マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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●現状

 冒険者登録あり:エンリ(初登場 一話)
 冒険者登録なし:マーレ(初登場 一話)、風の巫女姫(捕獲 六話)、クレマンティーヌ(チョイ出 一一話/本格登場 一六話/捕獲 一七話)、ンフィーレア(初登場 一三話)
 魔獣登録あり:イビルアイ(初登場 二八話、捕獲 三一話 魔獣登録 三五話)

●前々回までのあらすじ

『蒼の薔薇』を討伐し、捕らえた吸血鬼イビルアイに轡をかませて魔獣登録した『漆黒』
戦いの際に死の宝珠に支配されていたエンリは宿へ訪れた『フォーサイト』に偽物、別人と疑われてしまう
『フォーサイト』は皇帝の命で『義の人クレマンティーヌ』を迎えに来ていた。
皇帝は看破する。「血塗れの魔女などいない。クレマンティーヌは正義の戦士」

●前回のあらすじ

強者の演技に疲れたエンリ、皇帝の体面を考えたンフィーレアはクレマンティーヌを『義の人』として帝国へ連れていくことを決意。
マーレも次の国での情報収集を望み、クレマンティーヌが戻らなければ帝都中枢を破壊して回収してくれる模様。
イグヴァルジがエンリの顔色を窺って買ってきた人間用の轡にクレマンティーヌもドン引き。「……うっわ」
『蒼の薔薇』から奪った装備を分配し、諸般の事情によりイグヴァルジに用意させた荷馬車で帝国へ出発する。






三九 イミーナの怒りとロクシーの心配

 『漆黒』と『フォーサイト』はエ・ランテルを出発して、バハルス帝国の帝都アーウィンタールへと向かう。

 

 宿屋での諸々で心の距離が開いた『フォーサイト』とは、早めに『義の人クレマンティーヌ』について話をしておかなければならない。彼らは現実を十分に理解しているようだが、帝都においては鮮血帝という絶対者のプライドはあらゆる現実に優先する。ンフィーレアは幾らか戦力になれそうな武器を手に入れはしたが、『漆黒』においての自身の役割はこういうことだと考えている。

 ンフィーレアは、ただのクレマンティーヌではなく『義の人クレマンティーヌ』を連れていくことに理解を求める。

 

「そんなわけで、まだ若い鮮血帝は威厳を保つことを替えの利くワーカーや冒険者よりは大切に考えていると思います。恥をかかせることになれば()()()不味いことになるでしょうから、うまく対応しましょう」

 最も不味いことになりそうなクレマンティーヌは、昨日の凱旋の時の笑顔からは見る影も無いような、げんなりとした表情だ。

 

「それは……騙しとおせますかね?」

「本人は、不満そう」

「皇帝陛下ともなれば、信用というものを大切にしてくれると思いたいですが……」

 

 ヘッケラン、アルシェ、そして御者台からロバーデイクが応える。そっぽを向いて話題に加わらないイミーナは、耳をジロジロ見るエンリの視線のせいか機嫌を損ねているようだ。エンリはマーレの話をする時、時々それが妖精族全体の問題のように話をしているようなところがあったが、この態度では何か偏見があるのかもしれない。後で話をしておくべきだろう。

 

 このことを彼らがそこまで深刻に考えていないのは、帝国では支配者側からもたらされる不条理が少ないからかもしれない。それは確かに鮮血帝の善政によるものかもしれないが、クレマンティーヌの情報ではその鮮血帝自身は結構強引な手段で貴族を取り潰したりしているらしい。ここは慎重を期すべきところだ。

 

「依頼人は別の貴族ということになっていましたよね。それは、王国や法国の横槍を含め、何かあった時に切り捨てるためだと思います」

 

「確かにそこだけはちょっと引っかかったが、元々俺たちは誰かに仕事の内容を保障してもらえる身分じゃないんでね。……とにかく、話はわかりました」

 

 ヘッケランがワーカーの立場を語りつつ、幾分白々しい笑顔を作って同意する。今回の仕事はそもそも『漆黒』の同意が無ければ進まない話で、それが互いのためになるのなら受け入れない理由は無い。演技が失敗したとしても、その頃には『フォーサイト』は報酬を手にして次の仕事へ向かっているだろう。

 それでも、『義の人』一行へ向けられる視線は微妙なものになる。土下座した冒険者(イグヴァルジ)が用意してくれた馬車の中では仕方のないことだ。

 

 街が見えなくなった辺りでンフィーレアは御者台へ近づき、ロバーデイクに交代を申し出る。遠慮されながらも今は互いに旅の仲間だということで押し切り、そんな会話のおかげで少しだけ空気が和やかになる。

 国境付近ともなると街道は次第に状態が悪くなり、御者台の上では木製の車輪からの振動と騒音がなかなかに大きくなる。今の白々しい雰囲気では会話など殆ど無いが、声も聞こえないほどで思ったより不快だ。良好な関係を保つため、この役目は『漆黒』の側も交代で受け持つべきだろう。

 

 

 半日ほど進んでから街道脇の小さな森をその場所に選び、ようやくイビルアイにも服を着せることになる。着せるのは簡単だが、拘束具の付け直しがあるので面倒だ。そして拘束具を全て外し、ミコヒメの予備として用意してあった外套を着せたところでその短さに気付くが、もはや後の祭り。このまま旅を続けるしかない。

 とはいえ、街道を歩いてみればそれほど気になるものでもない。本来この外套が想定するミコヒメとの体格差から生まれたひざ上二五センチの状態は外套としては短すぎるが、クレマンティーヌの恰好と並べればそれほど違和感のあるものでもない。普通に歩いている分には余計な所も見えないので良しとしておく。

 

 

 

 

 

 同行する『フォーサイト』の中で、エンリが注目していたのが人ならぬ耳を持つイミーナだ。前日は変装のせいか髪に覆われて分かり辛かったが、今日は髪を結んでいるために危険な種族の証である尖った耳がはっきりと見えている。

 そして、話題が途切れたところで恐る恐る見ていたエンリの視線に気づいたのか、苛立った雰囲気で近づいてくる。

 

「あのさ、何か言いたいことがあるんだったら言ってほしいんだけど」

「おい、イミーナ――」

 

「あ、耳……いえ、大丈夫です。なんていうか、そういうの大丈夫な人もいますよね」

 

 正面から苛立ちをぶつけられたエンリはイミーナから完全に目をそらし、ヘッケランに乾いた笑みを向ける。

 エルヤーの連れていた三人のような陰鬱な雰囲気とは違って、尖った耳もいくらか小さく見えるが、無闇に攻撃的な態度はやはり危険な種族であることを思い起こさせる。

 剣呑な雰囲気が漂ったところで、ヘッケランが間に入ってくれる。この戦士はチームのリーダーでありながら、危険な森妖精(エルフ)の責任も負っているようだ。同じように、三人も連れていたエルヤーも立派な体躯の剣士だった。やはり問題を起こしやすい妖精族の相手は体力のある人間がするべきなのだとエンリは思う。

 

「大丈夫というのは、どういう意味ですかね」

 

「はい、森妖精(エルフ)を連れていても世間体さえ気にしなければ大丈夫って聞いてますから」

 

 小声で問うヘッケランに対し、エンリは堂々と答える。元々、同じ帝都のワーカーから聞いたことだ。

 それに対し、何故かヘッケランの表情は硬くなる。

 

「彼女は半森妖精(ハーフエルフ)ですが、大切な仲間です。……世間体がどうこうと言われるようなことがあるんですかね」

 

「あ、いえ、問題が無いならいいことだと思います。前に森妖精(エルフ)を三人も連れている方と会ったのですが、あれは大変そうでしたから」

 

――本当は絡んできてる時点でかなり問題だと思うけど。なんか怖いし。

 

 しかし、エンリ自身もマーレが問題を起こさないよう完璧に対応できているわけではない。エンリは、格の違うエルヤーを基準に考えてはいけないと思い直す。

 

「三人連れてるって、それワーカーの男じゃないでしょうね!」

「おい、イミーナ――」

 

 ヘッケランを押しのけて睨みつけてくるイミーナの強い口調に、エンリは眉をひそめる。考えてみれば同じ帝都のワーカー同士、それもエルヤーほどの大人物となれば知られていない方がおかしいのかもしれない。

 

「知っていましたか。帝都でワーカーをしているエルヤーさんという方で、旅立ってすぐの頃にいろいろ教えてくれたんです」

 

「あなた、あんな最低男――あれ見て何か思わなかったの?」

 

「最低なんて何を言ってるんですか。紳士的ですごく立派な方でしたよ」

 

 エルヤーは自分の世間体さえ諦めて、危険な妖精族を三人も引き受けて頑張っている。そこには敬意を感じざるを得ない。さすがにマーレは規格外に思えるのでエンリの三倍とはいかないだろうが、あの三人の森妖精(エルフ)がエンリへ向けたおぞましい嫌悪の視線はいまだに忘れられないほどのもので、それを引き受け続けることの艱難辛苦(かんなんしんく)は想像するに余りある。

 

「三人の森妖精(エルフ)を見た上で、あのクズが立派とか、本気でそんなこと言ってるの?」

 

「ええ。エルヤーさんは体力だけだと謙遜していましたが、世間体を諦めてまで三人も連れているのは凄いです。度量があるというか、人間として大きいと思います」

 

「なぁっ……っく……」

 

 言葉が継げず目を白黒させて小さく震えるイミーナの肩を引いて、ヘッケランが顔を近づけてくる。何故か不穏な雰囲気だ。

 

「この話は、そろそろ止めにしませんか?」

 

「そうですね。普通は一人でもエルヤーさんのように上手くやっていくのは難しいですよね」

 

 そう言って、ヘッケランと情緒不安定な半森妖精(ハーフエルフ)を交互に見比べる。

 上を見てはきりが無い。マーレに苦労するエンリは、イミーナに苦労しているであろうヘッケランとは同じレベルで苦労を語り合えるだろうと思っていた。

 少し疲れたような微笑みを浮かべるエンリに向けて、雰囲気の割に太いヘッケランの腕が伸びる。

 

「おい、ふざけるなよ――」

 

 ヘッケランがエンリの法服の襟元を掴む。その目に宿る強い怒りの感情、その唐突さにエンリは面食らう。

 森妖精(エルフ)の血が流れるイミーナが無闇に険悪な雰囲気を作るのは仕方のないことで、それをきっかけにしてヘッケランと分かり合えれば良いと考えていたが、結果は正反対だ。

 

「何? 喧嘩だったら私がやりたいなー」

 

 クレマンティーヌの細い指がその腕を撫でるとヘッケランはびくりと震えて手を放し、その不穏に過ぎる雰囲気にあてられたのか剣の柄に手をかける。エンリの襟元を掴んだ瞬間は獰猛な肉食獣のようにも見えたヘッケランだが、今は狩人に追い詰められた小動物のように小さく見える。

 いつの間にか、小動物は四体だ。イミーナはもちろん、アルシェもロバーデイクも身構えている。しかし、彼らは武器に手をかけてさえいないクレマンティーヌと対峙しているだけで小さく震え、後ずさり、あるいは玉のような汗が浮く。戦いに不慣れなエンリの目から見ても、狩る側と狩られる側の違いは明らかだ。

 

「んふふ、いいよ、ほら抜きなよ。……エンリ様、こいつら全部もらっていいですか?」

 

「――クレマンティーヌ、彼らは仕事の依頼人で、あなたには『義の人』でいてもらうのがマーレと私との約束よね」

 

 エンリはクレマンティーヌを咎めるが、おかげで冷静になることができた。

 『フォーサイト』にとって、エルヤーの『天武』は同じ都市を本拠とするワーカーとして商売敵なのかもしれない。感情的なもつれもあるのだろうし、今後は話題にしない方が良いのだろう。それが不条理な感情でも、依頼人が不機嫌になる話題は避けるべきだ。

 

「……はーぁい。でも私は王都で喧嘩する方がいいんで、気が変わったらいつでも言ってくださいねー。ふふ、必要ならこいつらも掃除しますから」

 

「マーレも私も帝国へ行くつもりなんだけど、クレマンティーヌは私たちの邪魔をしたいの?」

 

「いえ、そうい――ヒッ、申し訳ございませんっ」

 

 その時、マーレがクレマンティーヌの方をじっと見ていた。その感情の抜け落ちた瞳には、覗き込むと不安に包まれる闇のようなものが漂う。

 クレマンティーヌはその場に跪き、がちゃりと鎖の音をさせてイビルアイも顔を背ける。かつてマーレに敗れた二人には、何か違ったものが見えているのだろう。

 

 エンリがその場を取り繕おうとヘッケランに向けて口を開きかけたところで、御者台にいたはずのンフィーレアが間に入ってくる。

 

「あの、仲間が失礼しました! 私たちは出身地もさまざまなので色々と常識が違うかもしれませんが、今回は実質的に皇帝陛下依頼の話ですから、()()()安全のためにもどうにか最後までお付き合いいただけないでしょうか。――エンリは荷馬車をお願い」

 

 ンフィーレアがエンリをその場からどかすように強引に肩を押してくる。それはンフィーレアにしては珍しく乱暴に力を入れているように見えながらも、この場に留まろうと思えばぴくりとも動かなくて済む程度の優しさのある押し方だ。

 当初、ンフィーレアはこんなに力が弱かったのかと驚いたが、これは演技に違いない。男のンフィーレアがエンリの腕力に遠く及ばないなどありえないことだ。エンリは演技の意図を察して、少し遅れてわざと押された方へ動いてみせる。一瞬ンフィーレアが驚いた顔を見せたのは、すぐに意図を汲むことができなかったからに違いない。

 この演技は『フォーサイト』への配慮なのだろう。エンリはその場をンフィーレアに任せ、跪くクレマンティーヌを起こしてから御者台に登る。鎖が引っかかってイビルアイの首が締まりかけたので、荷馬車の馬具の低い所へ繋いでおく。

 

「ふん、法国出身ならそうやって人間以外をいびってれば義の人で通用するんじゃない?」

 

 イミーナのそんな言葉を残して、全ての会話は荒れた街道と軋んだ車輪が生み出す騒音にかき消されていく。

 ンフィーレアと『フォーサイト』の四人の会話は続くが、不穏な空気はすぐに霧散する。

 

――雰囲気が和らいでいく……ンフィーって凄い。

 

 エンリはもう人前に出るのを止めて、全てをンフィーレアに任せてしまいたくなった。

 感じの悪かったハーフエルフのイミーナまで上手く扱っているところを見ると、ンフィーレアにもエルヤーのような才能があるのかもしれない。少なくとも、一緒に旅をしていながらハーフエルフを抑えられないどころか一緒になって喧嘩腰になってしまうヘッケランよりは、ずっと度量が大きくて立派なのは間違いないだろう。

 

 

 

 

 

 その後、野営の際にエンリは自分が法国出身者の移民だということを聞かされた。身に覚えは全く無いが、ンフィーレアの判断なら従うしかない。

 法国の田舎で育って王国の開拓村に移ったエンリ・エモットは、森妖精(エルフ)などについてよく知らず、強い偏見を持っていたということになったらしい。

 正直なところエンリは怖くて知りたくもないのだが、その場で少し森妖精(エルフ)について考えを聞かれて話をしたところ、ンフィーレアの側もその場で顔を押さえ、教えることを放棄した。やはり、口にするのも恐ろしい何かが色々とあるのだろう。エンリもマーレからその生態の一端を聞いた時は逃げ出したくなったほどだ。

 結局、ずっと警戒はしていてもいいから、目の前の森妖精(エルフ)やハーフエルフはとりあえず人間と同じように考えてそう扱うこと。それだけは守った方が良いというのがンフィーレアの考えだ。あのイミーナともある程度打ち解けることができたンフィーレアだけに、もしかしたらエルヤーのように苦労をした経験があるのかもしれない。

 実際、ンフィーレアは魔法も使えるし、薬師の使う薬草もよく危険な所に生えている。エンリの知らない所で冒険のようなことをしていたかもしれないし、そういう時に森妖精(エルフ)などを連れていてもおかしくはない。

 

――森妖精(エルフ)か……怖いだけじゃなくて、やっぱり苦手だ。

 

 人間に馴染まない危険な存在がンフィーレアにだけ打ち解けている姿を想像すると、エンリはさらに少しだけ森妖精(エルフ)が嫌いになった。

 

 

 なお、『フォーサイト』がこの仕事を投げ出さなかった理由としては、ンフィーレアの説得もあるが、皇帝の依頼という事が大きいらしい。『フォーサイト』が去った後で『漆黒』が単独で帝都に到着してクレマンティーヌが皇帝の下へ向かえば、仕事を投げ出した『フォーサイト』の評価は地に落ちることになるばかりか、皇帝を虚仮(こけ)にしたようにも見られるかもしれない。

 結局、彼らの側も関係の修復を望んでいたということだ。

 

――それなら、突然怒り出したりしなければいいのに。

 

 同じワーカーなのに随分な差――そんなことを考えたエンリは、『フォーサイト』がエルヤーの『天武』とライバル関係にあるという可能性にたどり着く。エンリが想像したのは、正しくは対等なライバル関係ではなく、ヘッケランの側がエルヤーを一方的にライバル視しているような関係だ。

 

――あんな人がかなうわけないし。……可哀想なことしちゃったかな。

 

 エンリは少しだけ反省した。そういう前提で思い返せば、『フォーサイト』の面々はエルヤーの名を出した時に良い顔をしていなかった。同じ帝都のワーカー同士でも、複雑な感情があるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――これは陛下、部屋をお間違えではありませんか?」

 

「私はお前の態度の方に間違いがあるような気がするのだがな」

 

 ジルクニフは不機嫌さを隠そうともせず、この部屋の主――ロクシーの方を見る。後宮の一室にそぐわない言葉を発したのは、その雰囲気からは後宮という場にそぐわないようにも見える飾り気の無い女だ。

 

「それでは、正しい態度のできる見目麗しい娘たちを二人でも三人でも妊娠させてあげてください。帝国の現在は昼の陛下にかかっていますが、未来は夜の陛下にかかっているのですよ」

 

「一日の半分をそればかりに費やすというわけにもいくまい」

 

 ロクシーは自身の栄達を望まず、ジルクニフの寵姫として後継を産むのではなく母替わりとして育てることを望むという稀有な存在だ。

 ジルクニフは後宮の中では知恵に優れている彼女との会話を好みもするが、何より彼女が育てることを望むという部分を高く評価している。後継者を権力闘争の道具とせず、粛々と教育できる人材は後宮では希少だ。その結果として、後宮にあるまじき会話を許すことにもなっている。

 

「国が落ち着き多忙でないうちに沢山作っていただかないといけません。……それで、お間違えでなければどういった御用ですか? 無駄うちしたくて来たとも思えませんが」

 

「うむ……実はな、前に話をした、あの黄金の姫と正反対のような女のことだが、あれが順調に帝都へ向かってきているのだ」

 

 黄金の姫とは、類稀なる美貌と深い叡智で知られるリ・エスティーゼ王国第三王女ラナー・ティエール・シャルドルン・ライル・ヴァイセルフのことをいう。そしてそれと正反対というのは――前にロクシーに話した時は「戦力になるならばまずは召し抱えれば」と軽く返された、義の人クレマンティーヌのことである。

 それをわざわざここで話題にするのは、ロクシーが常々、黄金の姫との縁談を勧めてくることへの反発のせいかもしれない。少なくともジルクニフはそう考えている。

 

「ブレインとかいう剣士もそうですが、戦力が増えるのならありがたいことですね」

 

「そ、そうだな。それで、クレマンティーヌの謁見では、お前も傍らに居てほしいのだが」

 

「私などでは華がありませんが、陛下がお命じになればいつでもお供致します。相手がお話のような女戦士ならば地味な私が控える方が質実剛健な皇帝として忠義を得られやすいかもしれませんね」

 

 そこには嫌味のようなニュアンスは無い。ロクシーは自身に寵姫としての価値を認めていない。

 

「飾りではなく、私とともにクレマンティーヌを見定めて欲しいのだ」

 

 ロクシーは小さく溜息をつく。

 

「……よほど気になっているのですね。あまり幻想を膨らませすぎると、また幻滅した時に立ち直るのが大変ですよ」

 

「じ、人物が気になるのだ。お前の言う通り、戦力として召し抱えるところからと考えている」

 

()()、ですか。それでよろしいとは思います。ただどうにも、黄金の姫が奴隷解放を打ち出してから陛下が彼女の本性に気付くまでの、あの時の落差を思い出すと心配になります」

 

「昔のことを掘り起こすな。臣下に失望するのも女に失望するのも、そう珍しいことではない。たいしたことでもない」

 

 ジルクニフは、当初より黄金の姫ラナーをひと時たりとも気にしたことが無いかと言われれば嘘になる。自身や実家の栄達のために媚びるばかりの後宮の女たちに囲まれていれば、少し違ったものに興味を持つのは自然なことだ。

 そして、才能は才能を求める。ラナーについて、理想のために邁進する年若く美しい賢人――そんな幻想が全く無かったわけではない。

 

 しかし、今やラナーはジルクニフの嫌いな女一位に君臨する存在となっている。無関心ではなく、はっきりと嫌いなのだ。

 当初ラナーに関心を持って色々と調べさせてみれば、彼女が理想を掲げるのは大抵のことが実現しないとわかった上でのこと。そうでありながら、予め人間を数字として考え割に合うものだけを選んでいる。そこにあるのは清廉さではなく白々しさと不気味さだ。ラナーの提案する施策を帝国が採用していることさえ、予め計算されているように思えてしまうような所もある。ジルクニフは賢い女も好むが、何を考えているかわからずそして手段を選ばないであろう王女ラナーとは関わり合いになりたくはない。

 

「そうでしょうか。平気なふうに装っていても、他の娘たちの所へ行く回数でわかるのですよ。跡継ぎが充実しなければそれは帝国の損失です」

 

「いや、だからな、今はそういう対象と考えるわけではないぞ」

 

 ジルクニフは話を戻す。本来ならラナーのことなど思い出したくもないのだ。

 

()()、ですね。もう陛下も慣れたでしょうから、次はもう少し早く立ち直ることを期待しておきます」

 

「立ち直るって、お前はクレマンティーヌについて何かわかっているのか?」

 

「いいえ、全く。強いて言えば、女の勘です。陛下の女運しか存じておりませんので」

 

 人類の生存領域で最も充実した後宮を持つバハルス帝国皇帝に吐くべき言葉とも思えないが、一度似たような事を言われた際にジルクニフが軽く咎めたら「私などの所へ幾度も現れる程度の女運と存じておりますが」などと切り返されたことがある。それ以来、言われるがままにしている部分だ。

 

「では、お前の知るものたちと比べてどうであるか見定めてもらうとしよう」

 

「かしこまりました。良い『臣下』が得られると良いですね。……それで、ご用件はそれだけですか?」

 

 ジルクニフが頷くと、ロクシーは満面の笑顔で皇帝を部屋から追い払う。

 

「それでは、とっとと跡継ぎを増やしてきてください。お相手はくれぐれも、まだ妊娠していない娘にしてくださいね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこは国境を帝国側へまたいで最初の街。『フォーサイト』は夜半まで宿の一室に集まって、翌日以降の行動を検討していた。

 

「俺も、アルシェの言っていたことがわかるような気がするんだ」

 

「……あのエンリが別人だということ?」

 

「ああ。詰め寄ったが全く怖さを感じなかった。戦士としてもそこまで実力があるとは思えない。直後のあのクレマンティーヌとは全然違う」

 

「あれは四人でかかっても無理ですね。それに比べて、エンリさんの方はちょっとわかりません。墓場での戦いを見る限りでは死霊系魔法に秀でているようですが」

 

「この目で見えないのだからそれも納得いかない。気がかりなので帝都に着く前に話を聞いておきたい。それとあのマーレという闇妖精(ダークエルフ)もわからない。信仰系だけど、それだけでもないような……」

 

 アルシェは魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)の位階を見抜ける生まれながらの異能を持っている。エンリが骨の竜(スケリトルドラゴン)を操って回復までしたような死霊系魔法はその多くが魔力系で、アルシェにとっては実力が見えるはずのものであるらしい。それが全く見えないというのだから、不安になるのも仕方がないのだろう。

 依頼に直接関係のある部分ではないが、仕事とはいえ得体の知れない相手を皇帝の下へ連れていくことに不安があるのは皆同じだ。少しでも相手のことをわかっておきたい。

 

「エンリは嫌。これ以上話したら憤死しそうだから私のいない所でやってよ。クレマンティーヌと話をする方がずっとマシ」

 

「そうだな、俺もそっちに回ろう。連れていって不味いようなら考えなきゃいけないしな。エンリの方はアルシェとロバーでそれとなく聞いてもらえばいいと思う。仕事自体はクレマンティーヌだけ居ればいいので、無理はしなくていい。マーレってのもどうも不気味な感じがする」

 

「エンリさんとクレマンティーヌさんがおかしなことをしなければ、今回の仕事は問題ない気がします。それでも藪をつついて蛇を出さないよう、詮索は最小限にした方がいいでしょう。彼女らは私たちよりよほど、何というか、ワーカー的です」

 

「そうだな。それと、ンフィーレアってのも居るが」

「旅の間、当り障りのない会話をしたければお勧めよね」

「情報は、まず出ない」

「いい人だとは思いますよ」

 

「そこは皆、同じ意見か。それじゃ、それを踏まえて明日は――」

 

 普通に考えれば、危ないと思えば報酬を受け取ってすぐに帝都から離れて身を隠せば良い。しかし、『フォーサイト』のアルシェには帝都に守るべき妹たちが居て、他の三人もそのことを知っている。事前の面接など仕事には含まれないが、連れていって何かあってからでは遅いのだ。

 

 

 

 

 

「昨日は何ていうか、すみませんね」

 

 ヘッケランはンフィーレアに御者を頼んだ後、先頭を行くクレマンティーヌに声をかけ、イミーナとともにその左右へ回る。エンリやマーレといった他のメンバーを間に挟んでいるため、もめた際のンフィーレアの仲裁は遅れるが、その分邪魔もされにくい位置関係だ。

 

「私はどっちでもいーよ。喧嘩売るなら殺すか痛めつけるかだけど、そうでないなら別にどうでも。『義の人』とか面倒だし、戦いたいっていうなら歓迎だけどねー」

 

「エンリはともかく、あなたと喧嘩する理由は無いわ。でも、あなたほどの人がどうしてエンリなんかに従ってるの?」

 

「んー、知りたい?」

 

「俺もそこは疑問かな。蒼の薔薇との戦いも見せてもらいましたが、どう見てもあんたの方が強そうだ」

 

「そーね。言いたいことはわかる。私もそう思って殺しに行って、あいつらに負けたから――」

 

 クレマンティーヌは、かつてエンリと敵対したことを明かす。

 

骨の竜(スケリトルドラゴン)にやられたの?」

 

「あれも二体も居たら勝てないけど、その時はあんなの出してこなかったよ。マーレ様にあっさり捕まって、つるんでた奴は殺された。私は利用価値もあったからエンリ様の指示で拷問されて、今は二人の奴隷みたいなものかな」

 

「奴隷……って、あなたが?」

 

「じゃなかったら『義の人』なんて鬱陶しい役割、受け入れるわけないって。まー拾った命を散らしたくなければ、あの二人の機嫌を損ねないことだね」

 

「エンリさんだけでなく、マーレさんもですか……」

 

 ヘッケランはイミーナとともに恐る恐る闇妖精(ダークエルフ)の方を見るが、そこにいるのは可憐な少女でしかない。目が合うと、少しおどおどとした様子で愛想笑いを浮かべ、すぐに目を逸らす。その向こうでは、アルシェとロバーデイクがエンリに話しかけるところだ。

 

――魔法を見たロバーが森司祭(ドルイド)だと言っていたし、クレマンティーヌが恐れるほどの強力な信仰系魔法詠唱者(マジック・キャスター)か。見た目に惑わされず、万一の時は真っ先に……。

 

 ヘッケランは蒼の薔薇を捕らえた魔法について聞いたことを思い出して警戒するが、実際にぶつかることを考えればクレマンティーヌ一人が相手でも壊滅する以外の未来が見えず、すぐに不穏な考えを収める。

 

「それにしても、ほんと面倒臭い。鮮血帝ってやつは何考えてんのかなー。帝国とかお先真っ暗なんじゃないの?」

 

「……それは同感ね。本拠地にしといて何だけど、帝国はあの皇帝の代で滅ぶんじゃないかしら」

「国が乱れれば俺たちの仕事は増える。悪いことばかりじゃないさ」

 

 クレマンティーヌには大いに不満があるようだが、これはしっかりと躾けられ太い首輪を付けられた猛獣のようなもので、ヘッケランは今回の依頼では問題は起こりそうにないと判断する。

 これを力と拷問で押さえつけているというエンリとマーレは底が知れないが、エンリの方を見ればアルシェとロバーデイクと話しながらも不穏な雰囲気は全く無い。前日のイミーナへの悪意溢れる言葉が嘘のように平穏だ。

 

――エルヤーの野郎みたいなものか。

 

 薄汚い欲望を持つ者でも、外面はそれなりに繕うものだ。エンリについてもエ・ランテルでは様々な噂があり、クレマンティーヌや吸血鬼の境遇を見ればその大半は真実のように見える。ンフィーレアは法国の田舎の出ゆえの偏見と言うが、素行を見ればそれだけではないのは明らかだ。

 せめてもの救いは、イミーナとクレマンティーヌが皇帝の悪口から少し打ち解けたことか。エンリとイミーナを離しておくのはそれほど難しいことではなくなりそうだ。

 イミーナはクレマンティーヌと話をしながら、ちらちらと闇妖精(ダークエルフ)の少女マーレの方を気にしていた。こちらがうまくいっているのでエンリたちの相手をするアルシェやロバーデイクが気になるが、エンリだけは視界に入れたくもないということなのだろう。

 ヘッケランが様子を見ると、そちらでは会話に荷馬車の上からンフィーレアが割って入り、御者をエンリに代わるところだった。さすがに帝国領内に入れば街道もよく整備されており、馬車の上からでも会話は聞こえるのだろう。

 

 

 

 次の宿では、互いに結果報告といったところだ。主にイミーナが奴隷同然の身だというクレマンティーヌの状況を話すと、アルシェとロバーデイクは戦慄する。クレマンティーヌが介入せずとも、ヘッケランがエンリの胸倉を掴んだ時点で『フォーサイト』は終わっていたかもしれないのだ。

 

 少し遅れてエンリとマーレに接触したアルシェとロバーデイクの方は、収穫無し。あちらとしてはクレマンティーヌを使って情報収集をするために今回の話に乗ったので、自分たちの実力については語る必要は無いということだ。あまり自分たちのことは話したくないらしい。

 

「魔法について踏み込んだ質問をしたところで、あのンフィーレアに遮られた。彼の方はそれほどの使い手ではない」

 

闇妖精(ダークエルフ)の少女には少し危険なものを感じました。聖印はありませんし、そもそも四大神を信仰する者とも思えません」

 

 ロバーデイクが感覚的な理由で他人を悪く言うのはとても珍しいことだ。

 

「そういえば伏し目がちで最初は気付かなかったけど、両の目の色が違ってた。あれは森妖精(エルフ)では王族の特徴と言われているものよ。あの子は闇妖精(ダークエルフ)だから何とも言えないけど、森妖精(エルフ)の国は法国と戦争しているし、その法国を裏切った実力者クレマンティーヌと一緒にいるのは何かあるのかもしれないわ」

 

「それが帝都で皇帝と接触するわけか。もしかしたら、何かわかっていて呼び寄せているのかもしれないな。……正直なところ、俺たちには手に負えない話だ。もう詮索もやめた方がいい」

 

「わかった。気になるけど、仕方ない」

 

「そういう繋がりもあるのなら、マジックアイテムか何かで力を隠すようなこともできるのかもしれませんね。問題を起こさず、帝都まで案内することに専念しましょう」

 

 この仕事は、既に後戻りが難しい段階にある。確かに仕事を請ける時はしっかりと情報を調べて可能なら裏を取ってリスクを全て掘り起こすべきだが、この段階にあっては見つけたリスクには近づかないという選択肢も忘れてはならない。

 元々は皇帝の下でトラブルを起こされるリスクを考えて慎重になっていたところもあるが、クレマンティーヌの話を聞いた今となっては、皇帝を怒らせるのも『漆黒』を怒らせるのも、結果は等しく最悪なものだと割り切れる。ならば、触れるべきではないものには触れないことこそ最善だ。

 




次は陛下もエルヤーも出したいです。

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