マーレひとりでできるかな   作:桃色は赤と白で出来ている

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●死の宝珠による憑依の仕様について

カジっちゃんのストイックな暮らしでは判別しにくい所に、ささやかな独自設定を加えています。







四六 大渓谷の戦い、そして――

 東の大渓谷は、バハルス帝国からの援軍に竜王国の正規軍を加えてもなお、守りに有利とは言い難い場所だった。確かに切り立った岩山の崖によって閉ざされた領域であって敵の侵攻ルートは限定されるが、左右の岩山の間は広い所で数キロ、狭い所でも数百メートルから一キロ程もある広大な渓谷では、砦を築いて守ることも難しい。

 非情ではあるが、帝国軍は竜王国のために存在しているわけではない。大渓谷の中でも比較的見晴らしが良く、いざという時に速やかに撤退できる場所へ陣取ることを決め、竜王国軍側にもそこで時機を見極めるという方針を伝えた。

 これに対し、竜王国軍の主力も同様の配置を取る。こちらも敵の規模を見極めるのが目的だが、その後は普通に戦うか、指定された防衛線まで下がって肉の盾として時間を稼ぐかという二択でしかない。

 他方、工兵隊と思しき部隊は二手に分かれ、主力は陣地の守りを固めつつ、一部は大渓谷でも少し後方、防衛線を少し越えた辺りの広い場所へ薪を集めるなど大規模な範囲で野営の準備をしていた。

 

 それを見た名目上の指揮官クレマンティーヌは、自分の代わりに竜王国軍との作戦会議に参加もしている名目上の副官に対し疑問の声をあげる。昨日はマーレのために充分に働いたつもりなので、帝国軍のお飾りとしてのその手の仕事はこの副官に任せているのだ。

 副官にはマーレと密約を結んだフールーダの息もかかっているので、帝国軍の中では目の前でだらけることも本音を言うことも許される唯一の相手でもある。

 

「あれ、ずいぶんな場所で準備してるけど、夜はあんな後方へ下がっちゃうの? なんだか広くて守りにくそう」

 

「いえ、あの場所は使いません。防衛線が早期に瓦解した場合、時間を稼ぐため何割かがあのあたりで焼かれて喰われるところまでが彼らの作戦だそうです」

 

 言われてみれば、肉食のビーストマンにあわせたのか、用意された薪の量はやたらと多めだった。

 

「うげ。適当に逃げればいーのに」

 

「私もそう思います。彼らの凄惨なまでの覚悟に、我々の側は皆、驚きを隠せておりません」

 

 どうせ生贄になるので逃げ場など無いとわかってはいるクレマンティーヌと、そのことを知らない副官では温度差が大きい。もちろん、わざわざ教えてやる必要もないことだ。

 帝国軍としても、防衛線さえ維持できれば切り札が使えるという程度の話は聞いているようで、撤退するにしても一応後方からそれを見届けておこうという考えになっているらしい。

 

「どうでもいーけど、私はあんたらがそれに驚けるくらいのマトモな人間で安心したよ」

 

 将来的に帝国への仕官も視野に入れているクレマンティーヌにとって、法国上層部のような滅私奉公の忠誠心を持つ者は邪魔でしかない。帝国騎士たちが思っていたより現実的な考え方を持つことには幾らか好意的な目を向けるようになっている。

 

――これで皇帝も現実見えてたら良かったんだけどなー。

 

 現実的な人間というのは他人を利で動かすので、余計な干渉が少なくなる。クレマンティーヌにはクレマンティーヌの楽しみがあり、それは国家にとって無益な人間の血を少々余計に流すだけで簡単に得られる程度のものだ。決して多くはない給金にも特に不満は無かったので、そういう部分での自由を与えてもらえていれば法国を裏切ることなど無かったかもしれない。任務はしっかりこなしていたのだから、少しの遊びくらいはお目こぼししてくれても良いと思うのだ。

 その点、風通しが良く、国家への忠誠心より雇用条件で繋ぎ止められている帝国騎士団の組織は合格だ。あとは皇帝ジルクニフさえ現実を見てくれたら完璧なのだが――。

 クレマンティーヌは聖女のような服のヒラヒラをつまみあげて、大きな溜息をついた。

 白き聖女――今のところ、これが皇帝ジルクニフの、そしてバハルス帝国におけるクレマンティーヌの現実だ。

 

 

 

 

 

 人間の軍が陣地の構築を終える頃、帝国軍のざわめきとともに骨の竜(スケリトル・ドラゴン)で近づいてきた『漆黒』、はクレマンティーヌと一時合流する。カッツェ平野で既に見ているとはいえ、周辺の帝国軍は動揺を隠せない。

 

「色々考えましたが、ここは手早く片付けることにします」

 

「足手まといはここへ置いていく。一応戦場だからな、クレマンティーヌが面倒を見ておけ」

 

「は、はいっ!」

 

 珍しく自ら事を起こそうとするマーレとただならぬ雰囲気を纏うエンリ(死の宝珠)を前に、クレマンティーヌは周囲の目も忘れて思わず(ひざまず)いてしまう。

 ここで骨の竜(スケリトル・ドラゴン)から降ろされたのは、ンフィーレアに巫女姫、そしてイビルアイだ。クレマンティーヌは細めのものに替えられているイビルアイの鎖を躊躇なく受け取る。

 一連の流れに頭を痛めるのはンフィーレアただ一人だが、唯一まともに意思が伝わりそうなクレマンティーヌに目で合図しても全く目が合わないとなれば、頭を抱えて諦めるしかない。かつてンフィーレアの言うことを素直に聞いて演技指導をされていたエンリ(死の宝珠)の方も、今回はマーレからそういう命令を受けていないので知ったことではないのだ。

 

 

 色々と諦めたンフィーレアは遠い目になって、エンリ(死の宝珠)に演技指導をした時の思い出に浸ることにした。

 あの時のエンリ(死の宝珠)は元のエンリ以上に世間を知らないというか、年頃の少女としてはやたらと無防備に見える場面が多く、それと死の宝珠(中のひと)自身の危険な雰囲気とのギャップがンフィーレアには刺激的だった。

 演技指導の時は追い詰められていたので必死だったが、危機が去ってしまうと、その時のことを宿のベッドの中などで思い出すようになっていた。もちろん、元のエンリへの強い想いがあってこその感覚なのだが、それを裏切るかのような背徳感もそういう感覚を大きく後押ししていた。

 

 そんな時、前衛の竜王国軍、そして周囲の帝国軍へとどよめきが広がり、別の動揺が伝染する。

 見れば、大渓谷の薄い霧が晴れ、地平の辺りにビーストマンの大軍勢が姿を現している。軍勢は数百メートルから二キロにも及ぶ大渓谷の端から端までを埋め尽くし、その奥行きも決して薄いものではない。

 

 この動揺を切り裂くのは、上空から全軍へと向けられ、一帯に鋭く響き渡るエンリ(死の宝珠)の声だ。

 

「静まれぇっ!! 多いというなら我らが間引いてやろう。愚かな獣どもと一緒に死にたくなければ、ここで震えて見ているがよい」

 

 そして、二体の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)に乗ったエンリ(死の宝珠)とマーレは敵軍へ真っ直ぐ向かっていく。相変わらず表に立たされるのはエンリ(死の宝珠)だが、やる気になっているのはマーレなのだろう。その理由が竜王国を助けたいというより、巨大爆発をここで使わせたくないからであるように見えるのが気になるが――。

 ンフィーレアは、黒衣を翻して飛び去っていくエンリ(死の宝珠)の後ろ姿をただ凝視する。

 残念ながら、この状況ではできることはそれだけだ。露出度が皆無に近い黒衣でも、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)に乗っていると歩いたり馬上にいる時とは違った形で身体のラインが浮き出るということがわかってきている。

 

「あんな数だけど、やっちゃう気なのかなー」

 

「…………森でのあれが一度きりじゃないのなら、そのつもりだろうね」

 

 しっかりと最後まで見送ってから、クレマンティーヌの言葉に答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前方には、見渡す限りのビーストマンの大軍勢。それは、上空の魔獣の視野を借りても同じことだ。

 アウラの鋭敏な感覚は、そんな大軍勢のほぼ全域を把握していた。遥か前方の本隊から自らの周辺の後詰めまで、地を埋め尽くす無数のビーストマンのうち使役対象となっている何割かに広く浅く及んでいるのだ。

 

 基本的に未使役状態の部隊は前を行く本隊に送り込み、ナザリックのしもべが視野に入ってしまう後詰めやそれに近い領域に完全に支配した部隊を配置している。それらが散らばる領域はレベル百のアウラが誇る圧倒的な索敵能力をも上回り、前衛が実際に接敵するまで交戦状態がわからないような状況になっていたが、そもそもこの行軍は勝利ではなく交戦自体が目的なので問題はない。少なくともプレイヤーのような強大な存在が現れた時、ナザリックの存在に危険が及ぶ前に知ることができればよいのだから。

 

「モモンガ様の真意か……あたしも、できることを頑張ろう」

 

 デミウルゴスは、モモンガの真意を考え、『ザ・ダークウォリアー』としての竜王国での準備を活かすことまで視野に入れてビーストマンの首都での作戦を組み立てていた。この行軍についてモモンガより作戦続行を任せられてもいる。アウラはそんなデミウルゴスが羨ましいが、今はその行軍を支える重要な任務をやりきることが大切だと考えている。

 なお、デミウルゴスに非常事態があったり連絡がつかない際はアウラが作戦を指揮することになってはいるが、ビーストマンやそれに圧倒されている人間の国ごときを相手にそのような事態に陥ることなど想像さえできない。

 

「――空!?」

 

 支配している最前線のビーストマンたちの一群が、一斉に前方の空へ敵意を向ける。アウラが彼らへ意識を向けようとした瞬間――。

 

 アウラの五感が前方の轟音と地響きを捉える。同時に本隊に属する全ての支配対象に浮遊感を覚え、すぐにそれらの全ての命が失われた。

 これは、とてつもない質量による、圧殺か――。

 アウラはすぐに、しもべの飛行魔獣による空からの視野を確認する。

 

「地割れ!? それに、人影――あれは、マーレ!?」

 

 もはや作戦どころではなかった。それどころか、行軍を続けるのに充分なビーストマンが残っているかもわからない。

 それより、今はマーレだ。

 アウラはそうした諸々を置き去りにして、手近な魔獣の背に乗り前線へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 マーレの起こした大地震と地割れを前に、ビーストマンたちはなすすべもなかった。阿鼻叫喚さえも間に合わず、ただ踏みつぶされた蛙のように一瞬だけ声にならない断末魔の悲鳴をあげるか、蟲のように音もなく潰れていった。

 ビーストマンの大軍勢の大半が大地の亀裂の中に消えると、そこへ転移の魔法で現れるものがある。亜人相手とはいえ大量の死を前にして蕩けた笑みを浮かべていたエンリ(死の宝珠)は、すぐに表情を引き締めると警戒を露わにしてマーレへ寄り添う。

 

「マーレ様、これはただならぬ気配――」

 

「デ、デミウルゴスさん!」

 

 現れた悪魔は、マーレのよく知る顔だった。しかしその表情は硬く、駆け寄ることも再会を喜ぶこともためらわれた。

 マーレはエンリ(死の宝珠)に命じて、静かに地面に降りる。

 

「久しぶりだね、マーレ。……再会を喜びたいところだけれど、君は今、自分が何をしたのかわかっているのだろうか?」

 

「はい。それは、竜王国の女王に頼まれて――」

 

 その言葉に、デミウルゴスは目を細める。

 

「女王に……あれに取り入ろうというのは良い発想だ。しかし、その者の力について知った上での行動とは思えな――」

 

「あ、あのっ、その力をここで使わせるのは勿体無いので、ビーストマンを少し倒して、追い払うつもりでした」

 

「ふむ……勿体無い、とはどういうことかな?」

 

 デミウルゴスは目を見開き、警戒を解いて歩み寄る。 

 

「ぼくは他の所でその巨大爆発を一度見ています。その時に色々なことを試しました。だから、次はきちんと時間をかけて準備してからにしたいんです」

 

「見た――そして試したのですか!? マーレ! あなたはやはりモモンガ様の意思によって……ああ、なんということだ!」

 

 激しく動揺し、大きな動作で天を仰ぐデミウルゴス。その姿はマーレの知るデミウルゴスとは思えない激しさだ。

 

「――やはり、モモンガ様の叡智はあまりに凄まじい。真意を知ったつもりでいた私が愚かでしたよ。全ては至高の御方の掌の上でのことに過ぎなかったとは」

 

「えっと、デミウルゴスさんも凄く頭がいいですけど、モモンガ様の足元にも及ばないなんて当然ですし、落ち込まないでください」

 

 マーレにはデミウルゴスの激しい感情までは理解できないが、至高の御方の意に沿うよう努力する姿に強い親近感を覚える。つまり、これでも励ましているのだ。

 

「落ち込んでいるのではないよ、マーレ。私は感動しているんだ」

 

「そ、そうなんですか。ところで、ビーストマンが逃げ出したくなるまで数を減らしてきてもいいですか」

 

「それはアウラでも制御可能かもしれないし、まずは少し話をしてから――」

 

 そこへ現れたのは、もう一人の闇妖精(ダークエルフ)

 

 

 

 

 

 作戦は台無しになった。そこでアウラを包みこんだ感情は、純粋な怒りだ。

 アウラはナザリックのしもべたちの中でただ一人、聞かされている。

 モモンガが、ナザリックに残った唯一の支配者にして守護者たちの生殺与奪の権利を持つ至高の御方が、マーレの行方も、何をしているかさえも全く把握していないということを。

 つまり、マーレは命令など与えられていない。混乱を防ぐため、それを知るのはモモンガとアウラの二人のみだ。

 

「――裏切り者とする話なんて無いよ」

 

 優先されるべきは、身内の情より忠誠心だ。アウラは勝手にいなくなったマーレを捜索するうち、必要あらば自ら始末を付ける覚悟さえ持つようになっていた。だが、優しいモモンガはマーレが何者かに連れ去られたか困難な場所に囚われている可能性にまで言及してこれを宥めてくれた。

 それならば、アウラは姉として、少々とろい所のあるマーレを自分が責任を持って救い出さねばならないと考えていた。

 

 しかし、マーレは自らアウラの前に現れた。さらに、そこでしたことはモモンガの裁可した作戦の妨害だ。

 

「お、お姉ちゃん。裏切りなんて、そんな……」

 

 アウラはマーレに冷たい視線を向け、鞭を構える。周囲には続々としもべの魔獣たちが集まり、すぐにでも飛びかかれるようにマーレを緩やかに取り囲む。

 

「デミウルゴス、どいて。そいつ殺せない」

 

「アウラ。君には申し訳ないが、作戦の前提が変わった。今からビーストマンたちの行軍の中止と撤退は可能だろうか」

 

「勝手に話を進めないでもらえるかな。あたしは()()()()()()()()()()()

 

 小さなマーレだけでなく、デミウルゴスの顔にも影が落ちる。辺り一帯を覆う影は、その全てがアウラのしもべのものだ。巨大な魔獣たちの包囲網がマーレとデミウルゴスを押し包んでいた。

 

「作戦の責任者は私だ。マーレが持ち帰ってくれた情報は非常に重要なもので、それを前提に――」

 

「この行軍はモモンガ様の裁可された作戦で、それを阻んだマーレは万死に値する。デミウルゴスがマーレを庇うなら、あたしはそれを()()()()だと判断して作戦を引き継ぐよ」

 

 たとえ守護者の仲間うちであっても、なあなあで済ませられる問題ではない。アウラがデミウルゴスへ向ける視線も、果てしなく冷たいものだ。

 

「アウラ。それは、本気で言っているのか? 私は君の知らないことをモモンガ様から聞いた上で、この判断をしているのだよ」

 

「デミウルゴス。自分だけがモモンガ様から全てを聞かされていると思わない方がいいよ。マーレに関しては、あたしの方がわかってる」

 

 マーレについて至高の御方より真実を聞かされ、任されていたのはアウラだけだ。たとえ知恵者のデミウルゴスが相手でも、丸投げしてしまうわけにはいかなかった。

 

「……マーレ、再会して早々にすまないが、君には生きて情報を届ける義務がある。この場は逃れて――」

 

「デミウルゴスさん……ぼくがモモンガ様のご命令を阻んだのなら、お姉ちゃんの邪魔はしないでください」

 

 庇おうとするデミウルゴスを制し、マーレは一歩前へ出る。マーレの態度を察したエンリ(死の宝珠)によって二体の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)がアウラからデミウルゴスを隠すように動いて翼を広げるが、威嚇の雰囲気は無い。

 もちろん、そんなものはアウラやデミウルゴスにとって小虫が視界に入った程度の意味しかないが――。

 

「まあ、いいか。マーレが素直に罰を受けるなら、デミウルゴスの出る幕じゃないよね」

 

「アウラ! マーレ! 何よりモモンガ様の、ナザリックの利益を考えたまえ!」

 

 デミウルゴスはその場を動かず、ただ叫ぶ。この場に耳を向ける全ての者に聞かせるかのように。

 アウラの武器はマーレに向けられたまま、その視線はデミウルゴス一人を射抜く。

 

「ぼくはナザリック地下大墳墓の守護者です。モモンガ様の意に反する行動をとったら罰を受けるのは当然です」

 

「情報はどうなるのですか! この作戦自体、現段階では始原の魔法だけが目的です! マーレの情報があれば、作戦も成果も全く違うものになるでしょう!」

 

 アウラの耳がぴくりと動く。

 

「そ、それは僕が独断でしたことなので、モモンガ様が判断されることです。いざとなったらニューロニストさんなどもいますから」

 

「ねえデミウルゴス。今、いったい誰に向かって喋って――」

 

 デミウルゴスの挙動と口調の変化に強い違和感を覚えたアウラだが、守護者の仲間という意識もあって即時の対処はしなかった。

 そして、にわかに膨れる禍々しい気配。

 

 

 

「――騒々しい、静かにせよ」

 

 

 

 死の支配者が、三人の守護者の間に降臨した。

 

 

 

 

 

 一触即発か、その一歩手前か。

 モモンガは、デミウルゴスの機転によってアウラとマーレの衝突を知り、ここへ来ることができた。

 まさかこの事態に備えたわけではあるまいが、作戦を主導する二人が同時に持ち場を離れた場合、伝言(メッセージ)の魔法を使える戦闘メイドのエントマが随時状況を確認してモモンガに報告することになっていた。もちろんデミウルゴスが予め決めていたことだ。

 なんとなく、マーレの状況についてアウラのみと情報を共有していたことが裏目に出たことは理解できたが、それでどう対処すれば良いかまで思いつくわけではない。それでも、エントマから状況が伝わった以上、速やかに動くしかなかった。

 まずは自分にできること――散々練習した支配者らしい台詞と態度、そして直前の思いつきで加えられた、それを補強する絶望のオーラ――によって対処するしかないのだ。

 

 沈黙。その中でよくわからない雑音と、マーレが鼻をすする音がする。この世界で初めて見るマーレは、やはり他のNPC同様、ゲーム時代とは全く違う生きた存在感のある姿だ。それが、人間性と涙腺があれば思わずもらい泣きしてしまいそうな寂しさと嬉しさの入り混じったような表情で、モモンガを真っ直ぐ見つめている。

 

――素直に再会を喜んでいい状況では無さそうだが、どうしたものか。

 

 モモンガが困っていると、マーレの傍らで雑音の正体(マーレの連れらしき女)がドサリと倒れた。そういえばマーレばかり見ている間、近くに電撃に撃たれたようにびくんびくんと痙攣する気配があったような――。

 

「ぶばっ、がぼぼ……な、なんという濃厚な死の気は……がぼぼぼっ」

 

――うわぁ、やっちゃったよ。鼻血とか泡とか盛大にふいてるし。

 

 そして晴れ渡った空の下、倒れた先には水たまり。黒衣の股間から下がわかりやすく濡れている。

 

 モモンガは慌てて絶望のオーラを引っ込め、思考を整理する。

 犠牲者の方はさらに目や耳からも血を流しているが、大切な友人の子供たちの前で取り乱すわけにはいかないので後で考えることにした。即死でなく泡をふけるだけの元気があるなら、ナザリックに連れ帰れば手遅れということはありえない。

 まずは、目の前の状況だ。大切な友人の子供たちも同然のNPCが、身内同士で衝突している。止めなければならないが、わざわざ衝突の原因などを聞いてしまえばどちらかに肩入れする形になって後味が悪いかもしれない。

 

「さてアウラよ、ここは私が判断しても良いのだろうか」

 

「は、はいっ! ここにはモモンガ様のご判断に逆らう者などいません。いたら、あたしが殺します!」

 

「では……即時撤退だ。デミウルゴス、良い判断だった。そしてアウラ、ここからの難しい撤退を任せられるのはお前しかいない。ビーストマンのこれ以上の損耗をできるだけ避けるよう、よろしく頼む」

 

「はっ!!」「はいっ!」

 

 デミウルゴスに促されて撤退指揮へ向かうアウラの顔色が悪いが、身内に武器を向けたことを気にしているのかもしれない。後でフォローしておくべきだろう。

 とにかく、今は――。

 

「も、モモンガ様……ぐすっ……」

 

 モモンガは、ゆっくりとマーレへ歩み寄る。

 

 

 

 

 

 マーレの視界はどうしようもなく滲んでいた。邪魔な水気がこのまま至高の御方の姿を滲ませてしまうのなら、炎で我が身を灼いてでも排除してしまいたい。そう思いながらも、ひとたび裏切り者とされたマーレには魔法という手段を取ることさえできないのだ。

 

「マーレよ、よく戻ってきてくれた」

 

「ごめんなさい、ももんが様……ももんがさまぁ……」

 

 やっと、逢えた。

 長く長く、マーレの胸にぽっかりと空いたままだった穴が、満たされていく。

 

 忠誠を向けるべき至高の御方、その前に(かしず)く自分のあるべき姿、そして自分の役割、繋がり、存在意義――全てが終わろうとした時、全てが揃うことができた。

 再び手にすることができたのならば、終わりが来るその瞬間まで、マーレはマーレであり続けたい。裏切り者として処分される前に、その最後の時間を至高の御方の前で過ごすことができる、こうあれと生み出された通りに振る舞っていられる。それがたまらなく嬉しかった。

 いまだ死の覚悟を纏い続けるマーレだが、その頬を流れ続けるのは間違いなく嬉し涙だ。

 

「苦労をかけたようだな。これまでの話をナザリックでゆっくりと聞かせてもらえるだろうか」

 

「でも……ぼくはモモンガ様のご命令を阻んで……」

 

 一緒にいたい。沢山話をしたい。けれども、今のマーレはそれが許される身分とは思わない。

 聞いてもらうべきは、苦労話ではなく情報なのだから。

 

「しかし、それはアインズ・ウール・ゴウンのためになると思って、自分で考えてしたことなのだろう?」

 

「……はぃ。それがモモンガ様の作戦を台無しにしてしまったので……罰を受けなければならないんです」

 

 白磁の手がマーレの髪をさらりと撫でる。

 マーレは溢れ出る喜びを抑えるように、目を細めて小さく震えた。

 

「罰など無意味だ。それより、マーレが考えていたことも聞かせてもらって、今後のことを考えなければならない」

 

「ぐす……それが、モモンガ様のご意思なら」

 

 守護者たちを後詰に置いた状態で軍を進めさせたモモンガは、マーレと似たものを見ていたに違いない。現地の脅威をそれだけ重大視しているのなら、罰を棚上げしてそれに対応するということもあるのかもしれない。

 マーレはもう少しの間、アインズ・ウール・ゴウンの守護者マーレであり続けることができる幸せを噛み締めながら、脅威に対し矢面に立つことを決意する。

 

 転移の寸前になって、白目をむいたまま呻き声をあげて地べたで蠢いていたエンリ(死の宝珠)も回収された。

 死の宝珠の力によって絶望のオーラの負の影響からは逃れていたが、宝珠が一気に大きな力を吸い込みすぎたために身体の色々な部分がエネルギー過供給でおかしくなっていたらしい。

 そのエネルギー自体は今のエンリ(死の宝珠)にとって本来素晴らしいものであったはずだが、量が問題だった。絶頂を軽く突破し、血管や神経から臓器まで様々な所に多くの損傷を抱えた形だ。さらに宝珠が強引に肘で這わせたり色々試みたせいで全身が傷だらけになっている。

 顔じゅうから泡やら血やらを垂らし、宝珠の持つ気力だけで動かなくなった身体を無理に動かそうとするエンリ(死の宝珠)の姿は、宝珠から漏れる負の力も相まって、その道の専門家であるモモンガさえも壊れかけの動死体(ゾンビ)と一瞬見紛うほどのものだった。

 

 

 

 

 かくして、ナザリック第六階層守護者マーレは、ナザリックに一時帰還を果たす。

 しかし、マーレの旅はもう少しだけ続く。




●アウラ

辛い時間は終わりです。モモンガ様がいるので大丈夫。

●マーレ

続きます。モモンガ様がいるので大丈夫。

●?????

辛い時間はもうすぐ終わりそうです。モモ……げふんげふん。





問題は山積ですが、どうにか年内に再会してもらうことができました。
来年の目標は、完結です。

それでは皆様、良いお年を。

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