マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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●前々回までのあらすじ

『蒼の薔薇』を討伐し、捕らえた吸血鬼イビルアイに轡をかませて魔獣登録した『漆黒』
凱旋の後、宿へ訪れた『フォーサイト』は皇帝の命で『義の人クレマンティーヌ』を迎えに来ていた。
皇帝は看破する。「血塗れの魔女などいない。クレマンティーヌは正義の戦士」
演技に疲れたエンリ、皇帝の体面を考えたンフィーレアはクレマンティーヌを『義の人』として帝国へ連れていくことを決意。
『蒼の薔薇』から奪った装備を分配し、諸般の事情によりイグヴァルジに用意させた荷馬車で帝国へ出発する。

●前回のあらすじ

 エンリは恐ろしい妖精族を連れて苦労していそうなヘッケランに親近感を持つが、エルヤーを引き合いに苦労を語り合おうとしたらヘッケランとイミーナの怒りを買ってしまう。
 クレマンティーヌが喧嘩を引き継ごうとするが、その後のアルシェの追及も含め、ンフィーレアの対応で事なきを得る。
 イミーナがクレマンティーヌと少しだけ意気投合したことで、その奴隷同然の立場を知ってフォーサイトは危険を再認識する。

 ジルクニフはロクシーに謁見の同伴を申し付け、ラナーの件など昔のことをチクチク言われる



四〇 義の人、謁見する

「ここがどこであれ、大通りを真っ直ぐ歩いていけば大丈夫なんですがね」

 

 そんな適当な案内が許される唯一の街が、ここ帝都アーウィンタールだ。この街では、あらゆる大通りが行政機関や魔法学院など何らかの重要施設を経由して皇城へ繋がっている。多くの街が無秩序なスラムを抱える王国や、同格の幾つかの神殿を中心に分散型の街が出来上がることの多い法国とは異なり、一つの秩序に纏められた市街地の規模としては世界でも最大のものかもしれない。

 

 つまり、ただ歩いていればいい。依頼だけを考えればそういう状況だが、全員で皇城へ向かうというのはどうにも都合が悪い。薄情かもしれないが、演技をさせるのはクレマンティーヌ一人で十分だ。イビルアイを連れているので、なるべくそういう場所には行きたくない。

 そこで、クレマンティーヌが戻った時のために待ち合わせ場所が必要になる。

 

「城に行く前に、いったん適当な宿へ案内してください」

 

 見たことも無い帝都の賑わいにあてられて、エンリは茫然と周囲を見渡す。『フォーサイト』の誰かから宿の格などを問われても、普段使っている所でいいなどと適当に返す。田舎者と見られないよう時々表情を引き締めるよう心掛けてはいるが、どこまで効果があるかはわからない。

 

 

 

 大通りが交差する角に二人組の騎士の姿を認め、クレマンティーヌはフードを目深に被る。顔は割れていないはずだが、帝国で後ろ暗い仕事をしたことが無いわけではない。

 その角にそびえるのは、帝国最高級の宿。『漆黒』は警備兵の立つその入り口の前を素通りする。アダマンタイト級冒険者ともなれば本来ならこういう場所に泊まるものだが、この日の宿は『フォーサイト』の常宿でもある『歌う林檎亭』に決まっている。着衣とはいえ首輪を付けた吸血鬼を連れている状況では、慣れない高級宿への躊躇も大きくなる。脛に傷を持つものも少なくないワーカー御用達の宿を使うというのも悪い選択ではなさそうだ。

 

――ゆーうつ。宿にも皇城にもずっと着かなくていいのに。

 

 クレマンティーヌは大きく溜息をつく。戦争相手のエルフの集落へ潜入して百人殺して火をつけてこいと言われる方がまだ気が楽かもしれない。

 

「結局、鮮血帝の思い描いた通りにするわけですか」

 

「え、あ、うん。そうだったかな」

 

 クレマンティーヌが問うと、エンリはンフィーレアに何かを促すように目配せをする。

 

「そうなるね。対応に困ったら、皇帝の考えている通りの『真実』を隠そうとする義理堅さでも見せればいいと思う」

 

「はぁ。でも情報とか色々集めてるみたいだし、バレてたらどうすれば……」

 

「向こうからそういうことを言ってくれる場合は、皇帝に恥をかかせることにならないから普通にしていれば大丈夫じゃないかな。クレマンティーヌの実力を評価して呼んだみたいだし」

 

 ンフィーレアの励ましが逆に煩わしい。どうせ考え直すつもりは無いのだろうが――。

 

「相手は皇帝だし、クレマンティーヌで言葉遣いとか大丈夫かな」

 

 そんなエンリの言葉に、クレマンティーヌは乗っておきたい。全力で。

 

「確かに帝国の作法なんて全然わからないから、迷惑にならないように少し考え直して――」

 

「国外からも広く人材を求めるくらいだから、法国の偉い人と同じ扱いで大丈夫じゃないかな。クレマンティーヌは法国のエリートだったっていうし、僕らの中では一番慣れてるはずだよ」

 

「まあエリートってほどでもないね。ただ人間としては一番強いからそれなりの役目をもらってただけ。実は給料も安いし」

 

 確かに、ンフィーレアを相手にそういう身の上を話したこともあった。そして、ここでも無駄に乗せられて胸を張ってしまう。

 そして、すぐにそれを後悔する。

 

「それじゃ、失礼の無いようにね」

 

――軽く言ってくれる。

 

 実際は、皇帝相手の言葉遣いなど心もとないに決まっている。法国のお偉方は国民相手には権威ある風に振る舞ってはいるが、少なくとも漆黒聖典の隊員には極めて甘い。

 これは地位の高低の問題ではなく、組織や役職の権威などより人類の守護者としての戦力の方が優先される結果に過ぎない。お偉方が耳に心地よい言葉だけを聞いて過ごす価値は、クレマンティーヌの戦力としての価値を大きく下回っていたのだ。もちろん、調子に乗り過ぎれば人外の強さを誇る漆黒聖典の隊長の仕置きということにもなりかねず、たまに憎まれ口を叩いて呆れられる程度の穏やかな関係ではあったのだが。

 

 ともかく、クレマンティーヌは本物の礼儀作法など知らない。皇帝どころか貴族に通用するものも持たない。それが必要な潜伏任務など、当初から適性が認められるはずもなく訓練の経験さえない。よって、皇帝を相手にする自信は無い。まともに話をするより、やらかした後の人類屈指の逃げ足の方に自信があるくらいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宿は大通りからそれなりに賑わいのある通りを一本入った場所だが、目印に困るほどではない。宿からの道筋を簡単に確認した後、『フォーサイト』によってクレマンティーヌだけが皇城へ連れられる。

 約束は二つ。普通に戻れる場合は宿で待ち合わせで、だめならマーレによって「回収」される。「救出」ではないので、生死については考えない。それどころか、戻らなければマーレの魔法に巻き込まれ殺される可能性が高い。

 

 そして、そのまま皇城へ。

 

 『フォーサイト』に対する建前上の依頼人の「エイゼル家」とやらはどこへ行ったのかと思えば、クレマンティーヌ自身が「エイゼル家からの使者」という形になっていた。騎士に全ての武器を預け、狭い部屋で少々長く待たされた後は身体を調べられることも無く、驚くほどあっさりと謁見の場に通された。同行した『フォーサイト』は門前で約束の報酬をクレマンティーヌに渡し、別室で報酬を受け取るようだ。

 

 

 謁見は、儀礼的な謁見とは違った、皇帝が現れるには質素な空間で行われた。小都市の神殿程度に抑えられた天井高はこうした目的の空間としては低く、天井にはそれなりの装飾は施されているが内壁にバルコニーの設えも無い。強めの光量で<永続光>(コンテニュアル・ライト)を灯されたシャンデリアはクレマンティーヌの跳躍力なら容易に飛びつくこともできる高さだが、バルコニーも窓も無い状況では万一の場合の逃走ルートにもならない。

 この部屋を用いる意味は、垂らされた瀟洒な光沢のある布で左右の壁面が隠されていることで理解できる。布とシャンデリアでかろうじて数ある謁見の間の一つとしての体裁を整えているのだろうが、ただの装飾であろうはずもない。布のすぐ向こうに壁があるとは限らず、布の向こうからこちらを窺うことは可能となっているのだろう。いくらでも兵を伏せることが可能な内装だ。

 一国の皇帝がよそ者の強力な戦士に会うのだから、これくらいは当然のことだ。そして、いくら兵を伏せていようともクレマンティーヌには意味が無い。

 意味があるのは、皇帝とともに現れその横に控える帝国最高にして人類最高の魔法詠唱者(マジック・キャスター)フールーダ・パラダインだけだ。その存在がなければ、クレマンティーヌにとっては帝国四騎士さえ有象無象に過ぎない。この場に居るのはそのうち二人のようだが、フールーダの魔法に動きを封じられでもしない限りは問題にならない存在だ。盾を両手に持つ男さえ、皇帝の盾にすらならない。他に武装の無い女が一人いるが、雰囲気から女官長か侍女長といったところか。

 

 バハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、口を開けば驚くほど率直に「法国の非道な策略から人々を救った、義の人クレマンティーヌ」を褒め称える。実際に自分の耳で聞くと呆れの感情が強まるが、目の前の皇帝にその感情は似合わない。観察するうち、騙し続けるのは難しいのではないかと思えてくる。

 話がエンリから聞いていたカルネ村に留まらずエ・ランテルからも情報を得ていることがわかると、さすがにクレマンティーヌも違和感を感じざるを得ない。情報というのは、多人数で旅する者より早いものだ。『フォーサイト』が依頼を受けた時とは状況が違っているかもしれない。その部分を利用して試されているかもしれない。――様々な思考が脳裏を巡る。

 あわよくば面倒な演技をしなくても済むのではないかと考え、ここで皇帝の描くシナリオを軽く否定しておく。

 

「カルネ村を救ったのはエンリ・エモットであって、私ではありません」

 

 マーレの名前を出すことは許されない。これは拷問の直後より言われていることで『義の人』の演技よりも重要であり、クレマンティーヌにとっては絶対だ。

 

「それはお前たちの偽装であろう。王都での報告の不自然さからエ・ランテルを発つ直前のことまで、こちらは全てわかっているつもりだ」

 

「不自然とは、何を仰いますかと思えば……」

 

――こいつ、まだ気付いてないのかよ。

 

 クレマンティーヌは心の中で舌打ちする。『フォーサイト』に依頼した頃より情報が増えているようだが、それでも結論が変わっていない。

 

「調べはついているのだよ。強者というのはそう突然に現れるものではない。それも魔法詠唱者(マジック・キャスター)となれば――」

 

 皇帝の言葉は、『フォーサイト』から聞いていた通りのものだ。確信に満ちた表情が手に負えない。この場に他に知恵者を求めるならばとフールーダの方を見れば、皇帝の言葉に静かに頷いている。

 

「……何と言われましても、今の私はアダマンタイト級冒険者エンリ・エモットの従者のようなものです」

 

「くだらぬ筋書きだ。……私は、本音で話したいのだよ。誰かの従者などではなく、法国最強の漆黒聖典を裏切り出奔したクレマンティーヌその人と」

 

 クレマンティーヌは肩をびくりと震わせる。漆黒聖典での事が少しでもわかっているならば、『義の人』などという不条理な寸劇は終わりにしても良いのかもしれない。

 

「本音とは、いかなる意味でしょうか」

 

「本音は本音だ。私は、君が王国の者たちへの義理を果たすような下らぬ理由のみでここへ来たとは思っていない」

 

 クレマンティーヌの緊張が緩む。義理を「下らぬ理由」と見放す皇帝は、全てわかっていて茶番に付き合っていたということか。

 

――だったら早く言えっての!

 

「はぁ、本音ですか。義理が下らないと。ふふ、それなら義の人とか寝惚けたこと言ってたのは、馬鹿にでもしてたんですか? 皇帝陛下とはいっても、随分と悪ふざけが――」

 

「――そういう下手な演技はいい」

 

「下手な……演技……だと?」

 

 唖然とするクレマンティーヌ。人類社会の頂点の一つとして君臨する者の自信に満ち溢れた態度と言葉に、完全に呑まれてしまう。

 

「クレマンティーヌの高潔さはわかっている。そのことは、いかにエ・ランテルの凡愚どもと謀り、吸血鬼やその仲間どもに苛烈な扱いをしてみせようとも揺らぐことはない」

 

「……は?」

 

 表向きは厳しい扱いをしながら、死罪が相当である冒険者たちを追放のみで済ませた――そんな情報さえも、ここではクレマンティーヌの温情のように扱われる。

 

「――そもそも法国の非道な作戦を許すことができず、見も知らぬ他国の民衆を救うために自らの地位を捨てて国を出奔したのだろう。その覚悟は大したものだ。法国の聖典ともなれば出奔は命がけとなろう。その選択は、王国の奴らがいかに泥を塗り込めて隠し通そうとしても隠しきれない輝きを放っている」

 

――うわ駄目だこいつ、もうどうにもならない。頭痛い。

 

「そ、それはエンリ・エモットの成したことです」

 

「ああ、そういう事になっているのだったな。しかし、今はエ・ランテルでの戦いについても話は聞いている。想定より優れた魔法詠唱者(マジック・キャスター)ではあるようだが、『国堕とし』を抑えるほどの力はあるまい」

 

「しかし、現に『国堕とし』はあのように――」

 

「それを成し遂げる力となったのはクレマンティーヌ以外にありえんだろう。エンリとやらについては実はこちらも見くびっていた部分はあるのだが、死霊系魔法に秀でた王国の隠し玉だとしても単体で『国堕とし』を抑える力を持つはずがない。――だったかな。じい、説明してやってくれ」

 

「客人よ。エンリとやらは、探知防御を行っておる。それは、力を隠すに値する理由があるということだ――」

 

 多くの魔法詠唱者の教育にも携わっているらしいフールーダの説明は、戦士であるクレマンティーヌにとってもわかりやすいものだ。

 

 帝国最高の魔法詠唱者(マジック・キャスター)フールーダ・パラダインは、自らの力を探知防御で隠すことはない。その存在が魔法を用いた様々な諜報活動の抑止力となるからだ。

 これに対し、魔法詠唱者(マジック・キャスター)エンリは自らの力を探知防御で隠している。それは、抑止力となるほどの力を持たないことの証だという。

 帝国と違って王国が常に他国の諜報活動に晒されて丸裸になっているのは、クレマンティーヌでも知っていることだ。

 

 エンリが王国の中央と繋がりが無いというクレマンティーヌの主張は、鼻で笑われ軽く退けられる。魔法は独学で学べるものではないということは、法国でも幾度か耳にしていることだ。マーレとその背後に見え隠れする世界の危機について口にすることが許されない以上、クレマンティーヌの言葉がフールーダに届くことはあり得ない。逆に話を聞かされるうち、エンリが本人の言うような辺境の出身とは思えなくなってくる。

 

 説明が一巡する頃には、逆にクレマンティーヌの方が、そもそも正体がよくわからないエンリがどこかの王族か貴族の隠し玉的な存在だったのではないかと考えるに至っていた。イビルアイを蹂躙したのはマーレだが、エンリも相当な、少なくとも以前共闘したカジットに匹敵する高位の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。話や態度から窺えるように王国出身者であるなら、王族や貴族と何らかの繋がりが無い方がおかしい。逆に冒険者やワーカーとして鍛えたことを想定するには、あまりにものを知らない部分が目立つからだ。

 

 

 そして、フールーダに代わりジルクニフが口を開けば、その関心はクレマンティーヌ本人へと向かう。

 

「義理堅いのは悪いことではないが、別にエンリとやらに個人的な忠義を尽くしているというわけでもあるまい」

 

「…………」

 

――臓腑(ぞうふ)を捧げる程度の忠義なら、とでも言ってやろうかな。

 

「もし王国に何か弱味を握られているとか、問題があるのなら帝国として協力することもできる。法国の追手から守るにしても、こちらの方が安全だろう。ここで聞きたいのはそういう部分の本音だ」

 

「いえ、弱味などは……」

 

 クレマンティーヌは、マーレの名を出せないことで身動きがとれなくなっている。

 

 マーレには命も身体の中身も握られているも同然だが、王国に弱味は無い。本来なら、従う理由さえ無い。義理だ何だと、相手の側がおめでたい考え方を想定してくれなければ演技の方針さえ定まらない状態だ。

 

 しかし、続く言葉でクレマンティーヌは身構える。

 

「こちらも、別に法国に売ろうとか脅そうとか、そういうつもりではないのだ」

 

 帝国が法国の側に立てば、クレマンティーヌにとって不味いことになる。四騎士や数百の衛兵などものともしないが、フールーダ・パラダインだけは未知数だ。

 

「――法国を出奔するきっかけとなった行為は尊いものだ。それに際して王国の一部と繋がりができたことは承知している。しかし、王国の民は圧政にあえいでいる。一握りを救ったとしても、何も変わらないのが現状だ。帝国の力を以てするほか、有効な手はあるまい。法国の中枢にあったならば、少しは世界の情勢も聞いていよう」

 

 ジルクニフは『義の人クレマンティーヌ』に語り掛ける。王国の民を圧政から解放する役割は、法国のお偉方が帝国に期待していたものだ。

 皇帝の目的は、クレマンティーヌを召し抱えることだ。これは招かれる理由として想定できないでは無かったが、皇帝という身分の人間から直接に誘われるとなると、それが明らかに間違った前提からの判断でも悪い気はしない。法国の追手も、帝国の中枢までは届かないかもしれない。

 しかし、『義の人』を装って働くなど鳥肌もので、到底長く持つものではない。そして、マーレに無断で縁を切ろうとすれば、そもそも帝国自体が消えてなくなる可能性さえある。

 

「理由はどうあれ、私は一度スレイン法国を裏切った身です。その、今さら表舞台に出るわけには……」

 

「法国を抜けたのはお前だけではないぞ。法国は髪の長い若い男と、その男が持っていたという神器の槍を血眼になって探しているそうじゃないか。時期的に大災害にでも乗じて出奔したのだろう。いずれこの者も探し出し、我が帝国へ――どうした?」

 

「髪の長い男に、神器の槍……それは確かな情報なのでしょうか」

 

「大災害から行方が知れず、奴らが血眼になって探しているのは事実だ。……何か、知っているのか?」

 

 クレマンティーヌの顔から自然と笑みがこぼれる。

 法国が帝国に察知されるほど露骨に、そして必死に探すその男は、間違いなく漆黒聖典の隊長だ。そして、隊長が出奔など考えられない。通常なら情報が洩れるのもおかしい。

 マーレから聞いた話と現状をあわせて考えれば、既に隊長の命は無いということになる。蘇生の成功率を考えれば、情報漏れなど構うことなくなりふり構わず死体や神器を探さなければいけない状況なのだろう。

 

「いえ、その男が法国にあるのでなければ、私も逃げ隠れせずに済むかもしれないというだけです」

 

「では、我が帝国の力となってもらえるか」

 

――しまった!

 

 最強の番外席次が残るとはいえ、それがクレマンティーヌ程度のために国外へ出てくることは考えにくい。元々隊長程度でマーレがどうにかなるとは全く思っていないが、自分の力ではどうにもならない相手だ。実際に身の危険を意識せずに済むとわかった解放感で、余計なことを口にしてしまった。 

 ただ、相手の目的がわかれば、それを棚上げすれば良いだけだ。

 

「私は、王国で出会った者たちと行動をともにしていますが、それは個人的な恩義によるものです。そして今、世界の情勢が大きく狂わせるような存在の出現が予言されており、今はその者たちとともにその予兆などを調べています。それが判明し、私のなすべきことが終われば、法国に戻ることはできませんので、いずれかに仕官させていただくこともあろうかと思います」

 

 アインズ・ウール・ゴウンのことを直接伝えるわけにはいかないが、ちょうど法国での破滅の竜王の預言があり、こちらの機密は守る必要もない。それはマーレのことか魔樹のことか、あるいは森で巨大爆発を起こした鎧のことかもしれないが、マーレの言うアインズ・ウール・ゴウンのことを指している可能性も無いわけではないだろう。

 

「ふむ、我が帝国は盤石だが、周辺には色々とある。軽々にこの場で語るより正確な状況を纏めさせよう。食事でもしながら少し待っていれば揃うだろう」

 

――少し待っていればって……普通そういうの後日じゃないの?

 

 ジルクニフはロウネという秘書官を呼びつけると、周辺諸地域について最近の情報を纏めるよう指示を出す。絶対者一人の意思決定は速い。この迅速な行動力が帝国の強みなのだろう。

 

 

 

 

 

 クレマンティーヌは謁見のみならず、会食まで逃れることができなかった。皇帝とフールーダ。そして謁見の間では品の良い侍女に見えた女が会食の装いで現れたため、あれは地味な寵姫なのだろう。そこへ会食から新たに現れるのは、以前に見た顔。

 

 謁見だけで終わりたかった。作法に無礼があってはと身を退こうとすれば、より無作法な者も同席させるから問題ないとして現れたのがこの男、ブレイン・アングラウスだ。今は皇帝に仕えているらしい。フールーダ・パラダインとブレイン・アングラウスが揃ったことで、この場からの逃亡さえもほぼ不可能となる。

 

 帝国に仕えなくてもいいから試合だけはしたいなどと無邪気なことを言うブレインは、綺麗に髭を剃られてしまって外見は幾らか貧相にも見えるが、身の運びや雰囲気などはやはり油断ならないものがある。

 ブレイン・アングラウスは熱烈に再戦を望んでいる。その熱意が情報の形を成して、皇帝にも伝わっていたようだ。

 

――『漆黒』が私でもっているとか、余計なことを吹き込んだのはこいつか。殺しておけばよかった。

 

 ブレインとの戦いとその言い分を前提に考えれば、皇帝の不思議な理解にも納得はできる。盗賊団を相手にクレマンティーヌだけが殺しを愉しんだ報いは決して小さくはなかったのかもしれない。

 

 秘書官ロウネ・ヴァミリオンによって、会食の途中で持ち込まれた情報は二つ。

 一つは帝国西方の大森林北部で亜人の勢力分布が激変してゴブリンなどが辺境の村へ押し出されて来ることが増えたことで、大森林ではこれまで見られなかったトードマンの生活圏が確認されたらしい。これに関連して大森林と接する山脈の南端辺りで火山のような爆発を辺境の村より観測したという情報もある。これらの原因に心当たりのあるクレマンティーヌはこの件について詳しく聞く必要を感じない。

 もう一つは、南東の竜王国がビーストマンの大侵攻に晒され危機に瀕していることだ。これもマーレによって陽光聖典が壊滅し、漆黒聖典も隊長と互角の魔獣を送り込まれたことで神都に張り付いているであろう状況では当然のことのように思われた。

 しかし、その侵攻の頻度と規模は法国に居た頃に耳にした状況と比較にならないほどで、たとえ陽光聖典が健在でも持続的に守り続けるのは困難極まる状況となっている。ビーストマンの国で何かが起こっている可能性も否定できず、マーレが興味を持ちそうな内容に思える。

 

「放っておけば、竜王国は間違いなく数年中に滅びるだろう」

 

 これに対しては帝国も援軍を前提に近々強行偵察部隊を送るという。既に帝国の客人扱いであることを前提に、もし危険なカッツェ平野を渡るならこれに同行するよう勧められるが、今さら法国の代わりに亜人撃退など柄でもない。

 

「……何か?」

 

「いえ、何もありません」

 

 クレマンティーヌはこのことを報告するかどうかを迷い、黙っていようと決めたところだ。相手から見ても、何か顔に出ていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 そんな話が一段落したところで、鐘の音が聞こえてくる。

 

 漆黒聖典から出奔して以来、気にしたこともない時の鐘。それがあと二つで、この場は終わりだ。クレマンティーヌが戻らなければ、マーレは必ず回収に来る。

 それはおそらく、バハルス帝国の終わりの始まりをも意味する。心配しなくとも、クレマンティーヌには長く虜囚となることも、仕えることを強いられ屈服することもありえないのだ。

 しかし、それを待つわけにはいかない。目立ちたくないマーレは、帝城を破壊し全てを更地とした上で、死体となったクレマンティーヌを回収するつもりでいる。マーレやエンリにとってはクレマンティーヌの死亡による弱体化など誤差の範囲かもしれないが、クレマンティーヌにとってはそうではない。今さら痛みや死そのものを恐れるような感情は薄れているが、戦いの力が衰えることだけは許容できない。蘇生があるからといって、ただ死体として回収されるのを待つわけにはいかない。

 

 義理を通すために一度戻ると言えば、伴をつけてエンリともども招待したいという。フールーダも一応自分の目でエンリや吸血鬼を確認したいと言い、その護衛をブレインが務めるとなれば、さすがのクレマンティーヌも完全に身動きが取れなくなる。それでも紹介は難しいと言えば、帝国の使者として赴くので道案内のみで構わないと返される。おそらく帝国における個人戦力最上位である二人が使者などというふざけた話は、この国では絶対者の意思が絶対であることをよく示している。

 

 マーレとエンリ。そして、フールーダとブレイン。進退窮まったクレマンティーヌの選択は――。

 

――こんなの、自分でどうにかしようってのが間違いなんだろうね。

 

 この日、バハルス帝国は何ごとも無くその命脈を繋ぎ、クレマンティーヌは生きて宿へ戻ることになる。但し、それはフールーダとブレインを伴ってのことだ。

 エンリやマーレは良い顔をしないかもしれないが、その場で命を奪われるほどではないだろう。後でフールーダ・パラダインに情報収集を依頼したいような話もあったので、それも視野に入れた行動だということにすれば良い。それがこの日のクレマンティーヌの選択だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『フォーサイト』! あなたがたは仕事を終えたのですか!」

 

 ヘッケランを呼び止めるのは、涼やかな響きを残しながらも焦燥に満ちた声だ。

 声でわかるほどの相手ではないが、隣のイミーナの露骨な舌打ちでその正体を知り、振り返る。

 

「『天武』か。少し待たされたが、それなりにいい仕事だったぜ」

 

 声をかけてきたのは、『天武』のエルヤー・ウズルス。帝都の闘技場でも不敗の天才剣士だが、そのチームは彼と彼が所有する三人の森妖精(エルフ)奴隷だけという歪な構成だ。

 エルヤーは三人の妙齢の森妖精(エルフ)の女を時には気まぐれに殴り、遺跡に潜れば罠除けの囮にし、夜には欲望のはけ口として使うような男だ。当然ながら、半森妖精(ハーフエルフ)のイミーナを含む『フォーサイト』との相性はすこぶる悪い。イミーナはこの男を猛烈に嫌っている。

 ヘッケランとしても仲良くしたい相手ではないが、それでも冒険者全般に忌避されがちなワーカーとして同業者との情報交換は必要になる。最低限の言葉は交わさざるを得ない。

 

「それで『漆黒』は、エンリ・エモットはどこですか! 吸血鬼を連れているというのは本当ですか!?」

 

「吸血鬼まで聞いてるなんて耳が早いな。不敗の天才剣士と言われるあんたが興味を持つってことは、勝負でも挑むのかい?」

 

 仕事で関わったばかりの『漆黒』に関わることなら、ヘッケランも念のため知っておきたい。

 

「とんでもない。あれは私の運命の人です。吸血鬼の件が事実でも、狙われているのでお助けしなければならない!」

 

「は? 運命? 狙われてる?」

 

 何かとんでもない言葉を聞いたような気がするが――。

 

「場所を教えてください。早く! 私は襲撃者から彼女を守りたいのです!」

 

 普通ならエルヤーも襲撃者の仲間である可能性を考えるところだが、この男はプライドだけはやたらと高い。こういう卑屈なやり方で情報を聞き出すことはなさそうだ。

 『漆黒』はすぐには帝都を発たないはずで、宿を替える理由も無いだろう。どうせエルヤーも宿へ戻ればわかることだが、判断に迷ったヘッケランは仲間たちと顔を見合わせる。すぐに全員の視線がイミーナに集まる。

 

「気を遣わなくていいわ。仕事で関わったし、後で私たちが手引きしたみたいに難癖付けられても困るからね。あれのために戦うとかはごめんだけど、案内して危険を知らせるくらいはいいんじゃない?」

「確かに、あの宿へ案内した私たちを疑われたら面倒」

「むしろ襲撃者の方が心配です」

 

 すぐに方針が決まる。冒険者から見たワーカーのイメージも悪く、宿を勧めたことで疑われたり、争いに巻き込まれてはたまらない。

 

「移動してなければ場所は『歌う林檎亭』、俺たちの宿だ。狙ってるのは誰かわかるか?」

 

「主力は名高い暗殺者集団イジャニーヤの手の者が十以上。もしかしたら他にもワーカーが雇われているかもしれません」

 

「おいおい、そいつをわかってるってことはお前も――」

 

「察しがいいですね。私も依頼を受けてから、ターゲットをエンリ・エモットが連れていることを知りました。おかげで彼女を守ることができます」

 

「……いいか、襲撃なんて話、俺たちは聞いてない。お前の惚気(のろけ)を聞かされて仕方なく教えただけだ。わかったな」

 

「構いません。もしもの時は私一人で十分です。余裕があったら彼女に逃げ道だけ示してもらえると助かります」

 

「一人で十分とは、なかなか言うね」

 

「惚れた女の一人も守れないで、最強の剣士は名乗れませんよ」

 

 不遜でありながらも、真摯さも垣間見える。目の前の男がエルヤーであることを忘れてしまえば好感さえ感じてしまいそうだ。

 しかし、後ろからついてくる陰気な雰囲気の三人は、エルヤーの欲望のはけ口である森妖精(エルフ)の女奴隷だ。奴隷の証として半ばで断ち切られた耳はその身分を一目瞭然のものとする。妙齢の女奴隷ばかりを連れていれば『フォーサイト』でなくてもそういう目で見るのが普通だ。

 

――これを連れていながら、惚れた女などと言われてもな。

 

「おいおい、後ろの連中はどうするんだ?」

 

「問題ありません。何しろ、エンリ・エモットも私と同じ側の人間ですから」

 

 思わずイミーナと顔を見合わせる。この時イミーナが見せた全ての感情が抜け落ちたような表情は、およそ他人の色恋話を聞いた者のものとは思えない。そして、おそらくヘッケランの表情も大差ないのだろう。互いに言葉が出てこなかった。

 

――なんとなく、わかってはいたがね。

 

 エンリとのトラブルや『漆黒』の面々についての疑問や違和感が、エルヤーの言葉一つで打ち払われた。

 それでもヘッケランは、『フォーサイト』はエルヤーとともに『歌う林檎亭』へ向かう。

 

――襲撃者の仲間ではないことを示すだけ、それだけだ。

 


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