●死の宝珠憑依時に絶望のオーラを受けた結果は、もちろん独自設定です。(再掲)
四七 ルプスレギナに話してみるっす
《
「マーレよ、どうしたのだ。まだ他に回収すべきものでも――」
「あの……離れたく、ないです。ごめんなさい」
モモンガの張り詰めたローブが弱く震える。その振動は、端を握って離さないマーレから伝わってきていた。
「まずは、ともにナザリックへ帰るのだ」
「でも、その……転移は……」
マーレの顔に張り付いているのは、ゲーム時代にデザインされたおどおどとした表情とは違う、本物の恐怖のように見える。
――そうか、この世界に転移した時、一人きりになってしまったからな。
モモンガはそっとマーレの頭を撫でる。
「も、ももんがさま……」
「心配なら、私にしっかりと掴まっていてもいいのだぞ」
「は、はいっ!」
マーレは嬉し涙を隠そうともせずモモンガの下半身に抱きつき、腰骨と大腿骨を固定する。
――あ、歩けないんだが。
モモンガには束縛耐性は無い。そもそも接近後の束縛を許すようなビルドではないので必要も無かったのだが――。
そのまま、二分が経過する。力の差が大きすぎて、一度固定されればその部位からは抵抗の意思さえ伝えることができない。
そして、泣く子には主人といえども勝てないのだ。
「……ももんが、さま」
――マーレも嬉しそうだし、俺から言うのもなぁ。でもハンゾウとかもらい泣きしてて対応してくれないし、早く戻らないとあれ死んじゃうかもだよな。
護衛である人間型モンスターのハンゾウに持たせた女は、先程の絶望のオーラによって虫の息だ。もちろん、モモンガにとってはどこの馬の骨かわからない現地の死にかけの女より、大切な仲間の子供のような存在であるマーレの感情の方が大切なのだが。
「ま、マーレよ。久しぶりだからな。ナザリックまで……コホン……抱っこ、というのはどうだろうか?」
モモンガの下肢を固定する絶対的な拘束が、緩んだ。
「だ、抱っこ……ですか? ええと……」
マーレは涙に濡れた顔を上げ、きょとんとした表情になる。
手を放し、両の掌とモモンガの顔を交互に見るその意図は不明だ。
モモンガはそんなマーレに優しく手を差し伸べる。
「ぼ、ぼくが抱っこしてもらって、いいんですか?」
「も、もちろんだ」
マーレは顔を赤らめて骨の手を取る。胸元に抱き込む瞬間、にへらと顔を崩すマーレ。
「では、戻るとしよう」
モモンガがマーレの細い身体を抱えると、その子供らしい高い体温と早い鼓動が骨身に伝わってくる。
マーレの細く柔らかい腕が抱擁するようにモモンガの肋骨を囲うと、肋間には服越しに子供らしい少しぷにっとした身体が押し付けられる。
子供がいなかったモモンガは初めての抱っこの感触に気が緩むが、《
細い腕が万力のように締まり、モモンガの肋骨が悲鳴をあげるように軋んだ。
マーレの旅は、ここでは終わらない。
なぜなら、マーレと死の宝珠による幾分偏りのある説明により、マーレが築いてきたものの有用性をモモンガが認識することになったからだ。
なお、宝珠は気絶した
宝珠を黙らせた後、モモンガはマーレの旅の経緯や仲間たちについて話を聞いていく。
カルネ村と
「アダマンタイト級冒険者になったのは、ぼくではなくてエンリ一人だけです」
モモンガがマーレの話を聞いていくうち、エンリについては親戚の可愛い子供に変なことを教える不埒な女という目で見ざるをえない部分も出てきてしまうが、大筋ではマーレのために役立ってくれた協力者という理解に留まっている。基本的にナザリックの守護者は常識に欠けるところがあるため、後で本人に話を聞いてみなければわからない部分も多いのだ。
モモンガには、竜王国の冒険者モモンとしての経験とそこで集めた情報がある。モモンの時は絶え間ないビーストマンの侵入によって素早い昇進が可能となったが、普通の国であればアダマンタイト級まで到達するのはそう簡単ではないということを聞いている。
そんなアダマンタイト級冒険者がマーレと親密な協力者で、囮として使うことも可能となれば、これはなかなかに非常に有用な存在だ。使い捨てにするつもりはないが、絶望のオーラで死にかける程度ならば万一のことがあっても蘇生費用も知れている。話を聞いておく必要があるだろう。
このエンリの他にもマーレの
そして、人ならぬ者もまた重要だ。情報の宝庫と思われる長い時を生きた吸血鬼については、マーレがいまだ引き出せていない情報を引き出すための特別な措置を考えなければならない。
「そういえば、その吸血鬼なら街で作った魔法複写があります」
「魔法複写? ……うおっ!! なっ、何だこれは……」
モモンガも元は健全な男だが、異世界転移などという大事件があったため、いかがわしい画像を見るのは久しぶりのことだ。それが元の世界では絵でしか表現することが許されない実写ロリとなれば、動揺を隠すのは難しい。
「吸血鬼は街の中にいてはいけないらしくて、魔獣として登録すれば街の中でも問題ないってことで、服を脱がして魔獣っぽくしたらしいです」
マーレの説明に、モモンガは骨しかない顔をしかめる。
人間というのは異質・異端に厳しい生き物だ。女王が竜の血を受け継ぐ竜王国と違って、西側の人間の国々では異形の者への風当たりはずっと強いものと考えるべきだろう。
「これは、あのエンリがやったのか?」
「いえ、クレマンティーヌの提案で、道具は他の冒険者に用意してもらっていました」
クレマンティーヌ――マーレの話にもよく出てくる、スレイン法国の特殊部隊にいたことがあるという女だ。その法国が異形種を敵視する人間至上主義の国である以上、吸血鬼のような異形に対しては強い蔑みを感じられるような扱いになってしまうのも仕方がないことなのかもしれない。
この女の吸血鬼へのやり口を見る限り、法国との対立はマーレの短慮や不幸な衝突によるものではなく、必然であったと考えるべきだろう。
そして、冒険者がここまでのことに協力するということは、他の人間の国々も基本的には異形種のギルドであるアインズ・ウール・ゴウンとは相容れないと考えた方が良いということになる――。
そういう戦略的観点からの分析の必要があったため、モモンガが魔法複写をしばらく凝視していたのは仕方がないことにゃのだ!
……ことなのだ。
――吸血鬼のことは後で考えるとして、異形種を狩る国か……。早い段階でマーレに仕掛けてないということはそれほど大戦力でもなさそうだが、敵対的なプレイヤーがいる可能性は高い。巨大爆発を使う竜王とともに警戒しておくべきだろう。
モモンガは、自分ならば情報が集まらない限り仕掛けようとは思わない。だから、スレイン法国を攻撃し、竜王と思われる存在とも接触したマーレが泳がされているだけである可能性を前提に行動する。
「第六階層のメンテナンスの他、少しやってもらいたいことがあるが、その後はナザリックと無関係を装ってしばらく旅を続けてもらうつもりだ」
第六階層のジャングルは、マーレが魔法で降らせる雨によって成り立っている。月単位でのマーレの不在となれば荒廃するのは当然のことだが、それを回復させるのは高位のドルイド系クラスを持つマーレにとって難しいことではない。
それから、ナザリック地下大墳墓周辺の地形改変。
その後、旅を続けさせるつもりだが、それは人間の国々における囮としての役割を求めてのことだ。
ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』に戻ったマーレは、NPCとしてギルドのシステムに掌握されている。もう見失うことはありえない。
マーレに対するあらゆる連絡手段、探知手段についても、こちらの世界でマーレと再会したことで利用が可能になっている。《
「現地のしもべには簡単なテストをさせてもらうが、逆に状況に応じて護衛も出すつもりだ」
さすがに、無条件にナザリックへ招くわけにはいかない。
逆に、マーレには本来従えているもの以外にも護衛が必要になる状況があるだろう。囮といっても、身一つで旅立たせるようなことができるわけがない。
「はい。……えっと、厳しい相手もいるかもしれませんが、がんばりま――ふわぁっ! も、モモンガ様!?」
モモンガはなんとなくマーレの頭を撫で、その長い耳に触れてしまう。
「ああ、いや、小さな身体だと思ってな。そこへ大変な任務を背負わせてしまうので、必要な護衛や支援があったらいくらでも言ってもらいたい」
「い、いえ! モモンガ様のために命を賭けて頑張るのは当然のことです!」
「そうか。お前たちはそうなんだな……。ならば、生きて戻り、報告を行うところまでが任務だと知るが良い」
「も、モモンガ様……」
骨の手がマーレの頭を強く撫でつけ、整った金髪をかき乱す。モモンガが支配者としての演技を続けるには、こういうマーレの表情を見ていられないからだ。
マーレが従えるものには、もちろん死の宝珠も含まれる。
当人はモモンガに熱烈に忠誠を誓っていたため、一応ナザリックに属するものと認めつつ、マーレ直下のしもべと位置づけた。
一応ユグドラシルには存在しない意思疎通のできるインテリジェンス・アイテムということでコレクション欲は刺激されたため配下としたが、レベルは低く、何よりうるさいのが問題だ。
マーレ自身が便利だと言っていたからこその厄介払いだが、もしその場にマーレの所有するモンスターでもいたら、その口の中にでも放り込んでしまったかもしれない。いずれにせよ、モモンガはこの時点で死の宝珠の存在を忘れてしまうのだ。
――確か、茶釜さんがガチャで出したドラゴンが二体いたか。うちの女性陣は引きが強かったよな。
当のモモンガのガチャ運は、お察しである。
マーレはアウラのように多くの魔獣を従えているわけではないが、ギルド内にマーレの所有という形でドラゴンが残されていた。それがこの場に居なかったことが、宝珠の幸運だろう。
もし、先に
モモンガの意識は、エンリや他のマーレの協力者やしもべたち、そしてスレイン法国や竜王といった仮想敵へと向けられる。巨大爆発の竜が竜王であることや、スレイン法国の情報など、モモンガの側が得ていた情報もマーレと共有しておく。
マーレが荒廃しかかった第六階層・ジャングルの回復に尽力する頃、モモンガとの会見に先立ってエンリに治癒が与えられた。現地の人間であることに配慮して、これに当たったのは人間型の外見を持つ戦闘メイドのルプスレギナだ。
これまで、現地の存在に治癒行為を行うのは殆どが拷問担当のニューロニストとなるのは当然の前提として、僅かに友好的に扱う場合でも相手がミノタウロスやビーストマンばかりだったこともあり、獣人的な外見を持つ方がトラブルが少ないだろうということで犬の頭部を持つペストーニャが護衛を伴って担当していた。そんな中、珍しく連れて来られた人間――先日のアダマンタイト級冒険者チームもニューロニストの担当であったことから、ルプスレギナにとってこの類の仕事は初めての経験になる。
ルプスレギナとしては、その仕事がニューロニストのものであろうとペストーニャのものであろうと一向に構わないのだが、今回は初めてという以上に張り切るだけの理由があった。
「現地人で最も長く一緒にいた協力者」「マーレと非常に近い関係にあったらしいため、客人として丁重に」「他の人間はしもべと、この女を介して協力者となった者だけ」
こうした話が伝わっているのだ。相手が格上の守護者ではあっても、小さなマーレと人間の妙齢の少女の間にただならぬ関係があるようなことを耳にすれば、噂話の種として聞き込んでみたいというのが人情というものだ。まして、そういう噂話はルプスレギナとしても大好物である。モモンガから「治癒のついでにマーレとの関係など、話を聞けたら聞いておいてほしい」と言われれば、いや、言われなくても張り切ってしまう。
相手の人間については特に関心は無く、どちらかというと下等な人間などいたぶったり玩具にする方が好きなのだが、至高の御方に客人と言われてしまえばそこは仕方がない。
ルプスレギナはエンリに体の不調を聞きながら少々過剰なまでに治癒をかけつつ、話しやすい環境を作っていった。
「ふむー、最近の記憶だけが戻らないと。そういうのは治癒魔法では厳しいっすね」
「いえ、無理ならいいですけど、前は操られている時でも記憶があったので、不調といえば不調かなと思っただけです」
恐縮するエンリ。たまにお腹のあたりを気にするような様子はあるが、その身体はルプスレギナの治癒魔法によって完全に全快している。
記憶が戻らない原因は、モモンガと死の宝珠にある。すなわち、絶望のオーラだ。
絶望のオーラによる甚大な負の力は、死の宝珠によってプラスのエネルギーに変換された状態でエンリの身体に流れ込んで強い絶頂を引き起こし、そして受け止めきれなかった暴力的なまでのエネルギーがその身体を内側から破壊した。
この時、エンリが宝珠に支配されている間の記憶は、エンリ側に引き継がれることなく断絶した。
憑依による無意識のものとはいえ、同じ記憶をエンリと死の宝珠という二つの人格が共有するのは本来とても困難なことだ。もちろん、ただの人間のエンリが宝珠の支配下で意識を保ち続けられるはずもなく、宝珠の側の精神にエンリとの繋がりを維持できる程度の余裕があるからこそ記憶が残されている。普通、宝珠が人間の支配を手放すことは考えられず、この繋がりも宝珠の側が人間の記憶にアクセスする能力の副産物でしかないのだが。
そして、その宝珠の側に、気絶や昏倒はもちろん、瀕死、発狂、トランス状態、強い絶頂状態など、精神の余裕が著しく損なわれるようなことがあると一時的に繋がりが切れてその憑依の間の記憶が失われてしまうのだ。
ルプスレギナはナザリックの戦闘メイドだ。目上の相手には意外と几帳面なところのある死の宝珠からの説明が伝わって事前にこうした事情を聞いていたが、支配者たるモモンガに都合の悪い情報をそのまま伝えることは考えられない。
だから、今のところは記憶については保留だ。このエンリは大切な情報源でもあるのだから。
「モモンガ様から治癒だけじゃなく少し話を聞くように命じられてるんで、最後に記憶が残ってるあたりのこと話してもらっていいっすか?」
「さ、最後って、昨夜……マーレに……」
エンリは顔を真っ赤にして口ごもる。
「こう見えても神官なんで、秘密は守るっすよー。私は信じなくてもいいから、この聖印を信じるといいっす」
軽すぎる口調や腰布の下から出てきて指先でくるくる回される聖印の扱いに多少疑問はあっても、相手は初対面で治癒を施してくれた聖職者だ。田舎で育って生臭坊主など知らないエンリには効果てきめんとなる。
エンリはルプスレギナと目を合わせず、その豊かな胸元あたりに視線を固定したまま、ぽつりぽつりと竜王国での宿でのことを説明する。
そのルプスレギナの美しい顔が深い笑みに歪むのに気づくこともなく。
もちろん下着の中の状況についての説明は無かったが、全ての着衣は意識を失っているうちに血やら何やらで汚れていたのを魔法や一般メイドたちの力も借りて綺麗にしてある。全ては筒抜けなのだ。
「うっわ、身体だけあればいいとかマーレ様、可愛い顔してまじぱねぇっす。二人ってどういう関係なんすか?」
エンリはルプスレギナの反応にびくつきながらも、次第に警戒心を解いて話し始める。聖職者にありがちな堅苦しさや潔癖さを微塵も見せないルプスレギナの態度が、今のエンリには話をしやすく感じられたのかもしれない。
「うぅ……こういう関係って、どうなんでしょうか」
モモンガの意図通りのものであるかはともかく、情報収集は順調だ。エンリを所有する玩具の一つとして扱いつつも放置して反応を愉しんでいるという、エンリの中のマーレ像がルプスレギナにしっかりと伝わっていく。放置プレイという概念を知らないエンリ自身は、放置される部分について寂しさを滲ませているのだけれども。
そして、それはルプスレギナにとっては知っていたよりずっと嗜虐的だったマーレへの共感を高めるものにしかならない。まさに一を聞いて十を知る勢いで相談に乗ってしまう。
――結局は、全員玩具みたいなものだったってことっすか。冒険者として一番上まであげてから落とすとかも、最高に楽しそう。
もはや、ルプスレギナに驚きは無い。
マーレはモモンガからある程度の仕事を期待され、それを果たして帰ってきたようだが、それ以外では好きにやって良い身分だったのだろう。それならば、仕事に支障が無い範囲で暇つぶしに現地の人間を玩具にするのはルプスレギナから見て至極当然のことでしかない。
感想を持つにしても、「子供のうちからお盛んすぎっす」程度のものだ。
「人間が逆らってどうにかなる相手でもないし、嫌ではないようだから、ここは開き直って愉しんだらどうっすか?」
投げやりなようだが、元々結論はこれ以外ありえない。ナザリックの存在が愉しむための玩具とされた人間が取るべき態度としては、これが唯一の正解だ。
たとえ、ルプスレギナが同じ立場――ナザリックの仲間として尊重されることのない外部の人間であって、マーレに玩具として使われる立場――であったとしても、力の差を考えればこれ以外の対処はとりようがない。ならば、これはエンリの身になって考えた真摯なアドバイスともいえる。少なくとも、ルプスレギナの方はそういうつもりだ。
まして、エンリの態度はまんざらでもない感じなのだ。
「開き直っ――そんな、でも、どうしていいかわからないです」
「別にどうもしなくていいんじゃないっすか? まあ、これで記憶が繋がらない理由もわかったし」
「え? わかったんですか?」
もちろん、真実だけを話してやる義理などあるわけがない。
エンリの前に立つのが誰であれ、モモンガの利益のために誤魔化すべきを誤魔化すのは当然の前提だ。穏健な性格のペストーニャであれば無難に戦闘中に瀕死になったとでもしておいたところだろう。
しかし、エンリの前にいるのはナザリックのメイドたちの中でも最も悪戯心に溢れるルプスレギナだ。さらに、ここでは
「記憶が繋がらないのは、たぶん身体が強く絶頂とかしたせいっすよ」
「ええっ! ……ぜ、絶頂?」
ルプスレギナは笑みを押し殺して極力
「そうなんですか。でも、絶頂なんて、いったい……」
「身体だけあればいい。そしてマーレ様の部屋――のつもりがモタついてたから廊下になったと。……はーぁ。そこまでわかっててその後を考えないとか、もしかしたらそういうところが面倒くさがられてるのかもしれないっすね」
「え? 私、面倒くさい女なんですか!? うぅ、そんな……でも、経験とかないし……」
「無いつもりなのは自分だけかもしれないっすよ。あっちの、えーと、死の宝珠? あれならモタついたりせず、命令一つでいつでもどこでも即座に手軽に絶対服従って感じじゃないっすか? もちろん宿の廊下でも――」
「えっ、それって……ええっ! っえーーーーーっ!!」
ルプスレギナの言わんとすることを理解したのか、エンリは悲鳴にも似た驚愕と戸惑いの声をあげて自身の下腹部をおさえる。
身体の損傷は回復魔法で全快させてあるが、その直前の絶頂の余韻まで完全に消えているとは限らない。そういう健康的な行為の事後の違和感があるとしても、それは傷や身体の不調とは正反対の、生命としてとても正しいものだ。
ともかく、都合の悪い部分を少しだけ面白そうな形で誤魔化すことができた。もちろん、嘘はついていない。
それに、洗濯した者から聞いている下着の状態からすれば、それに近い行為があったのではないかと考えられるのだ。だから大きな問題はない。
むしろ、至高の御方が気にしていた部分について、有効な情報収集ができたといえるかもしれない。エンリの方は完全に心当たりがあるような反応をしているのだから、当たりを引いたと見るべきだろう。
ルプスレギナはその顔に浮かんでくる笑みを隠すようにエンリに背を向ける。
「うぅ……ぐすっ……私は、要らない子なんでしょうか」
「そ、そんなことないっすよー。マーレ様だって、ずっと例の宝珠に乗っ取らせないでわざわざ元に戻してるっすから」
一転してフォローに回るルプスレギナ。
このあとモモンガが会うのだから、遊び心の痕跡を残すわけにはいかない。最後には軽い目の充血さえも治癒魔法で対処するつもりだ。
「それじゃ、なんで私じゃなくて……その……」
「きっと、身体だけ
「か、身体から!?」
「大事なことっすよー。特に、面倒くさがられてるかもしれないって言われて、すぐに悲しそうな顔をして悩んでしまうような子には」
ルプスレギナは既にしっかりと頼れるお姉さんの顔を作っている。こぼれる嗤いを隠すのは少々苦手だが、自分では要領がいい有能なメイドだと思っているので問題ない。できているはずだ。
エンリも少し真面目な顔をしているので、やはりそういう関係で間違いないのだろう。興味本位の方の情報収集としても完璧だ。
「まー、難しく考えることは無いっすよ。身体の準備さえ出来ていれば、いざという時にスムーズに関係を持つことができて、二人とも幸せになれるっす」
――どうせ、私なんて玩具みたいなものでしかないから。
マーレとの関係についてはそのように割り切って考えることも少なくないエンリだが、ルプスレギナの言葉には逆に勇気づけられていた。
なぜなら――。
「……街の裕福な女の子がする花嫁修業ってのも、そういうのなんでしょうか」
エンリはンフィーレアから聞きかじった言葉と、帝国で売られていた高価で刺激的な下着たちを思い浮かべ、知らない世界を勝手に繋げてしまった。
さらにエンリは故郷のカルネ村でも、近くの村から嫁いできた新妻が「田舎者だから花嫁修業とかしていないので不安だったけど……」などと打ち明けるのを聞いたことがある。田舎者からすれば、出たとこ勝負の田舎の結婚生活と違って、都会ではじっくりと事前に準備をしているイメージがあるのだ。
そして、村娘だったエンリの感覚では、仕事も家事も結婚前からできて当然のことだ。結婚生活で新たに始めることといったら、子作りしかない。
自分なら結婚したその日から頑張って研鑽を積んでいくのだろうが、街の女の子はそれを先取りするわけだ。それも、日々の農作業も無いのに家の手伝いも村ほどはやらないというから、毎日毎日だらだらと、ひたすらそればかりの生活になってしまう。
街の女の子は綺麗な服を着ているのに、一日中だらだらと。だから下半身下着が守ってくれるのか、などと思考もあらぬ方向へ飛んでいく。少なくとも、エンリにはそれしか想像ができないのだ。
もちろん花嫁修業という言葉を聞いた当初は、本で読むとか親から聞く程度のことを想像していたのだが、今のエンリはそんなおめでたい子供ではない。
それに対し、ンフィーレアは街で暮らしていても昔から薬師として薬のことばかり考えていて、そういう経験があるとは思えない。「花嫁修業とかしてる女の子は苦手」というのも当然のことなのだろう。
もちろんエンリだって、農作業も家の手伝いもせず毎日毎日そういうことばかりしている人が相手では困ってしまう。
それが天使のように可愛らしくて、悪魔のように強く残酷で、絶対的な力を持っていて、無遠慮に自分のことを弄ぶような子だったとしたら、流されてしまうのも仕方ないかもしれないが――。
「き、きっとそうっすよ! ちょっと裕福なら、人間だってセーキョーイクくらいするはずっす」
「……セーキョーイク?」
「身体の花嫁修業のことっすね」
――身体の? 結婚するのに、身体以外に何を頑張ることがあるんだろう。
エンリは素直な疑問を持つが、そこまでは恥ずかしくて口に出せない。好きだから結婚するのだし、働けないような人間は結婚する資格がない。そういうエンリの常識を前提とすれば当然の疑問だ。
だが、アダマンタイト級冒険者となったエンリは旅の経験の中からすぐに答えを見つけ出す。冒険者とは未知に出会った時、怯むことなく自らの頭で考え、自身の経験の引き出しから適切な答えを選ぶことができる者なのだから。
かつてエンリが訪れた帝国の高価な下着屋の一角。そこには使いみちのわからない、どこかグロテスクな雰囲気の道具たちも並んでいた。
あれらを使いこなすのは、さすがに誰かに教わらないと不可能だ。となれば、そういうものを学ぶことが身体以外の花嫁修業に違いない。
そこまで考えて、エンリはようやくマーレについて理解できたような気がする。
エンリは周囲を見回して、静かに頷く。
やはり、そうなのだ。
この場所は、マーレほどの存在が仕えているのだから当たり前かもしれないが、帝都の豪華な建物よりも絢爛豪華で、あらゆるものが上質だ。
ならば、女の子はたっぷりと開発されなければならないし、セーキョーイクとやらも、身体以外の花嫁修業も山盛りだろう。
酷いものに見えたイビルアイの処遇も、ここでモモンガに所有されていたマーレから見ればたいしたことではないのかもしれない。
――そんな、まさか、この凄く綺麗な人も?
「あの……ルプスレギナさんも、その……ここのご主人様からそういうことを求められたら、応じるんですか?」
「もしモモンガ様が私などを求めてくださるのなら、いついかなる時でも全てを賭けてお相手させていただくに決まっています。人間ごときが応じる応じないを語って良い御方ではありませんよ」
「は、はい、も、申し訳ありません」
突然、口調が変わって殺気すら孕んだルプスレギナの低い声に圧倒されつつ、エンリはなんとか頭を下げる。このメイドの殺気を知ってしまえば、『蒼の薔薇』の人間たちやクレマンティーヌなどのそれは子供の癇癪程度にしか思えなくなりそうだ。
全身が粟立って危険を訴えているのに、エンリは足を全く動かせない。
ただその場で小さく震えるしかないエンリに対し、ルプスレギナは優しく微笑む。
「ここで人間ごときが私らの忠誠心を疑うような言葉を口にすれば、相手が誰であれ簡単に殺されるっすよ。モモンガ様がお会いする予定があって命拾いしたっすね」
「ごめんなさい……」
――やっぱり、モモンガ様ってそういう存在なんだ。
殺気だけでエンリを縛り付けたルプスレギナにとっても、モモンガが絶対者であるのは間違いない。それがエンリにとっての絶対者であるマーレや、それと同格の者たちの主人でもある。エンリにとってモモンガとは、絶対者の中の絶対者だ。
「というか、忠誠心以前にモモンガ様に求めていただけたらナザリックの者は誰だって喜んで身体を使っていただくはずっす。生き物として、いや、生きてようが死んでようが当然のことっすね! たまに死んでる方に無駄に情熱的なのがいるくらいで……」
「……? そ、そうなんですね」
やはり、セーキョーイクは完璧だった。女の子は開発され放題だ。
狭いカルネ村で、外部の男の子はせいぜいンフィーレアくらいしか知らなかったエンリとは、本来住む世界から違うのだ。
――ンフィーか。もしかしたら、私くらいがちょうど良かったのかな。
ささやかな自覚が、チクリと胸に刺さって引っかかる。
ンフィーレアが街の女の子を避け、自分なんかに色々と良くしてくれたのは、「身体から開発してる」女の子を避けただけでなく、それより自分の方が良いと考えてくれたのかもしれない。そう考えると、ンフィーレアの様々な行動にも納得がいくようになるのだ。
しかし、エンリは既に「開発」されつつある。もちろん、まだまだ開発途上かもしれないが、未開発ではないのだ。自分で一から開墾したい働き者のンフィーレアには似つかわしくない。
何より、今のエンリはマーレに合わせて「開発」されている。マーレは子供だが、それでもあれだけのことをするのだ。間違いなく、ここのセーキョーイクは充実しているのだろう。
「はぁ……。私は田舎者だからそういうの無かったけれど、ここのセーキョーイクもきっと凄いんでしょうね」
「も、モチロンっすよ!」
幸い、この時のルプスレギナの表情は、虚空を見上げて溜息をつくエンリの視界に入らなかった。
その視界を満たしていたのは、帝都の高級店より遥かに上質なシャンデリアや調度品といった、ナザリックにおいて日常的なありふれたものでしかなかったのだが。
エンリ「裕福なほど凄い」(NEW!)
勘違いが幾らか収束すると予想されたかもしれないタイミングで、まさかのルプスレギナ。
マーレやツアーは殺気を表に出さず、イビルアイはエンリたちと戦う頃には心が折れかけていたので、ルプスレギナの殺気がエンリに向けられたものとして過去最大にして圧倒的なのでした。
この会話のためにそうした(嘘
今年もよろしくお願いします。