガーランが貴婦人に
 冒険者組合閉鎖



●前回の掲示物(冒険者組合・扉)

「エ・ランテル冒険者組合を暫くの間、閉鎖する」
「問い合わせは『蒼の薔薇』まで」
「報酬払い出し業務は通常通り行う」
「但し、白金級以上の冒険者は要面談」

「エ・ランテル都市長パナソレイは、閉鎖の決定に異議は申し立てない。本件に一切の関わりを持たない」
「リ・エスティーゼ冒険者組合長――――は、閉鎖の決定に異議は申し立てない」












三〇 漆黒と蒼の薔薇

「おかしい……エンリって奴は何者なんだ?」」

 

「所業は腐れ外道、力は化け物級? そんな凶悪な生き物がいるなんて聞いてないんだけど」

 

「でも、クレマンティーヌはきちんと居るようだし、その『漆黒』で間違いは無さそうですよ」

 

「今回の仕事では、クレマンティーヌ以外はどうでもいいはず。エンリ・エモットは偽物」

 

 そこは流れ者たちが集う酒場。男女二人ずつの四人組が、自分たちの任務について語り合っていた。その身には冒険者のプレートは無い。

 

「そうなんだよな。エンリが偽物だというのはあの人の見立てである以上、今回の仕事の前提と考えるしかないんだろうが……」

 

「わざわざ悪評が立つように行動してるってことかな? さすがに沢山ある悪評が本物なら胸糞悪すぎるし」

 

「やはり、クレマンティーヌの存在を目立たせないための煙幕なんでしょうが、そこまでする必要があるのでしょうか」

 

「本当なら他の冒険者に討伐されてもおかしくない」

 

 隣国よりやって来た彼らの目的の人物は、現在は白金級冒険者チーム『漆黒』に同行しているという所まで調べがついていた。しかし、そのチームは長く仕事に出ていていつ戻るかわからないという。

 普通なら怪しまれないよう軽い路銀稼ぎでもしながら待つところだが、そのチームそのものであるエンリ・エモットの評判がどうもおかしい。彼らはそれが中身の無い偽物だという話を予め聞いた上でここへ来ていたのだが、次々と出てくる常識から大きく外れた評判にはさすがに不安を抑えきれず、ダラダラと調査を続けざるを得なくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大森林での長い冒険を終えたマーレたちは、集団転移によって冒険者組合の前に出現した。場所を指定したのはエンリだ。マーレが当たり前のように転移魔法を使っているので、白金級の冒険者ともなれば転移してくる姿を見られても問題は無いと考えたのだ。

 そして、実際に周囲の反応は特別なものではなかった。転移の瞬間は驚かれたが、周囲に居た冒険者風の者たちはそれが『漆黒』――彼らの認識では『血塗(ちまみ)れの魔女』とその取り巻きなのだが――とわかると、騒ぎもせず非友好的かつ消極的な態度で距離を取るという普段通りの状態に戻る。ひとの背中を指差して何やら囁きあう程度なら、どこか陰湿なところがあるこの街では日常的なことだ。つまりは、転移くらい問題が無いということだろう。本当に魔法というのは何でもありだ。

 

 組合の近くの広場から、バレアレ家と宿へ道が分かれる。それがここを転移先へ選んだ理由だが、なんと組合の扉には文字が書かれた貼り紙がある。もちろんエンリには一文字たりとも理解できない。気を利かせて読み上げてくれるンフィーレアを見ながら、エンリは皆でここへ来ることができて本当に良かったと思う。

 貼り紙の内容は、『蒼の薔薇』が冒険者組合を閉鎖するというもの。理由すら書かれておらず、エンリは「ほんとうにそれだけ?」という言葉をギリギリで飲み込んだ。クレマンティーヌがいる前で字が読めないことを知られてはならない。目を凝らして訳の分からない記号の集合体を読み返すふりをしていると、「何度見ても書いてあるのはそれだけだよ」とンフィーレアが察してくれる。

 

「たぶん、ガゼフさんの紹介で来ているんだと思うけど――」

 

「でも嫌な感じがする。冒険者組合を閉鎖なんて、聞いたこともない。一人では行かない方がいいんじゃないかな」

 

 エンリは『蒼の薔薇』がガゼフの紹介で来ることはわかっていた。ンフィーレアに話した時は、王国最強の冒険者だからマーレと一緒でも大丈夫だろうとも言っていた。しかし、こういう形で関わってくると警戒せざるを得ない。

 冒険者組合は、沢山の冒険者たちが生活のために出入りする場だ。閉鎖などすれば多くの冒険者に迷惑がかかるはずで、それを厭わないほどの何かがあると考えるべきだろう。

 

「白金級以上は面談ってありますけど……あの宿の連中が一番上ってくらいだから、この街は雑魚ばかりです。アダマンタイト級の『蒼の薔薇』に目を付けられるような冒険者は一人を除いて居ないでしょうね」

 

「ひ、一人って、まさか……」

 

「一人チームの冒険者なんて他に居ないよね。戦士長の紹介だとしても、『蒼の薔薇』のリーダーは貴族だと聞いたことがあるし、素直に頼まれたことをやるだけとは限らないよ」

 

「そうなの!?」

 

 エンリは、クレマンティーヌとンフィーレアの言葉を否定する材料を持たない。確かに、この国の貴族というのはろくなものではないと聞く。

 

「この国の貴族は派閥争いと化かし合いで忙しいって聞きますからね。そんな中で、戦士長……ガゼフ・ストロノーフですか。こっちのお偉方の中では馬鹿正直な方だって聞きますけど、紹介ってどういう話なんですか?」 

 

――マーレが手に負えないから同行を代わって欲しいとか、クレマンティーヌの前で言ったら不味いし。……あとガゼフが馬鹿正直な方ってどんな人外魔境!?

 

「ま、まぁ、クレマンティーヌに会う前にいろいろとあったの。でも、そんなに信用出来ない相手なら気をつけなきゃね。ンフィー、一緒に来て」

 

「僕じゃ役に立たないし、冒険者組合が機能してないなら皆で行ってもいいんじゃないかな」

 

「面白そうだし、私も行きますよー」

「面倒だけど、有名な冒険者なら何か知っているかもしれないので、ぼくも行きます」

 

 エンリはお腹のあたりをさする。心配だが、アダマンタイト級冒険者に狙われているかもしれないとなれば、戦力が居なければ話にならない。さらに、建物の中にまた張り紙でもあろうものなら、エンリ一人ではひとたまりもなく逃げ帰ることになる。

 最近はクレマンティーヌも最初の印象と違って宿の冒険者たちとうまくやっているし、マーレも問題を起こさなくなってきた。どうにかなるだろうとエンリは自分を納得させる。

 

「仕方ないか。……ミコヒメについてマーレは関わらないで、誰に何を聞かれても絶対に黙って知らないふりをしていてね」

 

「信用できない相手なんですか?」

 

「そういうことみたい。お願いね」

 

 エンリが目線を合わせて言い含めると、マーレは不思議そうな顔で頷く。

 

――玩具とか言われると聞こえが悪すぎるし、目が見えないこの子を保護してるってことにしよう。

 

 戸を半分閉めきった組合に踏み込む時点で、エンリは不安に押し潰されそうになっていた。相手は、あのガゼフでさえ馬鹿正直な方だと言われるほど信用ならないこの国のお偉方に連なる貴族の一人だ。マーレやクレマンティーヌを伴って組合に入ることには少なからず不安はあるが、自らの身を守ることを優先するべき場面だろう。

 

 

 

 

 

 組合の応接室で待ち構えていた『蒼の薔薇』はリーダーの神官戦士ラキュース、細身で盗賊風のティア、小柄な仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)イビルアイの三人組だ。仲間はあともう二人いるというが、今は街へ出ているらしい。

 無難に自己紹介を行うが、その表情はどこか固く、この場に似合わない完全武装が物々しい。

 そして、エンリの危惧はある意味で正しかった。しかしその対処は甘すぎた。『蒼の薔薇』とは戦いにこそならなかったが、凛とした真っ直ぐな美しさを持つラキュースはまるで狙ったように痛いところを突いてくる。話をそらそうとするンフィーレアにも構わず、エンリ一人を狙い撃ちだ。

 

「――それでは答えになっていません。今はエンリさんに、その女の子は何者かと聞いているのです」

 

「それは……わからないから保護しているというか……元々この子はマーレが……」

 

 退路を塞がれ観念してマーレの方を見ると、そこには少し首を傾げ、上目遣いで大人たちの様子を窺う無垢な子供の所作(しょさ)があった。目の前の大人たちが何を言い争っているのかわからない、そんな態度だ。

 

――確かに黙っててって言ったけど! 言ったけど!

 

 エンリはマーレに不用意な事を言ったことによる災厄――オーガとゴブリンの一団の前に「交渉役」として取り残された過去を思い出すが、目の前の状況はそれより酷い。エンリに厳しい視線を送る三人の誰もが、一人であの集団を血塗れの肉塊に変えることができる存在だ。

 その時、ミコヒメに音もなく近寄る者がいた。それは獲物に近づく獣のような滑らかな動きで、エンリが声をあげようとした頃には全てが手遅れだった。盗賊風の女によって、ミコヒメの外套が一気に捲り上げられる。

 

「ちょっと失礼……うわぁ、これは露骨。そそられなくはない」

 

 それは久々に見る、全開の肌色だ。

 

「ティアより重症だな。少なくとも子供になすり付けられるような趣味ではない」

「語るに落ちたわね、エンリさん」

 

「ちょ……違っ……」

 

 少し遅れて、外套と一緒に捲られた薄絹(うすぎぬ)だけが元に戻ってその幼い肢体を覆う。外套は後ろへ回ってしまったままだ。

 実力行使に出た盗賊風の女は、ミコヒメに少しねっとりとした視線を貼り付けながら薄い笑みを浮かべている。あれは狡猾な者が相手の弱みを握った時にするような、嫌らしい笑顔だ。

 その場を繕う道を失ったエンリは言葉を失うが、同時に、これまで味わってきた鳩尾を締めあげられるような激しい反応が無いことに強い違和感を覚える。精神的に袋叩きに遭うことを確信して歯を食いしばって縮こまっていたら、軽く小突き回された程度で済んだような感覚だ。

 

「仲間が勝手なことをしたことは謝りますが、同じ冒険者のプレートを持つ者としてとても残念ね、エンリさん。あなたの性的嗜好にまで立ち入ってとやかく言うつもりはないけれど、リ・エスティーゼ王国の法によって奴隷の保有は禁止されています。ストロノーフさんも、あなたがこんな人だとわかっていれば――」

 

 その口調には若干の怒りも滲むが、この状況でこの反応は、若い女性の神官としてはあまりに平易に過ぎる。やはり、最初からこのことを知っていたのだろう。

 そもそも、この女は貴族だ。健康的で美しい外見に騙されてはいけない。エンリに全てを押し付けたあの卑怯なガゼフでさえ正直者扱いされるような、嘘と謀略の渦巻く修羅場を生きる腹黒い女なのだ。わざわざ冒険者組合を閉鎖までしてエンリを断罪し追い込むことにも何か特別な意図があるのだろう――。

 

「エンリ様、この程度のこと、もう隠しても仕方ないんじゃないですかー?」

 

「クレマンティーヌ!?」

 

 エンリは戦慄する。クレマンティーヌを連れてきたことが悪い方に出てしまった。露悪的に開き直るというなら、それはこの状況では最悪の手段だ。しかし、どう止めて良いかもわからない。

 

「……申し開きがあれば聞きます」

 

「申し開き? ものを知らないあんたらに教えてあげるだけだよ。まー確かに奴隷みたいなものかもしれないけど、これはスレイン法国の風の巫女姫。コレを付けている以上、魔法を使うだけのマジックアイテムみたいなものだから奴隷以下かもしれないね」

 

「スレイン法国の巫女姫だと? そんなものがどうしてここに」

 

 不気味な仮面の向こうから驚いたような声を出すのは、イビルアイと名乗った者だ。くぐもったような奇怪な声からは性別さえ判別できない。

 エンリはその場に固まって呆然としていた。マーレの玩具で慰みものだと思っていた幼い少女を、いきなり魔法を使うだけの存在だなどと言われてもわけがわからない。

 

――気に入ったから持ってきたわけじゃなかったんだ!

 

 とりあえず面倒なことを横へ置いて、今の自分に都合の良い方に考えるエンリ。これは、最近思いついた、色々と辛い時にお腹の痛みを悪化させないためのただ一つの方法でもある。そして、日記どころか文字の一つも書けないエンリには、今の感情を形作る前提の一つが崩壊したことに気付く手段も無い。

 

「マーレ様も私も含めて、スレイン法国とは敵対してるから色々あるんだよ」

 

「法国には私たちもいい感情は持ってないけど……この子を自由にしてあげるわけにはいかないんですか?」

 

「これを外したら糞尿垂れ流しの狂人になるだけだよ。実際に見てきたから知ってるけど、信じられないならここにもう一つあるから調べてみる?」

 

 クレマンティーヌはミコヒメが装着しているものと似た額冠を取り出し、イビルアイに見せる。

 仮面の顔を近づけてミコヒメの額冠と見比べていたイビルアイはそれに何やら魔法をかけると、驚いた様子でクレマンティーヌの言葉を肯定する。

 

「確かに、服装も発狂の呪いもこのマジックアイテムの性質に関わるものだ。残念ながらこの少女の自由を取り戻す手段は無いな。法国が常に高位の神官を多く揃えていたからくりが、まさかこんな禍々しいものだったとは……」

 

「んふふ、これはそこらの神官に治せる呪いじゃないからねー」

 

「うちのリーダーは蘇生魔法まで使える。そこらの神官ではない」

 

 冷静な口調のティアだが、クレマンティーヌを軽く睨む。仲間を軽く見られたくはないのだろう。

 

「その程度ならこの子でもできるよ。第六位階まで使える法国の最高神官長でさえ治せないものを、たかが冒険者の神官が治せるわけないよねー。やりたかったらやってみる? もちろんお前にはこの子の代わりを務めてもらって、失敗したら他の連中は狂人になったガキの下の世話でもしてもらうか」

 

「治せないことはないだろう。法国の巫女姫は若いうちに代替わりをしていると聞くし、その額冠の制約も――」

 

 仮面のイビルアイは、クレマンティーヌの次に法国のことを知っているようだ。エンリには何もわからない別世界の話だが、せめて口が開けっ放しにならないよう気をつけなければならない。今わかるのは、クレマンティーヌを連れてきたおかげで性的な奴隷所有者として断罪されるという危機を脱したかもしれないということだけだ。

 

「んー? 昔から役目終わったのは、私ら漆黒聖典がいちいち殺してんだよ。処分とか、六大神の御下(みもと)に送るとか、役職によって言い方は色々だったけどね」

 

「漆黒聖典……だと!?」

 

「名前くらいは聞いたことあるのかな――」

 

 クレマンティーヌはその出自を明かす。エ・ランテルでの計画――ンフィーレアを(さら)いに来た目的までは明かさなかったが、漆黒聖典を裏切り額冠を奪って法国から逃走したという話と額冠の鑑定結果だけで充分だったのだろう。『蒼の薔薇』の反応を見るに、漆黒聖典というのはアダマンタイト級冒険者にとっても恐るべき存在であるらしい。

 エンリはもはや話の中身についていけなくなっているが、心の中だけで祈りのポーズを作ってクレマンティーヌを応援する。

 

――がんばれ、くれまんてぃーぬ。

 

「だいたい奴隷ってのが問題なら、私の方がずっと奴隷に近いんだよー。戦ってあっさり負けてぐちゃぐちゃに(なぶ)られて従わされてる。こっちも殺すつもりだったから仕方ないけどね」

 

「ちょ……」

 

 無責任な祈りを捧げた途端に雲行きが怪しくなるのはどういうことか。人聞きの悪すぎる表現にエンリが固まる。

 確かに身の安全を考えてマーレと同類のようにふるまってはいたが、その所業まで背負わされるのはやはり辛いものだ。

 

「でさー、この元漆黒聖典第九席次クレマンティーヌとそれを力で従える存在に喧嘩売りたいなら、喜んで買うよ? アダマンタイトのプレートは奪ったことないんだよねー」

 

「プレートを奪うですって!?」

 

「クレマンティーヌ、やめなさい!!」

 

 クレマンティーヌの挑発にラキュースが反応し、ティアとイビルアイが抑える。

 エンリも腰の武器に手を伸ばすクレマンティーヌを見て、慌てて大きな声を出す。

 

「でも、向こうもその気みたいだし、やっちゃった方が早くないですかー? 今ならたった三人、純粋な戦士も居ないし楽勝ですよ」 

 

「人数なんて関係ないよ。クレマンティーヌ、私の言うことが聞けないの?」

 

「はいはーい、わかりました」

 

「すみません、この人は少し常識が無いので」

 

 エンリが謝ると、その場の緊張感が少し和らぐ。

 

「……ともかく、その子のことはわかりました。呪いを解く方法が見つかるまでは保留ということでいいかしら」

 

「それでいいです」

 

 

 

 少しの沈黙の後、「忘れないうちに」ということで報酬の支払い業務を挟むことになった。依頼書を確認した『蒼の薔薇』の三人は何やら驚いた様子だったが、組合の職員を介して無事報酬が支払われる。

 職員の顔は、どこかで見た感じがする。かつてエンリを晒し者にした女ではない。その瞳に燃える好奇心の炎は――。

 

「ち……じゃなくて、『漆黒』は王都にでも引き抜かれるんですか?」

 

 支払いの手続きを進めながら見当違いの事を聞いてくる職員は、最初に組合へ来た日はどこか怖い感じがした、もう一人の受付嬢だ。

 もちろん、今日しているのはそんな呑気な話ではないのでエンリが曖昧に否定していると、手続きを待っていたはずの『蒼の薔薇』が話題に便乗してくる。

 

「そうね、王都に来れば国のために犯罪組織の『八本指』と戦うような仕事も紹介できるけれど、エンリさんはそういうのはどうかしら?」

 

「国のためとか、そういうのには一切興味ありませんので」

 

 エンリはきっぱりと断る。王国戦士長であるガゼフの口車に乗せられて酷い事になったというのに、これ以上国の関係者のために働くなど考えたくもない。

 

「でも、国を蝕む犯罪組織は誰かがなんとかしないと――」

 

「王国を蝕んでるのは頭の悪い貴族連中とか、それを放置してる王家の連中だって聞いてるけどね。一度滅びなきゃ手の施しようが無いって」

 

 しつこいラキュースの言葉を遮ったのはクレマンティーヌだ。面倒を跳ね除けてくれるのはいいが、目の前のラキュースも貴族だ。怒らせてしまえばどんな仕返しがあるかわからない。この国の貴族が危険だとわかっているのに挑発するのは本当に勘弁してほしい。

 

「クレマンティーヌ、私は国のために働くつもりなんて無いけど、貴族や王様が何をしてるかにも興味は無いよ。……とりあえず、話の邪魔だから先に宿へ戻っていてくれるかな」

 

「はーい。……『蒼の薔薇』のお嬢ちゃん、目の前の相手は王国なんかの手駒に収まるようなちっさい存在とは違うからね、諦めなよ」

 

「ちょっと、あなた――」

「ラキュース、後にした方がいい」

「人数が揃ってない」

「……いいわ。彼女の話はまたの機会にします」

 

 軽口を叩きながら出て行くクレマンティーヌをラキュースが咎めようとするが、仲間たちに止められてそのまま見送る。王国の貴族でもある以上、敵国の人間のクレマンティーヌに対し何か含むところがあったのかもしれない。

 エンリは自分の判断を悔やむ。『蒼の薔薇』のクレマンティーヌへの警戒心は思いの外強かったようだ。一人で帰すくらいなら全員で帰るべきだったかもしれない。

 

「あの、確か、冒険者組合は国などの利害関係から独立していたはずです。まだ組合に入ってひと月ほどしか経ってない『漆黒』が組合の方針と違うことをするのは難しいと思います。……ですよね?」

 

 ンフィーレアが助け舟を出してくれたが、それでも『蒼の薔薇』の視線がきつくなっているように感じる。

 

「――あ、はい。行動を完全に縛るわけではありませんが、仰る通りです。ここエ・ランテルでも、冒険者に国境はありません」

 

 促されて答えるのは、気軽に聞いた話で場の雰囲気が悪くなり、少し小さくなっていた受付嬢だ。

 

「そういうわけで、『漆黒』は王都には行きませんし、あなた方の手伝いもできません。よろしいですね」

 

 冒険者組合の原則を持ち出されては、『蒼の薔薇』もそれを受け入れるしかない。さすがはンフィーレアだ。

 

 王都行きという勝手な危惧を否定された受付嬢は、エンリの手を取り「イシュペンです。今後ともよろしく!」と名乗ってから満足した様子で去っていく。ぐいぐい踏み込んできそうな雰囲気で、本来なら今のエンリが苦手なタイプだが、理解者かもしれないとなれば顔を覚えておかざるを得ない。対応されるたびに過剰に怯えられ悪い噂が増えるような気がする、あのウィナとかいう女よりは遥かにマシだろうから。

 

 

 

 

「えっと、王都というのは王国の中心ですよね」

「え? まあ、そうなるね」

 

 何か考え事をしていたようなマーレが当たり前のことをンフィーレアに確認してから、『蒼の薔薇』に問いかける。

 

「あのっ、みなさんは『国堕とし』のことを知りませんか?」

 

 質問はマーレらしく唐突なものだが、問われた方の雰囲気がおかしい。『蒼の薔薇』の二人は目を見開き、仮面で顔の見えないもう一人も態度に動揺が表れている。

 マーレが興味を持っている『国堕とし』についてはエンリもンフィーレアと一緒の時に聞かれたが、ンフィーレアが言うには十三英雄の時代に国を滅ぼした伝説の吸血鬼のことらしい。魔術師組合でその存在を知り、それから詳しく調べてもらっているという話だ。

 

「な、何故わたっ、私たちにそのようなことを聞くのだ!」

 

「は、はい。魔術師組合で王国内に多く記録が残っていると聞いたので、その、王国の中心から来た人たちなら何か知っているかなって思ったんです」

 

 なぜか落ち着きのないイビルアイに対するマーレの答えに、『蒼の薔薇』から一斉に漏れるよくわからない溜息。ピリピリした関係の相手に、その場の誰も生まれてないような大昔の伝説のことを聞くというのは唐突すぎる。少しでも気が抜けて追及が緩めばいいのだが――。

 

「『国堕とし』とは遠い昔に滅びた吸血鬼だ。今の時代に興味を持っても仕方あるまい」

 

「で、でも、吸血鬼の主ってくらいだから、この世界の人間なんかが簡単に滅ぼせる相手とは思えないんです」

 

「……何故、そう考える」

 

「詳しいことは言えないんですが、『国堕とし』はぼくの仲間かもしれないので」

 

 多少の警戒はしているようだが、マーレが自分のことを話している。つまり、目の前の『蒼の薔薇』は大森林で出会った鎧ほど危険な相手ではないのだろう。

 

――クレマンティーヌの肩書を警戒するくらいだから当たり前か。

 

 そして、当然ながらその言葉は『蒼の薔薇』の二人に一笑に付される。

 そんな中、イビルアイだけは「二百年の間、歴史の表舞台に出てきていない『国堕とし』が生きているわけがない」「お前はせいぜい百歳いくかどうかだろう」などと真面目に相手をしていた。荒唐無稽な話にいちいち付き合うのが不思議だったが、話題が『国堕とし』や幾多の魔神を葬ったという十三英雄に移るとまるで自分のことのように誇らしげに語っていたので、イビルアイというのは英雄譚のようなものが大好きな人種なのだろう。

 

 

 

 その後は、食事から戻ってきたといってその場に加わったガガーランという厳つい戦士も交え、互いの敵意や距離感をはかるような他愛もない話が続いた。その中で出てきたのが意外な接点だ。エンリの真っ黒な服をきっかけに膨らんだ話は、マーレが『蒼の薔薇』の敵だった『陽光聖典』を倒したという所へ行き着く。

 

「真っ黒で誤解されやすいかもしれないけど……」

 

「それは大丈夫。黒とか暗黒が悪をあらわすとは限らない」

「……そういえば、その黒い魔剣とか闇のラキュースは大丈夫なのか?」

「闇のラキュース?」

 

 ティアに続いてガガーランが漏らした言葉は、イビルアイも初耳のようだ。ラキュースがびくりと震え、目を見開く。

 

「そ、そういうのは今はいいから! それより、私の剣だって真っ黒だけど別に大丈夫だし、色なんかで誤解はしないわ」

 

 エンリは、ラキュースのその声には焦りを、紅く染まった顔には隠し切れない怒りを見た。

 

――そうだ、邪悪な者に渡してはいけないって。

 

 エンリは指輪に触れながら思い出す。それはガゼフを介したとはいえ、英雄の意思だ。

 

 闇のラキュース。

 

 それはエンリの胸にストンと落ちてくる。正義の神官のような態度でありながら、最初からエンリを陥れるつもりとしか思えないような詰問を繰り返した『蒼の薔薇』のリーダー。エンリはその本質を理解したような気がした。今の焦り、そして怒りは、口の軽い仲間に秘密をばらされたことに対するものだろう。

 

 服に関連して、『陽光聖典』の話題が戻ってくる。確かガゼフの部隊と戦っていた者たちだったか――敵の敵を倒したからといって、味方とは限らない。それでも、このことは今日この場での決定的な対立を避けるきっかけにはなったようだ。『蒼の薔薇』がこの日仕事を終えて帰ったばかりのエンリたちを気遣う形で、一旦休んで明日また会うということで解放される。

 

「明日は、必ずクレマンティーヌさんと一緒に来てください」

 

 その言葉の意味は、バレアレ家に戻ってすぐに理解することになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『漆黒』は既に八本指の側の存在と考えてしまった方がいいのかしら」

 

「現時点では早計だな。単に素行が悪く半ば開き直っていて、さらに王国に友好的でないだけだ」

 

「その時点でもう――ティア、どうしたの?」

 

「どう考えてもあの五人が監視の目を盗んで街へ潜入できたとは思えない。様子を見に行きたい」

 

「確かに魔法では不可能だ。隠密行動の技術を持つようには見えなかったし、転移や不可視の魔法を使う者がいるにせよ、誰も網にかからないということはないはずだ」

 

「ティナの監視体制を潰されたかもしれないってことか!」

 

「行きましょう!」

 

 この後、冒険者組合に『蒼の薔薇』の全員が戻ったのは夜になってからのことだ。

 

 ティアとティナが交代で指揮していた監視網は、イビルアイの助言で魔法への対策も万全のはずだった。ミスリル級冒険者を雇って街の全ての入り口だけでなく城壁周囲からの転移者も漏らさないような体制だ。本来なら発見次第、監視者が交代で街で休憩するメンバーを回収し、全員が揃った状態で『漆黒』を迎えていたところだが、実際にはたった三人で迎えることになってしまった。

 それより痛手だったのは、失敗を想定していなかったため、冒険者たちに失敗を知られたことだ。この時、ティナの身を案じる余りその点の配慮を欠いてしまったのは『蒼の薔薇』らしからぬ失態だ。

 そして、『蒼の薔薇』は監視に失敗した理由を説明することができなかった。

 雇っていた冒険者たちは酷く動揺し、『蒼の薔薇』についたことを後悔して秘密にするよう頼んでくる始末で、今後は仕事の形でも協力を得ることは難しいだろう。そして、その話が広まれば、ただでさえ不便を強いている冒険者組合の閉鎖についても不満が強まってくるかもしれない。『蒼の薔薇』はアダマンタイト級とはいってもよそ者であり、厄介者として煙たがられる『血塗れの魔女』こと『漆黒』のエンリをどうにかできないのであれば、組合への強すぎる干渉を彼らが黙認し続ける理由もなくなってしまう。

 

 ただ、全員が揃っていたとしても、完全に戦いを覚悟して行動することは難しかったかもしれない。クレマンティーヌについてはイグヴァルジから強者だと聞いていたが、それが元漆黒聖典を名乗り、さらに実際にエンリに従っているところを見せられてしまうと、二人の想定難度を上方修正せざるをえない。

 現時点での想定難度は、元漆黒聖典のクレマンティーヌを肩書通りに九十から百と見ると、それを従えるエンリは百から百十くらいを想定しなければならない。そうなるとマーレは最高は百五十のままとしても最低ラインを百十以上に修正して考えるべきだろう。そこへ復活魔法まで使えるというスレイン法国の巫女姫も加わり、残るンフィーレアという少年もその生まれながらの異能(タレント)を求めてエンリが近づいたことから何らかの恐ろしいアイテムを行使してくる可能性が高い。総合力では上回るにせよ、正面からぶつかると『蒼の薔薇』の側にも少なからず犠牲が出る可能性が高い。

 

「国堕とし本人として責任を持って、少しカマをかけてくるとしようか」

 

 イビルアイがそう口にした時、『蒼の薔薇』のメンバーは『漆黒』を分断して対処する様々なパターンを考えていた。そのためには、最も強くそして依頼の対象であるマーレが邪悪なものかどうか、それが一番の問題となる。

 マーレが『国堕とし』に興味を持ち仲間かもしれないなどと言い出す理由はわからないが、『国堕とし』は多くの人々を殺し国を一つ滅ぼした邪悪な吸血鬼として伝えられている。イビルアイが初対面である以上仲間であるはずがないのだが、それに関わる部分について話を聞くことがマーレという存在を理解する上では最も近道なのは間違い無い。そして、依頼者のガゼフは敵対しないように言ってはいたが、それが人間の社会と相容れない存在であれば王国最強の冒険者チームとしてやる事は一つだ。

 

「正体など明かさないさ。場合によっては懲らしめたり情報を聞き出してこなければならないし、私だけなら万一の場合は転移魔法で逃げることもできる」

 

 冒険者として『蒼の薔薇』に所属するイビルアイは、実は伝説の吸血鬼王侯(ヴァンパイアロード)である『国堕とし』本人だ。ただ、特別なマジックアイテムの指輪によってアンデッドであることを魔法的にも隠蔽し、さらに仮面で顔を隠して若すぎるまま永遠に変わらないその姿を見せないようにしているため、そのことを知る者はごく少数の『蒼の薔薇』関係者だけだ。

 そのため、イビルアイは強い。その難度は百五十ほどで、他の仲間たちは九十以下だ。そこには『蒼の薔薇』の他のメンバー全てを相手に一人で戦っても勝利できるほどに圧倒的な差がある。だからといって、一人で危険を冒すことを仲間たちが認めるはずもないのだが――。

 

「チーム内では実力差は少ないものと考えるのが普通だ。我々もそう見られているだろう。しかし、『漆黒』の中には明らかに序列がある。マーレを私が大きく凌駕するなら勿論、たとえ互角に近かったとしても問題ない。その後は、あの漆黒聖典の女の鎧の件も含めて、こちらのペースで話ができるだろう」

 

 つまり、マーレが邪悪な者だった場合はイビルアイの実力の一端を見せることで、『蒼の薔薇』全員がイビルアイ並みの難度百五十近い集団であるように見做させるという発想だ。

 

 結局、他に妙案も無くイビルアイの考えが実行されることになったが、そこには走って逃げられる距離にティアとティナが潜み、短距離転移魔法で飛べる距離にラキュースとガガーランが控えるという修正が加えられた。


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